普段は騒がしい葛城家の食卓ですが、その中心人物であるミサトさんが居なければ、会話どころか、物音すら珍しいものです。わたしは特別寡黙な性質ではありませんが、食卓を囲う相手が寡黙な人と、人語の通じない動物であれば、むしろ淡々と食事をとる方が、ずっと気が楽。下手に一人で騒ぎ立てても、空回りして、赤面する未来しか見えませんし。
見たい番組が無ければ、テレビをつける必要もなし。とり急ぐ話題が無ければ、無理に喋る必要もなし。
多くの場合、食事時の静寂というのは、細々とした物音が気になってしまうものですが、この日ばかりは何故かあまり気にする事はありませんでした。きっと自らの醜態よりも、先程不意に聞いてしまった事へ、配慮する心地の方が、ずっと上回っていたからでしょう。
奥さんと、子供と、死別している。
それがどういう事か、上辺こそ理解は出来ても、中身は分かりません。木崎さんの気持ちが、彼自身にしか分からないという点は勿論の事。わたしも母を亡くしていて、父は親らしい事をこれっぽっちもしてくれなかったのですが、これは物心つく頃には『当たり前』な事であって、それがわたしにとっての『普通』でした。シンジくんの記憶については、さて置いて……ですが。
とはいえ、何もそれはわたし主観の話だけに止まらず、セカンドインパクトと、その後の戦争によって、多くの人口を減らしたこの星では、身内が欠けているという事は、あまり珍しい話ではないのです。だからといって、決して軽んじられる事ではありませんが、木崎さん自身もそう思っているからこそ、悲観的に見えるようには話さなかったのでしょう。
わたしが知った風に、しょげてしまうのは、むしろ失礼な話です。
「ご馳走様です。今日の食事も、大変美味でした」
「あ、ども……」
職業柄、木崎さんは早食いのきらいがあります。
それは仕方の無い事ですが、やはり作っている側からすると、そういう人に対して『もう少し味わって食べて欲しい』なんて思ってしまうもの。……っていう事を、きっと彼は分かっているのでしょう。菓子パン等、購入したものを食べる時は、正しくあっという間なのですが、何故かわたしが振舞う手料理ばかりは、とてもゆっくり食べてくれます。それでも常人のペースで食べるわたしよりは、随分と早く食べ終わるのですが、『きちんと味わっている』と言わんばかりに、言葉を添えてくれるあたり、本当に気の利く人なのでしょう。
今日の寝覚めもそうですし、その後の配慮も含めて、何から何まで至れり尽くせりです。こんなにも良くして貰っている事に対して、わたしが出来る配慮と言えば本当に些細。
何か、木崎さんに返せたらなあ……。
そう思いつつ、食べ終わった食器を流しに持っていく背へ、「お水に浸けておいて下さい」と、言っておきます。そうでもしないと、何処からともなく不似合いなエプロンを持ってきて、スーツの上に巻いてしまいますから。お礼を返してくる木崎さんに、わたしは穏やかな笑みを返しました。
そこでふと、妙案が浮かびます。
思わずわたしは箸を置いて、向かいに戻ってきた木崎さんへ改まりました。その様子を目聡く察した様子の彼へ、「あの……」と、口火を切ります。
「失礼なのは承知ですけど……お墓参りとか、行きたいって思いません?」
すると、木崎さんは僅かに身体をぴくりとさせて、顎に手を当てて俯きました。
何処か考え込むような様子の果てに、ぽつり。「そういえば……」と、小さく零します。やがて面を上げた彼の顔は、何時もと変わりない鉄仮面の筈なのに、何故かやけに人間味に富んで見えました。
「そろそろ命日です……。正直に申し上げると、毎年その日は休みを頂いています」
成る程。やはりその日は大事にしているようです。まあ、そうでなければ、きっとわたしの事を『娘と似ている』だなんて、あんな安らかな顔で言える訳もないでしょう。
ただ、この世界に使徒が現れ、わたしという重要人物の護衛を一身に引き受けている現状。わたしが何も言わなければ、彼はこのまま我慢していたのかもしれません。
じゃあ、と、わたしは頷きました。
「何時でも平気なので、言って下さい。その日はミサトさんとかと一緒に居るようにするからって、お願いしておきますから……あ、連休とかでも良いんですよ? 最悪、ネルフに泊まりますし!」
ここぞとばかりに言ってみれば、木崎さんは口角だけで笑みを浮かべます。
その表情は、決して本心から笑っているようには見えず、強いて言うなら苦笑のように映りました。
「お心遣い痛み入ります」
しかし、その声色ばかりは、とても安堵しているようでした。
食事が終われば、ちょっとした掃除や、何故か第四使徒戦の日の朝に干してしまった洗濯物を取り込みます。……いや、本当、何で干したんだろう、わたし。昨日、雨降ってたらしいし、すんごい生臭いんですけど。皺も寄っちゃってるし、これは洗い直しです。次から使徒戦がある日は、絶対に洗濯物をしないようにしましょう。完全に無駄でした。ていうか、ミサトさん、帰ってきたなら取り込んでおいてよ……。
已む無く、折角やった洗濯物を、再度洗濯機にぶちこんでおきます。マンションなので、夜間に騒音を立てるのはあまり宜しくない。明日の朝に回す事にしましょう。
「何か手伝いましょうか?」
「いえいえ、趣味みたいなもんですから。あ、手持ち無沙汰だったら、その辺にあるもの適当に読んでて下さい。ミサトさんのですけど……」
気遣ってくれる木崎さんへ、リビングに置いてある机を示します。その上には、ミサトさんがぶちまけるだけぶちまけて、全く読んでいない雑誌の山があります。大半は美容系ですが、車やお酒のものもあるので、きっと木崎さんが好むものもあるでしょう。この前、ミサトさんとお酒について語ってましたし……。
木崎さんは釈然としない様子でしたが、普段から口を酸っぱくして、休んでくれと言っている事が、奏功したのでしょう。洗い物を終えてから様子を見てみれば、リビングとダイニングの間にある柱に背を預け、立ったまま、一冊の雑誌を捲っていました。……成る程。やはりお酒が好きなようです。
ふと時計を見やれば、まだ八時にもなっていません。
寝るには少し早い……っていうか、わたしが目を覚ましたのはお昼前で、まだこれっぽっちも眠気がありません。
時間、余っちゃった。
どうしようか……。
家事はある程度済んだし、お風呂にも入ってしまいました。
学生の本分である宿題も、現状が現状であるので、出されている筈がありません。
やる事らしいやる事が無くなって、ふと逡巡。すると、先程出来なかった事を思い出しました。
木崎さんがちらりと向けてくる視線に微笑み返し、自室へ。
ベッドの脇で、緑色のランプが点いているスマートフォンを拾い上げました。
電源を長押しして、起動するまで待ちます。その間、一度部屋を出て、「ちょっとごろごろしてます」と、木崎さんに告げておきました。扉を開きっぱなしにしておけば、彼もゆっくり出来るでしょう。
さてさて……。
そんな心地で取り上げたスマートフォンは、ちゃんと充電が完了しています。
ロックを解除して、ホーム画面を映せば、大量の通知が入っていました。……わあ、まるでわたし、人気者みたい。まあ、殆んど緊急警報を報せる通知でしょうけど。
と、して、メールの画面を開いたのですが――。
「え?」
上から下まで、同じ発信元で埋め尽くされていました。
それも、何処ぞのサイトでなければ、巷で噂の迷惑メールとかではありません。全部一人の人物でした。
取り急ぎ、その通知の一番古いものを開きます。
『今から出撃かな? 無事を祈ってます。頑張って』
その文面を見た瞬間、わたしの脳裏に電撃が走るようでした。
ハッと息を呑む心地で、次の文面を開きます。
『ごめんなさい! まだ出撃してなかったりする? 鈴原と相田が、トイレって言って、何処か行っちゃって。今捜しているところなんだけど……もしシェルターから抜け出してたら、わたしどうしたら良いのかな? 追いかけても良いのかな?』
それは、わたしが勝手なお願いをしてしまったばかりに、危険な目に合わせてしまった友達からの、必死の連絡でした。途中からは、決してわたし宛てと言えたものではなくなり、シェルターの扉が開いている事に対する困惑や、外から聞こえる戦闘音に対する恐怖心の吐露、意を決して、二人を連れ戻そうと飛び出す決意までもが書いてありました。
一通、一通、ゆっくりと改めていけば、喉の奥に何かが引っかかるような感覚を覚えました。それは熱となって、顔へ向けてじわじわと迫り上がってきます。
顔が熱い……。
視界が滲んでくる。
ふと気がつけば、こんなにも涙腺が脆い。
わたしは口元を押さえつつ、最後の一通を開きました。その受信日は昨日。使徒戦を終えたわたしが、まだ眠っている頃でした。
こんにちは。
昨日はごめんなさい。頼まれていたのに、二人から目を離してしまったばかりか、わたしまで迷惑をかける事になってしまって、本当に、本当にごめんなさい。
あの後、わたし達三人は、ネルフの人に助け出されました。
あの時のわたしは、目の前で何が起こっていたのか、全く理解出来なくて……呆然と、ストレッチャーに乗せられて、運ばれていく碇さんを見送りました。後から聞いて知りました。あの時、凄く痛かったんだね。苦しかったんだね。エヴァってロボットだから、あんなに苦しそうに戦っている理由が分からなくて。何も力になれなくて、本当にごめんね。
正直に言うと、あの時の碇さんは、人が変わったみたいな顔付きで、少し怖かった。
だけど、それも分かる気がした。……いいえ、分かるなんて言ったら、おこがましいって怒られちゃうかもしれない。でも、あの時、エヴァに一緒に乗って、碇さんが戦っている姿を見て……思ったの。
一人なんだ……って。
それでも果敢に、歯を食いしばって戦う姿は、きっと誰にも真似出来ない事だよね。そう思ったら、いてもたってもいられなくて、『守られているだけじゃダメだ』って思ったの。
具体的に何が出来るかは分からないけど、もしも協力出来る事があったら、昨日に懲りずに、また頼って欲しい。昨日は情けない結果になっちゃったけど……次はもっと頑張るわ。それがわたしに出来る戦いだって、そう思ったの。
こう言うと怒られるかもしれないけど……ありがとう。守ってくれて。
追伸。
碇さんが鈴原達に、わたしを置いてくるなって言ってくれて、本当に助かりました。もっと言ってあげて。大体、鈴原はほんと、ああいう時は頼り甲斐ないんだもの。
「……ヒカリ、ちゃん」
小さく、送信者の名前を口にします。
その声は自分でも分かる程に震えていて、画面を見ていた視界が波打つように歪んでいきます。やがて手に力が入らなくなって、スマートフォンを取り落とせば、わたしはベッドに向かって蹲りました。そのままむせび泣いていると、すぐに背後から「レンさん?」と、声を掛けられます。
首を横に振って、手で『大丈夫だ』と示します。
これはわたしだけが知るわたしの罪。
わたしが解決しなければいけない問題。
わたしは決して、ヒカリちゃんが言うような、勇ましい人間ではありません。むしろ、誰かを頼らねば、何も成せない人間です。それを隠して、強がっているだけなのです。
見捨てようとしていた。
その罪悪感はあまりに重たく、胸を締め付けます。それは確かな痛みとなって、わたしに警鐘を鳴らすのです。
――動き出せ。碇レン。
熟考の末、わたしは涙を拭います。
面を上げて、部屋の前で待ってくれていた木崎さんに、再度「大丈夫です」と告げ、席を外して貰いました。
スマートフォンに向き直ったわたしは、返信画面を開きました。
『今度、少し時間を下さい。出来れば二人にも、声を掛けておいて欲しいです』
そして、送信。
ミサトさんに対しても、明日の夕方、どうしても時間が欲しいというメールを送ります。
全てが済んで、わたしはふうと一息。
自らの頬を二、三回張って、良しと気合を入れました。
漠然とした不幸を嘆いているだけなら、今までのわたしがやって来た事です。だけど、もう舞台の主役は碇シンジではなく、わたし。碇レンなのです。わたしが何とかしなければ、誰がやるって言うんでしょう。
二重人格をどうにかする方法は、具体的に浮かんできません。けれど、今のわたしには他にもやるべき事があります。そしてそれをしないと、二重人格をどうにかしたところで、誰も守れない結果になってしまう事も、分かっています。
だから、先ずは出来る事を。
出来る事からやっていけば、二重人格のそれもいずれ見えてくるかもしれません。
わたしに出来る事……それは、わたしの味方を増やす事です。
当話はあと2ページを予定してます。
PCが直り次第投下します。
(追記)
PC直しました。
試運転していますが、問題なければ早いとこ更新再開します。