日が昇り、今日も相変わらず肌寒い風が吹く中、朝食をとり終えた桔梗は酒場へと向かっていた。店の準備をしている人や、道を歩く人が桔梗へと挨拶をすれば、桔梗もにこやかな笑顔で返事をしていく。
だがそれは表面上の笑顔。その内部では笑顔になれない理由があった。
扉を開けて中に入ると、酒場のカウンター付近の席についている花梨がいた。机には新聞らしきものが広げられており、その表紙には「シュレイド王家、動くか」という見出しが書かれている。彼女は傍らに置いているコップに時折手を付けながら内容を読み進めていた。
気配に気づいたのだろうか。不意に顔を上げた花梨が、入口にいる桔梗に気づいて軽く笑顔を見せてくれた。
「……ん? あぁ、桔梗やないの。おはようさん。珍しいなぁ、こんな時間にここに来るなんて。なんかクエストでも確認しに来たん?」
「おはようございます、花梨さん。いえ、クエストではなくちょっとした話をしに来たのですよ」
そう言いながら花梨の対面に座る。するとカウンターにいたシェリーが注文を取りにメモを手にして二人に近づいてきた。
「話? なんかあったん?」
「あったといえばあったのでしょう……。丁度いいのでシェリーさんにもお聞きしましょうか。昨日フランへと出かけていったクロムさんが今も戻ってこないのですよ。何か知りませんか?」
「クロムが? ……ふむ、あのクロムが帰ってこないってゆうんは、確かになんかあったと考えてしまうわな。でもウチは残念ながら何も知らんわ。ごめんな」
クロムの実力を知っている花梨も、彼が帰ってこないというのは驚きに値する事だ。朝にフランへと買い物に行ったとなると、夕方か夜頃には帰ってこられる。未だに帰ってこないのは道中に何かあったのだろうと推測できるが、クロムならばある程度の相手は返り討ちか逃げ切れるものだろうと花梨は考えている。
しかし朝になっても帰ってこないのはおかしい。確かに桔梗が心配するように何かあったのではと考えてしまう。
何も知らないという花梨からシェリーへと視線を向けるが、彼女もまた小さく首を振った。
「いえ、私も何も聞いていません。……でもそうですね、あのクロムさんの事です。あの人はただでは死なないでしょうからきっと大丈夫ですよ。信じましょう」
「…………」
桔梗を安心させるように微笑を浮かべるシェリーだが、それでも桔梗の心は不安なものだった。今までもこういうことはたまにあった。トラブルに巻き込まれて帰りが遅くなったり、一日過ぎても帰ってこなかったりしたが、クロムはきちんと帰ってきた。
だから今回もそういうパターンなのではないかという可能性はある。
今世間を騒がせている狂化竜の事もあるから不安になってしまうのは無理もない。行きかあるいは帰りか、遭遇してしまったならば一人で何とか出来るなんて確率は低いのではないだろうか。
いくらあのクロムがシュヴァルツの血統だからといって、100%安心できるなんてことはない。
「月さんは今どこに? 彼女ならばクロムさんの力の波動を感じ取ってくれるのではないでしょうか」
「月さんは……昨日からあるクエストに向かっています。戻ってくるのはいつになるか、まだわかりません」
「…………そうですか」
クエストならば仕方がない。情報が全くないなら自分に出来る事は待つことだけ。
注文を取らずに席を立つと二人に頭を下げて「では、なにかわかったことがあれば教えてください」と言い残して酒場を後にした。
そんな桔梗を見送った二人はそれぞれ横目で視線を合わせる。
「あっちこっちで色々起こっとるようやな」
「そうですね……。ちょっと」
「あ、はい。なんですか?」
カウンターで受け付けをしている一人の少女に声をかけると、シェリーはその子に近づき、耳打ちをする。何かを指示すると少女は少しだけ顔をしかめながら口元に指を当てた。
「不可能ではないですけど……時間かかりますよ?」
「わかっているわよ。本来なら私がやればいいんでしょうけど、生憎と今は別の事に使っているからね。お願いしていいかしら?」
「わかりました。じゃあ、行ってきます」
一礼すると少女はカウンターの奥へと消えていった。それを見送るとシェリーは花梨の下へと戻っていく。その頃には広げられた新聞紙は閉じられており、コップの中身は飲み干されていた。
そんな花梨の対面に座ったシェリーは一息つく。彼女の表情は曇っているのは、クロムの事だけでなく彼女の頭を悩ませる事があるからに他ならない。
「厄介ごとが多くなったもんやな。月さんも帰ってこないってことは、まさかやと思うけど……」
「……ええ、彼女はまだ戦闘中のようですよ。時折休息を挟んでいるようですけど、未だに終わっていません」
そう、昨日の夕方ごろに開始されたあの戦いは今も終わっていない。月は今もあの凍える山の中で狂ティガレックスとラージャンと戦闘しているのだ。その様子はここから派遣されている使い魔を通して届けられており、先ほど確認したシェリーはその事実に驚愕したものだ。
あの月の事だから深夜から早朝頃に終わったのではないかと思っていたシェリーだったが、その予想を裏切る事態に表情が強張ってしまった。そんな彼女に追い打ちをかけるようにクロムが帰ってこないという桔梗の報告。
笑顔が大事とされている受付嬢にあるまじき曇った表情は更に深くなるばかりだった。
「やっぱりウチが援護に行った方がよかったんちゃうん?」
「いえ、あなたはもしもの時のために備えてここで待機です。この現状ですから何が起こってもおかしくありません。他の村でも滞在しているハンターはそれぞれの村とその周囲を警戒していますからね。……それに花梨さん、あなたにはある可能性にも備えるという意味合いでもここにいていただかないといけませんから」
「それは聞いたけどな、ほんまにあの月さんがそんなへまをするんかな、ってのがウチにはあるんやけどな」
シェリーは月が戦闘してからしばらくし、他の受付嬢からの報告を聞いて敵の考えを推測したのだ。これは月とも相談した結果導き出された一つの可能性。
敵は月達の事を知っている。狂化竜の一件にかなり関わり、なおかつこの村にはあの兄弟がいる。だからこそ月はポッケ村の結界に重ねるようにして自分達の存在を隠す迷彩結界を張った。
敵は計画を邪魔する存在として月達を認識しているだろう。だから彼女達を始末するための存在を送り込んでくるはずだ。
あの狂ティガレックスはそうなのではないだろうかというのが二人の推測。現在月が戦闘しているが、もしもラ―ジャンとの三つ巴の途中で狂ティガレックス、またはラ―ジャンが離脱し、ポッケ村に侵攻してくるという事態になればどうなるか。
村を守るべきハンターはほとんどいなくなっている今、戦力となるのは花梨と桔梗だけ。桔梗も確かに上位ハンターではあるが、彼女は狂化竜を相手にすれば自分の感情を抑えきれないという可能性を秘めている。
となれば安定して戦えるのは花梨だけなのだ。
だから花梨にはこの村で待機してもらわなくてはならない。その時に備えているからこそ、月が帰ってこなかろうとも援護に向かわせるわけにはいかない。
もちろん昔ハンターをしていた岩徹も戦えない事はない。が、現役を退き、鍛冶屋としての暮らしを数年続けているから多少の不安定さがある。そんな彼があの狂ティガレックスと戦えばどうなるか見えてこない。しかし緊急事態には彼にも出向いてもらえるように頼んではいる。
「それは私も同じです。もちろん私は月さんを信じていますよ。……でも不安なんですよ。一人であの二頭を相手にしているのですから、もしかしたらと考えると心が落ち着かないんです。私だって花梨さんを同行させたかったんですよ。……でも月さんが必要ない、その可能性に備えて置いておけって言うものですから……」
ライムとシアンが来る前に打ち合わせていた事を打ち明け、微かに体を震わせながら言うシェリーは小さな子供のようだった。自分は旅立っていくハンターを見送り、もしもの時のために策を用意しておくだけ。
彼女だってギルドの受付嬢という肩書を取れば18歳の少女だった。まだまだ若く、心もそんなに強くはない。だから仕事の笑顔を取ればこんな風に不安そうな素の彼女が浮き彫りになっていく。
そんな彼女を見つめた花梨は一息ついて立ち上がった。相変わらず表情を強張らせているシェリーの肩を軽く叩き、ちらりと視線を上げた彼女へと笑いかけてやる。
「そんなに思いつめたらもたへんで? 無理やろうけど、もう少し肩ひじ張らずに楽になっとき。不安なのはウチもそうやし、誰だってそうや」
「…………」
「ウチは言われた通り待機しとく。シェリーはライムとシアンの試験を監督しつつその時を待つ。そうしながら信じるんや。それが今のウチらに出来る事や。ただそれだけを考えて余計な事は全て頭の中からポイすればええねん」
安心させるように笑いながら優しくシェリーの頭を撫でる花梨。三人の娘の母親だからか、それはまさしく暖かい母親に慰められているかのような感覚がシェリーの心を包み込んでいった。
それでも不安なものは不安だったが、この暖かさに身を任せれば少し心が落ち着いていくような気がした。
「ええな? あんま抱え込むんやないで?」
「……はい。ありがとうございます」
小さく頭を下げるシェリーに頷くと花梨は静かに酒場を後にした。
残ったのは席に着いたまま無言になっているシェリーと、新しくカウンターに出てきた三人目の受付嬢。彼女はシェリーの様子を見てどう声をかけるべきかと逡巡していたが、少ししてそっとしておこうと思い、キッチンの方へと向かっていく。
しばらくしてその手に暖かいミルクが注がれたコップを握りしめてシェリーへと近づき、そっと彼女の前に置いてやった。
「……ありがとう。ごめんね、気を遣わせて」
「いえ、不安になるのはわかるから。じゃああたしはそこにいるからさ、何かあれば声をかけてね」
彼女もまたシェリーを安心させるように微笑みながら一礼し、カウンターへと戻っていった。置かれたコップに満たされているホットミルクを見つめるシェリーの表情は先ほどよりも若干明るくなっている。
軽くホットミルクを飲んで一息つき、目を閉じれば頭の中にある光景が浮かんでくる。それは少しずつ明るくなっていく森の光景だった。
(イャンクックは討伐されている。残りはヒプノックのみですが、あの二人ならば成功確率の方が高いですね。これであの二人も上位ハンターになることになるのでしょうか)
あの二人が上位ハンターになる。前から危惧しているようにあの二人には経験が足りないかもしれない。それでも少しでも有望なハンターになる卵がいるならば増やしたいのがギルドの考えだった。
それに月達が目を付けただけあり、シェリーもわかるくらいあの二人には光るものがある。上手く伸ばす事が出来れば数年後にはこの大陸に名を馳せる程の器になるだろう。
だからこそ死なせたくはない。大輪の花を咲かせる前に散らせば、ギルドとしては非常に痛手になってしまう。それだけでなくあの二人にも親愛の情があるからこそ死んでほしくない。
でもなぜだろうか。
和らいだはずの不安はまだ残っている。
「……何かが起こるのでしょうか」
胸騒ぎがする。起こってほしくない事が起こりそうな予感がする。
こういう時の予感は当たってほしくないのに当たってしまうものだが、それでも当たってほしくないと願わずにはいられなかったのだった。
○
「……はぁ、はぁ……」
荒い息をつきながら月は岩に背を預けていた。現在雪山の一角で呼吸を落ち着かせている所だ。手にしていたエンデ・デアヴェルトはローブの中にしまってあり、両腕の感覚は少し怪しくなっている。
ガンランスは重量級の武器であり、例え月といえども夜通し振り回し続けていれば、筋肉は酷使されて悲鳴を上げてしまう。いくら最高傑作といえども彼女とて人族だ。疲れもするし体も悲鳴を上げる時がある。
それすらもなくなってしまえばただの化け物だろう。
ローブの中から自分が作った体力とスタミナを回復させるドリンクを取り出し、蓋を開けて軽く飲み干していく。少し苦い液体が喉を潤し、体内に流れ落ちていくと、少しして暖かなものがゆっくりと体に染み渡っていくような感覚に包まれる。
これでまたある程度は戦える。とはいえ休息を挟まなければ完全な効果は得られないのだが、今はゆっくりと休んでいる暇はない。今現場では自分が作った身代わりが戦闘しているところなのだから。
「はぁ……ふぅ。さて、どうするべきか」
体力は削っているはずだ。あの二頭同士も攻撃しあい、お互い傷つけている。だがどちらも瀕死にはなっておらず、まだまだ戦えそうな雰囲気だった。やはりモンスターの生命力とスタミナは凄まじいという事か。
あるいは狂化がスタミナを忘れさせているのか……その辺りはわからない。少なくとも最初のうちは疲れれば捕食に向かう辺りの理性は残っていたようだが、今はただ昂ぶった感情のまま相手を倒すことに意識が向いているのは間違いないだろう。
さて、問題は自分の体力、スタミナだけでなく魔力や気力が持つかという事だ。
魔力に関してもドリンクがあるからある程度は回復できる。だがそれ以上に消費していく魔力が多いのが問題だ。長時間戦い、守りと攻撃のために多くの魔法を行使した。量は少なくとも、積み重ねによって消費量はとんでもない量になってしまう。
回復して自分の全体の約40%程。空間魔法を使い、戦闘で消費していって約35%程だったから5%程しか回復していない。
(…………よし、こっちで行くとしようか)
ローブから取り出した二つのボウガン。そのボウガンからは強い気迫が放たれているような気がした。
片や中心部は金属で構成されているが、それ以外は黒い毛皮に覆われたボウガン。
片や上下に三つ伸びた角のようなものと、紺から赤へと変化していく鱗があしらわれたボウガン。
分類としてはライトボウガン。その二つのライトボウガンに使われた素材の力だろうか、ただそこにあるだけでどこか気圧されるような雰囲気がある。
このボウガンの名前は前者が天狼砲【北斗】、後者が真舞雷銃【金糸雀】という。どちらもG級の上に位置する剛種と呼ばれるランクの武器であり、超速射に対応したライトボウガンだ。
それぞれのボウガンに超速射が対応している弾を装填し、ローブにしまって立ち上がる。深く息を吸ってゆっくりと息を吐いて集中すると、頬を撫でる寒風と満ちる自然の力が感じられた。
その中にうっすらと混ざる闇の気配と天然の魔力。闇は深みを増していき、ついにこのフラヒヤ山脈にも影響を及ぼし始めている。そのうちの一つはあの通りだ。
「グルルルル……!」
数時間経ってから目に見えるように変化したこと、それはあのラージャンだ。
今も一部が金色に染まっている怒れるラージャンだが、帯びている電撃は少し赤みを帯び始めている。金毛の先端は黒いものと赤いものと分かれ、金毛から放たれる電撃はラージャンの口元で赤みを帯びた電気の球体となる。
「オォオオオオオオン!」
撃ち出された雷の球は少し弧を描いて狂ティガレックスへと向かっていく。だがそれはもう見飽きたのか、狂ティガレックスは余裕を持って横に跳び、横から一気にラージャンへと接近していく。
その脇ではここにいない月が残した身代わりが、狂ティガレックスを追うようにして走っている。その姿は月とうり二つであり、まさに月がそこにいるのではないかという程に外見だけでなく雰囲気もまたよく似ている。
それはもはや身代わりというより分身という領域に近い。それが狂ティガレックスと共にラージャンへと向かっていく。
「オオオオオオオン!」
「グルァアアアアアアアアアア!!」
再び激突する二頭の背後から月の身代わりが手にしている剣を振りかぶり、狂ティガレックスの尻尾から背中にかけて一気に斬り裂いていく。
しかし当然ながらこれは身代わりであり、剣は本物ではない。周りの空気を圧縮させて剣が描いた奇跡に沿って傷が作られているだけに過ぎない。この姿もまた気と魔力を混ぜて作った一種の幻影にすぎない。
だがそれによってつけられた傷は本物だ。姿は偽物でも、その力によって操られた風は本物なのだから。
長い戦いで狂ティガレックスも血を流しすぎた。身を守るその鱗は傷つき、少しずつ脆くなっていく。そこを狙うようにラ―ジャンが殴りつけ、雷属性の攻撃を撃ちつけていくため、その守りの力は弱まっていく。
元々攻撃に特化しているティガレックスが狂化されたところで、高まったのはその殺傷能力が主。守りの方は若干高まっただけで、その領域は良くて上位の上かG級以下程だ。
だから高められた気刃と風の刃は今現在通るようになっており、少しずつ傷を作って血を流していく。
「グルォオオ、グラァアアア!」
だがそれで黙っている狂ティガレックスではなかった。ラージャンと月の身代わりを巻き込むようにその場で回転し、振りかぶった爪と遠心力が乗った尻尾が連続して襲い掛かってきた。
月の身代わりは跳ぶことで回避できたが、ラージャンは左腕で身を守っている。だが傷ついているのはラージャンも同じだ。その身を守るために使い、なおかつ主な攻撃に使っている両腕は狂ティガレックスの攻撃を受けてかなり負傷している。
黒と金に染まった両腕には自信が流した血で赤く染まっており、見るに耐えない程ではないが滴り落ちるように指先まで流れている。しかもそれがどうしたとラ―ジャンが発電し、両腕にも纏わせているものだから、流れる血が電気によって一部蒸発している。
当然ながら傷口に電気がはしれば痛みがはしるだろう。しかもその傷が多いのだからそれは激痛なのではないだろうか。
それでもラ―ジャンは戦い続けている。
目の前に戦う存在がいるからこそラ―ジャンは今もこうして戦っている。痛みなどないかのように。
「ウオオオオォォォォン!!」
開かれた口を無理やり閉じさせるように顎にアッパーをかまし、一瞬生まれた隙をつくように頬を殴り飛ばし、口に溜めた力を解放して連続して雷の球を放出する。
弱点である雷属性が圧縮された雷の球は狂化によって闇の粒子を取り込み、赤みを帯びただけでなく純粋な威力も高まっている。
しかしそれでも狂ティガレックスは落ちない。大きく息を吸ってそのタイミングを窺い、ラージャンからの攻撃を耐えきって目の前にいるラ―ジャンへとぶつけるかのように咆哮を上げる。
ティガレックスの咆哮はただ耳を劈くだけでなく衝撃波をも発生させる。それはラージャンにぶつけられるだけでなく耳にもダメージを与える。そこで生まれた隙をついて狂ティガレックスは一気に攻勢に出た。
がら空きになっている腹めがけて頭突きをかまし、胸元に食らいつくように首を伸ばした。そこから一気に牙を食い込ませ、その体を少しずつ持ち上げていったのだ。
更に四肢に力を入れ、牙を食い込ませながらその場で跳躍し、ラージャンを下にして一気に叩き落とした。下が雪になっているが背中を強打し、強制的に仰向けにされたラ―ジャンに、力強くその爪を振り下ろす。
「グ、グォオオオオ……!?」
強靭な毛皮を斬り裂き、その肉へと届くその爪はラージャンの胸から血を噴き出させる。追撃を仕掛けようとまた牙を剥き、更にその肉へと食らいつこうとした時、ラージャンは一矢報いようと一気に雷撃を高めて放出した。
その反撃に怯んだところを狙い、小さな雷光を口から放射する。顔に雷光が直撃し、しかも右目付近を貫いたことで狂ティガレックスが目を閉じて呻いてしまった。
そこを逃さず体を回転させて両足で前足を払うようにし、両手をついて体を起き上がらせると同時に跳躍。また口元に力を溜めて雷の球を作り出して、頭上から撃ち落としてやった。
怯んでしまっている狂ティガレックスは降り注ぐ雷の球を避ける事が出来ず、強制的に雪を舐めるかのようにうつぶせにされてしまう。
それに追撃するように月の身代わりが動き、横から何度も剣を振るってその翼や背中を斬り裂いていく。
「グルルル……! グルァアアアアアアアアアアアア!!」
またしても狂ティガレックスが激昂し、衝撃波を伴った大咆哮が放たれる。その衝撃に飲み込まれた月の身代わりが体勢を崩してしまい、振りかぶられた狂ティガレックスの尻尾に薙ぎ払われて消滅してしまった。
唸り声を上げる狂ティガレックスの右目はまだ閉じられたまま。直撃こそしていないが、雷光に焼かれたことでしばらく開けないらしい。
相対しているラ―ジャンも胸元からは赤い血が滴り落ちている。狂ティガレックスのあの牙が食い込み、肉が裂かれた傷がまだ開いたままのようだ。四肢が雪を踏みしめ、しっかりと体を支えているようだが、その顔色は先ほどに比べて少し悪い。
両腕だけでなく体も決して小さくない傷がいくつもあり、今胸元が大きな負傷を負ってしまった。動ける体力はまだあるようだが肉体的な負傷がそれを一気に侵食している。
時折休息を挟んでここまで戦ってきたが、それももう終わりを迎えようとしている。得た食料から摂れるエネルギーもそんなに多くはない。それ以上に戦っているのだからプラスよりマイナスの方が多いのだ。
月の身代わりが消えた事で標的はお互いのみ。そしてもう少しすれば仕留められるだろう。
そうお互いが思っていた事だろう。
「――
その声が響くと同時に、ラージャンと狂ティガレックスへと弾丸の嵐が降り注いだ。双方の背中へと着弾し続けるその弾丸は数えきれないほどの数で降り注ぎ、動こうとしていた二頭をその場に縫い付けてしまう。
「グルァ、グルァアアアアア!?」
「ウオオォォン! グオオオオオオオン!!」
たまらず悲鳴を上げる二頭はこの奇襲を行った月を見上げた。身を包むローブは広げられ、そこからは二つの銃身が顔を覗かせている。それは先ほどの剛種ライトボウガンの銃身。装填された超速射対応の弾が火を噴いたのだ。
剛種オルガロンの素材を使って作られた天狼砲【北斗】は貫通弾Lv1が、剛種ベルキュロスの素材を使って作られた真舞雷銃【金糸雀】は通常弾Lv2、電撃弾が対応している。
貫通弾Lv1はラージャンへ、電撃弾は狂ティガレックスへと向かっていく。少し離れた所に着地した月はローブをなびかせながら右手をぐっと握りしめる。
「
銃口を調節させた後再び呪文を詠唱して弾丸を射出する。それはまた狙いを違えることなく先ほどと同じ標的へと向かっていく。ガガガガッと激しい音を出しながら銃口から幾多も弾丸が射出され、弾丸の嵐にあてられて動けない二頭へと浴びせられる。
だがその中でラージャンは僅かに動いていた。体で貫通弾Lv1を受けながらも口元に力を溜めこんでいる。それが充分に溜められれば月へと顔を向けて一気に雷光を解放する。
射出されている弾丸を破壊し、月へと向かう雷光だが、それをピンポイントで回避してみせる。その間も超速射は続いており、銃口も調節されて標的から外さないようにしている。
しかし放たれ続ける雷光によってその全てが破壊されていた。そうなってしまえばこのまま撃ち続けるのは弾の無駄遣いになってしまう。一旦撃ち続けるのをやめ、一気に走り込んで二頭に接近していく。
「はぁっ!」
薙ぎ払ってくる雷光から逃げるように回りこみつつ、狂ティガレックスへと接近して軽く跳躍。足に気を篭めて狂ティガレックスの横っ腹へと跳び蹴りをかましてやる。普通ならばそんなことしようとも、強靭な甲殻が衝撃を受け止めてしまうため、蹴ろうとも殴ろうともびくともしない。
しかし月の一撃は速さが乗り、気を篭めただけでなく雷属性も纏われていた。それらを取っ払ったとしてもその一撃は月がその気になれば、紅葉以上の破壊力を見せつける事が可能だ。
追撃しかけるように回し蹴り、サマーソルトからの踵落とし。流れるような足技の連携に狂ティガレックスは唸り声を上げてしまう。
そのまま反撃をするのかと思いきや、不意に顔を上げて辺りを見回し始めた。一体どうしたのかと思うも、月は手を……いや、足を休めずに狂ティガレックスへと蹴りを続ける。
「グルル……グルォオオオオ!!」
月とラージャンを振り切るように身を捻り、崖へ向かって疾走を始めたではないか。
「離脱? ここで? なんにしても逃がすわけには……!」
両手に魔力を篭めるだけでなくローブを広げて銃口を出現させ、向きを調節して離脱していく狂ティガレックスへと向けてやる。
「
弾丸射出と魔力の弾を放とうとした時、天空から雷が幾多も降り注いだ。赤い雷光が混ざったそれは月と彼女の前方に落ち、離脱していく狂ティガレックスへと攻撃することを許さなかった。
「くぅ、ぁ……ぁあああああ!?」
突然の落雷であり、まったく反応できなかった。雷に赤みがあるから自然なものじゃない。月の視線は後ろにいるラ―ジャンに向けられる。
そこには先ほどよりも高まっている電撃には赤みが混ざり、両腕だけでなく全身にも纏われている。傷口から漏れ出る血液は少し落ち着き始め、電気に触れてじゅっと音を立てて蒸発している。
「グルルルル……!」
またも口元にその電撃が集まっていき、雷光を放つ準備を始めた。しかし月は今の落雷によって体の自由が少し奪われている。動こうと思ってもなかなか動けない。狂化によって高まった雷属性は、あの月でさえ容易に動くことを許さないほどまでの域に達したのか。
(まずい……非常にまずい……! 私だけじゃない、あのティガレックスが飛んで行った方向、確かあの先には……!)
頭の中に浮かんだ地図と方角を照らし合わせた結果、導き出された結論は一つだろう。敵の狙いを推測してもそれは当たっている可能性が高い。
もしかすると、自分はいいようにあしらわれたのかもしれない。こうしてラージャンとぶつからせたのは恐らく自分を呼び寄せる罠だったのではないだろうか。三つ巴にさせたのは自分の体力を削ぎ落すため。
狂ティガレックスの体力ならば、例え月とはいえども耐えきってしまうという自信があったのではないだろうか。しかもラ―ジャンまでいる上に、ラージャンもまた狂化しつつある。
(やられた、嵌められた……っ! この私がこんなミスをするなんて油断した……! ……すまない、二人とも。そしてシェリー、花梨、そっちは頼んだよ……)
心の中で謝罪すると、高まった雷光が一気に開放される。それは真っ直ぐに月へと向かい、彼女を飲み込んでいった。
○
「シェリーさん、大変です!」
カウンターに座って新聞を読んでいたシェリーに、奥から慌てたように声を上げて少女が出てきた。彼女は月の様子を見ていたはずだったが、そんな彼女が慌てているってことは月の身に何かがあったのだろうか。
「落ち着きなさい。何があったのですか?」
「狂化したティガレックスがフラヒヤ山脈から離脱しました! 月さんもラージャンと戦闘し、大きな負傷を負っています!」
「なん、ですって……」
あの月が負けたというのか。その現実にシェリーは大きな脱力感を覚える。しかし気を落としている暇はない。すぐに対処しなければならない。まずはどの方角へと逃げていったのかを確かめなければ。
「ティガレックスはどこに逃げたのです?」
「じ、実は……」
報告された場所にまたしてもシェリーは茫然とするしかなかった。
「なるほど、そら緊急事態やな」
酒場に戻り、シェリーから話を聞いた花梨は硬い表情で頷いた。事態は深刻であり、火急の対処が求められる。そして今現在、その対処が出来そうなハンターは花梨しかいなかった。
「あの周囲の村に滞在しているハンターでは、ティガレックスに対抗できないかと思います。よくて支援でしょうからそれを申請している所です。しかしそれでは足りないでしょう……」
「せやからウチが行くってことやな。わかった、すぐに向かうわ」
「……よろしくお願いします」
悲痛な表情で頭を下げるシェリーだが、花梨は微笑を浮かべて小さく頷くだけだ。花梨とてこの事態がどれだけ深刻かわかっている。それに何かあった時のために待機していたのだ。今動く時ならば全力でやってやるまでだ。
いざ出陣と酒場を出ようとした花梨だったが、そこに新しい客がやってくる。それは自宅に戻っていた桔梗だった。真剣な表情な上に、その服装はハンターのものだった。ローブを纏い、今にもクエストに出ようとしている装いである。
「ん? 桔梗やないか。どないしたん?」
「
「行くって……でも桔梗はあれやんか、感情が抑えられへんやろ。それに桔梗もいなくなったら、この村の防衛はどないすんねん」
「それはわたしが受け持つから大丈夫だよ」
桔梗の後ろから撫子が現れる。いつもほんわかしている彼女には珍しく真剣な表情でそう言う。それだけ撫子も腹を括っているのだろう。
「おとーさんもいるし、戦力としては問題ないと思うよ。……確かに不安材料はあるかもしれないけど、それ以上に危険な状態なんでしょ? だから桔梗さんも連れていった方がいいと思うよ?」
「お願いします。出来る限り足は引っ張りません。……どうか、私も連れていってください」
桔梗はそう言って頭を下げる。自分とてそんな可能性があるのだろうと自覚しているのだろうが、それでも何かせずにはいられなかったようだ。そんな桔梗の気持ちを感じ取ったのか、花梨がじっと桔梗を見つめて何かを考えている。
しばらくそうやっていたが、目を閉じて決断しシェリーへと振り返る。
「シェリー、桔梗も連れていくわ」
「……よろしいのですか?」
「ん、確かに不安はあるやろう。でもな、そうやって離れて逃げ続けても何も変わらん。この先狂化竜との戦いは増えるやろうし、その度桔梗を戦力に加えんというのもあかんやろ。せやから連れていく事にするわ」
花梨の言葉には確かに納得できるものがある。桔梗も上位ハンターであり、戦力としては問題ない。しかしその心の問題があるから不安があったのだ。今も彼女の心は不安定であり、それを治してくれるクロムもここにはいない。
だからといって逃げては何も変わらない。
故に花梨は今こそ桔梗に自分の感情を制御するための機会が与えられたと考えたのだ。
それに……先日桔梗は月の支援によって自分の心と向き合っている。その結果を試すいい機会でもある。
「せやけど、一つ問題があるな」
「それは?」
「ウチが桔梗を連れていくにしては距離がありすぎるんや。なんか方法ないか?」
有翼種である花梨は飛行して飛んでいく事が出来るが、普通の人間である桔梗はクストルで向かうしかない。だが緊急事態である今、一気に現場に向かうとなれば空から向かえばいい。
しかしドンドルマにあるだろう気球などの空路はここにはない。だから花梨一人が向かう手はずだったのだが、桔梗も追加されるとそれが難しくなってしまう。
翼は背中にあるため背負う事が出来ない。かといって抱きかかえて行くと、現場に着いたときに両腕に疲れが少しずつ溜まっていく事になる。
さて、どうするかと考えていると、桔梗がローブから一つのネックレスを取り出した。白い宝石が嵌められているそれは少し鈍く輝き、魔力が感じられる。
「ご安心を。対処はありますよ」
微笑を浮かべて小声で呪文を詠唱すると、桔梗の体が淡く輝き始める。それが全身を包み込んだ後、桔梗の体が少しずつ縮んでいくではないか。
少ししてそこには銀色の毛並みをしたアイルーが現れる事になる。耳の後ろに黒いリボンを結び、その身には瞳の色と同じく褐色のローブが纏われていた。
変化。
あの時読んでいた本に記されていたものが今ここで行使されたのだ。その見事な変化に花梨は少し驚いたような表情で小さく頷く。
「アイルーか。なるほどなぁ、それやったら大丈夫や。問題なく連れていけるで」
「そうですか、安心しました。では、少しの間よろしくお願いします」
「ん、任しとき。……じゃあ、行ってくるわ。ここは任したで」
「ん、任されました~。いってらっしゃい、おかーさん」
しっかりと頷く撫子に後を託し、アイルーとなった桔梗を抱きかかえて花梨は酒場を飛び出す。そのまま普段は隠している褐色の翼を広げ、一気に空へと舞いあがると、既にこの領域から離れたであろう狂ティガレックスを追うように飛行していった。
そんな花梨を見送る撫子はさっきまで見せていた頼もしさはなく、戦場へと向かっていった母親を心配するような表情を浮かべている。いつもの狩りならば問題ないが、今回は相手が相手だ。そんな表情をするのも無理はない。
「……どうかおかーさんが、みんなが生きて帰ってきますように」
胸元で両手を組んで微かな声で祈る。
こんな状況だからこそ見送る人、待つ人は祈らずにはいられなかった。死と隣り合わせな職業であるハンターだからこそ、帰りを待つ人はいつだって無事を祈る。でも今回ばかりはこうして手を組んで祈る。
後ろにいるシェリーもまた目を閉じている。それは祈っているのかうつむいているのかはわからない。だが彼女の使い魔は現在ライム達の所にいる。だからこそ手を組む暇はない。
なぜならば、あの二人には早急に事態の変化を伝えなくてはならなかったからだ。
○
朝食をとり終えた二人はエリア4へとやってきていた。設定されているフィールドの一番北に位置し、なおかつ高い場所にあるエリアである。森を抜けた丘のような場所であり、泉が湧いているのが特徴だ。
この樹海の中では一番開けた場所でもあり、見通しがいいのもまた特徴だ。隠れる場所がほとんどなく、一気に決戦をつけるならばうってつけの場所かもしれない。
そんなエリアでライムとシアンはヒプノックと戦っている。ここまで引いてきた竜車は木々の中に隠してあるため破壊される心配はない。
「はぁあああ!」
ダブルセイバー形態にしているプリンセスセイバーを振るい、右翼からヒプノックへと攻めていく。左翼からはライムがオデッセイブレイドを握りしめて攻めていた。出来うる限りヒプノックの前には立たないようにしているのは、嘴から吐き出される睡眠ガスをまともに浴びないようにしているためだ。
横、あるいは背後から攻めるように注意するのは基本といえよう。前に立てば突進を主とする肉弾戦、高い威力を持つブレスが待ち受けている。特にブレスはハンターにとっては死活問題になってしまう。
このヒプノックならばシアンが受けてしまった睡眠ガス。眠れば無防備になってしまい、まともに蹴りを受けてしまえば今度はただ気絶するだけでは済まないかもしれない。そんな反省があるからこそ、二人は慎重に位置を取りながらヒプノックと戦っている。
ヒプノックとしても昨日に続いて自分を害する存在がやってきたことに関して多少の苛立ちを覚えているらしい。しきりに二人を気にしながらも嘴を討ち鳴らし、時折青白いガスが隙間から漏れている。
それは一般的に怒り状態と呼ばれる現象だ。
そう、ヒプノックは怒っている。
飛竜が怒り状態になると、口から自分が持っているブレスの色合いをした呼気が漏れて出る。そして怒り状態になれば素早さが増し、攻撃力も高まってしまう。だからこそ二人はより慎重になっているのだ。
「ピェエエエエ!」
纏わりつく二人を薙ぎ払うようにヒプノックが尻尾を振り回していく。それをシアンは回避し、ライムは盾で防ぎながら反撃していく。足、尻尾、体……隙を見つけてはタイミングを逃さずに斬り込んでいく。
だがヒプノックもただやられているばかりじゃない。嘴や尻尾でだめならば自分が持っているブレスでかたをつけるのみ。息を吸い込んだ後、その場で跳躍してガスを地面に吐き出すようにした。
跳躍した際に低空飛行するように翼をはためかせ、強い風圧をも生み出してしまう。それにより叩きつけられたガスは斬り込んでいた二人へと浴びせられる、はずだったのだが、息を吸い込むことに気づいた二人は既に離脱している。
「ふっ、やっ!」
低空で羽ばたき続けているヒプノックに向けるように、シアンはプリンセスセイバーを構える。柄を握りしめ、気を篭めれば刃へとそれが伝わっていく。二つの刃にシアンの気が纏われれば、両手でプリンセスセイバーを回転させて気刃を放っていく。
放たれた気刃はヒプノックの翼に命中し、皮で出来たその翼に少しずつ傷をつけていく。火属性に対しては普通の耐性だが、気刃という技術によって普通に斬るよりも少し上回った威力で翼を傷つけられている。
今も浮いているヒプノックを支える翼が傷つけられることで少し体勢を崩してしまっているヒプノックは、嘴を開いて溜めこんでいた睡眠ガスを放出した。それと同時に距離を取るかのように少しずつ後ろへと下がっていく。
となれば羽ばたかれたことで生み出された風は二人に向かって吹くことになる。それに乗るかのように睡眠ガスが二人へと向かっていく。
「はぁっ!」
それを防ぐようにライムが周りの風を操り、吹いてくる風と相殺するように風を発生させた。彼の後ろにはシアンがつき、相殺されてもなおその周りに漂う睡眠ガスを吸い込まないようにしている。
やがて風と睡眠ガスが落ち着いたとき、吹かせている風も落ち着かせると、その奥から突進するかのようにヒプノックが接近している事に気づいた。
「……っ!」
咄嗟にライムは手にしている盾で身を守ったが、勢いを殺さずに突進してきたヒプノックに撥ね飛ばされてしまった。それは後ろにいたシアンをも巻き込み、二人は数十メートルも低空で飛ばされ、やがてエリア4の草の絨毯をゴロゴロと転がってしまう事になる。
転がった際に口の中に入った雑草を吐き出しながら起き上るライムは、近くに倒れているシアンを振り返りながら声をかける。
「う、くぅ……大丈夫、シアン?」
「うん、何とか…………あ、プリンセスセイバーが……!」
飛ばされているときに手放してしまったらしいプリンセスセイバーは、シアンから離れた所で転がっていた。その位置は飛ばされた軌跡の途中にあり、慌てて立ち上がって回収に向かおうとする。
しかしヒプノックは飛ばされた二人を追うように走り出した。倒れている獲物への追撃、それは一種のセオリーだろう。される方からすればたまったものじゃない。
少し痛む左腕を気にしながらライムは立ち上がり、ヒプノックの右側へと回り込むようにして走っていく。近づき、回り込んでいくライムへと視線を向けたヒプノックはシアンから僅かに意識を逸らしている。
それを感じ取ったシアンも立ち上がっており、左側へと回り込みつつポーチから麻痺投げナイフを取り出す。昨日イャンクックにしたように指に挟まれた三本の麻痺投げナイフに気が纏われていく。
「……ク、クェッ?」
発されているシアンの気に気づいたのか、ライムへと向けていた視線がシアンへと向けられた。しかしそれから逃げずに、構えた麻痺投げナイフを振りかぶって麻痺の気刃を放つ。
だがやはりそれはヒプノックにとっては蚊に刺された程度の痛み。嘴を開いてそこから青白い液体がシアンに向けて吐き出された。
それが何なのかは初見であっても何となく察する事が出来るだろう。眠鳥と称されるのだから睡眠ガスと同じく睡眠成分が含まれた液体。それを回避してまた麻痺投げナイフを振りかぶる。
「クェ、ピ、ピェエエエ!」
それは確かにヒプノックに命中しているが、まだ麻痺成分が蓄積されていないのかヒプノックは少しだけ跳ねるように飛び、足を振り上げてシアンへと接近する。その一飛びでシアンの近くまで接近したあとは、振り上げられた足を落とすだけ。
だが見え見えな攻撃ではシアンを捕える事は出来ない。走る事に自信があるシアンは麻痺投げナイフを挟んだまま走りだし、ヒプノックの横へと回り込んでいき、また右手を振りかぶる。
「そろそろ麻痺してもいい頃合いなんじゃない……かなっ!」
三つの気刃が空を奔り、ヒプノックに命中するもまだ麻痺する様子がない。「クルル……」と唸りながらヒプノックがシアンへと首を捻った。
足元には少しだけ陥没している地面がある。あそこは先ほど振り下ろされた足がある場所。あれだけでもヒプノックの足の威力がわかるというもの。
それを昨日シアンは受けてしまったのだ。レイアメイルでなくクックメイルだったらどうなっていただろうと考えれば、少しだけぶるっと体が震えた。本当に九死に一生を得たと改めて考えてしまう。
「ピェエエエエエ!!」
離れたシアンへとまた接近しようとしたヒプノックだったが、その足元の雑草が不意に伸びてヒプノックの足へと絡みついていく。走り出そうとしたヒプノックはそれに足を取られ、前のめりに転倒してしまった。
「よし、成功! はああっ!」
雑草を操作したのは当然ながらライムだ。複数の雑草を絡ませて強度を上げ、ヒプノックの足に絡ませるだけでなく、足に輪を作ってくぐらせるようにもすることで転倒を促したのだ。
咄嗟に思いついたにしては良くできたと思う。そんな風に自画自賛しつつ、オデッセイブレイドを抜いてヒプノックへと接近していく。
転倒しているヒプノックは隙だらけだ。そんなヒプノックの背中へとオデッセイブレイドを振りおろし、少しずつ傷を入れていく。羽で覆われているその体は意外と硬さを持っているのだが、オデッセイブレイドはそれでも羽を裂き、肉へと刃を届かせる。
ぐっと柄を握りしめて離さないようにし、何度も何度もヒプノックへと斬りかかる。シアンも麻痺投げナイフを振りかぶり、気刃を放って動けないヒプノックをさらにその場に縛るための麻痺毒を注入していく。
「ピ、ピェエエエエ…………」
そしてついにヒプノックは麻痺してしまった。地面にうつぶせになりながら痙攣するヒプノックは完全に無防備。昨日のシアンのようにただ攻撃を受けるだけの存在だ。
ポーチに麻痺投げナイフをしまい、落ちていたプリンセスセイバーを拾い上げて一気に回転させる。その度空気を斬る音が響き、気を篭める事で再び刃に気が纏われていく。
「一気にいくよ!」
ヒプノックに接近しながら、勢いが乗ったプリンセスセイバーを薙ぎ払うように振り回す。その際体も回転させれば、柄の両端についている刃もその動きに従って回転していく。遠心力が乗っている刃はヒプノックの体を切り裂き、その体内へと新たに毒を仕込んでいく。
首付近から体にかけて何度も回転しながらプリンセスセイバーで斬っていけば、次々と血が噴き出して橙色の体が少しずつ赤く染まっていく。
「ふっ、ふぅぅぅぅ……ふんっ!」
倒れている右翼の傍にやってくると横移動をやめ、その場でプリンセスセイバーを分離させて双剣形態にする。続けて深呼吸をして気を落ち着かせながら静かに高めていき、頭上で双剣を交差させて鬼人化へと突入。
横薙ぎに付けられた傷に上乗せするように何度も何度もプリンセスセイバーを振るい、一気にヒプノックへとダメージを与えていく乱舞を始めた。
斬りつけるたびに片や小さく火が爆ぜ、片やじゅく……と何やら嫌な液体の音が僅かに響く。しかしそれが確かにヒプノックへとダメージを与えているのだという証だとわかる。
昨日足を引っ張った分だけ今日は頑張る。
自分の目標へと近づくにはこの試験を通らなければ難しい。だからこの試験を達成させ、自分達は昴達と同じく上位ハンターとしての領域に足を乗せる。
そんな思いがシアンの中にある。
ただがむしゃらに両腕を動かし、乱舞を続けるシアンだったが、もぞもぞとヒプノックの体が動き始めたのに気付いて視線を動かした。
その先には麻痺から解放されつつあるヒプノックが、じっとシアンを睨むようにしているかのように視線を合わせている。先ほどのことといい、ライム以上にシアンが自分にとって害をなしているのだというのが分かっているらしい。
瞳には確かに強い意志が感じられ、臆病とされているヒプノックでも放たれている雰囲気の中に殺気が混ざっている。
「……っ!」
その殺気にあてられたことで本能が寒気を覚えたらしく、一瞬だけ体の奥底から冷たい震えが発生した。ぞくりと背筋に悪寒が走り抜け、無心に振るわれていた両腕が動きを止める。
「シアンっ! 気を確かに!」
「…………ぁっ」
羽ばたきはじめている翼の向こう、尻尾側へと回り込んでいたライムがシアンの様子に気づいて叫んだ。それで意識を戻されたのだろう。声を漏らしながら体を微くんと震わせ、シアンは恐怖を振り切るかのように首を振った。
その頃にはヒプノックも力を取り戻しつつあったようで、少しずつ体を起き上がらせていく。それでも足に絡む雑草は振り切れないようで、声を張り上げながら暴れ出した。
(……おかしい。気のせいかもしれないけど、少しずつこの森に闇が集まっているような気がする)
その暴れに巻き込まれないように距離を取りながら、ライムはそう思考していた。視界には同じように距離を取っているシアンと、雑草から解放されようと乱暴に足を振り回しているヒプノックがいる。
一応まだ攻撃するチャンスではあるが、ガンナーでない自分達では手を出せない。
それが普通だがライムは離れた所に隠してある竜車へと視線を移し、昨日新しく作った大タル爆弾を二つ操作してヒプノックの背後へと投げつけてやる事にする。
(やっぱり狂化竜が増え続けているからかな。なんだかこんなにも闇の粒子が増えていると気分が悪くなってきそうだ)
動かしている大タル爆弾の重さを感じながらも、集中を乱さないように慎重に大タル爆弾をヒプノックの背中へと運んでいく。爆発の領域に入ったところで起爆させようかと思ったが、そんな事をせずとも暴れているヒプノックの翼が一つの大タル爆弾に当たったのが刺激になったらしい。
爆音を響かせながら大タル爆弾が爆発し、その爆風でもう一つの大タル爆弾も爆発してしまう。
「ピェエエエエエエエ!?」
背中はライムが何度か斬りつけた事で所々傷が入っている。それすらも吹き飛ばし、新たに傷を広げるかのような爆風に炙られ、ヒプノックがたまらず悲鳴を上げる。その足に絡みついていた草は何とか引きちぎったようだが、容赦のない攻撃にたまらずたたらをふんでしまう。
その脇ではシアンが支給されたもう一つの投げナイフ、毒投げナイフを三本挟んでそのまま投擲した。プリンセスセイバーである程度毒は注入しているため、これでヒプノックは間もなく毒状態になってしまうだろう。これによって少しずつその体力を削り取っていく事にする。
「クルル……、ピェエエエエっ!」
小さく唸ったヒプノックは首を振り意識をはっきりさせると、そのまま翼を羽ばたかせてゆっくりと浮上していく。やがてその姿は高く浮上していき、南東の方へと飛んでいった。
それを見送った二人は緊張をほぐすように深く息を吐いて目を閉じた。
あの睡眠ブレスを受けないように注意する、それだけでもかなり体は緊張している。イャンクックだって火炎液というブレスを持っているが、何度も戦う事である程度その動きが読めるようになっているから、がちがちに緊張する程ではなくなっている。
しかしヒプノックは初見であり、睡眠ガスだけでなくあの足から繰り出される蹴りや踏み付けは自分達が受ければ危険なものだろう。あの陥没した地面がそれを証明している。
だからこそ緊張してしまう。
でもそれを振り払うようにがむしゃらに戦う。何とか体を動かしてひどく固まらないようにする。
そうすることで何とか今まで戦ってこれた。その成果は充分なもの。ライムの目から見てもヒプノックの生命力は結構削れているとわかっている。
「大丈夫、シアン?」
同じように気分を落ち着かせているシアンに声をかけてやると、彼女は小さく頷いて微笑みを浮かべた。
「うん、何とかね。ありがと、声をかけてくれて」
「ううん、気にしなくてもいいよ。でも無理は良くないよ? 本当にあてられたなら少し休む?」
飛竜が放つ殺気は人族にとってはかなり毒だ。文字通り生物としての領域がかけ離れているため、本能からくる恐怖は飲み込まれればなかなか抑えきれない。それを和らげるには気分を落ち着かせるために休息を取る事だが、シアンは軽く首を振ってそれを拒否した。
「休まなくても大丈夫だよ。ヒプノックは……となりのエリア5だね。ダメージが効いている今がチャンス。だから行こう」
「……シアンがそう言うならいいんだけど、本当に無理だったらすぐに離脱するから。それでいいかい?」
「うん、それでオーケー!」
心配するように言うライムを安心させるように笑顔を見せる。いつものような明るい笑顔を見せられてはライムはそれ以上言う事が出来なかった。
隠してあった竜車を引いていざエリア5へと向かおうとする二人だったが、その前にあの鷹が舞い降りてくる。この試験を監督しているシェリーが遣わした使い魔であり、二人が不正をしていないかと見張るための存在だったが一体どうしたのだろうか。
『二人とも、すぐにここから離脱してください!』
「え? それはいったいどういう事ですか?」
『緊急事態です。詳しい事は走りながら伝えます。エリア5へ向かってはいけません、反対側のエリア2方面からベースキャンプへ向かってください!』
ライムが質問するも、鷹から発せられるシェリーの声は少し慌てたようなものだった。その様子にこれはただ事じゃないと二人は感じ取り、顔を見合わせて小さく頷いた。
進路を変更してエリア2へと向かおうとした時、シアンが何かを感じ取って頭を押さえる。それに気づいたライムは竜車を引くのを止めて振り返った。
「シアン? ど、どうかしたの? 頭痛い?」
「……う、ううん……違うよ。……これ、この気配……っ!」
シアンが発動している自動マーキングの効果はこのフィールドに存在している飛竜などの高い生命力を持っているモンスターの位置を感じ取るものだ。ヒプノックにペイントボールをつけずとも、このスキルがあるからこそ二人は彼らの位置を特定できる。
だが言い換えれば、シアンはこのフラヒヤの森に存在しているそういうモンスターの気配や位置を感じ取ってしまうという事になる。
そして今、シアンは一つの気配を感じ取ってしまった。
それはこのフラヒヤの森を目指して急接近しており、放たれる気配は禍々しくも強い戦意を内包している。それは明らかに獲物を求めるそれであり、必ず仕留めるのだという意志が含まれている。
飛竜が持つ狩猟本能を高めたそれは、まだまだ未熟なシアンの本能に恐怖を植え付けるには充分なものだった。そして強い意志はシアンの頭に強いダメージを与えてしまった。
冷や汗を流し、体を震わせながらシアンはたまらず膝をついてしまう。
これは普通じゃないとライムは竜車をおろし、シアンへと駆け寄った。その背中を支え、彼女の顔を覗き込んでみるとその瞳にうっすらと涙が浮かんでいる事に気づいた。
「何を感じ取ったのシアン――――はっ、シェリーさん、まさか……緊急事態って……」
『……そうよ、狂化竜が接近しているの。だから試験は中断。あなたたちにはすぐにでもこのフィールドから離脱を。今花梨さんと桔梗さんが駆けつけているわ。彼女達と一緒じゃなくてもいい、とにかく逃げる事だけを考えて』
シェリーの言葉にライムはごくりと生唾を飲み込んでしまう。
あの狂化竜が接近している。今この中央を脅かしている存在がここに……。
何が出てきても恐らく自分達では無理だというのはシアンの様子からしてわかる。ここまで恐怖させる存在だ。たぶん自分もその狂化竜を前にすれば足がすくんでしまうだろう。
逃げる事は恥ではない、生き残るための選択だ。
だからこそ動かなくては。
「……シアン、ごめん」
呟くように謝るとライムはシアンを抱きかかえて立ち上がった。
「……え? えぇ!?」
体を震わせていたシアンは、抱きかかえられた後に自分がどうなっているかに気づいて急にテンパってしまった。奇しくもそれはお姫様抱っこと呼ばれるもの。自分がライムにそうされてしまっている事がわかってしまい、急に頬が熱くなってしまうのを感じてしまった。
「……ふっ!」
竜車はひとまず捨て置く事にする。逃げるとなればあれは邪魔になる。
ライムはシアンを抱きかかえたまま走りだし、エリア2へと向かっていく。シアンはその間ただ顔を赤くしたまま縮こまるだけだった。そのすぐ隣にシェリーの使い魔である鷹が並ぶように飛び、二人と一羽はエリア4を後にした。
○
一方エリア5へとやってきたヒプノックは、高まっている気を落ち着かせるようにネムリ草を食んでいる。傷つけられた体を癒すための薬草も一緒に食み、少しずつ体を癒している。
あの二人のハンターを倒すためにはまず体を癒さなければならない。どうせすぐにでも追ってくるだろうが、薬草を取り込むことで自己治癒力を高めるのは大事だ。
それは生きるために必要なこと。ヒプノックの選択は決して間違ってはいなかった。
「……クル?」
ふと、妙な気配を感じ取った。この大陸を満たす闇の粒子がある一点へと向かっていく。
それだけではない。この森を目指して何かが接近してきているのだ。
その気配は強い意志を持っており、とてつもない戦意を放って飛行……いや、滑空しているようだった。
思わず身構えてしまい、このエリアの崖側を見つめてしまう。その先にはうっすらと見えるフラヒヤ山脈がある。その方から気配の主がやってくるようだった。
何かが見える。
それが気配の主なのだろうか。
その黒い体が大きくなるにつれてその存在から放たれる雰囲気は、ヒプノックの体を突き刺すかのように冷たく鋭い。しかも殺気まで含まれているからたまったものではなかった。
思わずヒプノックは後ずさりをしてしまう。元来臆病な飛竜であるヒプノックにとって、その殺気はこの身を必ず食らいつくすという未来をはっきりと幻視してしまう程だった。
逃げなければ……そう思って再び羽ばたき始めるヒプノック。
しかし、それは既に遅い。
「グァアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」
殺気と共に放たれる咆哮が、ヒプノックからその意志を奪い取ってしまった。しかも咆哮と共に衝撃波も放たれ、森の木々が悲鳴を上げるかのようにばさばさと音を鳴らしてざわめき始める。
完全にあの雰囲気と殺気に飲み込まれてしまっていた。
そしてそれは強引にこのエリアに乗り込んでくる。生えている木々をなぎ倒し、怯んでしまっているヒプノックの首元に喰らい付いて強引に押し倒してしまった。
「ピェッ、ピェエエエ!?」
「グルアァ、グルルルルッ!」
悲鳴を上げながらも何とか逃げようと睡眠ガスを嘴から漏らしたが、それでも自分に食らいつくそれは眠らない。唸り声を上げながらも決して首から口を話さず、傷ついている右足でその翼と体を押さえつけている。
右目は傷ついているのか閉じられたままであり、赤くぎらつく左目でヒプノックを見下ろしていた。
やがて爪と牙がどんどん食い込み、シアンが付けた毒も体内を巡っていたヒプノックの生命力はどんどん減少していき、嘴から漏れる睡眠ガスと声が消え去ってしまう。
それを感じ取ったそれ――狂ティガレックスはヒプノックから口を離して低く唸る。
「グルッ、ガルル……!」
生え揃っている羽と共にその下にある肉へと喰らい付き、無理やり引き千切って咀嚼していく。付けられた傷を癒す為にヒプノックを糧としていくのだ。
そしてここにいるであろう別の獲物。
どこの誰だか知らないが、自分はその意志に従ってここに来た。あの獲物に喰らうために。
「グァアアアアアアアアアアアアアア!!」
高らかに咆哮を上げ、森は再びざわめき始める。
傷つきながらもかの者の意思に従い、ここにいる二人の……いや、一人の少年を殺す為に。