呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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73話

 

 

 ほう、こんなところで何をしているのか。まさかあちら側に付いたというのか?

 先ほどの男……クロム・ルシフェルといったか。その時に備えて見逃していたが、ふむ……セルシウスを改心させたか? あるいはあちら側に付くためのメリットをセルシウスが見出したか?

 何にせよどちら側に付こうが我の方針は変わらんのだがな。レイダーと殺し合うならばそれでも良し。それによってセルシウスが死のうとも構わん。あの娘は充分に働いてくれた。

 殺人鬼へと転落し、殺しつくしたセルシウスに溜められた闇はなかなかのもの。ここで死のうともこれから先のための良い糧になるだろう。

 問題はあの小僧。

 一瞬だけその片鱗を見せてくれたが完全に堕ちたわけではなさそうだな。

 これだけお膳立てをしてやったのだ。それに応えてくれなければわざわざレイダーを派遣した意味はないのだがな、くっくっく……。

 目標数に達するまであと少し。

 貴様らには尊い犠牲とやらになってもらうとしようか……!

 

 

 ○

 

 

 あの場を離れたクロムとライムは森の中に入り、数百メートルを走り抜けていった。狂ティガレックスをセルシウスが引き付けている間に、シアンを手当てをしなければならない。

 例えセルシウスとの戦いを中断してこっち側に来たとしても、すぐに追いつけないように一定の距離を確保しなければならなかったため、かなりの距離を走ってきた。

 やがて少しだけ開けた場所にたどり着き、クロムはライムを立ち止まらせてシアンを下してやった。すぐにレイアメイルを外し、上がインナー姿となったシアンを見て二人は顔をしかめる。

 彼女の背中は赤く染まり、三つの爪痕がはしっていた。そこからはまだ僅かに出血が続いており、シアンの表情はどんどん青白くなっていく。先ほど応急処置として魔力を用いて傷を塞ぎにかかったのだが、完全に傷口が閉じるには至らなかった。

 

「こいつぁマズイ……シアン嬢ちゃん血が流れすぎだ……! このままじゃあ出血多量で死ぬのが見えてる」

「そんな……! なんとかならないんですか、兄さん!?」

「ここで出来る事は限られてる。今の俺達に出来るのは血を止めてやる事だけだ」

 

 魔力を注いでシアンの自己治癒力を高めてやり、止血と傷口を塞ぐ。これはライムが行っていた。彼の魔力の高さと知識の豊富さが生かされている。

 クロムはローブの中から自分が持っている回復薬などを取り出していく。しかし回復薬と回復薬グレートという基本的なものはあるが、秘薬はなかった。それはセルシウスとの戦いで自分とセルシウスに飲ませたからだ。

 この世界には秘薬よりも更に上の回復効果をもたらしてくれる物、いにしえの秘薬というものが存在するのだが、生憎とクロムは持っていない。

 それにこれがあったとしても失われた血をシアンの体がすぐに作れるはずもない。しかし何かしなければ、出血多量による失血死になりかねない。

 

(血を作り出すのを促進する薬草は……あった、これだ。これをすり潰して回復薬グレートを混ぜて飲ませる。止血はライムがやっているし問題なさそうだ。……でもこれで何とかなるようなもんじゃなさそうだな。やっぱり病院に連れていった方が一番だろうが……)

 

 取り出した薬草をすりこぎに入れて磨り潰していき、粉末状になったそれを回復薬グレートに入れて混ぜつつクロムはそう考える。自分達がやっているのはあくまでも応急処置みたいなもの。それで一命を取り留める事が出来ればいいのだが、完治させるには病院に連れていった方がいい。

 しかしここは森の中。近くに村や町があるかもわからないし、人がいる気配もない。ギルドに所属している救護アイルー隊がいればまだ何とかなっただろうが、どうやら近くにはいなさそうだ。

 クロムはここまで来る途中でライムに話を聞き、二人が上位ハンターになるためのテストを受けている事を知った。クエストをする際はフィールドのどこかに救護アイルー隊がスタンバイし、ハンターが重傷を負った際に出動してハンターを救出に向かう。

 彼らの技術は人間に負けず劣らず、即死級と、手に負えないもの以外ならば一命を取り留めるまでの治療を施してくれる。しかし報酬としてハンターに支払われる報酬金の三分の一が救護アイルー隊に支払われる。

 シェリーの事だ、この二人の試験にも救護アイルー隊を派遣しているはず。そんな救護アイルー隊の気配がないという事はこの混乱ではぐれてしまったのだろうか、とクロムは推測した。

 

(一番確実なのは輸血か。血液型があっていて、輸血できるような設備があればいいんだろうけどな……)

 

 飛竜に襲われて大怪我を負い、出血多量で亡くなっていくハンターや一般人も多く、そんな人たちを助けるためにはどうすればいいか、という課題がクリアされたのは数十年前。

血液型を調べ、輸血する技術は少しずつ各地に広まっていき、近年は血液のストックを作るための献血も行われている。

 つまり、設備のある病院に行けばシアンは助かる可能性がある。ポッケ村の診療所にはその設備があるから救護アイルー隊がいればすぐにでも連れていってくれるはずだが、ここにはいないのでどうにもならない。

 

(くそっ、可能性があるのにその可能性に届かない……! 不甲斐ねえな……)

 

 その整った顔を歪ませながら混ぜ終えたそれをゆっくりとシアンに飲ませていく。少し口の端から零しながらもシアンは何とかそれを飲んでいくが、少量飲んだだけでむせてしまった。

 

「大丈夫か? 苦しいだろうけど、飲んでくれ」

「……ごほ、う、うん……ありがと…………ん、んく……」

 

 だがこれも応急手当の一環。苦しいだろうが、飲んでもらわないといけない。

 見ればライムの手当てによって止血は完全に成されたようだ。傷口も塞がっているようだが、彼女の白い肌には痛々しい傷跡が残っている。小さな背中に刻まれた三つの爪によって刻まれた傷を何とかして治してやりたいライムだったが、どんなに魔力を注いでシアンの自己治癒力を高めてもその傷跡は消える事がない。

 また失われた血液は多いらしく、シアンの顔色は一向に良くなる気配がない。傷が塞がろうとも自己治癒力が高まろうとも、シアンはまだ瀕死の状態なのだ。

 

(それにこの気配……シアンの体内に闇の粒子が侵入している。それが体内を巡っているから、僕の魔力の影響を若干阻害しているんだ。ただ切り裂いただけで闇の粒子を入れるなんて……そんな事があるのか?)

 

 今までの狂化竜の攻撃にそんな気配はなかったはずだろうとライムは思い返してみる。狂イャンクックも、狂フルフルも、狂リオレイアもそんな様子はなかった。つまり狂ティガレックスが初めてそんな現象を見せてきたのだ。

 それにあの時感じた異常。

 自分の中であの気配がざわついたときに感じられた狂ティガレックスの内面の気配。あれもまた今までの狂化竜になかったもの。

 視えたものが少し信じられないが、あの場に同席して狂ティガレックスを見たクロムも何か気づいていないだろうかと顔を上げてみる。クロムはまだ回復薬グレートを手にして少しずつシアンに飲ませているようだった。

 ふと、何かおかしい事に気づく。

 クロムの表情が硬いのはこの状況に心を痛めているからだろうが、その体を覆っているローブの下、彼の体がおかしいのだ。傷は少し塞がっているようだが大きな負傷をしているように見える。

 

「……兄さん」

「ん? なんだ?」

「もしかして……セルシィ姉さんと戦いましたか?」

「…………よく気づいたな」

 

 ライムの言葉にクロムは驚いたように少し目を開く。

 セルシウスと戦った時に負った傷は、持ち前の回復力とそれを援助する秘薬の効果で塞がっているが、まだまだ完治しているとは言い難い。激しく動けば傷が開く可能性があり、内出血も起こしかねないのだ。

 しかしそれはセルシウスも同じ事。彼女の体にもクロムが付けた傷が同じように残されており、クロムと同様に同じような危険性を孕んでいる。そんなハンデを抱えたままセルシウスは狂ティガレックスと戦っていることになる。

 

「なに、大丈夫さ。一応傷は治ってるんだからな。そう心配すんなって。今は俺よりもシアン嬢ちゃんの事だろ? セルシィも言ったろう? 一番気にかけるべき人物は誰か、それは明白じゃないのか?」

「……そう、ですね」

 

 それに頷きながらもライムは心の中で苦々しい感情を抱いていた。どんなに魔力を注いでシアンの自己治癒力を促進させても一つの壁を越えられない。

 どんなに手を尽くしても闇の粒子が邪魔をしてくる。これを何とかしなければ自分に出来る事はここまでという事になる。そんな事は認めたくないとばかりにライムはこの粒子を除外しようとしたが、どんなにやってもそれはシアンの体内から消えない。

 闇と相反する属性、光を操る事が出来ればまだ何とかなったろうが、残念ながらライムは知識こそあっても光属性を行使する事が出来ない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 いつしかライムの額からは汗が流れだし、呼吸も荒くなってきている。どんなに力を振り絞ってもそれが報われない。助けたい人一人を救えない無力感が静かに心の中に広がると、それに引きずられるように黒い感情も広がっていく。

 自分の中にこんな黒い感情があるなんて思いもしなかったが、血に刷り込まれている本能が少しずつ目覚めていくと考えれば納得するかもしれない。でもそれを認めたくない気持ちは変わらない。

 顔を上げたクロムはライムの様子に気づいて眉をひそめる。静かに、少しずつ確実に、それはライムの体内と精神を侵食していく。それに気づかないほどクロムは鈍くはなかった。

 

「おい、ライム。気を確かに持て」

「はぁ……はぁ……」

 

 クロムの言葉に気づかないかのように息を荒くしたままただ魔力を注いでいく。

 届かないならば無理やり届いて見せようとライムは愚直にその行為を続ける。自分の中にある力の奥底の囁きに身を任せようとしていた。それでシアンを救える可能性があるのならば、自分は……!

 

「――そこまでだ、ライム!」

 

 シアンに当てている両手を掴んで離してやると、はっとした顔でライムが顔を上げる。その先には真剣な表情をしているクロムの顔がある。

 その深い蒼に染まった瞳で睨まれているような気がしたライムは一瞬だけ竦んでしまったが、掴まれている手を振り払おうとした、が鍛えられているクロムの力を振りきる事は出来なかった。

 

「離してください!」

「それは出来ねえ相談だ。それ以上は許さねえ」

「どうしてですか!? シアンを助けないと……」

「それ以上やればシアン嬢ちゃんの容体が悪化するからだ。それにお前も堕ちかけている。それを見過ごすわけにはいかないからな」

 

 クロムの眼に映るライムには、体の中心部が妙に黒く染まっている。それはとっても小さなものだが、小さく鼓動をしているのだ。それを見過ごせば自分は兄失格だろう。

 

「シアン嬢ちゃんは人間だ。しかも魔力を持たない普通の人間……そんな嬢ちゃんにそれ以上魔力を注げばどうなるか、お前も知らないわけじゃないだろう?」

「……っ」

 

 魔力を持たない者に魔力を与えすぎると毒になる。魔力とは確かに人に新しい力を与えてくれるものではあるが、普通の人にはない因子であることには間違いない。いうなれば異物だ。

 しかも魔力そのものにも力が宿っており、小さなものでも多く集まれば大きな力になる。それほどの異物が体内に入り込めば、その人の体はショックを起こして魔力を排除しようと動き出す。

 魔力もまた力を発揮してそれに抗い……そうなれば体調が悪くなるのはうなずける話だ。

 シアンの体調を治すための魔法は度を過ぎれば彼女の体調を悪化させる。それはどんなに皮肉なことか。普通の治癒魔法ならば問題ないが、体内に注いでまで体調を治すとなれば話は別。

 シアンの顔色はさっきと変わらず青白い。それどころか呼吸も少しずつ荒くなっていっている上に、所々肌の一点がうっすらと赤く染まっている。そんな彼女を見てライムも呼吸を荒くしてただ固まってしまう。クロムは一息ついてライムの頭に手を掴んでいない左手を乗せてやった。

 

「無力だと自分を責めるな。人には出来る事と出来ない事があるんだ。俺達は今出来る事を全部やったんだ。後はシアン嬢ちゃんを医者の所まで運ぶだけでいい」

「…………でも」

「いいから、そうネガティブになるんじゃねえ! それがお前も認めたくない領域へとお前を落としていく! シアン嬢ちゃんを助けたい気持ちもわかるけどな、それでお前がそっちに堕ちる必要はない! それにシアン嬢ちゃんだってそれを望んじゃいねえ! だから身を任せるな!」

 

 両肩を掴んでしっかりと目を見つめて叫べば、それでライムも落ち着きを取り戻していった。それに従って黒い気配も消えていく。

 でもそれで状況が好転するかといえばそうでもない。シアンは相変わらず容体が悪いままだ。これを何とかするにはクロムの言うように医者の下へと連れていくしかない。

 

「さ、立て、ライム。早いとこ連れていこうぜ」

「……うん」

 

 セルシウスの方も気になるところだが、こんなライムを見てしまっては放っておく事は出来なかった。シアンの体を抱え上げて走り出そうとした時、クロムははっと顔を上げて森の奥を見つめる。

 どうしたのだろうとライムはクロムを見つめ、続いて兄の視線の先を見てみた。狂ティガレックスが追ってきたのだろうか、と思ったがあの気配の近づいている様子がないからそれはない。

 では何が来るというのか。

 ふと、クロムが口の端を薄く歪めた。小さく「こいつぁついてるな……」と呟きながら喜びを隠せないような雰囲気だ。

 そして少しして何かの音が聞こえてきた。カラカラ……と車輪が回り、小石などを飛ばしているかのような小さな音だ。たぶんそれは荷車を軽やかに押している音じゃないだろうか。

 こんな森の中で荷車を押している人なんているのだろうか、と考えたがすぐにその謎が解けた。その正体は人じゃない。人ならば有り得ないが、人でない者ならば有り得る。それも森の中だろうが雪山だろうが火山だろうが、彼らは場所を選ばず出動する。

 

「――にゃっにゃっ、にゃっにゃっ、にゃっにゃっにゃーー!」

 

 独特の掛け声で荷車を押し、森の奥から数匹のアイルー達が姿を現したのだ。彼らは木の間を抜けながら真っ直ぐにクロムとライムの下へと近づいてくる。

 

「……き、救護アイルー隊……?」

「ああ、間違いねえ。どうやら追いついてきたらしいぜ」

 

 アイルー達の腕にはギルドで働いていることを示す紋章が付いた腕章が巻かれている。荷車を押してこっちに来ているのならば、彼らが救護アイルー隊である事はほぼ間違いないだろう。

 そんなアイルー達が二人の前にやってくると、クロムが抱えているシアンを見て目の色を変える。一匹のアイルーが前に出ると、シアンを見上げて右手で彼女を示した。

 

「その娘さん、重体にゃ?」

「ああ。血を多く流しすぎていてな、早急な輸血が必要だと思う。何とかなるか?」

「任せるにゃ。死んでないにゃら、まだ何とかなるにゃ。さ、ここに乗せてやるにゃ!」

 

 シアンを指していた手を荷車へと示せば、クロムは頷いて彼女を荷車に横たえてやった。その間に他のアイルーが、腰に下げている樽の中からいくつかのモドリ玉を取り出している。

 クロムに声をかけたアイルーは横たえられたシアンを見て小さく頷き、「応急処置が効いているにゃ。一応命は繋がれている状態だにゃ。これなら大丈夫にゃ」と二人に教えてくれた。

 

「隊長、どこに行くにゃ?」

「ポッケ村でいいにゃ。そこならこの二人も安心だろうからにゃ。……それに兄さん、あいつと戦うつもりにゃんだろ?」

「……へえ、よくわかったな」

「道が違ってたとはいえ、おいら達を抜かしていってあいつの所へ向かってたからにゃ。今世間を騒がせている狂化竜とやらと戦うハンターだってのは何となく察してたにゃ」

 

 やれやれといった風な表情を浮かべながら首を振りつつそう言う。だがすぐに頼もしげな笑みを浮かべて胸を叩き、クロムとライムの顔を交互に見てこう言った。

 

「この娘さんは任せるにゃ。救護アイルー隊の名に懸けて死なせにゃい。だから存分に戦ってくるといいにゃ!」

「へっ、頼もしいねえ。でもそれが今はとてもありがてえ。嬢ちゃんの事、よろしく頼むぜ」

「……必ず助けてください。どうか、よろしくお願いします」

 

 同じように笑みを浮かべながら頼むクロムと、真剣な表情で頭を下げるライム。そんな二人を見て隊長のアイルーは「患者さん、確かに受け取ったにゃ!」と敬礼すれば、後ろにいるアイルー達も一斉に敬礼した。

 二人に背を向けて「モドリ玉!」と告げ、荷車の周りにいるアイルー達が同時に地面にモドリ玉を叩きつける。破裂したそれが緑色の煙を吐きだしてアイルー達を包み込み、やがて煙が消えればそこには誰もいなくなった。

 あのモドリ玉が登録している場所がポッケ村ならば、あの酒場に戻ったと思われる。ならばすぐにシアンは診療所に運ばれるだろう。

 少し心配だが救護アイルー隊と診療所の医者ならば安心だ。彼らならきっとシアンを助けてくれると信じられる。

 

「さて、俺はセルシィの所に戻るけど、お前はどうする?」

 

 戻るという事は狂ティガレックスと本格的に戦うという事だろう。負傷しているようだがそんなことは関係ないとばかりの笑みを浮かべている。そんな兄を見てライムはあの狂ティガレックスを思い出す。

 心が弱いからあの恐怖に抗えないんじゃない。本能的にあの恐怖を感じてしまう。それはクロムも同じはずだが、彼は鍛えられている精神力で、それを押さえつけて戦いに向かうだろう。

 セルシウスも強い事は知っているし、あの剣術ならばクロムと並び立つ程の実力というのは間違いない。二人が力を合わせれば、自分が行っても大して意味はないんじゃないだろうかとも思ってしまう。

 でも、それでも何かの役に立ちたいと考えてしまう。

 

『恐れず行動しろ。出来ないことが恥じゃない。行動しないことが恥だ』

 

 思い出される昴の言葉。恐怖はあるのは確かだけど、それを抑えて戦ってこそ自分は前に進めるはず。それに前に出て戦うだけが戦いじゃない。後ろでサポートするのもまた戦いでもある。

 それにシアンをあんな風にした狂ティガレックスが許せないし、そうさせてしまった自分も許せない。だから逃げるわけにはいかなかった。

 

「……行きます。僕も戦います!」

「そうか。でもあまり無理して戦う事はないんだぜ? あれは今までの奴らとは格段に違うんだからな」

「それは百も承知です。……それでも僕は戦わなくちゃ」

 

 ぐっと拳を握りしめて揺らぎない眼差しでクロムを見上げてそう言った。そうしなければシアンに申し訳が立たない。それを感じながらもクロムはそれを聞いて頷いた。

 二人は走り出してセルシウスの下へと向かう。今頃セルシウスが狂ティガレックスと戦闘しているだろうあの場所へ。

 走りながらライムはローブの中に手を入れて一つの瓶を取り出した。キャップを開けて中身を飲み干していくと、しばらくして消費された魔力が少しずつ回復していくのを感じる。

 魔力回復を促す薬草などをブレンドして制作した回復薬であり、これがあればまだ魔法は使える。あとは道具を使ってサポートしていけばいいだろう。

 頭の中で自分に出来る事を考えながらライムはクロムの後を追う。それに従って強い気迫が前方から吹き抜けてくる。

 片や相変わらず冷たく鋭い殺気と戦意を含む狂ティガレックスのもの。

 片や鋭く尖った刃のようなものでありながらも、殺気はあまり感じられないセルシウスのもの。

 二つの気迫はぶつかり、交差し、離れていく。

 それだけでセルシウスがまだ生きていることがわかるから安心できた。間に合ったのだ。すぐにでも彼女の、兄の援護が出来ればいい。ライムは改めて気を引き締めて森を走り抜けていった。

 

 向かってくる漆黒の竜を見据えてセルシウスは黒刀【参ノ型】を握りしめる。そのスピードは確かに速いものだ。あの速さに並び立つ飛竜……竜種はそうそういないだろう。しかも奴の顔や体には所々赤い血管が浮き出ているから怒り状態であり、あの速さは通常よりも更に上乗せされているのだということがわかる。

 しかし、その進路は愚直にも真っ直ぐ。それは原種の頃から変わりない。でもそれが逆に脅威でもあるのは間違いない。

 あの速さに感覚が追いつけなければ轢かれてしまい、持ち前のパワーによって身を守る鎧を貫通して衝撃が走り抜けるのだ。それにただ跳ね飛ばすだけではなく、その牙で喰らい付き、その鋭い爪で引き裂いてくる。それが致命傷にもなり、時に死に至るダメージにもなる。

 でも追いつけるならば回避は容易い。

 冷静に右に跳ぶことで狂ティガレックスの突進をやり過ごしつつ、黒刀【参ノ型】を立てて狂ティガレックスの左手を斬っていく。特に力を入れる事はしない。黒刀【参ノ型】にはセルシウスの気を纏わせて折れぬようにし、狂ティガレックスの鱗に弾かれずに刃が通るようにした。

 それは小さな傷を作るが、左手は月との戦いで少し脆くなっているから小さな傷でも血をにじませるには充分だった。

 

「……ふっ!」

 

 体を捻りつつ黒刀【参ノ型】を振りぬいて気刃を放とうとしたが、狂ティガレックスもあのまま走り抜けるようなことはせず、ブレーキを掛けながら転進してセルシウスに向き直っている。

 そのまま再び走りだし、セルシウスへと走り出すのだが、相変わらず冷静なものだった。接近してくる狂ティガレックスに怯むことなく見据えて回避するタイミングを見計らう。

 ぎりぎりまで引き付け、また右に跳びつつ黒刀【参ノ型】を立てて左手を斬っていく。そしてまた距離を離しつつ気刃を放っていこうかと思ったが、狂ティガレックスは急にブレーキをかけて止まり、数歩下がりつつ転進してセルシウスへと向き直ったではないか。

 ぎろりと視線が動いてセルシウスを見下ろしつつ、大きく息を吸い込んでいくのを見たセルシウスは何をするのかを瞬時に察知し、そこから大きく後ろに跳んで距離を離した。

 

「ガアアアアアアアアアアァァァァァ!!!」

 

 大咆哮が響き渡り、狂ティガレックスの周囲にそれによって生まれた衝撃波が広がっていく。耳をつんざくような咆哮がセルシウスの耳を侵すが、顔を少ししかめるだけで何とかこらえる。

 衝撃波も範囲外に逃れたから問題ない。前足はその大咆哮の反動を抑えるために地面を踏みしめており、それはあの体勢は完全に隙だらけということを意味している。

 

「閃剣・荒鷹!」

 

 そんな狂ティガレックスを真っ二つにせんとする気刃が放たれた。大咆哮をして硬直している狂ティガレックスの中心から切り裂こうというその気刃。自分に向かってくるその刃を見た狂ティガレックスは、無理やり体を動かして横に跳び、体を捻ってまた森の木々を尻尾で薙ぎ倒していった。

 

(やっぱり普通じゃないな。危機を察知し、行動に移すだけの判断力と力を兼ね備えたという事か)

 

 倒された木を右手で弾き飛ばし、複数の木々がセルシウスへと向かってくる。その下敷きとなれば大怪我は免れないが、セルシウスの心に揺らぎはない。黒刀【参ノ型】を鞘に収めつつ身を低くし、弾かれたように飛び出して逆に接近していく。

 向かってくる木々を見据えて鞘から黒刀【参ノ型】を抜けば、真空波となって風の刃が放たれた。それらは木を切断してセルシウスが抜ける道を作り出す。分かたれた木の間を高速で走り抜け、狂ティガレックスの前に出る。

 しかし狂ティガレックスもセルシウスがそうなる事は予測していたのだろうか。既に身構えつつ口を開いていた。再び鞘に納めた黒刀【参ノ型】を振りぬくより速く、狂ティガレックスは前進しながらセルシウスへと噛みついていく。

 急遽抜くのをやめて左へ転進するが、奴の右手が翻ったローブの中にあった背中を掠める。無理に転進したせいかセルシウスの体から鈍い痛みが走る。それはクロムとの戦いで傷ついたもの。

 完全に治ったとは言い難い傷であり、それだけクロムの一撃が鋭いものだったという事なのだが、セルシウスは大して気にしてはいなかった。痛みには慣れているし、秘薬と持ち前の回復力でここまで治っているのだから戦う分には問題ないと思っていた。

 

(そうも言っていられないか。あまり長引いたら傷が開きかねないし、万が一回避出来なければ致命傷)

 

 一度距離を取って体勢を立て直しつつそんな事を考える。

 確かに狂ティガレックスの攻撃は鋭くも驚異的だ。飛竜の攻撃自体が脅威なことには変わらないが、あの恐怖と暴力の権化ともいえるティガレックスを狂化させればその脅威は更に増す。

 しかしどんなに致命傷を生み、一撃一撃が死に直結するものだったとしても、当たらなければなんてことはない。

 この痛みで体が鈍らなければ全て回避してみせよう。

 

「グルァアアア!!」

 

 離した距離を埋めるように狂ティガレックスが跳躍して右手を振りかぶってきた。跳躍したなら落下地点を予測しやすい。右手に持っている黒刀【参ノ型】を左手に持つ鞘に納め、右に跳んで狂ティガレックスの攻撃から回避したが、着地した狂ティガレックスはその勢いのまま体を捻って回転する。

 遠心力が乗った尻尾が跳んでいるセルシウスに向かって伸ばされていく。

 

「……ちっ」

 

 このままでは尻尾に打ちつけられる。右手で地面を叩き、その勢いで跳躍して尻尾を飛び越した。その体が回転する際に頭のすぐ下で、黒い尻尾が通り過ぎていくのを感じながら受け身を取って着地する。

 すぐに狂ティガレックスへと向き直ると、狂ティガレックスも回転を終えてセルシウスを睨み付けている。セルシウスが攻撃態勢に入るよりもまた早く、狂ティガレックスが行動に移した。

 それはまるでセルシウスに攻撃させないかのようなものだ。事実、彼女は居合の構えをしてはいるものの、振りぬけずにいる。

 そんな彼女へと接近するように狂ティガレックスは突進を仕掛けていく。これが奴にとっての基本的な攻撃手段。鍛えられた四肢から生み出されるスピードと、巨体から繰り出されるパワーで獲物にぶつかる事でその身を打ち砕かんとするのだ。

 突進ならばさっきと何ら変わりない要領で回避できればいい、そう感じていたのだが狂ティガレックスはそこに一手絡めてきた。地面を掻いて前進させるその両手が勢いよく地面を踏みしめたのだ。

 それを見たセルシウスの第六感が狂ティガレックスの攻撃を察知し、狂ティガレックスの方へと跳躍した。狂ティガレックスを飛び越すように前転しつつ、黒刀【参ノ型】を抜いて居合の要領で回避と攻撃を同時に行い、狂ティガレックスの背中を斬っていく。

 その下ではまた体を回転させ、体全体で遠心力をつけながらセルシウスへと攻撃を仕掛けた狂ティガレックスがいる。だが残念ながらそれは空振りに終わってしまった。

 あのまま横に跳んでいたならば、回転したことで勢いが乗った爪で切り裂かれ、尻尾で弾き飛ばされていただろう。狂ティガレックスは、セルシウスが横に跳ぶことを予測してあのような攻撃をしたのだろうと推察できる。

 つまり、セルシウスの行動を覚えて攻撃手段を変えた。学習したのだ。

 

「グルル……っ!」

 

 この身を斬りながら後ろに回ったセルシウスを感じ取った狂ティガレックスが唸り、静かに息を吸ったのを感じる。また何かするつもりかとセルシウスが身構えていると、狂ティガレックスが四肢に力を入れながら体勢を低くしていった。

 そして勢いよく跳躍しながら後ろへと跳んできたのだ。しかも空中で後方に宙返りし、その顔がセルシウスへと向けられている。

 

「――んなっ!?」

「グルァアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 開かれた口からはあの大咆哮が放たれる。生まれた衝撃波は真っ直ぐにセルシウスへと向かい、彼女と河原の砂利を押しつぶすかのように打ちつけていく。

 狂ティガレックスの跳躍力は四肢の力に比例するように高く、その一回で十数メートルを飛び上がり、風に乗って滑空していく事で知られている。

 あの時ライムが狂ティガレックスを見失ったのもこの跳躍をしたからであり、自身の体重に乗せて落下してきたのだ。そしてライムよりシアンが早く気付いたのは彼女が自動マーキングのスキルを持っていたからである。これがなければ二人は纏めて狂ティガレックスの爪によって引き裂かれていただろう。

 ずしんっ、とセルシウスから数メートル離れた所で着地した狂ティガレックスは膝をついているセルシウスを見据えて舌なめずりする。今彼女は衝撃波に押しつぶされるだけでなく、その衝撃で体に刻まれた傷が開きかけていたのだ。

 耳はきんきんと鳴り、周りの音がちゃんと聞こえているかも怪しい。乱れたローブの下にはいつも身につけているシルバーソルメイルはない。これはクロムとの戦いでボロボロになっているから使い物にならなかった。同じようにシルバーソルアーム、シルバーソルコイルも外してあり、残っているのはシルバーソルヘルムとシルバーソルグリーヴだけだ。

 その代わりとなる装備はリオソウルシリーズだった。外されているシルバーソルシリーズを埋めるようにしてそれらが装備されており、これによってスキルが変化している。

 リオソウルメイルに防音珠をつける事で聴覚保護を発動させ、シアンが作ったものと同じ達人珠を多くつけて見切り+2を発動させている。

 装飾品で聴覚保護をつけているのはいいが、狂ティガレックスの咆哮はそれを無意味にするかのように激しく響いている。

 

(やってくれる……さすがは狂化といったところか。別にクロムを恨むわけじゃないけど、この傷のうずきが鬱陶しいったらありゃしない。それにしても、あの学習力はやっぱりそれがもたらした知識か?)

 

 顔をしかめながらも狂ティガレックスから視線を外さない。瞳に映る狂ティガレックスの内面からは相変わらず黒い気配が広がって狂ティガレックスを包み込んでいる。それはライムが見えていたものと変わるものじゃない。

 でもセルシウスは堕ちかけた事で視えたライムと違ってそれが普通に視えている。そして認めたくなかったライムと違って彼女は普通にそれを納得してしまった。

 今までずっと朝陽側に付いていたからこそ分かるものがある。狂ティガレックスにあるものは今まで世に放ってきた狂化竜たちにはないものであり、同時にその能力は今までの狂化竜とは一線を画すもの。

 中央を充満しつつある闇の粒子は当然セルシウスも感じているし、それが朝陽の計画通りである事も知っている。となればこの闇の粒子がこの狂ティガレックスに影響を与えたのかもしれないというのは容易に推察できること。

 

(……となればこれも計画通り、か。本当に何を考えている、朝陽? 自分を高めるのが朝陽の目的だったはず。狂化竜をここまで高めて何の意味がある? ……それとも埋め込んだのは朝陽ではなくアキラか?)

 

 ふらふらとしながらも立ち上がって狂ティガレックスを見据える。そんなセルシウスを狂ティガレックスはただ見つめるだけだ。今までの狂化竜ならば問答無用で襲ってくるものだが、狂ティガレックスはそうしなかった。

 それだけでも異常だというのがわかる。

 狂っているならば闘争本能に任せて獲物をいたぶり、殺して喰らうはずなのだから。そうしないのは狂ティガレックスが狂っていないから。それすなわち意志があるという事に他ならない。

 軽く首を振りながら耳の調子を確かめつつセルシウスは思考を続ける。

 

(アキラならば奴の目的はなに? 今まで黙々と朝陽のために動いていたようだけど、それだけではない何かを奴は心の中に秘めていたのは間違いない。何せ奴は何を考えているのかわからない時があったからな。もしかすると朝陽を利用していたのかもしれない)

 

 それにセルシウスの体感的にアキラの実力は未知数だった。朝陽はまだ計れる実力だったが、アキラに関してはまったく読めないのだ。またアキラと戦った場合をイメージしたことがあったが、どうやってもアキラを殺せるヴィジョンが見えなかったのもある。

 これらの事があったからセルシウスはアキラを完全に信用していなかった。そこにいれば僅かに注意を向け、必要以上に話をすることもなくただ淡々とそこにいるだけの存在として見ていたため、彼の事はほとんど知らない。

 もし彼が朝陽に隠れて何かをしていたと言われれば、それはあり得るとセルシウスは答えるだろう。何せ彼の実力は未知数。それは朝陽から見ても同じだろうと推測すれば、普通に彼女の知らないところで何かをすることは可能なはず。

 つまり狂ティガレックスにこの因子を埋め込んだのは、アキラの可能性もあると普通に言える。

 

(だからこそわからない。この因子を埋め込むことでどうしようっていうのか。オレとしては竜種とはいえこういう存在と戦えるならば歓迎してもいいんだけどな、あいつらからすればお呼びじゃないんだろうさ)

 

 そして、とセルシウスは薄く笑みを浮かべた。

 

「お前もそうなんだろう? その戦意は埋め込まれた因子がもたらすもの。ティガレックス本来のものと因子がもたらすものの相乗効果で高まり、オレとより一層戦いと叫んでいるはず。だから殺せるはずの所を見送った。……違うか?」

 

 言葉は通じていないだろうがそう問いかけてみる。するとそれに応えるかのように狂ティガレックスが小さく唸った。その唸りを聞いたセルシウスは小さく「……はっ」と呟いた。

 一体何を思ってこの因子を狂化の種に埋め込んだのかは知らないが、考えられるとすればそうすることでより一層被害を生み出せるんだろうという事。狂わせれば勝手に暴れまわるだけだろうが、意志があれば命令が下しやすくなり、その命に従って狂化竜は動く。

 記憶が正しければ狂ティガレックスはこの地域からかなり遠い場所にいたはずだった。こんな所にやってきた理由を推察すれば、神倉月とそれによって鍛えられているライム達の抹殺だろうと思い至れる。それがアキラの命令ならば、それに従って動いているとなる。

 今自分と戦っているのも裏切り者を始末するという理由かもしれないし、因子が自分の血統に反応しているという理由かもしれない。なんにせよこうして戦っている事で裏切りは知れたことだろう。

 でもそんな事はどうでもいい。

 今はただあの二人があの少女を助けるための時間稼ぎを。

 そして時間稼ぎだろうがこれはある意味自分が望む戦いの一種。そんな戦いが出来るならば楽しまなかければ損。それは狂ティガレックスも感じているのはあの見逃しからも感じられる。

 音はまだ蘇らない。

 でもそんな事は関係ないとセルシウスは居合の構えを取る。

 

「出来るならこの数奇な戦いは正直な所続けたいところだし、オレもそう望んでいる。でも残念。それがその因子がもたらす感情だというのは仕方ないとはいえ、さっきオレを見逃したのがミス」

 

 セルシウスの気迫が鞘に収められている黒刀【参ノ型】へと纏われていく。ぴりぴりと空気が震え、凍てつく冷気を孕んだ風がセルシウスを中心として渦巻いていく。

 バチッ、と空気が弾けた。それは静電気か。淡く青い光が小さく走り、それは鞘の周りで何度も小さく弾けている。

 

「これは足止めであることには変わりないが、オレは別にお前を殺してしまっても構わない。何せそうすれば今後の憂いがなくなるんだからな。つまり死にたくなければ、お前はさっさとオレを殺すべきだった」

 

 本心としてはセルシウスはもっと狂ティガレックスと死合いたかった。それが今まで彼女が求めていたような殺し合いであり、彼女が求めた最上の戦いに近しいものであるというのがわかっていたから。

 

 本能が叫ぶ――戦エ、闘エ! 奴ト殺シ合エ!――と。

 

 以前ならばそれに従うように戦いを長引かせ、この戦いにいつまでも浸っていたいと思っていた事だろう。

 だが叫びはこれだけではなかった。

 

 本能が叫ぶ――殺セ、殺セ! 奴ヲ斬リ殺シテシマエ!――と。

 

 以前ならばそれに従うように一瞬のうちに狂ティガレックスを殺すための手段を構築し、それに沿って斬ってしまっていた事だろう。

 二つの叫びが存在し、二つの流れがセルシウスにあった。

 二つの叫びは今も続き、セルシウスの道を示している。

 しかしセルシウスはその叫びを聞きながらも、今まで戦い続けながら考えていたのだ。無視しているわけではない。それを聞きつつ、自分の中で整理をつけながら戦っている。

 彼女は自分の意志を確立させつつあるのだ。

 ただ本能に従い、感情に従うままに斬っていくのは終わりにしようとしている。そうしなければあの二人に言われたことを成し得る事が出来ないだろうから。

 セルシウスは変わろうとしていたのだ。

 すぐには無理だろうけど、こうして変わろうとすることで何かを変えられるはずだろうとクロムが言っていたから。

 そして今、セルシウスは片方の叫びに従うわけではないが、狂ティガレックスをこの一太刀の下に斬り捨てようとしている。

 

「非常に残念だけどこれが戦いを終わらせる一太刀。躱せるなら躱してみせるといい」

 

 ぐっと足に力を入れてセルシウスは狂ティガレックスを見据えて黒刀【参ノ型】を振り抜く。

 

雷剣(らいけん)瞬刹梟(しゅんせつきょう)

 

 その姿が消えたかと思うと、いつの間にか彼女は狂ティガレックスの背後上空にいた。カチン、と僅かに黒刀【参ノ型】が鞘に納めるような音が響いた時、弾ける音と共に雷が刃の形となって狂ティガレックスの左手を切り裂いた。

 しかも右手も激しい電流が走り抜けると共に、切り傷が生まれて血を噴き出している。

 この剣技は最初に通り過ぎる際に左手を斬り、抜かれた黒刀【参ノ型】に纏われている雷属性を解放すると共に鞘に納める一太刀で右手を斬ったのだ。それはあたかも梟のように僅かな音も立てず、一瞬のうちに獲物を捕らえて斬る剣。

 両手を失えば逃げる術はない、とセルシウスは狂ティガレックスの背後に着地し、再び黒刀【参ノ型】を抜いて仕留めようとした。

 しかし彼女は間違えた。

 仕留めるならばその技で両手を斬るのではなく、その体を一気に斬るべきだった。そしてその技で仕留めて終わらせるべきだったのだ。

 

「――――っ!!」

 

 狂ティガレックスが甲高い声を張り上げながら天を仰げば、両手の傷が筋肉が動いて強引に傷を閉ざしていき、止血をして跡を残すのみとなった。電流が僅かに残っているようだが、それを気にも留めずに狂ティガレックスが体を捻ってセルシウスへと振り返る。

 だがセルシウスは既に黒刀【参ノ型】を振り抜いていた。刃には当然彼女の気が纏われており、気刃が刀身から放たれている。それは振り返った狂ティガレックスの胸から首へと傷を作り、鮮血を巻き上げた。

 しかしそれまでだ。これは狂ティガレックスにとって致命傷にはなり得ない。なっていたならば月とラージャンとの戦いで既に事切れている。

 首を上げたままセルシウスを見下ろし、斬られたことも気に留めないまま狂ティガレックスはセルシウスへとタックルを仕掛ける。

 迫ってきた巨体を前にセルシウスはローブを纏って身を守ったが、そんなことで衝撃が殺せるはずもない。狂ティガレックスは体全体でぶつかっていく事で、セルシウスの逃げ道を塞ぎつつ体勢を崩させてやったのだ。

 その隙をついて大きく息を吸い込んでいき、両手で体を支えながらあの大咆哮を至近距離で発してやればどうなるか。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!!」

「――――ッ!?」

 

 上空から発せられた大咆哮で聴覚保護は意味を成さない事は証明されている。ならば至近距離からの大咆哮も防げない事は道理。また耳をやられながら、セルシウスは無様に狂ティガレックスから周りの砂利と共に吹き飛ばされるしかなかった。

 胸を斬られているのにその痛みなどないかのような咆哮っぷり。いや、よく見れば既に筋肉が傷を強引に塞ぎにかかっている。少しすれば完全に傷は閉じ、傷跡を残して終わっている。

 驚きの再生力、あるいは治癒力というべきか。これもまたあの因子の影響だろう。

 

「……クソ、が……」

 

 数メートルも飛ばされたセルシウスは舌打ちしながら立ち上がろうとするも、頭はがんがんと痛み、足元はおぼつかない。耳をやられ、意識やバランス感覚が怪しくなっている。

 なまじ耳がいいせいであの大咆哮を至近距離から聞いてしまえば、こうなってしまうのも無理はないだろう。それでも耐えられたのは、聴覚保護が発動しているおかげか。

 しかも衝撃波がリオソウルメイルを貫通するかのようにダメージを伝え、開きかけていた傷は完全に開いてしまっていた。インナーに血がにじむのを感じながらセルシウスは何とか立ち上がろうとする。

 明らかに隙だらけなセルシウスだが、狂ティガレックスはまたもや手を出さないで見つめるだけ。これもまた戦いを続行させるための待機か。だが一瞬その左目が紅くぎらつき、何度か辺りを見回すかのように顔を動かすと、唸りながら身構えていく。

 

(……はっ、命令が下されたか。やはり後ろに指示を出す奴がいるという事。それすなわち、あの因子を埋め込んだ奴。……アキラ、糸を引いているのはお前か?)

 

 まだ足元がふらつきながらも何とか立ち上がり、右手で頭を抑えながらセルシウスはアタリをつける。それがわかっただけでも良しとしよう、というのはいいのだが、どの道生き残れなければ意味はない。

 残念ながら耳は使い物にならず、頭もまだ痛む。それでもこの状況を切り抜けるための手段を模索するために動いているのだから、この血統に刻まれた呪い万歳というべきか。生に執着するためにここまで働くのだからなかなかのものじゃないだろうか。

 でも体は動いてくれそうになさそうだ。自分だけならここで終わりを迎えた事だろう。

 そしてようやく死ねたと以前ならば喜ぶかもしれない。

 

「グルァアアアアアアアアア!!」

 

 狂ティガレックスが動き出してセルシウスを喰らおうというとき、森の中から雷の奔流が発生して狂ティガレックスを飲み込んでいった。その姿はまるで蛇のようで、口を開けたそれが狂ティガレックスに喰らいついたかのようだった。

 

「…………はっ、ようやくか」

 

 口をつくのは少し悪態をつくかのような言葉だったが、それに含まれた感情は特に何もない。でも待たされればこう言うものじゃないかと何となく浮かんだ言葉を口にしただけ。いうなれば独り言のようなものだったが、「わりぃ、待たせちまったな」とその人物は軽く返してくれた。

 深緑のローブをなびかせながらセルシウスの前に立ち、肩には右手に持ったブラッドフルートを乗せている。

 

「よく持ちこたえてくれた。後は任せてくれ」

 

 振り返らずにそう言うと、クロムはブラッドフルートを両手に持って狂ティガレックスへ向かって疾走していった。

 そのすぐ後にもう一人の人物、ライムがセルシウスの傍にやってきて手をかざして治癒魔法をかけてくれる。

 

「大丈夫ですか、セルシィ姉さん?」

「……何とかな。で? こっちにやってきたという事は、やるべき事は出来たのか?」

「はい。あとは救護アイルー隊がシアンを助けてくれるようです」

 

 読唇術でなんとか読み取り、その言葉に「そう」と呟いてセルシウスは彼の内部にある力が不安定になっているのを見破り、目を細めて小さく嘆息する。大方力が及ばないことを嘆き、闇の粒子と不安定な心が混ざり合って堕ちかけたのではないかと推測した。

 今のところは何とか落ち着いているようだが、これだとまたいずれ同じようなことが起こればライムは揺れ動くんだろうと思いつつ、セルシウスはゆっくりと立ちあがる。ライムの治癒魔法で少しだけ楽になったので「もういい」と小さく声をかける。

 開いた傷は閉じ、何とか止血も出来ている。まだ痛みはあるが動けない程ではなかった。

 

「こっちに来たからには腹は括ってるんだろうな?」

「もちろんです。僕に出来る限りの援護をするつもりです」

「……そう。ま、せいぜい飲み込まれない程度に頑張りな」

 

 そう言い残してセルシウスもクロムに続くように狂ティガレックスへと再び接近していった。

 それを見送ったライムはセルシウスの言葉の意味を考える。飲み込まれないとはやはり自分の中で叫び始めているこれの事だろうか。狂ティガレックスと遭遇してから感じられるこの疼き。

 自分は守る者へと覚醒したから大丈夫というわけじゃない。これはいつだって自分をその領域へと誘う存在。この血統ならば誰もが逃れられない宿命。そしてセルシウスもまたそれに飲み込まれてしまった一人。

 

 殺人鬼へと誘うシュヴァルツの闇。

 

 狩る者としての領域よりも深く、鋭い殺意を内包し、ただ本能の赴くままに殺しつくす者。命を奪う事を喜びとし、人族、モンスターを問わずに戦い、殺していく存在。シュヴァルツの者にとって大きな罪の象徴である存在が自分の中にある。

 人族、モンスターにとっての天敵であり、それは人族を見下す竜種にとっても天敵といえる。凄腕の者ならば、殺気だけで格上のはずの竜種でさえ恐怖を抱いて逃げ出すほどだ。

 モンスターも竜種も本能で知っているのだ。シュヴァルツの血統がどれだけ自分達を容易に殺せる存在であるかを。つまり本能からくる恐怖に抗えずに逃げ出してしまう。

 いうなればシュヴァルツの殺人鬼は古龍と同じく、雰囲気と殺気だけで誰も彼も本能からくる恐怖を呼び覚ましてしまう存在といえる。

 そんな存在に自分も堕ちる。それはライムにとって認めたくないもの。だからクロムの言う通りこの誘い意味を任せてはいけない。自制心を持っていれば大丈夫だ。

 冷静になれ。

 心を揺らがさずにいれば自分は堕ちる事はない。

 ごくりと唾を飲んで顔を上げれば狂ティガレックスと戦っているクロムとセルシウスが見える。自分はあの二人を援護しつつ戦えばいい。何も難しい事はないんだ。

 

「僕にだって出来る事はある……! 僕は、僕のままで戦える!」

 

 それは自分に言い聞かせる言葉。それを認識すればライムはライムのままでいられると信じるのだ。ローブの中から閃光玉をいくつか取り出してポケットに入れ、左手は先ほど放った雷撃のエネルギーを再び集めていく。

 身を包む装備はフルフルシリーズだから多く手に纏わせようとも影響はない。狂化しようともティガレックスはティガレックス。雷属性を弱点としているのではないかと推測したからこれで攻める。

 ポーチの中には落とし穴とシビレ罠がある。頃合いを見て仕掛けるのもいいだろう。

 電流を調節すれば狂ティガレックスを麻痺させることも可能なはず。いくつか絡めて行動不能に追い込んでやる。

 ほら、出来る事はいくつもある。

 考えて、考えて、あの二人をサポートしつつ立ち回るんだ。

 そして勝利を手にしてシアンに対する贖罪としよう。そうしなければ自分は自分を許せなかった。

 

 ライムは走り出す。

 自分を恐怖させる存在へと。

 大切なパートナーをあんな風にした存在へと。

 本能からくる叫びと恐怖に抗い、その先の領域へと自分を成長させる戦いへと、ライムは身を投じていった。

 

 

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