呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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77話

 

 

 カコーン……と音が静かに響き渡る。

 純和風の庭から聞こえてくる鹿威(ししおど)しの音を聞きながら彼女は目を閉じていた。その部屋は畳が一面に敷かれており、中央にはちゃぶ台が置かれている。その前に正座しながら彼女は眠っているように見えるが、彼女は眠っていない。

 ちゃぶ台にはグラスが置かれ、中身は酒が満たされている。傍には瓶が置かれており、銘柄はフラヒヤ酒と書かれてあった。

 

「…………」

 

 彼女はこうして目を閉じてから数時間はこのままだ。時間の感覚など忘れ眠ったように目を閉じている。だが本当に彼女は眠っていないのだ。

 では何をしているのかというと、彼女の意識はここにはない。“世界”に属している彼女は意識を飛ばして他の世界の様子を見る事が出来る。現在彼女は世界の境界を跨いで無限の平行世界の海へと飛び込んでいた。

 そして彼女は長い旅を終えて戻ってきた。

 ぴくりと瞼を動かしたかと思うと、ゆっくりと瞼が開かれて黒い瞳が現れてくる。その様子は眠りから覚めた小さく可憐な少女のようだったが、彼女の表情はどこか不機嫌そうなものだった。

 正座していた足を崩し、左側にあった肘掛に腕を乗せて頬杖をつくと、置いてあったグラスに手を伸ばす。すっかり温くなっているフラヒヤ酒をゆっくりと喉に流し込んでも、彼女の表情は柔らかくならない。

 彼女が好む酒なのに彼女は表情を変えない。セルシウスよりはマシとはいえ、普段の彼女はなかなかの無表情さで通っている。人と話す際は様々な笑顔を見せてくれるが、そのどれもが冷たい笑顔だというのが彼女――菜乃葉らしい。

 柔らかい笑顔なんてものを見せない彼女は好きな酒を飲んだのならば、一人の時くらいは見せてくれるのだが……それもない。それを浮かべる余裕もないほど菜乃葉は機嫌が悪いようだ。

 カコーン……と一定間隔で鹿威しが音を立てる中、フラヒヤ酒を残して口を離して菜乃葉は「……そう、そういう事」と自分でも聞こえないような程に小さく独り言を漏らす。

 時が止まったかのように菜乃葉は動きを止めた。

 

 カコーン。

 

 しかし時は止まっていない。鹿威しが音を鳴らして時を刻んでいる。

 

 カコーン。

 

 ここには彼女以外に誰もいない。世界の狭間に作ったこの空間が彼女の世界であり、ほとんど誰も訪れる事がない場所。例え誰かがやってきたとしても彼女が許さない限りは入る事が出来ない。

 それでも入ってくるのはあの少女ぐらいなものだろうが、菜乃葉は追い返すような真似はしない。一応迎え入れて酒を飲み交わしながら用件を聞くぐらいの対応はしてみせる。

 だが彼女が来ないとなれば、大抵ここにはやはり菜乃葉一人。ある程度の広さを持つ純和風の屋敷で、一人で幾多の時間を過ごしてきた。それはもう……数えるのが億劫になる程の時間を。

 

 カコ――ガシャン!

 

 鹿威しの音をかき消すような音が響いた。見れば菜乃葉が手にしているグラスが握り潰されていた。残されていたフラヒヤ酒で右手は濡れ、所々破片が突き刺さっていて痛々しい。

 だが血は僅かに漏れるだけであり、破片は宙に浮かんで抜け、何の前触れもなく溶けていく。酸があったわけではない。突然氷が溶けたかのように破片が消えていったのだ。

 破片が突き刺さっていた傷口からは滲み出るように血が出てきたが、すぐに血が止まってしまい、傷口も塞がってしまった。普通ならばグラスの破片が小さな少女の手に突き刺さってしまえば大きな痛みがはしり、傷口もひどいものになるだろうが彼女にはそれがない。

 その事から見ても彼女が普通じゃないというのがよくわかる。

 そんな菜乃葉が不機嫌な表情を更に歪め、小さく舌打ちする。

 

「あの女狐……やってくれたわね。まさかあれと入れ替わろうとは思いもしなかったわ」

 

 彼女が見てきた世界は昴達がいる世界の根源となった部分。それに加えて時間も遡って過去へと飛んでいった。そうして見てきた世界が彼女をこうして不機嫌にさせてしまっている。

 頭に浮かんだ一人の人物。それが大きな違反を犯したのだ。普通ならば出来るような事ではないし、それに気づく事もないのだが“世界”に属している菜乃葉ならば気づく事が出来る。

 

「それにしてもこの事は当然あの(ひと)も知っているはず。知っていてなお見逃すという事は……やっぱり人の歴史だからかしら。たった一人の人間の存在を奪って成り代わり、新しい歴史を作ったとしてもどうということはない、ということね」

 

 とはいえその歴史は世界にとって大きな意味をもたらすものなのだが……それを知らないはずはないのだ。何せ彼女はまさしく頂点に位置する存在。菜乃葉以上の存在なのだからどうにか出来るはず。

 しかしそれを無視するという事は、本当にどうでもいいという事になる。例えその成り代わった人物が歴史を大きく改変したとしても、だ。

 あの女性が許さないのは世界に大きな影響を与える事象。世界のバランスを崩壊させたり、必要以上に技術が発展したりした際に粛清を行う。それは天災であったり、あるいは伝説種を派遣したり……自分が出向かわずに何かの形でそれを行うのだ。

 彼女自身が最後に出てきたのは数百年か、あるいは千年以上昔か……それほどまで彼女は姿を現さない。自分の駒を使って世界各地に派遣させ、自分自身もその目を使って世界を監視しているという。

 目的は世界の安定。

 あるいはイレギュラーの殲滅や人族の殲滅。その気になれば人一人だけでなく国家すら滅ぼすことだって可能だ。

 そんな彼女が成り代わりを見逃すだけでなく、歴史の改変すらも見逃す。それが菜乃葉にとって許されざることだというのに。というよりも今あの世界に伝わっているあの技術の根源を広めた人物が、あの“女狐”だとどうして今まで気づかなかったというのか。

 歴史上で語られるあの人物はそれはそれは大きな偉業を成し遂げ、普通の歴史書だけでなくその技術が関連する書物でも多く名前が載っている。人間でありながらもその生涯にわたってその技術を広め、死してなお称えられる人物。それがよもや“女狐”だったなど……今まで気づけずにいた自分が不甲斐ない。

 

「…………チッ、本当に不愉快ね……。こんな形で……全ての始まり、どうしてああなったのかを知る事になるなんてね……」

 

 ぶつぶつと呟きながら菜乃葉は立ち上がって歩き出す。部屋の出口である障子を開けて廊下に出ると、奥の方へと歩いていく。その途中でいくつかの部屋の扉が見られたが、どれもスルーして一番奥の突き当りの部屋を目指して進んでいった。

 その部屋は今まで見られた障子によって開かれる部屋ではなく、木製の普通の扉だった。外開きの作りになっており、ドアノブに手を掛けて部屋を開けて中へと入っていく。

 広さはなかなかのものだ。一般的な部屋を二つ繋げたくらいの広さになっている。机や椅子に本棚をはじめ、箪笥にベッドなどの生活するうえで置かれるであろう家具が設置されていた。

 だが菜乃葉一人で生活するにしては箪笥の数が少し多く感じられるし、設置されているベッドが大きすぎる。ダブルベッドをまた少し大きくしたくらいのベッドで彼女が一人で寝るとは考えにくい。

 しかも置かれている枕が三つもあるのだ。二つ多い枕が意味する事は何なのか。

 また、その大きいベッドの近くには化粧台が置かれているが、それが使われている様子がない。いや、化粧台だけではない。箪笥もここ最近開けられた様子がないし、本棚もまるで本の位置が変わっていないかのように綺麗すぎるほど整頓されている。

 そう、ここには生活しているという空気がまるで感じられない。

 

「…………」

 

 そんな部屋に入った菜乃葉が目指したのは部屋の隅にぽつんと置かれているそれ。この広い部屋にそれは静かに鎮座していた。

 仏壇である。

 そこに飾られている四つの小箱と二つの絵。それが語るのはただ一つだろう。

 小さな引出しを開けて箱から線香を取り出して火をつけ、そっと仏壇に添える。そうして仏壇の前で正座すると静かに黙祷を捧げて手を合わせた。

 彼女は普段からこの異世界に存在し、気の向くままに様々な世界を巡っている。その為墓を作る事は出来なかったため遺骨を持って帰り、この部屋の仏壇に供えている。形見の品もこの部屋のどこかに備えられており、いうなればここが彼らの墓といってもよかった。

 飾られている絵は二人の肖像画だろうか。どちらも黒い髪をした東方人だった。恐らく菜乃葉の黒髪はこの二人譲りのものだろう。

 しかし小箱の中に遺骨が入っているならば、四つに対して二つの絵しか飾られていないのはどういう事なのか。絵が二枚しかなかったのか、あるいは飾っていないのか。何にせよ飾っているのは両親の絵のみ。

 

「…………」

 

 静かに瞳を開けた菜乃葉は傍にあった小棚の上に視線をやる。そこにもまた絵が三枚飾られていた。

 あの世界には写真というものが存在しない為、何かを残すためには絵しかない。あまり絵を描かなかった、または描かせなかった両親が残した絵がその三枚だったといってもいい。他にも何枚かあったようだが菜乃葉はその三枚を回収し、この部屋に飾っていた。

 一枚目は三人の絵。

 普段着としている和服を着た父親と母親が並び、母親は赤ん坊を抱いている。それは我が子を大切に想っている両親の姿を描いた絵だった。

 二枚目もまた三人の絵。

 しかし一枚目と違ってその赤ん坊は少し成長している。そう、今ここにいる菜乃葉と同じくらいまで成長した菜乃葉が、両親の間に並んで立っている絵。後ろにはその時暮らしていた家が描かれており、まさに一家揃っているという事を感じさせてくれる絵。

 三枚目は五人並んでいる絵。

 今までの三人に加え、一人の女性とその娘らしい姿が描かれている。後ろの中心に父親、その左側に母親。そして父親の右側にその女性が立ち、三人の前に菜乃葉と女性の娘が並ぶという構図になっている。

 菜乃葉と娘は同い年くらいの外見をしており、また二枚目の絵の時からまた数年経っているらしく、だいたい15歳くらいの年齢を思わせた。

 また家も変わっているらしく、家の周りは森のように思える。それはまるで森の中にぽつんと建っている事を思わせた。

 

「……父さん、母さん……あれから何年経ったかしらね。本当に……長すぎて数える事すらバカになるくらいの年月だったわ」

 

 生まれ育った世界を離れて……いや、それ以前にあの事件が起こってから数えて幾星霜。寿命という概念から離れた存在となってしまった菜乃葉は既に数千年の時を生きてしまっている。

 両親の顔を忘れそうになる程の時を過ごしているが、この絵があるからこそ菜乃葉は顔を忘れずに済む。……いや、平行世界を見てしまえば生きている世界があるからそれでも済むのだが、それでも菜乃葉は時折気が向けばこの部屋を訪れている。

 そして顔を認識するだけでなくあの事件を思い出すのだ。

 忘れそうになってもここに来れば思い出す。両親が死んだ……いや、殺されたあの日の出来事を。

 

『クク、流石と言ったところか。だがこのまま黙って終わらせるわけにはいかん。菜乃葉、お前は生きろ。楓と共に生き延びるんだ』

『……ここは任せなさい。お前たちは早くここから逃げろ』

『そうそう、あたしたちに任せなさい。子供を守るのが親の務めってね』

 

 そう言って三人の親たちが肩越しに振り返って笑顔を見せた。普段は笑わない母親まで、それも我が子をとても大切に想っているかのような、柔らかくも頼もしい笑顔を見せてくれた。

 だが、逆にそれが菜乃葉の記憶に鮮明に刻まれることになってしまった。あの瞬間の光景と、その後の結末までは数千年経た今でも覚えている。忘れる事なんて出来なかった。

 

「本当に、今さらよね……。どうしてあれが起こったのか、その原因なんてわかりきっている事だというのに。……でも、ある意味その原因となる根源が……よもやあの女狐だったなんてね。知ってしまったとしても……どうしてかしらね、不愉快には感じているけれど、そんなに衝撃がないのよね」

 

 自嘲するような笑みが漏れて出た。

 両親が殺された原因は当時からわかりきっていた事だ。だからこそ三枚目の絵にある通り、隠れ住むようにして暮らしていた。でもその居場所が見つかり、両親だけでなくあの二人も殺されてしまい、自分一人だけ生き延びてしまった。

 どうして殺されたのか。

 それは自分達があの時代には許されない存在の一角になってしまったからだ。適応されるのは母親とその娘である自分だが、纏めて殺されることになった。あの二人すらも対象内とされて。

 どうしてそんな事になったのか。

 それはもはや人の心理が関わっていた。民衆はそれを恐れ、国もそれを受理して秘密裏に動きを見せたのだ。原因となったのはあの時代から更に前。

 各地を騒がせた存在と、それに呼応するように目覚めていくあの一族。その存在がついに許しておけないとされてしまったのだ。だが表だって処理するには、例え民衆が許したとしても一部は許されないと批判するだろう。

 だから国は秘密裏に動ける一族にそれを依頼した。

 暗殺。

 それに長ける幾つかの忍の一族にその血族を処理せよと通達したのだ。それを受け、その一族の長となった若き青年と、彼が率いる数人が隠れ家へとやって来て……自分達の命を狙った。

 復讐しよう、なんて気持ちはもう湧いてこない。それすらも忘れるほどの長い年月が経ったのだから。それに実行した奴らは全てあの場で返り討ちにしてやった。両親の死と溢れる大量の血が自分の中にあるその力を呼び覚ましてしまったのだから。

 怒りと憎しみと悲しみが入り混じる黒い感情の赴くまま、菜乃葉はただ暴走するように力を振るい、彼らを全員惨たらしく殺してしまった。それが彼女が“世界”の領域へと飛翔する第一の覚醒となる。

 

「今の私を見て、あなたたちは何て言うのかしら。……ふふ、そう言っても応えてくれないでしょうけどね。それに、私がこうして語りかけるなんて、今となっては性に合わないでしょうからね。そう、私はもう……あなたたちの娘だった菜乃葉じゃなくなった」

 

 自嘲じみた笑みが消え、そこに現れたのはいつも見せるような冷笑だった。最後にぺこりと仏壇に向かって頭を下げ、菜乃葉は立ち上がって部屋を後にしようとする。しかし扉を開けて立ち止まり、何かを考えるように小さく小首を傾げる。

 しばらくして肩越しに振り返るとその黒い瞳がゆっくりと動いてその部屋を見回した。一人で暮らすにしては無駄に広いその部屋。その姿を焼き付けるかのように菜乃葉は部屋を見回し、最後に飾られている三枚の絵を見つめて薄く微笑する。

 

「……じゃあね。次に来るのはどれくらい先になるかはわからないけど……ま、久しぶりに行ってくるわ」

 

 そう告げて菜乃葉は扉を静かに閉めた。扉の前で目を閉じて一息つくと、顔を上げて表情を引き締めて長い廊下を歩いていく。その表情は決意を固めたかのような凛々しい表情だ。年に似合わないその表情を見せるだけでも菜乃葉としては珍しい。

 先ほどスルーしていた一つの部屋の障子を開けると、そこはさっきの部屋を縮小したような和装の部屋だった。壁にかけている黒い下地に月下に佇む獣を描いたマントを手に取り、翻して身を包む。また小棚の引き出しを開けて一つの小箱を取り出し、そこにしまわれていた藍色のリボンを手にする。自然に流されている黒髪を左側に纏めてそのリボンで結び、サイドポニーを作り上げる。

 また開けられている引き出しにはもう一つの小箱があり、それも取り出して中にしまわれているリングを手に取った。シルバーで出来たシンプルなリングであり、中心にはサファイアが嵌められている。年月を感じさせるように少し古ぼけているそれを左手の中指に通し、ぐっと左手を握りしめる。

 これで準備は完了した。

 こうしてこれらを身につけるのもどれくらいぶりだろうか。でもこれで少しは気も引き締まる。

 その部屋、菜乃葉の私室を後にして次に向かったのは先ほどの居間。鹿威しが相変わらず音を響かせる部屋へと戻ってくると、置かれているフラヒヤ酒の瓶を手に取って中身を一気に飲み干すようにラッパ飲みする。

 白い喉が音を鳴らしながら動き、そのほんのり甘い味のする酒を味わう間もなく胃に流し込んでいく。好物の酒だなんてことは関係ない。今はただ自棄になったように酒を飲みたい気分であり、それで頭を目覚めさせたかった。

 彼女は酒で酔うなんてことはない。含まれているアルコールはただの味のアクセントでしかならず、ほろ酔いも泥酔も経験がなかった。だからこのラッパ飲みもまた酔わせるためのものではなく、一気に飲み物を胃に流し込むことで目を覚ましつつ、気を引き締めるための要因でしかない。

 

「……ふぅ」

 

 半分ほど残っていたフラヒヤ酒を一気に飲み干すと、瓶を置いて口元を拭いながら息を大きく吐く。ほんのり甘い香りが漏れるが、菜乃葉は本当に酔っている様子がない。そんな彼女が指を鳴らせばちゃぶ台の上に一つの地図が映し出された。

 昴達がいる世界、ドンドルマのある中央の地図だ。それに視線を向けながら菜乃葉は思考する。

 

(さて、現状はもう締めに入りかけているといったところかしら。朝陽の計画も終盤だし、あれもそろそろ本気になる頃でしょう。まもなく駒達はシュレイド地方に集結、かしらね)

 

 様々な因縁が孕むシュレイド地方。そこはまた戦場になるだろう。

 どうやら王家も動き始めているらしいから事は大きく動くか、あるいはそれすらも飲み込んで計画が動くか。

 

(それにあの(ひと)も微妙に動いていたわね。ま、ほんの少しだけ手を出しただけだったけれど、あの女もこの事態をずっと監視しているって事なのは間違いない。……私も下手をすればやられる可能性があるでしょうが……それでも最後の時までは監視する側っていう可能性が高いかしら)

 

 事の流れを眺めて気づいたことだが、彼女があの世界で手を出したことを確認したのは二度目か。あそこで手を出したのは何故かと推測すれば、あの少年に死んでほしいのかあるいは更に力を解放してほしかったのか……どちらにせよ結果が出てしまった。その結果を見てどう思っているかなど菜乃葉にはわからない。

 何せ実際に会ったことがないのだ。どんな容姿をしているのか、どんな声をしているのか、そしてどんな事を考えているのか……何もかもがわからないのだから彼女の心を図る事なんて出来やしない。

 ただ存在が伝えられ、その力の片鱗をいくつか見るだけで勝てない、と感じるほどまでに彼女の実力と立場がどれだけ強く、上に位置しているのかがわかる。そして他の“世界”に位置する者達も極力彼女と敵対しないところからもうかがえる。

 とはいえその彼らが今回出てこないというのはもうわかっている。この世界の出来事に関わっているのは自分とあの少女、そして彼女の三名。夢幻と呼ばれる者は今は不干渉だろうが、いつ横槍を入れるかがわからないから様子見でいいだろう。

 

「……これは最早ただのゲームじゃなくなったわ。重大なルール違反を犯された以上、私も傍観するだけでは終われない。……私の目的を達成させるためにもね」

 

 色々裏で動いていた菜乃葉だが、彼女がそうしているのはある目的があるからだ。その為に獅鬼を使って鍵を集めさせ、時折世界に降りてちょっかいかけているが、最終的には目的に達成できるように少し誘導している。

 また寿命から解放されているから長い目でその目的達成を眺めるため、別の平行世界で何度か始まりと終わりを見てきている。その数は十を下るかあるいは超えるか。それだけのパターンを試してきているが、今もこうして眺めているということはその全てが目的達成には至れなかったという事になる。

 その失敗例を残した世界ではどんな出来事があったのか、それを知る事は出来ないだろう。それは文字通り“それはまた別のお話”なのだから。

 だが今回の世界はあの少女とのゲーム盤ともなった。そして今もなおゲームが続いているのだが、この世界だけでなくいくつもの平行世界の根源となった過去の世界で大きな変化を起こしている。

 ゲームをしにきたというのに、あの少女はそれ以前に歴史を改変していた。どういう思惑があって歴史を改変したのかはわからないが、それをしておいた上でゲームをしに来たという事になる。

 言うなればチート。それを行った上でゲームを開始している。

 とはいえ菜乃葉もまた獅鬼を使って前もって手を回してゲームを開始しているのだが、あの少女の行った事に比べればかなり軽いものだ。だが違反は違反。あの女が許しても、対戦相手である自分が許さない。

 それに歴史改変云々以前に彼女は既にゲーム盤に入り、とある人物として行動している。とはいえその人物以上の動きはあまり見せていないようだ。きちんとその人物を演じ、怪しまれないように注意して動いているようなのだが、気づかれないように裏で何かをしている事を否定できない。

 何せ人を欺く事に関しては他の誰よりも群を抜いており、有り得ない程の腕前となっているのだから。それは元々の種族や祖父母に当たる存在が異常なのだから仕方がない。いうならば彼女もまた菜乃葉と同じく血統による力の恩恵がある。

 この自分がどうして歴史改変に今まで気づかなかったのか。それは彼女の欺き方が尋常ではなかったからに他ならない。

 

「――、あまり調子に乗るんじゃないわよ。私もずっと傍観者でいられるほど甘くはないのだから」

 

 彼女の名前を呟きながらもう一度地図に視線を移し、鹿威しが鳴る庭園へと視線を移せば、その一角の景色が歪み始めた。歪みは宙に現れ、黒い渦となって少しずつ広がっていく。その先にはまるで夜空に浮かぶ星のようにいくつもの光が散らばっていた。

 それは無数の異世界の欠片。断片的ではあるが、その欠片からはその世界の一部が見る事が出来るという。その渦に向かって菜乃葉は歩み始める。

 そう、その渦は世界を渡るための(ゲート)にして入口だ。その渦に飛び込めば意識を飛ばして世界を渡るのではなく、その体で世界を越える事が出来る。もうこの行為は慣れたものであり、多く消費するであろう魔力もそんなに減っていなかった。例え多く減ったとしても菜乃葉は涼しい顔をしているだろう。

 

「さあ、行きましょうか」

 

 今までも何度かあの世界に降り立っているが、そのほとんどは精神だけの存在として獅鬼に会いに行くか、あるいは様子を見るだけだった。

 しかし今回は違う。

 傍観者である事をやめるため、その世界の出来事に多少なりとも介入していく事になる。

 以前までとは違う旅になりそうだ。しかし菜乃葉は表情を変えることなく渦の中へと入っていく。その先にあるのは無限に広がる平行世界と異世界の欠片が浮かぶ海。その中の一つの光に近づけば、その光の強さが増していき菜乃葉を包み込んでいく。

 やがて菜乃葉の体がその欠片へと吸い込まれていき、その海には誰もいなくなった。

 

 

 傍観者だった彼女が動く。それはどれだけの変化をもたらされるのか。それは誰にもわからない。

 だが彼女が動いたと感じ取る者は存在する。

 ある少女は世界の中にいてそれを感じ取った。ぴくりと瞼を動かし、顔を上げて薄らと笑みを浮かべる。だが演じている人物が人物であり、時間帯が時間帯のため仕事をしなければならなかった。

 すぐに顔を戻して前を向き、にこりと笑顔を浮かべてやってきた客人を迎えていく事にする。

 

 そしてもう一人。

 彼女もまたどこか謎の空間にてその様子を窺っていた。だが特に表情を変えることなく軽く手を振って場面を切り替えた。彼女の前にはいくつかの鏡が存在しており、それぞれ別の場所を映し出している。

 その全ての様子を彼女はその煌めく紅い目で見まわしていた。

 ある画面では三人の男女が修行をしている様子が映されている。あの日から毎日修行を続け、時にクエストを受けて実戦でその結果を反映させている。どうやら少しずつ力を付けているようだ。

 ある画面では鍛冶屋が映し出されている。新しい武器開発をしている少女の姿や、武器を手にした二人の男女が裏で補強された武器を試している。

 また別の画面には広場で鍛錬をしている様子が映し出されている。そこには数人のハンターがそれぞれ組み、武器を打ち合わせて戦っていた。幼い少女もその場に居合わせており、彼女達も戦っている。少しでも力になりたいと願っているのだろう。

 

「……種は育ちつつあるか。小さき者達もなかなかの成長を見せ始めたものよ」

 

 そしてまた別の画面。旧シュレイド城ではまた彼らが訪れている。

 神倉獅鬼に獅子童雷河、アイルーの焔と彼女が連れているサラマンドラ。前に一度訪れてこの場所に描かれた魔法陣のチェックを行っていたようだが、彼らに何かできるはずもない。

 これは最早普通の魔法使いに手を出せるようなものじゃないのだ。魔法の才能がほとんどない獅鬼が来たところで意味はない。例え神倉月だとしても、力を得て効果を発揮し始めているこの魔法陣を完全に消し去る事は不可能だろう。

 しかしそれでも彼らは訪れた。自分達に何かできないだろうかと。また雷河がアキラについて報告しているようで、獅鬼が魔法陣を調べながらも耳を傾けている。

 

「神倉四季も頑張っているようだがまだまだぬるい。あの小娘も動いているようだがそれでも足りぬ。……だが、それでも抗うのがヒトというものか」

 

 人というものは困難にあたって散るか、はたまたそれに抗うかでわかれる。散るならば変化はない。そのまま飲み込まれるか変わらぬまま時を過ごすか。だが抗うならば力及ばず同様に飲み込まれるか、抗って新たな道を切り開くかにわかれる。

 新たな道というのは何事も万物にとって良いものとは限らない。その者にとっては良い事でも、別の者にとっては悪いことだってあり得る。

 例を挙げればシュヴァルツ。彼らはモンスターだけでなく伝説種にも対抗しうる力を持つ一族だ。多くの人にとってそれは大きな希望になったことだろう。だが同時に恐れも孕むこととなったのは皮肉なこと。

 このシュヴァルツは本当に計算外、想定外の出来事であった。よもや一部の魔族があんな進化を遂げる事になろうとは思いもしなかったのだ。彼らの存在はあの世界の人族にとっても、自分にとっても大きな障害となる。

 何せ実力がある者ならば伝説種にすら対抗しうる戦力になる。自分にとってこれほどまでに目障りな存在であることは間違いない。だからこそ潰しておきたいというのが普通だろうが、彼女はそれを実行しようとする様子がない。

 むしろ野放しにして動向を眺めているように思える。伝説種を潰しかねない程の領域にまで届く可能性があるあの少年達を野放しにする理由。

 

「しかし、それでも世界は無情なものよ。力を得れば得るほど……将来的には全て自分にはね返ってくるというのに」

 

 それは先を見据えた上での判断だった。今潰すよりも泳がせておいて、未来で起こる出来事で自然と消滅していけばいい。その可能性があるのだから、自らの手で潰すよりもそうなるように促していけばいいという考えだ。

 シュヴァルツに関しては様子見、闇に関してもこのまま見送る形だ。調整の必要は今のところはない。後は事の流れを傍観するのみ。

 

「……ああ、お前の出番はまだ先よ。まだ闇が足りないから意味はなかろう」

「…………」

 

 彼女の右側に浮いている黒い鏡に映るものが小さく唸る。それは黒い存在だった。鱗と甲殻、更に翼や角に尻尾に至るまでがすべてが黒い龍。狂化竜のように漆黒というわけではない。奴らとはまた違った黒さを感じる。

 吸い込まれそうな闇を思わせる漆黒ではないが、不安を煽るような闇の黒さが全身を覆っている。だがその黒の中に一点だけ違う色が混ざっている。

 瞳だ。

 その瞳は金色に輝き、その闇の中で煌めいている。

 その存在がいる場所は光があまりなく、その黒い体と相まって闇の中に溶け込んでいるかのようだ。しかしその金色の瞳が闇の中に光を灯している。ぎらつく瞳を動かしながらそれは唸り続けている。

 彼女に止められてもなお動きたいと声を上げているのだ。ここに入ってから数十年。最後に動いたのはどれほど昔だろうか。彼女の駒として誕生し、指令を与えられて世界に降臨し、仕事を終えてまた戻って眠る。それの繰り返しだ。

 久しぶりに体を動かしたいとでも言っているのか、あるいは血と肉を喰らいたいと言っているのか……それは彼女にしかわからない。

 

「なに、そう遠くない未来あそこに降り立てる。その時を待つのだな。今はただその時に備えて眠るといい」

「…………」

 

 その言葉に従い、それは瞳を閉じて眠り始めた。それを見届けて彼女は一息ついて並んでいる鏡に視線を戻す。そこに映る人物たちを一通り見回すと指を鳴らして画面を消した。

 

「さて、どうなる事やら。あまり余の手を煩わさないで欲しいものよ。小娘達の児戯に付き合わされては余としても堪らぬのだからな」

 

 椅子に深く腰掛けて肘掛に右腕を乗せて頬杖をつく。すると彼女の周りに光が広がり、その場の空間が見えるようになった。

 そこはまるで玉座のようだった。腰かけている椅子も王が座るような豪華な造りになっている。彼女の前に浮かんでいたいくつかの鏡が一か所に集まり、椅子の近くにあった小棚に積み重なっていった。

 そして彼女のその姿。白い長髪に真紅の瞳。艶やかな色香を放つ妙齢の女性のようだ。白いドレスに身を包み、椅子に深く腰掛けるその姿と雰囲気からまさしく彼女が王である事を証明している。

 だがここには彼女以外の人の気配はない。あの存在は彼女の駒ではあるがこの場には存在していない。つまりこの場には彼女一人だけ。しかしそれでも彼女は王だ。そして同時に世界を監視する存在でもある。

 

「しかし児戯は児戯なりに愉しめるものがあればよい。退屈凌ぎになればよいが、ほどよい刺激となれば余は退屈せずに済むのだがな。……その点に関しては、あの小娘が入ったことで多少なりとも面白くなるか」

 

 彼女もまた菜乃葉や少女と同じく退屈を嫌う。長く生きていれば色々と経験を積み、様々な光景を見てくるため、そう簡単には刺激とならない。それに彼女は菜乃葉以上に生き続けているのだからほとんど愉しみを見いだせないでいる。

 だからほとんど同じような展開になってくると飽きてきて少し鬱になるか、苛立つかの反応を見せ始めるのだ。それを解消するために一つの世界を気まぐれで崩壊させたり、別の運命を辿っている平行世界を傍観したりする。

 後は事の流れを眺めつつ、手を出すか出さないか。粛清するか見送るか。それを考える事になる。大抵は見送りになるが、時折駒を派遣して細部を探らせる事もあるらしい。

 もちろん今回のゲーム盤にも彼女の駒が派遣されている。菜乃葉達がゲームを始める以前からその駒はあの世界に存在しており、誰にも気づかれる事なく彼女へと情報を与えていた。

 あの駒もこの先役立ってくれるだろう。そう感じながら彼女は瞳を閉じた。

 その赤い唇は一文字に結ばれているが、その端で小さく歪められている。児戯と称しているし、この展開も平行世界で何度も見てきている。そう、菜乃葉の試行錯誤の様子も彼女は眺めていた。だから見慣れた展開になるだろうが、今回は菜乃葉とあの少女もあの世界に降臨する。

 それだけでも多少の楽しみがあるというものだ。

 

「さあ、見届けさせてもらおうぞ、小娘達の児戯の結末を。……そしてヒトはどこまで戦えるのか。今回は果たしてどのような結末になるのか。無限の可能性を持つヒトの一つの行方、せいぜい愉しませてもらおうぞ」

 

 薄い笑みを浮かべながら彼女は静かに眠るように呼吸を落ち着かせた。そして彼女の意識はここから消える。菜乃葉と同じように意識が平行世界の海へと飛び込んでいる。そうして海の中に存在している一つの欠片へと飛び込んでいった。

 

 

 力を付けるために修行する者達は少しずつ道を見出して突き進み、人と実力という名の高みという空へと舞い上がる。それぞれの目的を遂行するだけの実力を持ち合わせるために。

 だが敵となる狂化竜もまた各地を目指して飛翔する。数こそ減らしてはいるが、その質は以前のものとは比べ物にならない。そんな狂化竜を相手にしていくのだから彼らは力を付けなければならないのだ。

 また狂化竜を生み出す彼女も少しずつ動き出す。数百年の願いを叶える為に、力を更に付ける為に。そんな彼女の裏で彼も動く。全てを隠し、その内に目的を秘めながら。

 だが事態は誰も知らぬ所で動き出す。

 傍観者に徹していた菜乃葉はこの世界に降り立ち、どこかへと潜入した。

 対戦相手の少女もそれに気づき、動くのか相変わらず演じながら事を眺めるのかはわからない。しかし菜乃葉が動くという事はついに知ってしまったという事に気づいただろう。それでも笑みを消さないのは前もって予測がついていたからに他ならない。

“世界”に属する者達が動いたことでどのように変わるのか。それは誰にもわからない。しかし気づかないからといって昴達の行動は変わらない。少しずつ力を付けてその時に備えて準備をするのみ。

 

 さあ、次の局面へと移るとしよう。

 ゲームはまだ終わっていないのだから。

 

 

【第2部・完】

 

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