王都ヴェルドの北、小高い丘状になっている地形にそれはある。
代々の西シュレイド国王が座する場所、西シュレイド城。その門の前にレインとサンはやってきていた。
ヴェルドの入口となっているあの門も高く、分厚く作られていたが、この城内部へと繋がる門も同様だ。西シュレイド王国の紋章が刻まれたその門は来るものに強いプレッシャーを与えてくるかのよう。
ドンドルマでは名家に数えられるスカーレットの子である二人といえども、一国の王の前に出た事は今までない。ドンドルマの長である大長老の前で報告した経験はあるが、彼と一国の王は同じようで違うだろう。
長き時を生きる魔族の巨人種である大長老と、代々受け継がれた王家の血筋を引く一国の王。どちらも礼儀を欠いてはならないが、作法などが違うのではないだろうか。
名家の生まれであるためある程度の礼儀や立ち振る舞いなどを仕込まれてはいるが、それでもどこか緊張がぬぐえない。
隣に立つサンも表情には出ていないが、僅かな緊張を感じさせている。彼女もまた一国の王に謁見する経験がないため、王の前で失礼のないように気を付けようと自分に言い聞かせ続けているのではないだろうか。
「レイン・森羅・スカーレット、サン・森羅・スカーレット。ただいま予定が確認され、城に入る許可が出た。通るがいい」
一国の王が住まう城だけあって容易に中へと入る事は出来ない。門の前には二人の門番が立ち、交代制で二十四時間警備をしている。彼らに用件を伝え、それが受理されなければこの中へと入る事は許されない。
数分待たされたが、これも城の平和を守るためだ。
重苦しい音を響かせながらゆっくりと門が開かれていき、城内部へと繋がる道が解放される。二人は揃って歩き出し、西シュレイド城へと入っていった。
門を潜ったからと言ってすぐに城へと入れるわけではない。手入れされた庭園を突き抜けるように数百メートルの直線の道を歩いた先に城の内部へと入る扉がある。
庭園を軽く見渡せば庭師が数人見かけられ、それぞれ花壇や木の手入れをしているのが窺える。
他にも兵士もぽつぽつと見かけられ、何かを話している様子も見られる。王宮へと向かうためにこうして歩いているが、少しだけ意識してみるだけでその会話を耳にする事が出来た。
「俺達さ、今こうして防衛のために配置されてたりするけど、いずれは前線に出る事になるんだろうな」
「……だろうな。ハンターだけで何とかなるって感じじゃないだろう。くそっ……いったいどうなっているんだよ……」
やはり兵士達の間でも不安は拭えないらしい。このまま事態が収束しなければいずれ自分達も慣れない飛竜戦、それも狂化竜を相手に戦いに出るのかもしれないという予感があるようだ。
サラマンドラなどに騎乗する騎竜兵や遠距離から銃撃する狙撃兵、魔法を行使する魔法兵はまだしも、歩兵となれば命の危険が他の兵達よりもかなり高い。もし彼らが歩兵ならばその不安もうなずける。
他の場所に目をやれば別の部隊に属していると思われる兵がおり、彼に向かって一人の兵が近づいて何かを報告し始めた。
「サラマンドラに乗せる鞍の件なんですが……少し問題が」
「どうした?」
「発注している鞍を運ぶ部隊があの狂化竜とやらが確認される場所にルートが通っているらしく、届くのが遅れるそうです。……しかも鞍を作るための材料が足りず、求める数には少々届かないとか」
「むむ……そんな所にまで影響があるか……。別の鞍を発注しようにも、西シュレイドでウェスタン製を作るのはあそこだけだからな」
どうやら騎竜兵の一人だったらしい。狂化竜の一件で物資搬送に不具合があるようだ。もちろんこの一件だけでなく各地を回る行商人や、村から町へと届けられる商品にも遅れが発生するなども見られる。
地方の名産品を売りにしている村が狂化竜によって崩壊すればその品は出回らず、物が届かなければ商売にならないだけでなく、数も限定されるから当然その値段も変化する。
こういった現象は一般人だけでなく、軍に対しても影響が出ているようだ。彼らはハンターと違って自分で必要なものを取りに行く事があまり出来ないため、物資がなければ戦う事も出来ない。
実質的な脅威だけでなく、間接的な所でも影響をもたらす狂化竜。やはり早々に片をつけねばならない。
城前に佇む二人の門番はレイン達に気づくと、軽く観察するように上から下まで視線を巡らせた後、一人がレインへと声をかける。
「今日登城してくるギルドナイトか?」
「ああ。レイン・森羅・スカーレットと妹のサンだ」
「話は聞いている。今案内を務める者を呼んでくるので、少々待たれよ」
そう言って中へと入っていくのを見送った二人は軽く表情を引き締めながら待機する。もう一人の門番も無表情に自分の持ち場から動かずにそこに佇んだままだ。その手には槍が握られ、自然体でそこにいるが特に隙は見当たらない。
何があっても即座に攻撃態勢へと入れるようなその佇み方は心得があるという事を窺わせる。
庭園を漂う柔らかな花の香りを感じながらそう長い時間を待たず、先ほどの門番が一人のメイドを連れて戻ってきた。
栗色のショートボブがよく似合う少女だった。薄く開かれた碧眼がじっとレインとサンを見つめている。そしてぺこりと一礼すると、あたかも瞳を閉じたかのように思える程目を細め「謁見の間までご案内いたします」と抑揚のない声で言う。
見た目に反してクールな少女だな、とレインは思いながら歩き始めたメイドの後をサンと一緒についていく事にした。
王族が住まうというだけあってその内装は、実に煌びやかで広々とした空間を作り上げている。天井にはシャンデリアがぶらさがり、窓には清潔感溢れる白のカーテンが掛けられ、床は赤い絨毯が敷かれている。
こういう内装は実家が名家であるレイン達も多少馴染みがあるが、それが城の物となると若干印象が変わるような気がする。辺りには城で働くメイドだけでなく、城を警備している兵達もよく見かけられる。
中にはギルドナイトが城にいるという事でちらりと視線をよこしてくる者もいるが、いつものようにスルーする事にする。
階段を上って二階へと上がり、奥へと進む廊下を歩いている間も前を行くメイドは口を開かず一定の速さで歩くだけ。すれ違うメイドや兵だけでなく、王に仕える学者などがいた場合は会釈をしているようだが、レインとサンには何も語らない。
ただ二人を“案内”するという仕事を果たしているだけなのだが、どうにもやりづらい。
あまりこういう空気に長く居たくないという思いが通じたか、廊下の向こうに謁見の間の扉らしきものが見えてきた。もう少しで到着すると内心喜んだところで、別の廊下から現れた数人のメイドを連れた一人の女性が歩いてくることに気づいた。
案内しているメイドは彼女に気づくと、道を譲るかのように廊下の脇に控えながら恭しく頭を下げる。
その女性は一見すれば見惚れそうな程の美人だった。背中まで届く柔らかなウェーブ状になった銀色の長髪を流し、その上に銀のティアラを乗せている。純白のドレスに身を包み。なかなかのボリュームがある胸元にはサファイアのブローチが淡く光る。女性らしく穏やかな雰囲気を持つと同時に、高貴な者が持つ気配が感じられる。
(第一王女、アテナ・シュレイド……だったか)
彼女の事を思い出しながら、レインはサンと共にメイドにならって廊下の脇に控えながら頭を下げる。
彼女はジュピター王が成した三人の子供の一人、アテナ王女だ。三人の中で一番目の子供という事もあり、落ち着いた印象を醸し出している。そのまま歩き去っていくのかと思いきや、銀色の瞳がレインへと向けられた。
「……あら、そなたはもしかして今日お父様が呼び出したギルドナイトかしら?」
「はっ、お初にお目にかかります。レイン・森羅・スカーレットと申します」
「妹のサンです」
声を掛けられたため無視するわけにはいかない。頭を下げたまま答えるとアテナは微笑を浮かべたまま納得したように頷く。
ただ微笑むだけでも十分絵になるような美しさだ。これが王女というものか。
「
「はっ、承知いたしました。わたしどもも微力ながらも解決へと行動していく所存です」
「頑張ってください。そなたのような優秀なハンター達には期待しておりますわ。……もう少し話してみたいですがお父様がお待ちでしょうし、スピカの事もあるから私はもう行くわね」
スピカと言うと第三王女のスピカ・シュレイドの事だろうか、と考えながらレインは頭を下げたまま去っていく王女とメイド達を見送る。
あの通りアテナは成人した立派な女性だが、第三王女のスピカはまだ幼さが残る少女と聞く。末っ子ということもあって結構我が儘な王女だそうだ。この状況でも彼女は何かをやらかしてしまっているのだろうか。姉として注意しに行くのかもしれない。
さて、アテナ達が去っていった後、メイドはまた無言で歩き出して突き当りの扉までやってきた。他の扉と違って意匠が凝ったその扉には、西シュレイド王家の紋章が刻まれている。
ここが謁見の間なのだろう。
扉の脇にはやはり兵が二人控えており、レイン達を観察するように視線を巡らせた。「ギルドナイトの二人をお連れいたしました」とメイドが伝えると、小さく頷いて扉をゆっくりと開けていく。
その先には広々とした空間。赤絨毯の伸びる先には数段の階段があり、その先の中心にこの城の主である国王が座する玉座がある。だが今そこに誰も座っていない。まだジュピター王は来ていないようだ。
謁見の間に入った二人の後ろに案内してきたメイドが下がって一礼すると、「では私はここで失礼いたします」と告げて来た道を戻っていった。
「間もなく王様が参られるだろう。あそこで待つがいい」
兵の一人がそう言うと持ち場である扉の前へと戻っていった。残されたのはレインとサン、そして壁に控える数人の兵達だ。無表情に控えているようだが、レイン達が妙な動きをしないかどうか監視していると思われる。
二人は無言で前に進み出、階段の前で待機する事にした。
間もなくジュピター王が来られるだろう。改めて心構えをしておき、失礼のないようにしておくことにしよう。
宿で待機しているゲイルとアルテはそれぞれ昨日借りてきた本を読み進めていた。ゲイルは闇魔法対策の本を、アルテは『七つの禍の龍』をそれぞれ読んでいる。
昨日気になっていたものは何だろうとアルテは最初は黒龍について読んでいたが、小休憩をはさんだ後に本の最初のページから読み進める事にしたようだ。
世界に伝わる七種類の伝説種と、番外として災禍獣ヴァナルガンドについて書かれているこの本。伝説種について書かれている本と言うだけあって高価なものであり、伝説種と言う存在について知識を得るには十分な資料とされている。
最初に書かれているのは、ドンドルマ地方に遥か昔存在していた古都ギル・ガメスなどで確認され、国を滅ぼしてきた輝龍ミオガルナ。ここ数百……いや千年以上は確認されていない伝説に語られる龍だが、確かに存在したという証が遺跡などで見られるという。
次は東方で確認される冥蛇龍ディス・ハドラー。数百年単位で発展した国に襲撃し、崩壊へと導いた元ヒュドラ族の龍。最後に華国へ行った襲撃の際に、アクラ地方の方角へと撤退していき、それ以降姿を確認されていない。
西方で同じように国を滅ぼす龍として挙げられているのは煌黒龍アルバトリオン。一度東方の神域と呼ばれる場所で確認されたことがあるが、基本的には他の二頭と同じように西方を基本として古代から国を何度か滅ぼしてきた龍とされている。
「……三つの領域に三つの伝説種……」
それぞれの領域に存在する国滅ぼしの龍。それぞれ現れれば高確率で国が崩壊し、多くの犠牲をもたらしてしまう。勝利した事例は僅かしかないが、それでも勇敢に戦っていった戦士達と、ハンター達が存在していたからこそ得られた勝利と言える。
ただの飛竜と違うとされる古龍の一種であると同時に、その古龍よりも強大な力を内包するのが伝説種。人にとって最大の敵であり、越えなければならない最後の壁でもあるとされる。
だがこの三種では終わらない。
次に記されているのが、アルテが気になっている黒龍ミラボレアスについてだ。
主にシュレイド地方で話題に挙がるこの黒龍だが、古い記録を漁れば古代から世界中で確認されている。黒龍自身が強い闇を持ち、それを撒き散らしながら討伐に赴いた多くの命を蹂躙した挙句、その周囲に数十年……いや、百年超えても消えない強い闇を残していく。
また大きな戦争が長く続いた時に姿を見せるともいわれている。かの大戦も、それ以前に行われた戦争もこの黒龍が現れた事で終結されている。その現場はやはり大地は赤く染まり、長く根付く闇が包み込んだとされている。
またこの黒龍にはもう一つ似たような姿が確認されているという。
深い闇を感じさせる黒い鱗だけでなく、血のような、あるいは燃える炎のような紅い鱗をした姿があるという記録があるようだ。だが確認されたのは黒龍よりも少ない数であり、その姿を見て生き残れた数が黒龍と比べて極端に少ないため定かではない。
ただその姿が確認されたのは戦争現場だけでなく火山の奥でも見られたという記録もある。火山が噴火した際に噴き出される溶岩や岩を操り、降り注がせたという話もあるようだが、どうも信憑性が薄いとされている。
黒龍と姿が似ているが、その関連性は未だに不明だ。
そんなかの龍は紅龍として登録されているという。
「……うーん」
一応黒龍について最後まで通して読んでみたが、あのもやもやした感覚は消えない。相変わらず何かが引っかかるような気がするのだが、その何かはわからないままだった。
昨日のように左右に首を傾げてみるも思いつかない。仕方がないので続けて読み進めてみるとする。
ページをめくれば次の伝説種について書かれていた。
また頭の下に体の両側に伸びる巨大な翼を持ち、僅かに重なりながら生え揃う七対、合計十四枚の翼となっている。後ろに伸びる程少しずつ小さくなっており、総合的に見れば長く伸びた三角形のヒレのようにも見える。その色合いはまさしく虹のようで、赤から始まり紫に終わるという。
このように外見は記録されているが、最後に確認されたのが数千年前とされており、今ではどのような龍なのかは不明とされている。
次はリヴァイアサン。
太古の昔に大津波を発生させ、いくつかの国を海の底に沈めていった際にこの姿が遠くの海に確認されたというが定かではない。現在は深い海の底で眠っているとされているのだが、そもそも人の身でそこまで行けるはずもなく、空想上の龍だという説がある。
最後は
地の底から現れ、ただただ破壊と蹂躙を繰り返した後、また何処かへと消えていくとされている。
これで地空海の三種の伝説種が揃う事となる。
しかし出現例が極端に少なく、記録しようにも生き残った者が少ないためそれも難しいのが現実。外見とわかっている限りの事しか記されないが、これが今の人族が残した最大の情報が記された本だ。
東西と中央という三つの領域と、地空海という三つの領域、そして黒龍。
この分類には何か意味があるのだろうか。そう考えながらまたページをめくってみると、八種類目の存在が記されていた。
これが番外の伝説種、
古来より全世界で確認されていたが、その発見例が特殊であるためここに記された存在。伝説種が確認される以前に同じ地域に姿を現し、まるで伝説種が来襲してくることを伝えてくるかのように佇む魔獣。
だが時にその伝説種と共に国を滅ぼしにやってくる事もあり、敵か味方かもわからない存在。見方を変えれば伝説種を連れてきているとも考えられるその魔獣は、まさに厄災を伝え、
その為七つの伝説種と共にこの本に記された。
だがこの千、二千年内での記録によれば必ずしも伝説種が現れる前に姿を見せるとは限らなくなっているようだ。他の伝説種……例えば
それ以外で姿を見せた際にはヴァナルガンドはいなかったようだ。
「ん~……」
結局最後まで読んでしまったが違和感はぬぐえない。表紙に視線を落とせば黒龍らしき絵が一面に描かれ、作者がタイトルの下に書かれている。その名前はルナ・フォックス。世界的に有名な人間の魔法使いは伝説種についても本を出していたようだ。
でも彼女の本でもまだ引っかかりは消えない。まるで喉に魚の小骨が刺さったままのような感覚にアルテは小さく唸り続ける。そんな様子をゲイルは本に落としていた視線を上げて窺って見る。
可愛らしいその顔の眉間は小さく皺が寄っている。そんな顔を見てしまっては声を掛けずにはいられなかった。
「まだはっきりしねぇか?」
「うん…………ねえ、訊いてもいいかな?」
「おう、わかる事なら答えてやるぜ」
「この伝説種って、ここに書かれているので全部?」
ふむ、と呟きながらゲイルはアルテが持っているその本を手に取り、記されている八種の名前を確認してみる。次に自分が知っているものを記憶の海から手繰り寄せてみた。
「華国にいるとされている九尾狐も伝説種だった気がするなぁ。あれもまた国滅ぼしの魔獣であると同時に、今もなお謎に包まれた存在だって話だ」
「九尾……狐」
「おう。尻尾がな一つじゃなくて九つある大きな狐さぁ。でもあそこにゃ冥蛇龍ディス・ハドラーもいるからなぁ、なかなか姿を見せねぇって話よぉ。それに――――ん?」
そこまで話し、次に思い出した九尾狐の特徴について何か引っかかりを覚えた。
かの存在は真の姿である狐の姿になるのは稀だという。というより国を滅ぼす際に燃え盛る炎の奥にこの姿の影が見えたのが始まりだそうだ。
では普段はどのような姿なのか。
それは人の姿を……特に絶世の美女の姿になって国の中枢へと入り込むという。つまり変化の達人であり、その変わりようは誰にも見破られないというのが特徴だ。
気になったのはこの変化の達人という特徴。
今目の前にいるアルテもまた変化の使い手であり、その腕前は年頃に反してかなりのものだと言えるだろう。
(偶然、か?)
アルテは孤児だが人間だ。……たぶん人間だ。本人も知らないようだが、他の者らの目から見て彼女は人間らしい。だからこそ変化の達人と言うのは驚くべき事だろう。
だがもしもという事もあるかもしれない。世の中と言うのは何が起こるかわからないし、奇妙な縁というものも存在するという話だ。もちろん九尾狐本人という事は有り得ないだろうし、その血縁者というのも有り得ないだろう。そんなものだったら朝陽が気づかないはずもない。
色々ゲイルが考えていると、アルテもまた無言で何かを考えているようだった。
(九尾、狐……キツネ……? 黒い竜……黒龍、……なんだろう、このもやもやしたの……)
胸がざわつくような感覚と、頭のどこかがぴりつくような妙な痛みが走っている。一体なんだというのだろう。
鈍く小さな痛みは頭の奥深くから響いてくる。まるで何かを伝えるかのように。
そういえば自分は記憶を失っているんだった。ゲイルに助け出され、朝陽によって記憶を封じられたと聞いている。それ以前のアルテはどういった生活をしていたのかを彼女は詳しく覚えておらず、ただドンドルマの孤児院出身で、スカーレット本家に買われて働いていたとしか聞かされていない。
もしかして失われた記憶を思い出そうとしているのだろうか。
いや、それ以上の何か。あの記憶以外の何かがちらついているような気がした。
これは何だろう。自分は一体何を知っているのだろう。
(……そう、いえば……この感じ、前にもどこかで……)
ぴりぴりした僅かな痛みの奥、どこか透き通った何かを感じた気がする。それはまるで濁った水の奥で何色にも染まらない奇妙な一点があるかのよう。
それを何とか手繰り寄せてみようとアルテはそっと目を閉じる。そうすれば広がるのは真っ暗な闇。でもどこかぼやけたような闇だ。その奥深くに少しだけ明るさを持つ闇があるのが見える。
そこに飛び込んでみよう。
すると頭の中に一つの光景が一瞬だけ映った。
腰まで届く程の長く金色に染まった一人の少女だ。その赤い目はどこかあらぬ方へと向けられており、意識だけの存在になっているアルテに気づいていないようだった。
(……誰?)
一瞬だけだったからよく覚えていないが、ただその特徴だけが頭に残っている。また気になったのはその顔の特徴だけじゃない。その服装も見慣れないものだった。
たぶんあれは東方の服の一種、和服と呼ばれるものじゃないかとアルテは思い出してみる。白を基準とし、花と何らかの獣が描かれた和服だった。その落ち着いた色合いと特徴的な絵柄は東方独特のものだろう。
しかもよく見れば腰元から金色の尻尾が生えているではないか。
しかしそれが一体誰なのかわからない。
見覚えがないのに頭の中に浮かんだ人物。やはり記憶を失う前に見た少女なのだろうか。
――……か、闇は…………得られ……、ほう……びの狐も……
(え……?)
もう一度思い出そうとぐっと力を篭めてみると、誰かの声が頭に響いた。その瞬間、ぼやけた闇の奥に人影が浮かび上がっていくではないか。影だけにその素顔は見えず、またアルテからは背を向けているから見ようにも見えない。
その影は何かを呟いているようだが、ノイズがひどくてよく聞き取れなかった。でも意味のある事を呟いているに違いないと、アルテはその人影へと近づいていく。
――順調…………てはうまくい……、りゅ、るための……陣、最後に……仕込め……
近づいてもその姿はしっかりと見えず、声もまだ途切れ途切れで聞こえてくる。しかし声からして年配の男と言う事はわかった。それにノイズに邪魔されているが、聞き覚えのある声のような気がする。
――くく…………踊ら……、魔女のよけ…………、こくり、力……我の手……む?
そこで人影は何かに気づいたかのように顔を上げ、ぐるりと背後を振り返った。一瞬だけ驚いたような雰囲気を見せるも、すぐに冷静になってじっとアルテを見下ろしてくる。
いや、実際にここにいるアルテを見下ろしているわけじゃないだろう。これは恐らく記憶の再生。失われた一つの光景をもう一度見ているだけに過ぎないだろう。
ならばこれはどこかで実際にあった光景か。
――この我が後ろを取られるとは……まあ、いい。……なあに、そう怯える事はない。また忘れてもらうだけの事よ。一度記憶を弄られているのだ。二度あったとしても、さほど問題はあるまい?
影の口元が薄らと歪み、その右手がゆっくりと伸ばされて何かを掴む。宙を掴むその右手は恐らくそこにアルテがいた場所。影はアルテの頭を掴み、何かをしたのだ。それに従って影はまたブレはじめ、闇に溶けるように消えていく。
――理解したかしら? あなたは二度記憶を弄られている。
聞こえてきたのは聞き覚えのないはず声。でもどこか安心するような、落ち着くような声。矛盾するようだけれどどこかで聞いたかもしれない声。
(あなたは……だれ?)
――私はあなた、あなたは私。
自身の内面世界で闇を見るならば、闇は自分自身を映す鏡にもなり得るという話を聞いた覚えがある。
ならばあの声は――そんな事を考えていると、また闇の中に誰かが浮かび上がってくる。それは先ほど一瞬だけ見えたあの少女だった。あらぬ方を見ていた視線はじっとアルテを見据えている。その左手には夕焼けの海を描いた扇子が握られており、時折自身をゆったりとあおいでいる。
突然の言葉とその姿にアルテは混乱している。首を傾げ、彼女の言葉の意味を考えてみるが、それに納得できなかった。全然似ていない外見をしているのに私は貴女、と言われても理解できなかった。
――そうね、あなたはそんな子だったわね。でもこれは事実。そして記憶の件もまた事実。あなたが気になっているものは、その弄られた記憶を思い出さないといけない。
(あなたは知ってるの?)
――いいえ、知らないわ。言ったでしょう? 私はあなた。私もまた記憶に影響があるわ。だからあなたが思い出さなければならない。あなたの意志で取り戻さなければならない。もちろん、自分が何者かをも知りたければこれも思い出さないとね。
孤児である自分が何か特別なモノを持っているとでも言うのか。それを知る事が出来たら、目の前にいる彼女の事もわかる?
しかしアルテは自分が何者かなんて興味はない。アルテにとって世界はゲイルと共にあるという事だけ。ゲイルと一緒にいられればそれでよかったのだから、自分が誰の子供だとか、どういう道を歩いていくのかとか、そんな事は気にならなかった。
でも今、弄られた記憶に黒龍の事が含まれていて、それが自分自身の事も断片的にでも含まれているならば、取り戻せば一緒に何かを知る事が出来る。
取り戻すべきなのだろうか?
知りたいのはゲイル達のためになる情報かもしれない黒龍の事。ただそれだけの事。自分の事なんて別にいらない。
――それも一つの選択ね。あなたがそうしたいならそうすればいい。……でも、弄られた記憶はずっと取り戻せない。知りたい情報は手に入らない。もしかすると、重要な事なのかもしれないのに。
(…………)
――あなたが選ぶのよ。あなたの境遇を考えれば誰かに依存し、流れに乗って行動し続けるのもいいでしょう。……でも、そろそろ自立して考える事も必要になってきたわ。私はあなた。あなたも意志を持って行動するようになれば、私のようになれる。私は、あなたの可能性の一つなのだから。
歳の割に幼く見えるアルテと、一見して美しいと感じられる東方少女のアルテ。あまりにも対極に位置する二人が同じと称される。実感がわかないが、彼女の言葉はアルテを気遣うかのような雰囲気も感じられる。
アルテの為を思って話している。あたかもそれは姉のよう。
彼女が変わるか変わらないか。最後に決めるのはアルテだが、その道を示してやる事は出来た。
ごくり、と息を一つ飲み、その少女をじっと見つめる事しか出来ない。
(おい、アルテ)
だが突然聞こえてきた声にはっとした表情で一瞬体を震わせる。と同時に目の前に広がっていたはずの闇はまるで何もなかったかのように少女と共に消え去り、視界には心配そうな表情で両肩に手を置いているゲイルの姿が広がっていた。
「大丈夫か? 急にぼうっとしたように固まったから驚いたぞ」
「……え? ぁ……う……」
あっちから戻ってくればすぐそこにゲイルの顔。心配してくれているのは数秒かかって気づいたのだが、この時のアルテがそれを理解するはずもなく、まるで沸騰したかのように顔が真っ赤になってしまった。
「んん? 急に赤くなってきたな。どっか調子でも悪くなったか? あんま無理すんなよ」
「あ、う……うん……」
そうじゃないんだけどな……と心の中で呟きながら俯いてしまう。しばらくそうやって心を落ち着かせていき、もう一度目を閉じてみる。そうすれば闇がまた広がるのだが、先ほどのような光景はもう見えない。あの少女も姿を見せてくれなかった。
どうしよう、と考えてみる。ゲイルに話してみるか?
ゲイルならさっきの事がわかるかもしれない。訊いたら教えてくれるだろう。
「あ、あのね……一つ訊いてもいいかな?」
「ん? おう、いいぜ」
そしてアルテは先ほど自分に起こった事を話し始める。それはゲイルにとって驚くべき事だった。
その後、ちょっと外に出てくると一言告げてバルコニーに出たゲイルは、腕を組みながら壁にもたれかかっていた。ぼうっと街並みを眺めているように見えるが、実際彼はその景色を見ているわけじゃない。
頭の中にはアルテが話したことが多い尽くし、景色など目に入っていなかったのだ。
(自分の内面を見た? しかも……もう一人の自分? んな馬鹿な。そういうのは普通有り得ねえ。特に普通の人間が脈絡もなくそれを経験するはずもねえ)
自身の心情世界に入る、あるいは意識の中を漂うという事は機会さえあれば誰でも出来る。しかしそこで自身のもう一面と相対するという事は誰でも出来るわけではない。出来たとしてもそれは自分とよく似た姿を取る事が多い。
だがほぼ別人だとか、性格が全然違うとか、そういったケースならば、それは自分の中に宿る別人格……または自身の中に別の誰かが宿っているという例が考えられる。
それはただの人間にはあまり見られないケースだ。二重人格程度ならば人間でもあり得るが、アルテにそれがあるとは考えにくい。それにそれがあったならばやはり朝陽達が気づくだろう。
となれば考えられるとするならば、思い浮かぶのはアルテの血に流れるもう一つの彼女の姿か。
(……アルテ、やっぱりお前は……)
先ほど浮かんだ一つの可能性。もしそれが正しいのならば、彼女はその血を持つ者という事になるか。その血を強く持つ姿をアルテは自分の中で見たのかもしれない。それならば「私はあなた、あなたは私」というのも納得がいくだろう。
確証はない。でも限りなく確証に近い推測か。色々とパズルのピースを見てきているのだ。繋ぎ合わせればそういう結論に至れるだろう。
(どうする? アルテに話すか? そうすればアルテの中で何かが変われるなら、俺様が後押ししてやるべきなんだろうか? ……でもだからといって、お前はもしかすると妖狐の血を持ってるかもしれねぇ、なんて言えるかよ)
東方でよく知られ、山の中に行けば野生として見られる狐の一種。というよりも狐が力を得て長い時を経て生きた証が、「妖狐」と言う一つの種族として確立された姿と言える存在だ。
かの九尾狐も大まかに言えば妖狐の一種だが、あれは規格外としか言えない。
妖狐については深い所まで知られてはいないが、人に危害を加えない善狐と、害を及ぼす悪狐が存在すると言われている。彼らは彼らで一種の社会性があるらしく、気まぐれに人の世界へと降り立ち、変化を用いて人に混じって生きる者もいると言われている。
その為東方の歴史の中でもそれなりに妖狐という存在は伝えられている。
そんな妖狐の血を受け継いでいるならば、アルテが幼いながらも変化の達人というのは頷ける。今の姿も彼女の真の姿ではなく、ある程度の情報を残しつつ他の女性の特徴と、ゲイルの特徴を織り交ぜて作った仮の姿だ。もしかすると内面世界で見た姿が本来の彼女の姿かもしれない。
だが解せない事もある。
いくら変化の達人と言えども、朝陽やアキラすらも欺けるほどの実力なのかという事だ。こればかりはいくら考えても付きまとう疑問。
本当に妖狐の血を継いでいるならばあの二人が気づかないはずもなく、ゲイルだけ切り捨ててアルテを利用し続けるだろうと考えてしまう。
(……ダメだな。いくら考えたってわかるはずもねぇ。一度レインと相談してからの方がいいかもしれねぇな)
今はまだおいておこう。一人で考えてもわからない事ならば、二人で考えればいい。レインだけでなくサンとも相談するのもいいだろう。二人が城から帰ってきたら折を見て話してみよう。
玉座の間で待つこと数分、右側の扉から年配の男性がやってきた。紫色の衣を纏い、髭を蓄えたその男性はその雰囲気的にこの国の大臣ではないかと推測した。彼は二人に視線を向けると、「待たせたな。間もなく王様が参られる」と告げて階段の脇に控えた。
そして玉座の幕の後ろの方で音がしたかと思うと、奥から白髪の老人がシュレイド王家の紋章を刻んだ赤い服に、ゆったりとしたマントを羽織って現れた。その頭には金の王冠が被られ、彼が確かに王である事を示している。
その瞬間、レインとサンは静かに膝を折り、頭を下げる。それを見届けながら彼――ジュピター・シュレイド王は玉座に腰かけた。
「よくぞ参った。主がレイン・スカーレットじゃな?」
「はっ。レイン・森羅・スカーレットと申します。こちらはわたしの妹でサンです」
「うむ。突然の呼び出しですまぬな。しかし此度の一件は我らとしても早急に解決策を打ち出さねばならぬ。その道の専門である主らの知恵を借りたい。……協力してくれるな?」
『はっ』
やはり用件は狂化竜の一件のようだ。頭を下げたままレインはシュレイド王の言葉を待つ。
「聞けば主らはドンドルマの一件を初めとし、既に何頭ものあの狂化竜とやらを討伐しているとの事。それは主の部隊が優秀なハンターで構成されているからか?」
「いえ、わたし達はギルドナイトの部隊でも末端でございます。それに討った数も全体から見ればたったの三、四頭。上層に属する部隊ならばわたしの部隊よりも大きな功績を立てている事でしょう」
「ふむ、謙虚よな。余からすればその数でも十分な功績よ」
飛竜を狩る事を専門としているハンターからすればリオレウス一体を討つのに多くて四人、実力があれば一人で十分。しかしこの西シュレイド王国をはじめとする多くの国が持つ軍ならば、例え百人投入したとしても討伐できない事が起こりえる。
それは軍人が飛竜らを狩る事に慣れていない事もあるし、彼らが持つ装備がハンターのものに比べて性能に差がある事も含まれる。
だからこそジュピター王から見れば、飛竜一頭を討つことは十分功績となるし、それを狂化させた狂化竜一頭……それも四頭討てば大きな功績となり得る。
その価値観の違いからジュピター王からすれば、レインの言葉はなかなか謙虚なものだと捉えられる。
「それにジュピター王、このヴェルドにはわたしの部隊だけでなく、名が売れたハンター達が続々と集まりつつあります。若いわたしよりも場数を踏み、実力を磨き上げた者もいましょう。彼らの力があれば、このシュレイド地方で見られる狂化竜も次々と討たれるでしょう」
「ほう、優秀なハンターはもう集まっておるのか?」
「はい。例を挙げますと……」
少し驚いた表情を浮かべるジュピター王へと名前を挙げていくのはサンだ。彼女は昨日のうちにあのリストに書かれていた名前を憶えており、その中でも優秀だろうと判断した者達を挙げている。
それを静かに聞いていたジュピター王は何度か頷き、何かを考えるように薄く瞳を閉じる。国としては民を守るためにハンターを集めて報酬を用意し、彼らに今以上に狂化竜を討伐させるようにするのも手だろう。
シュレイド軍を狂化竜に当てるのは難しい。逆に軍が壊滅し、国力が下がるのが目に見えている。それに対飛竜用の軍備はそんなにないのも現実だ。大砲、バリスタは設置型が主であり、移動可能な物は予算の都合で少量しかない。
モンスターの素材を使用して作り上げる装備や武器はハンターズギルドに所属している鍛冶屋の専売特許であり、普通の国の鍛冶屋や兵達にその装備が回る事がない。
国の要所である建造物に関してはハンターズギルドに申請すれば、耐火性などを考慮した素材を使用した建造物が建てられるが、戦闘に使う物は除外される。
これは太古の戦争が関係しており、軍にその技術が回ったことで多くの犠牲と破壊を生み出した反省を生かした結果だ。魔族の力とモンスターの素材を使用した兵器を手にする事で一国が保有する力がインフレを起こした結果、太古の技術が抹消されるほどの歴史上類を見ない被害を生み出したのだという結論に至った。
故に装備と武器に関しての技術はハンターズギルドが管理し、軍には回さないという規約が生まれる。またハンターは国の戦争に関わる事、鍛冶屋はその技術を流用することを禁じ、破ればギルドナイトが出向いて暗殺する事も厭わないと定められた。
あれから千年以上も経った今でもそれは守られ続け、やがて軍人は飛竜と戦う力はなくなっていく。人や国と戦うのは軍人、飛竜と戦うのはハンターと完全に線引きが成された。
噂によれば、東方のヤマト国では人間にしてはおかしい実力を保有する近衛隊長がいるらしいが、真相はこちらにまで流れていない。
それは置いておくとして、今回の狂化竜に関しても西シュレイド王国はハンターに協力を求めなければならない。クエストと言う形でギルドに依頼を出せば、それに乗っかってくるハンターは多いだろう。
やはりそうするしかないだろうか、とジュピター王は考える。
彼の頭の中には狂化竜の事と自国の民の事だけ浮かんでいるわけではない。昨日報告に挙がり、議論されたもう一つの存在の事も浮かんでいる。
災禍獣ヴァナルガンド。伝説に語られる魔獣が確認された事も気がかりだった。
狂化竜に関してはそれでいいかもしれないが、その先にヴァナルガンドが現れた事で何かが起こるかもしれないという予感がある。
ヴァナルガンドに関してはどうするかと考える。ギルドナイトでもあるこの二人に話すべきかどうか。しばらく考え続けたジュピター王は、一度考えを纏めるように瞳を閉じた後、じっとレインを見据えて口を開く。
「レイン・スカーレットよ」
「はっ、なんでございましょう?」
「主はヴェルドに着くまでの間、この西シュレイドを軽く回っていたそうじゃな。他にも情報収集を怠らなかったと聞く」
「はい。情報を大事にしなければ正しい判断も出来ず、勝てる戦いも勝てないものとなりましょう」
「そんな主に問う。このシュレイド地方で他に気がかりな事はないか?」
その問いかけに二人は沈黙した。
あると言えばある。しかしそれに関する情報が少々物足りないため確証がない。その為数日後に準備を整えて現場に向かおうとしていたのだ。
そう、旧シュレイド城である。
これを報告するべきかどうか。この国にとって旧シュレイド城というのは縁深いものだというのは容易にわかる事。そこを調査しに行くというのはジュピター王らに黒龍とイメージを結びつけることにならないだろうか。
頭を下げたままレインはちらっと隣にいるサンへと目配せすると、それに気づいてサンは無言で視線を合わせ、小さく頷いた。
「……あります」
「ほう、聞かせてみよ」
「はっ。狂化竜は闇を抱えております。この地方で闇に関連する事を考えてみると、かの旧シュレイド城が挙がりました。わたし達は近いうちに現場へと赴き、調査してみようと考えております」
「旧シュレイド城……か」
呟くジュピター王はやはり黒龍の事を思い浮かべたが、同時にヴァナルガンドの事も思い浮かんだ。どちらも伝説種であり何らかの繋がりがあるとされる存在だ。顔に皺が寄るのを視線を上げながら感じ取っていたレインは言うべきではなかったか、と硬い表情になる。
だが沈黙はすぐに破られた。
「よい。調査する事を許可する。余は民のためにも此度の件は早急な解決を望む。旧シュレイド城の調査も何か道を見出す為に行うのであろう?」
「……はっ。まだ不確かな情報のため、少しでも情報を得るために調査したいと考えております」
「そうか。……では一つ情報を与えよう」
その時、階段脇に控えていた大臣がぴくりと眉を動かし、ジュピター王へと振り返りながら頭を下げる。
「恐れながら王様、まさかあの事をお話になるのですか?」
「そうじゃ。二人は若いながらもギルドナイト。ならば知る権利はあろう。それに余らよりも知識はあるじゃろうし、ドンドルマの大長老へと情報が渡れば対策も考えられよう」
「……御意」
深く頭を下げる大臣を見ながらレインは一体何を話すのかと考える。あの大臣の慌てよう、何かとんでもないことが話されそうな予感がする。サンも同様の雰囲気を感じ取ったらしく、表情に出さないようにしながら頭を下げつつ身構えていた。
「これから話す事は極力秘匿してもらいたい。大長老へと伝えるならば秘密裏に願う。よいな?」
『はっ』
「昨日古龍観測所から一つの報告が届けられた。ここより東の山岳地帯にてかの伝説の魔獣、ヴァナルガンドが確認されたと」
『……っ!?』
心構えはしていたつもりだった。しかしいくらなんでもそれに対する驚きは隠せるようなものではなかった。
二人も知っていた。話には聞いていたし、本で読んで知識もあった。
だからこそ驚く。
よもやこの状況下で伝説種が現れるなど冗談ではないと。だからこそレインは僅かに声を震わせながらジュピター王へと問いかけてしまう。
「……確か、なのでしょうか……?」
「そう願いたいのもわからなくもない。余としても頭が痛い事よ。じゃが確認したのはかのガリレイ爺と聞く。ならば確かなのじゃろうな」
「……そうですか……」
伝説種が現れるとされる場所、あるいは地方にヴァナルガンドは現れる。このシュレイド地方に現れたのならば、考えられる伝説種は黒龍ミラボレアス以外に思い浮かばない。
ならばますます旧シュレイド城を調査せずにはいられない。かの場所は何度も黒龍と戦った場所なのだから。もしかすると本当に朝陽は黒龍の力を取り込もうというのかもしれないし、実際に黒龍をこの世界へと降り立たせ、従えようとしている可能性だってある。
そんな事はあってはならない。
ぐっと拳を握りしめながら決意を深めた。
「狂化竜の事に加えてヴァナルガンドの出現じゃ。それを漏らせば民は増々不安に煽られる。それは更なる混乱を生み、増えなくてもよい犠牲を増やすじゃろう。故に極力秘匿してもらいたいのじゃ」
「承知いたしました」
目を閉じて礼をする二人にジュピター王は頷き、少し考えた後またレインへと問いかけた。
「そういえば優秀なハンターが集まっていると報告したな」
「はっ、それが如何なさいましたか?」
「先ほど謙遜しておったが、主の部隊にも実力ある者はおるじゃろう? 主らの他に誰か実力のある者はおらぬのか? もしおるならば覚えておきたいのじゃが」
それはいずれ成果を挙げた報酬として手渡す際の事を考えているのだろうか。優秀な者にはそれ相応の報酬を、国のために働いたならば、あるいはそれが国を守る事に繋がるならばそれ相応の礼を。
その為にも名前を覚えておくことは必要な事だ。
しばらく考えたレインは共に戦った二人の名前を挙げる事にした。元々敵に属していた二人だが、今では有力な味方。ならば挙げる事にしよう。
「二人おります。一人はわたしの同期であり、昔からの友であるゲイル・カーマイン。もう一人は彼とよく行動を共にし、将来的にも有望な少女であるアルテミスです」
「――――アルテミス?」
「……?」
ぽつりと呟いた名前にどこか違和感を覚えたレインは軽く視線を上げてみる。するとジュピター王はどこか驚いたかのような表情を僅かに浮かべながら固まっている……ように見えた。
まるで信じられないものを聞いた、とでもいうようなその表情はサンも大臣も気づいたらしい。大臣が軽く振り返りながら「王様? 如何なさいましたか?」と声をかけると、ジュピター王はすぐに反応して「なんでもない」と軽く首を振りながら応える。
「その二人はどこにいるのじゃ?」
「ただ今滞在している宿にいるかと思います」
「……この街にいるのか。カーマインというのは確かドンドルマでは名家とされている家であったな?」
最初はまたしても小さな呟きだったが、すぐにレインを見据えながら問いかけてくる。ジュピター王の様子にまた多少の違和感を覚えながらも、レインは答えていく事にした。
「はっ。我がスカーレットと共にギルドを発展させていった家の一つでございます。彼自身もカーマインの家に恥じぬ実力を持ち、恐らくわたしと同等の実力でしょう」
「なるほど。……それでゲイル・カーマインと共に行動している少女は?」
「アルテミスはどうやらゲイルを慕っているらしく、以前より行動を共にしていたそうです。まだ幼いながらもその実力はわたし達に引けを取らない程です。狂化竜相手でも退くような事はせず、ゲイルと共に斬り込んでいく程の精神を持っております」
その説明を聞いたジュピター王は「……そうか」と小さく呟きながら深く玉座に背を預けて一息つく。その様子もどこか気になる点があり、レインとサンは数秒だけお互いを見合った。
しかし今は謁見中であるためそれを口にするようなことはしない。
ジュピター王もまたすぐに表情を引き締めて二人を見下ろした。このように切り替えが早いからこそ気のせいだったのか、とも思える。
「優秀な人材がいる事は喜ぶべき事よ。どうかその者らと共に余とこの国の民の憂いを取り除いていってほしい。情けない話じゃが、余は主らハンター達だけが頼りじゃ。よろしく頼む」
『はっ、全力を尽くします』
その言葉と共に謁見は終了した。
城を後にした二人は歩きながらこれからの予定を考える事にした。ジュピター王の許しが出たのだ。旧シュレイド城の調査は早いうちに進めた方がいいだろう。
それにヴァナルガンドの出現も聞いたのだ。このヴァナルガンドについても昨日借りた本の一つ、『七つの禍の龍』に記されていたはず。帰ったら一度確認してみるのがいいだろう。
だがもう一つ気になる事があった。それはサンも同じだろう。
「ジュピター王はアルテを知っているのでしょうか?」
「どうだろうな……。それがアルテ本人か、あるいはアルテミスという名前に反応したのかがわからない」
僅かな反応だったが、ジュピター王がアルテミスに反応したのは間違いない。もしアルテ本人に関係するならば孤児であるアルテの過去を知っている事になる。しかしそうなるとわからない事がある。
「もしアルテを知っていたとするならば、ドンドルマの孤児院にいたアルテを、どうしてこの国の王が知っているのでしょう」
そう、それが大きな謎になるだろう。この中央の左上に位置するこの国と、中心部にあるドンドルマは竜車を使ったとしても二週間はかかる距離だ。それだけの距離があり、一国の王である彼は毎日のように政務をこなしているはずだ。接点などあるはずがない。
もしあるとするならば、西シュレイド王国の貴族の娘が何らかの理由で遠く離れたドンドルマの孤児院へと入れた、という事だろう。これならば考えられない事もない。
その貴族の主がメイドと戯れ、子供を成した場合、母親と共に遠く離れた地へと飛ばしてしまうのだ。生まれたのが男児ならば、一時の凌ぎとして次代の当主として育てるかもしれないが、アルテは女児だ。このケースは当てはまる。
しかしそういうケースは当然ながら秘密裏に処理する事が多い。またアルテの母親は不明であり、なおかつこういう不祥事が王様へと伝わるはずもない。だから考えにくいだろう。
では他のケースはどうだろうか。
考えてみるもなかなか浮かばない。
一国の王が存在を知りながらも孤児院へと入れられ、今もなお覚えられている。そういった事例がそうそうあるのだろうか。
「……わからないな。やはりアルテミスという名前に反応したのではないだろうか」
「そう……ですね」
頷きながらサンはもう一つ浮かんだ推測について考えていた。しかしこれはもっと有り得ない推測だ。下手すれば不敬罪に問われかねない。
だがこれは……もしかしたら有り得るかもしれない推測かもしれないと、心のどこかで考えている。
(もしそうだとしたら……)
とんでもない事になるだろう。
それにこれが真実ならば過去の記録を洗えばどこかに埃があるかもしれない。それがないのならばその事実は本当になかったか、あるいはその痕跡を揉み消したかという二択が浮かぶ。
確証がないから口にする気にもならない。これは真偽がどうであれ、口にするのは躊躇われる推測だ。だから今は心の中にしまっておこう。
「戻ったらゲイルらを交えて会議だな。今日の謁見は得るものが大きかったと考えよう」
「……ええ」
二人は真っ直ぐに宿へと戻っていく。その後は部隊の者らを集め、旧シュレイド城に向かうメンバーとヴェルドに残るメンバーを振り分け、旅の準備を進める。ヴァナルガンドに関してはゲイルにのみ伝えられ、彼もこの事に関して安易に口にすることを避ける事に賛成した。
その二日後、レインらをはじめとするメンバーは旧シュレイド城へと旅立っていくのだった。