呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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87話

 

 

 レイン達がヴェルドを発って旧シュレイド城へと向かってから数日、この街に一人の女性がやってきた。風を受けてなびく鈍色の長髪、気が強そうながらも落ち着いた印象を持つサファイアのような青い瞳。

 身を包む黒いドレス状の服装は彼女の肌を隠しているが、その体のラインは隠されていない。高いプロポーションである事が一見してわかる程に魅力的な外見に、道をゆく人々の大半が振り返ってしまう。

 まさしく美人。

 そんな彼女がヴェルドの街を歩いているだけでちょっとした騒ぎになってしまう。

 しかし当の本人はめんどくさそうな表情を僅かに浮かべ、人通りの多い表通りではなく人の少ない路地裏方面へと足を進めていく。

 方角は西。その路地裏を進んだ先にはヴェルドの貧困街が存在している。栄えた街の悲しい現実だ。表通りと違い少し汚れた道、所々欠けた部分がある建物……空間を包み込む雰囲気も若干暗く感じられる。

 そんな場所を彼女は歩き、更に深い部分へと入るため路地裏を進んでいく。

 すると貧困街の中でも更に暗い部分、スラム街へと到達する。ここまでくると衣食住も確約されず、飢えた人、住処が存在しない人が現れる。ボロボロの服を纏った人がいるのは当たり前、建物の壁に身を預けて座り込んでいる人がいるのも当たり前……。

 毎日誰かが死に、生気を少しずつ失っていく場所。誰か助けてほしいと願ってもそれは叶わず、生きるために盗みを働くのも「しょうがない」で済まされる世界。

 それは一種の別世界だった。

 表と裏でここまで雰囲気が変わるものなのか、と初めてここにやってきた者は言う。

 だがこれが現実だった。

 一つの街で二つの世界が存在する。それが栄えた街が抱える問題だ。

 王家も何とかしようとは考えているが、全ての人を救えるわけではない。

 現在のジュピター王が即位してからの貧困街の規模は少しずつではあるものの縮小されている。もちろん最初の内はいざこざはあったが、それでも貧困街の住人に職を与え、彼らを救済していっている。

 職に就き、安定していけば彼らは表の街へと移住できる。しかしそのチャンスが与えられなければ、変わらず貧困街で生きていく。様々な政策を用いて少しでも貧困街とスラム街の住人を助けようとしても、現実はそうは甘くはなかった。

 そんなスラム街を彼女は表情を変えずに進んでいく。道の脇を見れば生気のない瞳でじっと彼女を見つめる視線がいくつもある。その中にはまだ幼い子供もいる。

 

「……お姉ちゃん……おなか、すいたよ……」

「ごはん……ごはん、ちょうだい……」

 

 そんな声を耳にしても彼女は気にも留めない。子供たちなどいないものとしてただ目的地へと向かっていく。

 だがその途中で彼女の前方に数人の男達が現れた。数は五人……陰にも何人か隠れているか。さっきまでの人々と違い、生気のない瞳だけでなく、ギラギラとした目をする者、何らかの欲望を抱えた目をしている者と実に様々だ。

 前を塞がれたことで彼女は立ち止まり、一度男達を見回すように視線を巡らせた。

 

「ちょっといいかい、姉ちゃん?」

「なにか……持ってないかい? よかったらそれを置いていってもらいたいんだがねぇ」

「置いてけ……置いてけ……」

 

 乞食か。それもやっかいな乞食だ。まためんどくさそうな表情を浮かべた彼女は一息つくと、乞食らを気にも留めずに歩き出す。

 

「それに見ればなかなかいい体してるじゃねえの。そっちも美味しくいただけそうじゃん」

「……確かにな。……これは……上玉。ぐふ、ぐふふ……」

 

 しかも男としての欲望も露わにしているらしい。どこまでも下種な野郎たちだ。堕ちるところまで堕ちればこうなるというのか。今以上に表情を苦くすることはしなかったが、不快感を纏う空気に表しながら男達へと接近していった。

 

「さっさと消えなさい。そうすれば見なかったことにしてやるぞ、クソ共」

「あん? 何を言っているんだい姉ちゃん」

「ここがどこかわかっているんだろう? さっさと置いていくものを置いていってほしいんだがねぇ」

「くれ……くれ……」

 

 彼女が何者か知らない乞食らは彼女の忠告に耳を傾けるようなことはしない。彼女の纏う雰囲気も感じられないのは、やはり彼らが欲望に身を任せて行動しているからだろうか。

 こんな所で女性が一人で歩くというのも珍しい事もあり、絶対に何かを得られるはずだと高をくくっているのだろう。

 しかし相手が悪かった。

 寄ってくる男達の脇を通り過ぎていくと、男達はまるで時間が止まったかのように動きを止めてしまった。一瞥もくれずに彼女が路地裏の先へと消えていけば、ようやく時間が動き出したように男達は地に崩れ落ちてしまう。

 外傷はなく血も流れていない。しかし彼らは意識を刈り取られ、このまま放置されてしまうのだった。

 

 スラム街に治安を求めるというのが無理な話だったらしい。それからも何度か絡まれてしまう。その度に無視しながら迎撃していくが、それでも誰かがやってきては何かを求めて絡んでくる。

 しかし迎撃数が多くなってくるにつれて自然と噂がスラム街に広まったのだろう。彼女に何かを求めて接近すれば失敗する。その認識が生まれたようで数分もすれば彼女の周りは静かになった。

 とはいえぎらつく視線が消えたわけではない。建物の窓から、路地裏の陰の向こうから、道の脇でじっと……何もしてこないが視線だけが突き刺さるように四方八方から向けられている。

 

「…………」

 

 遠慮のないその行動に彼女は纏う雰囲気が一気に周囲へと圧力となって放出された。

 まさにそれは覇気。

 殺気も多少含まれているが、それ以上に他者を圧倒する覇気が自分を見つめる視線達へと襲い掛かる。それを受けた彼らは声にならない悲鳴を漏らし、泡を吹いて倒れていく。

 

(本当に堕ちた者達は腐っているわね。……さて、そろそろ、かしら)

 

 一度辺りに視線を巡らせて様子を窺い、気配がほとんどなくなったことを確認する。どうやら目的地が近いため人の気配がほぼなくなっている。

 彼女がどうしてここにやってきたのか。めんどくさそうにしながらもどうして治安の悪いスラム街へと足を運んだのか。

 それはある人物と接触するためだ。その人物は世界中を気ままに移動し、滞在している周囲は他の存在の気配がほとんどなくなってしまうのが特徴だ。だからこのスラム街において人の気配がなくなるというのは目的地が近い事を暗に示している。

 やがて少し開けた場所に出てきた。

 積み上げられた空き箱、乱雑に放置されたがらくた……とちょっとしたゴミ捨て場のような空間だった。太陽の光も当たらないこの場所はかなり薄暗いが、彼女は辺りを見回して一息つく。

 

「『真実は霞の奥深くに眠る』」

 

 呟くように、歌うように、その唇から言葉が漏れると彼女以外誰もいないはずのこの場所に何者かの気配がゆらりと発生した。

 

「…………だれかと思えば、珍しい」

 

 続くようにだるそうな声が聞こえてくる。しかしすっと耳に入る鈴のような声だった。その声の主を見るため、彼女は積み上げられた空き箱の上へと視線を向けた。

 そこには一体いつからいたのか、誰かが寝転がるようにして存在している。

 

「……で、何か用? ……風花(かざはな)

「あなたに会いに来るのに理由を求めるのかしら?」

 

 その人物こそ、彼女――風花が接触しようとしていた人物だ

 

 

 ○

 

 

 旧シュレイド城の調査を終えた獅鬼達はヴェルドへと向かっていた。かの城に仕掛けられた魔法陣は相変わらず力を発揮し続けている。集められた闇を吸収し、渦巻かせ、少しずつ力を高め続けている。

 あの周囲を包み込む嫌な空気は旧シュレイド城を中心に一定の距離で渦巻いているため、規模が拡大する事はないのだがその分濃度が高まっている。吐き気をもよおす空間から、意識を失いかねない程の空間へと変貌しつつあるあそこはもはや地獄だろう。

 獅鬼と雷河はいいとして、同行した焔は終始厳しい表情を浮かべていた。無理させてしまったかもしれない。

 旧シュレイド城から離れた後、焔の体調が芳しくないのでちょっとした草原で休息を取る事にしたのだ。

 

「ほら、飲むといい。少しでも気が楽になるぞ」

「…………どうも」

 

 獅鬼がブレンドしたドリンクを木にもたれかかっている焔へと手渡してやると、彼女は小さく礼を口にしてそれを少しずつ飲み始める。その隣で雷河が右手に巻いている包帯を少しずつ解いていく。

 彼の前に獅鬼が付き、薬を塗ってまた包帯を巻いていく。自己治癒力を高めるための処置を施している上に、元々ラージャンということもあって右腕はもう使っても問題ないくらいまで回復している。

 とはいえ戦いまでいけるかといえば無理だろう。まだ完全に治っているわけじゃないので戦いは後方支援だけに留めている。

 さて、旧シュレイド城の調査は結局以前とあまり変わらない結果となった。敵の狙いはもうほぼわかっている。光魔法が使えないため浄化する事は不可能。月を呼んでも彼女一人だけでは全てを消し去る事は不可能。

 なので獅鬼に出来る事は少しだけ細工する事で闇の集まりを阻害する事だけだ。なにせ魔法の才能がないためこれほどの完成された魔法陣を破壊する事は不可能。だが知識があるため阻害だけは出来る。

 どこをどうすれば邪魔できるのか、切断できるのか、効能を高める事が出来るのか。これらを駆使して流れをちょっとだけ変える事だけは出来る。今出来る事はこれだけだった。

 

「で、奴がどこにいるかは逆探知できたのか?」

「……厳しいな。確かにオレ自身と奴は繋がっている。あの魔法陣も合わせてやれば出来るかとも考えたが、甘い考えだったようだ」

 

 仮面の下で苦い表情を浮かべる。そっと仮面を撫でながら呟く獅鬼の心中深くは測れない。何せ雷河と焔相手でもなかなか素顔を見せないのだ。理由を聞いてもずっとはぐらかし続けているため、何か事情があるんだろうとは思っているが訊かないでいる。

 

「……縁が深いのね」

「まあ、な。嫌な縁だが、切るに切れない縁でもある。あいつにはオレが引導を渡し、殺さねばならない」

「殺すんだ」

「当り前だ。奴はもはや過去の怨霊に近しい。それに生きていても害しか成さない。……ならばオレが始末するしかあるまい」

 

 ぐっと拳を握りしめて強い意志を闘志として高めていく。ぴりぴりとした空気が彼の周囲に感じられるが、雷河と焔は無言で彼を見守るだけ。いや焔は彼の高まった気に少し気圧されているらしく、うっすらと汗をかいている。

 それに気づいた獅鬼は「む……」と声を漏らしながら気を落ち着かせていく。

 

「すまん。どうも奴の事を考えれば気が高ぶってしまう」

「……別にいいけど」

「それで、刺激しておいてなんだが……体調の方はどうだ?」

 

 尋ねると焔はふぅ、と息を吐きながら額に当てていたタオルを取って小さく頷いた。「もう大丈夫」と答えながらまだちょっと残っているドリンクを飲み干していく。

 神倉一族の規格外である獅鬼と、ラージャンであり八十年生きつつ獅鬼に鍛えられた雷河は問題はないが、焔はまだ13歳。積み重ねた経験もまだ浅い事もあってあそこまでの強い闇には耐えきれないのだ。

 

「……さて」

 

 なんとか体調がよくなってきたところで焔は置いてあったローブに手を入れる。取り出したのは一枚の札。それを頭に当てると目を閉じた。

 

(聞こえる?)

(聞こえるにゃ。もう大丈夫にゃ?)

(ええ。……お願い)

 

 札を通した会話を終えると、しばらくして少し離れた所で何かの物音が聞こえてきた。そして急に穴が開いたかと思うとそこから一匹のアイルーが飛び出してくる。焔を見つけると一度敬礼し、ポーチに手を伸ばして纏まった書類を取り出して焔へと手渡してくる。

 

「今まで集めた情報ですにゃ。どうぞ、役立ててくださいにゃ」

「どうも。……これ、礼よ」

「にゃ! また何かあったらよろしくですにゃ!」

 

 駄賃としてマタタビをローブから取り出して手渡してやれば、アイルーは大いに喜んだ表情を浮かべながら敬礼してくれた。大切なものを扱うようにマタタビをポーチにしまい、アイルーは掘った穴へと飛び込み退散していった。

 それを見送ると焔は書類を紐解き中身を確認してみる。

 まずは狂化竜の動向。

 相変わらず被害は確認されているようだが、その数は着実に減っている。しかしストロンボリ火山とラティオ活火山を縄張りとするテオ・テスカトルが狂化している可能性の示唆する記述が確認された。

 またテロス密林周辺で確認される雷雲を含んだ黒雲も確認される。あそこにはオオナズチが確認されているが奴にそんな力があるとは考えにくい。また別の何かがあの周辺に存在していると考えていい。

 続いて各地の動きについて。ヴェルドでシュレイド王家が始めたハンター募集が上手くいっているらしく、名が売れたハンター達が集まっているようだ。また他の地方よりも多く確認されている狂化竜達を先に討伐する事でその名を更に高めている者もいるらしい。

 また数日前にドンドルマでもラティオ活火山に移動したテオ・テスカトルに備えるために古龍観測隊が派遣され、同時にHR40以上のハンターを募集しはじめたようだ。

 ついでに言うとソル・森羅・スカーレットの様子がおかしいのも確認された。まるで警戒を高めたかのように周囲に気を配り続けている。その数日前までカーマイン家から見つかった何かを弄っていたようだが、そこまでは調査が進まなかった。本人と大長老が秘匿していたため仕方がない。

 

「……ん?」

 

 次のページをめくると秘匿情報として分けて書かれている。読み進めていくととんでもないことが書いてあった。

 シュレイド地方にヴァナルガンドを確認。古龍観測所に所属しているガリレイ爺と助手が確認し、報告。シュレイド王家にも伝わっているが、それ以外の人物、ましてやヴェルドをはじめとする人々には知らされる事はなかった。

 狂化竜の事もあり、これ以上不穏分子を情報として公開すれば更なる混乱を生み出すため情報封鎖されることになったようだ。

 だがあの場にいたのは古龍観測所だけじゃない。偶然何匹かのアイルー達も居合わせていたらしく、彼らもヴァナルガンドを確認したようだ。そこから裏で少しずつ情報が広がったが、シュレイド王家が情報封鎖をしたのを確認して彼らも自然と口を閉ざしたようだ。

 でも焔……いや、焔だけでなく彼女が同行している獅鬼にも教えてくれたようだ。彼らに感謝する。

 

「……ほら。見るんでしょ」

「ああ、感謝する。…………なるほど、ヴァナルガンドも現れたのか。こうして確認されるのも何年振りか」

 

 千年近く生きているものだからヴァナルガンドもそれなりに知っているし、姿を見た事があるようだ。それは華国で九尾狐が確認された際に現れた時であり、首都付近の山頂でじっと燃え盛る首都を見下ろしている黒い狼という姿だった。

 伝承通り伝説種が現れる場所に前触れもなく現れ、事の流れをただ傍観するだけ。時にその現場へと介入して荒らしていく事もあるが、少なくとも獅鬼が確認する限りではそれは一度もない。

 まあ、過去の事はいい。今は考えるべきは現在の事だ。

 ヴァナルガンドが現れたという事はこのシュレイド地方に伝説種が現れるという事。この地方で確認されそうな伝説種といえばたった一種。

 黒龍ミラボレアス。

 予兆はある。

 あの旧シュレイド城がそれだ。どう考えてもあれはそうとしか考えられない。だからヴァナルガンドが現れた。

 そう考えていいだろう。

 

「それにしても、今回の一件にヴァナルガンドが介入するという事は……考えにくいか。今回ばかりは人の意志が関わるだけでなく狂化竜がいる。あのヴァナルガンドが気まぐれとはいえ、これにまで関われば完全に終わる」

「ん? まるでヴァナルガンドを知っているって感じだな、親父」

 

 ちらっと獅鬼へと視線を向けると、彼は小さく頷いて思い返すように空を見上げる。焔も気になっているらしく赤い瞳がじっと仮面を見つめている。

 

「……実際に対面したことがあるからな。短い時間だったが、何となく奴についてわかったこともある。奴は気まぐれではあるが……無意味に暴れるような性格を感じなかった」

「そうなのか?」

「ああ。伝説種らしく高いプライドが感じられた。あの赤い目には強い意志だけでなく覇気、気品も存在している。あれはただのモンスターという雰囲気ではない。高い知性を兼ね備えた一つの存在、だな」

 

 高い知性を兼ね備えた存在。普通の狼ではないとはわかっていたが、やはり牙獣種から伝説種へと昇華された存在というべきか。それだけでなく長い時を生きた存在という事も関係するだろうか。

 長く生きた事で知性も発達し、達観するようになってきたようだ。しかも獅鬼が言うには高い魔力も保有し、粒子に干渉して魔法も行使する事も可能にしている可能性があるようだ。実際に使った光景を見ているわけじゃないようだが、何となくヴァナルガンドは魔法を行使できるだろうと踏んでいる。

 また人語を解し、テレパシーでも使っているのか獅鬼と少しだけ会話した。

 

「話したの?」

「ああ」

 

 どうして伝説種が現れる前に姿を見せる?

 どうしてずっと傍観し続ける?

 一番気になっている事を訊いてみた。そして返ってきた答えはこうだった。

 

 そういうルールだから。

 

 何のルールなのかはわからないが、ヴァナルガンドがこうして伝承に語られる通りの行動を見せるのは、誰かが定めたルールに従っているらしい。その誰かはわからないが、獅鬼は世界のルールではないかと踏んでいる。

 別の言い方をすると世界の理だ。伝説種へと達したヴァナルガンドは世界の理に従ってそのような行動をしているんじゃないかと推測している。

 そんなヴァナルガンドは今回も誰かの意志が絡んでいるとはいえ、ミラボレアスが現れるかもしれない状況。世界の理に従ってこうして姿を見せたのではないだろうか。

 またこんな事も聞いてみた。

 普段はどこにいる?

 それに対する答えはこうだった。

 

 “世界”のどこか。

 

 はぐらかされた。

 確かにヴァナルガンドは伝説種が現れる以前に姿を見せる。だがそうではない時は一体どこにいるのか。人族は世界各地へと散らばって住処を作ったり、クエストとしてフィールドへと赴いたりしている。未開の地もギルドナイトをはじめとする人員が開拓を進めている。

 だがそれでも不明なフィールドは存在している。もしかするとそこを住処として利用しているんじゃないかと推測している。確実性はないが、高い確率でそうじゃないかと考える。でなければ長い歴史の中でそういう現場でしか確認できないのが説明できない。

 それは他の伝説種だったり古龍だったり言える事だが、世界というものはまだまだ謎に包まれている。解明するのは難しいだろう。

 

「ヴァナルガンドは絶対的な敵、という認識はオレにはない。他の古龍にはない何かを感じられる。……その何か、というのがオレにはわからないがな」

「絶対的な敵、か。黒龍は敵だし、善政悪政関係なく華国を攻撃してきたディス・ハドラーも敵だわな。九尾狐は……悪政の時だけ攻撃してきたんだったっけか?」

「そうだな。時にそうでない時も攻撃してきた事もあったが、基本的には悪政の時代に現れる。……街を火災で包み込むから何とも言えないが、絶対的な敵……とは言い難いか」

 

 もちろん古龍種だけではなく通常のモンスター達も危害さえ加えてこなければ問題はない。お互い領分を侵さなければどちらもこの世界に生きる生命体。だから絶対的な敵とは称しにくい。

 

「あと奴は目の前にいるオレをただの人族としか見ていなかった。覇気を放ってみたが涼しい顔をしていたのだからな。まず間違いなく奴はオレが例え攻撃したとしても、涼しい顔でいなしていただろう」

 

 知り合いに言わせれば規格外と称される獅鬼ではあるが、そんな彼の覇気もまた人族の中でも高い覇気を持つ。ただ他者を圧倒するという意味での覇気ならば月をも超えると言われるのだが、それでもヴァナルガンドにとっては涼風そのものだったのだろう。

 簡単に言えば敵として認識していない、か。

 かの赤い瞳で獅鬼を見つめても、そこにいるのはかの神倉一族で高い身体能力を保有するハンターではなく、どこにでもいるたった一人の人族。

 まさに高みにいる者だけが感じられるものと見える世界というものか。

 

「そんなヴァナルガンドもまた敵に回ったならば、もはやオレ達でも出来る事が限られるだけでなく勝機が狭まる。奴がそういう真似をするとは思いたくはないがな」

 

 獅鬼がこんな事を口にするとは、ヴァナルガンドはやはり強大な存在だという事だと想像できる。外見こそ黒い狼とはいえ、やはり長く生きて伝説種に昇華された存在。それ相応の心構えはしておいた方がいいだろう。

 

「……で、親父。それにはヴァナルガンドがどどこへ消えたのかは書いてないのか?」

「……ないようだな。目を離した数秒の間に最初からいなかったようにそこにいなかったようだ」

「気配は探れないの? あんたの事だから一度会ってるんだから気配は覚えてるんでしょ?」

「覚えている事は覚えている。……しかし、このシュレイド地方にあの気配は全く感じられない」

 

 姿だけでなく気配まで感じられない。あれだけの強さを内包しているのだ。姿が見えなくても気配と力の波動を探れば位置を特定できると考えたのだが、それすらもさせてもらえない。

 流石は初めて確認されてから有事の際以外に存在が確認できないだけはある。尻尾は易々と掴ませてくれないようだ。

 

「アイルー達でも見つけられない……もう手掛かりはなくなった、って事か?」

「情報収集を得意とするアイルーでも難しい事はあるわよ。人族とほとんど変わらないし、一部の技術は上を行く腕を持っているとはいえ、焔達は小さな存在。出来る事と出来ない事がある」

 

 世界に散らばり、それぞれの集団で行動するアイルー達はギルドに関わっているものと、野生でありながら役割を担うものが存在している。野生でもハンターに絡んでくるものがよく見かけられるが、そんな中でも役割を持っているアイルー達はそれぞれの繋がりが存在している。

 アイルー同士の情報網は強く広い。他の地方で起こった事を遠く離れたアイルー達が知っている事があれば、それはアイルーの情報網で回ってきたと考えていい。

 収集、監視、発掘、採集、開拓……そして伝達。様々な役割を担うアイルー達が各地に散らばり、人族よりも早いスピードで情報が移動していく。だからアイルーの情報屋というものまで存在している。

 情報屋という単語で獅鬼はふと思い出した。

 

「……情報屋といえばあの人がいたか」

「ん? 誰の事よ?」

「…………もしかして、あの伝説の情報屋?」

 

 雷河は首をかしげていたが、焔は心当たりがあったらしい。驚きに目を見開く焔なんて珍しい光景だが、それすら気にならない程「伝説の情報屋」という単語が気になった。

 

「存在だけは確認できるが、会う事がとても難しい相手だ。とことん裏で行動し、どうやって手に入れたのかわからないが、正確性の高い情報を提供してくれる。その分報酬は高いが、それは金だけとは限らない。……そんな情報屋だ」

「会う事が難しいって、フィールドにでも隠れているのか?」

「いいや、普通に街にも現れるらしい。……だが姿が確認できない。しかも世界中に存在が知られている上に、どういったルートで行動しているのかも不明。まさに裏の情報屋といってもいい存在だ」

 

 情報屋はクライアントが求めた情報を提供する事で報酬を得るのが仕事だ。その情報は正確性が高ければなおいいが、情報屋とて全てを正しく知りうるわけではない。

 だがその情報屋は正確性が高く、求めた事はほぼ完璧に提供してくれる。ターゲットが秘匿している情報さえも暴いてくるのだから、一体どうやっているのかが不思議に思えるほどに情報を得てくる。当然その存在を知る者はその情報屋に会いたいと願ってしまう。

 しかし当の本人が姿を見せないものだからそれも難しい。

 だから彼女は伝説の情報屋と称されることになった。

 

「その情報屋って一体どんな奴なんだよ?」

「名前は香澄。女という事はわかっているが、オレも実際に会ったことは一度もない。……彼女ならばヴァナルガンドや奴が今どこにいるのかわかるだろうが……一体今どこにいるのやら」

 

 ため息をつく獅鬼はまた空を見上げる。彼女がいればあの一人と一頭の居場所を突き止めてくれるだろう。その後はこっちから打って出てもいいし、話をしに行ってもいい。何らかのアクションを仕掛けに行ってやる。

 でも居場所がわからなければそれも意味はない。

 本当に、どこにいるのやら……。

 

 

 ○

 

 

 そこにいるのは一人の少女、というべきか。この空間が暗い事も関係してはっきりとは見えない。しかし風花のサファイアの瞳はしっかりとそこにいる少女を視認している。

 深い紫色の肩まで伸びた髪、気だるそうな鈍色の瞳。声色だけでなくその目もあまりやる気を感じさせない。

 着ているのは闇色に染まり、月の出る夜空を描いた柄をした和服だ。しかしだらけている上に寝転がっているから少し着くずれしている。

 

「…………何か欲しいものでも?」

「ええ。いいでしょう、香澄?」

 

 じっと彼女を見据えながら風花はその名を口にする。

 名を呼ばれた彼女は軽く欠伸をするとゆっくりと起き上って頭を軽く掻きながら頭を振る。ずりずり、とお尻と両手を使って軽く箱の端へと移動すると、そのまま重力に任せて落下し、一番下の箱へとすとん、と腰を落ち着かせる。

 目の前まで下りてきた彼女をじっと見れば、増々彼女が若く見える。何せこうしてみる限りでは十代の少女にしか見えない。欠伸をしながらぼうっとしているこの少女こそ、「伝説の情報屋」と謳われた香澄なのだ。

 

「……で? 対価は、用意してるの?」

「…………これでいいかしら?」

 

 ぐっと拳を握りしめた風花の右手には強い力が渦巻いている。強い風の力が圧縮されたその右手を開けば、掌の上には緑色の珠がうっすらと光を放っている。少しずつ渦巻く風は珠へと収束していき、やがて風は落ち着きをみせる。

 淡い光を放つそれはまさに宝石と称してもいい。それも強い力を放つ宝石だ。それを見つめる香澄の表情は相変わらず気の抜けたようなものだが、小さく頷いて右手の人差し指をくいくい、と挑発するように何度か曲げる。

 するとまるで引き寄せられるように珠が宙を舞って香澄の右手に収まった。

 

「…………風の大宝玉。いいよ。話、聞こうか」

 

 風の力を高圧縮させることで生まれた魔力の塊。それが風の宝玉。

 それよりも更に強い力を圧縮された物が大宝玉と称される。

 自然の領域まで到達した風花の力で作られた風の大宝玉は香澄の眼鏡に適ったようだ。それをチェックし終えると軽く手を振るうだけで風の大宝玉は一瞬にして消え去った。しかし風花は表情を変えず、口を開く。

 

「まず一つ質問。狂化竜については知っている?」

「……ん。……神倉朝陽が力を得るために作った存在」

「ではどれだけ残っている?」

「…………十前後。……ついでに言えば、雑魚は消えた」

 

 香澄が言う雑魚は恐らく中級クラスから上級クラスあたりだろうか。つまりリオレウスクラスは全滅。そこらのハンターでは対処しきれないレベルのものが生き残っているという事か。

 腕を組む風花は少し考え、香澄へと問いかける。

 

「ラティオ活火山にいるのは……炎耶(えんや)で間違いない?」

「……ん。あのテオは炎耶。自分の意志で行動しているようで利用されている。……死ねばいいのに」

 

 気だるそうな雰囲気を消さず物騒な事を呟くが、こういうのは彼女にとってはいつもの事だ。こてん、と体勢を崩して箱に肘を立てて頬杖をつく。はらり、と裾の辺りがはだけて太ももが露わになるが、気にした様子は全くない。

 そして炎耶とはあのテオ・テスカトルの事らしい。

 

「あれはシュヴァルツに対していい印象を持っていなかったし、やっぱりそういう意志がある?」

「……そう。シュヴァルツを殺す為にシュヴァルツの因子を受け入れた。……今は様子見。殺すんだったら今の内にやっとけば?」

「香澄はやはり手を出さないのね」

「ははっ、何を言ってるの? 手を出すわけないじゃん。……わたしはあくまで情報屋で傍観者。……知っているでしょ?」

 

 どこか強い意志を感じさせるような鈍色の瞳。完全に自分の立ち位置を認識し、己の領分を果たす者の目だ。この数分見てわかる通り、だるいを地でいく彼女が見せる強い瞳。それだけでも彼女が只者ではない事がわかる。

 

「そうね、訊いた(わたくし)が馬鹿だったわ。あの女とならぶ観測者で傍観者、そして『真眼』の二つ名を持つ“世界”に属する存在。あなたはただ見ているだけ、なのよね」

 

 そう、彼女もまた“世界”に属する存在。“自然”の領域にいる風花よりも上に位置する存在なのだ。こうして普通に会話しているが、立場的には香澄の方が上。しかし彼女が気にする事などあまりなく、むしろ敬語を使われる方がめんどくさいと感じるらしい。

 ふぁ……と欠伸をした香澄は「……そう」と肯定し、唇の端を歪めながら目を閉じる。風の大宝玉を手にしていた右手を軽く動かせば、残っていた風の力が小さな煙となって彼女の細い指に弄ばれる。

 

「わたしは見ているだけ。あの『七禍』と違って手を出したりはしない。……だって、めんどくさいじゃない。……誰がどんな目的を持ってようが、誰が勝とうが、どれだけ命が消えようが……どうでもいい。だって命なんて――」

 

 ひらひらと指を動かせばそれに従って煙はゆらゆらと宙を踊る。指を動かすのをやめれば煙はまるで蛇のように白い指へと巻きついてくるが、その蛇をぐっと握りつぶすようにすれば……煙は彼女の掌の中で消え去る。

 

「――いつかは消える。いつか消えるんだったら、今消えようと同じ事。……でしょう?」

「…………」

 

 感覚が普通の人々と全然違う。それだけで彼女が普通じゃないというのがよくわかる。とはいえ風花もその考えが何となくわかってしまう思考を持っているため何も言わずに腕を組むだけだ。

 異を唱えるようなことはしない。長く生きた事で彼女もまた命に対する考えがそっちの領域にまで届いている。それにこうしてだらけてはいるが、彼女と事を構えれば分が悪いのは自分だ。

 ここは既に香澄のフィールド。彼女の土俵に立っているという時点で分が悪い。

 何も言ってこない風花に気づき、香澄はちらっと風花を見ると話を進めるように軽く手を振った。

 

「…………で? まだ訊きたいことはあるんでしょ? まだ対価の分は残ってる」

「じゃあ……そうね、女狐はどうしているの?」

「……女狐? ……ああ、あれか。ははっ、女狐、女狐ねぇ……死ねばいいよ、あれは」

 

 また物騒な事を口にしているが、雰囲気は全く変わっていない。普通に話をするようにぽん、と出てきたらしい。

 それだけ女狐に対していい印象を抱いていないのだろうか、と風花は少しだけ首をかしげるが、その疑問は香澄が続けるように淡々と話していく。

 

「ああ、別にその女狐の全てが気に入らないってわけじゃない。あれが自分の庭で好きにするのはいい。……でも歴史を改ざんするっていうのはいただけない。……ただそれだけ」

「……どういう事?」

「ん? 知らない? あ、そう。なら気にしなくていい」

 

 話の流れをぶった切るように素っ気なく言うものの、それで風花が納得するはずもない。「教えて」と一言告げれば、情報屋としては話さなければならないのか、と香澄は思考する。

 少しだけ思案するように目を閉じた香澄だったが、やがて話を纏めたようでぽつりと話し始める。

 

「……女狐は過去に一人の人物に成り代わった。そしてその人物になりきって行動し、歴史を変えた。それも記録に残る程にね。……それだけの話」

「その人物とは?」

「…………風花もよく知っている人物。人間でありながら稀代の魔女となったルナ・フォックス」

 

 その名前を告げると、風花は一瞬理解できないといった表情を見せながら固まる。だがすぐにそれを解き、思わずこの香澄相手に「本当なの?」と訊いてしまったのはよほど動揺していたのだろう。

 流し目で風花を見詰めながら「……ははっ、わたしを誰だと思っている? 死ぬ?」と軽い口調で返ってきた。覇気も感じられないし、気だるさの雰囲気も消えていない。だというのに、気だるさの消えない瞳でじっと風花を見つめるだけで、彼女はうっすらと一筋の汗を流してしまった。

 やはり彼女は風花よりも上に位置する存在。それを改めて認識させる。

 だがそれよりもルナ・フォックスがあの少女だと?

 その名前は魔法学においてどこでも見られる名前だ。人間でありながら高い魔力と才能を保有し、様々な魔法を編み出し、書物にして記録した。それだけでなく彼女自身も世界を渡り歩き、魔法を各地に広めていく事で、魔法は魔族だけのものではなくなったと言われている。

 その高い功績を残して亡くなった彼女を称え、また魔族としては人間でありながら彼女のその才能と功績を畏怖と疎みを持って、人々は彼女を「魔女」と呼んだ。

 

「……ルナ・フォックス自身も確かにその記録通り高い才能と魔力を持っていた。でも女狐がやった事まではしていない。……どういう考えがあってか知らないけど、女狐はルナ・フォックスとして行動し、あそこまでの功績を作り上げて死んだ……ように見せかけて自分はルナ・フォックスである事をやめた」

「歴史改ざんなんて白皇が見逃さないんじゃないの?」

「……さてね。白皇はあくまで世界を安定させるために動くだけ。そのくらいの変化はどうでもいいんじゃない?」 

 

 考えられるのはルナ・フォックスの影響力を利用して何かしたかった、だろうか。様々な魔法書を残し、世界を渡り歩いて魔法を広める。その傍ら別の目的を達成させようとした、と推測できる。

 それだけのために人一人に成り代わっただけでなく歴史改ざんとは……普通やらないだろう。やる事が一々面倒だろうが、それくらいの時間の感覚は長く生きれば曖昧になっていくものだ。

 それに人の人生を変えてしまうだけでなく、その功績の度合いを変えてしまっても問題ない、と白皇は考えたのか。人の歴史よりも世界の安定。それが白皇にとって優先するべき事。だから見逃した?

 

「……ああ、そういえば風花、お前女狐の駒みたいなものだった?」

「…………」

 

 白皇の事も気になったが、女狐の駒という単語に風花は口を閉ざしてしまった。それを見て香澄が小さく鼻を鳴らしてそっぽ向く。

 

「ふーん、ま、いいけど。あれからお前の前に姿を見せてないんでしょ? なら、もう風花がどう動こうが、女狐は知った事じゃないんじゃない?」

 

 そういえばそうだ。狂化したババコンガの一件から一度も姿を見せてこない。あの時は苛立たしさを抑えきれずに目の前から離れてしまったが、もう少し話をしておくべきだっただろうか。

 白髪に真紅の瞳、扇であおぐ小さな少女。傍から見ればあの有翼種の双子と同じくらいの幼女にしか見えない。しかし実際は自分よりも長く生き、“世界”の領域まで達した存在だ。

 彼女もこの一件に関わり、このシュレイド地方に身を潜めている。どこにいるかは大体わかるが、これまた誰かに成り代わって日々を過ごしている。ご丁寧に自分の存在感も縮小しているものだから特定する事も難しい。

 誰かを欺く事に関しては彼女の右に出る者はいないと称される存在なのだから無理もない。

 

「……ま、女狐が何を考えているのかはわたしの知った事じゃない。……どこにいるかと訊かれれば、基本的にはミナガルデにいると答えよう。女狐に関する事はこれ以上の情報は出す気はないから、そのつもりで」

「そう、十分よ。じゃあ次は……ヴァナルガンドについて」

「……へえ?」

 

 そこで今まで気だるげにしていた香澄が初めて興味深そうな雰囲気を見せた。頬杖をついていた手を解き、体を起こしてじっと風花を見据える。その瞳も生気が戻っており、強い気を感じさせる視線が射抜くように風花を捕えて逃さない。

 

「ここでヴァナルガンドの事を訊く、か。知ってるの?」

「ええ。最近現れたそうね? 情報封鎖しているみたいだけど、あの強い気配……ヴァナルガンドが現れたのは間違いないわよね?」

「……ん。ヴァナルガンドはこのシュレイド地方に現れた。……で?」

 

 何が訊きたい? と視線で問いかける。ということはまだ対価を完全に消費していないようだ。

 彼女の情報の売買は先払いが基本だ。後払いでもいいが、その場合提供した情報に見合うだけの対価が支払われなかった場合、どうなるか分かったものじゃない。そのため先に対価を支払い、それに見合う分の情報を提供してもらうのが自分の身に優しい。

 風の大宝玉はその価値の高さから当然かなり高い対価になる。今まで結構情報を提供してもらっているが、まだまだ全部消費しきっているわけじゃない。情報はまだ提供してもらえる。

 ならば知りたい事は全てはっきりさせておこう。

 

「あれからヴァナルガンドの足取りが掴めない。どこに行ったのか、教えてもらいたいのだけど」

「…………ふっ、なるほど。当然それは知りたいか」

 

 くつくつと低く笑いながら目を細める彼女は歳に似合わない黒さを感じさせる。露わになっている太ももの方の足を曲げて抱え込みつつ体を曲げると、だらけてた影響で襟もはだけてしまっている。

 暗がりで見えないが白い肌と胸元が見えそうで見えないチラリズムを生み出しているのだが、やはり香澄は気にした様子もない。風花も一瞬表情を変えて忠告しようとしたが、彼女の性格を思い出してやめておくことにした。

 

「あれは今もシュレイド地方にいる」

「……その割には気配を感じないけど、やっぱり力を抑えているせい?」

「ん、当然でしょ。そう易々と伝説種は居場所を知られないもの」

「そう。……もしかして旧シュレイド城付近にでも身を潜めているのかしら?」

「残念、はずれ」

 

 軽く指を揃えて腕を交差させながら否定する。その答えに風花は表情を変えた。

 力を抑えているとはいえあれだけの存在がシュレイド地方で身を隠すのは難しい。誰も寄り付かない旧シュレイド城ならば身を隠すにはうってつけだろうと考えたのだが、いない、だと?

 では一体どこに消えた?

 自然が多いとはいえ伝説に語られるヴァナルガンドだ。見つかれば大騒ぎになるのは目に見えている。だからこそ誰にも見つからない旧シュレイド城しか隠れ場所がないはず。

 そうでないならば、一体どこに消えたというのか。

 香澄は情報に関しては嘘は言わない。シュレイド地方にいるのは事実であり、しかし旧シュレイド城にいないというのもまた事実。

 口元に指を当てながら考えるが全く思いつかない。……思いつかないならば訊くしかない。

 

「……どこにいるの?」

「…………その前に風花、お前ヴァナルガンドについてはどこまで知ってる?」

「? 伝説種が現れる場所に前もって姿を見せる。そして伝説種の行動を見守り、消える」

「それだけ?」

 

 その問いかけに頷くと「ふーん……」と呟きながら頭をぽりぽりと搔く。風花も長くは生きているし、ヴァナルガンドも過去に一、二度は見た覚えがある。しかし奴について知っているのは基本的な事だけだ。

 どうして伝説種にまで昇華され、どうしてああいう行動をしているのかまでは知らない。

 香澄は当然それを知っているのだろう。だがこの情報はかなり高くつくんじゃないだろうか。書物にも記されず、誰も知らないヴァナルガンドの深い情報。

 ……間違いなく高い。

 

「……まあいいや。ヴァナルガンドはここにいる。それだけは言っておく。ヴァナルガンドの深い情報は……高いよ? 他にも知りたいことがあるって言うなら、そっちを先にやっておけばいいと思うけど」

 

 風の大宝玉による対価の残りでも厳しいランクらしい。ならばもう一つ訊きたいことがあったからそっちをやっておこう。足りないならばもう一つ作り出して対価として渡すだけだ。

 

「あの女について教えてほしい」

「……あの女? …………ああ、七禍?」

「そう。獅鬼達を駒として使っているあの女よ」

「……ふーん」

 

 そこで香澄はどういうわけか唇を小さく歪めながら鼻で笑う。一体何に対して笑ったのかはわからないが、一度目を閉じて話す事を纏め、膝を抱えながらゆっくりと話し始める。

 

「……わたしと同じく基本的には傍観者。様々な平行世界を眺め、たまに干渉する。平行世界を一つの本と称し、まるで読書でもしているかのようにぼうっと眺めるのが日常。……今回は何らかの目的を持って干渉している。……さて、知りたいのはこれだけじゃない?」

 

 それに頷くと膝を使って頬杖をつき、風花から視線を逸らしながら口を開いた。

 

「……身なりでわかるように以前は東方人。ハンターだったこともあってハンター装備を持っている。他者を駒扱い、というか女狐と何かゲームをしているらしいから、今回のこの世界は本じゃなくてゲーム盤として見ている」

「女狐とゲーム? どういう事?」

「女狐も何らかの目的を持っている。……で、どっちが目的を達成できるか競っている。お互い何らかのアクションをお前達に起こし、後は流れるままに事の流れを傍観し、目的を達成できるかを見守る。……当初はね。女狐が歴史を変えたから、七禍も黙ってはいられなくなったらしい。こうしてここにやってきた」

 

 歴史を変えたというのは先ほどの話の事か。確かにあれだけの影響力を持つ人物に成り代わったのだ。それによって流れが大きく変わり、それは微細な影響を起こして読みが外れることに繋がるだろう。

 ゲームの在り方を変えてしまいかねない事に対戦者としては黙っていられなくなるのも無理はない。

 しかしそう感じられるのはこの世界を外から眺められる彼女達だけだ。この世界に昔から暮らしている風花はそれが当たり前として認識している。こうして外から見られる彼女達から教えられなければそうである事は知りうることはない。

 それはつまり、香澄もまたこの世界を外から眺められる一人である事を証明する。それは彼女が“世界”に達したからであり、彼女もまた無限に広がる平行世界を移動できる存在だからだ。

 だからこそなかなか捕まらない。会おうと思っても会えないし、その情報の正確さも頷ける。とはいえ彼女の情報収集力は“世界”に達する以前から高く、彼女の力をもってしてそれを成功させてきているのだが。

 

「七禍は神倉獅鬼に情報を与え、あれを動かして自分の思い通りの結末を作ろうとした。今のところ恐らく彼女の思い描く結末からは大きく外れていない。……でも確実じゃない。だから少しでも近づけるために今干渉を開始した。……ははっ、どんなに変わってしまっても否定しても、あれもまたヒトの心は完全に失っていないという事よ」

「……?」

「……ん、何でもない。…………で? 七禍の事はもういい?」

 

 彼女は目的がある。それを達成させるために獅鬼を使い、鍵を探させた。

 それは高い実力を見いだせるハンターと、シュヴァルツの血統。それに加えて獅鬼の望みで自分達のような存在を三人。風花、雷河、焔。

 シュヴァルツの血統は順調に集まっている。それに加えて将来的に期待できそうなハンターも集まった。今彼らは実力を高めるためにそれぞれ修行している。恐らく次に会う時はドンドルマの時よりも幾分マシなハンターになっている事だろう。

 それが彼女の目的を達成させるための要素になる?

 どうして?

 というか目的って何?

 

「……目的? ……ん、知っている。……でもこれも高い。どうする?」

「まずこれからかしらね。あの女の本名は? 私は名前が菜乃葉としか知らない」

「本名……ね」

 

 本名くらいならば安いだろう。そう思って尋ねてみたが、そこでまた香澄は思案するような表情を見せた。それも数秒だけだったが、「まあ、これくらいならいいか」と頷く。

 

「七禍の本名、それは――」

「――待ちなさい」

 

 そこで響く第三者の声。よく通る少女の声は香澄の言葉を止め、ぴくりと風花の体を一瞬跳ねさせた。二人の視線が路地裏の奥へと向けられると、深い闇の奥から黒い少女がゆっくりと姿を見せる。

 闇に溶け込むほどに黒い長髪は藍色のリボンで結ばれたサイドポニーを作っており、彼女が歩くたびにゆらりゆらりと揺れている。同じく吸い込まれそうな闇色の瞳はじっと二人を見据えて離さない。香澄と同じく和服を身に包んでいるが、やはりそれは特殊なものだった。

 上は肩を露出する薄い紺の和服を藍の帯で締め、その上に黒い羽織を着こみ、下は黒いスカートのようなものを白い帯で腰元にとめて自然と流すタイプ。その為彼女の白い素足が黒い布からちらちらと見え隠れしている。

 これが彼女の私服。

 上から下まで黒に染まった黒き少女。

 七禍こと菜乃葉本人が姿を見せてきたのだ。

 

「…………来たの」

「よく言うわね。途中から私の存在に気づいていたくせに。……まあいいわ。そこのクシャル? 私の事が知りたいようね?」

「……っ」

 

 どこか妖艶に微笑する菜乃葉の視線に撃ち抜かれ、風花は息を呑む。どう見ても年下に見える彼女とて“世界”に属する少女。しかも性格的にも視線だけで相手を威圧する事が可能だ。

 でも彼女は怒っている様子はない。ただ風花を見つめているだけなのにこれだ。流石と言うべきか。

 

「……別にいいわよ? 全部は教えないけど、今回は特別よ。……残念だけど本名は告げられないけどね」

「では、貴様の目的は何? 一体どういうつもりで干渉を始めたの?」

 

 傍観者である事をやめ、自分もまたこの世界に関わった理由。それは確実に自分の目的を達成させるためである事は推察できる。ではずっと見ているだけだったのにそうまでして達成させたい目的とはなんなのか。

 ずっと読書をするように数多の平行世界を渡り、眺めてきた菜乃葉が叶えたい願いとはなんなのか。

 それが一番気になった。香澄に訊けば高くつきそうだが、本人ならば無料だろう。

 彼女の眼力に負けぬようじっと菜乃葉を見据えて風花は問う。

 しばらく無言でそれを受け止めていた菜乃葉は「……そうね」と呟きながら軽く腕を組み、思案するように目を閉じる。やがて薄く瞳を開くと、「大まかに言うならば……」と前置きし、

 

「シュヴァルツの血統を守るため、かしら?」

 

 その答えは予想だにしなかった。香澄が興味なさげな表情で欠伸をする傍ら、風花は呆然としていた。

 シュヴァルツの血統を守る?

 あの菜乃葉が一体何を言っているのか理解出来なかった。

 シュヴァルツの血統は、この領域まで来ると他の者達がどう考えているのかが何となくわかってくる。ほとんどの者達はシュヴァルツをよく思っていない。

 当然だ。

 彼らは自分達を滅ぼす事が出来る血統。人族でありながら他のハンター達よりも自分達を殺せる確率が高い血統。古龍だろうと、伝説種だろうと、その有り余る力と才能で研磨された実力という名の刃で斬り伏せてくる。

 かの白皇曰く、「世界の歪み(バグ)」。

 龍殺しのハンターの中でも飛び抜けた龍殺し。それでいて堕ちれば龍だけでなく人族であろうとも殺しつくす殺人鬼。

 だからこそ「世界の歪み(バグ)」と称した。

 生まれてはならなかった存在だと白皇はシュヴァルツの存在を認めなかった。彼女は当然シュヴァルツを消そうと働きかけようとしたが、シュヴァルツには欠陥があった。

 その殺人鬼の特性は同族殺しを内包し、シュヴァルツ同士で殺し合いもするという一点に目を付けた。自分が手を出さずとも、彼らが勝手に殺し合いをする。

 ならば一度放置してみようと考えたのだ。

 そうして時が流れ、大戦では彼女の推測通り、多くのシュヴァルツが殺し合ってその数を減らしてくれた。バグはバグを取り込み消滅していく。その流れに一度は満足したのだ。

 白皇が認めないならば自分も認めない。あるいはシュヴァルツの恐怖を知っているから認めない。そういう考えを持つ者達が同じく“世界”や“自然”などの領域に達した者達でも広がり、彼らの間でシュヴァルツはタブーという認識が生まれた。

 だからこそ、同じ“世界”の領域にいる菜乃葉がシュヴァルツを守るというのが理解できない。

 いや、別に風花自身もシュヴァルツを認めない、というわけじゃない。今回の一件以前からシュヴァルツに対してはどうでもいい、という認識を持っている。確かに彼らは過去に大きな脅威をもたらしたが、同時に各地で猛威を振るった強大な存在に対する切り札でもあった。

 それに堕ちていなければ彼らは特に有害な存在ではない。

 だからどうでもいい。そういう考えを持っている。

 消えてほしいとは思わないし、守りたいという考えまでも至らない。そういう立ち位置にいる。

 ごくり、と一度唾を飲み込み、菜乃葉へと静かに問う。

 

「本気?」

「ええ。大まか、だけれどね。何か問題でも?」

「シュヴァルツの血統を守る……それは、あの白皇と敵対するって事でしょう?」

 

 シュヴァルツを消したい白皇。

 シュヴァルツを守りたいという事はそんな白皇の意志に反する事だ。

 白皇に敵対する者はいない。なぜならば彼女が世界の監視者であると同時に世界の神であり、神に逆らおうと考えるものなんて存在しない。彼女自身の力も高く、過去に彼女に逆らって挑んだ者は問答無用で消されたという話が存在している。

 実際に会ったことがある者が限られているが、彼女の存在感、噂が上の領域にいる者らに飛び交っているため、彼女を敵に回すという考えを持つ者がいなくなる。

 何より、彼女自身がこの世界に存在している竜種の母という伝説が残っているのだ。血統を遡れば彼女に行きつくという伝説があるため、祖に挑もうという考えも湧いてこない。

 世界の神にして自分達の祖なる者。

 その根源があるから誰も逆らわない。彼女の意志に従う。

 そんな暗黙のルールが生まれてしまったのだ。

 それを破る。

 並大抵の覚悟じゃ出来ない事だ。

 なのに菜乃葉は相変わらず目を細めながら微笑を浮かべるだけ。

 

「だから? それは貴女達龍種の都合でしょう? 私は龍種じゃない。元ヒトよ? ヒトが龍に挑んで何か不都合があるのかしら?」

 

 そうだった。菜乃葉は元人族なのだ。人族でありながら“世界”の領域にまで上り詰めた存在。だから白皇へと挑もうという考えが浮かんでくる。“自然”に達している風花でも知っている白皇の噂。それを耳にするだけで彼女に挑もうなんて考えは湧いてこない。

 クシャルダオラという古龍種もまた血統に刷り込まれたルーツに縛られる。全ての竜種の祖ならば彼女もまた白皇によって生み出された竜種の一種なのだから。

 

「……勝算はあるのかしら? 貴女も知っているはずよ。白皇の実力を……」

「…………普通は無理でしょうね。揃えた駒、高められた力……そして、私。特に私の場合はこれがある――」

 

 呟きながら放たれた覇気には風花がどこかで感じた事がある一つの気迫が含まれていた。それに飲み込まれた瞬間、ざわりと背筋が震える感触。本能がざわつく感覚。

 殺気だ。

 首筋に刃を当てられたかのように冷たい殺気。

 心臓を握られているかのような本能からくる恐怖。

 そしてそれに対抗しようとする龍としての狩猟本能への刺激。

 わけがわからないままにはしり抜けるその感覚に硬直すると同時に理解した。

 彼女もまたそうなのだと。

 

「――さて、満足?」

 

 どこか余裕な雰囲気でそこに佇む菜乃葉。なるほど、“世界”にまで上り詰めるわけだ。

 立ち居振る舞いに隙は見当たらない。これはハンター経験だけでなくそういう経験を積み重ねた結果。

 内包する魔力もバカにならない。生まれつきのものか、長い時の中で自然エネルギーを取り込んだか、高めてきたのか。

 外見に似合わないその表情……は自分達もそうなのだからおいておく。

 放たれる雰囲気……“世界”に達したものだからというだけでなく、そういうものだからと考えれば、またざわりと心が揺れる。

 相性が悪い。

 恐らく自分は彼女に勝てないだろう。下手な事を考えればまずい事になるだろう。

 でも普通に話をする分には問題ない。この機会に訊く事は他に何かないか?

 小さな雫を頬に浮かばせながら考え、考え、……ふと疑問に思った事があった。

 

「……どうして貴女は『七禍』なの?」

「ん? ……ははっ、そこに気づくんだ」

「なるほど、いい目の付け所ね」

 

 “世界”に達した者は二つ名が与えられる。かの白皇も当然二つ名であり本来の名前を持っているし、香澄の真眼も二つ名だ。女狐に関してはただの風花と菜乃葉がそう呼んでいるだけで二つ名ではない。

 白皇は彼女が白き王であり、また同時に神だ。しかしただ神と呼ぶのも恐ろしく畏れ多いという事で皇帝にランクダウンさせたのが定着した結果だ。彼女としてはそう呼ばれるのは別に気にしていないらしく、そのまま二つ名としていつの間にか決定されてしまった。

 香澄の場合は情報屋であり、彼女自身が嘘偽りが通用しないという事実に基づいた二つ名だ。

 彼女の前で嘘をついても無駄。

 変化の術で誰かに成り代わっても無駄。

 事実を隠ぺいしても無駄。

 彼女の眼が全てを暴き出してしまうことから、真実を見る眼を持つ者として『真眼』と呼ばれるようになった。

 香澄がこんな目を持っているため、誰もが欺かれてしまうあの女狐とやらの変化すらも通用しない。あの少女にとって香澄は天敵といってもいい存在である。

 では菜乃葉の七禍は何なのか。

 

「私の『七禍』はあの(ひと)が勝手につけた二つ名よ」

「…………とある事があって白皇がそれを継承させた。だから七禍は菜乃葉のものじゃなく以前の七禍のもの。菜乃葉自身の二つ名ではない」

 

 継承させた? つまり以前の七禍の座に菜乃葉が付いたという事なのだろうか。

 それにこの七禍という文字の並び……かなり違和感がある。

 普通に聞けば「ななか」。

 それは人の名前らしく聞こえるが、こうして東方文字に変換させれば雰囲気は一変する。

 なんなのだこれは。これが二つ名? 以前の七禍はよほど不吉な存在だったらしい事を窺わせる。七つの禍だなんて一体どういう――――ん?

 風花の頭の中で何か引っかかるものが生まれた気がする。

 

「…………ははっ、気づいた? そういう事」

「ふふっ、これ以上はもう話す事はなさそうね。じゃあ私は行くわ」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! そんな、バカな話が……」

 

 思わず呼び止めようとしたが菜乃葉は既に背を向けて「話は終わりよ」と話を打ち切って歩き出そうとしていた。しかし肩越しに僅かに振り返り、だらけている香澄へと視線を向けると、闇色の瞳でじっと睨みつけるように見据えた。

 

「……香澄、貴女が中立を保ち傍観する事は知っている。でも、下手に情報をばら撒かれても困るのよ。ほどほどに願うわ」

「……ははっ、死ね。わたしは別に誰の味方でもない。誰に情報を渡すのかはわたしの勝手」

「それで昔、人が死ぬ事を知ってたのにね」

 

 くすり、と微笑を浮かべれば、香澄もまたにやりと笑みを浮かべながら「言ったはず」と呟く。

 

「誰が死のうが知った事じゃない。求められれば気分で提供する。それで誰が死んでもわたしは関係ない。……それがわたしの立ち位置」

「……本当、性質が悪い情報屋だこと」

「ははっ、マジ死ね」

 

 物騒な軽口を背に受けながら菜乃葉は最初と同じように静かに闇の中へと消えていく。ぷっつりと彼女の気配が消え去ると、また大きな欠伸を見せながら香澄が起き上り、ゆっくりと体を伸ばしていく。

 そして無言で菜乃葉がいた場所を見つめ、ちらりと香澄を見てきた風花へと微笑を浮かべると「……話は以上?」と訊く。

 ヴァナルガンドの深い情報について訊きたいが、やはりというべきか今まで提供した情報のおかげで風の大宝玉の残りの分の対価では釣り合わないようだ。「……でも、何となくは見えたはず」と微笑するとゆらりと彼女の姿がぶれ始めた。

 

「……今回の営業はこれで終了。残りは次回に持ち越し可能なので、訊きたいことがあればまたわたしを探してみるといい」

「と、突然ね……」

「……ははっ、こっちにも都合というものがある。どうやら白皇の駒がわたしを探し出したからね」

「白皇の駒?」

 

 また聞いた覚えのない単語が発せられた。風花の疑問に香澄は頷き、やれやれとため息をつきながら首を振る。

 

「白皇とて細かいところが見える訳じゃない。そういう所を担当する駒が世界にぽつぽつと存在している。人の視線での監視者ってところ。……当然実力も高く、それでいて違和感なく人の暮らしに溶け込んでいる。……もしかすると、お前もどこかから見られている可能性もある」

「つまり、白皇の直属の部下ってところ?」

「そう。当然今回の一件にも関わっているし、シュレイド地方に一人いる。……わたしの事も追ってきているし、めんどうな奴だよ……ははっ、死ねばいいのに」

 

 吐き捨てるように言いながらどんどんその姿は薄れていき、やがて消えてしまった。存在感が元々希薄だったのに、姿が見えなくなった途端本当に今までそこにいたのかさえ疑う程に香澄という存在が消え去った。

 「じゃあ、またのご利用お待ちしています……ってな」という言葉を残して一陣の風が吹き抜けた。香澄はもうここにはいなくなった。そう感じると一度緊張を解くように深呼吸する。

 ただ情報を求めて香澄と接触しに来たのに、どうして菜乃葉まで現れたのか。“世界”に達した人物二人を前にすると、やはりというべきか体ががちがちに緊張する。そうならないように心を強く持っても、菜乃葉のあの気配がそれをへし折りに来る。

 難儀なものだ。

 片や人族が“世界”となった者。

 片やオオナズチが“世界”となった者。

 本当に……難儀なものだ。

 でも接触した甲斐はあった。思ったよりも情報は得られた。それだけでなく菜乃葉自身の事も多少は知れた。一度これを整理して纏めてみるとしよう。

 自信を風で覆うように小さな竜巻を発生させ、風花の姿はそこから一瞬にして消え去る。

 

 その場所を監視するようにそっと姿を見せた人の姿など、風花は気づく事もなく。「……逃げられましたか」とぽつりと漏らしたその人物は小さくため息をつくと、来た時と同じように静かにその場を離脱する。

 

 人の気配もしないスラム街の一角は再び静寂に包まれたのだった。

 

 

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