ヴェルドへとやってきた獅鬼達は現在の状況を把握するために動いていた。シュレイド王家によるハンター招集のおかげでヴェルドはかなり活気に満ちている。道を歩く顔ぶれはドンドルマと違って一般人が多いヴェルドだが、今では結構ハンターが混ざっているように見られる。
ハンターがいつもよりも集まっているおかげで商店街では呼子が張り切って声を出し、客を取り入れようと頑張っている。そんな光景を流し見しながら獅鬼達は歩き進め、ギルド支部へと向かっていった。
支部に入るとほとんどの視線が獅鬼達へと向けられる。今度は一体どんなハンターがやってきたのだろうか、という好奇心が大半か。そして驚くだろう。
赤いローブに仮面をつけた獅鬼、フードを被っているので髪の後ろへと伸びる角が隠されているが、それでも滲み出る力の波動が感じられる雷河、そしてアイルーの焔。
変わったチームだと感じられるだろう。だから視線を外していくハンターがいれば、奥へと進んでいく獅鬼達を追うように視線を動かす者達がいるのも仕方のない事だった。
カウンターへと向かった獅鬼を迎えたのは一人の受付嬢。彼女は獅鬼の事を知っているらしく、にこりと微笑んで「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。
「例の物をいただこうか」
「かしこまりました」
一礼すると引き出しから書類を取り出す。それを獅鬼へと素早く手渡すと、獅鬼もまたそれを素早くローブへと納めた。これを他のハンター達に知られるわけにはいかないのですぐに他の用件を口にする。
「最近の調子はどうだ?」
「そうですね、集まったハンター達の士気が高く、いい感じにクエストが回っています。狂化竜もまた犠牲はありますが、順調に数を減らしています。……とはいえ残りがどれほどのものなのか、そしてどれだけの実力を内包しているのか。現在不明ですが」
出現すればデータが取れるが、他の飛竜に混ざったり自らの住処などの奥地に潜まれたりすれば把握できない。各地に調査隊や古龍観測隊を派遣しているも、やはりというべきか出現前に把握する事が難しい。
そしてシュレイド地方を覆う闇は、感じられる者からすればもう普通に感じられる程濃度が深まっている。このヴェルドにいる術者もそれぞれ不安を抱え始め、生活に支障が出るものまで現れているという報告も上がっている。
しかしそれを普通に感じられないハンター達はああしてみればわかる通り、それぞれ打倒狂化竜を掲げて士気を上げて盛り上がっているのだ。余計な事を考えずに盛り上がれると考えればある意味救われるだろうが、これ以上濃度が深まればあの中の何人かは不安を抱え始めるだろう。
そうなればハンター達の士気も低下していき、戦いに支障が出てくるのは目に見えている。その前に全てにケリを付けたいところだ。
「また何かあれば情報を提供してもらえるとありがたい」
「はい、かしこまりました」
そう告げると獅鬼達はギルド支部を後にする。その間もハンター達の視線があったが、それを完全にスルーしていったのだった。
彼もまた名がそれなりに売れている神倉の者だが、その風貌から彼がそうであると知る者はほとんどいない。だから最後まで変わったハンターだという認識しかされなかった。
街に出てきた三人はすぐに分かれることになる。雷河と焔は宿の確保を、獅鬼は軽く街を見回って何か小さな情報がないかを探る事にした。情報は何もそれぞれの施設に集まったものだけじゃない。人と人との会話、噂にも小さな情報が眠っている事がある。
人の間を縫うように歩きながら獅鬼は静かに耳を傍立てて人々の会話を盗み聞きしていく。大抵はただの日常会話が多いが、どこかの村が被害を受けたとか、逃げる商人達が何かを見たとか、そういう情報も耳に入ってくる。
「一般人の中でも闇を感じられるものもいるか」
こういう領域には関係のない普通の人の中にもこの空気が感じられるのもいるようだ。顔ぶれを見回せば、闇を感じた事で気分を悪くしているような表情を浮かべている人がいるのが確認出来た。
一般人の多い商店街からハンター達が利用する店が並ぶ商店街へと移動すれば、ヴェルドに集まっているハンター達がひしめく光景が見かけられた。こっちはチーム内でのハンター同士の会話が基本になっている。
知り合い同士ならだべる事もあるが、基本的にハンター達は他のハンターとはあまり関わらない。それも今この状況ならば、それぞれが獲物を狙うライバル同士だ。狂化竜を討伐し、名を挙げて王家から報酬をもらう。
それを狙ったハンター達。
命を懸けるに相応しい舞台がこのヴェルドに整っているのだから無理もない。
「……こっちは期待出来そうにないか」
そう考えてまた別の場所へと移動しようとした時、人ごみの中に一人の人物が目に留まった。
黒い長髪をした若い少女だ。このヴェルドでは珍しい東方の和服を着用した彼女は薄く微笑しながら人ごみの向こうからじっと獅鬼を見つめている。
「……っ!?」
思わず獅鬼は息を呑む。一体何故彼女がここにいるのだろうか?
ずっと姿を見せなかったのに、どうしてこのタイミングで姿を見せたのだ?
一体何の用なのだ?
様々な疑問が頭をよぎっては消えていく。
しかし、今そこに彼女がいるのだ。獅鬼は仮面の下で唇を噛みしめて人ごみの中へと身を投じる。こうして近づいても彼女は動かない。どうやら会う気はあるようだ。
そうして彼女の傍まで近づくと、その黒い瞳がじっと獅鬼を見上げる。
「久しぶりね」
「そうだな。一体どうしてここにいる? 七禍」
「そうね……その前に歩かない? ここじゃ話もしにくいでしょう?」
微笑を浮かべたまま七禍……菜乃葉は歩きだし、その後を獅鬼がついて行く。人の流れに従って二人は歩いていき、その途中で菜乃葉は静かに話し始めた。その声は獅鬼の耳に入ってくるが、他の人々には届かない。
「状況が変わったのよ」
「状況? 何があった?」
「そうね。あれがルール違反をしてくれたものだから、私も傍観するだけでは難しくなってきた、という感じかしら」
ルール違反?
それは世界のルール的な意味か? それとも菜乃葉と誰かが決めたルールの事か?
何にせよあの菜乃葉にとって想定外の事があったということが分かった。しかし菜乃葉がこうして出向く程の異変が起きたとなれば、自分も何らかの変化を感じると思うのだが、まさか異変を異変と思わない程の小さな物なのだろうかと獅鬼は考える。
そんな獅鬼の様子を感じ取ったのか、菜乃葉は小さく笑って肩越しに振り返った。
「ああ、別に四季が気にするような事じゃないわ。貴方は絶対に気づかない異変だもの。私達“世界”に属する者じゃないと気づけない、そんな大がかりな異変。それをやってのけたあの子もあの子だけどね」
「“世界”に属する者…………世界改変か?」
「……さあ? どうでしょうね?」
惜しい、実に惜しい。でも口にする義理はないと菜乃葉は目を細めて前を向く。
そうして歩いた先は商店がを抜け、住宅街の一角へとやってきていた。街の地図が載っている案内板の前に着くと、二人はそれぞれそれに背を預けて立ち止まる。
「さっき書類を手にしていたわね? あれ、この街に集まったハンター達の名簿かしら?」
「そうだ。それだけでなく討伐された狂化竜のラインナップもある」
そう言いながらローブに手を入れて受け取った書類を取り出し、中身を確認していく。狂化竜のデータは当然として、ハンター達の名簿があるのはこの中に使えるハンターがいるかいないかを調べるためだ。
この先の戦いは実力のあるハンターでなければ生き残れない。無意味に犠牲を増やす必要はない。将来のあるハンターを潰してまで平穏は得たくはない。……でも、それでも挑むのがハンターであり、戦士だという事も獅鬼は知っている。
例え命散るとわかっていても、その困難な壁に挑むのが人。そういうものを何度も見てきたのだから。
「情報、欲しい?」
「欲しいに決まっているだろう。だが教えてはくれんだろう?」
「そうね。……でも状況が変わったから、少しは提供できるわよ?」
「……何?」
意外な答えに獅鬼は驚く。そうまで状況とやらは変わったというのか?
本当に一体何があったのだろう? それ自体が気になってきた。
「それに、あのクシャル……香澄に接触してある程度の情報を入手したし。彼女からも話を聞いたら? あれも貴方の鍵でしょう?」
「クシャルは風花か。香澄とはまさか……伝説の情報屋か?」
「ええ。このヴェルドのとある場所で接触していたわ。残念だったわね? 四季も会いたかったでしょうに。ふふふ……」
当然だ。情報を求めるならば一番の方法は情報屋に接触する事。しかしこの一連の出来事を正しく知り得る情報屋などほぼいない。いるとするならば伝説の情報屋である香澄のみ。
だから世界を回ると同時に彼女がどこにいるかも陰で探っていたのだが、雲を掴むようにその情報の断片も見つからない。風花にも何かわかったら教えてくれ、とは言っていたのだが、彼女も香澄の事は知っていても接触する事は難しかった。
そんな風花が見つけられたか。しかもこのヴェルドで。
恐らくは突然の出現だったのかもしれない。どうせ欲しい情報を提供したらまた何処かへと雲隠れしたに違いない。
だが……菜乃葉も香澄がここに現れた事も知っているとは……本当に一体どういう存在なのだろうかと獅鬼は思う。菜乃葉が“世界”に属する事は知っているが、深い事までは知らない。同時に、香澄が“世界”に属する事も知らない。
彼女らは謎に包まれている。
今ならば、教えてくれるのか?
事情が変わったのならば、少しは自分の事も明かしてほしいものだ。
「七禍」
「なに?」
「一体何が目的だ? どうしてオレ達に味方をする?」
「あら? 誰が味方になったと言ったかしら? 私は貴方に手を貸してはいるけれど、味方になった覚えはないわ」
微笑を浮かべたままそんな事を口にする。これも彼女らしい答えだともう慣れた。なので一応これをスルーする。
「では訊き方を変えよう。オレ達をいいように使って、誰と戦っている?」
「…………ふふ」
「いいように使って」という部分に少しだけ笑みを深めたように見えたが、スルー……出来ないか。やはり自分に味方しているわけではなく、自分達を上手く利用しているらしい。そうしてまで一体何を達成させようというのか。
「そうね。それくらいはもう……知ってもいいかしら。四季、貴方最近誰かに見られているような気がした事ない?」
「……ああ。シュレイド地方に来てからそれがよく感じられるようになった。奴かと思ったが、それにしてはあの嫌な感じはしなかったからまた別の誰かと思っていたが……」
「そう。ならその視線の主が私の対戦相手よ。あの子、このシュレイド地方で活動しているから」
人の世に紛れ、自分の役割を果たしながらこのシュレイド地方を少しずつ自分の力の影響力を浸透できるようにした結果、自分の仕事をしながらでも他の場所の景色が見えるようになったという。
つまり、狙った相手を監視する事が可能であり、同時に警戒している相手がシュレイド地方にやってきた場合もすぐに感知できるようになる。世界の狭間にいればそんな手間は必要ないが、世界の中にいればこういう工程をしなければ見えないのが難点だ。
他の方法としては使い魔を作り出して各地に放つという方法があるが、そうすると使い魔を通した視界しか見えないのが難点だ。なので“世界”に属する者は大抵前者の方法を取る。
菜乃葉は世界の狭間で傍観する主義なので、世界の中で行動するのは稀だ。そのためこういう技術は身につけていてもあまり行使しない。ただそれを誰かがやっているな、という事は感じられる。
さて、自分を見ていたという存在は一体誰なのか。それを訊いてみたところ、菜乃葉はまたくすり、と小さく笑うと静かにその一言を告げた。
「『九尾』」
あまりにも有名なその二つ名。“世界”に通じるだけではない、この世界にだって通じるシンプルで強力な力を持つ二つ名。特に華国では意味のある名前だろう。
まさかそんな存在もこの一件に絡んでいるというのか。
だが何故?
「有り得ない。九尾は華国にいるんだろう? どうしてこんな中央の西にまでやってきて活動している? そんな事をして九尾に何の得があるんだ!?」
「……さあ? そんなのあの子に訊いてみなさいな。私はあの子じゃないもの。でも、あの子もまたこの一件に目的を見出して行動しているのは確かよ。でなきゃ私とゲームしよう、なんて言わないもの」
そう言う菜乃葉もまた目的があるからこそこんな大事に関わってきているのだが。
それにしても九尾の目的か。菜乃葉の目的もわからないのに、伝承に語られるものしか知識のない獅鬼には九尾の目的などわかるはずもない。
悪政の時に現れて華国を滅ぼす善弧として華国の人々に祀られている九尾が、よもや人々に害をなす狂化竜の一件に己の目的を果たす為に関わっている。これを華国の人達が知ればどうなる事か。
九尾の印象が変わってしまうのは間違いないだろう。
「……九尾は本当にシュレイド地方にいるのか?」
「ええ、いるわよ」
「やはり人に化けているんだよな?」
「当り前でしょう? あの子はそうやって人の世に紛れて行動するもの。そして機を見て一気に目的を遂行するか、ゆっくりと嬲るように他の目的を侵して自分の目的を遂行するのよ」
後者の説明が何ともあくどい。しかし“世界”に属する者ならばそんなものだろうという認識が何となく浮かんでしまうのは菜乃葉という存在がいる事と、彼女が語る他の“世界”の者達のイメージから成り立っているからに他ならない。
それにしても……
伝説種に昇格された大妖狐であり、その真の姿を実際に目撃した者は少ない。大抵の場合燃え盛る炎の奥に存在し、陰でしか認識できなかったという報告が多いのだ。
それでも人々のイメージでかの存在の姿が構築され、華国をはじめとする東方では九尾の絵がよく描かれているという。
華国を領土としている存在がわざわざこんな西の果てまでやってきて何がしたいのか。
こんな所に九尾と縁がある事なんて――
(――ん? 大妖狐? ちょっと待て、妖狐といえば……)
十数年前にあった一つの噂。
シュレイド地方……それもこのヴェルド付近から発生した小さな噂だ。裏で静かに飛び回り、やがて表にもそれが回りかけた時に王家によって握りつぶされたその噂。
シュレイド地方に妖狐が現れた。
東方ではそんなに珍しくない存在ではあるが、このシュレイド地方……それだけではなくこの大陸でも妖狐という存在は珍しい。だからこそその噂は裏で少しずつ広まっていった。
それだけならばよかった。
だが妖狐の話は現れただけでは止まらなかった。
なんと子を成したのだ。
それも相手は人間――シュレイド王家に縁のある人間ではないかという噂だ。そんな話が追加されてしまったものだから、裏で回ったそれは尾ひれがいくつかついて回ったのは当然の事といえよう。
だからこそシュレイド王家はその噂を握りつぶしたかったのだ。
もし……もしもだ。その妖狐と九尾に何らかの関連性があるとするならば、九尾がこのシュレイド地方にやってきたのは意味がある事なのかもしれない。
いや、それだけではない。
もしその妖狐が九尾そのものだとするならば……子を成したという事はそのまま九尾の子という事になるではないか。
「おい、七禍」
「あら、なにか気づいた事でも?」
「シュレイド地方の妖狐の話、お前も知っているだろう?」
「ええ、知っているわ。それが何か?」
表情を変えずに横目で獅鬼を見上げてくる彼女を仮面の奥から見下ろし、獅鬼は今まで以上に静かで、それでいて強い口調で問う。こればかりは誤魔化されるわけにはいかない。彼女の言葉を探るようにじっと表情をも見据えて彼は問うた。
「妖狐は人間と子を成したという。その子供……よもやあのアルテミスではないだろうな? そしてその妖狐とは九尾狐。違うか?」
「…………」
獅鬼の問いかけに菜乃葉は完全に黙り込んでしまった。きょとんとしたような表情を見せながらも、仮面の奥にある獅鬼の真面目な表情を感じ取ったのだろう。その微笑が冷たい笑みをたたえ、「……ふふ」と小さく笑い声が小さな口から漏れて出た
今までの菜乃葉から一変。冷たさを感じさせる大人の女性でありながら、どこか暗い部分を含んだ悪女の顔になる。これこそいつもの菜乃葉だ、と感じさせてしまうその雰囲気を感じてもなお、獅鬼はじっと彼女を睨み付ける。
退くわけにはいかない。
あの少女の事は前から気になっていたのだ。彼女のルーツ、それがこれにあるとするならば何としてでも聞かなければならない。
「……九尾の子、それは違うわ。あの子は子供を産んでいないし、そもそもパートナーなんていない。でも……そのアルテミスが妖狐の娘というのは正解。アルテミスは人間と妖狐の子供という半妖の存在よ」
「……そうか」
九尾の子ではないという点では安心できたかもしれないが、それでもアルテミスが妖狐の血を持っている事は否定されなかった。
でも驚きはない。
前からそうではないかと疑っていたし、あの時川でばったり会った時にアルテミスが人ではないと確信した。
「親がなかなか高い力を持つ妖狐でね、その力をかなり引き継いでいるからアルテミスは無意識に誰かを欺けるし、無意識に変化を使いこなしてしまう。……子供にしてはかなりのものだと前から思っていたでしょう? あれはそういう事よ」
「全部無意識だというのか?」
「ええ。だってあの子、自分が妖狐の娘だって知らないもの。そして親は銀狐。月をシンボルとした妖狐の娘だから、娘には月の女神の名前であるアルテミスって名前を付けたらしいわね。……まあ、それ以外の意味合いもあるようだけどね。ふふふ……」
冷笑を浮かべる彼女を見ながら獅鬼は考える。銀狐にまで成った妖狐の娘。ではその結ばれた相手の人間は一体誰なのか。
「ああ、それについては教えないわよ。だってそこまで話したら面白くないじゃない。それに、至れるまでのヒントはもう貴方持ってるじゃない。後は自分で考えなさいな」
自分が持っている情報……これだけで至れる答えといえば……一つしかないじゃないか。となればアルテミスはやはりそういう事になるのか。これでは増々あの少女に真実を話しづらい。
それにもう一つ気になる事がある。
それはあれ以降のその銀狐とやらの行方だ。自分の娘があんなことになっているんだ。銀狐ともなれば容易く孤児院から救い出せるはず。そうしないのは、それが出来ないからなのだろうか?
「あの銀狐はもう死んでいるのよ。様々なごたごたがあった後に死んだわ」
「……討たれたのか?」
「いいえ、自殺よ。自分の娘共々死のうとしたらしいけど、残念ながら娘は助けられ、孤児院送り。……で、銀狐の魂は一部は天へ、一部は旧シュレイド城の闇の肥やしへ。哀れなものね」
自殺、か。あの家の事だ、それはもう様々なしがらみに囚われているのはわかりきっている事。それでも子を成し、妾として過ごしてきたがやはりそのしがらみからは逃れられなかったのだろう。
それでも人間に絶望したり憎悪したりする事なく幕を引こうとしたんだろうが、娘共々消えようとするか。自分との子供が生き残れば彼女もまたしがらみに囚われると思ったんだろう。母親としてそれは許しておけなかったに違いない。
残念ながら娘は生き残ってしまったが、アルテミスがまだ真実を知らないのが救いか。
それにそんな事になるくらいならば子供を作らなければいいじゃないか、というかもしれないが、それでも彼を愛してしまったのはその時の感情がまぎれもない本物だったに違いない。
どんな困難があったとしても、彼女は彼を愛し、子供を産みたいと望んだのだろう。……それでも悲劇は回避できなかったのは悲しい事だが。
「さて、この件に関してはもういいかしら?」
「……ああ」
「じゃあ次の事を話しましょうか。この街にあのギルドナイトの若手達がいるわ。彼らに情報、与えてもいいわよ」
その言葉もまた獅鬼にとって驚くべき事だった。情報を解禁するだけでもただ事じゃないのに、自分以外の物にも許すだと? それもギルドナイトの若手というと、思いつくのはレイン達をはじめとするメンバーか。あの中には今話題に上がっていたアルテミスもいるじゃないか。
まさか彼女にも真実を話せと言うのか? そんなの……無理に決まっている。
「話す情報は貴方が決めていいわよ。貴方も話していい事と悪い事がある事はよーく知っているわよね? どう話すかは好きにしなさい」
「……状況の変化による情報解禁、か?」
「……ええ」
「相手はギルドナイトだ。大長老にも話が行くだろうよ」
「わかっているわよ。それでも許す、と言っているのよ。手を出さない私が出来る事は情報操作ぐらいだもの」
手を出さない、そう言った。“世界”に属する彼女の実力は当然獅鬼よりも格段に上だ。彼が本気を出したとしても菜乃葉に勝てる要素はほとんどないと推測できる。
そんな彼女がこの一件に関われば、あっという間に現存している狂化竜を殲滅、朝陽達も一気に取り締まる事は可能だ。
でも、彼女はそうしない。どうせそれじゃ面白くないとでも言うんだろう。
だが獅鬼の想像は外れた。
「手を出さないのはそれでは意味がないからよ」
「……意味がない? どういう事だ?」
「確かに私が手を出せば事態は一気に解決へと向かうわ。再び平穏が戻り、人々は安心して日常を過ごせるでしょう。……でもそれでは意味がない。私が英雄になっては私の目的は果たせない」
目的? 彼女の目的が何かはわからないが、自分が手を出してはその目的は果たせないという事か。
「あれらが事態を解決しないと意味がない。あれらが敵と戦い、討伐し、勝利を収めてこそ意味がある。だからあれらには強くなってもらわないといけないし、勝ってもらわなければならない。……あの子のおかげで結構予定が狂ってしまったけれどね」
「あの少年達を英雄にするつもりか?」
「英雄でなくてもいいわ。ただ敵に勝利してくれるだけでいい。そうしてくれるだけで私の目的達成に近づくのよ」
敵……それは恐らく黒龍の事だろうと獅鬼は推測した。まもなく黒龍ミラボレアスがこのシュレイド地方に降り立つだろう。それをあの昴達が討伐する事で菜乃葉の目的達成へと近づいていく。
だがそれはかなり難しい。
ミラボレアスは他の飛竜や古龍と違って強大な敵だ。伊達に伝説種へと昇格された存在じゃない。
それを討つ。
そうする事で昴達は勝利を得、大陸に平穏が訪れる。
菜乃葉は英雄にならなくてもいいと言っているが、間違いなく昴達は英雄として称えられるだろう。
「だから私は手を出さない。例え敵が現れたとしても、ね。とはいえあの子が出た場合はその限りじゃないけどね」
「九尾、か? まさか九尾も首を突っ込んでくるんじゃないだろうな? ヴァナルガンドも出現したというのに」
「……あら、それも知っているのね」
またくすりと笑いながら目を細めてくる菜乃葉だが、獅鬼は冷静さを保ちながら話し続けた。
「お前ならばヴァナルガンドがどこにいるか知っているんだろう? それは教えてくれんのか?」
「残念だけど、それは教えないわ。それにヴァナルガンドに関する事はシュレイド王家も情報を抑えているしね。それに倣って私も黙っている事にしましょう」
別の理由をでっち上げたか。まあいい。
それにしても何の冗談だろうか。このシュレイド地方に伝説種が二種、それも後からもう一種が現れる事態。一体誰が想像しただろうか。
しかも九尾は菜乃葉と同じく“世界”に属する存在だって? 更に言えばただのモンスターではなく我々と意思疎通可能な存在だ。それがこのシュレイド地方にいる。
本当に何の冗談だ。
伝説種の出現を知らせる魔獣ヴァナルガンド。
闇を喰らい、強い闇を大地に残す黒龍ミラボレアス。
悪政を滅ぼすと伝えられているが、“世界”にまで上り詰めた謎の存在
これらがシュレイド地方に集う。
意味がある……とは考えられるか? 九尾は自分の目的のために菜乃葉とゲームを行い、この地にやってきたらしい。それはシュレイド地方にいたとされる妖狐に関連性があるかもしれないが、置いておこう。
ミラボレアスは高まった闇に呼応して現れるだろうし、ヴァナルガンドもそんなミラボレアスの出現を伝えるように現れた。その後のヴァナルガンドの行方は不明。どういう意図があって行動するかもまた不明だ。
菜乃葉は何か知っているに違いないだろうが、話してくれないだろう。
これ以上の情報の引き出しは無理そうか。ではギルドナイトの少年達に関する話に戻すとしようか。
「ギルドナイトの少年達がここにいると言ったな?」
「ええ、いるわ。シュレイド王であるジュピター・シュレイドとも謁見していたしね。……ああ、その際にジュピターはの少年達にヴァナルガンドの存在を伝えたわ。それは当然秘密裏に大長老へと伝えられている。恐らく大長老も秘密裏に備えられるように準備を進めているでしょうね」
とはいえ、ラティオ活火山にいるテオ・テスカトルにも備えなきゃならないという事もあるけれどね、と付け足す。
それにしてもジュピター王はレイン達にヴァナルガンドが現れた事を伝えたのか。王家は人に対しては備えられるし、モンスター襲撃に対しても防衛策は打ち立てられるが、戦いなどに関する専門的な事は出来ない。
だからギルドナイトであるレイン達には話したという事か。下手に隠さず、専門家にも話す事で完全に備えようという試みだろう。
「最近まで旧シュレイド城を調査していたらしいわね。あまりの闇の深さもあってなかなか調査が進まなかったようだけど。あれは未熟者には確かに厳しいわね」
調査しようにも環境が悪すぎるという事か。調査しようという試みはいいのだが、環境がそれを許さない。恐らく得られたものは少ないだろう。自分達は調査できているが、それでも変化がない。
旧シュレイド城についても話してもいいかもしれないが、さて……どこまで話していいものか。
そんな事を考えていると、通りの向こうから噂の四人がやってきたではないか。
「む? そこにいるのは神倉獅鬼さんか。お久しぶりですね」
「レイン・スカーレットか。あの時以来だな」
「そして……そこにいるのは?」
レインの視線は獅鬼の隣に佇んでいる菜乃葉へと向けられる。レインだけではない、サンとゲイルも菜乃葉へと視線を向けている。その中でアルテミスはどこか驚きが含んだ感情をその表情に色づかせながら見つめている。
それぞれの視線を受け止めながらも菜乃葉は微笑を消す事はなく、その漆黒の瞳でレイン達を見据えた。案内板から離れるとスカートのような腰布に指をかけて一礼し、「七禍よ」と名乗った。
本名ではなく二つ名を名乗ったのは獅鬼にも本名を告げていないからだろう。
「七禍、とやら。君は何者かね?」
「……そうね。今は獅鬼に情報を伝える情報屋みたいなもの、とだけ伝えておきましょうか」
「情報屋? ふむ……」
レインが首を傾げながらじっと菜乃葉を見下ろすが、菜乃葉は薄く笑うだけで何も言わない。レインに問い詰められようとものらりくらりと躱し続けて真実を告げることはないだろう。菜乃葉はそういう人物だ。
それにここでこうしていてもしょうがない。獅鬼は一度レイン達を見回すと、
「宿に移動しようか。話す事もあるだろうしな」
「そうですね。ではわたし達の宿へ移動しましょうか?」
「いや、オレの宿でいいだろう。あそこは広い。この人数でも問題なく入れるだろう」
そうして獅鬼が利用している宿へとやってくると、部屋には雷河と焔も待機していた。とはいえそれぞれ自由にくつろいでおり、雷河はソファーに腰かけて足を組み、何度か右手を動かし続けている。恐らく右手のリハビリだろう。
対して焔はというとアイルーの姿で椅子に腰かけて本を読んでいる。二人の前には机に飲み物が置いてあり、飲みかけのコップに入っている氷が僅かに音を立てる。
「おかえり、親父。……んで、なんだいその客達は」
「…………しかも、とんでもないのが混ざってるし」
二人の視線はまずレイン達に向けられたが、最後には揃って菜乃葉へと向けられた。この二人は人外という事もあって菜乃葉が持っている強い気配に気づいたらしい。
「とりあえず茶を出そうか。それぞれ自由に座ってくれ」
獅鬼が備え付けの冷蔵庫に向かいもてなしの準備を進め、レイン達は雷河の対面にあるソファーへと向かう。菜乃葉は雷河から離れた所で腰かけて獅鬼を待った。その際雷河がちらっと菜乃葉を見たが、彼女はそれに気づいていながら気づかないふりをする。
たぶんレイン達もここまで来る間に、彼女がただの情報屋ではない事は何となく感じ取っていた。何せ持ち合わせている力が計り知れない。只者ではないという事はわかっていたが、どう危険なのかまで見えてこない。
さて獅鬼が全員分のお茶を用意し終えると、雷河と菜乃葉の隣に腰かけてじっと目の前にいるレイン達を見据える。
彼らがそれぞれお茶を口にすると、いよいよ話を始めることにした。
「さて……何から話そうか」
「そうですね。お互い知っている事を話し、情報を整理してみるというのは?」
レインの提案に獅鬼は小さく頷いた。
まずレインは旧シュレイド城に向かって調査しようと試みた事を話した。だが思った以上にあの空気の淀みが酷すぎたため、アルテミスとサンはダウンしてしまう事になった。
二人を離れた場所に残し、レインとゲイルが調査に踏み込んでみたが、城へと近づくにつれて闇が高まり、その外観が見えた所で限界に達してしまう。
調査は失敗。自分達では旧シュレイド城へと到達する事は出来なかった。
それを聞き、獅鬼は仕方がないだろうと答える。
そうして自分の知っている旧シュレイド城について話し始めた。
あそこは旧シュレイド城を中心として黒龍ミラボレアスによってもたらされた深い闇に包まれている。だが時を経るにつれて闇は落ち着いていくのだが、あれは再び濃度を増していく。
それは朝陽達の計画によって闇が集められているためだ。朝陽へと流れていく闇の一部が少しずつあの旧シュレイド城へと流れ、集い、深みを増していく。
そうして出来上がったのが昔以上に誰も近寄らせない空間だ。それでもミラボレアスが現れないのはまだ闇が足りないのか、出るタイミングではないか、だろう。
しかしそんな空間に獅鬼達は踏み入れられた。強い精神力でそれを耐えきるだけではない、闇に対抗する手段を構築、アクセサリーの援助もあって三人は中へと入る事が出来たのだ。
そうして調査した結果は以前と変わらず。
闇を集める魔法陣については獅鬼は口にしなかった。月でさえ何もできない魔法陣なのだ、話したところで意味はない。
だが闇はこの旧シュレイド城へと集まっている。いや、集めているというべきか、と獅鬼は言う。かのミラボレアスが現れた旧シュレイド城に闇を集め、最終的に集めたそれを身に宿す。
そういう意図があるのではないかと獅鬼は推測している。
「なるほど、一理ありますね」
「闇を根源とした力だからな、最終的にはあそこに集まった闇を取り込む予定で進めているだろう」
「やはり、最終的にはそうなりますか」
「神倉月に勝つためにあの人は力を求めてるからなぁ。そういう事をやっちまう、ってのも考えられなくはないか」
朝陽達の側に付いていたゲイルは朝陽の目的は何となく知っている。力を追い求める理由も、それを成し遂げた先に自殺しようとしている事も。
月に勝つ、それだけが彼女が生きている理由。
例え多くの命を犠牲にしたとしても心は痛まないし、目的を果たしたとしても大きな喜びを感じない。ようやくこの時が来たと満足し、未練なくこの世から去ろう。
「……それが今の朝陽だ。遠い昔、幼い頃はあんなものじゃなかったんだがな」
同じ神倉の里で暮らしていただけに獅鬼は朝陽の事を知っている。とはいえ月が生まれてから数年は里に滞在していたのだが、途中で里の方針に嫌気がさして自分から出ていった。だから朝陽が変わってしまった瞬間を知らない。
どうしてそこまで執着してしまったかも知らないので何とも言えないのだが、彼女が間違った道を歩むのを止めなければならない。もはや止められない領域まで来ているのだが、だからこそ彼女の目的を打ち崩す。
それと同時に奴の目的も崩す。そうしなければ意味はない。
もちろん朝陽の目的は潰さなければならないが、それ以上に……その先にある奴の目的を潰してこそ意味がある。しかしそれを獅鬼は口にしない。こればかりはレイン達に語るわけにはいかない。
そうすれば間違いなくやっかいな火種を生み出し、犠牲は増えるだろう。
「……情報屋さんはどうなんだぁ? この一件の事、何かしら知ってんだろぉ?」
「ええ、知っているわ。……でも大体は四季とやり取りしているわよ。四季に話した以上の事は何とも言えないわね」
獅鬼ともう話しているから話さない、と言外に伝えている。菜乃葉が話せる最低限の事は伝えている。なので敵の情報についてはこれ以上の事は話さない。他の事なら話してもいいだろうが、さて一体どんな話を求めればいいのやら。
こうして菜乃葉の様子を見ているとただの子供に見えない。外見的にはアルテミスと同じくらいのものだが、雰囲気がかなり大人びている。
アルテミスは歳に似合わない程に純情で子供っぽいが、菜乃葉は(外見)年齢に似合わない程に大人びすぎている。雰囲気といい振る舞いといい……有り得ない程だ。
「では、他に何か情報はないかね?」
「……ふふ、過去の事とか?」
「……過去?」
過去という単語に反応するのはアルテミスを除いた者達。視線は一斉に菜乃葉へと向けられ、それを受け止めてなお菜乃葉は余裕の笑みを浮かべていた。
足を組み、その上に右肘をついて頬を乗せる。視線の先は……ゲイルへと向けられていた。
「そう、例えば貴方。ゲイル・カーマイン、貴方の過去よ」
「俺様の……過去?」
「そう。両親の一件に始まる過去。それを私が知っているとすると、どうする?」
「な、に……!?」
それはゲイルにとって衝撃的だった。自分の両親に関する事は真実は闇の中。暗殺という事はわかっているが、一体何があって暗殺されてしまったのかは不明なのだ。ずっと真実を追い求めていたが、どうしても闇の中に真実が隠れている。
それを……この菜乃葉が知っているというのか?
「知っているのか? 親父達が……なんで死んだのか?」
「ええ、知っているわよ。……知りたいの?」
「知りたいに決まってんだろ!? 俺様は……俺はずっと知りたかったんだ! どうして親父らが死んだのか!」
熱が入って立ち上がるゲイルを冷静に菜乃葉は見上げ、「まあ落ち着きなさい。ほら、座れば?」と手で示してやる。小さく舌打ちしながらゲイルは着席し、それを見届けて菜乃葉は静かに話し始めた。
カーマイン家として裏調査の役目を負う二人はいつものように調査をしていると、狂化竜の実験現場を目撃した。突如現れた黒い竜を調査し、朝陽とアキラへと行き着く。
二人は狂化竜を作る実験を進める傍ら、ドンドルマのギルド本部へと侵入し、保守派のバックについて裏から支援をする事になった。保守派としての方針を守る代わりに、自分達の事を見逃せ。
カーマイン家については朝陽達も保守派も目の上のたんこぶ。朝陽達は自分達を探る存在であり、保守派についてはソル達と同じく改革派の中で力のある存在だ。利害は一致していた。
故に朝陽は保守派の一部と繋がり、後ろ盾になりつつ保守派をいいように操っていたのだ。その一方で自分の目的である狂化竜を生み出す実験を進めていった。誰にも、それもギルドナイトであっても気づかれないように情報操作を行い、順調に実験を進めていったのだ。
それでもカーマイン夫婦は着実に朝陽達を追い、調査を進めていった。情報屋にも接触して情報を集めたはいいが、あの二人は知りすぎた。
だから朝陽とアキラはついに動いた。
保守派をそそのかし、暗殺を決行した。
「…………っ」
「そしてシンク・カーマインとシルフ・カーマインは死んだ。神倉朝陽が舞台を整え、保守派が実行する。見事、あの二人は殉職として片づけられ、真実は闇に葬られた。だから仇は保守派である事は間違いないし、同時に神倉朝陽達でもあると言えるわ」
菜乃葉の話にゲイルは唇を噛みしめ、強く握りしめた手を震わせる。唇も、手も、うっすらと血が流れている。自分を傷つけてしまう程ゲイルは怒りと苦しさに振るえている。
そんなゲイルを窺い見たレインはぐっと息を呑み、菜乃葉へと視線を向けて問いかける。
「七禍さん、ゲイルはその神倉朝陽の下へと拾われた。これは?」
「それは簡単な話よ、レイン・スカーレット。傷心しているゲイルを迎えることでいいように使おうと画策しただけ。しかもご丁寧に闇まで植え込んで」
ゲイルがあの一件の後夢にうなされていたのは闇を植え込まれていた影響だという。少しずつ少しずつゲイルの心を冒し、暗い感情を生み出して広げていけば自分達が入り込める隙が作れる。
「ゲイル・カーマインがあそこまで狂ったのはあの男が植え込んだ闇の影響よ。夢で狂ったと思わせておいて、実際は闇の影響……そしてその闇は最終的には朝陽の力に還元される。先を見通した計画よ」
狂った彼を優しげな言葉で救済を思わせておく。当時子供だったゲイルにとってはかなり効果的だったようで、簡単にゲイルは朝陽達の下へと入る事になってしまった。
だが彼女らにとってゲイルは所詮駒。時が来れば簡単に切り捨てる事が出来る駒。
ゲイルを鍛えたのも使える駒にしておくためのものであり、アルテミスをゲイルが拾ってきたことを許したのもゲイルが離れないようにするためでしかない。想定外にもアルテミスがある程度使えたのは良かったかもしれない。
そして今こうして切り捨てられているが、もし切り捨てなかったとしたら恐らく、最後の最後にゲイルに植え込んだ闇を解放してゲイルを殺しつつ自分の力としただろう。ある意味ゲイルは助かったといってもいい。
「ドンドルマの一件から自分、結構変わったと思ってない? それは四季が貴方の中にある闇を消したからよ。恐らくあの時の治療の際に一緒になって抜き取られたんでしょうね」
「っ…………そうかい。なんか前に比べて頭がすっきりしているのはそういうことかよ」
人が変わったようだと自分でも思っていたらしい。あれだけの狂気があったのに、どうしてこうもすっきりしているのだろうと考えていたが、よもやそういう事だったとは。
獅鬼も治療している時に気づかなかったらしいが、やはりライムの魔力の高さが影響したのだろう。狙っていた闇の部分だけでなく他の部分まで治してしまったのが幸いした。
「はは、まったく……道化にも程があるじゃねえか」
「ええ、そうね。貴方は道化よ。……でも、そんな貴方も道化という枠を脱しているわ。どういう風に動くかは貴方が決めなさい。それで道化のままなのかそうでなくなるのか、変化すると言っても過言じゃないわ」
「……そうか、そうだよな。俺は……変わらなきゃならない。俺はそう決めたんだ」
俯いていたゲイルは手を組みながらぶつぶつと呟き始める。あの日レイン隊の仲間によって呼び出された日から決めた事。レイン達の味方であり続け、裏切らないことを決めたのだから。
それに仇がまだいるとわかったのだ。まさか自分を今まで飼い続けていた二人がそうだとは、沸々と怒りが湧いてくる。だがその怒りは静かに胸の内に収めておく。いずれそれを奴らの前で爆発させればいい。
新たな決意を胸に秘めるゲイルを確認したレインは菜乃葉へと視線を移す。ゲイルの事は驚くべき事だが、それ以上に驚きなのは今まで誰にも至れなかった真実へとどうやって至ったのかに関する事。
朝陽達も慎重に隠していたはずだし、そういう資料も全て始末しているはず。そうしていたからこそ今まで誰も至れなかった。
なのに菜乃葉は至った。
情報屋だからか? だとするとどういう手段で得たのかが気になる。
薄く笑みを浮かべ続ける菜乃葉の心中は全く読めない。本当に外見年齢が一致していない。
「どうやって情報を入手しているのか、と思ってね。情報屋としてはそういうルートは話せないかもしれないが、誰も入手できなかったものを入手したのか気になるってものだろう?」
「ふふ、そうね。でも残念だけど話せないものは話せないわ。別の事なら話せるけどね」
「……ではヴァナルガンド――」
「――残念だけれど、それについては話せないわ。基本的な知識で十分な存在、それでいいでしょう。でも、ミラボレアスならば構わないわよ」
ミラボレアス、という単語にレインは眉を潜めた。旧シュレイド城に現れた伝説種であり、シュレイド地方にとっては縁が深い伝説種。今回も現れるのではないかと噂される存在について菜乃葉は何か知っているというのか?
基本的な知識はあるつもりだが、一体ミラボレアスの何について話すというのか。
「黒龍ミラボレアス。知っての通り伝説種に数えられる古龍種だけれど、奴の役割は闇を以って人の罪を裁く存在だという事」
「罪を……裁く? どういう事かね?」
「ミラボレアスは闇を喰らう。そして喰らった闇で力を高め、去った後は強い闇を残していく。それは知っているでしょう? さて、どうして闇を喰らっておきながら闇を残して行くのか。疑問に思ったことはないかしら?」
確かにそうだ。
ミラボレアスは闇を喰らっているという事は古来より囁かれているが、奴が消えた後は決まって強い闇が現場に残っている。それは数十年、または百年以上にわたって残留し、誰も寄せ付けない空間を作り上げている。
その矛盾は何なのか。気になるところだ。
「役割、と言ったな? それは一体誰が定めた役割だというのかね?」
「世界よ」
たった一言。それだけで強い重みを感じられた。
世界が定めた役割……ルールという事か?
伝説に語られる存在が世界のルールに従って行動しているとなれば、ミラボレアスもまたやはり高い知性を持っているという事なのだろうか。
わからないが、話を聞いてみるとしよう。
「シュレイド地方に縁があるミラボレアスだけれど、奴はなにもシュレイド地方のみに確認されているわけではないわ。時を遡れば全世界にわたって確認される。それも……戦争が行われている時期に。貴方達も知っているでしょう? この大陸でも長い大戦が終わりを迎えた原因はミラボレアスが現れたからだと。どうして現れたのか、それはミラボレアスに与えられた役割を遂行しただけに他ならないわ」
そこで一息つくように用意されているお茶を口にする。そうしている間もレイン達ギルドナイトだけでなく、雷河や焔、獅鬼もまた菜乃葉へと視線を向けていた。
「ふぅ」と小さな口で軽く息をつくとぺろり、と軽く赤い唇を舐めて話を続ける。
「では役割について触れましょうか。闇を喰らう、それはミラボレアスの力の根源が闇にあるからという事もあるけれど、闇を喰らう事で今回の役割を遂行するレベルを計るのよ。さて、この闇という点、貴方達はどれだけ知っているかしら? そうね、そこの貴女。答えられる?」
漆黒の瞳が軽くレイン達を見回すと、レインの隣でずっと静かに話を聞いていたサンで止まる。その視線を受け止めてサンは一度拳をぎゅっと握りしめた。あの暗くも凄まじい力を持つ視線はサンにとって精神を揺さぶる攻撃に等しい。
しかし拳を握りしめることで何とか心を折られずに済み、彼女の問いかけに答えることにした。
「今回の場合は人の負の感情が大半でしょう。怒り、悲しみ、恐怖……それが多く割合を占めると思いますが、いかがでしょう?」
「ええ、正解よ。戦争というものはどうにもその闇が高まる傾向があるわ。短い時間ならばミラボレアスも出てこないけれど、長い戦争ならば十分闇が高まるわ。そして、その闇を喰らうためにミラボレアスが出てくる」
そして、と繋げながら足を組み替えて、両手を軽く広げる。その広げた手を組んだ足の上でゆっくりと組むように合わせた。
「人を裁く、それは世界に闇をあふれさせた罪。世界を犯す毒を高めた者達に対する世界の裁きといってもいいわ。だから闇を喰らい、刃向かってきた人の命を喰らい、人に闇という苦しみを味わわせるために戦場を中心として闇を残すのよ」
闇を残すのはそこが戦場であったことを忘れさせないため。人が犯した罪を刻ませるために行っているという。だから人が高めた闇を喰らって己の力とし、その力を以ってまずは戦場にいる者達を殺しつくす。
戦いが終わればその高められた闇を放出して戦場を包み込み、ここがかつての戦場であったことを人々の心に刻み込ませる。その後は暴れることなくどこかへと去っていくのだ。
そう、どうして他のモンスターと違って一つの戦いが終わった後に他の場所へと移動し被害を拡大させないのか。
その答えはミラボレアスはただ戦争を終わらせるためだけに現れるからに他ならない。戦いを終わらせ、闇を残せばもう仕事は十分果たした事になる。
さて、そんな役割を世界から与えられているミラボレアス。
今回の事も見逃さないのは間違いないだろう。
「ちょっと訊きたいんだけどよぉ、ミラボレアスは闇がかなり高まったら現れるんだよな? じゃああそこまで高まっていても現れないのはどういうことだぁ? あれでかなりのもんだぞ。俺達がかなり気分を悪くしてしまうくらいの闇だ。あれで足りないってぇのか?」
「……さあ? 私はそこまで詳しいわけではないから。あれだけのもので現れないという事は、まだその時期じゃないという事なのでしょう。どのタイミングで現れるかは『世界』が決める事なのだから」
世界という単語に反応したのは獅鬼だけだ。他のメンツはその世界という単語を表面でのみ捉えていた。
世界……すなわち“世界”。獅鬼はその“世界”に属する何者か……恐らく風花から昔聞かされた白皇と呼ばれる世界の神のような存在が、ミラボレアスに命令を下して動かしているのではないかと推測した。
同時に獅鬼の頭の中でこのような構図が出来上がった。
世界の神=白皇。
白皇の下にミラボレアスをはじめとする伝説種がそれぞれの役割を持って従っている。条件を満たした場合、その伝説種が与えられた役割を遂行するために世界に出現。その力を振るい、仕事を終えればまたどこかへと消えていく。
あり得ない話じゃない。
そう考えれば華国に現れるディス・ハドラーも役割を持って行動していると考えられる。善政悪政問わず国を滅ぼす。それはとある条件の下で発展した場合にその国を滅ぼしてゼロへと還す。
仕事を果たせばそのまま消え去る。
そういう役割を担っているのではないだろうか。
事実現在の華国もまたハンター達によって退けられたが、ディス・ハドラーによって国はかなりの被害を受け、現在の王の祖先が率いる者達によって政権交代する事になってしまった。つまり、国は滅びてしまったのだ。
ハンター達によって退けられはしたが、奴の目的は果たされたといってもいい。
(……ああ、そういう気がしてきたな。恐らく間違いないだろう)
一人で納得している獅鬼をよそに、菜乃葉は「これで十分かしら?」と首を傾げながら薄く微笑する。ミラボレアスに関する情報、奴の特徴を知る事は出来たが、奴の実力については聞かされていない。
どれだけ危険な存在なのか、戦った際に気を付けることは何か、それは知っておきたい。
「ミラボレアスの実力は時期によって変わるわ。今回のものは推測だけれど、上位以上G級以下クラスの古龍レベルかしら?」
「G級……」
そのランク付けにレイン達の表情が歪んでしまい、一部は汗が浮かんでいる。
ギルドが定めたランクは大まかではあるがそのランクによってハンター達が戦う範囲、危険度が定められている。
下位は危険度は一番低く、モンスターの実力もあまり高くない。しかしそれでも飛竜ともなれば一般人にとっては脅威以外の何物でもなく、初心者ハンターでも死ぬ確率があるのは覚えておいた方がいい。
上位となればいよいよここからといったレベル。小型モンスターでも下位ハンターにとっては脅威となり得る存在となり、長くハンターをやっていくにあたってここが正念場といってもいい。
そしてそんな上位をも超えるランクがG級。
過酷な環境内で力を付けたもの、長い年月をかけて力を蓄えてきたものがその領域へと達したモンスター。小型モンスターでも脅威、飛竜ともなればそれ以上に脅威。
下位ハンターならば手も足も出ない、上位ハンターで力を磨いたとしても勝てる保証はない。そして……その領域へと上ったハンターだとしても勝つことは難しい。
それがG級。
そんなランクに位置づけされたミラボレアス。
勝てるのか?
レイン達だけでなく獅鬼達もそう考える。しかも先ほど獅鬼は菜乃葉からこう言い聞かされた。
昴達で敵に勝利させる。
そう言うからには昴達でもミラボレアス勝てる可能性がある、という事になる。でなければ菜乃葉の目的を達成させる事は出来ないし、勝利する光景が見えないゲームを九尾とするはずもない。
だが完全に勝利させるという事は難しいだろう。何らかの犠牲があるに違いない。
そう――例え昴本人が死んだり、あるいは昴達の中の誰かが死んだり……そんな犠牲があるだろう。
それでもミラボレアスを倒し、朝陽達の目的を潰す事が出来れば、それは菜乃葉にとって昴達の勝利に等しいだろう。菜乃葉もまた誰が死んだとしても関係ないと考える人物だろうという事は推測しているのだから。
そうして菜乃葉の情報を吟味し、お互いが持っている情報を纏める。もちろん獅鬼達は出せない情報は秘匿し続け、話を進めていった。
その折宿で働くボーイの一人がやってきて、レインへと届けられた手紙を手渡してくれた。差出人はココット村に滞在している白銀昴からだった。
早速内容を検めてみると、最近の調子はどうかというあいさつ文に始まり、獅鬼の居場所を問いかけていた。知っていればココット村に来て自分達を鍛えてほしいという願いがある事が書いてあった。
それを獅鬼に伝えると「なるほど」と小さく頷く。この機会に彼らを鍛える事が出来れば、菜乃葉が想定したようなミラボレアスと戦えるほどの実力へと至らせることは可能だろう。……そんな流れも菜乃葉にとっては予定通りなのかもしれない。
その予定通りとやらに乗るのも癪なのだが……昴達を鍛えておくというのは将来的に考えても有効的だろう。
ならば彼らの望みに応えてやるとしよう。誰かを師事するのも久しぶりの事だ。
どう鍛え上げてやろうかと考えながら獅鬼はまたレイン達との話を進めることにした。
その日は夕食時間まで話し合いが行われることになった。