呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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96話

 

 

 ここシュレイド城の廊下を歩く一人のメイド。茶髪のボブに閉じられたかのように細い目をした彼女は、あの時レインとサンを案内したメイドだった。足音も立てずに静かに歩く彼女はティーセットが乗せられたカートを押している。

 ポットにカップ、更にちょっとしたデザートが揃っており、それを押しながら彼女はぼそりと呟いた。

 

「……気づかれましたか」

 

 一体何のことだろうか。だが無表情に引き締められた彼女の薄いパール色の唇が小さく笑みを形作り、「まあ、いいでしょう。私には辿り着けない」と抑揚のない声でまた呟き、一つの部屋の前で立ち止まる。

 こんこん、とノックすれば中から女性の声で「誰?」とかかる。

 

「失礼いたします。お茶をお持ちしました」

「入りなさい」

 

 その言葉に従ってメイドは静かに扉を開け、中へと入っていく。そこには声の主である女性ともう一人、女性よりも少し年下に見える青年が座っていた。

 女性の名はアテナ・シュレイド。この国の第一王女であり、ジュピター王の長女である。普段着でもある白いドレスを着こなし、目を閉じて椅子に深く腰掛けているだけで絵になる程の美人。

 そんな彼女の前で同じようにリラックスしているのが、黒を基準とした高貴な雰囲気を感じさせる服を着こなす青年だ。アテナと同じく銀色の長髪を首元でゴムで縛って纏めている。

 胸元にはシュレイド王家の紋章が刺繍としてあしらわれており、彼が腰かけている椅子の傍らには同じように柄に紋章が刻まれた剣が立てかけられていた。

 彼こそジュピター王の長男、第二王子のシリウス・シュレイド。王族であり、同時に剣を手に戦う戦士でもある。十代後半という若手ではあるが、才能溢れるよい戦士であるとシュレイド軍の重鎮たちは彼を評価している。

 そんな彼らの傍らにメイドは控えて紅茶の準備を進め、そっと淹れ終えたカップを机に置く。続いて切り分けたケーキを傍に置き、一礼して部屋の壁へと控えた。

 だがそんな彼女へとアテナは静かに告げう。

 

「ここはもういいわ。お前は他の仕事をしなさい」

「かしこまりました。失礼いたします」

 

 相変わらず感情を感じさせない声で応えつつ一礼すると、メイドは静かに部屋を退出していった。それを見送ってアテナはカップを手にしながらシリウスをじっと見据える。

 穏やかな銀色の瞳だったそれは今はシリウスを貫くような鋭さを持っている。

 

「それで、シリウス。(わたくし)の聞き間違いだったかしら? 自分も出るとはどういう事です?」

「いえ、聞き間違いではございませぬ、姉様。俺も国を守るために戦いたいと考えています。他の者達、ハンター達だけが戦い、俺だけのうのうと待っているだけなど、とても出来ませぬ!」

「……やめなさい。今回ばかりはシリウスが出たところで意味はないわ。そもそも畑が違います。今回シュレイド軍はあくまでも防衛のために動かされている。彼らが打って出るわけではないのよ」

 

 今回はただの戦争ではない。戦争ならばある程度の制限をつけてシリウスが出て行っても構わないとアテナは考えている。彼もまた指揮官として戦う権限を持っているからだ。

 しかし今回ばかりは姉としても許しておけない。

 敵は人でも国でもない。この世界に住まう人の、命の敵。伝説に語られるミラボレアスが相手なのだ。人を相手にする事を念頭に置いて訓練を受けている軍やシリウスには荷が重すぎるし、アテナの言うように畑が違う。

 ミラボレアスは龍。ならば龍を相手にするハンター達でなければ話にならない。自分達に出来る事は遠距離から大砲やボウガン、バリスタを撃ち続ける事だけ。接近戦なんてしようものならば何もできずに虫けらのように蹴散らされるだけなのだ。

 命を粗末にするものじゃない。

 特にシリウスは王族だ。下手な行動は慎んでもらいたいというのがアテナの考えだった。

 

「シリウス、堪えなさい。私達はただハンター達に任せるしか出来ないのよ」

「……しかし、俺は口惜しいのです!」

「あなたの気持ちがわからないわけではないわ。でも、あなたが出て行って何が出来るのかしら? 言ってごらんなさい」

 

 紅茶を口に含みながら待ってみるが、シリウスは完全に言葉が出てこない。彼にも本当はわかっているのだ。自分がいくら才能があるともてはやされても、竜種を相手にするとそれは意味のないものになってしまう事を。

 ハンターとしての経験がないのにいきなりミラボレアスを相手に出来るはずがない。それは無謀であり、その勇気に意味はない。奴らはそんな人こそ虫けらのように抹殺する。

 それが現実であり、起こり得る未来。

 それを理解しているからこそアテナは止める。弟の愚行を何としてでも阻止するのだ。

 

「それに今回の一件はどうもきな臭いわ」

「どういう事です?」

「ただ旧シュレイド城にミラボレアスが現れるだけではないようなのよ」

 

 カップを机に置きながら軽く一息つき、首を傾げるシリウスは何かに気づいたかのように息を呑む。

 

「姉様、まさか見たのですか? 夢を」

「ええ。あれは間違いなくその時の光景でしょう。あの異様な光景、その中に佇む深い闇を放つ龍。旧シュレイド城にミラボレアスが出現した瞬間だったわ」

 

 その光景はまさしく異様。場所は壊滅した旧シュレイド城の内部。そこに舞い降りる黒い龍。二足で立つその姿は見上げなければならない程高く、四本の角が顔の背後へと二対となって生え揃う。

 その骨格は他の竜種とは異なり、二足で立ちながらもその両手も存在し、背中には翼が生える。それはクシャルダオラやテオ・テスカトルと同じではあるが、彼らと違って四足で駆け回るようなことはせず、二足歩行も可能としたような体つきとしているのだ。

 そんなミラボレアスが本当に旧シュレイド城に現れた。

 だが異様な光景はそれでは終わらない。

 旧シュレイド城を中心として世界が歪んでいるのだ。

 崩壊した旧シュレイド城の周囲は草原になっている。強い闇がここを中心として展開しているが、それは目に見えるようなものじゃない。少し薄暗いが昼は来るし夜も来る。

 しかしその現場の空は青空でも夜空でもない。赤、黒、紫、黄色と様々な色合いが塗り潰され、混ざり合ったかのような色。見る者を不快にし、心をかき乱してくるかのような空が広がっている。

 文献によればミラボレアスが出現した際、戦場の空は禍々しく塗り潰されていくとあるため、あの空が広がっているという事は間違いなくあの龍はミラボレアスとみていい。

 だがそれだけでアテナがきな臭いと言う理由にはならない。

 彼女はまた別の事に注目していた。

 

「ミラボレアスの近くに誰かがいたのよ。ローブに身を包み、ミラボレアスと同じく強い闇を放つ誰かが」

「誰か? 討伐に赴いたハンターではなく?」

「ええ。討伐に向かったハンターの姿も確認したわ。でも、彼らはそれぞれ武器を構えてミラボレアスを相対しているにも関わらず、その何者かはただそこに佇むだけ。しかも旧シュレイド城の外壁の上にいたわ。あれが気になるのよ」

 

 アテナが言うには現場にいた人物はミラボレアス討伐に向かったハンターが数人。その異様な光景のせいでよく見えないが、目算十人近くまでいたんじゃないかと思われる。

 その内の一人かどうかはわからないが、ミラボレアスの近くに一人が倒れ伏していた。その人物もローブを纏っていたが、顔を隠すフードが取れてしまっている。が、陰になっているせいでそれが誰かはわからない。

 そして問題の人物。それもまた彼女の言うようにフードによって顔は隠れ、ローブを纏って体の輪郭もわからない。そのため男か女かもわからない。

 でもわかる事がある。

 その人物から放たれる異様な殺気と覇気、そして闇。その場にいるだれよりも強く、ミラボレアスに負けず劣らずの闇の気配。何者かはわからないが、一つだけ言える。

 奴は、絶対悪。

 その目的はわからず、どうしてあんな所にいたのかはわからないが、奴が何かをしでかそうという事だけはわかった。

 だがそれを見る前に夢は消えたという。

 もうおわかりだろう。

 アテナが見る夢は特別。彼女は未来の光景を夢に見る事が時たまある。

 予知夢。

 人はそれをこう呼称する。幼い頃から特殊な力を持っていたアテナは先読みの王女とも呼ばれ、その予知夢の的中率はかなり高い。特に悪い事を夢に見てしまった場合はかなり的中してしまう。

 そのため自然とその事象に対する備えが行われ、夢に見た最悪を回避ないし軽減する事には成功していくようになった。

 つまり、備えなければ彼女の予知夢通りになる可能性が高い。

 しかし夢に見るまでもなくジュピター王はすでにハンターを集めている。彼らによってミラボレアスに対処する、というだけでは無理なのか。

 それに彼女の見た夢にシュレイド軍はいなかった。という事は決戦の地にシュレイド軍は赴かなかった?

 彼女の話す内容にシリウスは考える。ハンター達は正確にはわからないようだが十人程。つまりミラボレアス相手にそれだけの人数でいいという事なのか?

 

「姉様。参戦したハンター達の顔に見覚えは?」

「…………神倉月さんがいらっしゃった気がしますね」

「あの神倉さんが? という事は彼女と共に参戦したハンターは彼女が信頼する人材という事になるのでは? でなければ少数でかの戦場に赴かないはずだ」

 

 前回のミラボレアス戦で勝利を収めた神倉月。彼女と行動を共にしたのは二十人を下らない。彼女と共に前に出た者、遊撃を担当した者、補佐に徹した者……と数人ずつで担当したためそこまでの数を必要とした。

 しかし夢では少ない。ハンターを募ったというのにどうしてこんなに少ないのだろうか?

 それが王子が気になった部分。百人以上も募ってこれだ。何か理由があるに違いない。

 そう、例えば……シュレイド地方に攻めてきたのはミラボレアスだけではないとしたら? 例えば、また別の狂化竜とやらがヴェルドにやってきて、シュレイド軍と共に防衛に回されたとしたら?

 考えられない事ではない。

 でもアテナはその光景は夢に見なかった。ミラボレアスという強大な存在がいたために予知夢がその光景を除外したのだろうか。

 そんなシリウスの考えにアテナは同意するように小さく頷く。彼女としてもこの違和感はあった。何故集められたハンターがいないのか。

 その事を考えるように一度目を閉じてみる。

 ふと、チリッ……と閉じられた瞼の奥が鈍い痛みを訴える。なんだろうか、と目を開きかけた時、闇の奥から赤い光がゆっくりとこちらへと手を伸ばすように煙のようにいくつかの道を作って近づいてくる。

 

(……なに?)

 

 開きかけた瞼を閉じてその光の動きを見てみることにした。

 姉様? とシリウスが気遣うように呼びかけてくるが、左手で少し待てと示しながら右手で目を覆いながらそのまま待機する。

 すると赤い光が少しずつ大きくなっていき、闇をすべて覆い尽くして世界を塗り替えた。

 その変えられた世界は紅蓮の炎に包まれている。その奥では赤い獅子が佇み、立ち向かっていくハンター達をことごとく迎撃していく。辺りを見回せば、そこはヴェルド付近の一角だという事がわかった。つまりヴェルドへとあれが侵攻してきたのだ。

 

(まさか……ミラボレアスと同時期に侵攻!? そのためにハンター達がこちらに回されたという事なの!?)

 

 防衛戦のため数は多い。だが実力が伴っているかといえばそうでもない。あの獅子は傷を負っているようだが、それ以上にハンター達が倒れていく方が多い。

 だが彼らは戦い続けている。ヴェルドを守るために、あの獅子を討伐するために。

 つまりかの戦いは二手に分かれた。数で補った防衛戦を担当するメンバーと、月をリーダーとする少数精鋭。

 決戦はこうして展開されたという事になる。

 

「……っ!?」

 

 そこで唐突に未来の光景は消えた。弾かれたように顔を上げて浮き上がった雫を拭うためにハンカチを取り出した。そのただ事ではない姉の様子にシリウスは思わず立ち上がり、アテナの傍へと駆け寄る。

 

「大丈夫ですか、姉様?」

「……ええ、大丈夫よ。心配ないわ」

 

 安心させるように微笑むが、それでシリウスの心配が消えるわけではない。汗を拭うとふぅ、と一息ついて「お父様に報告するべきね」と僅かに呟いた。

 今度見えたものは直接的なヴェルドの危機だ。よもやあの古龍テオ・テスカトルがヴェルドに侵攻してくるなど危機以外の何物でもない。

 また神倉月に連絡も取るべきだろう。彼女がミラボレアスとの決戦の地にいるならば、今の内に連絡を取り、どうするべきかを話し合うべきだ。

 だが問題はこのシリウス。

 テオ・テスカトルの侵攻の事を聞けば自分も防衛戦に出ると言い出しかねない。ミラボレアスの時でも出ると言い出したのだ。シュレイドの民と戦士達が危機にあるというのに自分だけ安全な城に篭っているなど出来やしない。

 その心は尊い。王族として民を慈しみ、脅威へと立ち向かっていくという勇敢さは素晴らしいと思う。

 でも……それでも敵が悪すぎる。ミラボレアスでなくとも、テオ・テスカトルという存在は古龍の中でも凶暴さが際立ち、その炎は全てを焼き尽くす火山の業火。クシャルダオラと並び立つ街へと侵攻する可能性がある古龍であり、ドンドルマでも年単位ではあるが何度も防衛戦が行われている。

 当然防衛戦の前にハンターは募られるが、その戦いで命を落とすハンターも少なくない。専門家であるハンター……特に熟練ハンターでも命を落としかけない相手、それが古龍なのだ。

 その戦いにシリウスを出す。

 それはただ戦士を戦場に出すという意味合いでは止まらない。

 この戦いで王族を一人喪いかねないというのが問題なのだ。確かにシリウスが出れば士気も上がるかもしれない。でもそれ以上に古龍という存在は力を振るうだけで一気に人の命を奪っていく。

 上がった士気を飲み込むように、あの業火が全てを飲み込んでいくだろう。

 だからアテナは反対なのだ。

 アテナは予知夢という形で様々な竜種の脅威を見てきている。戦場に出た事はなくとも、その予知夢が教えてくれる。かの存在らがどれだけの力を内包しているのかという事を。

 

「……お父様に報告してくるわ。あなたも来なさい」

「はい」

 

 ジュピター王を交えればシリウスも止められるだろう。自分一人では無理でも父親にして王である彼が止めればシリウスも従わざるを得ない。揃って部屋を出ていき、長い廊下を歩き去っていく二人の後ろ姿はそれぞれの影を背負っていた。

 

 そんな二人を静かに見つめるのが先ほどのメイド。アテナによって退出を促された彼女は廊下の角に身を潜めて二人から気づかれないようにしていた。

 持ってきていたはずのカートは彼女の傍にあり、それを左手でとんとん、と叩けば銀の台から一つの球体が飛び出して彼女の左手に収まる。それを唇で軽く触れてやると、淡い光を放ってそれが一気に人の形を作り上げる。

 

「ここは任せるわね」

「はい、かしこまりました」

 

 そこに現れたのはまさにそこにいるメイドとうり二つ。その表情も声もしぐさも何もかも同じであり、まるで彼女がもう一人現れたかのよう。彼女は一礼するとカートを押して廊下の奥へと消えていく。

 それを見送る間もなくメイドは軽く後ろへと跳んでそこから霧のように姿を消す。

 そうして消えた後、姿を現した場所はとある酒場の裏手。軽く辺りを見回した後左手を挙げて指を鳴らし、「変身(トランスフォーム)(アイン)」と小さく呟けば、彼女の姿は一変。ギルドの受付嬢の姿となってしまった。

 軽く体を動かした後、微笑を浮かべて酒場の裏口から入っていき、彼女のもう一つの日常へと溶け込んでいく。その性格も見事に切り替えたため、先ほどのクールなメイドの雰囲気は見る影もない。

 そこにいるのはこの村で働くギルドの受付嬢の姿であった。

 そうして働きながら彼女は先ほどの事を思い返す。

 

(先読みの王女の力は健在。ミラボレアスとテオ・テスカトルの一件を見通してしまった。……かといって何か変わるわけでもない。どうやったとしてもあの戦場は出来上がりますしね)

 

 それは変わらない未来。あの日にミラボレアスとテオ・テスカトルは出現する。それに対抗する戦力が前もってシュレイド地方に集結し、分散してそれぞれの敵に当たる。

 どう繰り返してもこうなってしまう。それすなわち運命の集結点であり、分岐点。

 だからアテナ・シュレイドがジュピター王に報告し、それから行動する事は放置する。というよりもアテナが神倉月に連絡を取ってくれた方が彼女にとって良い傾向といえる。

 そうしてくれないと……おっと、接客接客。

 営業スマイルを振りまきながら彼女は酒場を慣れたように移動して訪れる客やハンター達に接客を進めていく。

 

(鍵を流すタイミングも問題なし。あとは根源が私にあるという事を知られないようにするための細工。……真眼は知っているでしょうが、七禍や九尾に告げた様子もなし。まったく、あの人の心は相変わらず読めませんね)

 

 ふらふらと世界を気ままに旅するやる気のなさMAXの傍観者にして情報屋の香澄の姿を思い返す。存在だけは確認できるが、いざ彼女の下へと接近しようとすると、雲のように掴ませずに世界という名の空を流れていく。

 実際に会った回数は指で数えるほどだが、話してみればわかる。本当に彼女は舞台に上がるようなことはせず、裏方で登場人物に少しだけ接するか、観客席でぼうっと眺めているだけ。

 国の崩壊も戦争も、あるいは神の裁きが下った時も、全部舞台に上がる事はなかった。

 今回の一件もどうせ同じ事。

 自分の存在を感知させずにどこかで見守っている事だろう。

 だから彼女は香澄の実力を知らない。彼女はまさに未知数の存在だった。

 故に彼女は霞。

 存在も見えず、実力も見えず、考えも見えない。ゆっくりと姿を現し、消えていく。元々の存在と同じく霞の存在をした龍種だった。

 

(何にせよ真眼が手を出さないならそれでいいか。この鍵によってあの方の計画が進むのですから)

 

 薄く笑いを浮かべるもすぐにそれを営業スマイルで覆い隠してしまう。「注文頼みますわ」と金髪の青年が手を挙げ、彼女は近づいてメモを取り出して応対する。彼の隣ではアイルーが席に着き、じっとメニューを睨み付けていた。

 ほら、全く気付いていない。

 彼女もまた日常に溶け込みながら確かな意志を持つ関係者だった。だがその役割は完全に裏方。静かに動いて目的を達成させようとする存在。

 そんな彼女の匂いを感じ取れてはいても、それが彼女である事に至るものはこの村に誰もいないのだった。

 

 

 ○

 

 

「どういう事?」

 

 その死体を前に朝陽は苛立たしげに呟いた。彼女の前にあるのは一頭の狂化竜。素体は樹海の主エスピナス。

 これは朝陽が狂化させたものではない。以前エスピナスを求めて樹海を歩いたが結局見つからず、アキラに任せることになったのだが、どういうわけかエスピナスは朝陽を見つけて襲い掛かってきた。

 そのため狂化の種を通じて命令を下したが、それでもエスピナスは止まらず攻撃を続行。やむをえず朝陽はそのエスピナスを手にかけることになったが、死体となって発現した闇を見つめて冒頭に至る。

 自分の命令を無視するというだけではない、この闇も自分が作った狂化の種と異なる部分がある。

 そう、シュヴァルツの因子だ。こんなもの自分は仕掛けていない。

 

「……アキラ、いよいよ見過ごせなくなってきたわね」

 

 その闇に触れながら左手を強く握りしめる。以前からきな臭いと思っていたが、これはもう無視できない。どういうつもりでシュヴァルツの因子を埋め込んだのか。それ以前にどうやってシュヴァルツの因子を手に入れ、組み込んだのか。

 問い詰めなくてはならない。

 そしてもう使い物にならないならば、この手で奴を殺す。その後は当初の予定通りにアキラの力をこの身に取り込むまでだ。

 右手を伝って体に入り込む闇の力。さすがは樹海の主というだけあって高められた闇の力は素晴らしい。それに朝陽の中には元々シュヴァルツの血が含まれているため、この闇に存在しているシュヴァルツの因子も問題なく体に溶け込んでいく。

 いつも以上に力の増加が感じられるが、だからといってアキラの独断専行を許すわけではない。

 

「待っていなさい。最終段階の前に貴様の命運から決めさせてもらうわ」

 

 うっすらと浮かび上がる藍色の瞳の奥の赤い色。神倉の血統の証である青にシュヴァルツの血統の証である赤が浮かぶ。シュヴァルツの因子が入り込んだ影響だろう。赤い光は全体に広がって一度強い光を放ったが、すぐに消え去って元の藍色が帰ってくる。

 最終段階の前に憂いは取り除く。

 アキラが最終的に裏切って計画をご破算にさせるわけにはいかない。

 処分は迅速に。

 朝陽はアキラがどこにいるのかを一度確認した後、彼の下へと向かうために樹海を疾走し始めた。

 

 

 ○

 

 

 フラヒヤ山脈の北東に位置する凍土エリア。軽く吹雪いているこの場所でそれは荒々しく食事を進めていた。狩られてしまった哀れな犠牲者はこの極寒地帯に生息するポポと呼ばれる草食竜。

 その肉に喰らいつくのは白を基準とした甲殻をした飛竜。口から伸びる琥珀色の犬歯は口内に収まりきらず、顎を超えたほどまで伸びている。それがこの飛竜の特徴。

 それだけではなく四肢の爪は鋭く、その翼にはスパイク状に棘がびっしりと生え揃っている。

 氷牙竜ベリオロス。

 以前その内の一体が西へと侵攻し、花梨に討伐されてしまった種族だ。このベリオロスをはじめとする個体はここから東の地方で確認される飛竜。フラヒヤ山脈から東に広がる凍土エリアや雪山エリアはその境界線であり、時折東西の種族が入り乱れたりする事があるので、ポッケ村をはじめとするフラヒヤ山脈に住まうハンター達はベリオロスとの戦闘経験はそれなりにある。

 だがそれでも彼らは言うだろう。

 このベリオロスは異常だと。

 

「グルル……」

 

 十分に肉を喰らって腹を満たしたベリオロスは顔を上げ、血に塗れた口元を軽く舌で舐めとる。ぎらぎらと紅い瞳を光らせ、軽く体を震わせぐっと伸ばしていく。

 食事の後だというのにその瞳は常時紅く染まり、その周囲は模様のようにいくつもの赤い線が走り回って白い顔を化粧している。返り血ではない、それがベリオロスの模様であるかのように浮き出ているのだ。

 ゆっくりと足を進ませていけば、彼が通った後の様子が吹雪の中に浮かび上がっていく。

 死屍累々。

 その言葉が似合う現場。

 そこにあったのは彼が喰らったポポの死体だけではない。群れを構成していたのだろう、数匹のポポの死体と、それを襲ったと思われるドスバギィをはじめとするバギィ達の群れ。

 引き裂かれ、噛み千切られ、壁に打ち付けられ……と死因は異なるが全てこのベリオロスによって命を奪われた者達だ。

 そしてベリオロスの気の向くままに、先ほどのポポのように喰らわれていた個体が何体か確認できる。そんな死体たちの事など興味がないかのようにゆっくりと歩みを進めていたベリオロスは少しずつ加速度を上げていき、勢いよく跳躍。

 そのまま崖へと飛び出して滑空を始め、進路を西へと定める。

 

「ヴォオオオオオオオオオオオン!!」

 

 高らかに咆哮を上げて白い影は吹雪の中へと消えていく。

 凍土の白い騎士と呼ばれた竜は先に西へと逃げていった同種を追うように、領土である東から西へと侵攻を開始した。

 

 

 ○

 

 

「本当にいるのか?」

「いたからこうして調査が出たんじゃないのか?」

 

 そう会話するのがギルドナイトの制服を着た男達だ。彼らが今いるのはテロス密林。東に広がる砂漠の手前に広がる密林であり、ここに古龍オオナズチが確認されたと報告を受けて調査隊が派遣されている。

 同時にこの密林を中心としてあちこちに出現するとある雷を含んだ黒雲。それについても調査をせよ、とあるのだが、今のところ黒雲は確認できない。それどころかここにいるとされているオオナズチの姿も確認できない。

 とはいえ奴は霞龍と呼ばれる存在。なんと自身を纏う力を操ってその姿を透明化させて視認させることを阻害する事を可能としている。触れる事は出来るが、その姿を見る事が出来ない。

 それだけ、と思うだろうが、見えないというのはそれだけで大きなアドバンテージを得る事が出来る。気配や力の波動を察知できる者からすれば見えないくらいどうという事はないだろうが、それが出来ない者からすると大きな不利を被る。

 しかも長い年月を生きたものはただ移動するだけなのに気配も姿も全く感じさせないため、一体どこからやってきたのか、どこへと向かっていくのかすらもわからない。

 まさに霞。

 その姿は周りの景色に覆い隠され、人の手にその姿を掴まさせない。

 それだけで終わらせないのがオオナズチ。奴はそれだけで古龍の域に達しているわけじゃない。

 その体内で生成されるのは毒だけではない。相手のスタミナを一気に奪う毒、相手の装備の質を一気に下げてしまう毒と三種類の毒を生成している。それらを使い分け、長く伸びる舌や硬い尻尾で外敵を排除していく事を戦闘スタイルとしている。

 テオ・テスカトルのような凶暴さと業火の脅威、クシャルダオラのような暴風を操る力はないが、それでもオオナズチというものはやり辛い相手とハンター達には認識されている。それに古龍だけあってオオナズチもまた生命力に溢れた存在だということも忘れてはならない。

 さて、そんなオオナズチを探して一週間以上。霞というよりもまるで存在が確認されない。本当にこの密林にいるのかと疑いかねない程に存在感がない。

 幾つかのチームに分かれてオオナズチの気配を探っているのだが、姿を隠しているだけにしては尻尾を掴むどころの話じゃないほどまでに確認できない。

 だが古龍が確認される特徴としてランポスなどの小型モンスターが確認できない、という現象が今もなお続いているためまだいるという事を教えてくれる。

 またオオナズチが通った後と思われる草の踏み跡もぽつぽつと確認されている。それを辿ってみても姿が確認できないので意味がないのだが。

 

「他のチームは手掛かりらしきものを確認してんのに、俺達だけそれがないってのはどうなのよ?」

「……しょうがないだろう。奴は自分の事を隠すのが得意な存在だ。だから見つからないっていうの――――ん?」

 

 ふと顔を上げて生い茂る木々の奥を見つめてみる男。密林だけあってうっそうと生い茂る植物が視界を悪くさせているため、発見を更に難しくさせているのだが……男の目はそれをかき分けたその先をしっかりと見据えている。

 一体何を見ているのかと一緒にいた青年もその先を見てみる。

 すると何かがゆらりと動いたような気がした。しかしそこには何もない。

 だが見間違いでなければあの一点の景色が歪んだ気がした。ちらりとお互い目配せし合うと小さく頷き、息を潜めながらそこへと走り寄っていく。

 だがそこにいるものは僅かに動きを見せて走り去っていく。その際焦っていたのか僅かにその顔が見えてしまった。キョロキョロと後ろを窺うようにして走っている。

 

「……逃げているのか?」

「そうとしか見えない、いや……今はもう見えないけど」

 

 慌てていても流石は霞龍。また姿が見えなくなってどこを走っているのか視認できなくなっていく。だが慌てたような空気が若干滲み出ており、それを辿っていけばオオナズチを見失わずにいられる。

 だが一体何を焦っているのだろう。何から逃げているのだろう。

 それが気になるが、二人は逃げていくオオナズチを追うように走り続けていく。

 

 その遥か後方。数十キロも離れた地点でそれは佇んでいた。高地を吹き抜ける風に身を任せてじっと密林を見下ろしている。赤い瞳を爛々と輝かせながら視界が悪い密林の一点を見据える。まるでそこに獲物がいるかのように。

 

「ブルルル……」

 

 軽く体を振るわせれば生え揃う白いたてがみが柔らかく揺れる。カツ、カツ、と軽く前足で地面を擦ると一気に跳躍。岩山を飛び越えて坂へと着地し、その四足を以ってして素早く駆け下りていき、かの存在もまたテロス密林へと来襲する。

 その事にここで調査をしているギルドナイト達は気づいていない。いや、気づいたのは奴の気配に気づけた何人か。それも奴の近くにいた隊長以下数名の隊員ぐらいなものだった。

 

「な、なんだ……この気配は!?」

「た、隊長! 奥からなにかが……っ!?」

 

 隊員である女性が奥を指さして叫び、隊長をはじめとするメンバーがその一点を見据える。同時に各々武器を抜き、迫ってくる存在に対して備えた。

 聞こえてくるのは獣が走ってくるかのような足音。続いてバチバチと音が弾けるかのような音。森の木々がその弾けたものによって悲鳴を上げ、葉の先端から焦げたような臭いを漂わせる。

 

「あ、あれは……!?」

 

 その姿が視認できた時、隊長だけでなくメンバーたちも息を呑むしかない。あれは……一体何の冗談だろうか。どうしてこの場に、古龍が二種も集まっているのだろうか。

 だが、あれを見た時どこか納得出来たところもある。

 時折見かけられる黒雲。もしかするとあれが生み出していたのだとすれば……しかもあれもその力を秘めていたのだとすれば、腑に落ちるだろう。

 

「迎撃体勢をとれ! 奴を止めるんだ!」

 

 隊長の言葉に従ってギルドナイト達が攻撃態勢に入る。弓を手にした者は矢を番え、ボウガンを手にする者は弾を装填する。奴が射程内に入った瞬間それぞれ攻撃を開始し、奴も疾走速度を落とさずにギルドナイト達へと向かっていく。

 だが持ち前の体の丈夫さを生かして攻撃が着弾しようとも怯む事などしない。逆に赤い瞳を細め、額に生える角が軽く光を放ったかと思うと、奴の周囲に落雷が発生し始めた。

 

「なっ……!?」

 

 雷を纏いながら奴は更に疾走速度を上げる。周囲を落雷の海に巻き込みながら迎撃態勢を取っていた彼らを蹴散らすように走り去り、後を追うように落雷が通り過ぎていく。

 悲鳴と落雷の轟音が森に響き渡り、何も出来ずにギルドナイト達は負傷する。咄嗟に防御体勢を取ったがそれでも落雷という自然の驚異は大きい。その一瞬の間にいくつもの落雷が落ちていったのだ。

 装備の守りがあるとはいえ、気を抜けば意識が落ちてしまう程の威力を秘めている。

 

「ぐ、うぅ……応援を……」

 

 痺れる体を無理やり動かし、隊長はポーチから緊急連絡用の信号弾を空へと打ち上げる。それを受けて数分後に伝令アイルーがやってきて隊長たちの様子に驚き、緊急として救護アイルーも呼び出される。

 その後隊長の伝言は一日かけてポッケ村へと届けられた。

 

 

 テロス密林に古龍オオナズチと古龍キリンを確認。至急神倉月の応援を頼みたい。

 

 

 朝陽の計画は最終段階を前に波乱が巻き起こる。

 それぞれの駒は動き、戦いが始まろうとしていた。

 

 

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