ある程度鍛錬を進め、時折休憩を挟んでお互いの現在の動き、武器の確認を終えた昴達は男女に分かれて集まっていた。鍛錬は私服ではなく装備を纏って行われたため、負傷は軽度のものに留められた。
また装備を纏っているとはいえあまりに全力を出してしまえばまずいことになるため、全力を試す相手は月か獅鬼、あるいは風花を相手に絞られることになった。彼らならばもしもの事がない限りは倒れる事がないため、全力を試すには十分なもの。それ以外の相手に使ったら決戦どころではない。
さて、そんな休憩のメンツはこのような感じになっていた。
昴、ライム、クロム、レイン、ゲイル。獅鬼と雷河はここにはおらず、向こうで何かを話しているようだ。
ちなみに女性陣は紅葉、優羅、シアン、セルシウス、サン、アルテミス、撫子で集まっている。花梨は月と酒を呑み合っており、風花と焔はまた一緒にいるらしい。
「しっかしまぁ、いい感じに力がついてきたもんだよなぁ。成長度合いがはんぱねえわ、うん」
「確かに。見て感じるだけでなく、実際に戦っているのを見て改めて感じるよ。お前達は十分強いハンターとなった」
「ありがとうございます。兄さん、昴さん」
気ではなく魔力を纏わせた斬撃、補助に使える魔法式の組み立て、補助ではなく主力の砲撃となり得る魔法式の組み立て。月を師匠としたことで彼の実力は飛躍した。それはここにいるメンバー全員が同意する事だった。
しかし実力と同時に心も強くなければ戦いにならない。
「テオ・テスカトル相手に気圧されずに戦えるかは別だけどな。その辺りの事もちゃんとやってくれてたよ」
「はい。心も鍛えられてますし、狂化したキリン相手に戦った経験も生きているはずですので、大丈夫かと」
同じ古龍種であるキリンを相手に戦えたのだからもう精神的にも強くなりつつある事はわかっていた。そこまで高める鍛錬があったからこそ、ライムとシアンは最初に恐怖を感じながらもそれを抑え込むことを可能とした。
全てはこの時に備えての鍛錬、修行。それについてこられた二人も素晴らしいと言ってもいい。
「そういえばレイン・スカーレットも弓術が進化していたな」
「うむ。今回わたしとサンは後方から弓で援護する予定だからな。スカーレット家に伝わる弓術を改めて見返し、高めてきたのだよ」
「スカーレット家は剣と弓、どちらも高めてきたからなぁ。大抵はどっちか一本絞って高め、もう一つはそれなりのものに収めるんだが、ソルはどっちも一流に迫るいうとんでもねぇ奴さぁ、クッヒヒヒ」
ついでにいえば魔法の実力もなかなかのもので、武器に篭められている属性を引き出して振るう技術を使って魔法の属性指針を決めている。そのため属性は限定されるが、彼が手にしている武器はどれも高い力を誇っているので問題ない。
「そんなソルの技術はきちんと書物に記されていてな、この二人に技術が受け継がれるって事わけさぁ」
親から子へ、子から孫へと受け継がれた技術。それを改めて見返し、物にしていく。このおかげでレイン達はあれから実戦回数が少なくとも、力を高める事を可能としたのだ。
「……とはいえ、わたし達の成長よりも君達の方が素晴らしいと思うがね。ライム・ルシフェルらもそうだが、それ以上にあれが気になる。なんだあの竜宮紅葉は? あれは異常じゃないかね?」
「……深く気にするな」
紅葉が獅鬼との鍛錬で会得した技術。それを初めて目の当たりにした者らは総じて唖然としていた。いや、あれは元々彼女が持ちうる力をコントロールした結果なのだが、眠れる獅子を叩き起こしたとか、眠っていた力が暴走したとか、そういうものに近くて違うもの。
彼女のディアブロスの因子がもたらす力は計り知れないが、それを引き出すには酔ってリミッターを解除するしか以前の彼女には不可能だった。決戦の地でまさか酔うわけにもいかず、しかしあの力はこのまま眠らせてしまうには惜しい。
ならばスイッチを作るしかないと獅鬼は言う。
自分の中にリミッター解除のスイッチを作り、自分の意志で切り替える術を会得すればいい、というのが紅葉の課題だ。
果たしてそれは成功した。
人の身で発揮できる力の限界を抑えつけるのがリミッターであり、紅葉の場合はディアブロスの因子の影響もあるのだからその抑えられた力はかなり高い。それ故に解除した後の反動は高いため、そう何度も使えるものじゃない。
それでも彼女はその技術を求め、会得した。
解放された力を振るう彼女はまさに荒れ狂う台風。
砂漠の暴君ディアブロスの因子を発現させた彼女に不用意に近づく事は、自殺行為じゃないかと思える程にその暴風が秘めた力は凄まじいものだった。
レインが言うように、あれは異常だろう。
「しかし人の身であれは……」
「深く気にするな」
「…………」
「気にするな」
じっとレインを見つめて繰り返し言い含めると、もう何も言えなくなってしまったらしい。だがちらちらと離れた所で集まっている女性陣、特に紅葉の方を見ているのはやはりまだ気にしているんだろう。
話題は移り変わり、気づけば戦いが終わった後の事について話し始めていた。
もし決戦を終えて生き残れば自分達の戦いは終わりを迎える。その先の事はどうするんだろうか、という話題が上がったのだ。
「俺様は裁判だろうなぁ。ま、数年は出られねぇだろうが、クッヒヒヒ……」
ゲイルに関してはもう決定事項だ。全てが終われば裁かれる、それはドンドルマでソルから通達された事。同様にアルテとセルシウスも裁かれるだろう。アルテはまだしもセルシウスに関してはほぼ間違いなく数十年は出られない。
だがゲイルはそれから逃げるそぶりはない。ありのままに受け入れるつもりのようだ。そんな彼をレインは何とも言えない表情で見つめ、ふう、と息をついて、
「わたしはギルドの立て直しに協力だな。父上とサン、大長老と共に尽力するのみだ」
レインとサンも道は定まっている。ドンドルマは復興されているようだが、ギルドとしてはまだまだ立て直されている最中だ。だから二人、そして彼の部下らはドンドルマに戻って復興させなければならなくなる。
道があまり定まっていないのは昴達だ。
「……俺達はわからないな」
なにせ村が滅びてからずっと旅をしてきたのだ。東から西へ西へと旅し、ここまでやってきたのだから定まった場所がない。もちろん帰る場所もない。
だから決戦が終わった後どうするかは今はまだわからない状態だ。
でも、何となくこうするんじゃないかと思っている。
「だが、たぶん……東方に帰るかもしれない」
東方人のため故郷に帰るという事だろう。目的のためにずっと旅をしてきたのだから東方に一度帰り、どこか定住する場所を探す事になるかもしれない。
十年も移動をしてきた。しかも年頃の少年少女がそうしてきたのだ。やはり腰を落ち着かせる場所が必要になってくる。その場所を探しに行くかもしれない。
「そうか。……まあ、仕方ないっちゃあ仕方ないな」
「ああ。こっちに定住するというのもいいかもしれないが、そうするにしても一度あっちに戻って墓参りぐらいはしておかないとな」
村が襲撃を受けたあの後ギルドが村人の墓を立ててくれたらしく、村の跡地付近は彼らの墓が並んでいる。だから村に向かえばそのまま墓参りする事が出来る。
だから一応一つの目的としては墓参りをするために東方に帰る、というのが有力だろう。
「俺もどうするかねえ」
クロムもどうするかはまだ決まっていない。桔梗と共にポッケ村に住み続けるのか、あるいはライムとシアンと共にココット村に帰るのか。
この一件が終わればもう桔梗と共に隠れ住む理由はなくなる。でもあのポッケ村に住みなれているのも確かであり、離れるのも惜しい。しかし故郷であるポッケ村に帰ってみたいのも確か。
「ライムはココット村に帰るんだろう? シアン嬢ちゃんと一緒に」
「はい、恐らくは」
「んー……桔梗とも相談しとくかね」
移住するならば桔梗も一緒だ。だから彼女の意志も確認しなければならない。そんな風に考えているクロムを見て、ゲイルは「ふむ……」と小さく頷きながら口元に指を添える。
そして何気なく、ぽつりと呟くようにこう問いかけていた。
「兄ちゃんはあの桔梗とかいう子に惚れてんのかい?」
「……あん?」
きょとんとした顔でクロムはゲイルを見つめ、ゲイルはゲイルで純粋な疑問を以って問いかけている。昴とレインもどこか驚いたような表情を浮かべており、ライムも同様だったが、「確かにそれは僕も気になってました」と同意するように頷いてしまう。
「あー……、ん、そうだなぁ……」
頭を掻きながら少しだけ視線を逸らしつつ考えるようなそぶりを見せるも、それは数秒だけ。すぐに目を閉じてこくり、と頷くと、
「あいつは大切な存在だ。守ってやらなきゃならねえ奴さ。帰る場所を失い、壊れちまった奴だからな……助け出した俺がなんとかしてやらねえといけねえって、ずっと一緒にいたんだ」
手を組んでぽつぽつと語るように話し始めたクロム。視線は組んだ手に向けられ、あの頃の事を思い返すように遠くを見つめているような瞳をしている。
「……いつからだろうな。守ってやらなきゃならねえ奴、って存在から、大切で失いたくねえ奴って変わったのは。気が付いたらそうなってたんだよ。あの笑顔を本物に変えたいと思った頃か、あいつが抱えた闇を見てしまった時か……それはわからない。……でも、確かに俺は、あいつが大切で、失いたくなくて……これがそうだっていうんだったら、俺は認めよう」
グレイシアに対しても大切な人だという事は伝えており、明確に好きだとは言っていない。だからこそ今、ここで認めよう。
「俺は、あいつに惚れてるんだろうさ」
すっきりしたような表情で確かに彼はそう言った。
しかし「……でも」と繋げていき、
「それを伝える事はしねえよ」
「ん? それは何故だ?」
昴が純粋な疑問で問いかけると、クロムは苦笑を浮かべて軽く首を振った。
「あいつはまだ完全に治っているわけじゃない。……ようやく治り始めているが、それでもまだ完全じゃない。だからまだ見守り、支え続けるだけさ。伝える時は……あいつが感情を取り戻し、本当の意味で笑えるようになってからだな」
それは前から決めていた事なのだろう。伝えるならば全てが終わってから。彼女を守り、支えると決めた時からクロムは変わらず桔梗の行く末を見守り続けたのだ。
だから完治するまではただのパートナーとして過ごすのみ。
「……ま、俺の事はこれくらいでいいか。ライムはどうなんだ?」
「え? 僕、ですか?」
「そそ。シアン嬢ちゃんとだよ。ティガレックスの一件で結構いい感じになったんじゃないか?」
確かにクロムの言う通り、あの一件は二人にとって大きなきっかけになっただろう。とはいえシアンは昔から一途にライムの事を想っているわけだが、ライムの方はまだその感情がそうなのかがあやふやだった。
しかしあの一件でシアンが死にそうになり、それがライムにとってシアンがどういう存在なのかを認識させることになる。
「……そうですね。僕もシアンの事を少しずつ失いたくない人、大切な人、と感じています。たぶん、兄さんが桔梗さんに抱いている想いと似ている……いえ、同じものかもしれません」
「そうか。じゃあシアン嬢ちゃんとは両想いって事になるな」
うんうん、と頷きながらクロムが言えば、昴らも同意するように頷く。この二人に関してはもう誰もが認めるカップル候補だろう。というより昴達がこの二人を温かく見守っていると言ってもいい。
その気になればもう結ばれるだろうが、今はまだそうはしないだろう。伝えるならば決戦の後か。
「……そういや、ゲイル。お前はどうなのよ?」
「……俺様?」
「そうそう。アルテミス嬢ちゃんか、サン嬢ちゃん。どっちかとくっつくのか?」
「ちょっと待ちたまえ。どうしてそこでサンが出てくるのかね?」
クロムの言葉にレインがストップをかける。その表情には本当に何故サンが出てくるのか、という疑問があった。
「ん? そりゃあ、幼馴染だし同じ隊に属しているんだろう? 色々そういう機会あるじゃねえの」
「確かにそうかもしれんが、わたしは許さん! サンが誰かとくっつくなど……まだ早い!」
ぐっと拳を握りしめて熱弁するレインの様子に一瞬驚きはしたようだが、やがて誰もがだめだこいつ、という風なジト目を向ける。しかしレインはまだ興奮も覚めず、言葉を続けていく。
「そうだ、サンはわたしにとって大事な妹! どこの馬の骨とも知らぬ輩にくれてやる気などさらさらない!」
「いや、ゲイル相手ならいいんじゃ……」
「確かにゲイルならば気心も知れているが、それでもまだ早い! あいつが……誰かと付き合うなんて……!」
「……まさか、自分に相手がいねぇからって妬いてんのかぁ?」
「何を言うかゲイル!?」
ジト目のままからかうようにゲイルがちょっかいかけるように指を差せば、少しだけ紅潮した顔をゲイルに向けて叫ぶ。ああ、そういえばレインはサンと言う妹はいても、誰かとくっつきそうな気配がする女性はいなかったな、と昴達は思い出す。
外見的には美青年というカテゴリに含まれるし、普段の凛々しい姿を女性陣が視ればそういう噂は立ちそうものだろうが、やはりこの重度のシスコンが足を引っ張るのだろうか。
もしそうなのだとすると、レイン隊の中に彼に淡い思いを抱いている女性隊員がいたとなれば……頑張れと思うべきか、ご愁傷様と思うべきか……悩むところだ。
「わたしはギルドナイトと言う役目がある。そういう事にうつつを抜かしている暇は……」
「いや、お前……結構ギルドの中じゃモテてるんだぜ? 一応な」
「ああ、やっぱりそうなのか。……で、レイン自身はそういう気がないばかりか、サン嬢ちゃんの事ばかり考えていると」
「……いや~シスコン兄ちゃんというのは悲しいねぇ。レインだけでなく、サンもそういう縁がなくなっちまうんだから」
やれやれ、とため息をつきながらゲイルとクロムがサンがいる方へと視線を向ける。その視線に気づいたのか、サンらが慌てて視線を逸らしたような気もするが、まあいいだろう。
数分前の事。
離れた所にいる女性陣は女性陣で、同じように話に花を咲かせていた。女子三人集まれば姦しいと言うが、年頃の女性が七人も集まればその賑やかさはなかなかのものだ。とはいえ、その中の二人はほぼ無言で無表情でいるのは性格ゆえに仕方がないだろう。
彼女達もまた鍛錬を終えてお互い強くなったねー、とかどんなことがあったの? とか、色んなことを話していたのだが、不意に撫子が男性陣の方へと視線を向けた。
少し尖っている耳をぴくぴくと動かし、小首を傾げながらも小さく微笑を浮かべている。
そんな彼女に気づいたのがアルテだ。どうしたんだろう、と彼女も撫子の視線の先を辿り、何となく耳を澄ましてみる。すると男性陣の会話の内容が少しずつ聞こえ始め、その内容も聞こえ始めたのだ。
両者の距離は十数メートルほどあるというのに、なかなか耳がいい。やはり妖狐の血と火竜の因子を持っているから人よりも優れた聴覚を持っているという事か。
そんな二人の様子に気づいたのが優羅とセルシウス。会話に混ざらず、ぼうっとしながら聞き流すようにしていたため、二人の様子が変わった事はすぐにわかった。
そして同じように男性陣へと視線を向け、何があったのかを何となく悟る。
「……ん? どしたの?」
そうして話に混ざっていた紅葉もまた様子に気づき、男性陣の話がなかなか興味深いものになっている事に気づき、指を立てて軽く振るうと風の流れが変わった。
その風に乗り、彼らの話が聞こえてくる。どうやら風を利用して遠く離れた相手の話も聞けるようにする術も知っているようだ。
「ん、聞こえるようになってきた?」
「はい、聞こえますよー」
ここにいる全員が聞こえる程に調節した事で、男性陣の会話は全て聞かれる事となる。
そして当然レインの重度のシスコン発言もしっかり聞かれており、
「……なんていうか、ご愁傷様だね、サン」
「…………はぁ」
女性陣はレインの様子に溜息をつき、サンの境遇に少し憐れみを感じてしまう。サン自身もレインのシスコンっぷりに頭を痛めてはいるが、まさか自分の恋愛方面にまで心配されてはたまらない。
「兄上も……困ったものです」
軽く頭に手をやりながら首を振り、溜息をつくサンに苦笑しながら撫子はもう一度ゲイルらの方へと視線を向け、少し考えるように頬に指を添えた。
ちらちらとゲイルとサンを交互に見ると、「んー、そういうことなのかなー?」と何となく感じ取る。
レインは許さないようだが、サンの気持ちはもしかするとその気配があるのかもしれない。しかしゲイルに対してはアルテも何となくそんな雰囲気を感じるし、これはなかなか面白い関係になっているかもしれない。
「サンが恋愛するにはあれの壁を超えるしかない、と。なんていうか、どうして兄貴が父親みたいになっているのやら」
「大切すぎるっていうのも困りものなんですねー」
やれやれと紅葉とシアンが溜息をつき、もう一度視線を男性陣へと向けるのだった。
そんな彼女らの下へと近づいていく二つの影。話を終えた風花と焔が紅葉らの様子に気づき、一体何の話をしているのかと見に来たらしい。
二人……いや二匹と呼称した方がいいのだろうか、彼女らは空気の流れと紅葉らの様子、そして離れた所にいるのに聞こえてくる声によって状況を何となく把握し、揃って何をやっているのやらといった風な呆れた表情を見せる。
だが、聞こえてくる言葉に少し耳を傾けてみようか、と何となく思う。
「いい加減妹離れしたらどうなのよ」
「妹を大事に想ってこそ兄である」
「いや、それはいいけどさ、行きすぎじゃね?」
「そうそう。程よい距離を保ってこそ、だぜぇ?」
そんな風にレインのシスコンっぷりを色々突っ込んでいくのだが、やはりというべきかレインはこの道から離れる気はないらしい。もうだめだこいつ、と思い始めていると、ついに昴の方へと視線が集まっていく。
「で、だ。一番気になってるのはお前なんだよな」
「おう、俺様も気になってるわ」
「……実は僕も」
「わたしもだ」
「……そうか」
この場にいる全員から言われ、小さく呟きながら視線を逸らしつつ溜息をついてしまう。話の流れからしていずれは自分も訊かれることになるんだろうと覚悟はしていた。
ぽん、と足を叩いてじっと昴を見据えて「お前らもまたいつくっついてもおかしくないと思うんだよな」とクロムが切りだし、
「紅葉も優羅も、お前にベタ惚れってのは見え見えだよな。で、お前もそれを知ってる」
「……そうだな」
「二人とも外見的には美人だよなぁ。あんな二人に惚れられるってのも男にとっちゃ誇れるんだろうが……俺様はちっとこぇえな」
苦笑しながら腕を組むゲイルに「何故だね?」とレインは問いかける。
「……黒崎優羅だったか。俺様はちょっとした事があってあれと戦った事があるんだが……マジでやばかったな。あの時は俺様もそうだったんだが、俺様以上に殺気を振りまくわ、本気で殺しに来るわで……俺様自身よう生き延びたな、って今でも思ってるわけだわ」
話している最中に、ローブから蒼桜の対弩を出して貫通弾で頭を撃ち抜こうとした事を言っているのだろう。優羅がああなのは一人旅を始めたあの頃から変わらない事であり、自分を狙ってくる敵なら容赦の欠片もないのが彼女のやり方だ。
この自分を殺しに来るのだから当然自分も命を懸けてるんだろう? というのが彼女の弁らしい。
「そんな黒崎優羅に惚れられてて……大丈夫なのかぁ?」
「あーいつもの黒崎とか、戦闘時のあいつを見てるとそう思うのも無理ないだろうが、その心配は全然ないぜ? なにせあいつは昴を一途に想ってるからなあ。それにさ、信じられねーだろうが、あいつ、見かけによらず結構家庭的なんだぜ?」
『……な、に?』
ポッケ村で一時期暮らしていた上に、記憶喪失だった昴を甲斐甲斐しく世話し続けた事をクロムは知っている。それを知らないゲイルとレインは本当に信じられない、という風に驚き、本当なのかと昴の方を揃って見やる。
そんな二人に小さく頷き、昴は肯定した。
「僕もそんな事を前に聞いた覚えがあります。確か子供の頃はよく昴さんの家に行って料理をしていたとか……」
「料理!? ……美味いのか?」
「俺は食った事ねーから知らねえな。なんかあいつ、作る相手は昴か竜宮だけって決めてるように見えるんだよな……流石だぜ」
ドンドルマに来る途中に一緒に移動していたが、その間の料理は桔梗が作っていた。優羅も料理上手という事は知られていたが、決して自分は手を出さなかったのだ。それにポッケ村で暮らしている間も彼女が作った料理は全て昴と彼女の腹の中に消えていき、他の人たちは残りすら与えられない。もちろん残飯なんて出るはずもなく、クロムらはただ優羅は料理上手という事実しか知らないのだ。
それはまさに未知なる食物。この二人以外は決して口に出来ぬ手の届かない領域。
どれほど美味しい一品なのか、それがすごく気になるのは道理だった。
「まあ、美味いぞ」
「どのくらい!?」
「……あー……そこらの料理店よりも美味い、な」
自分を見つめる視線と興味深いということを隠さない程の雰囲気に気圧されながらも、昴はそう答える。そしてゲイルらはと言うと、料理店よりも美味いという褒め言葉に増々興味深いという風にちらりと優羅がいる女性陣の方へと横目を向けてしまう。
しかしすぐに視線を戻し、「……俺様達ってやっぱり黒崎の飯食えない?」と訊くと、昴は少し控えめに「恐らく、な」とそれを肯定してしまう。
「……それにしても家庭的、ねえ……。全然そうは見えないんだが」
「確かに。わたしもにわかには信じられん」
「でも事実なんだよなぁ。料理だけじゃなくて掃除洗濯も完璧。ちらっと見たことあるけど、かなり手慣れたもんだったぜ。ありゃ将来いい嫁さんになるぜ」
「それに紅葉さんだって負けちゃいませんよ。ずっと昴さんと旅をしてきていますから、家事スキルはなかなかのものだと聞きます。実際紅葉さんの料理食べたことありますが、とても美味しかったですよ」
「ま、要するに、だ」とクロムはこほんと咳をして間を置き、
「どっちも嫁さんにするには十分なスキルを持ってるってわけだ」
「で、同時に浮気すれば命の保証はねぇ程の実力を持ってるってわけだなぁ、クッヒヒヒ」
彼らの頭の中に浮かぶ光景。
あのリミッターを外した紅葉にボロ雑巾のようにずたずたに殴られ、蹴られる事で私刑執行される旦那。飛竜相手に通用する威力なのだから、当然人の身でやられれば……おお怖い怖い。
続いて紅い目をぎらつかせながら、逃げ惑う旦那めがけてボウガンから射出される弾幕を浴びせる。または夜烏【小羽】を構えて一瞬の内に斬り刻まれる浮気相手の姿……って後者は完全に死んでいるではないか。怖いを通り越してもう手遅れである。
『…………』
「……なんだその無言は」
浮気は浮気でも……紅葉と優羅の場合はどうなのだろうか。この二人を同時に受け入れた場合浮気と言うよりは……ハーレム? しかしハーレムなんてそうそう出来る事じゃない。そういうものは一国の王などの高い地位にある人のみが出来る事。
一般人はハンターを含め一夫一妻が通例なのだ。それが人族の常識。
「……えっと、昴さんが悩んでいるのは紅葉さんと優羅さんをどちらかを選ぶか、ですよね?」
「ああ。……しかしどちらかを選べばどちらかと別れる事になる可能性が高い。せっかく三人集まったのに、また二人に戻ってしまう。……それが俺は怖いんだよ」
その冷静な表情に暗い影が差しかかる。いつもの昴には見られないその表情に、ライムは僅かな驚きを見せるが、昴は言葉を続けていく。
「十年だ。十年も探し求めて旅をし続けて、ようやく三人に戻った。俺だけじゃない、あいつらもまた離れる事は望んじゃいないだろう」
「でも、離れるとは限らないんじゃねぇのか?」
「……では訊くが、自分と惚れた女と親友がいて、その二人がくっついていたとする。その二人とずっと同じチームでやっていけるか?」
「あ、あー……」
その惚れた女の未練を断ち切る事が出来たならば、それも可能かもしれない。また別の女性と知り合い、四人目の仲間として迎え入れたり、あるいはまた別の男性の友人と知り合い、同様に迎え入れたりすれば何とかなるかもししれない。
でも、あの二人にそれは難しいだろう。
「あいつらはなかなか難しい奴らだ。紅葉は親しい相手、特に心を許した人物が近くにいなければトラウマを発動しかねない。優羅は優羅であの気難しい性格だ。親しい人物を増やす事すら難しい」
「……つまり、君以外に新しく恋愛対象を見つけることは難しい、という事かね?」
「極端に言えばそうなるな。……そんな光景、残念ながら想像できん。そんな二人を……また別れさせるのは心苦しい」
その言葉にライム達はどこか納得してしまう。
あの二人は本当に純粋だ。ずっと一途に昴を想い、昴もまたそんな二人を大事に想っている。だからこそ三人でいたいと願っているが、故に一人を選ぶことが出来ない。
大事だからこそ悩み続けている。
そんな昴を感じとり、ライム達は何も言えなくなってしまった。
ライムもクロムも一人を想っている。二人同時に想う事も想われる事もない。そういう経験がないために何を言えばいいのかわからない。
もちろんレインとゲイルも同様だ。気難しそうな表情を浮かべて何を言うべきかと考え込んでいる様子。
「だから俺は……どうしたらいいのかわからない。考えても考えても、これが堂々巡りを繰り返すだけだ」
「昴……」
昴の悩みを解消してくれる者は残念ながらここにはいない。女性陣に相談するべきか、とも考えたが、どう打ち明けていいかもわからない。完全に思考は迷宮に囚われてしまっていた。
このまま彼の悩みは解決しないのか、と思った矢先――
「――やれやれ、困ったものね」
そんな言葉と共に一人の女性が姿を見せた。風になびく鈍色の長髪に黒いドレスを身に纏う風花だ。静かに昴らへと近づき、特に話の中心となっている昴をじっと見つめている。
「話は聞かせてもらったけれど、何を難しく考えているのかしら、
「……どういう?」
「三人離れたくないというならば、あの二人を纏めて迎え入れればいいじゃないの」
「……あなたまでそう言うのか?」
「ええ、それしかないでしょう? 雄ならば雌の二人受け入れるだけの懐の広さを見せつけなさい」
「雄? 雌?」
その言い方に違和感を覚えた昴らに、ああ、と小さく頷き少しだけ視線を逸らして考えたが、やがて風花は「
正体を知っているクロムは驚かなかったが、昴らは驚きを隠せず息を呑む。また昴はドンドルマの一件を思い出し、「まさか……ドンドルマに現れたクシャルダオラは……」と少し震える声で問いかければ、「ええ、私よ」と頷かれた。
彼女がクシャルダオラならば、同じく人ではないラージャンと同じ考えをするのも無理はないだろうか。どこかでそんな考えが浮かんでくる。
「人族の雄はどうも勘違いする傾向にあるようだから一つ言っておくけれど、雄が雌を選ぶのではないのよ? 雌が雄を選ぶのよ。そうやってハーレムというものは築き上げられていく。雄は選ばれた事を誇りに思い、集まってくる雌を受け入れる。……童、あなたもそうするべきよ」
「しかし、それは野生の動物達の話……でしょう。人族である俺達には――」
「私達からすれば一夫一妻なんてつまらない制限を設ける人族が理解出来ない」
腕を組み、きっぱりとそう言い切った風花に昴達はただただ驚くのみ。種族の違いで思想は異なると言うが、ここまでとは思わなかった。雷河と同じ意見だが、風花の場合はそうだと割り切っている。
「二人と離れたくないのでしょう? そして同時に童、貴様はあの二人を愛しているはず。そしてあの二人もまた童と結ばれたいと望みつつ、三人で居る事もまた心の中で望んでいる。ならば、採るべき道など最初から決まっている。悩み続ける事こそ無意味。童、決断なさい」
「…………俺は」
悩む必要など最初からなかった、と風花に言い切られた事こそ解決への道標。雷河に言われて迷い、今ここで風花にも言い切られ……これ以上悩み続けるのは最早無意味か。
それに元より自分はあの二人を大事に想っている。それもまた確かな事だ。
だが、それを止めるのがギルドナイトであるレイン。腕を組んで昴と風花を交互に見つめ、「少し待ちたまえ」と言葉をかける。
「二人を受け入れる、と言っても、だ……一夫多妻は……」
「だからそれが人族のつまらない制限だと言っているわ。……それに、知っているわよ? 一部の国は確かに法律で一夫多妻を禁じ、許されるのは立場の高い者のみ、と定められている。……でも、大抵の国、あるいは無国籍ならばその限りではない、という事を」
「む……」
一夫一妻が普通であるという認識はあっても、それが法律で定められているのは西シュレイドやドンドルマなどの国や一つの大都市のみの話。国に収められていない街や村、あるいは魔族などの集落では子孫を残す為に一夫多妻が許されている場所がある。
しかし人族としての感情の面があるせいか、一人のパートナーのみを愛する。それが一番だという認識が広まっているため、法律がなくとも一夫一妻が普通とされている。
昴もその認識があったため、今まで二人を同時に受け入れる事を躊躇っていたのだが、彼らもまた、ヤマト国やロックラック地方などといった国や領主が納める地域外、法律の影響のない東方の辺境の村に生まれている。つまり、覚悟さえ決めていれば一夫多妻は認められるのだ。
「つまり、童はあの娘二人を妻として受け入れる事は可能。何も問題はないわ」
「む、む……」
ばっさりとレインの懸念を切り捨て、レインはもう何も言えなくなってしまう。法律による縛りがなければ、あとは本人らの気持ちの問題なのだから。
「……で、どうするのかしら? 法律面でも童達を縛るものはない。あとは感情の赴くままに選べばいい」
「…………はぁ、わかった」
彼の思考を縛り、悩ませ続けた鎖と外壁は取り払われていく。
三人で居続けるためにも、昴は決断を下す。
「――俺は、受け入れよう」
その言葉と共に、吹っ切れたような表情で昴は顔を上げた。先ほどまであった陰はもうない。ずっと抱え込んでいた重荷をようやく下ろしたかのように感情も落ち着いている。
「あいつらの気持ちの受け止め、受け入れる。もう悩み続けるのは終わりだ。……大丈夫、選択するよ」
しっかりとそう口にし、頷く。そんな彼をクロムとライムは穏やかな表情で見守り、ようやくその時が来たか、と微笑を浮かべながら何度か頷いている。
そんな二人へと振り返り、「クロム、少し訊きたいんだが」と声を掛ける。
「お? なんだ?」
「宝石を用いたアクセサリーについてなんだが……」
自分の魔法の効果を高めるために彼が宝石をいくつも集め、なおかつアクセサリーとして持ち歩いている事は知っている。ドンドルマの一件でその一部を見せ、貸してくれたこともあるのだから。
「サファイア、エメラルド、ルビー。この三つを使ったものが欲しい」
「……ああ、なるほど。そういう事ね。了解、ヴェルドに戻ったら店、案内するわ。ちょいと調べたらすぐに見つかるだろうさ」
「感謝する」と頭を下げれば「いいさ、俺も少し新しい物を調達しようかと思ってるしな」とにやりと笑みを浮かべて親指を立てる。
「それで、アクセサリーってのは――」と話を続ける二人をよそに風花は軽く女性陣の方へと一瞥する。どうやら話はすべて聞いたようだ。どこか紅潮している二人の顔を確認しながら、風花は少し顔をしかめながら腕を組む。
(このわたしが後押しとは……どうしたものかしらね?)
自分でもどうして昴の迷いを吹っ切らせ、想いを後押ししてしまったのかわからない。人族の恋愛事情など、風花には関係のない話なのだから。
だというのに、どうしてだろうか。気づけばこうして昴の下へとやってきて話しかけてしまっていた。その後はこうして彼の迷いを断ち切り、後押しする事に。本当に、どうしてしまったのだろうか。
(……七禍が何かした、というのが有力かしら? 本当に、何が目的なの?)
話した事は自分の感情、思想に基づいたもの。しかしそれを伝える事はあり得ない。自分の意志でなければ、あの時の自分の記憶の空白が鍵を握っているだろう。
だがそれが本当ならば余計にわからない。
菜乃葉と昴らにどんな関連性があるというのか。あるとするならば……菜乃葉と優羅が同じシュヴァルツの血統という事だろうか。
(まさか……シュヴァルツの血統を守りたい、というより……あの三人を守りたい、という事?)
僅かに浮かんだ一つの可能性。
小さなものだが、それは無視できるようなものではない。風花は腕を組みながら深く考え込んでしまうのだった。
ヴェルドへと戻った昴とクロムは揃って宝石店に訪れ、サファイア、エメラルド、ルビーを購入し、続いてアクセサリー店へと持っていき宝石を使ったアクセサリーを作る事になる。
「なるほど、やっぱ指輪か」
「……今はこのぐらいしか出来ないからな」
三人分の指輪を用意した昴は目の前にある指輪をじっと見つめ、それぞれ手に取って確認する。指輪のサイズも問題ないだろう。あとはこれを、機を見て渡してやるだけだ。
今まで待たせてしまった分の詫びも込め、彼女らの想いを受け入れる証として指輪をこうして用意した。ただの指輪を渡すのもどうかと思い、自分らの属性の指針を補佐してくれる宝石を選び、加工してもらう事になった。
「でもま、指輪とかなかなかいい趣味してるじゃねえの」
「安直だとは思ったが、これしか思いつかなかったというのもある。……そういうお前も何か作っていたようだが?」
「ん? まあ、な。一応俺も作ってみた。ま、俺のは指輪じゃなくてネックレスだが」
シルバーの鎖に繋げられたガーネットがはめ込まれたもの。これを渡す相手は恐らく桔梗か。彼もまた決意の証として昴に倣い、アクセサリーを用意したようだ。
ネックレスを選んだのにもクロムらにとって馴染み深いものだからだろう。ちゃり、と軽く音を立てて揺れるそれを見つめ、クロムは微笑を浮かべる。
「で、いつ渡すのよ?」
「……今日の夜にでも。待たせつづけたからな、決断したその日に済ませておこうかと」
「おお、なかなか思い切りがいいね。でも、そうするのがいいかもな」
宿に戻ってから早速二人にこれらを手渡す。そうすることでようやく二人の気持ちに応え、前に進める。ここまでくるのに長かった。決戦前ではあるが、二人の気持ちに応える前に死ぬ可能性もあるのだから、どうせ死ぬなら伝えてから死んだ方がまだマシ。
……いや、死ぬつもりは元からないのだが、そういう心構えだという事だ。
「じゃ、健闘を祈るぜ」
「ああ。……お前もな」
購入した物を袋に包んでもらい、それを受け取るとアクセサリー店を後にし、揃って宿へと向かっていく。そこにはもう紅葉や優羅達が戻っている事だろう。
ぐっと拳を握りしめ、一つの結末を迎えるために歩いていく。
○
一方昴達が利用している宿の一室、獅鬼の部屋では二つの人影があった。
一つは利用している獅鬼。
もう一つはどういうわけかここに訪れていた菜乃葉だ。
同室の客である雷河は今ここにはおらず、二人は茶を口にしながらお互い向かい合ってソファーに腰掛けている。グラスではなく湯呑に急須という東方の道具を使っての茶だ。お互い東方出身という事もあり、それぞれこういうお茶の方が好みだったりする。
「……それで? 未だに話さないのね。あれの事とか、自分のそれについてとか」
「知っているくせに問うのだな、七禍。話す事こそキーとなって発動するというのに」
「でも抜け道はあるでしょう? ……そう、あの猿、猫、そしてクシャル。その三人からならば問題はない。それは見抜いたはずでしょうに」
菜乃葉のその言葉に獅鬼は無言になってしまう。今の彼は仮面をつけておらず、素顔を晒している。そして菜乃葉の目には、獅鬼のその素顔には黒と赤が混ざった魔力の線が縦横無尽に走り回っているのが視えている。
しかし他の者は恐らく視えないだろう。実際月や朝陽はドンドルマのあの時素顔を晒していたというのに、何も言わなかった。それはつまり彼女達ですら視えていなかったという事。
「……そう、あくまで自分一人で片をつけるつもりなのかしら?」
「そうだ。奴はオレが全て終わらせてやる。過去の負の遺産は同族が責を負う。……特に奴を完全に潰しきれず、逆にこれで生かされ、泳がされているオレがやらねばならぬ事だ」
「そう。……なら好きにするといいわ」
両手で湯呑を手にしてゆっくりと茶を飲み干していき、獅鬼も茶を飲み干すとじっと目の前にいる菜乃葉を見つめる。
菜乃葉は全てを知っている。この身に刻まれたものも、どうしてあの三人を集めたのかも。知ってなお利用する。自分の目的のために。それを感じ取っていても、獅鬼は動かなければならなかったのだが、それすらも菜乃葉の計算通り。
動かなければ終わってしまうから。
動かなければ悪い結末へとただ流れ続けてしまうから。
だから菜乃葉の駒という事を理解していても、それでもその道しか選択肢はない。勝つために、彼らがその先へと進むために自分はあえて駒として扱われてやろう。
そう決めてからもう何年経ったろうか。少なくとも百年近くだろうか。風花と出会う事で抜け道を発見し、雷河を拾い、焔と知り合った。
彼らには最小限の情報だけを伝え、協力を取り付けた。それによって獅鬼にも多少余裕が生まれ、行動の選択肢も増えてきた。その結果が昴達の救出や優羅の修業。それはしっかりと実を結び、こうして結果が生まれている。
「……で? そう言い切るからには何か策というものはあるのかしら?」
「あるといえばあるな」
急須から新しいお茶を注ぎ、それを口にした後、獅鬼は話し始める。
「奴の目的は予測済みだ。大方最後に逆転するかのように力を取り込んでいくのだろう。……そう、恐らくあの力すら取り込んで」
「でしょうね」
「ならばそこに道がある。例え差し違えようとも、奴はオレが殺す」
すっと軽く頬を撫でて獅鬼はそう宣言した。その指が通った場所を流し目で眺めつつどこからともなく取り出したフラヒヤ酒とグラスを用意し、マイペースで呑み始める。
「差し違える、ね……」と呟きながらグラスを傾け、唇を薄く歪めながら軽くグラスを獅鬼へと掲げる。
「殺せるのかしら? 今のあれを」
「殺す。殺さねばならん。奴はもう生かしておけん。今回こそが奴を殺す最後のチャンスになる。……オレは――」
ぐっと強く両手を組み、重々しく獅鬼は口にする。
「――奴を殺すために今まで生きてきた。他にも理由があるが、これが一番の理由だろう。ならばこそ、必ず果たさねばならん。どんなことがあっても、な」
それほどまでに固い決意を固める獅鬼を前にしても菜乃葉は微笑を崩さない。小さく「そう」と呟き、変わらぬ調子で相槌を打つだけだ。
「そしてそれが切り札?」
そう言って机に置いてある札に視線を落とした。そこには文字が書かれており、魔力を通して発動させれば効力を発揮するタイプだ。
「ああ。……完成はしていないがな」
「そう。……さて、客が来るようだからそれ、付けておいたら?」
「……そうするか」
背後の扉の奥を見つめながら促せば、置いてあった忍の面・陽を手にしてその素顔を再び隠していく。そうしてしっかり仮面を嵌めた時、控えめに扉がノックされ、「私だ。入ってもいいかな?」と月が声を掛けてくる。
「入れ」
扉を開けて中に入ってきた月は獅鬼に軽く会釈すると、対面に座っている菜乃葉に気づき少し驚いたような表情を浮かべ、「これは……久しぶりと言った方がいいかな?」と菜乃葉へと声を掛けた。
そう言いながら菜乃葉の右側へと周り、軽く会釈する。そうしてソファーへと腰かけると、グラスに新しくフラヒヤ酒を注ぎながら、目を細めてじっと月の顔を見つめる菜乃葉はまだ微笑を浮かべたまま。
人族の中でトップに立つ彼女を前にしても菜乃葉は余裕を崩す事はない。
「そうね、何年ぶりになるかしら。久しぶりね、神倉月」
この二人は一度だけ会った事があり、その際に月は菜乃葉が“世界”に属する少女である事を知っている。だが獅鬼と同じくその菜乃葉が一体何者であるかまでは知らない。それを見抜こうにも彼女の力が正体を悟らせまいと守りを深くしているため、それを破る事は月でも難しかった。
「さて、何か訊きたそうな顔をしているわね」
「鋭いね。流石は“世界”に達した存在、という事かな? ……では単刀直入に問おうか。今回の事は全て知っているのかな?」
「ええ、知っているわよ。それで、何を訊きたいのかしら?」
「朝陽、そして黒龍について」
その問いかけに「へぇ」と目を細めながら軽くグラスを傾け、どこか面白そうに微笑を深くした。てっきり自分の事を訊くんじゃないかと思ったが、あるいはそこから始めるつもりか。
しかしそれくらいの事ならば話しても構わない、と菜乃葉はグラスを置き、唇を舐めてぽつぽつと話し始める。
「神倉朝陽に関しては……そうね。現在は完全に堕ちているわね」
「堕ちている……シュヴァルツの血が目覚めたという事か?」
「ええ。貴方達はシュヴァルツの血を取り入れた後期の神倉の者でしょう? という事はシュヴァルツの因子を持っている変則的なシュヴァルツの血統という事になる。堕ちる可能性はなきにもあらず。それは貴方達とて同じでしょう?」
「……そうだね。私達もまた堕ちる可能性はあるわけだ」
シュヴァルツの血統ならば必ず付いて回る呪い。それは因子を含んだ時点で僅かなりとも所持した者は呪いが宿る。故に朝陽が堕ちる事はなんらおかしい事ではない。
「神倉朝陽……太陽は既に地平の奥へと消え去った。あれはもう既に復讐という闇に囚われた鬼――悪鬼。高められた闇は旧シュレイド城にて更に高められ、月、貴女を呑みこむでしょう」
「…………そうか。もう、そこまで……」
堕ちるところまで堕ちたという事だろうか。唇を噛みしめる月を見つめ、彼女の昔からの決意を嘲笑うかのように軽く肩をすくめ、
「最早朝陽を生かしたまま救おうなどという事は考えない事ね。朝陽を救おうと思ったら、殺すしか道はない」
「っ!? そんなっ、こと……!?」
「……だから貴女は甘いのよ。この私が視てきたのよ? あそこまで堕ちればもう救いはない。だったら、死なせてやるのが一番でしょう?」
あくまでもそうする事が朝陽にとっての救いであるとでも言うかのように、雰囲気を変えることなく彼女は言う。
この数百年朝陽を探し続けたのは、彼女を何としてでも救い出そうという意志の表れ。神倉のルールに則って力を追い求めた彼女を何としてでも見つけ出し、止め、闇から彼女を救い出そうとした。もちろん犯した罪は償わせる。目的達成のために多くの命を奪ったのだ。その罪は重い。
しかしそれでも月は朝陽を生かして救おうとした。
そんな彼女に朝陽を殺せ、というのは深い傷を作り出す言葉の刃となる。
「それにあの場には黒龍ミラボレアスが現れる。それは確実。そんな中、朝陽を生かしたまま事を収める事が可能と考えているのかしら?」
「……可能ならばそれを果たしたい」
「……ふっ」
まるで見下したかのように嘲笑う菜乃葉は本当に冷たい印象を感じさせる。そう、そんな事は出来ないとでもいうかのような冷たい微笑だ。
「ま、せいぜい頑張りなさい」
結局そう締めるとグラスと瓶を消し去り、ゆっくりと立ち上がる。漆黒の瞳が獅鬼と月を見回し、また唇の端を歪めると手を振りつつ背を向けて歩き出す。
数歩だけ歩いた後、肩越しに振り返ると、
「見届けさせてもらうわ、貴方達の戦いをね。それぞれの因縁、どのようにして終わらせるのか……ふふ、愉しませてもらうわね」
くすくす……と低く響く嘲笑が響き渡り、その尾を引かせながら姿が消えていき、やがて気配と共に完全に消失する。そんな彼女がいた場所をじっと見つめていた二人はそれぞれ息を吐き、お茶を新しく用意してゆっくりと口にする。
「……精神が参ったか?」
「…………少しだけ」
「あれが七禍のいつもの事なのだがな。昔から何かと厳しい事を口にするものだからな、オレはもう慣れた」
「……そうなんだ」
いつも冷笑を浮かべ、その漆黒の瞳がじっと自分を見つめてくる。しかし菜乃葉の事になればのらりくらりと回避し、時に強制的に話を打ち切って話題を逸らしてくる。だから一番菜乃葉と会っている獅鬼でさえも彼女の正体を知らない。
「本当に、彼女は何者なんだい? “世界”に属する存在、という事は知っているけれど、どういう過去があって“世界”に到達したのか、そこまで知らないんだよね?」
「ああ、知らんな」
そう、獅鬼も知らない。
一つの推測だけは立ててはいるが、それも確実ではない。その推測は通常ではありえないが、菜乃葉が“世界”に属し、様々な可能性を考慮した時、浮かび上がったものだ。
しかしそれを口にすることはない。何せ普通じゃ有り得ない事なのだし、それが本当だとして菜乃葉はなかなか認めないだろうし、彼らもまた信じられないだろう。
だからこれは胸の中に秘めておく事にした。
(……それに口にしたところでただ混乱させるだけ。無意味に場をかき乱すような真似はするべきではない。オレ達が考える事はただ一つ)
湯呑に満たされた茶に映る自分の仮面を見つめながら獅鬼は改めて決意を固める。
(決戦は何としても勝利に収める。……そしてオレは奴を殺す。必ず、だ……!)
頭の中に浮かぶのは遠い昔の一つの邂逅。
深い山奥で相対する二人の男性。どちらも深い蒼の髪と瞳の色をし、二十代後半から三十代前半の外見をしている。強い覇気を放ちあい、同時に殺気も含んでいるというのにどちらも一歩も引かず、一定の距離を置いて対面している。
あの時もまた獅鬼は彼を殺そうとした。しかしそれは果たせなかった。逆に自分がやられてしまい、この顔にこのような紋様を刻まれることになってしまう。
また軽く頬を軽く撫で、仮面の中でその蒼い瞳をぎらつかせる獅鬼は、一種の鬼のような形相をしている事を月は知る由もない。
「……さて、月。一つ頼みがある」
「何かな?」
「これを完成させてくれ」
そう言って札を指し示す。それを手に取った月は内容を読み取り、「……鎖術かな」と問いかけた。
「ああ。それをこれから言う効力を付加させてくれ」
獅鬼が用意する切り札。
これを用いて彼の因縁に決着をつける。そこまでは説明せず、ただ魔法の才能がない彼に代わって、月が術を完成させる。
彼の覚悟を雰囲気から読み取った月は了承し、彼のリクエスト通りの術を組み立てていった。通用すれば御の字、しなければ……自分は敗北する可能性が高まるだろう。
それほど危険な相手なのだから。
数分後、札は完成した。
獅鬼が望んだ通り、いやそれ以上の効果を内包して。
あとはこれを遣える状況まで持って行けるように戦うだけだ。どれだけ傷つこうとも必ずそうして見せる。改めて覚悟を決める獅鬼だった。