次の日、ヴェルドは一種の祭り状態になっていた。当然だろう、ヴェルドの危機を脅かすテオ・テスカトル、旧シュレイド城に現れたミラボレアス。
この二頭が討伐されたのだ。
古龍の中でも危険度が高いテオ・テスカトルだけでなく、伝説に語られる存在であるミラボレアスまで現れたとなれば、このシュレイド地方も終わったかと思われた。しかしハンター達の尽力により、その危機は回避された。
アテナ王女の予知でもこの先の危機は視えないそうだ。
戦いは終わった。
ならば今ここで生きていることを喜ぼう。
そういう事で今日一日は街全体でお祭り騒ぎ。表通りの活気はいつも以上であり、あちこちでハンターや市民たちが酒をあおり、料理を片手にどんちゃん騒ぎだ。
そんな中、昴達は月の部屋に集まり、料理と飲み物を用意して彼らもまた戦勝を喜んでいた。しかしこの戦いで亡くなった者もいる。まずは彼らの死を悼むところから始まった。
神倉獅鬼。
神倉朝陽。
そして敵のスパイとはいえあの三姉妹。
最後にテオ・テスカトル戦で亡くなったハンター達。
彼らのために一分間黙祷を捧げ、それから乾杯する。
ほとんどの者のグラスには酒が注がれているが、紅葉などのグラスはジュースだ。こんな時に酔われてはたまらない。この祝いの席に紅葉の暴走が発動されては困るどころではない。
全員昨日の戦いで負傷はしているため、大きく騒ぐ事は出来ないが、それでも盛り上がっていく事にした。
「一時はどうなるかと思ったけど、なんとかなったな」
「そうですね……兄さん、本当に大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫さ。俺の丈夫さとか、わかってんだろ? 手当てしてゆっくり休んだら、この通りさ」
ぐっと力こぶを見せながら心配するライムに笑いかけてやる。身体能力が高いだけでなくその回復力もなかなかのものだから、もうこうして騒ぐくらいの事は出来る。
セルシウスも負傷していたが、彼女もまた平然としている様子だ。静かに誰とも話さずにちまちまと酒を呑み続けている。
あばらを折ってしまっている昴とゲイルはというと、その私服の下には包帯を巻いている。彼らは人間のため、回復力は普通だ。あまり胃を刺激しないよう少量ぐらいしか食べられないが、活力を取り戻すためにも食べなければならない。
「…………」
いつもはにやにやと笑みを浮かべているゲイルも今回は静かだ。こういう騒がしい事には乗ってくるのがいつもの彼だが、戦いが終わってからはこの通り静かなものだ。それはこの戦いが終わったという事は、この先彼は裁判に掛けられることを意味している。
彼もまたこの戦いに貢献した人物ではあるが、こればかりは変わらない。
それに気づいたサンはコップを握りしめて視線をゲイルとコップで数度往復させる。何かを言おうとしているが、結局何も言えなくなる。その様子を隣で静かに呑み進めていたレインがそっと見守っていたが、何も言わずにいる。
あの時はサンの事は誰にもやらない、と豪語していたが、実際のところはサンの気持ちはレインは何となく察していた。控えめな彼女はそのクールな表情で誰にも察せないようにし、言動でも同様だったのだが、わかる人にはわかる。レインの他にも他のハンター達と同じくテオ・テスカトルと戦ったり、民衆の誘導を行ったりしたレイン隊の数人は何となく気づいているようだった。
だがサンが隠している以上、助け舟は出さない。彼女が何かをしようとしているならば、それを見守るのがレインのやり方だった。
「……ゲイルさん」
「ん? どした、サン?」
そこでサンが動く。グラスに入っているジュースを見つめながらゆっくりと言葉を紡いでいった。
「体は……大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だなぁ。あばらいってるし、あれを斬り続けたという事もあって両腕もおかしいことにはなっちまったが、ま……これからはもう長く戦うこたぁねぇし、問題ねぇさ。独房の中でゆっくりするだけさ」
「…………そう、ですね。でも、今回の事も踏まえ、情状酌量の余地はあるかもしれません。だから……」
「……俺様のこたぁ気にすんな、サン。前々から覚悟してるさ。それによぉ、この一件の首謀者のあの人や、裏で目的を達成させようとしたジン……いや、神倉羅刹も死んだ。生き残ってんのは俺様とアルテ、そしてセルシィだけさ。取り調べで色々訊かれんだろうさぁ」
旧シュレイド城の戦いにより、首謀者は死んだ。それだけでなく裏で糸を引いていた羅刹のスパイである三姉妹も羅刹によって生贄となる。生き残ったのはあの二人の下で活動していたゲイル達のみ。
あまり深い事は知らないだろうが、それでも取り調べで色々訊かれるのは間違いない。
今回の事は全て闇に葬られるわけにはいかないのだ。
「…………」
「ははっ、心配してくれんのか?」
苦笑しながら何となく呟いてみると、サンはそれに小さく頷いた気がした。ちょっとした冗談のつもりだったが、本当に頷かれるとは思わなかったため、ゲイルは少し視線を逸らしながら頬を掻いてみた。
そんな様子もレインは見守っているが、そのグラスを握りしめている手はぴくぴくと震えている。よく見れば頬も僅かに動いており、暖かな視線というよりは何かを堪えているかのように見える。
やはりというべきか、サンが誰かと付き合いそうになる、というのはレインとしては辛いという事か。淡い恋心を知ってはいても、それを見守りはしても……くっつきかけるとなれば兄としては複雑なのだろう。
ふと、視線を動かせばあの二人をじっと見つめているアルテミスに気づいた。どこかむくれたような、ちょっと不機嫌そうな、そんな表情を浮かべながら様子を窺っているのだ。
(……ああ、そういえばそうだったか。ということは? ぬぬぬ……サンとはくっついてほしくはないが、ゲイルがアルテミスと結ばれてサンの恋が実らず、悲しむというのも見たくはない。ぬおおおっ!? わたしは……わたしはどうしたらいいのだッ!?)
突然片手で頭を抱え込んでしまうレインに冷ややかな視線を一瞬向けた紅葉だったが、隣に座っている昴を挟んで優羅へと視線を合わせた。昴も食事のペースは落ち着いており、いつもはよく飲んでいるビールのペースもゆっくりだ。
昴の負傷具合はあばら骨折だけでなく最後の一撃での火傷も加味されている。エスピナUシリーズで耐えてはいるが、装備越しに焼かれた部分もあり、腹だけでなく胸や腕も一部包帯が巻かれている。
優羅は特に大きな負傷はしておらず、紅葉は両腕に包帯を巻いているくらいだ。体に受けた傷は湿布で対処しているが、どうして両腕に包帯を巻いているかというと、最後にリミッターを解除した反動だ。
あの硬い体に何度も何度も角竜鎚カオスレンダーを叩き込み、最後にリミッターを解除しての一撃だ。両腕にかかった負荷は計り知れず、一部骨にひびが入っていたらしい。骨折してないだけマシだろうが、しばらくは無理させないほうがいいと診断された。
「……何か欲しいものは?」
「じゃあアプトノスの肉野菜炒めを」
「あたしは黄金魚の刺身かな」
そんな二人へと優羅は料理を取ってやり、小皿に移して渡していっている。それを受け取ると、ゆっくりとしたペースで口に運び続けているのだった。
そんな様子を見つめているのが撫子と花梨。二人も肉を食べ進めながら横目で興味深そうに三人の様子を見守っていた。
いや、一番興味深いのはやはり優羅か。彼女が甲斐甲斐しく二人を世話しているのが興味深いらしい。やはり普段の様子からして珍しい光景に感じてしまう。
「…………」
『っと……』
そんな視線に気づいてぎろり、と睨みを効かせれば、すぐにそっぽ向いてなんでもないとアピールする。そうやって見世物にされるというのも不快なのは当然だ。この祝いの席にキレられてもまずい。
二人は優羅からクロム達へと視線を移す。
彼らもまたそれぞれのペアで並んで座り、一緒に食事を進めている。ライムとシアンは酒ではなくジュースなのは相変わらずだ。そして肉よりも野菜が多いのも二人らしい。
そのまま近くに座っている焔と雷河へと視線を移せば、雷河はやはり獅鬼が亡くなった事が堪えているのだろう。どこか元気がない。それでも皿に結構肉が盛られているのはやはり獣だからだろうか。
隣に座っている焔はちまちまと魚料理を口に運び、しかし隣で少し暗い雰囲気を見せている雷河に苛立っている様子だ。
「……おい、猿」
「……なんだよ、猫」
「いつまでそううじうじしてんの? この席でそんな表情見せられちゃ、飯がまずくなる」
そう言いながらも食べる事をやめない。ハリマグロの刺身を口に運び、咀嚼しながら箸を向け、
「てめぇはいつものように馬鹿でいればいいんだよ。それがあのくそジジイが望んでること。……違う?」
「……バカってなんだよ、バカって」
「馬鹿は馬鹿だろうが、この戦闘狂」
「うっせぇよ、爆弾狂」
「あ゛? やんのかゴラ?」
ギロッと目をひん剥きながら睨みを聞かせれば、雷河は苦笑して「……やらねえよ」と首を振り、軽く焔の頭を撫でてやる。「撫でんなアホ」と払いのけるも、その表情は怒っているというより、少し調子が戻ってきたような雷河の表情を気にしている様子だった。
そして雷河は盛られた肉を次々と口に運び、咀嚼して一気に飲みこんでいく。更に酒をあおり、ふう、と一息つくと「……ありがとよ」と小さく礼を言った。
「……ふん、別に礼を言われる事じゃない」
そっけない言葉ではあるが、彼女なりに雷河の事を心配しての事だ。雷河がどれだけ獅鬼の事を慕っているのか知っているからこそ元気がないのはわかる。だが、それを引きずり続けるのも獅鬼が望んでいない事も、焔は推察できるくらい獅鬼との付き合いがそれなりに長い。
獅鬼が死んだ今、雷河がこれからどうするのかは知らない。だが少しは見守ってもいいんじゃないか、と焔は考えながら刺身を食べ続けるのだった。
「……いやーなんかあちこちで旗、確認できんな」
「旗っておかーさん、何言っちゃってんの?」
「旗は旗やん。もう立ってるだけやのうて、きっちり回収されとるのもおるけどな」
「意味わかんないよ」
「なんや? ほんまはわかっとるくせによぉゆうわ」
にやにやと笑みを浮かべる花梨はなにやら十代の少女のようだ。実際魔族でいえば若い部類なのだから当然と言えば当然か。撫子の肩に手を回し、ぐっと顔を寄せれば「……おかーさん、酔ってるの?」と撫子がジト目になってそう言う。
「なにゆうてんねん? ウチがあんま酔わんのは知っとるやろ? シラフやシラフ、ウチは大真面目やで?」
「…………」
「ま、ウチらは魔族やからな、恋愛の時期はまだ先やろうけど、クロムとライム君はシュヴァルツの影響でそうでもないみたいやな。……ま、ウチという例外もおることはおるけどな、はっはっは!」
なぜか突然笑い出す。……これは本当は酔っているんじゃないかと疑ってしまいそうになるが、花梨の顔に赤みはない。どうやら宴という事でテンションが上がっているだけなのかもしれない。
これは少々面倒になったか、と撫子は溜息をついた。
「ふう……」
そしてこちらは月。一番力を消耗したと思われる月も魔力回復の薬を飲み、一日休むだけである程度は回復したそうだ。といってもほとんどは封印される力であり、普段使う分の力はあまり回復していないとの事。
そんな彼女は好物である黄金芋酒を呑み進めながら、ステーキとサラダをバランスよく食べていた。体力と魔力を回復させるためにも食事はとらなければならない。静かではあるが、月は結構なハイペースで食べ進めている。
「……よく食べるわね」
「まあ、体を治すためにも私の場合は食べる事も大事なのさ」
隣に座っていた風花がそう呟けば、苦笑しながら月が言う。体を治すにはまず栄養から、といわんばかりの食事のペースであり、ある意味それは原始的だ。だがそれは確かに効果があり、着実に月の回復力を高めてくれている。
月の言葉に「なるほど……」と頷きながら風花もまた食事を進めていく。しばらく無言で二人揃って周りの顔ぶれを眺め続けていたが、不意に月が「……訊きたいことがあるんだけど」と呟くと、風花は無言のまま続きを促してくる。
「“
「…………」
「ミラバルカンの最期の言葉……“七禍龍”。考えられるのはやはり世界に伝えられる七つの禍の龍って事なのかな?」
「……そうね。恐らくそれで間違いないわ」
「恐らく? 風花も知らないのかい?」
少し以外そうに驚いてみせると、風花はやれやれとため息をつきながら酒を一口呑んで横目で月を見つめた。
「
「“世界”に属する存在の事かい?」
「ええ」
「ミラバルカンが言っていたあの方……あのミラバルカンが“あの方”、と仰ぐ存在。“世界”に属する存在と見ていいんだよね?」
「それは俺も気になっているな」
月の言葉が聞こえていたのだろう、クロムが会話に入り込んできた。彼だけではない、ライム達もまた同じように視線を月へと向けている。気になっているのは彼らも同じなのだ。
「以前倒したキリン、そして今回のテオ・テスカトル。同じように“あの方”と呼んでいる存在がいた。しかもテオ・テスカトルに至ってはシュヴァルツを殺そうとしているのは神がそう望んだからという始末。……まさかとは思うが、“あの方”=神、という事でいいのか?」
「…………ええ、そうね。あの
「祖なる……者っ!?」
その言葉に反応したのは月だけだ。いや、遅れたがライムもその言葉が意味する事に気づいて驚き満ちた表情を浮かべた。
それは伝説の伝説、現れる事すら稀も稀。伝説種の中に僅かに記されるだけであり、他の伝説種と比べてこの世界で確認された事はほとんどない。伝説の彼方に存在し、学者も存在だけは知っていてもそれが本当に来るとは考えていない存在。
だが伝えられるその伝承には、確かに風花が話した通りの事が考えられているという。
この世界に存在する竜種の先祖を辿っていくと、この存在に辿り着くのではないかとされているため、与えられたのは祖なる者、という通称。
「まさか……彼らの主は……」
「そう、あの女は祖なる者にしてこの世界を見守る神……いえ、龍神といっていいかしら。“自然”の一部、“世界”に達してその存在を知り、その力をひしひしと感じざるを得ない絶対的な存在。貴様達人族が付けた名は……祖龍だったかしら?」
彼の者の名は――
祖龍、ミラルーツ。
「……僕達シュヴァルツを滅ぼそうとしているのがミラルーツだって……? そんな、伝説中の伝説がどうして!?」
「あの女は龍神ではあるけれど、人族に対してもある程度の理解はあると聞くわ。なにせこの世界の神なのだから、世界に生きる命……竜であろうと人であろうと認めるのでしょう。しかしあの女曰く、シュヴァルツは竜と人のバランスを殺戮によって破壊する存在。だから滅ぼす、という事らしいわよ」
人であろうが竜であろうが、敵と認識すれば躊躇いなく殺せる可能性を秘めた一族。それ故に古龍種であろうが関係なく、むしろ古龍種、伝説種でさえ脅威に感じてしまいかねない程の領域に達せる一族。
実力を磨き上げれば竜も人も殺しつくせる、それがシュヴァルツ一族。
そんな彼らの血を引き継ぐシュヴァルツの血統、神でさえも脅威を感じずにはいられない。だがその脅威は自分を滅ぼす脅威ではなく、世界を破壊するかもしれなという脅威だ。
「でもあの女自身が手を下すんじゃない。神が手を出すのはご法度らしいから。だから竜種、獣種……すなわちモンスター達が手を下しに行く。あのキリン、テオ・テスカトル、そしてミラボレアス……全てがあの女の意志に従う者達。あなた達これからも恐らく狙われるわよ。あの女がやめろ、と言わない限りあの女に従うモンスター達はどこからか現れて殺しにかかる」
古龍種だけではない、通常の飛竜達もまた本能で知る。シュヴァルツの血統は危険なものだと。そんな存在はこちらから戦わずに逃げるか、あるいは身を切って排除しにかかるか。
とはいえ飛竜種が自主的に殺しにかかるのは稀かもしれない。可能性があるならばやはり古龍種だろうと推測できる。
「だから……殺されたくなければ強くなりなさい。私から言えるのは、これくらいよ」
「風花は……敵にならないんだね」
「……私はシュヴァルツの血統なんてどうでもいいのよ。確かに私もあの女には逆らおうとは思えない。それは本能が告げている。……でも、私は私の道を行く。それが私の生き方だから。あなた達は殺す程の脅威はない。……もちろん? 私に対して喧嘩を売るっていうのならば喜んで買うけど?」
青い瞳に冷たい炎が燃えるが、彼女の言葉に対して頷くものは誰もいない。こんな姿をしているが“自然”の領域まで達したクシャルダオラだ。それに人型であろうともあの風を操る技術は自分達に対して脅威。
恐らく一瞬で細切れにされてしまいかねない。
そうでなくともここまで共闘してきたのだ。今更敵に回ろうなんて考える必要はないだろう。
味方であれば心強いことこの上ない女性、それが風花だ。
しかし、
「……ま、頑張りなさい。ここから先の事は私は協力できないわ。恐らく、今回の事であの女に目をつけられた可能性が高いから」
現実はそう甘くはない。
風花は戦力脱退の言葉を口にしてしまった。
○
喜びに満ちるヴェルドの街の陰で怪しい動きが見られる。表通りでは相変わらず活気に満ちており、人々はただただ戦いが終わり、今生きている喜びをかみしめるように祭りを続けていた。
ここ西のスラム街の入り口では一人のハンターらしき男が集まった人々に対して何かを話している。それを聞く人々の表情は少しずつ強張り、
「それ、本当か?」
と問わざるを得ない。
だが話をしていたハンターは頷く。
「信じられないけれど、あのテオ・テスカトルが喋った……いや、言葉を発したのは間違いないんだ。俺以外の奴らも何人か聞いている」
「シュヴァルツの血統……つまり、今ではルシフェルを名乗っている人達がそうなの?」
「ルシフェルって言ったらあれだろ? 何年か前にかなり話題になっていたルシフェル夫妻とかの……」
一般の人達でも知っている存在、それがクロムとライムの両親だ。彼らはあちこち飛び回り、救援を求められればすぐさま駆けつけて迅速に対処し、一般人を救出していく。
その在り方はまさしく英雄であり、一般人からすれば救世主そのものだった。
しかも種族の差も関係なく、助けを求められれば誰でも分け隔てなく手を差し伸べ、救っていく。時に助けられない命もあったが、それでも夫妻は英雄と呼ばれるに相応しい存在だ。
だからこそ、シュヴァルツの血統が滅びを持ち込む、というのは信じられなかった。
「でも奴は言った……世間を騒がせたあの黒い竜らにはシュヴァルツの力が関わっていたって。そして伝承にはあるだろ? あの戦争、シュヴァルツの戦士達による惨劇を。そしてどうしてルシフェルと名を変えたのかを……」
その言葉で静寂が訪れる。
シュヴァルツの戦士による被害、シュヴァルツ同士による殺し合い……たった一人によって壊滅させられていく部隊。これらのことは歴史の事を勉強していれば知る事が出来る情報であり、それらを思い出せばテオ・テスカトルの言葉の意味が何となく分かってくる。
そうして生まれた疑惑は少しずつ広がっていくのだ……。
別の場所、こちらは表通りの一角。建物の影になって見えづらいところに、数人が集まって話をしている。こちらも話す事はそう変わりはなかった。
「シュヴァルツを?」
「そうらしい。今回の事はシュヴァルツの血統とやらがきな臭いそうだ」
「でもテオ・テスカトルの言葉なんでしょ?」
「しかし、あの古龍と呼ばれし存在の言葉だ。……もしかすると、なんらかの方法で敵の動きを察知していたのかもしれない」
謎の多い古龍というだけあり、可能性だけを考えればいくらでも想像は広がっていく。それが更に疑惑を深めていき、想像の中のシュヴァルツの存在が実物よりも脅威なものになっていく。
本当に狂化竜とシュヴァルツが繋がっているのか。
英雄を生み出した神倉一族を貶めたのはシュヴァルツなのか。
今回の黒幕は神倉一族の出身という事もあり、その疑惑が浮かぶのだ。
「神倉一族とシュヴァルツ一族……少し調べてみようか」
さらにここ、シュレイド城でも動きが見られた。街の噂が伝達していったのだろうか、庭園の一角で兵士達がシュヴァルツの疑惑について話し合っている。
「街から戻ってきた奴から聞いた話さ。でも、出所はさっき言った通り、テオ・テスカトルと戦ったハンターからって話さ」
「マジかよ……でも、ルシフェルといえば英雄に数えられる人物だ……とても、信じられない」
「ルシフェル夫妻の事かい?」
「ああ、あの二人はまさに英雄と呼ぶにふさわしい人達だった。だからこそ、信じられない。シュヴァルツの血統が……そうだなんて」
「でも世の中にはいい人もいれば悪い人もいる……っていうだろう? 神倉一族が黒幕だっていう話もあるけれど、今回の戦いじゃあの神倉月さんも討伐戦に参加してたんだ。……神倉一族全てが悪じゃない。ならば、シュヴァルツの血統もまた同じでは……」
善と悪、人ならばどちらかに傾くものだ。
一般人には知られないが、神倉一族の真実は人から見れば悪が多い。月と獅鬼が珍しいというだけなのだが、それを知らないからこそシュヴァルツの影響で悪に傾いたと想像してしまう。
実際はそうではないのに、真実を知らない人の想像でいくらでも現実を歪めていき、噂となって伝達していくのだ。こうして城にまで噂が伝達してきたルートも異なり、今頃城の所々で噂が広まりつつあるかもしれない。
実際広まっていた。
城内部、廊下の一角にメイド達が集まり、こちらもまたシュヴァルツの噂について話していた。その中にはあの栗色のボブをしたメイドがおり、どうやら彼女が噂について話している。
「……という事で、根源はシュヴァルツの因子らしい」
「でも……噂でしょ?」
「噂の出所がテオ・テスカトルだとしても?」
「…………」
抑揚のない声で話しながらメイド達を見回していく。薄く開かれた碧の瞳がじっとメイド達を見回し、まるで反応を確かめるかのように観察していた。
当然メイド達の反応はよろしくない。多くは疑惑というより困惑を含んでいる。だが彼女はそれで目的を果たしたというかのような雰囲気を感じさせた。
事実、話を聞いたメイドの一人が他のメイドへと話を広げていき、兵士の影響も含めて街の時と同じように少しずつ城の中でも噂は広まっていく事になる。
「種は蒔かれた。人の口に戸は立てられない、後は自然と流れが出来上がっていくはず」
仕事を終えたメイドがとある建物の上に立ち、日が暮れてもなお祭りを続ける街の様子を見つめている。「
すると彼女の隣に黒いローブを纏った何者かが降り立ち、その姿が急速に縮んでいく。最終的にローブが何かを包むようにしながら宙に浮かび、彼女の手に収まった。
よく見ればその黒いローブには見覚えがあるだろう。その中にくるまれていたのは淡く光る石。それを回収した後、黒いローブもまた綺麗に畳んで消し去る。
そんな彼女の後ろに、音もなく一つの影が降り立った。
「やれやれ、お姉ちゃん一人でどれだけ広めるのよ? 町人、兵士、メイド……やりすぎじゃない?」
「でもそうした方が効率がいいでしょう? ……あと、その姿はもう役割を終えたでしょう。なんでまたそんな姿を取っているのかしら?」
現れたのは……死んだはずのアリスだった。だがその事に驚く事もなく、彼女は淡々とツッコミを入れる。すると、「……つまらんのう。もう少し面白味のある答えはないのか? それなりに長い付き合いだったというのに」と呟きながらアリスの姿は変化していき、そこに現れたのは九尾の姿だった。
そう、アリスは彼女なのだ。
昴達がココット村に訪れる、いや全てが始まる前にアリスとしての顔を持っていたのだ。そしてそんな彼女が目の前にいるこの人物に対して「お姉ちゃん」と口にした。
それすなわち――
「それで、今回収したのはエレナのローブかの?」
「そうですね。これには色々武器が入っていますからね」
「双龍剣【太極】とかの。……ヒントにしては少々派手すぎやしなかったかの?」
レインと斬り結んでいたエレナ、そしてその彼女が振るっていた見知らぬ武器。
銘を双龍剣【太極】。
蒼ラオシャンロンの素材で作り上げられた独龍剣【蒼鬼】と、紅龍ミラバルカンの素材で作り上げた剣が合わさり、更なる力を手にした龍殺しの双剣である。
独龍剣【蒼鬼】側はまだしも、もう一つの剣はミラバルカンの素材を使っている。そのため手にする事はほとんどない。だというのにエレナがそれを振るっていた。
そしてそのエレナは彼女、リーゼロッテだ。
「それで気づくならば少しは頭が回る、気づかないならばそれでもいい。所詮私はあの方のために動き続ける存在。そしてその時の顔、『エレナ』は死んだ。私の役割は一つの終わりを迎えたのですよ」
「その最後の仕事が噂を広める事、か。炎耶の最期の言葉を利用するとはの。……いや、もしくはあれがあ奴の最期の仕事、かの?」
「ええ。最期の最期まで炎耶は自分の役割を遂行しました。蒔かれた種はこうして広まり、人族の中で疑惑を大きく膨らましていく。……全てはあの方の想い描いたシナリオ通りに進んでいます」
「……くっふっふ、シュヴァルツを滅ぼすシナリオ、か。最終的には人の手によって滅ぼされる、何とも悲しき事よ」
そんな言葉を口にしながら左手に持つ扇をあおぎ始めると、どういうわけかリーゼロッテが低く笑いながら横目で九尾を見た。一体何を言っているのだ? とでも言わんばかりの笑みであり、深い闇を思わせる漆黒の瞳はじっと九尾の赤い瞳を見据えていた。
「そのシナリオを助長したのは九尾、あなたのせいでしょう? というより、あなたが思い描いたシナリオにあの方が乗っただけの話」
「…………やはり、知っておるか」
「私を誰だと思っているのです? あなたが神倉羅刹に会い“世界”の存在、人族が“世界”に至る術を伝え、神倉一族に闇魔法の書物を忍ばせて神倉朝陽に読まれるようにした。それだけではない、シュヴァルツの因子の使い方をも推測できるようにした。……シュヴァルツが元凶? 違う、あなたが全ての元凶といってもいいくらいの舞台のセッティングですね」
「くっふっふ……外道と罵るか?」
冷たい色を含むその赤い目は小さな口と違って笑っていない。
裏で暗躍した朝陽、その朝陽を操り、裏で暗躍しながら自分の目的を果たそうとした羅刹。そんな二人を動かす要因を作り上げ、通常以上に壮大な
自分は手を下していないが、その行動は一種の外道。
悪と呼ばれしものを更なる闇へと貶めたのは、シュヴァルツの因子であると同時に彼女の存在があったから、それが――真実。
「いいえ、目的のためならば手段は択ばない、大いに結構ではないですか。それにあなたのその行動があったからこそあの方のシナリオは順調なのです。私はあなたに感謝しているのですよ」
「そうか。……それで? この先は何をするつもりかの?」
「一度あちらに戻りますよ。ここでの仕事はもう終わりましたからね」
街の人々の姿に成り代わり、噂を少しずつ広めることがリーゼロッテの最後の仕事。一日でこれだけ広めたのだから、後は自然とヴェルドから外へと広まっていくだろう。
噂が噂だ。まさに人の口に戸は立てられない。
ハンターや旅人の影響も加味され、シュレイド地方をはじめとしてゆっくりと中央や東方、西方へと伝わっていく。そうすれば、人々の中でシュヴァルツに対する疑念が蔓延していく。
止める事が出来るとすれば、それは人の上に立つ者だけか。
「あなたはどうするのです? あの子がどうなるかを見るためだけにここまでやったのでしょう? 結末はあの通り、この先もまた続けるのかしら?」
「当然であろう。今回は一つの終わりではあるが、まだゲームは終わっておらぬ。……ヌシらとてそうであろう?」
「ええ。今回で一つの区切りです。まだ全て終わっていませんよ。シュヴァルツの血統の中でもあれの可能性は脅威です」
「故に――」とリーゼロッテは小さく笑い、
「――仲間として繋がった彼らを抹殺する。それが次なる舞台の演目でしょう。……とはいえ、七禍などが阻止するべく動くでしょうが」
「であろうな。菜乃葉は次なる手を構築してくるだろうて。だが、“など”というのはどういう事か?」
「おや? 気づいていないのですか?」
どこか意外そうな表情を浮かべて肩越しに振り返り、扇を口元に当てながら首を傾げる九尾へと、
「あなたの祖父……いえ、祖母でしたか? まあいいでしょう、そんな人が裏でこそこそ私を嗅ぎまわっていたのですよ。今まで雲隠れしていたのに、ご苦労様な事ですね」
そう言い残して消え去った。
残された九尾はしばらく無言のままその場に佇んでいたが、やがて扇をゆっくりとあおぎ始め、小さく頷きながら笑みを浮かべ始める。
「そうか……
彼がここに来ていたのか、と九尾は少し驚きを見せる。まったくそんな気配を感じさせなかったのは、やはり彼もまた周囲を欺く事に長けた種族だからだろう。
何せ自分の血統の主だ。“世界”に達したとはいえ、彼の方が長くその地位に就いている。そういう能力が上回っているのは当然の事だ。
「……くっふっふ、そうかそうか。爺様もいつの間に参戦してたか。これは次のゲームも楽しめそうだのう」
まるで新しいおもちゃを見つけたように愉快そうで、どこか子供のような笑顔を見せながら彼女は笑う。誰もいなくなったこの場所でひとしきり笑った彼女は「結構!」と頷いて空を見上げる。
「爺様が敵となるならばそれも良し! 此方はそれをも愉しむとしようぞ。……それにもし戦う事があるとするならば、此方の力がどれだけ通用するか試すいい機会になろう。……よもや爺様に勝つ事が出来る、というような事もあるまい? くっふっふ……」
もし本当に勝つ事が出来たならば、自分はあの夢幻を超えたという事になる。
“世界”に属する者としても妖狐としても遥か上に位置する存在を超える、それは一種の目標と言えるだろう。だが夢幻はその名に違わずめったに姿を見せず、現れたとしてもそれが本物かどうかも怪しい。
その実体が真実かどうかも分からない。
会おうと思っても会えない。その状況すら夢か現かもわからないとまで言う者がいる始末。
まさしく夢幻。
それが彼なのだ。
「楽しみだのう、実に楽しみだ。ああ、しばらくは退屈せずに済みそうだのう……よきかなよきかな。くっふっふ……」
るんるんと鼻歌まで歌いながら九尾はその場から消え去る。
こうして二人はこのゲーム盤から退出していく。
ゲーム盤の駒、エレナとアリスの死を以ってして二人のここでの役割も終わりを迎えたのだ。
結果は上々。
それぞれの目的は順調に叶えられている。駒であり、プレイヤーでもある彼女の遊戯はこれを以って一時の終幕となる。