「はぁ……はぁ……」
少年、碇は剥きだしになっている遺跡の壁にもたれかかって呼吸を整えていた。あれから数日かけて移動を続けていたのだが、遺跡に差し掛かってから強い闇の気配を感じ取ってしまい、足を止めてしまったのだ。
突如北西の方角から凄まじい闇の波動を感知し、更にこの遺跡もそれに反応するかのように雰囲気が変わってしまったのだ。
「なんだろう……この感じ……、嫌な空気が……はぁ……」
一刻も早く離れなければまずいのではないかとわかっているが、それでも体を動かしづらい。しかし嫌な予感はひしひしと膨れ上がる。何とか体に鞭打ち、立ち上がって移動を開始するが、数メートル歩いただけで膝をついてしまう。
この遺跡は一つの街ほどの規模があり、所々崩れずに残っている建物の壁などには何らかの紋章が刻まれているように見える。だがかなり古いものであり、果てしなく長い年代を経てもなおここに存在しているようだ。
風化してほとんどの部分が風化しており、はっきりと紋章は見えない。
だが雰囲気を見る限り、太古の国の首都と思われるのだがどの国かは判別がつかない。
不意にざわりと空気が震える。
《……いい器だ》
それに合わせてなにかの声が聞こえてきた。顔を上げて辺りを見回すが自分以外に誰もいない。気のせいかと首を振って軽く頭を抑えながら歩き出す。
歩く先にはひときわ大きな遺跡があり、門らしき残骸が存在していた。
《ふっはははは、これも運命の巡り会わせか。ここにきてこのような器がやって来ようとは、ようやく我がこの世に蘇る時が来たというわけよ》
門を潜れば他の建物以上に崩れている遺跡が存在していた。だがそれでもここが高貴な者が暮らしていた建物である事が何となくわかる。外壁の作り、門から繋がっていたであろうこの建物を囲む壁……これらから考慮するにここがこの国の城が存在していた場所ではないだろうか。
その城からゆっくりと黒いもやが立ち上り、この城を通過しようとする碇へと忍び寄る。
「な、なに……?」
《さあ、我にその身を捧げよ。誇るがいい、我に認められし器よ。貴様は我が蘇る礎となるのだ》
黒いもやが一気に規模を拡大したかと思うと、その影がまるで人の顔のように顕現した。それは真っ直ぐに碇へと向かっていき、彼を包み込もうとした。
だが碇とて大人しくそれを受け入れるはずもない。抵抗するために身構え、必死に練り上げた魔力を使って魔法を行使する。とはいえそれは純粋な魔力による砲撃に過ぎない。
あれは黒いもやだ。物理的な攻撃は通用しないだろうと推測し、魔力を使った攻撃を選択したのだ。だが黒いもやは放たれた砲撃を避け、着実に距離を詰めてくる。
ならばと碇は苦しげにしながらも自分を中心とした陣を展開し、加えてその瞳を赤く変えていく。
「ッ!?」
それにより黒いもやの中に存在しているその人物に息を呑む。
まるで血を思わせるほどの赤い髪をなびかせ、漆黒の瞳が鋭く細められて碇を見据える一人の青年が浮かび上がってきたのだ。身を纏うその服は高貴なる者が着用するような代物であり、しかも遺跡に掘られている紋章と同じものを刺繍したマントを羽織っている。
彼がこの黒いもやの正体。
それに驚きはしたが、それでも自分を守るために展開した陣は消さない。陣からは強い障壁が展開され、彼の進撃を阻止させる。
《ほう? いい抵抗だ。さすがは噂に聞く血統よな。……だが、無意味。それでは我が侵攻を止める事は出来ぬわ》
黒いもやの規模が増幅し、更なる力で押し切って障壁を突破しようとしている。碇も必死に魔力を抽出してあれを止めようとするのだが、やはりというべきか碇の体調不良が災いした。
ついに障壁を突破され、黒いもやは一気に碇へと襲い掛かる。
「う、うわっ!?」
《フーッハハハハ! さあ、復活の時だ!》
碇を包み込むように動いた黒いもやから歓喜の声が響き、一気に彼を侵食するように体内へと侵入していく。
「う、あ、あぁぁ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッ!?」
悲痛な叫びが遺跡に響き渡りその度に碇の体は痙攣を繰り返す。そうして彼を苦しませながら黒いもやは体へと吸い込まれていき、やがて全てが入り込んだ。
だが痙攣は続き、口から涎を垂れ流し、目は白目を剥き、碇は遂に膝を折って倒れ伏す。
その場は静寂に包まれ、それがどれだけ続いただろうか。
不意に碇の指がピクリと動き、頭を抑えながらゆっくりと起き上っていく。ごきごき、と首や肩を鳴らしながら体をほぐすように動かし、布を取り出して口元を拭っていく。
そうして体の調子を確かめた“彼”は――
「…………ふ、ふふ、ふは……ふーっはははははハハハハハハハハハッ!!」
歓喜を抑えきれずに高笑いを始める。天を仰ぎ、喜びを全身で表しながら咆哮し、ぐっと拳を握りしめた。その様子は先ほどまでの気弱さは見られない。まさに人が変わったかのようである。
「成功、成功した……! 見込んだとおり、これは素晴らしい器よ。我が復活に相応しき器! ……残念だが今はまだその才能を開花しきれていないようだが、それはこれからじっくりと伸ばしていけばよいか」
握りしめた拳を開き、閉じを繰り返して溢れる力を確かめながら彼は言う。目を閉じれば体の内側に眠っている力を感じ取れ、その潜在能力の高さに笑みが隠せない。
「……シュヴァルツ、か。我が死んだ後にそのような一族が生まれようとは……世界は真に摩訶不思議なものよ。とはいえ、あれからどれほどの時が流れたか。時を忘れる程に過ぎ去れば世界も少しは変わるというもの。よもやこのような力を持つ一族が生まれるとは思いもしなかったがな……クックック……」
ひとしきり笑った後、彼は背後を振り返る。
そこはかつて一国の城が存在していた場所。そして同時に、彼にとっての居城だった。
遥か昔、この中央一の国として栄えた彼の国。彼の代になってその規模を一気に拡大させ、そう呼ばれるほどまでに成長した大国だったのだ。
だが、それだけの力を手に入れてもかの龍には及ばなかった。
この中央に伝えられし国滅ぼしの龍、伝説種にして七禍龍が一。
輝龍ミオガルナ。
かの存在によってこの国は滅ぼされてしまう事になってしまう。
ここまで成長させておきながら、たった一頭の龍によって全てを無に還されてしまった。歴史に名を残す事にはなったが、それは短い繁栄の時だった。規模は順調に拡大していき、これからは治世を行って長く新たな国の歴史を刻もうという時になっての崩壊だ。
無念。
屈辱。
それが彼をこの地に留めた。
まさしく彼は怨念のようなものだろう。だが長い時は彼の魂を少しずつ摩耗していった。あまりにも長い時間が流れたせいだ。この地に留められた魂と思念はもうすぐ消えそうな領域にまでになっていたのだが、この大陸を包み込んだ闇の気配が彼を少しずつ蘇らせていったのだ。
つまり、狂化竜事件によって彼は復活への道を手にしたのである。
あとは自分が復活するための体が必要だったのだが、ここが遺跡という事もあってなかなか人は訪れない。訪れたとしてもこの自分が宿るに相応しくないものばかりだった。
しかし、機は巡った。
よもやシュヴァルツの血統がこの地にやってくるとは思わなかった。しかも将来的に伸びるであろう才能を秘めた若い少年。これ以上ない素晴らしい器だ。
「人殺し、竜殺しの力を秘めた一族……素晴らしい。この力を伸ばせば……再び我が国は蘇るであろう! そう! 今日この日が我が国を復活させる始まりの日となろう!」
再び天を仰ぎ、ばっと両手を振り上げて天を掴むように強く握りしめる。
失われた時間と国。
そして願わくば自分の国を滅ぼした龍をも滅ぼしてくれよう。
そのための力はこの手にある。
竜殺しの力を秘めたシュヴァルツの血統、これが手中にあるならばそれも果たせない夢ではないはずだ。
「我が名はプルート・ギルガメッシュ! 古都ギル・ガメスの王なり! これより我が行く道こそが新たな歴史の幕開けとなろうぞ! フーッハッハッハッハッハ!!」
ここに、古代の王が蘇る。
本来ならば起こり得る事のなかった出来事だったが、数奇なる運命のいたずらか彼はこの世に蘇った。
これより新たなる物語が紡がれることになる。
「……ふっ、本当に蘇っちゃった、か。ふふふ、おめでとう、古き時代の王。……願わくば、いずれお前とは殺し合いたいものですねえ……」
その様子を見守る、一つの黒い影が存在するとも知らずに。
○
空間の狭間に存在する一つの和式の家。そこに戻ってきた菜乃葉は重い溜息をついて椅子にもたれかかる。狂化竜事件が終わりを迎え、あそこに滞在する意味はなくなったためこうして家に戻ってきた。
いつもの和服に身を包んではいるが、今の彼女はその綺麗な黒髪をそのままおろしているものではなく、あの時結んだ藍色のリボンで纏めた髪を左側に流している。
纏っていた黒いローブは彼女の脇に投げ出され、頬杖をついている左手の中指に嵌められていたサファイアの指輪は机に置かれていた。
目をつけていた彼らは死ななかった。それは良しとしよう。
だがそれは一つの終わりでしかない。死ななかったからとはいえ彼女にとってのゲームはそれで終わりではないのだ。
いうなれば一つのゲーム盤でのゲームが終了した、というだけ。そう、第一回戦が終わったに過ぎない。
「四季が死ぬのは変わらない、それはいいとして朝陽も死んだか……。あの
にとっては喜ばしい事ね」
神倉獅鬼――四季はどうあっても神倉羅刹と相打ちになる。それは以前よりわかっていた。それを承知の上で彼を駒として選んだのは、彼が昴達を集め、鍛え上げる存在でもあるからだ。
彼の存在があってこそ昴達は力を手にし、羅刹という強大な敵を討ち倒す存在なのだ。故に最後に死ぬとしても彼の存在が必要だった。
使い捨て?
そう呼んでもらっても結構。例え使い捨ての駒だったとしても必要ならばとことん利用するのみだ。それに四季とて羅刹を抹殺するという目的で動いていたのだ。その目的を果たすためならば自分の命すら惜しくはないとまで考えていた。
ならばそれを上手く利用しても文句はあるまい?
それが菜乃葉の考えだった。
だが問題は朝陽か。
彼女の場合はあの後生き延びるという道筋もある事はあったが、残念ながらそれはこのゲーム盤では実現できなかった。といっても生き延びたからと言って何が出来るかというわけではない。
もしこの先必要になるならば、裏に手を回して彼女の協力を求めようかとも考えていたのだが、よくよく思い出せば彼女は力の大半を失っている。協力を求めたとしても戦力として使い物にならないかもしれなかった。
ならば、生きようが死のうが問題はなかったかもしれない。
「実力も十分高まった。問題はこの先起こりうることを生き延びられるか、にかかっている。…………ふっ、私も本当に物好きね。こんな……自己満足にいつまでも時間をかけるだなんて」
「Yeah.でも、その自己満足もまたクロらの退屈をしのぐ一因になるってもんさね」
そんな事をのたまう言葉が聞こえてきたため、菜乃葉はまた溜息をついてぱちんと指を鳴らした。するとこの居間のふすまが一つ開かれるだけでなく、入口まで繋がるふすまや扉が一斉に開かれた。
すると微かな足音を響かせながら誰かがここへと真っ直ぐに向かってくる気配がした。
少しして開かれたふすまから姿を現したのは、白い小袖に緋袴……所謂巫女服を着こなした黒髪の女性だった。だがその上に狐の絵柄をした赤いダウンジャケットを着用している。
そんな彼女を確認した菜乃葉は「何か用かしら、
そんな彼女に小さく笑いながら黒陰は菜乃葉の対面に正座する。そのままどこからか取り出したあの特殊な飴を口に含み、白い棒を揺らしながら味わいつつ話しだす。
「リーゼロッテの動きを監視しようとしてたのさ。白皇がリーゼロッテを使って、何かしようとしているんじゃないかというのは予想してたんだけどねぇ……、やっぱりあれは逃げたり隠れる事に長けてるわ」
「そうね。さすがはあの女が作った一番の駒と言えるわ。よもやあんな所に潜んでいたとは思わなかったけど」
エレナとして行動し続けた期間は知らないが、少なくとも事件が発生する数年前からそうしていたに違いない。ライムを殺す機会などいくらでもあったろうが、そうしなかったのはまだゲームが開始されなかったからだ。
それにリーゼロッテが殺せばライムは力を手にし、その力でシュヴァルツの危険性を提示する機会を失ってしまう。彼もまた成長しなければならなかった。成長し、可能性を示さねばならなかった。
そうしなければシュヴァルツを滅する、という名目を成り立たせるピースが増えない。それでは意味がない。だからリーゼロッテはただ監視し続けるだけに留まったのだろう。
だが彼女はそれだけではとどまらなかった。羅刹の部下、スパイとしての活動も行い、情報収集しながら状況を把握し、白皇へと伝えていたのだろう。その役目を果たしながらも最終的にはあの行動に出てきた。
「……Shit、やってくれるもんさ。気づいた時にはもう手遅れ。たった一日であそこまで広まった理由を探ったら、リーゼロッテも駒を使って広めてたよ。いつも以上の早さで噂は広まり、これじゃ中央を超えて東方へと伝えられる時間も早まるってもんさね」
「……そう、噂を広めるのも計略の内ってわけ」
「Yes.あれもリーゼロッテの仕業って事」
九尾の素早さや精度には及ばないが、リーゼロッテは結晶を使った分身術を使って自分、または別人へとなり変わらせる術を持っている。これを使ってあちこちに潜入し、町人などに化けてシュヴァルツの噂を広めていった。
まるで自分も人から聞いたという風に装って噂を広めることにより、たった一日で王城にまで届く程のスピードが成り立った。それもまた自分も城の人間を装った事も関係しているが、その布石としてあらかじめ城のメイドや兵士に化けていた事も効果的だった。
それに気づいた黒陰ではあるが、よもや別ルートも用意しているとは思わなかった。分身のいくつかは潰してきたが、それでも間に合わない。あとは種が風に乗るように、人の口が自然と伝えていく。
止めようがない。
風に乗る種に根元など存在しないのだから。
「シュレイド王が止めても無駄、神倉月によって正しいイメージを上書きしたとしても、ヴェルドから既に出たヒトによって他の地域へと広まる。……もはや流れは成立した。香澄の言う通りさね。もうこの川の流れは成立していたってこったねぇ」
「どうあっても変えられない、か。むなしいことこの上ないわね」
「But、あんたはそれでもこの道を進むことを選んだ。退屈しのぎではあっても、残されたヒトの心でこの自己満足を完遂させようとしている。そうだろう?」
一度白い棒を手にして飴を取り出し、びしっと飴で菜乃葉を指さすようにし、にやりと笑みを浮かべて続ける。
「結構な事じゃないの。死んでしまった自分の両親の一つの可能性を見つけよう……いいヒトの心じゃない。しかもその両親が――」
「――黙りなさい。私の両親はあの二人だけ。それ以外は全て赤の他人よ」
ぎろりと漆黒の瞳を黒陰へと向けるが、彼女は涼しい表情をしたまま、また飴を咥えて舐め始める。菜乃葉のその殺気に満ちた視線を受けてもなお彼女は動じない。それだけ精神が強く、菜乃葉とは差があるということだ。
そんな彼女を見つめながら菜乃葉はちっ、と舌打ちする。威嚇しても通用しない相手、ここで封じている目を解放したとしても通用しないだろう。やり辛い相手だと前からわかっていたが、ここまで涼しい顔をされては舌打ちも出るものだ。
一方黒陰はというとそんな菜乃葉を見つめて小さく笑っていた。
(平行世界の両親は両親ではない、か。似て非なる赤の他人というわけね。だからこそどれだけ平行世界であれらが死んでも動じない、と。……そう思い込むことでやり過ごしてきた……泣かせる話じゃないの)
一度両親を失った彼女が、平行世界の若い頃の両親を何度も失って平気でいられるのはそういう事だ。一種の自己催眠、あるいは自分の感情を封じ込めなければやってられない。ヒトでなくなってヒトの感情が薄れてしまったが、それはシュヴァルツの因子の影響で元々薄れてしまっていたためどうという事はない。
だがそれでも両親……家族に対する情は残っていた。それすらも封じ込めて菜乃葉はただ一つの結末を見届けようとした。
「シュヴァルツに対する空気が更に悪くなり、己が家族すらも標的となり隠れ住むようになった。しかし結局発見され、あんた以外が死んでしまった。……そんな結末を回避できる一つの可能性。あんたの家族と父親のもう一つの家族が生きている、あんたが“世界”に達しない、そんな可能性が実現する世界を作る。素晴らしい自己満足じゃないの。ねえ?」
「――白銀菜乃葉?」
フルネームで呼ばれた菜乃葉は何も言わない。ただその瞳で黒陰を睨み付けるだけだ。それを青い瞳で受け止めつつ睨み返し、薄く笑いながら舐め終えた飴の棒を取り出して握り潰す。
「自分のようにならない別世界の菜乃葉、あるいは両親が平穏に生き続ける別世界……それを実現させる事のどこが自己満足じゃないと? ……ああ、別に責めてるわけじゃないさね。あんたがそうやって動いているおかげで、クロ達もまた目的を果たすために動けるってもんよ」
「……目的ねえ。貴女は一体どういう目的を持っているのかしら? 今まで居場所を知られないように動いていた貴女が、どうしてここにきて存在を知られるような真似を?」
「ハクが白皇にちょっとちょっかいかけてきたからねぇ。今更ってもんよ」
「……白陽が? そう、ついに夢幻もこの一件に関わるって事なのね」
「No、それは違うね」
今度はどこからか酒と共にお菓子の袋を取り出してきた黒陰。中心で引っ張って袋を破き、中に入っているスナック菓子をぽりぽりと食べながら酒を呑む……という何とも言えない行動をし始める。
見た目は黒髪美人な巫女さんだというのに、その行動のせいでどうもイメージが悪すぎる。だがそれがどうしたというかのように食べては呑み、一通り堪能すると黒陰は話を続けた。
「クロ達はもう十年以上前から行動してるさね。今まで姿を見せなかったのはその影響ってね」
「……そういえば東方で姿をくらましたか。貴女、東方で何をしているの?」
「クロじゃないね。行動しているのはあいつだよ」
「……あれ、か。あれを表で行動させるなんて、よくやるわね」
少し表情をしかめる菜乃葉の頭の中には黒陰、白陽でもない第三者が存在していた。夢幻の三つ目の人格のことである。それに関しては少々問題があり、普通の人からすれば菜乃葉のように少し嫌そうな表情を浮かべてしまう存在だ。
だがそれでも能力としては夢幻の一人という事もあって申し分ないものであり、単独行動を任せても問題ない人物ではある。……その信用をその問題――性格によってぶち壊しにしてしまう可能性もあるが、そこは慣れるしかない。別に悪い人ではないのだから。
「ま、あんたが心配するようなことは何もないさね。だからクロらの事は気にせず、あんたはあんたのやり方を続ければいいさ。そしてクロらも好きにする、それでいいじゃないの。そうやって次のゲームとやらを続けていこうじゃないさね」
「でも、この世界は貴女の孫娘のせいでかなり歴史を歪められているけどね?」
「……ああ、それについてはクロは何とも言えないねぇ。あれもあれなりにやってるだけだからね」
「それによって色々とあの女の得になってるのにね」
それもそうだな、と黒陰は肩をすくめて小さく首を振る。それから一掴みのスナック菓子を口に運び、一気に咀嚼して飲み込んだ後に何度か体を横に揺らして目を閉じる。するとその髪の色が黒から白へと変色していき、その巫女服も黒いシャツにジーンズへと変化していった。
やがて目は開かれ、それは青から赤へと変色されていた。
一度喉を潤すように酒を飲み干した彼は小さく笑い、「久しぶり、と言うべきかね? 菜乃葉」と口にする。そんな彼へと菜乃葉は「そうね、久しぶり。白陽」と挨拶した。
「それで、さっそくだけれど白陽? あの女狐をどうにか出来ないのかしら? あの子、色々と引っ掻き回しすぎだと思うのだけれど」
「それは仕方ないね。あの子は今もなお良くも悪くも純粋だ。ヒトの悪意を受け続けたあの子は、目的を達成させるための遠慮をほとんど捨て去った。やるからにはとことんやる、そういうことなんだろうさ」
「……歴史改ざんはどうかと思うけれど?」
「そればかりは私も気づかなかったね。まったく、流石は私の孫娘と喜ぶべきか、困ったものだよ」
「空狐に達した貴方すら欺くか……」
本当に気付かなかったのか、あるいは気づいていて放置したのか……困ったような表情を浮かべる白陽の表情をそっと窺いながら、菜乃葉はフラヒヤ酒を取り出してグラスを用意した。
妖狐の中でも最高峰とされる空狐である彼は、相手を欺く事に長けていれば、欺かれている事に気づく事にも長けている。だがそんな彼をも欺く程の力を手にした九尾。果たしてそれは真実か? それを彼の表情から読み取れない。
わかっていて見逃したとなれば彼を全面的に信用する事は出来ない。とはいえ信用する気もないのだが。
同じ“世界”の領域に達した者同士だとしてもそれが仲間であるという事は“=”にならない。それは菜乃葉と九尾然り、白皇と夢幻然りだ。
こうして同じ席に着き、酒を呑み合ってはいるが二人の関係はただの知り合いでしかない。敵でもなければ味方でもない、そんな微妙な関係で成り立っている。
「食うかい?」
「結構よ」
差し出されたのは黒陰が取り出して残して行ったスナック菓子。しかし菜乃葉は一言で断り、フラヒヤ酒をグラスに注いでは呑み干していく。そんな彼女に肩をすくめ、「ふむ……美味しいんだけどね」と呟きながら白陽は黒陰よりも控えめな量で摘まんでいく。
そんなちょっとした和やかなムードはそう長く続くはずもない。何杯か一気にお代わりを繰り返して、フラヒヤ酒を胃へと流し込み続けた菜乃葉が少しアルコール臭くなった甘い息を吐くと、じっと白陽を見据える。
「あの子はあのまま放っておくのかしら?」
「ああ、好きにさせておくよ。あの子もまた君と同じように一つの可能性を見ようとしているだけ。……その方法が多少やりすぎているだけさ」
「“多少”? それで済ませてしまう貴方も貴方ね」
「はは、欺く事に慣れているとちょっとばかり感覚がずれるというもの。……んぐ、ふう……」
余ったスナック菓子の袋の口を包み、テープを張って消し去るとまた酒を口にして一息つく。黒陰が取り出した酒瓶の中身はもうほとんど消費されている。だというのに彼は酔っている様子はない。
菜乃葉と同じく落ち着いた表情で穏やかに微笑んでいる。相変わらず表面上で笑っているのかどうなのか読めない表情だ。だからこそやり辛い。
「それで、あっちの方も女狐と同じく手を出さないつもり?」
「……そうだね。私は“世界”に属する者。孫娘といえども世界の中に生れ落ち、育ったならば自分の下において育てるという事はあまり出来ない。その世界にとっては、あたかも神隠しにあったかのように消えた事実が出来上がる。そこから更なる平行世界が出来ようものならば目もあてられないだろう?」
九尾が幼少の時に、普通の子供にとって厳しい状況におかれている時に助け出さなかったのは、彼の影響力が計り知れなかったためだ。“世界”に属する者が介入する事で良くも悪くも世界は変化する。
世界は世界の中に存在する者によって廻るべき。世界の外にいる者が介入する事で、奇妙な捻じれが発生してしまうのだ。狂化竜事件における歴史改ざんは極端ではあるがそれにあたる。
他に例を挙げれば本来生きるはずだった人物が死に、その逆も然り。力がなかったものが急に力を付けてしまう事もそれにあたる。
要は本来起こるはずのなかった事が起こってしまう事だ。
故にあの時“夢幻”は幼き九尾を助けなかった。彼女だけ助けだし、他の平行世界の彼女を助けださない、という矛盾もあったためにそうしなかったのだ。
だがそれにより彼女は人の悪意を受け、穢され、歪んでしまった。純粋な少女であったが故にその歪みは大きく彼女を変え、その力を高めてしまう事になってしまう。
その果てがあれだ。
菜乃葉とは別の意味で歪み、幼さを感じさせる外見に反してあくどい性格。だが菜乃葉と同じく、目的を達成させるためには躊躇いなく多を犠牲にする事だが出来る。その点では神倉一族と同じではあるが、彼女達の場合は力のためではなく拾うか切り捨てるかどっちかで判断してしまう。
とまあ、彼女の歪みは置いておくとして、どうやら白陽は菜乃葉の言う「あっちの方」と呼んだ人物も手を出さないつもりらしい。
「それにあれはもう十分あの世界で可能性を高めている。それはあの子が望む結末に繋がっている。君がそうであるように、あの子もまた順調に目的達成へと進んでいるという事さ」
「……そうね。あれはまだ堕ちないでしょう」
「となれば、君達のゲームは引き分けで終わる可能性が高くなってきたわけだ。……ふふ、どうなる事やら」
そう呟きながら立ち上がり、酒瓶を片付けて菜乃葉に背を向ける。閉じられたふすまを開き、そのまま外へと出るかと思ったが、少し立ち止まって肩越しに振り返り、薄く微笑みを浮かべる。
「ま、こんな事を今更言うのもあれだけど、あの子とは仲良くしてやってくれ。まだあの子は……子供の様だろう?」
「……そうね。あの子は今もなお純粋な子供。だから今もなおあんな姿を取り続けている。……いつまで経ってもあの子は大人にならない」
「それは君も同じだろう?」
「私は違うわよ。こっちの方が楽でいいし、欺くには十分の姿でしょう?」
菜乃葉が幼い姿を取っている理由はそれだ。子供の姿ならば初見の相手を欺ける。次に力を察知したならばその外見の差に驚き戸惑う。そこに付け込んで自分のペースに持ち込む、それが菜乃葉のやり方の一つだった。
もちろんそれは彼も知っている事。だがあえてそんな事を言ってみただけだ。
そんな菜乃葉にまた微笑を浮かべ、軽く手を振って「じゃ、私は東方へ帰るとするよ。また会おう」と言い残し白陽は退出していった。その気配はすぐに消え去り、この空間には菜乃葉のみとなる。
「……さて、次のゲーム盤の準備を進めるとしましょうか」
このゲーム盤は終わった。
ならば次のゲーム盤へと移行し、準備を進めていこうではないか。
菜乃葉はあの世界の後に起こる事をいくつかの平行世界を立ち上げ、観察を始めるのだった。
○
一方こちらは極寒の地。アクラ地方の奥深くに存在している氷壁の前に一人の人物が存在していた。それは真眼の香澄だった。いつものようにやる気のなさげな瞳でじっと氷山を見上げており、その服装はいつもの着物ではあったが、その上に黒い外套を羽織って防寒具としている。
アクラ地方は季節を問わず極寒の地であり、常に冷気が包み込む世界だ。吹雪が吹き荒れるだけでなく、主に雪と氷の大地と化しているこの地は常人が訪れるような場所ではなくなっている。
零度以下の気温、氷の平原、高低差の激しい氷山、氷が浮かぶ凍えた海……これらが人を遠ざけ、更にこの地で生き抜くモンスター達の存在が今もなおアクラ地方の全域を判明させないでいる。
そのためこれほどまでの奥地まで入り込んだ人はいないと言ってもいい。
だからこそ、この存在が今もなおここに存在していると知られていない。
香澄が見上げる氷山はただの山ではない。透明度があり、その内部に何かが閉じ込められているのだ。
それはまるで天然の絵画の如く。氷山をキャンパスとし、そこにそれが閉じ込められることによって永久に存在する絵画としたのだ。それを外へと出さない氷壁は透明度があるため、ここに来られる者ならば誰もが見られるようになっているが、
まさしくそれは幻の絵画だ。
「……何年ぶりになるかな?」
『さて……ここに封じられる前に一度会ったから……俺達にとっては恐らく、五、六百年ぶり……といったところか』
『そんぐらいじゃね? ま、香澄にとっちゃそれ以上かそれ以下なのかもしれないけどな。シャッシャッシャ!』
『…………』
香澄の言葉に応えるのは二つの声。一つはただじっと香澄を見下ろすだけで何も言わないが、同じような事を考えているらしい。
どうして三つの反応がみられるのかといえば、そこに閉じ込められているのは三つ首の存在だからだ。主に腹側が黒、背中側が金色の色合いをした鱗と甲殻をし、漆黒の角と碧眼をしている。
だが手足は見当たらず、三つ首が繋がった後は胸、腹となり、その後は棘の生えた三つの尾に分かれていく。すなわち三頭三尾の竜。
蛇竜種のヒュドラ族に分類され、しかしその保有する力の大きさによりただの蛇竜種に留まらず古龍種へと引き上げられ、過去の行動とその脅威性、そして出現率の低さによって伝説種へと登録された存在。
七禍龍が一に数えられ、最後に華国を襲撃してから全く姿を見せなくなった伝説の龍がここに存在していた。
『どうだい、香澄? オレ達がここに封じられて世界はどんな感じになっちゃったんだい?』
『闇の気配が……強かったからな……ミラボレアスが出動、する事態になったんじゃないのか……?』
『…………』
一つはチャラそうな印象、一つは少し間を置きながら喋るもの、一つは無口とそれぞれ性格が異なるようだ。そんなディス・ハドラーに香澄は「……そうだね」と肩をすくめながら首を振る。
「今回ミラボレアスは召喚という形で降臨したよ。まったく……あの女が送り込むというのが通例だというのに、とある奴によって召喚術を仕込まれたやつが起動した事で召喚されたのさ。……ま、それによって旧シュレイド城の闇は消滅、それに引きずられるように中央の闇も若干消滅。闇に関してはまあまあ解決されることになったようだけどね。……ははっ、それも計算の内だったのかな、あの女狐」
『女狐ぇ? ……ああ、九尾か? シャーッシャッシャ、そうかい、あいつまだ何か裏で動いてんのかぁ?』
「……色々とやってるね」
ここに閉じ込められている為に彼らは“世界”の領域に達していながら、何が起こっているのかは知らない。つまり狂化竜事件の事も全然知らないのだ。だからここにやってきた香澄から聞くしか知りうる術はない。
氷の中でその瞳が若干動かされ、何かを考えるそぶりを見せる真ん中の頭。やがて彼は、
『ということは……あの獣、七禍も動いたか?』
「…………獣? ……ああ、そうか。お前達は知らないんだったか」
『ああん? どういうこった?』
「七禍なら死んだよ」
『……っ!?』
『死んだぁ!? おい、香澄ぃ……冗談はよせよ』
『そうだ、あの獣がそう簡単に、死ぬとは思えない。一体何が……あったというのだ?』
七禍が死んだという事に三つ首とも驚きを隠せない。それほどまでに七禍が死んだという事実が信じられないのだ。だが彼らにとっての七禍とは先代のもの。今代の七禍の事は知らないのだ。
「……この世界ではお前達がここに封じられた後にね、別世界で七禍はたった一人の人族によって討伐された。しかも各世界に散らばった分身じゃなく本体だ。それによって七禍は死亡。……そしてそいつは七禍の力を奪い、見事にそれを吸いきって己の力としてしまった」
『ということはつまり……その人族は“世界”に達したと……そういうことか?』
「そう。そしてあの女は……そいつを二代目七禍とした。だからお前達の知る獣の七禍はとっくの昔に死んだよ。……ああ、昔といってもわたしにとってか。お前達にとっては未来の出来事……いや、時間軸とか時限とかその他諸々が歪んでるから過去も未来も関係ない、か。……これだから“世界”が関わるとめんどくさい……」
ぶつぶつと呟く香澄をよそにディス・ハドラー達はそれぞれ思念を繋いで相談を始める。彼らにとっては信じられない事だからだ。彼らが知る七禍とはまさしくただでは死なない獣だ。
過去に凄腕のハンター達が遭遇し、戦いを挑んだとしても全てを返り討ちにしてしまった。当然四人一チームだとしても、複数のチームが参戦しても、だ。伝説種に数えられるその実力をいかんなく発揮し、まさに魔獣としての在り方を示して見せた。
そんな七禍が……よもやたった一人のハンターによって討たれたなど信じられるはずもない。
だが香澄は真実しか言わない。それが情報屋としての彼女の在り方だ。
そして冗談ではないと言うならば、先代七禍が死亡し、二代目七禍が存在しているのは真実。ならば……それを受け入れるしか出来ない。
『では、今代の七禍は……どんな奴だ……?』
「……そうだね、一見ただの子供のようにしか見えない少女だよ。でも実際はもう“世界”に達して千年以上にもなるから、かなりの実力者。そしてその外見は偽り、さ」
『子供にしか見えない? シャッシャッシャ、なんじゃそら、九尾かよ?』
「…………ま、そう思っててもいいんじゃない? めんどうだし」
欠伸をしながら答え、そして頭を掻きながら話を切り替える事にした。
「……七禍の事は置いておくとして、本題に移ろうか。わたしは別に世間話をしに来たんじゃないし。……それに平気そうに見えるかもしれないけど、寒くてだるいんだよね。本音を言えば、さっさと帰りたいわけ」
『…………』
『……そうだな、話すといい』
防寒具を着ているだけでなく、力を使って自身を温める事によって寒さをしのいでいるに過ぎない。氷属性には強いオオナズチではあるが、それでも寒すぎるのも問題だ。
普通の気温で過ごす事を主としている香澄にとって、極寒の地はストレスが溜まる場所である。だからこうして駄弁っている時間を多くとられるわけにはいかないのだった。
「……あの女、今回の事件でシュヴァルツに関する目的を少しずつ進行させている。たぶん数年後、更に目的達成へと近づかせるんだろうね。で、たぶんお前達にも指令が下る可能性がある」
『へえ? この封印もついに解かれる時が来るわけだ』
『…………』
『それで、香澄……お前は俺達に、何を、望む?』
六つの瞳がじっと香澄を見下ろし、わざわざこんな所まで来た
それが一体何なのか、それを問わずにはいられない。
少し間を置き、香澄はそれに答えた。
「…………お前達には想定外の陣営を潰してもらう」
『想定外? ……何かが起こったのか?』
「……ん。どういうわけか、ギルガメッシュ王が蘇った。しかもシュヴァルツの血統の器に憑りついて成り代わった。……これは今までの平行世界になかった展開。だから、お前達にいずれ動いてもらいたい」
『ギルガメッシュ王っていうとあれか? ギル・ガメスの最後の王だった……』
『…………』
チャラい頭の疑問に無口な頭が肯定する。どういう手段で知ったのかは不明だが、どうやら香澄はギルガメッシュ王の復活を知ったらしい。だがこれは彼女の言う通り想定外の出来事であり、他の平行世界では起こらなかった出来事だ。
確かにギルガメッシュ王が復活する兆しはあったのだが、それが実現するのはかなり低い確率だ。あの碇が通り過ぎなければギルガメッシュ王はあのまま消滅してしまった。
まさしく数奇なる運命の巡りあわせ。彼はこの低確率を引き当ててしまったのだ。
「……シュヴァルツの血統に憑りついたんだ。お前達にとっても倒すべき存在のはず。だから、潰してもらいたい」
『それはかまわねえけど、やっぱりお前は動かないんだな』
「…………ははっ、悪いね」
『対価は?』
「もう先払いしている」
『…………?』
その言葉に疑問を感じたディス・ハドラー達に香澄は小さく微笑すると背を向けて歩き出す。そのまま振り返る事なく「……七禍の事について話した。その情報が先払い」と告げる。
『いや、それは世間話……』
「……ん? わたしは最初から世間話をしに来たんじゃない、と言ったはず。あれは依頼料の先払い。……わたしは情報屋だぜ? 料金は情報で支払うさ。文句ある?」
つまりは最初からそのつもりだったという事だ。まんまとしてやられた、とディス・ハドラー達は視線を合わせる。彼らとしては香澄の力の一部を対価として貰い受けるつもりだったのだが、ああ言われてしまえば対価は要求できない。
やむをえず彼らはそれで了承する事にした。そんな彼らに背を向けたまま香澄は冷たい笑みを浮かべて歩き出す。
(……どうせプルートの復活はあんたの策なんだろうね? まったく、ここにきてめんどうな事をしてくれたもんだよ、ベアト)
そしてその姿が消え、彼女は時限の狭間に存在する自分の居住空間へと戻ってきた。菜乃葉のものとは違い、ちょっと広めの洋式の家といった具合の雰囲気をしている。外見は庭付きの一階建ての家であり、香澄がいるのはそのリビングだった。
庭へは吹き抜けになっていてその庭園を眺める事が出来るようになっている。
ダウンジャケットを脱いで座布団に腰掛けたかと思うとそのまま横になり、眠るように瞳を閉じて仰向けになる。
(でもまあいいさ。プルートは変わってないのなら、めんどうな存在だからいずれ消えてもらうとして、問題はなにしてくれるかわからない女狐か……)
彼女が今回のゲームのように引っ掻き回してくるとしたら、これまた面倒なことになってしまう。それは菜乃葉だけでなく香澄にとっても少し不都合なことになってしまう。
傍観者ではあるが、その引っ掻き回す事によって面白くなるかならないかは別だ。観劇するならば面白味がなければ意味はない。
今回の事はそれなりの出来だった。強大な敵に向かって立ち向かっていく人の抵抗、踊らされているとも知らずに踊り続ける役者達……これらが存在した劇の出来栄えは香澄にとってはまあまあという評価。
これを演出できたのは九尾の裏回しがあってこそ。彼女の行動によって朝陽だけでなく羅刹も踊らされた道化に成り下がってしまった。そうとも知らない彼の行動は香澄ら観劇者にとっては哀れに映った事だろう。
“世界”に達するという夢を叶えられずに散っていったが、元より彼はここで死ぬ。
そう願った四季の強い意志と、世界の意志があってこその結末。
ならばこそ、ここで想定外の復活を果たしたギルガメッシュ王もまた眠ってもらわねばならない。
そう考えながら香澄は眠りの世界へと旅立っていった。
今は休息の時だ。
体を休ませた後は、また新しいゲーム盤の可能性を見届けに行こう。情報屋として数多の可能性を探り、情報としよう。それが真眼である香澄なのだから。
○
「ただ今戻りました」
そう言って玉座の間へと入ってきたのは本来の姿をしたリーゼロッテだった。白いドレスに身を包み、軽く結い上げた白い長髪を背中付近まで流したその姿こそが彼女の真の姿である。
その顔付きはどこか白皇に似ており、彼女を少し若くすればリーゼロッテになるのではないかという程だ。だが瞳の色は異なり、白皇が赤に対してリーゼロッテは漆黒だ。
玉座に腰掛ける白皇の眼下までやってくると、一礼して膝をつく。そんな彼女へと頬杖をつきながら白皇は「ご苦労、リーゼロッテ」と告げる。
「種は蒔けたか?」
「はい。様々なルートを以って噂を広めて参りました。後はヒトの行動という名の風に乗り、広まっていくでしょう」
噂の中には事実も混ぜてある。例を挙げるならば、ヴェルド前で行われた優羅とセルシウスによる殺し合い。あの時月がすぐに結界を展開したが、エレナはその全てを目撃している。
シュヴァルツは強いもの同士が出会うと殺し合わずにはいられない。黒い少女と白い少女が殺し合っていたというぼかしが含まれた事実を、エレナは広めた噂の中に含ませておいた。
その他にもぼかしつつも事実を混ぜた噂を含ませ、ヴェルドのあちこちで吹聴して回ったのだ。それも自然と広まっていくだろう。
「よい。今回の主の仕事は終わりだ。休むといい」
「はい。……時に白皇様、一つ質問がございます」
「なんだ?」
頭を下げたままリーゼロッテは問いかける。
「ここに戻ってくる途中、ギルガメッシュ王の復活を確認いたしました。あれは、白皇様によるものでしょうか?」
「そうだ、余の……いや、そうなるように流れを作らせた」
「――そう、あたし達が流れを、作ったのさ」
そう言って竜の彫像の裏から音もなく人影が現れる。
闇を思わせる程の漆黒の長髪に同じく漆黒の外套。その顔の半分には白い骸のような仮面が嵌められて素顔を隠し、金色の瞳が鋭く光るそれはまるで暗殺者を思わせる少女。その姿を見たリーゼロッテは少し意外そうな表情を浮かべる。
「……久しぶりですね、ヘル。そうですか、あなたが動いていたのですか」
「まあ、あたしというよりはあたしの駒が動いて流れを作った、というのが正しいねえ。だからこそ“あたし達”、なわけだが」
そう言いながら彼女、ヘルは銅像にもたれかかりながら腕を組む。
彼女の名はヘル。「
このヘルとリーゼロッテは白皇の側用人と呼ばれる地位についている。簡単に言えば白皇の側近であり、“世界”に属する者らの中で白皇と直接顔を合わせることを許されている部下だ。
白皇の意思に従って動く存在なのだが、基本的にはそれぞれ自由に世界を旅して行動している。ヘルも最近までは別世界を気ままに旅していたらしいが、白皇によって呼び戻されたようだ。
かつては四つ存在した側用人の席であるが、今ではこの二人しか座していない。空席となった二つの席に座していた者らは誰なのか、それは知ることはなくなっている。
何故かと言えば空席になってからもう長い年月が過ぎ去っている。言い換えればそれだけの時間、そこは空席になっていることでもある。そのため側用人はこの二人だ、という認識がある――のだが、一部では空席に座したいという願いを持つ者がいるとか。
さて、今回のギルガメッシュ王の復活は白皇の意思が絡み、リーゼロッテではなく彼女に指令が下されて行われた。
その方法はあの碇にギル・ガメスの遺跡へと向かわせるというものだ。あの碇はギルガメッシュ王にとって復活するには十分な器ではあったが、しかしそのためには彼が遺跡へと向かわねば意味がない。
そしてギルガメッシュ王の復活は低確率。それは彼があの遺跡を通るというルートを使用しなかったからに他ならない。
ならば碇が遺跡に向かうように仕向ければいいだけの話。それをヘルの駒が行ったのだ。
「地味な作業だったね。ランポスとかの小型モンスターで調整するってのは。あたしはあたしの手で戦っていたいんだけどねえ……側用人として久々に呼ばれたら、これだ。少しばかり残念だったよ、白皇」
「ふん、それはすまなかったな。ヘル。だが、その地味な作業故にあれは蘇った。これには大きな意味がある。お前とて感じたろう? あれはいずれ大きな力を手にする存在である事を」
「……そうですねえ。なにせ器が器ですからね。そりゃ大成するでしょうよ。……あたしがこの手で殺したくなる程に、ねえ」
ぺろり、と赤い舌が妖艶にヘルの唇を舐める。とんとん、と腕をテンポよく叩きながらヘルは頭の中でギルガメッシュ王がどれだけ強くなるだろうかと想像してみる。
かつての古き時代、世界最強と謳われし国王の死。それは当時にとっては衝撃的だった事だろう。生まれた時より高い才能を持ち、飛竜相手でも退く事などしなかった彼はまさしく当時の国民にとっては誇れる王であり、英雄であった。
若くして国王に即位し、国の規模を拡大し、しかし治世は善いものであったため悪王と罵られる事もなかった。少々夢が壮大ではあったが、それでも彼は文武両道で良き王であった。
だからこそかの国がミオガルナによって滅ぼされたのは、人々にとって衝撃的だった。
そんな彼が現世に蘇る。
彼の目的は知れている。彼自身が口にした通りだ。
ギル・ガメスの復活とミオガルナの討伐。
「堪えよ、ヘル。あれが殺す相手は決まっておる。始末するならばその後にしておけ」
「神倉月、ですね?」
リーゼロッテの言葉に白皇は小さく笑みを浮かべた。
「今回の一件により、始末するべき者は減った。神倉四季、神倉朝陽、そして神倉羅刹……。愚かにも神の座を抱かんとした愚者どもの遺産は目障りなことこの上ない。故にあれらには先に死んでもらわねばならなかったが、それも果たされた」
そう言う彼女の前には四名の姿が映し出されている。
四季、朝陽、羅刹。死んでしまったこの三人ともう一人、月の姿だ。
「いずれ全て滅ぼすシュヴァルツの因子を含んでいるからこそ死んでもらう。とはいえこれらの死は確実。それを着実に実行されたことは特に喜ぶべき事ではない。当然の結末故な」
軽く手を振ればその三人は消え去り、残るは神倉月ただ一人。
これが問題だ。
彼女はあの世界にとって最高の実力を持つハンター。殺すのは容易ではない。だが白皇自身が手を出すのはご法度、“世界”に属する者も手を出すのはよほどの時でなければならない。
「幾多の試行錯誤の結果、出された答えはこの者の性格を利用する事となった」
「ギルガメッシュ、ですか」
「然り。この者は強さを求めると同時に、何事も己が上に立たねばならないと自負している。それは王であるが故なのだろう。そんな奴が現在のトップについている者の存在を知ればどうなるか……結果は目に見えていよう?」
「いずれ、こいつが神倉月へと挑む、というわけだとさ。ご丁寧にシュヴァルツの因子を含んでいるからねえ、壮絶な殺し合いになるだろうねえ。なんとも面白い話だと、思わないかい、リーゼロッテ?」
どこか興奮を抑えきれないようにヘルが呟き、リーゼロッテはやれやれとため息をつきながら立ち上がりつつ「戦闘狂……」と呟く。
「お話は分かりました。しかしその後はどうするのでしょう? ギルガメッシュが神倉月の抹殺に成功した場合、あるいは神倉月が返り討ちにした場合、誰が生き残りを始末するのですか?」
「二つある。一つはそこなヘルに手を出してもらう」
「あたしとしちゃ、そうしてほしいものですよ」
「もう一つは、ハドラーに始末させる。殺しに関してはあれもなかなかのもの。国の基盤を作っていたならば、それ事消すのみよ」
「なるほど」
その二人ならば問題なく始末できるだろう。もしヘルの願い通り彼女が向かうならば戦いを愉しみつつも確実に殺しにかかるだろう。殺しに関しては彼女は得意分野なのだから。
問題点は一瞬で殺すだけの実力を持ちつつも、戦闘狂という側面があるため戦いを愉しもうと長引かせようという癖があるという事か。
何はともあれこれでこれによって一つの区切りが出来たわけだ。
次の作戦……ゲーム盤が用意されるのは数年後という事になる。といってもそれはあの世界でという意味であり、その時間軸に囚われないここならば一瞬の話ではあるのだが、彼女達にも休息は必要だ。
何せ今回の一件でまた黒龍ミラボレアスが死んだ。いくらでも補填が利く存在ではあるが、生み出すにはそれ相応の時間を必要とする。
そう、ミラボレアスとは白皇の力によって生み出される存在だ。かつてミラボレアスがいた場所には一つの力の塊が浮いており、それに向かって少しずつ力が注がれている状態だ。
あの力の塊は言うなれば竜の卵のようなものであり、別室で保管された白皇の魔力と闇を同化させた物体である。それに魔力を注いでいく事で孵化を促し、ミラボレアスを誕生させるのだ。
ちなみにリーゼロッテもそれと似たような事をして作り出された存在であり、白皇と似ているのはそのせいだ。だが彼女は白皇の分身ではなく“リーゼロッテ”という確固たる意志を持った一個人である。
そして当然龍の姿にもなれ、彼女の場合はミラボレアスではなくミラルーツになる。
だが彼女は白皇の力によって生み出された存在であるため、オリジナルである白皇には遠く及ばない。
「では去るがいい。次の命があるまで好きに過ごせ」
「はい、失礼いたします」
「失礼します。……さて、またどこか行って殺し合いでもしてくるか……」
「……好きですね、あなたも」
「なんならあんたが相手してくれてもいいんだよ? というか、久々に相手してくれよ」
一礼して玉座の間から退出しながらヘルは冷たく笑い、どこからか取り出した漆黒の短剣を手にしてくるくると回転させたりして弄りつつそんな事を口にする。だが当然リーゼロッテは乗り気になるはずもなし。溜息をつきながら「お断りします。あなたの相手なんて面倒な事この上ないですからね」ときっぱりと断った。
わかっていたとはいえ相手してくれない事にヘルはつまらなそうに小さく唇を尖らせる。
「つれないねえ。たまにはあたしの相手、してくれたっていいじゃないか」
「断ります。殺し合いならば他の世界でやってください。私はあなたと違って戦闘狂ではないのですから」
と口にすると扉を開けて先に退室していく。
「はあ、しょうがないねえ」と残念そうにしながらヘルもそれに続き、その姿は一瞬にして消え去った。
その様子を見届けた白皇は軽く頬杖をつき直して目を閉じる。
シュヴァルツの滅びの道筋は確立されつつある。そのための壁となるであろう神倉一族も残るは月のみとなった。ミラボレアスを討伐する事でシュヴァルツを超えようとした一族、そして傲慢にも“世界”の領域へと達しようとし、それだけでなく神をも越えようとした愚か者、神倉羅刹。
神へと届こうとした者は例外なく滅びの道を歩む。それを体現するかのように滅びていった者達。それは逃れられぬ運命と言えよう。
他の血統の者達は後に回すとし、今は菜乃葉が気に掛ける黒崎優羅と、それと繋がったルシフェル達。
これらを如何にして抹殺し、菜乃葉の目的を打ち砕くか、だ。
九尾とのゲームをしている彼女の妨害という形で、目的を遂行するのが白皇の次なる舞台の目的だ。それまでは彼らは生きている、それは保障しよう。
ついでに九尾の目的も叶えられないようにしてみるか、とも考えるがかの少女はなかなか黒く染まりにくくなっている。今回のあれはそういうものからかなり守られている。だからこそ染め甲斐があるが、さてどうするかと考えなければならない。
あとは白陽だ。彼がいったいどのような手段で自分を妨害してくるかも楽しみではある。昔からの付き合いなのだからそれなりに愉しませてくれなくては困る。でなければ退屈なのだから。
「では、一度幕としよう。またいずれゲームが始まる時までの別れよ」
ぱちん、と指が鳴らされ玉座の間は闇に包まれる。同時に彼女の強い気配も消え去り、玉座の間は闇と共に静寂にも包まれた。
次元の狭間に存在する白皇の居城もまたゆったりと次元を航空し、その時を待つ。
彼らが見守ったかの世界は、数年は平穏に包まれる。誰もが事件は終わり、また長い平和が訪れたのだと感じ取った。
狂化竜事件の爪痕もなくなっていき、それぞれの狩猟の日々やのどかな暮らしを満喫していった。
だがその裏ではゆっくりと次なる物語の始まりへと向かうために動いている。
広まるシュヴァルツの噂。
復活したギルガメッシュ王。
そして成長していった幼きハンターと、とある魔族の一族出身の少年達。
次なる物語は――東方で紡がれる。
そう、次のゲーム盤の舞台はロックラック地方より東。
新たなる狩りの物語は、ここより始まる。
これを持ちまして、呪われし血統と黒き竜は終わりを迎えます。
MHP2Gまでの舞台、この世界における中央を舞台とした物語は幕を閉じました。
処女作でしたが、ここまで長くなるとは思いませんでした。
しかし、物語はまだ続きます。
あくまでもこれは中央を舞台とし、狂化竜事件が幕を閉じたにすぎません。
次回より、東方……すなわちMH3Gまでの設定が絡んだ物語が始まります。
登場するモンスターもだいたい出せたと思いますが、一部出てないものがありますね。
名前だけの登場をしたものもいますが、名前すら出てないシェンガオレン……これはしかたないといえばしかたないでしょう。出しにくいです、色んな意味で。
テオは出ましたが、ナナは出てませんし、ポータブルのラスボスであるアカムとウカムも名前だけ。ヤマツカミも出しづらいので未登場という形になりました。
……あ、クイーンランゴスタも名前すら出てませんでしたね。
そんな本作ですが、次回作は別枠で投稿しております。
新たな舞台に新たなキャラクター。そしてあの子たちが主人公です。
シュヴァルツの血統はどうなるのか。
菜乃葉の目的はどうなるのか?
九尾の目的や本名は?
というか最後に出てきた王様って?
そんな謎が紐解かれ、絡み合っていくであろう次回作。
集いし者たちと白き龍もよろしければお楽しみいただければ幸いです。