ココット村に帰ってきたのは丁度明日で休みが終わる日だった。戻ってくると早速村長にディアブロスの角と尻尾を渡しておいた。これで何かわかるかもしれない、という期待が込められる。
朝になって酒場で全員が揃うとそれぞれの報告をすることになる。
まずはライム。
ミナガルデ支部にてヒンメルン山脈で狂化したイャンクックが出没したという情報を話し出した。それは紅葉とシアンを驚かせることとなったが、昴は知っているので大した驚きはなかった。
そして『孤高の銃姫』と呼ばれている一人のハンターがそのイャンクックを討伐し、東のドンドルマ方面へと向かっていったらしい。
そんな話を聞いているのに昴があまり反応していないことを紅葉が突っ込む。彼女からすれば狂化竜の事を話されているのに、反応しないのはどうなのか、と思っているようだ。
そのことについて昴が話し出す。
その当事者と会ったことを。
そしてこちらでも狂化竜と出会ったことを。
全てを話し終えると、一同は沈黙した。
紅葉からすると昨日の内に左肩の傷のことは知っていた。だがそれは明日報告すると言っていたのでこの時を待っていたのだが、彼女はじっと昴を見つめていた。
「……あんたって人は」
どこか呆れるようで、そして心配するかのような声色だった。頭を押さえて小さく首を振る。
「ホントに、もう、ね」
呟きながら立ち上がり、昴の傍まで来るとぐいっと胸倉を掴み上げた。
「とりあえず一発殴らせて」
「……どうぞ」
彼女の心境もわかるので、目を閉じて身を預ける。
紅葉が右拳を握り締め、昴の頬を殴り飛ばした。大きく弧を描いて酒場を昴の体が舞う。ごろごろと床を転がり、壁にぶつかってやっと止まった。
「ごほ、ごほ……」
口元から少量の血が流れる。そのことからどれだけ彼女が力を込めて殴り飛ばしたのかわかるというもの。
座ったまま様子を見守っていたライムとシアンが呆然として見つめている。
「……いやはや、久々に殴られたもんだ」
「それだけあたしの心境が辛いものだったってことよ。昴、バカじゃないの? 気持ちはわかるけど、そこは撤退しなさいよ」
「まぁ、そうだろうがな。だが俺がディアブロスを前にしてクエストリタイヤすると思っているのか?」
苦笑しながら席に戻ると、紅葉が頭を押さえて溜息をつき、また首を振る。
「ホントに病気よね、それって。今回は運よく優羅がいたようだから生きて帰ってこれたものだってわかってるわよね?」
「ああ。それは本気で思っている」
まさに優羅がいなければ自分は死んでいたし、討伐が出来なかっただろうと昴は自覚していた。あの時優羅がいたことで、自分はこうしてここにいる。
それはもう充分にわかっていることだった。
「……っていうかさ、本当に優羅だったの?」
「ああ。あれは間違いなく黒崎優羅本人だ」
かなり変わってしまったが、昴は優羅だと認識していた。そして死者ではなく生者であることも間違いない。
「……そう。生きてたんだ。よかった……」
安心したように柔らかく微笑むと、腰が抜けたように椅子に座り込んだ。そのまま右手で目元を隠して大きく息を吐いた。
やはり彼女も優羅のことに関しては今まで不安だったのだろう。どこで聞いても優羅の情報はなかった。10年もの時間をかけて大陸を渡り歩いてどこでも聞かなかったのだから不安は重なるばかりだったのだろう。
だが彼女の噂は一部では広がっていたようだ。
『孤高の銃姫』の異名が付けられるほどの実力者であるハンターに関してはどこかで微かに聞いた覚えがあった。だが誰も彼女の名前までは知らなかったらしく、ただそんな異名だけが広まっていく。
一部では名前を聞いていたようだが、残念ながら二人はその名前を聞くことは出来なかった。つまり、その異名が優羅のものだったと今ここで知ったのだ。
紅葉の手で隠された両目からは静かに涙が流れていた。長年の不安がようやくなくなったことで感情が溢れてきたのだろう。
しばらく紅葉は静かに泣き続けた。
やがて落ち着いたのだろう。コップをぐいっと傾けてジュースを飲み干した。
「……ぷはぁ。で、優羅はドンドルマに向かったのよね?」
「ああ。そう言っていたな」
「だったら決まりでしょ。あたしたちもドンドルマに向かおう」
「……そう言うと思った」
あまりにも容易に想像できた言葉。行動的な紅葉ならばすぐにでもドンドルマに向かおう、と言うだろう。
そして昴も確かにドンドルマに向かおうとは考えていた。だが一つ問題がある。
それはライムとシアンのことだ。
この二人はどうするのか。
今は共に『吹雪(ブリザード)』として行動しているのだから、解散でもしない限りはこの二人をおいてドンドルマに向かうことは出来ない。ならば二人は一緒についてくるか、ということになるのだが、二人にもここでの生活があるだろう。
その辺りはどうするのか、とライムとシアンの方へと視線を向ける。
「あ、僕は構いませんよ。ドンドルマには行ってみようと前々から思っていましたから」
「そうなの?」
「はい。ミナガルデもいいのですが、ドンドルマなら兄さんの情報があるかもしれないと考えていましたので」
そういえばライムは兄を探している、と言っていたことを思い出した。ドンドルマは大陸一の街といわれるほどであり、当然ながら様々な人で溢れかえっている。ハンターの総本山ともいわれ、多くのハンターたちが活動している。
そんな場所ならば、クロムの情報があるかもしれないと思っていたようだが、距離的な問題や、自分のこともあって行く機会がなかったという。
「今回のことはいい機会だと思いますので、僕としてはドンドルマに行くことは問題ありません」
「そう。シアンは?」
「わたしも大丈夫です! ドンドルマ、行ってみたいです!」
元気よく手を挙げて行きたい、をアピールする。どうやら昴の心配は杞憂に終わるようだ。
「……では、明日ドンドルマに向かうとしようか」
「そうね」
「はい」
「りょーかいです!」
こうして昴たちはドンドルマに向かうことが決定した。その日は休息日も終わる頃という宴会もあったが、ココット村に滞在する最後の日ともなり、宴会は夜遅くまで行うこととなる。
だが紅葉は絶対に酒は呑ませてはいけないので、終始ジュースで我慢させることにした。もし飲ませようものならば、宴会に血の雨が降ることとなる。周りのハンターたちも宴会に時折混ざっているが、紅葉には絶対に呑ませないことを暗黙の了解としていた。
「ねえ? 絶対にダメ?」
「駄目だ」
「酒って呑むことで訓練されるんでしょう? そういう名目でいいからさ」
そう言いながら隣にいるシアンのコップに手を伸ばす。だがそれを昴の手で押さえ込む。
「駄目だ。前にそういう名目で呑んだときの惨状を忘れていないわけじゃあるまい?」
「あ、ゴメン。記憶ないから」
「…………」
ジロリと睨むようにすると、少しだけ引きつった顔であらぬ方を見ながら頬をかく。
「……すみません。微かに記憶あります」
「ああ、あれは酷いものだった。少しでも覚えていてくれるならそれでいい」
重くうなずくと紅葉は諦めたように手を引っ込めていく。それを確認すると昴も手を引っ込める。
「……そんなに酷いんですか?」
シアンが恐る恐る昴に問いかける。あの時もなかなか激しいものだったが、それ以前にも何度かあったことは昴の言葉で何となくわかる。聞かなきゃいいのだが、ついつい興味本位で聞いてしまう。
「……ああ。酷い。それしか言いようがない」
小さく身震いする昴の様子にライムとシアンはつい紅葉を見る。あの時も昴はがたがたと震えていた。
ディアブロスを一人で相手にする彼をここまで震え上がらせるなんて、いったいどれほどの醜態を晒したのか。怖いもの見たさ、いや、聞きたさでシアンはもう一度昴に聞いてみる。
「例えば……?」
「……そうだな」
そして彼は語る。ある夜の一幕を。
○
その日はドンドルマの酒場でクエスト終了の労いをしていた。今回は火山のグラビモスを相手にしてきた。少し危険な場面はあったが、今日もこうして生きて帰ってきた。
「かんぱーい!」
「……乾杯」
コップを打ち鳴らして二人は同時に飲み干していく。紅葉はもちろんジュースだったが、その飲みっぷりは完全に酒のそれだ。呑めない彼女はこうして気分だけでも酒を飲んでいるようにしているのである。
「……はぁ」
「……ん?」
大きく息をついて紅葉が頬杖をついてコップを揺らす。
「ねえねえ、あたしもう酒飲んでもいいでしょ?」
「っ!?」
その瞬間昴の体が震え上がった。冷や汗を流し始め、ゆっくりと紅葉を見つめる。そして普段の彼には考えられないほど焦ったように首を振る。
「駄目だ。絶対に駄目だ」
「え~?」
「前の事を忘れたのか? あの後大変だったんだぞ……?」
「まぁそうだけどさ」
コップの底に残っている雫を飲み干してまた大きく溜息をつく。
「あれから1年だよ。大丈夫だって! あたしも体が変わって成長しているはず!」
「……外はな」
紅葉に聞こえないように呟く。実際彼女はかなり外見は成長している。
そう、主にプロポーション方面で成長した。
女性的な成長は、まあ喜ばしいことだが、中身や酒のことは別。
恐ろしい悪魔を召喚するわけにはいかない。単なる興味でパンドラの箱を開けようものならば、恐怖と絶望がこの酒場に渦巻くだろう。
「だからさ、飲んでもいいでしょ?」
「ぬ、ぬぬ……」
押しにかかってくる紅葉に昴は頭を抱えながら唸りだす。
1年呑んでいない。これによって酒に慣れるように体が作り変えられるものなのか?と疑問点がある。
変わったなら僥倖。これからはそれなりに飲めるだろう。
――もし変わってなかったら?
この酒場は大混乱に陥るだろう。
あの豹変っぷりは長年の付き合いである昴でも理解できないものだ。一体どうしてあの紅葉があそこまで狂暴化するというのか。初めての豹変の際は、彼女の背後に気で具現化したと幻視するほどのナニカが視えた気がしたくらいだ。
……そういえばあれはなんだったのだろう。二本の角が生えたナニカだった気がするのだが……。
いや、それは置いておいて、豹変する可能性があるうちは何としてでも飲ませるのは阻止しなければ。
「おぉ? 姉ちゃん、飲みたいのか?」
その時近くで飲んでいた男のハンターが紅葉に声をかけてきた。
「ん? うん、まあね」
「おいおい兄ちゃん、飲みたいなら飲ませてやらないと男としてどうかと思うぜ? 女の要求は出来る限り叶えてやらねえとな」
そう言いながら新しい酒が入ったコップを紅葉に手渡した。
「おぉ!」
「んなっ!? ま、待て!」
そのハンターにとっては単なる親切心だったのだろう。酒はみんなで楽しむもの。そこに男も女も関係ない。そういう心意気だったのかもしれない。
すでに紅葉はその酒をぐいぐいと呑んでいく。それを見て男はいい笑顔を見せた。
「おお! いい飲みっぷりじゃねえか姉ちゃん! 兄ちゃん、こんなにいい飲みっぷりをする姉ちゃんに酒を飲ませないなんていけねえ、いけねえなぁ!」
「……」
昴は男の言葉など耳に入っていなかった。その視線は紅葉に釘付けである。何度か分けてそのコップを空にした紅葉はぐいっと口元を拭う。
その顔は……少しだけ赤く染まっただけだ。
「あぁ、美味い!」
「いよっ! いいね、姉ちゃん! おい! 酒おかわりだ!」
「かしこまいりましたー」
男は気分がよくなったのかご機嫌でおかわりを頼む。男の仲間たちもその様子に笑顔を見せて混ざってくる。
そして数分後、2杯目を飲み干した紅葉に変化が訪れ始めた。
「……ぷはぁ、あ゛あ゛ぁ、美味い! おう、そこの姉ちゃん、おかわり頼むわ」
そう言いながらコップを掲げる。
口調が変化し始めた。
「……」
昴は少し紅葉をチラチラ見ながら静かに呑んでいる。その手は少し震え始めていた。そんな昴とは対照的に、男たちは盛り上がり始めている。
「なんだなんだぁ、姉ちゃん、いける口じゃねえか!」
「おう、そうだよ。あたしは充分飲めんだよ。それを昴が止めるんだよなぁ。まったく……」
「いけねえ! それはいけねえ! 飲める奴は飲んで楽しまねえと!」
「そうそう! 兄ちゃん、これからは存分に飲んで楽しもうぜ!」
「……ああ」
昴にも絡み始めた男たち。
そこで酒場の入り口が開き、数人のハンターが入ってきた。
「さぁて、酒さ……っ!?」
そこでなぜか先頭の男が固まった。
「どうし……んなぁっ!?」
後ろから続く男たちも固まる。
彼らの視線の先にはご機嫌で飲み続けている紅葉に向けられていた。昴は男たちに視線を向けると、どこかで見覚えがあるような気がした。
「あ、あ、ああああ……」
震えながら一歩ずつ出口へと向かう男たち。そして背を向けて走り出した。
「『紅い悪魔』がいるぞぉぉぉぉおおおおお!!!!」
その言葉で悟った。
恐らく前の事件の被害者の一人なのだろう。彼らの心境はよくわかる。
そして背後や一部の席でも数人のハンターたちが立ち上がった。キョロキョロと辺りを見回し、酒を飲んでいる紅葉を見て青ざめていく。
「うおおぉぉぉぉおおおお!?」
「悪魔だ!! 『紅い悪魔』がいるぞ!!!」
「逃げろおおおぉぉ!!」
口々に叫びながら逃げ出していくハンターたち。周りのハンターたちは何事かと騒ぎ出す。
そして厨房の方から誰かが出てきた。
「なにぃ!? 『紅い悪魔』だと!? どこだ!? 誰だっ!? 彼女に酒を飲ませたのはっ!?」
それは厨房の料理長なのだろう。彼は数年前の惨状をよく知っている人だ。そして紅葉を見つけると青ざめていく。
「うおおおぉぉぉぉ!! ホントに飲んでるぞっ!?」
両手で頭を抱えて取り乱し始めた。
だが彼らの心境を知らない男たちはどういうことかと紅葉を見つめる。
「あ゛あ゛!?」
その時、ダンッ!と両手で机を叩いて立ち上がる。
ちなみにその衝撃で机が凹んでしまっている。それを男たちは呆然と見つめていた。
「…………!!」
一方昴は始まった、とガタガタと震え始める。
「だぁぁぁれが『紅い悪魔』だごるぁぁああああ!?」
ゆらりと幽鬼のように歩きつつ、男のコップを無造作に掴み、そのまま中身を飲み干していく。
「……ぷはぁ! ふぅ、この可憐で可愛いあたしを悪魔呼ばわりとは失礼な……。出てこいや、ごるぁあああ!」
その気迫に料理長は厨房へと引っ込んでいった。恐らくあの対策を用意しているのだろう。昴は立ち上がってコソコソと厨房方面へと向かっていく。だがそれに気づいた紅葉が振り返る。
「おう、昴。どこへ行く?」
「っ!? あ、ああ……少しトイレへ」
「ああ、そう。邪魔したな」
それで納得したのか紅葉がうなずいた。その間に昴はトイレへと行く道から一気に厨房へと駆け込む。
「料理長! 例の物は!?」
「おお! 昴! 今用意している!」
どうやら対策は覚えていてくれたようだ。まあ、あれだけの騒ぎを起こしたのだから、忘れようにも忘れられないだろうが。
作っていてくれるならありがたい。その間に被害は出さないよう酒場へと戻ろうかと思ったときのこと。
「気安く人の尻触ろうとしてんじゃねえぞ、ごるぁぁあああああ!!」
その叫びと共に、激しい物音が聞こえてきた。
「っ!?」
慌てて戻ると、そこにはコップを片手に足を振り上げている紅葉と、それによって壁まで蹴り飛ばされたらしいハンターがいた。そして周りは呆然として見つめている。
「……ふんっ」
近くの机に置いてあった瓶を掴んで新しく注いでいると、ハンターの仲間らしい男たちが紅葉へと近づいていく。
「おい、嬢ちゃん。何してくれんだ?」
「あ? アレがあたしの尻を触ろうとしたから蹴り飛ばしたまでだ」
「それにしたってやりすぎじゃねえか?」
「……はっ、女を怒らせるとどうなるかってのを教えてやったまで。それにあたしの体は安売りしてねえんだよ。カスがッ!」
それで充分だったのだろう。男が紅葉へと掴みかかる。
しかし今の紅葉にそれは危険だ。
最低限の足運びでそれを回避し、振りかぶった右手を男の腹に叩き込んだ。
「ぐ、は……」
男の装備はコンガシリーズ。だがそんなものではほぼリミッターが外れている紅葉の拳を止められない。鎧を突き破って直に腹にめり込んでいる。
「甘いわ、クズがッ! そんなんじゃあたしを掴めねえ、ってか掴ませねえ。出直して来いッ!」
そしてまた壁へと蹴り飛ばす。その隙を突いて周りの男たちが同時に掴みかかるが、振り回した足を再び回転させると同時に身を低くし、二人を同時に足払いする。バランスを崩したところで、一人は掌低で沈め、一人は肘打ちで沈めてしまった。
それだけでなく巻き添えを食らったのか丸テーブルが何個か外へと吹き飛んで行った。外へと吹き飛ぶ人に丸テーブル……と思ったら一つのテーブルが外から返ってきた。
「力不足。帰れ、ゴミがッ!」
どんどん評価が下がっていく、というかどうでもいい。
慌てて厨房を覗き込むが、まだ完成していない。このまま被害が広がるのは阻止しなければ。
昴は息をついて紅葉へと近づこうとした。
だが、無謀な輩はまだ現れる。
「おうおう、姉ちゃん。なかなか強いじゃねえか。手合わせ願えるか?」
「あ? 手合わせ? ハッ、あたしはそんなんじゃねえよ。近寄る虫を払っただけにすぎねえ」
しっしっと追い払うようにすると、新しい酒を追加していく。というか止めろ。
だが周りは紅葉の雰囲気に飲まれているのか動けない。
「姉ちゃんの強さ、惹かれるものがある。うずくんだよ、胸の中がな」
「……このあたしに惹かれる? ハッ、言うじゃないの」
にやりと笑うとコップを机に置き、ゆらりと相対する。
するとハンターは紅葉を見て震え上がった。
「おぉ……すげえな、この気迫。射抜くようでそれでいて見下すような眼差し。腹の芯まで伝わりそうなあの拳の一撃。脳天を痺れさせるような蹴りの一撃。いい、イイぞ……! あんたこそ俺が捜し求めた女格等家……!」
そんなことを言いながら構えるハンター。気のせいなのか、どこか彷彿としたような表情をしている。呼吸も荒い。
「あんたの一撃を受ければ、どれほどの快感が……」
「……って、ただのマゾ変態かゴルァァアアアア!!」
一瞬にして距離を詰めた紅葉が男の腹に容赦のない一撃を放った。
「ご、ふぁ……おぉ、おぉぉおお……!?」
そのまま後ろへと飛ばされながらも、どこか満足したような表情をしている。
「あぁ……これが、『紅い悪魔』の……一撃、か……」
窓へと飛ばされ、それを突き破って外まで放り出される。
「つまらんもんを殴ってしまったな……」
危険だ。
この少女をこのままにしておくのは危険だ、とハンターたちは思ったのだろう。ほとんどのハンターが立ち上がって紅葉へと近づいていく。だがそれ以外はもう巻き込まれるのが怖くなったらしい。酒場から逃げ出し始めた。
飲ませたハンターたちも自分たちがどんな相手に飲ませてしまったのか。
そして昴がなぜ飲ませなかったのかわかったのだろう。
責任者として押さえ込もうと紅葉に近づいていく。
「おお、姉ちゃん……」
「あ? なんだ? さっきの人たちか」
「そろそろおちつかねえか?」
柔らかく提案するも、紅葉は薄く笑うだけ。その妖艶な笑みに男たちが口をつぐんだ。
「あたしは落ち着いてるけど? ああ、こんなにも頭は冷静さ。クソ野郎どもを殴り飛ばしているけどね、……ふふふ」
そう言いつつ、またコップに酒を注ごうとした。だが男がそれを止めようと手を伸ばしてきた。
――世界が反転した。
気づけば男は紅葉に投げ飛ばされていた。加えて腹に一発入れられ、そして意識が飛ぶ。
「さわんな、阿呆が」
それが始まりの鐘。一斉に押さえ込もうと紅葉へと向かっていく。
「おうおう、力ずくか。このっ、可憐でっ、非力なっ、10代のっ、乙女相手にぃぃ!!」
だが止まらない。何度も何度も衝撃音がし、男たちは沈められていく。それでも何とか一人が押さえ込めれば、と男たちは『紅い悪魔』へと立ち向かっていく。
「はははははははぁぁぁぁああああ!!! 甘いッ! 甘いわッ! そんなんじゃあ、あたしは止められねえぇぇ!!」
紅葉自身もいつしかこの戦いに昂ぶってきていた。楽しそうに笑いながら次々と男たちを床に並べていく。
それを呆然とした顔で昴は見つめていた。そして力なくその場に座り込んでしまう。
聞こえるのは男たちの悲鳴と、机や椅子が壊れる音。窓も破られ、壁と床には穴が開く。阿鼻叫喚ながらもどこか楽しげな声が混ざった酒場に、力なく笑い出した。
結果は紅葉の一人勝ち。
数分後には床に転がったり、積み上げられたハンターたちの体に背を向けて机に座り込んでご機嫌な様子で飲み続けている。
「……ぷはぁ、やれやれ、非力な奴らだ……」
(お前が強すぎるんだよ……)
決して口には出さずにそんなツッコミをする。そこで背後から料理長がアレを手にしてやってきた。辺りを見回して料理長も力なくうなだれる。
「……すまん」
「いや、いいよ。これ、頼むね」
それは紅葉を鎮めるための特製ドリンク。それを手にして紅葉へと近づいていく。丁度手にしている瓶が空になったので普通に渡せるだろう。
「ん?」
「紅葉。これ」
「おお、気が利くね。さすが昴!」
ご機嫌な紅葉は嬉しそうにそれを受け取り、そして飲み干していく。
あとはもう語ることはない。
効果抜群のドリンクのおかげで何とか紅葉をとめることが出来た。
そしてドンドルマの酒場に、また一つ歴史が刻まれることとなった。
『紅い悪魔、再臨』
それはドンドルマに滞在するハンターたちを再び震え上がらせる事件となったのである。
○
話が終わると、ライムとシアンだけじゃなく、周りで聞いていたハンターたちも震え上がった。前の一件はどうやらドンドルマで起きたことよりも幾分マシな方だったようだ。
「……ちなみに、紅葉にやられた奴らは、短くて4日、長くて1ヶ月はハンター稼業が出来なかったからな」
「うわぁ……」
ライムを筆頭にハンターたちも声が漏れる。
だが当の本人は乾いた笑い声を漏らしながらどこか居心地が悪そうだ。
「だから紅葉。絶対に酒は飲むな。お前もこれ以上不名誉な伝説は作りたくはないだろう?」
「あ~……、まあ、そうね。うん……」
苦い顔をしながら頬をかく。彼女もまたそれなりに自覚はあるのだろう。
「……でもさ、宴会で一人で酒じゃないのを飲むってのも、ね……はは」
その気持ちも判らなくはない。
でもそれによって生み出される被害は怖いものがあるのも確か。
だから紅葉には我慢してもらうしかない、という結論に最終的に至ってしまう。
「まあ酔いにくい酒が出ればいいのだが、それでも効果があるかもわからん。だからすまんが、我慢してくれ」
「はは、まあうん。了解。しばらくはこれで我慢するよ」
「……あっちでも頼むぞ? ほとんどの奴はお前がトラウマになった奴がいるんだから」
「善処するよ、うん」
何とかそれで落ち着いてくれた。
あとは普通の話題で宴会は盛り上がり、昴たちはココット村の最後の夜を過ごした。
○
「……はい。了解しました」
闇の中で誰かが話す声がする。その手には鳥のようなものが止まっており、その誰かはそれに向かって話しかけていた。
「白銀昴、竜宮紅葉、ライム・ルシフェル、シアン・フリージア。この四人をドンドルマにて処分しろ、という方向でよろしいのですね?」
そして鳥から誰かの元へと声が伝えられる。
「はい。先に来ていた黒崎優羅、神倉月も処分の対象ですね」
だが鳥から『否』の言葉が出る。
「……え? 神倉月は放置? ……ああ、なるほど。あの女のために置いて置くということですね。わかりました」
深く鳥に対して頭を下げる。
「ではあの五人に対して対処するという方向で。……はい、実験中のモノをあてがえばよろしいのでしょうか?」
再び鳥から言葉が伝えられる。
それを受けて誰かはうなずき、鳥を放って恭しく膝をつく。
「了解しました。我が主」
礼を受けると鳥はどこかへと飛び立っていった。
しばらく膝をついていたものは立ち上がり、少しだけ感心したようにうなずいた。
「それにしても実験中とはいえ、あのディアブロスを前にして生き残るとは、白銀昴もまたなかなかやるものですね」
彼がディアブロス好きだということは前々から知っていた。だからアレらはディアブロスを狂化させてタイタン砂漠で泳がせていた。
クエストが張り出され、彼が反応した時こそ計画が発動する。泳がせていたディアブロスを現場へと向かわせる。あとは適度に戦ってくれれば狂化し、彼を殺す。そういう流れだった。
しかし黒崎優羅の介入があって彼らは生き延びた。恐るべき悪運だ。
我々の計画は知られすぎてはならない。
長い時をかけて進まれた計画はまだ機を熟していない。狂化竜についてはまだ完全体とはいえないのだ。だから計画に近づきすぎたものは我々の手か、狂化竜の実験を兼ねて抹殺する。
「さて、準備を進めなければ」
そして誰かは闇の中へと姿を消した。
事態はドンドルマで動き出そうとしていた。