宿に戻ってきて借りている部屋の扉を開ける。
すぐにライムたちが気づいて視線を向けてきた。
「おかえりー。遅かったね。何かあったのかと心配し……」
コップに口をつけながら昴に視線を向けてきたが、ゆっくりと固まっていく。ライムとシアンも同様に昴を見て固まっていた。
いや、正しくは昴ではない。
昴の後ろにいる優羅に視線が向けられていた。
「……」
「……」
紅葉と優羅の視線が交わった。
驚きに見開かれた紅葉の目と、無感情な優羅の視線がしばらく交わっていたが、ゆっくりと紅葉が立ち上がった。
「……優羅?」
微かな声だったがそれは確かに優羅に対する問いかけだった。優羅はしばらくじっと紅葉を見つめていたが、目を閉じて小さく頭を下げた。
「……どうも。紅葉っ!?」
途中で紅葉が優羅に抱きついた。だが優羅は紅葉より頭一つ高いのでその首元に抱きつく形になった。
「よかった……。ホントに、生きてて……よかったよ……」
「……紅葉」
戸惑っていた優羅だったが、昴の視線に気づいた。どうしたものか、と優羅の無表情な顔が言っている気がしたが、昴は優しい目で見守るだけだ。
少しだけ溜息をついて、何となくその頭を撫でてみた。
「……」
「はは、まさか……優羅に撫でられる日が来るなんて、ね……」
「……アタシも驚きだけど」
幼い頃は後ろをついてくる優羅を二人でよく撫でていたものだった。紅葉は優羅を、昴はその二人をよく撫でていたが、優羅が誰かを撫でるなんてことはなかった。
それは彼女が年下であり、身長が二人よりも低かったせいでもあった。
でも今では優羅が紅葉よりも高くなっている。
だからこうして自然と紅葉の頭を撫でれるようになっている。しばらくそうやって身を任せていたが、ふと優羅の腕に傷があることに気づいた。
「……優羅、あんた、傷が」
「ああ。紅葉、手当てしてやってくれ」
「襲われたの?」
「……大したことないから」
そう言うが紅葉が中まで引っ張って治療箱を取り出した。ここは無理やり手当てをすることにした。
「なにを受けたの?」
「……スノウヴェノムの毒剣」
「……は? ちょ、解毒薬はっ!?」
その言葉に紅葉だけでなく昴たちも驚く。だが優羅は平然とした顔だ。
「……必要ない」
「必要ないって、毒剣で切られたんでしょ!?」
「……だから必要ない。アタシに毒は効かない」
切られた場所を見てみるが、確かに切り傷だけで毒が広がっているようには見えなかった。優羅の言う通り毒が効いていないのだろう。
「……なんで?」
「……さあ? 昔からだったから、アタシにはわからない」
何の感情も篭っていない声で優羅が言った。そこでじっと優羅を見つめていたライムが首をかしげる。
その様子に気づいた昴がライムに近寄っていく。
「何か気になることでも?」
「あ、ええ。気のせいだと思うんですが、優羅さんの中に微かに魔族の気配が……」
その言葉に昴たちでなく本人である優羅もライムに視線が向けられた。そして再び優羅に視線が集まる。
幼い頃から優羅を知っている昴と紅葉でさえそんなことは知らない。というより優羅の耳は人間のものだ。そして外見的特徴にも魔族のものは見られない。
どこをどう見ても人間。
だが一つだけ可能性としてあげられるものがある。
それは遠い先祖が魔族であるということ。
代を重ねていく時に人間と交じり合い、そしてそのまま人間同士で代を重ねた場合魔族である外見的特徴が失われる。
「なるほど。その魔族の特徴として毒が効かない、ということなのか?」
「……効かないとは言いましたが、実際のところは代謝や免疫力が高いせいで毒を中和する力がすぐに発揮される、というものです」
昴の呟きに優羅がそう答えた。
つまり体内に毒が侵入しようともすぐに中和効果を持つものが作られることで完全に毒の力をなくしてしまう、ということなのだろう。
「……それにしても、アタシの先祖が魔族、か……」
自分の手を見つめながら優羅がポツリと呟いた。恐らく前々から自分の代謝能力には疑問を持っていたのだろう。毒を受けているはずなのに、苦しむことはなく平然としている。人間には有り得ない力であることは優羅にはわかっていたのだろう。
もちろん昴や紅葉も驚きを隠せない。
「あたしも驚きなんだけど。ってかライム、よくわかったね」
「ええ、まあ。一応魔族ですから、相手の中にある力の波動が僕にはわかるんです。人間、竜人族、魔族とそれぞれ波動が違いますからね。優羅さん、でしたか? 彼女の中に微かに魔族の波動が混ざっていたので……。でも見た目はどこを見ても人間ですから少し自信がないのですが……」
頬を掻きながらそう説明すると、優羅が小さくうなずいた。
「……いや、たぶん合っている。アタシのこれは人間のものじゃない。両親は教えてくれなかったけど、たぶん先祖は魔族だと思う」
何度か手を握り締めたり開いたりしてそう言った。
「……それに人間にしては視力が高いし、夜目は利くし。何となく脚力も高いと思っていた。これらもそうだと思う」
「そうなのか?」
昴が腕を組みながら首をかしげると、優羅が小さくうなずいた。
「……ちなみにタイタン砂漠で昴を見たときは、距離が800メートルくらいで高低差10メートルはありましたけど、川から上がってきた昴の顔が見えましたが?」
「……有り得んな」
それは流石に人間には無理だ。
いや、かなりの野生児ならば不可能じゃないかもしれないが、通常は有り得ない。
「……それに昔から自分が人間じゃないのか、とも思ってましたから。これは丁度いい機会だ、と納得することにします」
先祖が魔族であったことを受け入れるのだろう。
そして昴と紅葉も気にした風はない。幼い頃からあの日までずっと一緒だったのだ。優羅の先祖が魔族だろうと気にすることではない。
「……手当て、感謝する」
手当てを終えて立ち上がると紅葉に頭を下げる。
「いや、いいよ。気にしないで」
「……じゃあ、アタシはこれで」
そのまま背を向けて立ち去ろうとするが、その肩に紅葉が手を置いた。
「……?」
「まあ待ちなよ。そのまま帰るつもり?」
「……」
「せっかく10年ぶりに再会したのに、それはないんじゃないかなー?」
紅葉の言葉はある意味正論と言えよう。少しだけ細められた目で紅葉を見つめるが、気にした風はなくテーブルに引っ張っていく。
「……何をしろと?」
「まあ、飲め。そして食え。積もる話も山ほどある。飲み明かそうじゃん?」
「……」
「ちなみに追加はここにある」
昴がローブを広げ、中からどんどん追加で買ってきたものをテーブルに置いていく。それをじっと見つめていた優羅が溜息を一つついてローブを脱いだ。
下からあの和服が現れ、優羅の見事なプロポーションが現れる。
「んなっ……!?」
「……?」
それを見た紅葉が唖然としている。気のせいかシアンも優羅の体に釘付けになっていた。そして純情なライムは少し赤くなって視線を逸らしている。
「……なにか?」
「いやはや、1歳の違いだというのに、それはないだろう、と」
「……」
ああ、この体のことか、と優羅がどうでもいい風にローブの中に手を入れた。取り出したのはもちろん優羅のお気に入りであるフラヒヤ酒。
ちなみに優羅のプロポーションだが、身長は170cmほど、胸は辛うじて紅葉に及ばず、下では紅葉に勝っているというもの。
18歳でこれでは紅葉が驚くのも無理はない。というより、紅葉が今のプロポーションになったのはこの数年前。つまり今はもう成長は止まっている。だが優羅はまだ成長しそうな気配が微かにある。
来年になったらいったいどれほどの体つきになっているのだろうか、と少し未来に危機感を持っていた。
一方シアンは紅葉に並ぶ、いやたぶん勝っているであろう優羅の体にある意味の尊敬を持っていた。二人の差は2歳だが、体型的な差は歴然。いや、もしかすると将来的に胸では勝つかもしれないが、それではハンターとしてはある意味致命的になりえる。というか、身長があのままだったら確実に邪魔だろう。
目標としている紅葉と、それに並ぶほどの優羅。
果たしてどっちが理想的なんだろうと、ここに来て悩みだしてしまった。
対して男二人はどこか居心地の悪さを感じていた。
純情なライムは紅葉と優羅のプロポーションを前にして赤くなっており、昴は隣に座っている優羅と、対面にいる紅葉の妙なぶつかり合いに縮こまっている。
「……んく、はぁ……」
「…………」
ちなみに優羅はもうフラヒヤ酒を3杯飲んでいる。しかし酔った気配がない。恐らくこれも代謝能力によるもので、飲んだ後にすぐに分解されていると考えられる。だから少しだけ赤くなるだけで酔わないのだろう。
「……飲まないんだ」
「……」
優羅の何気ない言葉に紅葉がぴくりと反応した。
いや、紅葉だけじゃない。
昴たちも体を震わせた。
「……ああ、まさかとは思うけど、巷の酒場で噂になっている『紅い悪魔』って……」
「……んぐぐ……」
何やらコップが震えている。
「……なるほど。あれが紅葉だとは……。かなりの酒乱で暴君、と聞いている」
「わ、悪かったわねぇ!! あたしだって好きでああいう風になったわけじゃないわよっ!」
だんっ! とコップをテーブルに叩きつけながら叫ぶが、優羅は表情を変化させずに紅葉を見つめるだけ。
「……普通酔ったらその人物の内面が表に出るという。紅葉の場合なら泣き上戸だと思うが?」
「あ、あたしが知るわけないでしょうがッ!」
確かにそれは昴も思っていた。というより何度も何度も疑問に思ったこと。
なぜ寂しがり屋の顔ではないのか、と。
もしそっち側が出てきてくれたら、こんなにも悩むことはなかったというのに。
「……よもや後から作り上げた性格が最大限に出るとは、……ふっ、世も末な」
どこか見下すような目でそう言いながら鼻を鳴らしている。
隣にいる昴は気が気でならない。
というかこの娘、紅葉を挑発していないか?
「……あんた、なんか性格変わってない?」
「……10年も経てば人は変わると思うけど?」
何やら二人の視線がぶつかり合って火花を散らしていないだろうか?
こんな光景は10年前には見られなかっただけに、新鮮というか、あるいは見たくなかったというべきか。
とりあえず肩身が狭い。
「まあ、とりあえず体が成長しているのは喜ばしいことかな?」
「……どうも。紅葉も充分成長したようで」
その胸に視線を向けて優羅が呟きながらフラヒヤ酒を飲み干す。
そしてすかさず新しく注いでコップを満たしていく。ちなみにこれで8杯目だ。
「これ? まあそれなりに、ね。ってかあんたの身長、有り得なくない?」
「……アタシが知るわけない」
女性が170cm近くなど、普通はなかなかない。とはいえ、昴たちの知り合いにもう一人いることにはいる。
それは神倉月。彼女も女性にしては身長が高い方だ。恐らく優羅と並べばそんなに変わらないと思われる。
「……アタシは別に体つきがよかろうがどうでもいいんだけど」
「うわ~……。年頃の女でそれはないでしょ……」
ジト目で優羅を睨むようにしているが、当の本人は気にした風もなくフラヒヤ酒を消費していく。昴もチラッと優羅を見つめてみる。
男の昴としても今の言葉は少しどうか、と思ってしまったのだが、その無表情な顔を見てみると本当に気にした風がない。
「……?」
そして昴の視線に気づくと、フラヒヤ酒の瓶を軽く揺らした。
「……いります?」
「あ、ああ。いただこう」
うなずくとコップにフラヒヤ酒を注いでいく。その様子を紅葉がジト目で見つめている。飲めない紅葉はその様子を見守るしかない。
「あ、あのぅ……」
そこで紅葉の隣に座っているシアンが恐る恐る手を挙げる。
「……?」
最後の液体をコップに注ぎ終えると横目でシアンを見つめる。だがやはりそこに感情はなく、ぼうっとシアンに視線を送るだけだ。
「えっと……黒崎優羅、さんでいいんですよね?」
「……」
その質問に優羅が微かにうなずいた。
「黒崎さん……優羅さん……」
「……どっちでもいい」
どこかどうでもよさそうに言いながらローブの中に手を入れた。そのまま新しいフラヒヤ酒を取り出す。その様子にシアンがどこか困った顔で昴を見つめる。しかし昴はそのまま続けていい、という風にうなずいた。
「じゃあ優羅さん、で」
「……」
その呼び方に優羅がうなずいた。
「優羅さんもハンターなんですよね?」
「……」
最後の中身を飲み干してうなずいた。続くように蓋を慣れた手つきで片手で抜くと新しく注いでいく。というか、飲みすぎじゃないのだろうか?
「聞いた話では『孤高の銃姫』という通り名らしいですけど、ボウガンは何を使ってるんですか?」
「……ライトボウガン」
あの時蒼桜の対弩を使っていたからそうだろう。目もいいようだから彼女にあった武器といえよう。加えてあのような体の使い方をしている。まさに優羅でしか出来ないようなライトボウガンの使い方だった。
「ライトボウガン……ですかぁ」
「『孤高の銃姫』と呼ばれているだけに、ずっと一人でクエストをこなしてきたらしいよ。凄腕なのは間違いないと思うけど」
ライムの言葉にシアンがほうほうとうなずく。一方優羅はどうでもよさそうにまたフラヒヤ酒に口をつけている。
「ライトボウガンで一人でクエストをこなすのって難しいんですよね?」
「……もう慣れた」
「慣れた……ですか。いったい何年ハンターをしてるんですか?」
「……10年」
どうやら昴と紅葉と同じ時間ハンターの経験を積んでいるようだ。そしてライムとシアンは優羅の年齢を思い出して青ざめ始めた。
「……8歳から、ですか?」
「……そう」
小さくうなずいて再度呑み始めた。
だが9歳から始めた昴たちより、8歳から始めた優羅のほうが辛いだろう。あの頃の優羅から変わってしまった優羅。
本人が「色々あった」と言っていたが、本当に色々あったに違いない。
それからも少し質問を繰り返したが、優羅は短く淡々と答えるだけだった。そして質問は彼女の過去にはあまり触れることはなかった。無理に聞き出すことはない。
変わりに昴たちの事を話すことにした。優羅は無表情で聞いていたが、時折相槌を打っていたので聞き流しているわけではなかったようである。
そして優羅の話題から先ほどの暗殺者、あれは『
あれの目的は優羅の殺害。そして昴たちの殺害。
狂化竜を作り出した集団に属する者と見て間違いないだろう。自分のことを『俺様』と呼んでいるからには中身は男だろうが、狂人という点では間違いない。
「人払い……ですか。それは確か魔族の集落の周りなどに使われる魔法ですね」
ライムがアヴェンジャーの使用したあの魔法について説明する。
「呼んで字の如く、人を寄せ付けない魔法です。かの時代から姿を消したほとんどの一族は色んな場所に散っていき、集落を中心に半径数百から数千メートルの円状で行使していますね。所謂結界、と呼ばれるものに近いです」
これによってほとんどの魔族は人の目に触れられないようにしている。彼らは人の世からほぼ完全に交流を断ってしまっていた。それは自分たちが持っている魔法をあまり世に広めないための処置である。
「効果は至ってシンプルです。人々の精神に少し干渉し、ここから先へは入る必要がない、と思わせることで足を踏み入らせないようにしているんです。……それを気力で突破する辺り昴さんは凄いですよ」
「いやいや」
謙遜するように昴が首を振るが、あの時の昴は確かに気力で突破していたのでライムの言葉は一理ある。普通は結界破りなどを使って突破する。または高い魔力や気力を持つものならば、あるいは強引に突破することも可能だ。
普通の人間である昴が後者で破るのはライムにとって驚きに値する。
「アヴェンジャーはこれ以上首を突っ込むな、と言っていたが、それは無理な相談だな」
「そうね。ああいう風にやってきたってことは、あたしたちは着実に奴らに近づいているってことなんだから」
「……アタシはただ出くわしただけなんだけど」
優羅の言うことは間違っていない。優羅は偶然その場に居合わせただけだった。だが目撃し、倒したというオプションがついてくる。だから殺しにきたのだろう。
「優羅も危険だし、どう? あたしたちと一緒に行動しない?」
紅葉が優羅を心配するようにして提案した。だが昴の予想通りと言うべきか、優羅はフラヒヤ酒を飲み干して首をふった。
「……いい。アタシは一人で大丈夫だから」
「でも、あんた狙われてるんだよ?」
「……一人の方が慣れてるから」
新しく注ぎなおしながら素っ気無く言い放つ。
集団で行動するのではなく、今までと同じく一人で行動するのを好む。それが彼女だった。
昔のように後ろをついてくる彼女はもういなくなっていた。
「一人でって、今日昴がいなかったら死んでたかもしれないのよ?」
「……」
そこで優羅の手が止まった。彼女にも少しは自覚があったのだろう。昴が入らなかったら鎌威太刀で首を刎ね飛ばされた可能性がある。だがそれでも彼女は縦には振らなかった。
「……それでも、アタシは一人でいい。それにこのチームはもう4人集まっている。アタシが加わるのは無理な話」
「そ、それは……」
この世界にはある逸話がある。
その昔ココット村の村長があるクエストを5人で行った。そのクエストは達成されたが、その引き換えに村長の美しい婚約者が死亡してしまったという。それからはクエストを5人で行うと誰かが死ぬ、というジンクスが生まれてしまった。
優羅はそのことを言っているのだろう。
「……心配しなくていい。今までも一人で切り抜けてきた」
「それとこれとは別でしょ!? あたしはあんたの命を心配してんのよッ!?」
「……」
紅葉が優羅の胸倉を掴んで眼前で叫ぶ。だがそれでも優羅の表情は変わっていなかった。ただじっと無表情に紅葉を見つめるだけだった。
「……」
「……あんた、ホントに変わったわね」
「…………っ」
そこで初めて優羅の目が微かに横に揺れた。彼女なりに思うところはあるのだろう。だがそれでも自分の道を曲げて集団の中にいる気にはなれない。
恐らく彼女の過去と彼女の心が『
そして紅葉もそれに気づいてしまったのだろう。重い溜息をついて胸倉から手を離した。
「はぁ、わかったわよ。好きにするといい。でも、時折あんたのところに行くからね?」
「……ん」
それに関しては優羅はうなずいてくれた。どうやら行動するのは駄目で、一緒に過ごす、という点においては多少は構わないということらしい。
とりあえず明日からはまた別行動になりそうだった。だがこうして再会したのだ。また時折こうして集まる機会があるだろう。
そして昴はこれからもこうして共に過ごすことで、少しでも優羅が馴染めるように願っていた。一人でいるのは寂しいものだ。慣れたかもしれないが、それでも人は一人では生きていけない。
ここにいるメンバーに馴染むことで彼女の凍てついた心が解けてくれるならば僥倖だ。
そんな風に考えながら酒を飲み干していく。
今はこうして宴会をしている。
ならば今は楽しまなければならない。この日は朝まで飲み明かすのだった。
○
ドンドルマの西部の裏通り。
夜も更けており、表通りもほぼ静けさに包まれていた。
そんな道裏通りの暗い場所に二つの人影があった。
「ヤレヤレ、マサカアソコデ現レルトハナァ……。白銀昴、侮レネェ……」
「大丈夫? どこかけがは?」
アヴェンジャーを気遣うように、少女の声が響いた。
「オオヨォ、俺様ハ問題ネェ。クッヒッヒヒヒヒ……、ムシロアノ殺気ガ心地ヨクテ、ソッチノ意味デ昇天シソウダッタゼェ……イーッヒッヒッヒヒヒヒ!!」
どこか面白そうな声色でそう呟く。その様子を少女はどこか嬉しそうに見つめていた。
「楽しめたのなら何よりだよ」
その少女は青いローブに身を包んでおり、その素顔は窺えない。だが少々小柄であり、アヴェンジャーを見上げる形になっていた。
そこで新たな人影が現れる。それは無言で二人に近づいていくと、アヴェンジャーが気配に気づいて振り返った。
「……」
「ン? オォ、オ前モドンドルマニ来テイタノカ」
「なかなか楽しんだようだな?」
「マァナ、オ前モ来タトイウコトハ、次ハオ前モ殺シニ混ザレソウダナァ? ヨカッタナァ? 人ヲ斬レルンダカラヨォ……クッヒッヒヒヒヒ!」
「……ふん。私としてはどうでもいいんだけどな」
興味なさ気にそっぽ向く。
「クッヒッヒヒヒ、相変ワラズダナァ、オイ? マァ、ソノ方ガオ前ラシイガナァ、ヒヒヒヒヒ! ッテイウカヨォ、ホントニ似テルナァ、オメェラ」
「ん?」
「イヤ、『孤高ノ銃姫』トオ前ガヨク似テイルンダヨネェ。気ガ合ウカモナァ? クヒッ、クヒヒヒヒヒ……!」
「……ふん、どうでもいい」
肩を揺らして笑うアヴェンジャーから完全に興味がそれたようだ。隣にいる少女に視線を向ける。
「ひさしぶりだね」
「ああ」
丁寧に頭を下げる少女に軽くうなずくとまたそっぽ向く。相変わらずの様子に少女は少しだけ苦笑を漏らした。
「サァテ、コノ3人ガ揃ッタンダァ……。近イ将来更ナル殺シ合イニナリソウダナァ、オイ!
「黙れ。こいつの前でシモの話はするな、カスが」
ジロリと睨みつけるが、もう遅かった。少女が小さく首をかしげて見上げてくる。
「……抜くって、何を抜くの?」
少女の無垢な問いかけが来ると、ローブの中に手を入れていく。
「おい、斬ってもいいか?」
「マァ待テ。今俺様ヲ斬ッテモシャーネェヨ」
「……」
それを聞いて逆再生をするようにローブから手を抜いていった。
「今ハマダ待機ラシイ。命令ガ下ルノヲ待ッテクレ、ッテ話ダ」
「……わかった」
「わかったよ」
「ロストハ変ワラズ、アソコニ溶ケ込ンデクレヤ」
アヴェンジャーの手が優しく少女の頭を撫でていく。それは狂人と言われる彼には考えられない行為だったが、少女はいつもそうしてもらっているように身を任せていた。
「……じゃあ私は行く。何かあったら呼べ」
「オォ、マタイズレ」
「お疲れ様でした」
その後姿を見送って二人はしばらくその場に佇んでいた。
「サテ、俺様タチモ行クカネェ……」
「はい、お兄ちゃん」
「マタ日常トヤラガヤッテクルノカ……。アァ、アノ演技ヲスルノモ疲レルンダヨナァ……」
首や肩を鳴らしながら歩き出すとその後ろを少女がついてくる。そのまま横に並ぶと、ぐっと両手を胸の前で握り締めた。
「お兄ちゃん、頑張ってね。いつか復讐を果たすその日まで」
「ああ、わかってるさ」
仮面を取りながらアヴェンジャーが呟いた。仮面をローブにしまいながらうっすらと笑みを深くしていく。
「俺様の復讐が果たせるまでは、演じ続けてやるさ。……ふっ、奴らを欺き続ける、というのも興に乗ってきたもんだからな。……クックッククク……!!」
その声は男のものだったが、その笑いはまだ狂人のそれだった。二人の姿は夜のドンドルマへと消えていく。
○
同時刻、ドンドルマ東部の建物の上に二つの人影があった。
夜風に吹かれながら街を見下ろす二人の姿はどちらもローブに身を包んでいる。
片や赤いローブを、片や金地に黒の縞模様をあしらったローブを纏っている。
「久々に来たものだな、ドンドルマとは」
「どれくらいぶりで?」
低い声色で呟かれた言葉に、若い青年の声が静かに問いかける。
「ふむ……、かれこれ100年は来てないと思うな」
「100年か。さすがは親父だな。時間の感覚が有り得ねえ」
「ふん、長生きすれば時間なんざどうということでもない」
少しだけ肩を揺らしながら男が言うと、隣にいる青年はやれやれという風に首を振った。
「お前も長生きすればわかる」
「んー、まぁ80年じゃあ足りねえか?」
頭を掻きながら言うと、男が首を振る。ローブの中から手を出して3本立てる。
「軽く300年は生きろ」
「いや、俺には無理じゃね?」
「くっくっくっく……」
青年には普通の言葉に男がおもしろそうに肩を揺らしながら笑うと、二人の背後に一つの影が降り立った。
「やあ、久しぶりだね」
「ん?」
「……おう、久しぶりだな」
そこにいるのは月だった。相変わらず蒼いローブを纏っており、微笑しながら二人に近づいていく。
「んん? もしかして噂の月、さんか?」
「おや? そこにいるのは?」
「ああ。オレの……息子みたいなもんだ」
「ほう、息子さん?」
ツキが興味深そうに青年へと視線を向ける。
「どうも。80年前に親父に拾われたモンです。名は
ぺこりと頭を下げる雷河に、月も頭を下げた。
「これはご丁寧に。神倉月です」
80年前に拾われたと言う割には、ローブの下にある青年の顔は若々しい。それは彼が人間ではないことを示していた。
「しかし君が誰かを拾って育てるとは、昔では考えられないことだね」
「……まあ、色々あったからな」
小さく苦笑すると改めてツキと向き直ると男がローブの下で真面目な顔をした。その深い蒼の瞳がツキを見据えている。
「朝陽が動き出しているぞ」
「……そう」
「加えて仲間も数人このドンドルマに紛れているようだな」
「ああ、それは知っている。……しかし、本当に彼らの背後には本当に朝陽がいるのかい?」
願わくばそうでありたくはない、と思っていたようだが、現実はそうは甘くはなかった。男はうなずいた。
「ああ。確かに朝陽がいる。それは雷河が確認している。加えてオレも微かにその力の波動を感じた」
「……そうか」
どこか残念そうで、しかし覚悟を決めたような表情で呟いた。ずっと探していたものがようやく見つかった。ならば、それに向かって進んでいくだけだ。
「その朝陽の仲間と思われるのは二人確認済みです。まずは狂人で戦闘狂と思われる『
「なるほど。通り名から何やら名前がないようだが、意味があるのかな? それとも何らかの魔法の使い手かな?」
「んー、俺にはわからねえっす。親父、あんたにはわかるか?」
隣にいる男に振ってみるが、また低く笑ってこう答えた。
「オレに振っても意味ないと思うがな。通り名の意味を聞かれようともオレにはわからんし、魔法に関してはオレは知っているものしか答えられん」
男が首を振りながら言うと雷河は納得したようにうなずいた。
「君は知識や魔法よりも体術向きだからね」
「その通り」
月の言葉に男はその通りだといわんばりに大きくうなずいた。そして背後に広がる街を見下ろす。
「ところで、奴らが早速行動に移したが」
「ああ、私も気づいていた。だが昴の介入で何とか切り抜けたみたいだけどね」
「……ふっ、あの小僧と小娘も成長したものだな」
「おや? 二人を知っているのかい?」
少しだけ驚いたように問いかけると、男は小さくうなずく。
「小僧と小娘が幼い頃に会っている。小僧は村が滅びた時に、小娘は……壊れかけた時に」
「……ああ、あれは君だったのか」
どうやらこの赤いローブの男こそ昴たちが幼い頃に会った人物のようである。それが月の昔からの知り合いと知れば、昴たちはどういう反応をするだろうか。
「俺は遠目からしかあの嬢ちゃんを見たことねえけどな」
「まあ雷河もいつか会う機会があるだろう。だが今は奴らの目的を探らねばならん」
「そうだね。朝陽が何を思って狂化竜を作り出しているのか」
それを探らないといけない。
まだしばらくは世界を回りそうだった。
「君たちはこれからどうするんだい?」
「もう一人仲間がいそうなんっすよ。だよな、親父?」
「然り。そのような疑いがある」
「だからその正体を探るという意味でドンドルマにしばらく滞在する予定ですわ」
雷河が頭に被っているフードを取りながら言った。
そこにあったのは無造作に跳ね回った金髪に肩を超えたところからゴムで縛ってそのまま流している。そして頭の両側には後ろに少しだけ曲がった角があり、耳は少し長めに尖っている。
「……これはこれは、先ほどから気になってはいたが、君も随分と珍しい少年を拾ったものだね」
「そうだろう?」
「ああ、やっぱ俺って珍しい存在?」
どこか嬉しそうな声で言いながら首をかしげ、跳ねた金髪をわしわしと掻いている。そのまま何故か自分の存在をアピールするように色々なポーズをとり始めた。実に愉快な青年だ。
「当然だろう。君みたいな存在、この800年の間で見たことがない」
その言葉は恐らくイコール年齢に近いだろう。青年の金色の目がツキから隣の男へと移される。
「800年って……親父は確か……?」
「900年だな」
どうやら月よりも長く生きているらしい。どうやら男もまた竜人族のようだった。
月がフードの下にある男の顔を見つめて懐かしそうに微笑した。
「……ふ、最後に会ってから100年たったけど。それでもやはり変わらないね」
「そうだな。だがそれが我々というもの」
竜人族は長命の種族。人によれば1000年を軽く生きるものもいるが、それでも外見的には若いままというのもよくあることだった。
その反面繁殖力に乏しく、人間と比べればその数は少ない。それが長命の種族の特徴。
100年を経た時間を過ごしても、どうやら二人は外見的な変化はあまりないようだった。
「じゃあ、私は行くよ。昴たちと朝陽のこと、よろしく頼む」
「ああ。出来うる限りのことはしよう」
その言葉にうなずき、月はその場から消え去った。
残された男と雷河は再び街を見下ろした。少しだけ無言の時間が流れたが、雷河がポツリと呟いた。
「……いいのか? まだ言っていないことあるじゃないの」
「……ああ。アレに関しては月には言う必要はない。アレはオレの問題だ」
それにライガが溜息をついた。
「ホントにいいのかねえ? マジでやっちまったら、世界、終わるかもしれないぜ?」
「そうなったらそれまで。だがさせはしない。奴の思い通りに事を運ばせるわけには行かないからな」
蒼い目を細めつつ口元に微かな笑みを作りながら呟いた。そして隣にいる雷河に視線を向ける。
「悪いな、雷河」
その顔はどこかすまなそうな表情をしていたが、雷河はニヤリと笑う。
「何謝ってんだ、親父? 俺は別に構いやしねえよ。そこに戦いがあるなら俺は喜んで参加してやらあ」
「……そうか」
実に楽しそうな表情をすると男の肩を軽く叩いた。
「おう。だから俺はいくらでも首を突っ込んでやる。親父の目的が果たせるように、飛び回って戦ってやるよ。俺は親父に拾われたんだ。親父のために動いてやるよ」
「……そうか。ならいい。だがしばらくは傍観続きだ。後ろにいる奴の尻尾を掴むまでは、な」
「おう。不完全燃焼になるかも知れねえけど、了解したぜ」
そして二人もその場から跳躍して街へと降り立った。
ここドンドルマに、それぞれの思惑が絡み合う。
――その時は近かった。