意識を集中させ、触れている紅葉の頭から彼女の中へと干渉していく。
粒子を纏い、彼女の気へと意識を触れていく。
これから行うのは紅葉の精神へと飛び込む魔法。
遥か昔に他所から伝えられた本物の魔法。
眠っている彼女は落ち着いた呼吸を繰り返している。その呼吸を感じつつ、目を閉じたまま意識を集中する。
(……見つけた)
彼女の精神の波動。
彼女の色は赤。
燃えるような炎の赤。しかしそれは揺らめき、本当に炎を思わせる。
活発的な彼女を表しているものだ。
その赤い波動へと意識を伸ばしていく。
私の気の色は蒼。
深い海のような蒼。
遥かなる高みに位置する夜の空のような蒼。
彼女の赤へと蒼い糸を伸ばすようなイメージで彼女に近づいていく。
(――
私が行うのは例えるならば、二つの歯車が噛み合うようにする行為。
まったく違う歯車だが、その歯の大きさが合っていれば二つは繋がる。そのまま一緒に回り始める。
そんなイメージだ。
私の気と彼女の気。
異なる色に気質。
噛みあうはずのない二つの気を繋げるために、私は集中して彼女の気にあわせるように調整しつつ意識を伸ばす。
(――
このような魔法は習得するのは難しい。
この魔法自体が難しいだけではない。
人々がこれを行使するための力の使い方が理解できないのだ。
自然を操るのが私たちの魔法。
だがこれは人の中に干渉するための魔法。
これが知られた当時、使えるのはその魔法を行使した者だけ。周りの魔族はそんな魔法を習得しようなんて思いもしなかった。
だがその魔法の特徴が説明され、それから派生した人払いの利用性を知ると、少しずつ浸透していくようになったのだ。
かの時代に現れたその魔法を行使した者。
思えばその頃から魔法が少しずつその数を増やしていったことだろう。
(――
蒼い糸が紅葉の精神に触れる。
あとはその精神へと私が糸を伝って飛び込むだけ。
目を開けて隣に立っているシキに目を向ける。
相変わらず仮面をつけているが、恐らくその表情はあの頃と変わらぬものだろう。
「では、行ってくるよ」
「ああ」
(――
では行くとしよう。
なんとしても彼女を連れて返らなくてはならないからね。
○
目を開けると、そこは一つの村だった。
辺りを見回すと、懐かしい空気が鼻をくすぐる。東方独特の自然の匂いだった。
山の匂い、木々の匂い、そして近くを流れる川の匂い。
なんだかとても懐かしい感覚だった。
突然現れた月に周りの人々は驚くことはない。
当然だろう。
これは紅葉の精神世界。わかりやすく言えば紅葉の記憶の世界。または、記憶を元に作り上げられた紅葉の夢や劇、とでもいうのだろうか。
月はその劇に入り込んだ異分子。
つまりは登場人物、役者じゃない。
日常と言う名の劇を演じる役者は村人たち。監督、脚本は紅葉。
観客なんて存在しない。紅葉が納得するように劇は進み、世界は回り、そして繰り返される。
いうなれば、紅葉はこの世界の神である。
だがもう夢は終わりだ。
この世界を終わらせるために月はやってきた。
村を歩くこと数分、幼い紅葉と昴が見つかった。
紅く染まった背中まで伸びたロングヘアーに青いリボンをしており、薄紅色の着物を着ているのが紅葉。そして黒髪の跳ねた髪に、黒い着物を着ているのが昴だろう。シンプルなのが彼らしい。
だが様子がおかしい。
「ひぐ……えぐ……」
「……泣くな」
家の前に座り込んで泣いている紅葉に、その前で屈みこんで困ったような顔で昴がなだめている。
「だって……だって……ひぐっ、お父さんも、お母さんも、まだ帰ってこないよ……」
「そうだけど、その代わり俺が一緒にいてやるから。……な? 泣くな」
優しく語りかけながら頭を撫でてやる。
「……なるほど」
どうやらトラウマが知られた当時なのだろう。
恐らく両親が帰ってこなくてトラウマが発動してしまったその次の日、といったところだろうか。朝起きて家に戻ったが、まだ両親が帰ってこないので泣き出してしまった。
それを追いかけてきた昴がなだめている、という場面と思われた。
「……ホント?」
「ああ。だから泣くな。いつまでも泣いていたら、……俺が困る」
少し視線を逸らしながらポツリと呟いた。
どうやら泣いている女の子を前にして、どうしたらいいのかわからない、というところだろうか。昴はこの当時から不器用だったのは本当のようだ。
そんな昴に思うところがあったのだろうか。涙を吹いて顔を上げる。
「……うん、わかったよ。ぐし……だから昴、行かないで……」
「……行かねえよ。一緒にいる、と言っただろう?」
「うん。……ありがと、昴……」
少しだけはにかみながら紅葉が涙を拭く。それを見てまた昴がそっぽ向いた。少しだけ頬が紅いところから見ると、少し恥ずかしがっているらしい。
やがて泣きやんだ紅葉が立ち上がり、二人は手を繋いで歩き始める。
その光景が終わると、世界が変わっていく。
「……次のシーンか」
月の呟きに合わせて世界は家の中へと変わっていった。
窓の外は夜。
布団に潜っている紅葉がそこにいる。彼女の両隣には両親だろうか。大人の男女が眠っていた。
「……昴」
世界に声が響く。
それは眠っている紅葉の心の声なのかもしれない。
月は近くにあった椅子に腰掛け、紅葉を見下ろした。
「いつも一緒にいてくれる。いつだって一緒に……」
それは彼が紅葉の両親に頼まれたから。
トラウマの事を知っているから、それを刺激しないように、寂しがらせないように一緒にいる。
でも月はわかっていた。
それを抜きにしても彼は紅葉と一緒にいるだろう。
頼まれたからだけではない。
彼がそうしたいから、一緒にいてやっているのだ。
「……昴」
「…………」
「わたし、変わったほうがいいのかな」
変わるとは、どういうことだろうと月が首をかしげる。
「……うん、変わろう。いつまでも寂しがって、うじうじして、昴を困らせたくない」
「……ああ、そういうことか」
「このまま続けても昴は一緒にいてくれる。……でも、それだけじゃダメだよね。……よし。わたしは……ううん、あたしは明日から変わってみよう」
それが紅葉が決意した瞬間だった。
そしてまた世界が変わる。
現れたのは恐らく次の日の朝だろう。
昴の前に紅葉が立っている。
その表情はどこか快活そうなイメージがある笑顔だった。そして前日まで背中まであった長髪が今では肩の所で切りそろえられている。
それを見ている昴が少し戸惑ったような顔をしている。当然だろう。昨日まで長髪だったのに、突然短くなっている上に、彼女の様子が変わっているのだから。
そんな昴にぽん、と肩を叩いて挨拶する。
「おはよ! 昴!」
「……おう、おはよう」
そんな紅葉に少しだけ戸惑いながらも挨拶すると、紅葉が首をかしげた。
「どしたの?」
「……いや、お前がどうした?」
昨日と今日の違いに戸惑っていると、頬を掻きながら苦笑する。
「……うん、なんていうか、さ。ちょっと変わってみようかと」
「変わる?」
「うん。いつも昴に気を遣わせちゃってたじゃない? いつまでもそんなんじゃ、さ、あたしもダメだと思ったの」
「いや、別にいいんだけど」
しかし紅葉は首を振った。
そしてまた笑顔を見せる。
それは今まで以上に明るく、紅葉の決意を表すかのような笑顔だった。
「もう決めたんだ。あたしは変わってみるよ。泣き虫な紅葉は昨日で卒業、ってね」
「……」
「今までありがと。そして、これからもよろしくね。昴!」
「…………おう。よろしく」
その決意を壊すわけにはいかない、と思ったのだろう。昴は紅葉の笑顔に応えるように笑みを浮かべた。
それが紅葉が変わった日。
そして同時に、トラウマを覆い隠すような快活な人格と言う名の外殻を心の中に作り上げ始めた日でもある。
これが大きくなっていき、いつしか地となって今の紅葉を生み出したのだろう。
世界がまた変化していく。
いつものように二人が遊んでいる。
その姿が先ほどよりも成長していることから、恐らく半年か一年後の光景なのだろう。
辺りを見回すと、離れたところで人影が見える。
「あれは……」
家の影に潜んでいるが、こっそりと顔を出して二人を見つめている。
黒いセミロングヘアーに、赤い垂れ目をした少し小柄な少女だった。藍色の和服に菫の花が描かれた、落ち着いた印象を持つ和服を着ている。
そんな少女が遊んでいる二人をどこか寂しそうに見つめている。
そこで昴が何気なく後ろを振り返ると、少女は慌てて引っ込んでしまった。
「ん? どしたの?」
「いや……誰かが見ている気がしたんだけど……」
そこで紅葉もそちらに目を向ける。
隠れているが、黒髪が少しだけ陰から出てしまっている。
「ホントだ……」
二人でじっと見つめていると、紅葉が小さくうなずいてそちらへと駆け出した。
「……っ!」
少女は紅葉が近づいてくるのを感じてそこから離れようとするが、腕をつまれて止まってしまう。そして紅葉が顔を覗き込んでみると、少し驚いた顔をした。
「あれ? あんたは確か……」
「……う、うぅ……」
「黒崎……優羅?」
「…………」
「やはり優羅だったか」
その光景を見つめていた月がうなずきながら見守る。
しかしこうしてみると違和感が大きい。
本当に幼い頃に比べて変わってしまったようだ。
今でこそ無表情で素っ気無いが、そこにいる優羅はとても大人しそうだ。紅葉に見つめられて、慌しく視線をあちこちに彷徨わせている。何かを言いたそうだが、言葉にならずに引っ込んでしまう。
「ん~……ねえ、あたしたちと混ざりたかったりする?」
「……え、あ、えと……」
口元に手を当ててまた言葉が引っ込んでしまった。どうやらかなり内気らしい。自分の気持ちをうまく伝えられない性格のようだった。
そんな様子を見ながら紅葉は考え始める。
ずっと自分たちのことを見ていたとするなら、混ざろうと声をかけようとしたが無理だったのかもしれない。それに優羅の様子がどこか昔の自分に重なるような気がしたのだ。
「よし、こっちきなよ」
「……え!? あ、まって……」
「いやいや、待たないってね!」
そのまま優羅を引っ張って昴の元へと帰ってくる。
待っていた昴は、優羅を連れて戻ってきた紅葉を見ると、頭を掻いて溜息をつく。
「おいおい、無理に引っ張ってきたのか?」
「ん? だって、寂しそうだったしさ」
「……あ」
優羅は昴と目を合わせると、また慌てて視線をあちこちに彷徨わせてしまった。
そして昴の前に連れてくると、にっと笑って優羅の肩に手を置く。
「ね? あたしたちと混ざりたかったんでしょ?」
「……う、あぅ……」
「ふぅ……やれやれ」
縮こまってしまう優羅を見て昴は苦笑する。どうやら優羅が内気だと気づいたのだろう。となれば、彼女から言わせるのではなく、こちらから誘うしかない。
昴はそっと手を差し出した。
少し戸惑いがちにその手を見て、そして顔を上げると、少しだけ口元に笑みを浮かべて昴が名乗る。
「俺は昴。白銀昴」
「……あ、え、と……」
また視線を彷徨わせるが、ぐっと目を瞑ってその手を取った。
「……黒崎……優羅、です」
「ん。よろしく」
その手を握り締めると、優羅が真っ赤になってうつむいてしまった。
その様子に満足そうにうなずいた紅葉が、二人の手の上から自分の手を重ねた。
「そしてあたしが竜宮紅葉。よろしく、優羅!」
「……あ、はい。……よろしく、お願いします」
それが三人の初めての出会いだった。
それから毎日三人で集まり、色々なことをして過ごしていくこととなった。そんな光景が断片的に流れ始める。
それに乗せるように、世界から紅葉の声が響き始めた。
「聞けばあの日だけじゃなくて、前々から遠くからあたしたちのことを見ていたんだってさ。いっつも一緒にいるあたしたちが羨ましかったんだって。……そして優羅が一番見ていたのは、昴だったんだとさ。それは後から本人から聞いた話」
「……おやおや。それはそれは」
思わぬエピソードを耳にしてしまった。苦笑しながら月が世界を眺める。
色んな光景がある。それらは紅葉たちの楽しい思い出の結晶だ。
村を駆け巡る三人。
川で遊ぶ三人。
森の中で遊ぶ三人。
そして昴の家で一緒に食事をする三人。
時にはお泊り会もしたようだ。三人で川の字になって眠る光景もある。
そして世界は森の中へと変化した。
その日、三人は森の中に入って木の実などを採りに来たようだ。最初こそ一緒になって行動し、木の実や果物を見つけては散開してそれぞれ集めて籠へと入れていく。
しばらくそうやって集めていたのだが、気づけば紅葉は二人からはぐれてしまっていた。
「……あれ?」
果物を手にしたまま辺りを見回す。
しかし昴も優羅もいない。あるのは木々と草だけ。
そのことに気づくと、顔が青ざめていき、手から果物が零れ落ちてしまう。体は震え始め、足の力が弱まってその場に座り込んでしまう。
「あ、ああ……や、だ……イヤだ……」
頭を両手で抱えてその場で震え始める。
「あ、あ……昴……昴……優羅……」
目から涙が流れ始め、ガタガタと震える。
一人になるのが怖い。
世界に一人だけ。
その恐怖心が紅葉を包み込んでいく。
ずっと昴と優羅がいてくれたことで忘れそうになってしまった自分の恐怖心。逆に言えば、それだけの時間二人が傍にいてくれたのだ。
だが作り上げられた外殻が崩れてしまえば、隠れていた自分の闇があふれ出してしまう。
「やだやだ……一人に、ひぐっ……一人にしないで……。イヤだ、イヤだよ……。う、うぅ……っ……ひぅ……ぅ……」
歯を鳴らし、止まらぬ涙を流しながら紅葉はうわごとのように二人の名を呼び続ける。そして体を震わせ、この現実から目を背けるようにぶつぶつと呟き続ける。
それが彼女の闇だった。
しばらくして昴と優羅がやってきて紅葉を抱きしめる。
「紅葉! 大丈夫かっ!?」
「……紅葉……!」
呼びかけつつ自分たちの温もりを伝える。
そうすることで、紅葉は自分たちを認識し、少しだけ楽になる。ゆっくりと目の焦点が合い、昴と優羅を見つめる。
「……あ、昴……優羅……」
「そうだ。俺たちだ。わかるな? お前は一人じゃない」
「……大丈夫。優羅たちは、ここにいるから」
「あぁ……うぅ……ううぅ……」
また涙を流しながら昴の胸元に顔をうずめてしまう。昴は紅葉を抱きしめ、優しく頭を撫でていく。優羅も紅葉の体にくっつき、背中を何度もあやすように撫でていく。
この状態の彼女に必要なのは、人の体温と人の言葉。それを受けることで一人じゃないことを教えてやることだった。
しばらくそれを繰り返すと、ここにいては危険ということで昴が紅葉を背負い、優羅が籠を持つ。
そのまま家へと帰ると、また紅葉とくっついて何度も声をかけつつあやしていく。泣き止む頃には夕方になっており、紅葉は昴の家に泊まっていくことになった。
そして世界はまた変わり、最初のエピソードへと帰っていく。
楽しかった思い出から始まり、自分は一人じゃないことを認識するエピソードで終わって繰り返される。思い出の中ならば、彼らはいつだって一緒にいてくれる。
そういうことなのだろう。
「……これのループか」
溜息をついた月は辺りを見回す。
どこかに抜け道があるはずだ。それを見つけることにしよう。
そしてようやく見つけた。
それを通って抜け出すと、現在の紅葉が膝を抱えてうずくまっていた。
背後では相変わらずあの世界が繰り返されており、虚ろな目でそれを眺めていた。
「やあ、やっと見つけたよ」
「…………」
しかし反応がない。
現実の紅葉と同じく、何を見ているのかわからないような目をしている。
月は隣に座り、同じように世界を眺める。
「失礼ながら、私も鑑賞させてもらったよ。君に勝手に干渉しておきながら悪かったね」
「…………」
「とても楽しい思い出だったんだね。いつも一緒にいるのが当たり前。それが君にとっての日常であり、当たり前の毎日だった。……そんなに彼が好きだったのかい?」
「……そうよ」
そこで肯定の一言が漏れた。
チラッと紅葉を見てみるが、その青い目は虚空を見つめている。しかし、少しだけ力が篭っているような気がした。
「一途だね」
「……悪かったわね」
「いやいや、そんなことはないさ。一人をずっと想い続ける。純情だね。いいことだ」
しかし紅葉はぶすっとしたような色合いを見せた表情をしている。表面上では変わった様子は見えないが、長く生きた月の目にはそんな風に見えるのだ。
「……さて、私がここに来た理由はわかっているね?」
「…………」
「君を待っている人がいる」
「…………」
じっと紅葉を見つめてその言葉を告げるが、紅葉に変化はない。
ただただ繰り返される世界を眺めているだけだった。
「確かに自分の作り上げた世界に閉じこもる気持ちはわからなくはない。でもね、そんなことをしていては何も変わらないよ?」
そこで微かに肩が揺らいだ気がした。
「耳を塞ぎ、目を塞ぎ、自分の中に閉じこもる。確かにそれで君は救われるかもしれない。嫌なことから目を逸らす。そうやって自己を守る。実に人らしい。……でもね」
「…………」
「――それは、停滞と言う」
その言葉に、かすかに視線が月へと向けられた。
彼女の顔はとても真剣であり、友好的な表情は消え去っている。
「君はそれで救われているつもりだろうが、その先に救いはない。ただ自分を守り、満足しているだけに過ぎないよ。閉じこもっているだけでは何も変わらない」
「……言うじゃない」
その青い目が細められていく。だがすぐに口元が自嘲じみた笑いを浮かべ始めた。
「どうやっても無理なんだよ。コレはもう押さえきれない。昴が、優羅が目の前で消えていく。その恐怖から逃げられないのよ。……二人が死んだ、なんて聞きたくない。それを聞くくらいなら、あたしはずっとここにいる」
「……」
「神倉さんはないでしょ? 誰か親しい人が目の前で死んでいく、なんて。親が、好きだった人が、目の前で死んでいく。……あたしはもう嫌。耐えられないよ……」
恐らく村が滅びた時のことを言っているのだろう。彼女たちの旅はあの日から始まっている。あの辛いことを経験した上に、昴と優羅が目の前で崖から落ちていく。
それが引き金となってこうなってしまった。
その気持ちは判らなくはなかった。でも、それをずっと続けていてはダメなのだ。
「……あるよ」
「……?」
「私にだってあるよ。そういうこと」
「…………え?」
彼女からは信じられないような言葉だったのだろう。
きょとんとした顔で月を見つめている。
「神倉の里が滅びたとき、私もその場にいたのだからね」
「……あ」
500年ほど前に神倉一族は滅んだ。その場面に月がいた。
滅んだことは知っていたが、まさか彼女自身がその場に居合わせているとは思いもしなかった。
「それに、滅びたのはある意味私のせい、とも言えるからね」
「……そう、なの?」
「ああ。人生で一番の後悔、かもしれないね。神倉一族はいつかは滅びる、と前々から思っていたけど、一番危惧していた内容で滅びてしまったんだ。ただ滅びに関しては私は自業自得とは少し思っているけど、その原因が私にも一因あるということで私は後悔している」
「それは、どういう……?」
神倉一族の滅びの原因が月にもあるというのはどういうことなのかと、紅葉の意識が月へと向けられる。
だが月は苦笑するだけで話そうとはしない。
「まあ、今は私よりも君のことだよ。私は親しい人が目の前で死んでいくのを経験している。でもね、それで立ち止まるのはいけないと思っていた。彼らは私のせいで死んだようなものだと理解していた。彼らのためにも止まるわけにはいかなかった」
「……」
「だから私は旅を続けている。あの人に会うためにね」
あの人とはやはり彼女が探している人なのだろうか。
そんなことを考えていると、月は紅葉の肩に手を置いて顔を近づける。
「君もいつまでもここで止まってはいけない。先ほども言ったように、君を待っている人がいるんだよ? あの二人をいつまでも待たせるものじゃない」
「……でも、あたしは……」
「昴と優羅が死んだと聞きたくない?」
その問いかけに紅葉は微かにうなずいてうつむいてしまう。
それに月は思わず笑い声を漏らしてしまう。
「……な、なにがおかしいのよ?」
「……いや、失礼。あの二人と違って、君は大事な二人が生きていることを信じていないんだ、と思うとね」
「……っ!?」
目を見開いて顔を上げる。
だが予想していたことなんだろう。笑みを浮かべてその視線を受け止めた。
「ん? どうしたんだい? 君がここに閉じこもっているのはそういうことなんだろう? 二人の死から目を逸らすためにこうして自分が作った世界に閉じこもっている。違うのかい?」
「……あ、あたしは……!」
「あたしは?」
「あ、あたしは……あた、しは……」
体を震わせて縮こまっていく。自分が何を言おうとしているのか、言ってしまったのか理解してきたのだろう。それを否定したいが、否定すれば自分がなんでここにいるのかわからなくなってくる。
ぐるぐると思考が巡ってしまい、その目から涙が流れ始めた。
「本当は信じたいんだろう? 二人が生きていることを。当然だよね。あの二人は君にとって、とても大事な人だ。その死を信じたくなくて自分の世界に閉じこもってしまうほどに。でもそれは、彼らが生きている可能性を自ら捨ててしまっていることだ」
「あ、ああ……」
「本当に彼らが生きている、と信じたいのならば、表に出て生きているのだと信じて前に進むべきだよ。いつまでもここに閉じこもって過去を振り返っているんじゃない。今君がするべきことは、彼らがどこにいるのか探すことじゃないのかい?」
「あ、う……うぅ……」
頭を抱えて何度も首を振る。でも、月の言葉が体の中に広がっていく。
確かにそうだ。
自分は二人が生きていると信じたい。
死んだ、なんて聞きたくないのだ。
だからこうして自分の世界に閉じこもり、目と耳を塞ぎ続けた。
辛い現実から目を逸らしたのだ。
でも、月の言うように生きていると信じているならば、表に出るべきだろう。
「違うかい? 愛する人を、愛する友がどこかにいると信じているんだろう? ならば顔を上げるといい」
「……昴、優羅……」
涙に濡れた顔をゆっくりと上げていく。そこにはいつものような友好的な顔がそこにあった。だがその微笑は、幼い子供を見つめる母のような暖かさがある。
「夢を見る時間はこれで終わりだよ。楽しい思い出は胸にしまい、前に進むんだ。歩き出せ、竜宮紅葉。君の後ろには、君を支えてくれる仲間がいるのだから」
「……ライム。……シアン」
「そうだ。あの二人が君の目覚めを待っている。まずは二人を迎えてやるといい。恐らく泣きながら君にしがみつくだろうけどね」
「…………そう、ね」
こくり、と幼い子供のようにうなずいた。
見れば、何度もループして再生されている世界が収束していく。そして周りの闇もゆっくりと光が差し込み始め、やがて世界が変わり始めた。
そして展開されるのはどこまでも広がる草原。その中にぽつんと赤く色づいた紅葉が生えている。紅葉の根元には、藍色の和服を着た黒髪の東方人形があり、空を見上げるように樹にもたれ掛かって座っている。そして見上げれば、煌く星の集団がそこにある。
これが紅葉を支える、彼女の心情世界。
これらが意味することはただ一つだろう。
「……なるほどね。本当に好きなんだね」
「……悪い?」
「いいや、とても素晴らしいことだよ。……羨ましいと思えるほどにね」
目を細めて柔らかく微笑むと、紅葉の頭を優しく撫でてやる。その手つきは昴や優羅とはまた違った優しさがあった。
「じゃあ、戻るとしようか」
「……そうね」
手を離すと、月の体が薄れ始める。精神とのリンクを切ったため、彼女の意識が浮上していっているのだ。
それを見た紅葉は、何度か視線を彷徨わせると、意を決して月の顔を見つめる。
「……あの」
「ん? なんだい?」
「…………ありがとうございました。……月さん」
その言葉に少しだけ驚いた顔をしたが、嬉しそうに顔をほころばせるとまた笑いかける。
「ああ。どういたしまして。紅葉」
初めて名前を呼ばれたことがよほど嬉しかったのだろう。
その笑顔は大人の笑顔ではなく、紅葉と同年代の少女のような笑顔だった。
目を覚ました月はゆっくりと体を起き上がらせる。辺りを見回すと、すぐそこで座っている獅鬼と視線が合った。
「おう、おかえり」
「ああ。ただいま」
「……どうだったんだ?」
その言葉に微笑して紅葉へと視線を移す。すると瞼が震え、ゆっくりと彼女が目を開けた。何度か辺りを見回すと、頭を押さえて起き上がる。
「やあ、お目覚めかな? お姫様?」
「……どうも、……って、誰?」
月から獅鬼へと視線を移すと、首をかしげる。まあ、当然の反応だろう。起きればすぐそこで怪しい格好をした人がいるのだ。ある意味最悪の目覚めかもしれない。
「……ふ、久しぶりだな。紅い少女よ。かれこれ10年ぶりか?」
「あ、あんた、まさか……」
「然り。あの時のオレだ」
今ここに、10年の時を越えて二人は再会することとなった。
○
さる場所にて、一人の男が雪の積もった坂を上っていた。深緑色のコートを着ており、ポケットに手を入れて悠々と歩いている。
やがて上り終えると、すぐそこに家がある。その家の前では二人の少女が立っていた。
「よ、お二人さん。今日も来たのか?」
手を挙げて挨拶すると、少女の片割れが腕を組んで男を見上げる。
「そうよ。悪い?」
「ふふ、姉さんは毎日会わないと寂しいそうですよー」
妹の言葉に顔を赤くして両手を振り上げる。
「な、そんなこと言ってないでしょ!? なに捏造してんのよ!?」
「おや? 違ったのですか?」
しかし妹は落ち着いたもので、半目で姉を見つめていた。そのことに歯を噛み締めて「違うわよっ!」と反論すると、口元を押さえて苦笑いをしている男に気づいた。
「な、何笑ってんのよ!?」
「くはは……いや、ホントに毎日元気だな、と。あと仲がいいな、とな。ホントにお前らは飽きないわ」
「な、ほっといてよっ!」
「おー。いつも騒がしい姉ですみません」
「ちょ、あんたのせいでしょ!?」
恭しく頭を下げると、また顔を赤くした姉が反論するが、妹は気にした風もない。
「まあ、いいけどさ。そんな風に騒がしくしていると、怒られるぞ?」
その言葉を口にした後に、二人の足元付近で小さな爆発が起きる。
「ひぅっ!?」
「おー」
二人が驚き、静かな空気が包み込んだ。爆発はしたが、怒ったような声が聞こえてこない。
「……くく、ほらな? 直撃じゃないだけありがたいと思わねえと」
「うー……でも、ホントに何とかならないわけ? あんまり話できないし……」
「まあな。でもあいつはそんな奴だからさ。もう少し頑張ってくれや」
頭を掻きながら苦笑すると、姉は溜息をついた。
そして妹は小さく息をつき、思い返すような目で家を見つめる。
「もう、一週間になるんですね……」
○
一週間前のこと。
この村に二人の男女が運ばれてきた。
二人は村にある診療所に運ばれ、手当てが行われた。
女は背中を打ちつけ、腹の辺りが風によって軽めの傷で切り裂かれていた。身を包むローブと下にあったガルルガ装備が威力をやわらげてくれたようである。
そして男は全身が電気によってダメージを受けており、所々焼かれたような跡がついている。そして頭を強く打ち付けており、未だに出血を起こしていた。
手当てをすること1日。
先に目を覚ましたのは女の方だった。
「……ん、んん……」
目を覚ました女は知らない天井が見えることに気づく。起き上がろうとすると、体が痛み、ベッドに沈んでしまった。
何とか目を動かして自分がどこにいるのかを把握しようとする。
するとドアが開かれ、一人の男が入ってくる。
「ん? おお、目が覚めたのか」
「…………」
誰だ?
そんな目で男を見つめる。
深緑色の跳ねた短髪に、深い海を思わせる蒼い目をしていた。黒いシャツに深緑色のコートを羽織った服装をしており、その下から逞しい筋肉が隆起している。
「まったくよう、驚いたぜ? クエストの帰りにお前が倒れてるんだからよ。しかも野郎と一緒に。久々の再会がとんでもないことになったもんだ、うんうん」
「…………」
思い返すように腕を組みながらなにやらうなずいているが、女は無表情で男を見つめ、一言呟いた。
「……誰?」
「ちょ、おぉ!?」
その一言が信じられない、といった風に男が体勢を崩す。
そのまま女に詰め寄って自分を指差した。
「俺だよ! 俺! 忘れちまったのか!?」
「…………ああ、お前か」
その顔をじっと見つめることでようやく思い出したらしい。ゆっくりと起き上がり、頭を押さえて何があったのかを思い出す。
そして気づいた。
自分だけでなくもう一人の存在を。
「……昴。……そうだ、昴! 昴は!?」
「ん? 昴? ……ああ、もう一人の野郎なら、ほら、そこにいるよ」
親指を立てて隣のベッドを示した。
女――優羅はそちらに視線を向けると、頭に包帯を巻いた昴が眠っていることに気づいた。
「……く、昴!」
体を押さえながら床に足をつけ、そして昴のもとへと駆け寄った。その様子に、男は驚いたような顔をして見守っていた。
「……はぁ~、あの黒崎があそこまで……。ふーん、そんなにあの昴って奴が大事な存在なのか……。はぁー……、驚きだわ」
本当に信じられないものを見ているような目で見つめていたが、やがて自分も二人の元へと近づいていく。
すると優羅は昴を見つめたままポツリと呟いた。
「……昴の容態は?」
「命に別状はないんだと。ただ眠っているだけさ。……ああ、ちなみにお前らはここで1日眠っていたよ」
「……そう」
その表情が少しだけ安堵したような色が混ざった。その変化にまた男は驚く。
記憶の中では最後まで表情が変わったようには見えなかったので、その微妙な変化に驚きを隠せない。
(……やれやれ、そんなに昴って奴が大事な存在なんだな。参ったね、どうも)
苦笑しながら頭を掻く。
そんな男の様子に目を向けることなく、優羅はずっと昴の傍にい続けた。
そして数時間後、昴に変化が訪れる。
瞼が震え、ゆっくりと目を開けていく。
「……昴っ!?」
「お、お目覚めか」
朧げだった視界が鮮明になっていき、辺りを見回す。そして自分を覗き込んでいる優羅に気づくと、そちらへと視線を向けた。
「……昴、大丈夫ですか?」
「…………」
だが昴は何も言わずに優羅を見つめるだけ。
まだ意識がはっきりしていないのだろうか。優羅は優しく声をかける。
「……昴、アタシがわかりますか……?」
「…………」
一度瞬きをし、もう一度辺りを見回してゆっくりと起き上がる。
「――っ!?」
そこで頭が痛んだのだろう。巻かれている包帯に手を当てて少しだけうずくまってしまう。そんな昴を支えながら優羅が顔を覗き込んだ。
「……大丈夫ですか? 無理せず横になった方が……」
「う、大丈夫……」
そして顔を上げ、優羅を見つめる。
「ここはどこだ?」
「……ここは……」
その問いかけには男が答えた。
「ここはポッケ村。そして村にある診療所さ」
「……じゃあ」
昴はそこでうつむいて一間置き、頭を押さえたまま顔を上げる。
「俺は――誰だ?」
「…………え?」
その言葉は優羅を硬直させる問いかけだった……。