ガキンッ! と刃が打ち合わさる。すぐに刃が離れ、その場所から離れた場所で再び合わさる。燃え盛る炎を潜り抜け、屋上を飛びながら二つの人影がドンドルマを舞う。
片やラストエクディシスを構えた神倉月。
片や夜刀【月影】を構えた神倉朝陽。
二人は自分の周りに炎の守りの障壁を張っており、炎の中を潜り抜けようとも、炎に炙られようとも無傷なように対策を立てていた。
その後ろを追いかける神倉獅鬼は、札を使って何とか遮断している。追いかける分には問題ないのだが、生憎と障壁を張ることに関しては問題があるのだった。
再び刃が交わり、二人の距離が近づいた。
「あっはははは!! あんた、手を抜いてんじゃないでしょうね? この私があんたとここまで戦えるはずがないじゃないのッ!?」
「…………」
月を殺したいはずだが、何故それを気にするのか。
それは本気の月を殺したい、という願望の現われだ。矛盾しているようで、朝陽の中では矛盾していない。
「本気を出しなさいよ! 本気で、私を、ワタシを殺しにきてみろッ!」
「…………」
叫ぶ朝陽を冷静に見る月の眼はどこか冷えている。しかしその奥では一つの感情が燃えており、ラストエクディシスを握り締める力が強くなる。
鍔迫り合いから離れ、構えなおしたラストエクディシスを素早く振るう。両肩、体の中心を狙った三連撃。常人ならばその太刀筋が見えずに全てを斬られ、命を落としかねない剣術。しかし朝陽は反応し、全てを夜刀【月影】で受けきった。
だがその口元は笑みに彩られている。
今度は自分の番だ、と夜刀【月影】を横に構える。
「……っ」
「燕――返し!」
それは先ほど月が繰り出したものと同じく、三つの剣閃が放たれていた。
頭上から股下までを斬る縦、逃げ道を塞ぐかのような円の軌跡、そして払い。
これらが組み合わさった殺人剣術、燕返し。
これは三つの剣閃が素早く繰り出されてこその殺人剣。開祖の剣士はこれを全く同時に繰り出し、三つの剣閃がまさしく逃げ道を閉ざしてしまう剣術として編み出したという。
すなわち、必殺。
回避不能の秘剣。
だがこの技を受け継ぐ者たちはその域に達することが出来ず、出来て「ほぼ同時に出されているかのような速さ」までだ。「同時に三つの剣閃」を繰り出すことは出来ない。
朝陽もまた然り。
繰り出された剣は「ほぼ同時に出されているかのような速さ」で月へと向かっている。
「……っ!」
反応は出来たが、全てを防ぐことは出来ない。まさしく同時に近しいもののため、一つ、二つと何とか防いだが、一つの剣が月を切り裂く。
円の軌跡がわずかに防いだ剣を通って月へと届いた。それによって隙が生まれ、朝陽は自分の周りに風を集めてカマイタチを作り上げていく。
「あはははは! そらそらぁ、切り刻んでやるわよ!」
「……っ、まだまだ!」
対抗するように月もまたカマイタチを作り上げ、ほぼ同時に撃ち出されていく。カマイタチ同士がぶつかり合い、その中でも二人の気刃が飛び交い始める。
当たれば致命傷になりえる中で、朝陽は先ほど以上に昂ぶっている。
実の妹との殺し合い。
憎み続けた女との殺し合い。
待ち焦がれた相手との殺し合い。
そして月が乗り気になってきたかもしれないということも相まって、朝陽を取り巻く闇の気配が高まっている。それは同時に朝陽に力を与え、少しずつ朝陽を強化させていく。
だがそれでも完全に月に届かないのだが、現状は均衡状態にある。
それは恐らく心の問題が関係しているのだろう。
月が圧されたこと、そして朝陽に対する無意識での遠慮。
そして朝陽自身が昂ぶってきていること。
「遠慮してるの? 何を遠慮しているのかしら? ワタシを殺すんじゃないの!?」
「……違うね。殺すんじゃない。その戦力を削ぎ落とすのさ!」
いつの間にか月のラストエクディシスに光が宿り始めている。
闇には光を。
闇を晴らし、照らすのは、いつだって光だ。
人の心に闇が覆い尽くすならば、それに差し込めるのは光なのである。
「――光よ」
「っ!?」
その呟きに反応したのは朝陽だけでなく、ラストエクディシスに宿る光も同じだった。朝陽の闇に反応し、その輝きを増す。
斬るべきものは朝陽ではなく闇。
構えたラストエクディシスを振りぬき、光刃が朝陽へと迫っていく。防ごうとするがそれより速く光刃が朝陽に届き、その闇を切り払う。
「ぐっ……!?」
痛みは体に。しかしその体を斬るのは僅かで、実際に斬ったのは朝陽を包む闇。
体を傷つけるための一撃ではなく、魔を断つための一撃。
「成功のようだね。少しずつ組み上げた甲斐があったよ」
「……あんた、今までほとんど無言だったのは……」
「そうだよ。これを組み上げてたからさ。……苛立っている、とでも思ったのかい? いつ気づくか、とひやひやしていたけど、気づかなかったようだね?」
「……ふっ、くすくす……やってくれるじゃないの。それでこそ、殺しがいがあるってもんよ!」
光が闇を打ち消すように、闇もまた光を飲み込む。
故に月が光の剣を使うというのならば、こちらは闇の剣を使う。月の場合は光の粒子を集めなければならないが、朝陽の場合はただ自分を取り巻く闇を夜刀【月影】に纏わせればいいだけの話だ。
月が朝陽の闇を打ち消すために光刃を使い、その光刃を消すために朝陽は闇の剣を行使するだけ。片方が攻撃態勢に入れば、それに対抗するための技を準備する。
ここに至るまでの速さと規模が尋常ではない。
二人はいつの間にか北門付近から中央部へと移動してきている。通ってきた道は飛び交う刃に切断され、炎に炙られて燃え盛る瓦礫と化す。
そしてあれからたったの3分前後しか経っていない。それだけの短時間で、これだけの戦いを繰り広げている。常人ならば倒れるほどの魔力を使っているのに、二人は平然とした顔をしている。
月ならばわかるが、朝陽も平然としているのが獅鬼には驚きだった。昔ならば倒れているはずだというのに、これが今まで収集した力とやらの影響なのだろう。
「……む?」
そこで空に黒雲が広がり始めた。それはドンドルマの街、そして周りの平原の上空を覆い、少しずつ水滴が落ちてくる。やがてそれはどんどん勢いを増していき、豪雨となる。
加えて強風も発生し、それは嵐を思わせた。
「……なるほど、有り難いな。風花」
街を飲み込もうという炎を消火するために嵐を呼び出し、作り上げたのだろう。これは有り難いことだ。闇を種として作り上げられた炎だが、これは炎という概念からは逃れていない。
故に水をかけられれば炎の勢いは消えていく。加えてこれを維持するためには闇と術者の気力、魔力も必要だ。どうやら朝陽は魔力ではなく、闇に依存させているようだが、それでも魔力は少しずつ消えていくだろう。
つまりこの魔法を維持するために、朝陽は今の実力の全力を出せないということだ。それは同時に朝陽はここで月を殺すことはほぼ不可能ということを示す。月がその気になればその刃を受けるだろうが、やる気を出したならば不意を突かれなければやられることはない。
ふと、平原の方から獣の咆哮が聞こえてきた気がした。もう一度平原へと視線を向けてその気配を探ってみる。
「……真化したのか? まあ、それも一つの手だが、よく決断したものだ」
真の姿がラージャンというだけあり、雷河が人前で真化することはほぼないと言っていい。人の姿でも高い実力を持っているが、やはりラージャンのほうが実際の力が高い。だからラオシャンロンと戦うならば、確かにこれはいい一手だろう。
もしかすると、この嵐ということもあって視界がほぼ遮られているから真化する決意を固めたのだろうか。ならば息子の決断を褒めることにしよう。
さて、二人の戦いに視線を戻すことにしよう。
二人はすでに刃を交えている。刃が打ち合わさったことで、光と闇の力が放出し合い、お互いを打ち消しあっている。
高い音を鳴らして二人が離れ、また走り始める。
「――ふんっ!」
「――はぁっ!」
距離が離れればすかさず気刃を放って遠距離でも攻撃を仕掛けていく。当然ながらお互いがかわしあい、気刃は地上の建物へと届いて亀裂を入れていく。時に獅鬼の元へと届いてしまうが、余裕を持ってそれを回避する。
餓狼の効果で回避に関してはほぼ問題はない。元々身体能力が異常なほど高く生まれてきた甲斐もあり、肉弾戦に関しては一族の中でも上位に食い込んでいる。
その時、空から落雷が発生して二人の近くに落ちてきた。
雷鳴と雷のエネルギー。
その二つが戦場に発生する。
となれば、これを利用しない二人ではなかった。自分の周りにそのエネルギーを渦巻かせ、同時に自分に定着させる。これによってスピードの上昇を図った。
「……追いつけるか?」
少し自身のなさそうな呟きが漏れたと同時に、二人の姿がそこから消える。
いや、微かに電気の通り道と、何かが動く影だけは見える。あちこちでまたお互いを斬ろうとしているが、決定打は与えられない。
いや、僅かに月が押し始めただろうか。朝陽の体に傷が少しずつつけられ始めている。どうやら魔力の消費によって、今まで保てた均衡状態が崩れ始めているようだ。
「ちぃ……!
一端距離を取り、またローブを広げて銃を呼び出す。
「……!
「
それに備えるように障壁を張って守りを作り、離れた距離を詰めていく。
銃口が一斉に火を吹いて月へと迫り、障壁に触れて次々と爆発を起こしていく。またしても拡散弾と徹甲榴弾の弾幕だった。爆発による爆風で視界を塞ごうという魂胆なのだろう。
それを振り払うようにラストエクディシスを振るい、爆風から抜け出る。するとすぐ目の前まで朝陽が迫ってきていた。反射的にラストエクディシスを構えるが、夜刀【月影】が月を貫こうと迫ってくる。
「ぐっ……!?」
ラストエクディシスを立てて何とか横へと流すが、脇腹を掠めていく。反応できたのは長い時間で培ってきた感覚だろう。朝陽の腹に膝を打ち込んで弾き返し、ラストエクディシスで袈裟斬りにする。
「……っ、な、なに……!?」
だがそれはその一撃で霧散していく。
――分身。
それが頭の中に浮かんできた。
あの爆風は月に一気に迫るためのものじゃない。
分身を目の前に現れさせるための一手。
目の前に敵がいれば反射的に構えてしまう心理を利用した一手なのだ。
「――!?」
それに気づいて振り返ったには、月は左肩から斬られていた。
何とか左腕を切り落とされずには済んだが、その一撃は左肩から右腰まで届いている。
「こんなもの? それともワタシがあんたを上回った? ……なんにしても、貰ったわよ!」
「……まだだ!」
更に斬ろうとする夜刀【月影】を防ぎ、歯を食いしばりながら鍔迫り合いをする。凛・極【胸当て】はX字に斬られた傷がついており、その隙間から血が少し流れている。
背後で獅鬼が目を細めてじっと月を見つめている。確かに斬られはしたが、致命傷ではない。まだ戦いは続行可能だ。本当に危険だと判断すれば介入はするが、今はその時ではない。
平原ではラオシャンロンが直立し、ハンターたちに絶望を与えている。しかし生命力が先ほどよりも低下しているところから、もう少しすれば落ちるだろう。とはいえ絶望の方が多いようで、士気は先ほど以上に弱まっている。
周りを見渡せば炎の勢いが弱まってはきている。しかし闇も残っているためにまだまだ燃え続けるだろう。
鍔迫り合いを終え、距離を取って魔力を凝縮させて撃ち出していくことで牽制し合い、次の手を考察する。だがそんなに長くは戦うことはないだろう。
お互い魔力がかなり消費されているため、そろそろ反動が返ってくる頃合だ。神倉一族の者だろうと、反動が一切ないということは有り得ない。魔法を行使するもの全てにみられることである。
特に朝陽の場合は、今この時反動がきてもおかしくはない。月との戦い以前に、この「紅蓮の処刑場」を発動させたのだから。
力を得ているとはいえ、月よりも劣る彼女が未だに反動がないというのはおかしいこと。
実際に月の牽制が少しずつ着弾し始めている。それに目を細め、月が一気に距離を詰める。今度は朝陽が歯噛みをする番だった。
あの頃に比べて内包する力と、戦いに関する経験、そして積み重ねた実力は確かに朝陽の中で蓄積されている。だがそれは月にもいえることだ。
非人道的な方法で闇の力を行使し、己の力を高めたところで月の背中は朝陽に追いつくことはなかった。
しかし追いつくことはないが、変わったことはあった。
それは傷を負わせることが出来たこと。あの頃は決して出来なかったことが今では可能にしてしまった。それだけでも朝陽にとっては収穫だろう。
「はあああぁぁぁ!!」
「く、ああああぁぁぁぁ!!」
反動が微かに返ってきているのか、一瞬だけその体の動きが硬直していた。再びラストエクディシスの光を受けて朝陽の闇が斬られてしまう。だが交差するように、夜刀【月影】の刃が月にも届いている。
腹部の辺りを横薙ぎに払われたが、深くは届いていない。目の前にいる月を夜刀【月影】を振って距離を取らせ、そのまま自分も後ろに下がる。
荒い息をつき、少し自嘲じみた笑みを浮かべ始めた。
「やっぱり、まだ足りないというのね……!」
「まだ集めようというの?」
「当然でしょ? 足りないならば集め続けるだけよ……!」
嵐の力は増していき、どんどん火を消していく。降り注ぐ雨は月たちを濡らしていき、髪は顔に張り付いてしまう。前髪の間から覗く藍色の目は、深淵の闇を思わせる。
どうしてここまで堕ちてしまったのか。
そんなことが月の頭に浮かび上がる。
「……あの頃の姉さんはもういないのかい?」
「…………なに?」
「姉さん、幼い頃は柔らかな笑顔を見せていたじゃないか。あれも全て、嘘だったと言うのかい?」
「…………」
その問いかけに、朝陽は笑うことはなかった。
先ほどまでの朝陽ならば、「まだそんな甘いことをいうの?」などと切り捨てながら笑い飛ばすはず。
だがそれをしない。
今の朝陽の表情は、「何を言っているのだ?」という色合いを覗かせている。
「ワタシがそんなことをしたと? ……ハッ、有り得ないでしょ? ワタシはあんたが生まれた時から憎んでいるのよ? そんなことをする意味がないわ」
「でも、実際に姉さんはそうしていた。私を可愛がってくれた。あれも全て演技とは思えない」
「…………妄想ね。それはあんたの妄想よ。都合がいいわね」
冷笑を浮かべて吐き捨てる。だが朝陽を包む雰囲気の中に、戸惑いと混乱が微かに視える。
つまり朝陽は、これを覚えているのだろう。
いや、あるいは覚えていない?
そうだ。憎悪などの闇に覆い隠されて忘れ去ったという可能性がある。
ならば思い出させれば朝陽はこれ以上罪を重ねることはない。
――甘い。
だがそれを遮るように月の中から言葉が浮かんでくる。
朝陽はまだ戻れるはずだ。――いいや、朝陽はもう完全に堕ちている。
優しかった朝陽がまだ残っているに違いない。――いいや、それはない。
何故言い切れる?――では逆に、何故戻れるとまだ思えるのか?
私がそうであるように、朝陽もまたシュヴァルツの血統だからさ。――そうだ。だからこそ、朝陽は完全に堕ちている、と言っているのだ。
あの頃の朝陽こそが真の朝陽だよ。あれは朝陽であって朝陽じゃない。今ならそう言える。――なぜ?
戦争が終わった後のシュヴァルツが己の罪を自覚したのは、それまで表に出ていたモノが堕ちた者の人格だからさ。つまり本来の自分と、闇に囚われた自分。この二面性を持つのがシュヴァルツの特徴。
あの朝陽はもう一つの朝陽の人格。だから本来の朝陽の記憶を遮断されている。――そうかもしれない。だが、そうじゃないかもしれないだろう?
何故そこまで否定する?――お前は甘い。私はそんなお前の甘さが命取りだと思っている。それではいずれ自ら命を投げ出すだろう?
――ならばこそ、私はそれを止めるのさ。それがシュヴァルツの血に宿る抑止力。私はそれを実行しているだけに他ならない。
――朝陽を殺せ。それがこれ以上血を流さないための方法だ。そして同時に、神倉としての責任を果たすことに繋がる。
そうだね。でも、それでも私は殺せない。――なぜ?
だって、どんなに変わっていても、あの人は……
たった一人の姉だから。
――…………、だからお前は甘いのだ、月。
ざわり、と自分の中でもう一人の自分が目覚めていく。だが気力でそれを押さえつけていく。
どうやら周りの闇に反応し、月の魔力が消費されたことで押さえてきたものが溢れてきているようだ。
神倉羅刹の失敗を受けて、神倉一族はルシフェルの血を取り込む事を目指し、そして長い時をかけてそれに成功した。
つまり月と朝陽にもルシフェルの血が流れており、それは同時にシュヴァルツの血統に連なることにも繋がった。
その血統は確かに一族の能力を高めることには繋がったが、同時に神倉一族の闇を更に高めることにもなる。だからより一層非人道的な行為に手を染めることに躊躇うことはなかった。
シュヴァルツの血が、神倉一族を更に闇に堕とす結果になったのである。
だからこそその中で常識的な思考をした月と獅鬼が貴重な存在だった。神倉一族が滅びた日、獅鬼が里にいなかったのはそんな神倉一族に嫌気が差して自ら出て行ったためなのだ。
月もまた外に出ようとはしたものの、そんなことを一族の者たちが許すはずもなかった。
シュヴァルツの者は二面性があるということだが、もう一つの人格こそが俗に言うシュヴァルツの闇、すなわち殺人鬼などを体現する人格と言ってもいい。まるでスイッチが切り替わるかのように人格が入れ替わるが、ほとんどの場合は本来の意識を持ったまま黒い色に染まる。
後者の場合はセルシウスがそれだ。
月は、朝陽はその前者であると推測したのだ。
大抵の場合これには予兆があり、自分の中から声が聞こえてくるという。これは血に宿る本能の叫びだ、と最初は考える。だが実際は本能の叫びであると同時に、もう一つの人格からの呼び声でもある。
これはシュヴァルツに連なるものならば誰もが内包しており、それは月であろうと獅鬼であろうと同じこと。条件を満たせばその声を聴くことから逃れることは出来ない。今までずっと押さえ込んできたが、周りを漂う闇に反応してきたと思われる。
――代われ。私が全てを終わらせる。
それは出来ない……! 本当に姉さんがそうだというならば、希望があるんだ!――まやかしだ。目を覚ませ、月。朝陽を殺せば全てが終わるのだ。
――お前だって殺す覚悟は持ったんだろう? あれは嘘か?
確かにそうだ。でもそれは最終手段。まだ最終段階じゃない……! 希望があるならば、私はそれに賭けたい!――……自分のことながら、本当に甘いな。“最高傑作”という名の“欠陥品”じゃないのか?
……それでもいいさ。私は、自分の姉を助けたいだけなのだから。――…………、馬鹿が。お前の馬鹿みたいなお人よしには反吐が出る。
――だが、それもまたお前なのだろう。どうなっても知らん。勝手にやってろ、大馬鹿野郎が。有るかもしれない希望にすがり、裏切られるといいさ。それで傷つこうがお前の勝手だ。
……ああ、そうだね。でも、それでも信じたい。――ふん。
それを最後に声は聞こえなくなった。
時間にしてほんの数秒。だがあの会話は実際に月の中で行われたことだ。
朝陽はまだ困惑の渦に包まれている。闇がざわついてその目の奥が揺らめいている。
「……朝陽、いや、本当に朝陽か?」
「……何を言っているのかわからないわね」
「君はもう……」
「っ!」
その言葉を遮るように、夜刀【月影】に内包された闇が膨れ上がって月を目指していく。咄嗟にラストエクディシスに纏わせた光を解放してそれを防いだが、朝陽は構えた夜刀【月影】の奥でギロリと月を睨みつけている。
「ワタシはワタシよ……! それ以外の何者でもない……! だからあんたの考えていることや、妄言は何の意味も成さない!」
「…………」
雨の中吼える朝陽は、どこか不安定な存在に見える気がする。ギリギリと歯を噛み締め、左手を胸に当てて何かを堪えるかのように少しだけ背を曲げている。
何かを堪えているかのような、そんな雰囲気だった。魔法による反動の痛みと考えられるが、それ以外の要素もあるだろう。
これを見逃しておけず、獅鬼が前に出て朝陽に警告する。
「闇が溢れているな? 朝陽、お前このまま続けているといずれ壊れるぞ?」
「その先にワタシが目指すものがあるならば、このまま突き進むだけよ。それが神倉というものでしょう?」
「……そうか。ならばやむを得まい」
溜息をつくと、獅鬼は目を細めて朝陽を睨みつけ、少しだけ腰を落とした。何をするつもりなのかと朝陽が身構えると、獅鬼は屋上を蹴って疾走する。
「介入させてもらう!」
「……っ!?」
その速さは先ほどまでの月以上。反応できたが防ぐことが出来ない。そのまま組み伏せられるか、と思われた。
だがそれを止める一つの落雷。
恐らく先ほどから落ちている自然現象。それが獅鬼へと落ちてきた。
「がっ、ぐ……!?」
「獅鬼っ!?」
「っ……」
朝陽は一気に後ろへと跳躍し、最後の力を振り絞って一つの魔法を行使する準備に入った。
「
空間魔法。
昔ならば絶対に行使することが出来なかった魔法だが、力が高まった今ならば行使することが出来るようだ。朝陽の背後に空間の裂け目が作り出され、それに背中から入り込む。
「……またいずれ殺しに来るわ。首を洗って待ってなさい……!」
それを言い残し、朝陽は裂け目の中へと消えていった。すぐに裂け目が閉じ、その場から朝陽は完全に姿を消す。
落雷を受けた獅鬼はうつむきながら微かに苦笑を漏らした。
「……どうあっても変えられない、ということか。よもやこのタイミングで落雷とは……恐ろしいな」
頭の中で浮かぶ人物が笑みを浮かべているような気がした。
この展開は“絶対”。変えることは出来ない、と獅鬼を見下すような笑みを浮かべているかのようだ。
例え獅鬼が介入しなくても、月へと何らかの影響で抑止力が働いたことだろう。
「大丈夫かい、獅鬼?」
「……ああ、何とかな。……ふぅ」
痺れる体を押さえて何とか立ち上がると、月はじっと獅鬼を見つめていた。何か言いたいことでもあるのだろうか、とその視線を受け止めてみる。
「……獅鬼」
「なんだ?」
「なにか、隠していることでもあるのかい?」
「隠していること? なぜ?」
実際にあるというのに、何でもない風に言葉を返す。
そんな獅鬼をじっと見つめ、月は少しだけ言葉を選ぶ。ラストエクディシスをローブへとしまい、顔を上げて獅鬼を見据えた。
「私たちの知らないことを知っているかのような雰囲気だったから。……そう、まるで結果を知っていることを眺めているかのようだった」
「ほう、なかなか面白いことを言うな。だがオレがお前に隠し事をして、何か得をすることでもあるのか?」
「はぐらかさないで欲しい。私は真面目に聞いているんだ」
キッと睨みつけるようにすると、獅鬼は苦笑を浮かべて両手を挙げる。小さく首を振って溜息をつき、そのまま街を眺めていく。
雨はまだ降り注ぎ、もう少しすれば完全に消火されるだろう。降り注ぐ雨で前髪が目元を隠し、獅鬼の表情までをも隠していく。その中で、獅鬼はこう口にした。
「――から予言を聞いたのさ」
「……え?」
遠くから聞こえてきたラオシャンロンの悲鳴によってその名前が隠されてしまったが、目の前にいた月には聞こえていた。まるでその名前が有り得ない、というかのような表情をしている。
「それによればな、この展開は“絶対”ということらしい。朝陽は死なず、そして逃げられる。ドンドルマは炎に包まれ、大打撃を受ける。……滅びるかどうかは微妙だったようだが、この展開は間違いなく起こることだったらしい」
「……本当、なのかい?」
「ああ。あれの予見や予言は外れることはまずない。それはお前だって知っているだろう?」
「……じゃあ、この後の展開も?」
「……一応は聞いている」
そして獅鬼は語る。
世界というものは実によく出来ている。
何かが膨れ上がれば、それを潰すために修正がかかる。
歴史の中ではよくある話だ。
人然り、国然り。
発展していった文明は、いつしか世界のバランスを崩してしまい、それによってしっぺ返しを受けてしまう。崩れた自然が人と文明を飲み込んでいくのだ。
人は自然に対しては無力である。それはいつの時代でも変わることはない。自然の、世界のしっぺ返しを受けて滅びた時代も、遠い昔に存在していただろう。
あるいは、文明と文明がぶつかり合い、お互いに潰しあうことで滅びてしまう。
かの戦争がそれに当たるだろう。最終的には黒龍が介入することで共倒れになってしまったが、あれもまた歴史の中で繰り返された摂理の一つ。
そうやって世界は常にバランスを求め続ける。
何かが増えすぎても減りすぎてもいけない、それが世界の意志だ。
長い時をかけてその準備を行う場合もあれば、すぐさま粛清に入る場合もある。
さて、ここで問題。
この近年の中で膨れ上がっているものは何だろうか?
そしてそれを潰すためのものは一体なんだろうか?
そこまで考えた時、月の頭の中に浮かんだものがある。自分にとってはよく知るものだった。だが本当にそれが潰しにくるというのか?
そういう目で獅鬼を見るが、そこにあるのはそれを肯定するかのような苦笑だった。
「全てはあれの予見通りさ。何せ奴は、“世界”に属する者なのだからな。流石にその結末までは聞いてはいないが、そこに至るまでの過程は聞いている」
「……では」
「ああ、久々にお出ましになるようだぞ?」
ぐらり、と月の視界が揺らめいた気がした。
だとすると、待ち受けるのは滅びだ。最悪の展開が待ち受けている。
「朝陽は、姉さんはこれを狙っているのか?」
「さあな。知っているのか知らないのか、オレにはわからん。だがどちらにせよ、その展開は奴に言わせればほぼ“絶対”だそうだぞ? ……困ったもんだな」
月の体が震え始める。
これは本当にただ事ではなくなってきた。朝陽だけの問題じゃない。
人族は、再び世界を相手にすることになってきた。あの時は何とか抗うことが出来たが、今度は抗うことが出来るのかすら不明だ。色々な問題が重なっている上に、潰しに来るのは恐らく遠い昔のアレだろう。
シュヴァルツの血統が数人がかりと、数多の兵器と人員でようやく抗うことが出来たのだから。
今回はどうだ?
こうしてドンドルマが落ちている。復興には時間がかかるだろう。兵器に関してはシュレイドなどに伝えれば調達は出来るだろうが、それでも足りない。
「……こうなることは知っていたのかい?」
「……ああ、知っていた」
「何故言わなかったんだ!?」
「言ったところで変わるような運命じゃない。お前がなにをしようとも、これは“絶対”なのだから。だからオレは最終的な運命に抗うための手を打ってきた」
それが彼らだった。
「お前が出会ったシュヴァルツに連なる者に、貴重な才能を秘めた者。オレが出会った同じくシュヴァルツに連なる者に、未来が望める者。そして奴の元にいた同じくシュヴァルツの者に、同じく未来が望める者。他にもこのドンドルマに集まった者もいる。これらが鍵だ」
「…………」
「シュヴァルツは奴にとっては因縁の相手とも言える。今では貴重な血統になった存在が、朝陽らも合わせてこうして
この500年近くも獅鬼が世界を旅していたのはそれが理由だった。朝陽を探していた、と月に話していたが、真の狙いはそれにあった。他にも理由があるが、それは口にはすることはない。
「雷河も、そうなのかい?」
「ああ。魔力を持ったラージャンだったからな。変化の魔法を仕込んで人の世界に溶け込ませつつ鍛えてきた」
「……全ては最終的な勝利を得るために?」
「そうだ」
その未来を変えるため、獅鬼は獅鬼なりに対策を立てて行動をしていたのだ。月に話すことなく、ただ一人で影で行動してきた。
その際運命の通り道として数多の命が消えていったが、それも承知の上での行動だったのだろう。十の中で一を切り捨てて九を救う、という考え方である。
世界を相手にするならば、そのくらいの覚悟がなければやっていけない。歴史の中で伝えられる戦いでさえ、勝利を手にする時は命は絶対に消えていく。
月にも経験しているからこそ、それがわかっているはずだ。あの時も数多の犠牲を払ってかの存在に勝利を収めたのだから。勝利を手にするためには、いくつかの命を対価にする。それが戦争であり、世界を相手に戦うということなのだから。
「……それでも、教えて欲しかったよ。獅鬼」
「……すまんな」
その時、平原から大きな気配が消え去った。どうやらラオシャンロンが討たれたらしい。
こうしてドンドルマの戦いは終わりを迎えるだろう。
襲撃してきた狂化竜たちは全て討たれ、ラオシャンロンも討たれた。朝陽たちも退散し、戦うべき敵はここから消え去った。
だがこれは同時に次の段階の始まりでもある。あの人物の予見通りに事が進み、最終的には世界の修正が入ってくる。
「では、彼らをこれからも鍛える方向でいくのかい?」
「ああ。でなければ何も出来ずに死ぬだけだからな。いずれあの小僧たちには上位クエストの試験を受けてもらわねばならん。……この状況だからすぐには無理だろうがな」
「……朝陽たちはどうするんだい?」
「それはまたオレが何とかしてみよう。今回のことで多くの力が削がれただろうから、しばらくは動かんだろうが……、あるいはまた狂化竜が動き出すやも知れんな」
考えられるのはその二つだろう。
一時的な休息か、失った力を取り戻すために、あらかじめ仕掛けておいた狂化竜たちが行動を起こすか、だ。有力なのが後者だろう。もしかするとこの数日の間で狂化竜の目撃情報が増える可能性が高い。
こうしてドンドルマで暴れだしたのだ。もう隠している意味がないのだから。そうやって辺りに恐怖を与え、闇を高めていくのが狙いなのだろう。
だがそれは同時に、奴にとっての格好の餌になる。
はたしてそれを朝陽が気づいているのだろうか。
「……だとすると、狂化竜を討とうがどうにもならない。生み出された地点でもう決定されているんだから」
「その通りだ。だからそれ以上広がらないように狂化竜を討ちつつ、小僧らを鍛える。その方向でいこうかと考えている」
「わかった。それでいいよ」
方針は決定した。あとはそれに従って行動していくのみだ。
炎は完全に消火され、黒雲は役目を終えて晴れていく。少しずつ太陽の光が差し込んでいき、焼け焦げたドンドルマを照らしていく。
朝陽たちが残した爪あとは大きい。だが、最終的にはこれと比べるまでもない絶望が待っていることだろう。
それに抗うために行動する。何としてでもその結末を回避しなければならない。
それは強大な敵だろう。
だが勝利しなければ人族は一気に皆殺しにされていく。
結局はかの存在もまたこの理に従っているのだ。
狩るか、狩られるか。
数度の邂逅を経ても決着がつかなかった戦い。
今回が最後の戦いになればいい。
二人はそう願わずにはいられなかった。
○
終わったようね。
結局は変わらない。でも、なかなかの見世物だったわ。それなりに楽しませてもらったわよ。
月は相変わらずの甘さだし、獅鬼も何とか変えようとはしていたようだけど、結局は運命には敵わない。ま、それだけ“奴”がそうであることを願っているのだからしょうがないのだけど。
あっちはあっちでまあまあのものだったわね。それにしても風花、貴女まで首を突っ込んでくるなんて、そんなに退屈だったのかしら?
……いえ、違うわね。どうせまたつまらない理由でしょう。とはいえ、貴女が介入したことで、予想した時間よりも早く終わったのはいいわね。それもまた一つの面白さになりえる。
さて、これで一つの幕が下ろされたわ。
獅鬼に伝えた鍵は揃い、結ばれる。
せいぜい頑張りなさい。でなければ、ヒトがアレに勝てる道理はないのだから。
私はただそれを傍観するだけ。
……楽しませてもらうわよ?
せめて、ハッピーエンドになれるといいわね――貴方たちにとっても、私にとっても……くすくすくす――――
【第1部・完】