54話
ドンドルマの戦いが終わってから数時間。街を焼き続けた火も落ち着き、ハンター達は久方ぶりの休息を得る。それぞれの門の前で腰を下ろし、呼吸を整えるものが多数。しかしそれをも超えるのが怪我を負っている者たちだ。
襲撃してきた狂化竜たち。それと戦って負傷した者が多く、その次が避難する際に襲い掛かる炎と、燃え盛り崩れ落ちてきた瓦礫に巻き込まれた際の負傷。
担架によって運ばれた重傷者もいるが、大抵は救出できずに街に取り残されている。その為、見渡す限りでは重傷者の姿は若干少ない。ギルドや街にいる衛生兵もそれぞれの門へと移動し、アシスタントのアイルーを連れて負傷者達の治療に当たっている。
本来ならば病院に移動させて治療するべきだろうが、当然ながら病院も炎にやられている。そのため簡易テントを組み立てて治療室を作り、重傷者を優先的に治療している。
そしてここ、西門にて月と獅鬼が治療の手助けを行っていた。特に獅鬼は医療の心得があることもあり、重傷者の治療をてきぱきと行っている。もちろん素顔を隠すように仮面をつけており、決してそれを晒す事はなかった。しかしその腕前は確かであり、ローブの中に必要なものがほぼ全て入っていることもあって、彼の助力は大きいものだった。
他の門や街にいる重傷者もアイルーたちによる担架によって次々と運ばれてきており、西門前は完全に青空病院と化している。
自分が担当していた負傷者の治療を終えて辺りを見回し、他の衛生兵による治療の様子を見守っていた月はそっと獅鬼へと近づいて耳打ちする。
「こっちは大丈夫そうだね。じゃあ私はあっちに行ってくるよ」
「東か? わかった、よろしく頼む」
小さく頷き、月は門を潜って東門へと向かっていく。あちらもラオシャンロンとの戦闘などによって負傷者が多いだろう。治療する人手は大いに越した事はない。獅鬼程ではないが、月もまた治療に関しては知識もあるし道具もある。だからこそ助力になりえる。
門の奥へと消えていく月を見送り、再び獅鬼は治療に取り掛かる。
数時間かかって重傷者の全てを治療し終え、獅鬼も軽傷者の治療へと取り掛かる。その折、ライムがやってきた。
「ちょっとよろしいでしょうか?」
「む? どうした?」
「手を貸していただきたいのですが……」
「治療か?」
それに頷くと獅鬼はライムに向き直り、案内を頼む。やがて向かった先には紅葉たちが集まっていた。そして布に横たわるようにゲイルがおり、ロストがその脇で涙を流している。
「僕や他の方の手ではこれ以上は……。獅鬼さんでしたら何か手を持っているかと思いまして」
仮面の奥からゲイルを見据え、その容態を確かめるとそっと屈みこんだ。軽く何度か体に触れてそれをはっきりと診ると、ローブへと手を入れる。いくつか鍼を取り出してライム達へと視線を向けて首をしゃくった。
「装備を脱がせろ」
「は、はい」
それに従ってライムとレインがゲイルが身につけているデスギアシリーズを脱がせて上半身を晒してやると、鍼を構えた獅鬼が次々とツボへと刺していく。全てを刺し終えると、続いて薬を取り出して飲ませてやる。
「……後はこれか」
呟きながら札を取り出す。
ゲイルの負傷の中で一番厄介なのが受けた攻撃に含まれていた術だった。ライムが応急処置をして一命を取り留めてはいるが、内側に篭った術が少しずつゲイルを蝕み始めているのだ。
今獅鬼が傷の回復を促すように処置を施したが、それを以ってしても術を解かなければ完治とは言い難い。これに関してはライムの知識に含まれないものだった為に何も出来なかったのだ。
「侵食型の闇魔法か。なかなかマイナーなものを使ったものだな」
手にした札を扇のように広げるとライムへと視線を向ける。
「小僧、手伝え。オレだけでは恐らく魔力が足りん」
「わかりました」
獅鬼の後ろに回ると両手を広げて獅鬼の背に当てる。目を閉じて集中するとライムから立ち上った魔力が獅鬼へと注がれていく。それを受けて頷くと、仮面の下から小さな笑みが浮かんだ。
「……流石だな、充分な魔力だ。……ふっ」
満ちていく魔力を感じつつ札へと注いでいく。それに従って札に込められた魔法が力を発揮し、ゲイルを囲むようにして展開されていく。それを感じつつ獅鬼はブツブツと魔法を引き出すように口語で呪文を紡いでいく。
本来ならば魔力不足などで行使できない為、魔力のアシストをする為の道具を取り出すが、今回はライムという魔力タンクが存在している。その支援があるからこそ、反動がかからずにこの光魔法を行使する事が可能となった。
札に書かれた文字が獅鬼の詠唱に反応して光りだし、ゲイルを柔らかく包み込んでいく。
そして今、解き放つ為の最後の詠唱を行う。
「込められし光よ、彼の者を蝕む闇を今ここに現せ給え」
包み込まれた光が一層輝き、ゲイルが苦しげなうめき声を上げ始めた。そのしかめた顔を見つめたロストが心配そうな表情を浮かべた。
「お、お兄ちゃん……!?」
「案ずるな。中に篭っている闇が抵抗しているだけだ。落ち着け」
冷静にロストを落ち着かせ、光魔法を行使していく。するとゲイルの中から黒いもやが立ち上ってきた。これが彼を今もなお蝕んでいるもの。光に反応してこうして姿を現したのだ。
充分に外界に曝け出された闇を見据え、右手の人差し指と中指を伸ばして一言告げる。
「縛」
光が一斉に糸のようなものを伸ばし、黒いもやを捕らえる。蝕む闇の全てを捕らえたのを確認し、右手をぐっと握り締める。それに従って捕らえた黒いモヤを包むように光が展開され、そして収縮して消滅した。
展開された札を回収し、獅鬼は改めてゲイルを見下ろした。先ほどまで苦しげだった表情が和らいでおり、軽く体に触れて容態を確かめる。
「……うむ、これですべての闇が消えた。もう大丈夫だろう。しばらく休めば話せるようになるはずだ」
「……ほんと?」
「ああ、もう心配することはない」
軽くロストの頭を撫でてやりながら立ち上がる。するとレインが獅鬼へと近づき、軽く頭を下げた。
「ゲイルを治してくれて感謝する」
「気にするな。怪我人がいれば治すだけだ。……それにこいつは生きてもらわねばならんからな」
呟きつつ軽くゲイルへと視線を落とす。レインにはその言葉に込められた意味はわからなかった。しかしすぐに気づく事になる。
ゲイルはドンドルマを襲撃した朝陽たちの仲間だ。その情報を得る為に生きてもらわなければならない。そういうことではないだろうか。
そんな事を気にしていると、獅鬼は辺りを見回して小さく頷いた。
「では、オレは他の者たちを治療してくる。小僧に少女よ、そいつの事はお前達で相談しておけ」
「……やっぱり知ってるんだ。現場にいなかったのに」
紅葉の呟きににやりと笑みを浮かべると、そのままその場から離れていった。それを見送ると、一同はゲイルを見下ろす。
彼がアヴェンジャーであることは他の者たちは知らない。しかしいずれ知られるだろう。加えて彼は罪を犯している。それは裁かれなくてはならない。
救ったのは情報を得る為という事と同時に、彼の罪を裁くためでもある。
だが裁くのはまだ先の話になるだろう。ドンドルマがこの状態ならばまともな裁判など出来るはずもない。というよりそんなものは後回しだ。優先される事は人の治療と街の復興なのだから。
だからといってゲイルの事を後回しということも出来ないだろう。その罪は消えることはない。いずれはっきりさせないといけないのだから。
するとレインの後ろから一人の男性が近づいてきた。
「レイン」
「……父上」
そこにいたのはギルドナイト紅シリーズを身につけたソルだった。西門に襲撃してきたシエルSをはじめとする狂化竜たちと戦闘したことで軽度の負傷をしているようだが、行動する分には問題なかったらしい。というより、あれほどの存在を相手に負傷の度合いが“軽度”である時点で彼の実力が窺える。
ソルは軽くレインたちを見回し、そしてゲイルを見下ろした。緋色の瞳が細められ、軽くレインに目配せをする。
「訊きたいことがある」
「なんでしょう?」
「見間違いでなければ、襲撃者の中にあのような出で立ちをした者がいたような気がするのだが?」
「――っ」
それを聞いたレインたちに緊張が走りぬける。傍に置いてあるローブやデスギアシリーズ。これらを見ているというのならば、上半身が裸になっているゲイルがこれらを装備していたのではないか、と推察する事は容易だ。
そしてそれを指摘したときのレインの反応。それは指摘が的中している事の表れである。
「……なるほど、ゲイルはその道に走ったか、あるいは道を踏み外したか」
呟くような言葉だった。
ゲイルの両親の件はソルも心を痛めている。二人は彼にとっての親友であり、息子であるゲイルがあの後どうなったかも知っている。今までずっと真実を追い続けていたが、それと同時にゲイルの闇も膨れ上がりつつあった。
同じ時間を共にしていたレインも気づかなかったし、大人であり、ギルドの重要な役職に就いていた為にゲイルの近くにいなかったソルも気づく事もない。
「何にしてもゲイルは今回の件に加担していた、ということだな?」
「……はい」
「ならばいずれその件について裁かなければならない。……わかっているな、ゲイル?」
「…………わぁってますよ」
いつの間にやらゲイルは目を覚ましていたようだ。微かに笑みに歪められた口元に、うっすらと開かれた碧眼がそこにある。しかし起き上がる気力はまだないらしく、ロストの手を借りてゆっくりと体を起こしていく。
それを見届け、ソルはゲイルを見下ろした。
「お前がそうなったのはやはりあいつらの件か?」
「……そうさ」
「スミス一族を初めとする保守派への復讐か?」
「ああ、そうさ」
あの一件を知っているからこそ、ゲイルが何故このような手段をとったのかもわかる。だからゲイルの口からそれを確かめなければならない
「つまり、保守派の皆殺しか?」
「……おうよぉ。ギルドを腐らせていく保守派の皆殺しであのような出来事をこれ以上増やさねぇようにする。復讐と同時にギルドを新生させる。それが俺様の目的ってやつよぉ……」
血を流す事によって改革を起こす。そういうことも歴史の中では起こりえる事であり、実際に何度かあることだ。そんなゲイルを見つめるソルの眼差しは厳しい。
ゲイルの両親の件を追っているソルもまた保守派に対する感情はよろしくない。
本来ならばスミスの者達法的に抹殺する事がソルの目的だった。もちろん文字通り抹殺する事も考えたが、それはすぐに棄却することにした。だが完全に棄却することはなく、法的に抹殺した後に文字通りの抹殺をする事で絶望を与えよう、と考えた事もあった。
しかしそれよりも真実を追い求める事を決める。一体どれだけの者が関与し、誰が実際に手を下したのか。それが知りたかった。
この数年あの事件に関して調べ続けたが、そうそう情報が集まるものではなかった。かといってまったく見つからなかったというわけでもない。少しずつ集めていき、真実へと近づきつつあったのだ。
それが今回の件で消え去った。
「だから保守派がほぼ全滅していると?」
「あん?」
報告によれば保守派の者達、特に主要人物が死亡してしまったという。ソルとゲイルが追っていたスミスの者も死んでしまったとも報告された。つまり、本命といえる人物が消えたという事でもある。
その事を伝えると、ゲイルは目を細めた。
「……ちょいと訊きたいんですがよぉ」
「なんだ?」
「そいつら、どこで死んでいたんで?」
「ギルドの本部内だな」
その答えはある程度ゲイルも予想はしていたのだろう。碧眼を細めて小さく唸る。一体どうしたのかとソル達の視線がゲイルへと向けられた。
「一体誰が殺した?」
「……お前達の仲間の誰かではないのか?」
「……確かにあの人が北門から襲撃を入れて向かう手筈になっていたけどよ。確かあの時神倉月達がすぐにあの人の下へと向かってったよな?」
「そんな感じだったわね」
月達と途中まで共に街を走っていた紅葉がそれに同意する。彼女達の疾走速度なら、そんなに時間をかけずに北門へと到達するだろう。そしてあの炎は朝陽が引き起こしたものだろうと紅葉たちは推測している。
月達と合間見えながらもあれだけの魔法を行使したのならば、殺害しに行けるかどうか疑わしい、そういうことなのだろうか。
だが返ってきたのは少し違う言葉だった。
「確かに作戦内に保守派の殺害は含まれていた。しかし俺様が狙っている奴らは俺様直々に抹殺出来る様に残してくれる手筈になっていた。……まあ要するに復讐は果たしてくれるってことさ」
「……ということは何? その朝陽が殺していないかもしれないってこと?」
「まぁそういうこったな。とはいえ、殺ったかもしれない奴は今なら目星はついてるけどな」
「……君達を殺そうとした奴かね?」
ゲイルとロストを切り捨て、始末しようとしたあの黒服の何者か。素顔は見えなかったし、声も変えているかのようだった。わかるのは口調からして女性ではないかと言う事だけ。しかしあの出で立ち、まさに怪しい人物以外の何者でもない。
ゲイルの事を知っているかのような口ぶりだった為、恐らく仲間のうちの誰かなのだろうとレインは思っていた。だが倒れた時に気になる事を口にしていた。
聞き間違いでなければ、あの時ゲイルは「誰だ、あの野郎……」と呟いていた。
となれば、ゲイルはあの人物を知らない。仲間ならば知らないことはないだろうが、もしかすると隠れて行動していた仲間なのかもしれない。
だがそうでなければ?
自分達、朝陽達とはまた違う第3者の陣営が存在するかもしれない、ということになるのだ。しかしこれは安直な思考だろう。ただゲイルが知らないだけかもしれない可能性だってある。かといって第3の陣営だということも否定できない。
そんな風に堂々巡りなことをレインが考えていると、ゲイルはどこか自嘲じみた笑みを浮かべた。
「……ま、何にしても俺様達は終わったな。目的も果たせなかった。……処罰するなり殺すなり、好きにしろや。ああ、安心しろ。逃げやしねえよ」
「……お兄ちゃんが死ぬなら、アルテも死ぬよ」
「ああ、そうだったな……。じゃあこいつの罪も俺様が……」
「それはダメ。アルテも一緒だよ」
自分とロストの罪を被ろうとするゲイルに怒るかのようにキリッとした表情をし、ゲイルの言葉に重ねてきっぱりと告げる。いつものような幼さを思わせる表情はそこにない。
自分の罪は自分で受ける。
そんな考えは彼女も持っていたということだ。過保護に接してきたが、彼女も子供のままではなかったということらしい。その表情を見つめたゲイルは嘆息し、その髪を優しく撫でてやる。
何を言っても折れる事はないだろう。基本的に従順なロストだが、ここという時は頑固になるところがある。今回の事もそれが発揮されたという事である。
その様子を眺めていたソルは小さく頷いた。
「裁かれる覚悟はあるんだな?」
「……まあ」
「ならば今はそれは置いておく。だがそれに代わり、情報を提供しろ」
「情報? ……俺様たちのか?」
それ以外の何の情報か、という風に笑みを浮かべる。このドンドルマを襲撃し、狂化竜なるものを作り出している朝陽達。一体何を思ってそのような事をするのか。
情報は多いに越した事はない。
そして今、その朝陽達の仲間だったゲイルとロストがここにいる。ならば持っている情報を引き出していかねばならない。
「お前達は仲間から切り捨てられたと思われるな。あの何者かがお前達の仲間かそうでないかは俺たちにはわからんがな、仲間達が救出に来る事はないようだ。……ゲイル、お前はこの先奴らの下に帰る気は?」
「………………」
ソルの問いかけにゲイルは顔をしかめる。元々復讐の為に朝陽の仲間となったゲイルだ。今回のドンドルマ戦でそれは果たされないまま終わってしまった。そしてこの先目的を果たす事は出来ない。
かといって忠誠がまったくなかったわけでもない。朝陽の為に行動していたのは確かだった。ドンドルマを炎で包み込む「紅蓮の処刑場」の種を仕込む為に、外壁に沿って走り回った事もある。
また昴達以外に感づいた者がいれば出向いて始末する役目も担っていた。これに関しては主にセルシウスが行っていたが、時にゲイルも出向いていた。そうやって時間を過ごし、忠誠心も高まっていくのだが、あっさりと切り捨てられた。
疑念はあるが、これはどう考えても切り捨てられた、という結果に至ってしまう。認めたくはないが、やはりそうなのだろうか。
「……ま、あの女ならそういうものだけど」
呟きながら焔姿を現した。一同の視線が焔へと向けられる。それを受けて紅い目がゆっくりと細められていく。
「使えるものは全て駒。それがあの女の考えってこと」
「…………」
「何でそう言えるのかって顔ね。これは獅鬼の考えであり、そして焔も同意する。狂化竜でさえ自身を強化する駒でしかない。そうでしょ?」
「……そうだな」
「どういうことだ?」
そして説明がなされる。
狂化竜とは飛竜たちに狂化などの闇の種を植え付けておき、普段は普通の飛竜となんら変わりない様子で過ごさせておく。しかしきっかけがあれば狂化竜と化し、様々な場所で暴れさせて人々に恐怖を与える。
同時に狂化竜もまた何かを殺し、血を得る事で自信の中にある闇の種を育てていく事となる。そうやって各地を恐怖という名の負の感情、すなわち闇を増幅させ、同時に狂化竜に救う闇を増幅させる。
後はその増幅された闇を回収し、自身に取り込んで力を得ていく。
闇の力を主な力の根源としている朝陽が立てた策。
狂化竜という
あれだけの能力を持つ狂化竜すらも駒としているならば、味方であろうとも駒なのではないか、というのが焔の弁。駒ならば、使えなくなれば切り捨てる事が出来るからだ。
ゲイルとロストはもう用済みとなったが故に、こうして始末する事で切り捨てようとした。その説明の中にそう考えさせられるように示されている。
「つまり何? その朝陽って人は自分が強くなる為だけに、他の全てを犠牲にするのを厭わないってわけ?」
「そういう風に考えられる。……ちなみに狂化竜に関しては獅鬼が朝陽達と直に話して聞いた話。そしてその特徴や闇魔法の事を組み合わせて考えてみても納得出来る事。恐らく間違いない」
焔の言葉に紅葉だけでなく一同に怒りや困惑の表情が浮かび上がる。聞いた限りの事を考えると、朝陽というのは目的の為ならば他者を容易に切り捨てるという考えを持っているとのこと。
確かにその考えを持つ者は少なくない。戦争で、商業で、政治で……。様々なものでその考えを持つ人は存在している。勝つ為に、得る為に……何かを誰かを犠牲にしてでも突き進む、あるいは遂行する。
犠牲なくして得られる事は少ない。だからこそ非情になってでもその道を進むものが存在するのだ。程度の違いはあれども、切り捨てる事を渋りつつも執行する者が大抵だ。
だが当然ながら迷いなく切り捨てる者も存在する。目的の為に情け容赦なく切り捨て、殺し、奪い尽くす。使えなくなった、ミスをした部下を解雇する、あるいは殺す。何の迷いもなく執行する。
そうやって大きくなっていった組織もあるし、勝利を収めた戦いが存在するのが現実である。
しかしそれをも超えるのが朝陽だろう。
明らかに度を超えている。よもや自分以外を駒と置き換え、思い通りに増やして殺しつくす。彼女にとって人々は自分を強くする為の駒でしかないというのか。
何という傲慢。
そこまでして力を求めるというのか。どんな理由があるにしろ、そんな事で自分達を初めとする人々の故郷が消えたというのか。
紅葉の中で朝陽に対する感情はそれほどまでに悪いものとなった。
「で、でも……なんだってこんなことを……? その朝陽さんは、どうして力を高めてるのかな?」
「…………」
シアンだけでなく、そこにいる誰もがそう考えているだろう。何かをするには理由が存在する。力を求めるならば、何かに勝とうとしている、というのが何となくわかる。だがそれほどまでの力を得なければ勝てないほどの敵がいるというのだろうか。
思いつくとするならば古龍。
クシャルダオラなどをも超える程の古龍を倒そうとしているのかもしれない。あるいはG級か、それ以上の存在を相手にしようとしている可能性もある。
腕を組んだ焔は目と口を閉ざしている。その件に関しては知らないのか、はたまた知っていても口にしないのか。ならばゲイルに聞くしかないだろう。
「……神倉月に勝つためさ」
「……は? え、なに? それだけ?」
「ああ、それだけさ。……ああ、ただ勝つだけじゃねえ。殺す為だったかねぇ」
「……っざっけんじゃねえ!」
そこで紅葉が激昂してゲイルへと殴りかかる。しかしそれを防ぐように、ロストが手を出してその手を受け止める。しかも一瞬の内に変化を用い、体を成長させると同時に体の性質を変えたらしい。その手が鈍色に染まっている事から、紅葉の拳を受け止められるように硬く変化させたようだ。
だがそんな事で紅葉が止まるはずもない。完全に頭に血が上っている。ゲイルが怪我人だと言う事も、ロストが13歳の子供である事も忘れてしまっている。
「たったそれだけの事で、あんたたちは多くの人を殺し尽くし、あたしたちの故郷を滅ぼしたって言うの!? ふざんけんのも大概にしなさいよっ!!」
「……っ、っ……!」
「紅葉さん、落ち着いて! 落ち着いてください!」
何度も何度も殴りつけようとするが、そのたびにロストが紅葉の拳を受け止めている。しかし見た目に反した力を持つ紅葉の拳に、ロストの顔に苦悶の表情が浮かび上がっていく。
ライムとシアンが慌てて後ろからしがみついて止めようとしているが、それでも紅葉は止まらない。
「……」
そこでゲイルがロストの首根っこを掴んで自分の下へと引っ張り、飛んできた紅葉の拳を一発頬に自分から受けにいく。
「……っ、く……!?」
「お兄ちゃんっ!?」
その一撃は重く、たまらずゲイルが吹き飛んで地面に転がってしまう。口の中を切ったらしく、少量の血を吐き出してぐいっと口元を拭って微笑を浮かべる。すぐにロストが介抱に向かうが、軽く頭を撫でてゆらりと立ち上がる。
しかし足元がおぼつかない為、ゲイルと同じ年頃の姿に変化したロストが支えなければならなかった。
「……あんたの怒りもごもっともだな……。だがな、それだけあの人は闇に取り込まれてんだよ。俺様なんかとは比べ物にならねぇ位にな。どうしてそこまで堕ちてんのかは俺様にはわからねぇ。……だが、逆に言えばそこまで堕ちるほどの出来事が、あの神倉月との間に起こってるって事にもなるわけよぉ……」
「……そういえば、月さんは誰かを探す為に世界を回ってるって……もしかして、それがその朝陽さん?」
「ほう? そういうのは聞いてたんか、嬢ちゃん。そういうことよぉ……。神倉月はあの人に会うために世界を回り、そしてあの人はその神倉月を殺す為の力を得る為に世界を回る。……クッヒヒヒヒ、一体どんな過去があったのやら……ごほっ、ごほ……ああ、いてぇ……」
苦笑を漏らした瞬間、頬を押さえて咳き込み始めた。それだけ紅葉の拳が効いているということらしい。わざと受けたとはいえ、怪我人には辛い一撃だったようだ。
押さえつけられていた紅葉も少しだけ頭が冷えたらしく、舌打ちしながら大人しくなる。だがその眼差しは強い怒りが宿っており、腰に手を当てて睨みつけつつ問いかける。
「理由は知らないわけ?」
「知らねぇな。ああ、これは本当さ。あの人は俺様たちの目的は知っているが、過去までは詮索しなかったからな。逆に俺様たちも過去を詮索しなかった。そういうこった」
「じゃあ名前は? 朝陽、朝陽言ってるけど、苗字は?」
「それも知らねぇな。名前だけしか名乗らなかったからなぁ」
疑い深い眼差しを向けるが、それでもゲイルは表情を変えない。ということは本当に知らないのか。そこで焔に視線を向けてみるが、相変わらずの様子で腕を組んでいた。となれば知ってそうなのは月か獅鬼、ということになる。この件は後で聞いてみる事にした。
そこで今度はライムが前に出てくる。
「あの、セルシィ姉さんの事ですが……」
「あん? …………ああ、そういやお前もルシフェルか」
どうやらライムの事も知っていたらしい。ということは話が早い。
「一体彼女はいつからあなたたちの所に?」
「だいたい1、2年前かね。世界を放浪としているところを、あの人がセルシィの異常さに目をつけて引き入れたって話さ」
異常さ、すなわち殺人鬼に目をつけたと考えられる。そして彼女をどう利用するかを考えれば、彼女の特徴を考えれば容易に思い浮かぶ。だからこそライムは聞きたかった。
「セルシィ姉さんは……どれだけの数を手にかけたのですか?」
「……さあねぇ? 少なくとも五十はいってんじゃね? ……ああ、これは別に俺様達の所にいてからってわけじゃねえ。俺様達とつるむ以前も考慮したら、それだけいくんじゃねえかってこった。それに今回の件も含めれば……それは下らねぇんじゃねえの? なにせ無表情で無感情で殺すからな、あいつは」
それが殺人鬼としての特徴なのだが、セルシウスの場合は長く殺人鬼で在り続けたからこそ、あそこまでの殺しを行う事が出来るのだ。
血を見ようと、人の死体を見ようと揺らがない心。そして何より人を殺す事を躊躇わない心。
これがなければあそこまでの在り方は出来ないだろう。
「で? お前、どうするつもりだ? んなこと聞いてよぉ」
「決まってます。セルシィ姉さんをこちらに引き戻します」
「……ハッ、出来ると思ってんのか? セルシィのアレはな、あいつにとっての“普通”なんだぜぇ? 人それぞれの“普通”ってのはそう簡単には変えられねぇぜぇ?」
ロストに支えられつつじっとライムを見据えるゲイルは、少しだけ顔をしかめつつも変わらぬ笑みを浮かべている。
本当にやるのか?
本当に出来るのか?
そんな問いかけを含めた視線を受け止めながら、ライムはしっかりと頷いた。
「出来るかじゃない。やってみせます。レインさんがあなたをこちらに引き込んだように」
「…………ハッ、引き込まれたわけじゃねえんだけどな」
「ほう、ここでそんな事を言うのかね、君は」
「クヒヒ、言ったろう? 俺様はなげぇこと復讐を志してたんだよ。んなもんがあれっぽっちの事で全部消えるわけねぇだろうが」
それもまた然り。だがわかる者はわかっている。
ゲイルの中にある闇は確かに薄れていた。強い復讐心と闘争心が幾ばくか和らいでいるのがライムには視えているのだ。……いや、気のせいかさっきまで視えていた心の奥底にあった闇まで消えている。
ゲイルがこうして変わったように、セルシウスもまた変えてみせる。
揺ぎ無い決意を見たゲイルは小さく嘆息する。
「……ま、せいぜい頑張れや」
「はい」
「んで、レイン。俺様達はこれからどこにいればいいんだ?」
裁くのはドンドルマの復興後ということはわかったが、それまではどうするのか。それもまた問題だろう。レインは今まで成り行きを見守っていたソルへと視線を向ける。
「そうだな。色々考えたが、レイン達と共に行動しろ」
「……あん? それはどういうことで?」
「お前達の動向を監視すると共に、更なる情報も引き出させてもらう。また、時にレイン達と共に狂化竜たちと戦え」
「つまりなんです? レイン達につけ、と。そういうことで?」
その問いかけにソルは頷いた。
「監視や情報は言わずともわかるだろう? お前達はある意味捕虜同然。脱走や反乱を防ぐ為の監視、そして奴らに属していたが故に情報は貰う。……だが狂化竜に関しては戦力は欲しいところだ。現在のこの状況、使える戦力は一人でも多く欲しい。だから手を貸せ」
「……ハッ、拒否権はないんでしょうな」
「当たり前だろう。逆らえる立場にあると思っているのか?」
その言葉にゲイルは苦笑するしかない。逆らっても待ち受けるのは死だろう。別にこの世に未練があるわけでもないが、そうなるとロストがどうなる事か。この少女はまだまだ生き続けるべきだとゲイルは考えている。ある意味ロストの未来が未練といってもいいだろう。
ロストの事を考えれば逆らうのは得策ではない。ここは大人しく受け入れるべきだろうと考える。空いている右腕を上げて首を振る。
「わぁーったよ。その提案、受けるよ。俺様とアルテはレイン達と共に行動する。これでいいんだろ?」
「ああ、それでいい。……アルテ、と言ったか? お前もそれでいいな?」
「……うん。お兄ちゃんがそう決めたのなら、アルテもそれでいいよ」
何の迷いもなくそう言って頷いた。変わらぬ雰囲気であり、相変わらずゲイルを中心として回っている。
それを確認したソルは頷き、レインとサンへと向き直った。
「では、俺は他の場所に行く。ここはお前達に任せるぞ」
「わかりました」
「……わかりました」
二人の返事を聞き、ソルはその場を離れていった。それを見送り、ゲイルは嘆息して一同を見回す。紅葉は相変わらずきつい眼差しをゲイルに向けており、完全に怒りが消えているわけでもなさそうだ。それを感じてゲイルはまた苦笑を浮かべる。
「まぁ、なんだ……よろしく頼むぜ」
「……ふん」
そっぽ向いて少しだけこの場を離れていく。その後ろから焔もついていき、ローブの中から回復薬などを取り出して調合を始めた。紅葉も同じように取り出して焔と共に調合を始める。どうやら少しでも薬を用意しようという事のようだ。
そしてシアンはロストに近づいていき、そっと手を差し出した。
「えっと、よろしくね」
「……うん、よろしく」
様子を察したゲイルが軽くロストから離れると、シアンはロストと握手した。その間にゲイルはレインに支えられている。
「えっと、ロストって実際の名前じゃないよね? 本当の名前は……アルテっていうのかな?」
「いや、アルテってのは愛称さぁ……っとと」
訂正しようとしたゲイルが体を押さえてバランスを崩してしまった。慌ててレインが支えてやり、何とか持ち直すことが出来たようだが、やはりまだ怪我が痛むようである。
「……で、名前だが、アルテミスね。俺様らはアルテって呼んでらぁ」
「アルテミス……狩猟、月の女神、ですか」
口元に指を当てながらサンが呟くように言った。遠い昔の神話に語られる存在であり、その道の歴史の知識を持っている人は知る存在だ。そしてサンだけでなくライムも気づいているらしい。二人は読書家なのでそういうものも読んでいたようだ。
しかしそのような大層な名前を与えられるとは、一体どこの娘だったのだろうか。少しそれが気になった。
「えっと、アルテミス……なにかな?」
「いや、アルテの苗字はわからねぇな。何せ、孤児だったからな」
「……え? 孤児?」
「そう。だから両親が誰なのか、どこの子供なのか、んなことは俺様達にもわからねぇ。だから苗字はねぇ」
シアンたちの視線がロスト――アルテへと向けられる。しかしアルテはどうということないような変わらぬ表情をしている。
「別にアルテは気にしてないよ。お兄ちゃんがいるもん」
「……とまあ、こんな奴さ。ま、よろしくしてやってくれや」
「……うん。わたしはシアン。よろしくね、アルテちゃん」
改めて自己紹介をし、明るい笑顔を見せながら両手でアルテの手を掴み、ぎゅっと包み込んでぶんぶんと上下に振る。最初こそシアンのテンションに引いていたが、微かに笑顔を見せて頷いた。
それからライム達とも自己紹介をし、ゲイルとアルテは監視付きで仲間となることとなる。しかしまだ“敵だった”という肩書きはまだ消える事はない。溝はあるだろうが、ここに新たなる始まりを告げることとなる。
○
ドンドルマ東門の先、ラオシャンロンや狂化竜たちと戦闘したハンター達が治療を受けていた。死亡したハンター達も多く、死体は一箇所に集められて横たわられている。その数を数人のギルドナイトが数えている。名簿を手に取って顔を確認して記録もしていた。
そして重傷者を優先して医療班がハンター達の治療を行っている。先ほど月も合流し、必要なものを取り出して持ち前の技術を振るっててきぱきと治療を進めている。
離れたところでは優羅が薬を手にして昴の手当てをしていた。魔法の反動もあり、魔力と体の傷の調子を診て必要なものを判断して用意している。消費された魔力の回復を促す薬を飲ませておく。
あれだけの収束砲を撃った反動は頭痛だけではない。優羅と分割されたとはいえ、撃ちだした右腕は多くの傷がはしっている。それは腕につけている装備を取ってみてわかった事だ。感覚が少し麻痺しており、手当てを受けるまでわからなかったのだ。
これはしばらく右腕の包帯巻きは確実という事となった。
「……じゃあこれを塗りますから」
「ん」
塗り薬を手にすると露になっている右腕を差し出す。最初こそ自分でやる、と言ったのだが、優羅がやると押し続けた結果こういう形になってしまった。
ちなみに周囲数メートルは誰もいない。翡翠と桔梗が一番近くにいるのだが、どういうわけか5メートルほど離れている。しかし時折昴と優羅に視線を向けているところから、それなりには気になるのだろう。
何故ならば、二人の雰囲気が妙に甘いというのか、アレな関係に見えたりするのだ。あからさまな気の遣い方の為、その道の事は知らない昴でも何となく気づいてしまっている。
というより周囲に誰もいない時点でおかしいとはわかってしまう。そしてその意味にも図らずも気づいてしまった為、最初こそ翡翠に離れるな、と言ったのだが結果はごらんの有様。
何故か親指を立てられ、離れた所で桔梗に治療を受ける形になった。
「…………」
薬を塗られながら昴はじっと優羅を見つめる。無言でしっかりとムラなく薬を塗りこんでいく優羅は、やはり贔屓目で見なくても美人だ。幼い頃も可愛かったが、今ではこうして美人、という言葉が似合うほどに成長している。
そんな相手から告白され、キスされてしまった。
恐らくそれもどこかから見られていたのかもしれない。だから気を遣われてしまっているのだと考える。
当の優羅はというと、傍目に見てもあまり変わらないと思ってしまう。なかったことにはされていないだろうが、それでも雰囲気などは以前と変わることはない。
(……気にしすぎなのもよくないか。優羅が変わらないならば、俺もそんなに変えることはしないでおくか。……しかし考えるだけ考えておこう)
告白というものは勇気のいることだ。幼馴染ではなく一線を越えてきた。そういう事に関しても勇気はいるだろう。だからこそ考えなければならない。そして答えを出さなくては。
手当てを受けている間、昴はその事を考え続ける事にする。
一方翡翠はというと桔梗から手当てを受けながらチラチラと昴と優羅を眺めている。翡翠もまたあの収束砲を撃った事によって反動を受けている。魔族としての強固な体をしているとはいえ、あれだけの反動は翡翠一人で受けている。桔梗が後ろで支えていたとはいえ、反動は昴と優羅の二人のように分割されていない。
元々魔法の才能があまりない故に、アクセサリーの支援を受けなければまともな魔法を行使できない。そしてアクセサリーの支援があったとしても反動がまったくないわけでもない。実際にこうして体に傷が入ってしまっている。
嵐のエネルギーというだけあって身につけているクックUアームは傷だらけ。通された魔力によって右腕も多くの傷がはしっている。
戦闘時の傷よりも魔法による反動の傷の方が痛々しい。翡翠もまた右腕に包帯巻きは避けられない事のようだ。しかし手当てはしっかりとしなければならない。桔梗は用意された薬を用いて翡翠を治療していく。
そこに雷河と一人の女性が近づいてきた。鈍色の長髪をした女性である。サファイアのような青い瞳をし、黒いドレス状の私服をしている。気の強そうなその瞳を見つめた翡翠は、この女性が何者か少し考えて思い至る。
「――――クシャル……」
「それを口にするな、
「……そうだな、失礼。……となると、そこのお前もアレか?」
「流石だな。魔族……いや、血統によるものか」
血統と聞いたとき翡翠の青い目が細まる。それを口に出来るということは、自分の血統についての知識が深いというということになるかもしれない。別に翡翠としては、血統の事についてとやかく言われてもどうということはないのだが、それでも自分の血統というのは世間的にはある意味曰くつきだ。
「それで、何か用で?」
「ん~……まあな。正しくはお前達だけじゃなく、あそこにいるカップルも、なんだけどな」
カップルとは昴と優羅の事だろう。どうやら聞こえてはいないようだが、聞こえていたらどうなっていることやら。
「後で一緒に来てもらってもいいか? まあ今回のクエストに関する事も話さなきゃならんけどな」
「クエストねえ……一体どういう話よ?」
「もちろんラオだったり、狂化竜だったり、な。兄ちゃん達もあれだろ? 狙われてたんだろ? ……だったら黒髪の兄ちゃん達と一緒に情報交換の場を設けようって話よ」
「……なるほど、これはいい機会でしょうね。情報は欲しいですから」
その話に桔梗も頷く。ずっとポッケ村で過ごしていた為、狂化竜に関する事は情報が少ない。情報を求めて世界を回っていた昴達と混ざれば、何か得られるものがあるはずだ。断る理由はない。
「じゃあ後でまたあとで。黒髪の兄ちゃん達にもこの件の事、伝えておいてくれや」
「……おい、お前さん俺らにあそこに入れと?」
そう言って視線を向けた先には無言なれど、どこか甘い空気を発している二人がいる。優しくしっかりと薬を塗りこんでいく優羅の表情は相変わらず無表情。だがどこかきついものが和らいでいるような感じがする。
いや、そんなことは翡翠たちにはわからない。わかるのは恐らく昴だけだろう。
しかし翡翠たちにわかることはある。
アレを邪魔すると何となく気まずくなってしまうということだ。というか壊してしまい、優羅の機嫌を損ねるのが何となく怖い感じがする。
普段から無表情でクールな彼女が怒りを見せれば、どれだけの氷点下の空気が生まれるのか。ある意味狂化竜を相手にするよりも怖い気がする。
「……まぁなんだ、俺は月さんの所に行ってくるから頼むわ」
「なに、少し話をするだけでしょうに。恐れる事はないと思うけど、童?」
「いや、あんた。アレを壊せんのか!?」
ビシッと二人を指差す翡翠だが、クシャルダオラ――
「あの程度の雄と雌の馴れ合いなんぞどこにでもあることよ。それにあの小娘の怒りなんぞ、私にとってはそよ風にしかならないわ」
「どれだけ太い精神してんだ?」
「ふん、千年以上も生きていればどうということはないわよ」
それを言い残して風花は去っていく。雷河もまた小さく手を挙げると彼女を追って去っていった。残された翡翠と桔梗はそれを見送り、横目で視線を交差させる。
「……古龍だけあってやはり長く生きているようですね」
「らしいな。ってか人に変化出来るって事は魔法においても結構心得があるんだろうな。……G級クラスじゃね? あるいは剛か? 何にしても敵に回したくねえな」
その言葉に桔梗は小さく頷いた。今回は味方になってくれたし、雷河と知り合いであるならば、敵対する事はなさそうだが……それでも気になるところである。
何せ古龍にしてG級かもしれないクシャルダオラだ。雷河もラージャンというところもあり、不安なところでもある。
そんな二人を敵に回してしまえば、どうなることかわからない。
狂化竜の件もある今、これ以上敵は作りたくはない。自分達にとって狂化竜の件こそが一番大きな問題なのだ。彼らだけできついというのに、更に大きな敵が現れるなんて御免である。
しかし今は、目先の問題に対処するとしよう。
「…………」
「……私が行きましょう」
薬の蓋を閉めつつ、苦笑を浮かべた桔梗が呟いた。
「……いや、俺が行くよ」
「いえ、翡翠さんは負傷しているのですからそのままで。私が行ってきますわ」
立ち上がろうとした翡翠の肩に手を置いて座らせ、桔梗が腰を上げる。
そのまま昴と優羅に近づいていき、そっと声をかける事にする。
「もし……白銀さん?」
「む?」
「…………」
昴は軽く視線を上げたが、優羅は無表情に桔梗へと視線を向ける。気のせいか眼光か少しばかり強く鋭い気がする。しかしそれに臆するわけにもいかない。微笑を浮かべて先ほど雷河に伝えられた事を昴へと伝える。
「わかった。終わったら行こう」
「はい。では」
「あ、待て」
「はい?」
頭を下げて背を向けようとする桔梗に昴は慌てて呼び止める。どうしたのかという風に肩越しに振り返ると、昴は桔梗と翡翠を交互に視線を動かした。
「……何故わざわざ離れる?」
「え? あ、いえ……それは……」
「…………」
少しだけ困ったような笑顔を見せながら視線を動かすと、じっと桔梗を見つめている優羅に気づいた。
さっさと失せろ。
そんな言葉が聞こえてくるかのような視線。気のせいか気質が高まっているような? 冷気も纏っているような雰囲気もするが、巧妙に昴には気づかれないようにしているではないか。桔梗側から優羅を見ている者たちは、揃って震えている。
「お、お気になさらず」
「ふむ……?」
「…………」
「では、後ほど」
小さく頭を下げて翡翠の元へと戻っていく。それを見送り、昴は小さく首をかしげる。
「はて? どうしたものか……」
「…………」
一人わかっていない昴だが、当事者にして震源に一番近くにいるのに気づかないのもどうしたものか。
そして優羅はというと無言で無表情のままてきぱきと治療を進めている。さっきまで冷気を放っていたのに、なかったかのように静まっている。
この切り替えもまたどこか末恐ろしい。
やがて治療が終わり、二人は翡翠の下へと向かっていく。
その頃の雷河と風花。
重傷者の治療を行っている月の下へと向かう途中の事。周りにはハンター達が集まっており、各々ギルドの衛生兵や助手のアイルーの手によって治療を受けている。その中を歩いていく途中に雷河は風花に声をかけた。
「そういやさ」
「なに?」
「よくドンドルマがこういう状況だってわかったよな?」
「……わかったというよりは予知していた、ね。昔から何となくこういうのがわかっていたから。北の方でそれなりに狂化竜を始末して回ってたけど、ラオが動いた気配がしたからこうしてやってきたのよ」
無表情にそう答える。
彼女もまた狂化竜に対して思うところがある存在だ。長く時を生き、人族との関わりもそれなりにある。魔力と魔法を得てこうして人に変化する技術も得てしまっているほどの実力者。
そして――
「……予知、ねぇ……。流石は“世界”近くまで迫った存在だ」
「“世界”程じゃないわよ。せいぜい“自然”程度。それに私程度の存在なんて結構いるわよ?」
人族、モンスターは実力や能力を高め続けた存在は種族の枠を超える事がある。
“大地”“海”“空”。その上に“自然”、そして最高ランクとされる“世界”。
これらの枠に属し、その世界を裏から支えたり裏から干渉したり、あるいは引っ掻き回したりする。
また高みへと上り詰めるにつれてどこか性格が歪んでいく事が多い。長生きすると達観してしまうということなのかもしれない。
この風花もまた少しばかり歪んでいる。例えば戯れと称してハンターと戦ったりするのがそれに当たる。わざわざ甲殻の強度を下げてハンターと戦う辺りどうかと思われる。もちろん昴達と戦った時もそうだった。傷が入ったのは体の強度を下げていたからだ。そしてライム達が逃げられたのも手加減していたから。その気になればライム達は瞬殺されている。
その事を考えると雷河の心中は穏やかではない。
せっかく得た鍵が戯れなんぞで消えていくなんてとんでもない事だ。
「それに雷河。あの童達でこの先やっていけると思っているのかしら?」
「やっていけるか、じゃねえよ。やらなきゃならねえ。でなけりゃ多くの命が消えてしまう。俺としては風花がこの件に首を突っ込んでるのが意外なんだけどな?」
「……ふん、命なんて消える時は消えるから私にとってはどうでもいいけど、ああいう思惑によって消えていくのは不本意。だからせめて奴らの駒を消し続けるくらいはやらないと」
「でも……」と風花は言葉を続ける。どうしたのかと視線を向けると、その無表情な顔に陰がかかっている気がした。
「……あの女狐が関わってるかも知れないのだからね」
「……は? なんつった?」
小声の為に聞き取れなかった為、聞き返そうとしたところですぐそこに月がやってくる。その様子から重傷者の治療が終わっていることはわかる。残りは軽傷者のみなので、ギルドの衛生兵に任せても大丈夫な状態になった。それに薬など必要なものも渡してあるので問題ない。
「どうしたんだい?」
「ああ、いや……」
チラッと風花の方を見るが、先ほどの事がなかったかのようにどこ吹く風である。訊き返しても答えてくれそうにないので、仕方なく月へと話しかける事にした。
「……で、重傷者の治療は終わったんすか?」
「ああ。何とか助ける事が出来たよ。一部の患者は専門の衛生兵に任せてあるけど、大丈夫だろうね。救える者は救えたと思うよ」
一息ついて布を取り出し、そっと手を吹いて微笑を浮かべる。
「月さんもそれなりに医療技術は持ってるんすよね?」
「そうだね。獅鬼には及ばないけど」
だからこそこうして緊急時の医師として参加する資格を持っている。緊急時の時こそ治療の技術を持っている人材を求められる。治療の手だけでなく食料や情報なども求められる為、その三つを持っている月や獅鬼の存在は大変ありがたいものなのだ。
「えっと、そちらの女性は……ほう、これはまた珍しい」
「ふん、流石は神倉の最高傑作と歌われた娘。一目見ただけで私の事に気づくか」
「獅鬼も珍しい存在と知り合いになっているものだね。あなたのような存在と会うのは、たぶんあの人以来かな」
あの人、という単語に風花は微かに目を細める。どうやら心当たりがあるらしい。
そこで思い立ったように月が小さく頷き、風花の前に立って手を差し出した。
「ああ、まずは挨拶するべきだったね、失礼。私は神倉月。よろしく頼むよ」
「……風花よ。獅鬼とはちょっとした縁で知り合ったわ。よろしく、神倉月」
そう言いつつ月の手を軽く叩くことで応える。千年以上も生き、古龍という枠をも超えた者の為、月といえども普通に握手をする事はしないらしい。そして月もそんな事を気にする人ではないため、微笑を浮かべるだけである。
それにしても雷河に続いて風花……ひいては人に変化できるラージャンとクシャルダオラ。雷河の場合は獅鬼が教えたようだが、“自然”に属するほどの力を持つクシャルダオラと知り合いになるとは、獅鬼は一体どんな旅をしたのだろうかと月は考えてしまう。
自分の種族の枠を超える力を得る者は少ない。そして人の前にあまり姿を現すことはない。現れたとしても上手くその力を隠して混ざっている為、出会う事はそんなにない。
長く生きている月でさえ風花に会うまで会った事がないのだ。それが風花のような存在がどれだけ貴重なのかよくわかるというもの。
「それで、風花さんはこの件に関してどれだけの事を知っているのかな?」
「そうね、獅鬼と同じくらい、かしら? とはいえ、私にも知らない事はあるし、獅鬼が知らない事を私が知っている事もある、とも言っておくわ。何にせよ、今回の件はそこらの童や娘では対処できるはずもなし」
「獅鬼によれば、鍵は彼らだということだけど?」
その鍵である昴達が向こうから近づいてくる。月達は彼らを見つめ、そして三人の視線が交差する。
「そのようね。私としては鍵と呼ばれた童達はどこまで戦えるのか、見物よね」
「ま、親父が言うには今以上に鍛えるって話ですわ」
ハンターにとって経験ほど大切なものはない。習うよりも知識を得るよりも、実戦して身に刻み続けなければならない。
武術と同じ事。
痛み、攻め方、対処の仕方……フィールドに出てモンスターと戦わなければ上に行く事など不可能。
だからこそ昴達をフィールドへと向かわせて戦わせてやる。主に新米であるライムとシアンをしごき続けてやらねばならないだろう。でなければアレと戦うなんて夢のまた夢だ。
「……待たせたか?」
「いや、そんなには。久しぶりだね昴、そして優羅。生きていたようで何よりだ」
微笑を浮かべて再会を喜ぶ月。昴も微笑を浮かべて応え、優羅は小さく頭を下げるだけで何も言わない。一方翡翠と桔梗は月を見て首をかしげている。
「こちらは初めましてかな? 私は神倉月。よろしく頼むよ」
「神倉月ってあの? え? お前ら、こんな有名人と知り合いなのか?」
「縁があってな。……あなたがここにいるということは、もしかして……」
「ああ、案内しよう」
微笑を浮かべて振り返ると、右手を挙げて小さく詠唱する。
「
すると空間の裂け目が生まれて奥に別の光景が見えるようになった。肩越しに振り返って月が首をしゃくり、通るように促す。雷河と風花が先導して裂け目を潜り、続いて昴達も潜り、最後に月が潜り抜けて裂け目が閉じる。
移動した先は東門の反対、西門。月は軽く辺りを見回し、目的の人物を見つけて歩き始める。向かう先は群衆の中に存在する赤いローブを纏った長身の者。
「……ん? 戻ったか」
「ああ、ただいま」
軽く挨拶を交わす二人の背後にいる者たちは驚きに彩られている。
獅鬼の背後にいる紅葉は月の後ろにいる昴と優羅を見つめて呆然としている。
またライムとシアン、そして月の後ろにいる翡翠はお互いを見つめて呆然としている。
その出会いが、再会が、信じられない、という風に。
「…………昴、優羅……」
呟くような紅葉の呼びかけ。その呼びかけに応え、昴は軽く笑みを浮かべ、優羅はそっと視線を逸らす。あの時崖から落ちて行方不明となった二人が、こうして目の前にいる。
どれだけ待ち望んだ再会か。
こうして生きて姿を現してくれた。
ふらりと一歩を踏み出し、もう一歩、一歩と歩いた後に走り出す。
「――っ!」
両腕を二人の首元へと伸ばして抱きしめつつ引き寄せる。
「っと……」
「……っ」
バランスを崩しながらも踏みとどまり、二人は間にいる紅葉を見下ろした。そこにある顔は、二人の予想通りに涙に濡れている。
「……よかった、よかったよ……会いたかった……」
「紅葉……」
「…………」
ぐずりながら呟く紅葉を見つめる二人の眼差しは優しい。こんな紅葉を見るのも久しぶりだった。泣き虫な紅葉がここに蘇る。そして同時に二人の兄貴分な昴と、現在の落ち着いて冷静な優羅が姉のようにそこに現れる。
二人は同時に手を伸ばし、その紅い髪を両側から撫でてやるのだった。
そしてライムとシアンは信じられない、という風に翡翠を見つめている。同時に翡翠もまた驚きと同時に懐かしさも含まれた眼差しを二人に向けている。
「…………兄さん」
「……よ、久しぶりってか?」
呼びかけに応えるように軽く手を挙げてやる。するとライムが駆け出して翡翠へと向かってく。その体にしがみつくと、その青い目から小さな雫が流れ落ちる。その様子に苦笑すると、ぽんぽんと軽く頭を撫でてやる。
「……髪、また伸ばしたのか。それにハンターになっているとは驚きだぜ、ライム」
「兄さんに会うためです。兄さんを探すには、ハンターになってハンター達の情報網に接触してみればいいかと思いまして……」
「なるほど、お前にしてはすげえ決断だったろうな。……ふ、それにしても昔と比べて鍛えられてるな。随分と変わったもんだ」
頭を撫でていた手を腕や体に触れていきながら頷く。胸元にうずめていた顔を離すと、小さく微笑して昴に視線を移した。
「昴さん達に鍛えられましたから」
「お? そうなのか? ……こいつは奇妙な縁だな」
翡翠も昴達へと視線を向けて微笑を浮かべる。それからシアンへと移すとまた軽く手を挙げる。
「でもってシアン嬢ちゃんも久しぶりってか」
「……はい、ひさしぶりです、クロムさん」
近づいてきたシアンも小さく頭を下げて応える。その目が潤んでいるのは気のせいではないだろう。
離れたところにいる昴も少し驚いた顔で翡翠達を見つめている。
天草翡翠という名前が偽名というのは彼自身から聞いている。記憶が戻ってからは翡翠が何となくそうじゃないか、という気はしていた。
そしてそれは当たっていた。
彼の本名はクロム・ルシフェル。行方不明とされていたライムの実兄。
名を変え、ポッケ村に身を潜めるように世間から姿を消した彼が今、残されたたった一人の家族と再会したのだ。
そしてその様子を離れた場所から眺める獅鬼と月。昴達の再会を眺め、クロムへと視線を移す。
「もしかして残りのシュヴァルツとは……」
「ああ、あの少年だ。オレが鍛えたあの少女も揃った。だからシュヴァルツの末裔は七人。……オレたちは因子による混じり物だから実際のカウントでいえば四人だな」
「つまりこれらのメンバーで彼らと戦うと、そういうことかい?」
「その通りだ」
ここにいる昴達が獅鬼にとっての鍵。……いや、正確にはセルシウスも含めてかもしれない。でなければシュヴァルツの血統の鍵の一人にカウントされていない。
それが意味する事は、セルシウスもいずれは引き込もうというのだろう。
「あの小僧らには期待している。だからこそ早いところ鍛えておきたいところだ」
「……昨日も言っていたけれど、プランはあるのかい?」
「一応はな。耐え切れるかはあの小僧次第だ。予想通りならば朝陽達も行動を起こすだろう。他の少年達にとってもいい修行になる」
一体どこまで知っていて、どこまで考えているのだろうか。気になるところだが、口にする事はないかもしれない。今までも黙っていたのだ。これから先もあまり口にしないのが獅鬼という人である。
しかし現状はそうはいかない。事態はこのドンドルマ周辺、あるいは世界まで及びかねないことだ。しかもそれを回避する為の鍵が、この若い少年少女達のハンター。もっと優秀なハンターを呼び寄せた方がいいんじゃないだろうか、という考えが月の中で微かに芽生え始めている。
もちろん昴達の事を信じていないわけでもない。彼らは優秀なハンターに成り得る逸材だ。磨けば光る卵や雛達はここに揃った。
だが相手が悪すぎる。
故にこんな不安が芽生えるのだ。
そして獅鬼も月の不安を感じ取ったのか、仮面の下から月を横目で見る。
「……何、不安なのはオレも同じ事。しかしそれでもオレはこいつらで事に当たることにする」
「……何故?」
「でなければ、あいつが何をしでかすかわからんからだ。“つまらない”という一言で切り捨てられてはたまらんだろう?」
それで月は納得してしまった。彼女もまたその人物を知っている。
月からしてもあの人相手に喧嘩を売るような事はしたくはない。しかし今回ばかりは売ってしまいたい気分になってしまう。あの人の心情一つで世界の命運を操作されてはたまらない。
世界の住人でない者が、世界の住人の行動を制限するなんて馬鹿げている。だがあの人の力量は計り知れず、月がタイマンして勝てるかどうかもわからない存在。
二人の頭の中で薄く笑う姿が思い浮かばれる。
「何にしても、守らなければならないね。この世界を」
「然り。これから少しずつ反撃の手を構築していくとしよう」
二人の決意は固まっていく。満ちる闇を払い、そして未来を守る光明を昴達に見出す。その光明を確実なものにする為、彼らの修行が始まる事になる。
彼らの縁は偶然か、あるいは必然か。
再会、出会い……少年達の道はここに交わる。
これらの出会いは新たなる幕開けを告げることとなる。
彼らの未来に光はあるのか。
それとも、世界と共に闇に消えるのか。
それを知る者は――神か、“世界”か、あるいは彼女か……。
運命の歯車は噛み合い、また回り始める。