呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

58 / 149
56話

 

 

 ある森の奥深く、木々に囲まれた場所に彼らは集まっていた。しかしその数は以前よりも少ない。

 それも当然だろう。あの二人は切り捨てられてしまったのだから。今となっては朝陽、セルシウス、そしてアキラの三人だけ。最初こそ朝陽は何故あの二人がいないのかを問いかけたが、アキラがこう答えた。

 

「奴らに捕らわれてしまった」

 

 それに対する言葉はこうである。

 

「そう、ならいいわ。どうせもう役割は終わったのだし、問題ないわ」

 

 救出の“き”の字もない。朝陽からもいとも容易く切り捨てられてしまった。少し離れた場所で木にもたれかかって腕を組んでいるセルシウスは、その言葉に微かに閉じていた目を開けたが、一息ついてまた閉じられる。

 その様子を知ってか知らずか、朝陽は次の段階について話し始める。

 

「いよいよ終盤、今までよく動いてくれたわ。アキラ、種はどうなってるの?」

「問題ない。いつでも始動可能だ」

「そう。ならすぐにでもやりなさい」

 

 種を植えるのは朝陽だけでなくアキラも行っている。前回の狂リオレウス達は朝陽自身も増やしたが、アキラもまた増やしたのだ。最終的には総勢三十体の数を揃える事となったが、朝陽はほとんどをアキラが集めたと報告を受けている。

 そしてばら撒かれた狂化竜達はほぼ全てアキラが監視している。それだけの数の使い魔による監視の目を生み出し、維持し続けるだけの魔力をアキラは持っているのだ。そしてその使い魔たちもアキラの指示に従い、狂化竜の種を目覚めさせる事も可能としている為、この第三段階の始動する為の鍵にも成り得るのだ。

 

「スノーもこれから好きに殺し回るといいわ。殺人による恐怖と血の雨を降らせなさい」

「……わかった」

 

 小さく頷くのを確認し、朝陽は冷笑を浮かべる。右手をぐっと握り締めてこれから起こるであろう事を想像して小さく体を震わせる。

 長かった。実に長かった。

 月に勝つ為の力を得る為の様々な策。どれもしっくりこなかったが、それでも少しずつ力は集まっていた。

 ある書物に出会い、生贄(サクリファイス)魂喰い(ソウルイーター)と狂化を利用したこの策の元祖の記述を見つけたときのひらめき。あの日からまた数十年の月日が流れた。

 「禁じられた闇の秘術とその使用されたもの」。

 著者ルナ・フォックスとあったその書物との出会いは全くの偶然だった。神倉の里にあった同じ著者の闇魔法の本とはまた別の本であるそれは、裏ルートに出回っていたものだった。

 例え持っていたとしても知識がつくだけで実際に使用出来ないものばかり。もちろんそれはその非道さによるものではなく、持ちうる才能が足りないから使用出来ないのだ。

 だが朝陽は力を得てきた事と、持ち前の闇の素質によってこれらを習得した。ドンドルマを焼き尽くした「紅蓮の処刑場」もこの書物によって会得したのである。

 偶然の出会いが今の現状を作り出した。だから朝陽はあの書物の出会いに、そしてそれを書いたルナ・フォックスに感謝している。

 手ごたえはあった。

 月との一戦は朝陽に己が高みに上っている事を実感させたのだ。自分が突き進んだ道は決して無駄ではない。いずれあの女を殺してみせよう。その時が実に楽しみだ。

 だからそのために更なる力を。今こそ第三段階の始まりの時。

 

「始めましょうか。更なる闇をもたらしなさい……!」

 

 彼女の言葉により、アキラはそれぞれの使い魔に指示を下す。それに応えて使い魔は種へと刺激を与えていき、各地に狂化竜が目覚めの時を迎えていく。

 

 恐怖と絶望が訪れようとしていた。

 

 

「……ふっ、始まったようだのう」

 

 それを遠く離れた場所から見つめている影が一つ。夜の闇によってその姿が隠されているが、闇に煌く紅い目とその輪郭が微かに見える。

 それは人の姿をしていない。四肢を地面に当てて座り込んだその姿はある種の獣のようだった。その鼻先は少し伸びており、微かに笑みを浮かべているようだ。

 

「まあ、それでこそ面白みが増すというものよのう。これでまた一歩終末へと向かいおったわ……くっふっふふふ」

 

 目を閉じて微かな笑い声を漏らしている。本当に楽しそうで、それでいて冷たい笑い声。その獣にとって朝陽達の事は自分にとって退屈を紛らわす役者でしかない。訪れるであろう結末も恐れるに足りない。

 ひとしきり笑い続けた獣は頭の中に浮かぶ光景を整理していく。現在この中央のあちこちでアキラが刺激した事によって狂化竜が動き出している。そのある程度全てが手に取るように位置や行動がわかってしまっている。

 ざわりとその毛が風によってなびき、その特徴的な尾もまた揺らめいた。

 

「まあ、此方(こなた)らも楽しめればそれでよいからのう。最終的にあれが出るならばそれでもよし。……くっふふふ、だとしてもヌシの願いは叶わんよ。“世界”に人はそうそう抗えぬのだからな……!」

 

 その紅い瞳が見据える先に映る者に対して獣は嗤う。細められた目と歪んだ笑みは闇に映え、そして獣は消え去った。

 その獣に見られていたことは朝陽達は気づかない。嗤われた事も気づかない。それだけかの獣は高位の獣だった。

 

 

 あの事件から二日が経過する。街に残されていた死体の全てが回収され、死亡者の名簿が完成した。その大半はドンドルマに属していた為にドンドルマの墓場へと埋葬されたが、ハンターなどはそれぞれの故郷に報せが向かった。死体は骨となり、壷に収められる。やがて訪れた家族や親族のもとへとその壷を手渡す事となる。既にひどい状態まで焼かれたというのに、それを更に焼くというのは気が引かれるものだが、その死体を家族に見せるわけにもいかないので骨になるまで魔法使いによって焼かれる事となった。

 続いて術者たちの手によって街の修復が始まる事となる。資材は各地の人々によって集められ、ドンドルマへと運ばれつつある。大工の手によって工事がなされる事になるが、その前に魔法使いたちの手によって崩れた瓦礫の撤去や、血や黒ずんだ部分の掃除が行われる。

 街の施設は見たままの通りであり、ほぼ全て崩壊している。ギルド本部病院、鍛冶屋、商店街……。どれもこれも全滅だった。様々な書物が収められている図書館もダメージを受けているが、まだ無事なものだった。

 それはここが図書館だから、という事が大きい。同じように大老殿もほぼ無事だった。

 外殻は砦蟹シェンガオレンの甲殻を使用して強固なものに作られている。かの存在の甲殻の硬さは本当に甲殻種なのかと思えるほどであり、建物の外壁に使用する事で衝撃に耐えうるようにしている。

 また内壁は火竜種や炎王龍テオ・テスカトルの甲殻を使用する事で耐熱処理を施しており、書物が焼けないように守られていた。

 しかしそれでもどこかの隙間から炎が侵入したようで、書物の一部は焼けてしまっている。すぐに消火作業に当たったようで被害は最小限に留められたようだ。

 またこの図書館はその守りの堅さから避難所の一つとしても利用でき、逃げ遅れた人々の一部はここに避難したことで生き延びる事が出来たようだ。

 大長老が座する大老殿もまた同じ素材を使用する事で堅牢な造りとなっており、こちらも何とか崩れずには済んだようだが、ギルドナイトの重鎮、特に保守派は全員殺されていた。

 そして大長老はというと……。

 

「大長老。何も貴方まで出向かなくても」

「いや、儂もやらねばならんよ。こんな時にまで座して待つ事は出来んからのう」

 

 胡坐をかきながら宙に浮かびつつ移動をしていた。しかもその体は普通の人族となんら変わりないサイズになっている。これは変化の魔法を応用する事で、巨人種でありながらも通常の人族と同じ大きさに変化しているのだ。とはいえあれだけの巨大さから一気に小さくなるだけあって使用と維持する魔力はなかなかのものになっている。それは腰元に下げている水晶などで魔力の支援を受けて維持している。

 そして胡坐をかきながら宙に浮かんでいるのは、あの時両足に受けたアキラの魔力弾の影響だった。傷は塞がったが込められた力はあくどいものだったため、あの日以来大長老の足は動かなかった。

 治療すれば治るだろうが、今はそれよりも街の修復を優先することにしている。

 「紅蓮の処刑場」が発動するのを感じた大長老は咄嗟に自身の体を縮小させつつ浮かび上がり、何とか大老殿へと戻る事で命を繋ぐ事が出来た。

 目の前には崩れ落ちた瓦礫が道を塞いでいる。それを見据えて右手を軽く振り、瓦礫を浮かび上がらせて道の端に纏める。そのほとんどは黒ずんでおり、どう見ても再利用する為に使える場所はない。だがそれは一番外の層であり、中身はまだ使えそうだ。

 両手をゆっくりと動かしながら魔力を練り上げ、瓦礫に意識を集中させる。すると瓦礫の焼けた部分が少しずつせり上がっていく。ぐっと力を込めればそれに反応してぐぐっと黒ずんだ部分が浮き上がり、やがて大長老が右手を握り締めて引っ張るような仕草をする。すると黒ずんだ部分が全ての瓦礫から分離された。それらを一箇所に集めて練り上げて球体にし、大長老の前へと置かれる。

 残されたのは綺麗な瓦礫たち。完全に焼かれたものとその内部と分離されている。しかしこれら単体で使用する事はない。分離された分だけ強度が落ちているため、その道の専門家に任せることにする。

 綺麗な瓦礫を幾つか集めて一つにし、そしてまた幾つかの資材にして再利用するのだ。あとは必要に応じてこのドンドルマの再興に使われるのである。

 そしてこの黒いものたちはどうするかというと、これもまた専門家に任せられる。話によれば彼らの手によって無害なものへと変えられて肥料などに使用されるとの事だ。

 この行程を土魔法の心得を持っている魔法使いたちがあちこちに散って(おこな)っている。もちろん大長老も武術だけでなく魔法の心得もある為、この行程を行えるのだが、共をしているギルドナイト達は気が気じゃない。本来こういうことは大長老直々にやるようなことではないのだ。街の復興は街の人々やギルドナイト達が行う事であり、大長老はギルドナイト達に指示を出すだけでいい。

 しかし大長老はこの緊急事態にいつものように座して命令し続ける事を選ばなかった。もちろん指示は下してある。その上で自身も行動しているのだ。

 

「そらっ、お主らも見ていないでやらんか。心得はあるのじゃろう?」

「……はっ、失礼いたしました」

「では」

 

 頭を下げたギルドナイトも瓦礫へと移動して魔法を行使していく。この日は全ての瓦礫が取り払われ、焼け跡の修復が終わったのだった。

 

 

 一方こちらレイン達はドンドルマから数十キロ離れた村に訪れていた。戦闘を主にするギルドナイト達は各地の村に派遣され、発生するであろう狂化竜に対抗する事となった。もちろんそれぞれの村に滞在しているハンターにもその旨を伝えているが、やはりというべきかハンター達はその情報に信憑性を見出していない。

 だがドンドルマが崩壊している、という事実は知っており、ドンドルマに近い所の村々はその狂化竜の存在を一応信じている。中には黒い竜が空を飛んでいったのを見た者もいるという。

 そしてこの村は海に面しており、漁猟を主として生活している。レイン達は陸地だけでなく海にも注意を払っていた。最近はこの中央にも東方で見られる海竜種が生息地を広げるかのように見かけられている。

 研究者によれば元々海に多くの竜種は存在していたが、この中央で引き起こされた戦争などによって近辺の海のモンスターたちは東西へと離れていった、という仮説が出ている。しかしガノトトスはこの海や川に生息地を残した。彼らは洞窟や砂漠の地下の奥地にも巣を作る為、人族の影響をあまり受けなかったと考えられた。その為近隣の海の竜種は主にガノトトスのみが姿を見せていた、とされている。

 だがあの戦争以来人族はこの中央でこれといった戦争は起こさず、長い時間が過ぎるにつれて海竜種もこの中央付近まで戻ってきたようだ。最近は海竜ラギアクルスが姿を見せていると報告がある。

 その情報は無視できない。もしかすると朝陽達はその内の一匹を狂化させた可能性がある。そうでなくてもガノトトスを狂化させているのは間違いないだろう。あれだけのリオ夫婦を狂化させたのだ。海からの襲撃者、ガノトトスを狂化させないはずはない。

 そのアタリがこの村に訪れない、などと誰が口に出来るだろうか。だから海にも注意を払っているのだ。

 ゲイルは今回ギルドナイトとして来ている為にいつものデスギアシリーズではなく、ギルドナイトシリーズを身に付けている。しかしその上にはいつものあのローブが纏われている。

 ローブはゲイルだけでなくレイン達やアルテも纏っている。今回はクエストではなく任務であり、相手が誰かもわからない上に狂化竜の為、一々武器を制限するのもバカらしい。それでは倒す以前に自分が死んでしまう恐れがあるため、ギルドは狂化竜に備えてローブなどの空間収容術が掛けられている物の持参許可を下した。

 隣にいるアルテのローブの下には、純白のフルフルSシリーズが装備されている。更にスキル調整の為に装飾品が付けられており、これによってダメージ回復速度+2と広域化+2が発動している。

 こうして村の広場に置いてある椅子に座る事数時間。時間は間もなく三時といった頃合だ。レインとサンは港の方に向かっており、相変わらず海を警戒している。村の駐屯ハンターは入り口や近隣を見回って警戒を広げている。そんな中で村人達は変わらぬ様子で時間を過ごしている。

 ゲイルとアルテはレインとサンと交代して休憩を取っていたが、ふとアルテが頬杖をついているゲイルの袖をくいくいと引っ張った。

 

「ん? どした?」

「おなか空いちゃった……」

 

 三時といえばおやつの時間。小腹が空いてしまったのだろう、アルテは少ししょんぼりとした顔をしている。そんなアルテに苦笑し、ゲイルは近くにいる看板娘に手を挙げた。

 

「ちょいといいかい?」

「あ、はい」

「ヤングポテトのフライのシモフリトマトのケチャップ添えと、スパイスポップスと北風みかんジュースを頼むぜ」

「はい、かしこまいりました」

 

 一礼して看板娘が去っていくと、アルテは嬉しそうな顔を見せてくれる。しばらくして注文したものが運ばれてくると、ぱあっと花咲いたように笑顔が浮かび上がった。恐らく耳があればぴこぴこ動いているだろうし、尻尾があればぶんぶんと振られている事だろう。

 外はカリカリ、中はふっくらとしたヤングポテトのフライは熱々であり、ほどよく塩が振られている。シモフリトマトのケチャップに軽く付けて口に運べば、純粋なポテトの旨味が引き出された味わいが口に広がる。それと交じり合ったケチャップが後押しし、すっと喉を通っていく。実におやつとしてはぴったりな一品だ。

 しばらくご機嫌な様子でアルテはフライを口へと運び、北風みかんジュースを飲み進めていたが、ゲイルがあまりフライを食べていない事に気づいた。一本だけ食べた後ずっとスパイスポップスを飲み進めているのだ。そして視線は食べ続けているアルテに向けられ、優しげな笑みを浮かべている。

 

「食べないの?」

「……ん? ああ、どんどん食べちゃっていいぜ。俺様はそんなに腹へってないからなぁ」

「ん~、ダメだよ」

「あん?」

 

 少しだけむくれたような顔を見せると、フライの一本を摘んでゲイルへと差し出した。その行動にきょとんとした顔をするが、アルテは一向に手を引っ込めない。

 

「ん、食べて」

「あー……いや、いいって」

「ダメ。アルテだけ食べ続けるのは寂しいよ。お兄ちゃんも食べて」

「…………」

 

 これは食べないと一向に話が進まないだろう。まったく、アルテはやはりいい娘だ。こういう少女は最近あまり見ないだろう。ホントに貴重すぎる。逆に言えば、よくここまで純粋に育ってきたものだと思う。

 一回アルテの思考回路を知りたいものだ。どうしたらそこまで真っ直ぐになれるのか、少し興味がある。

 

「はい、あ~ん」

「……あー」

 

 口を開くとアルテがフライを差し出して口の中へと運んでくれる。咀嚼すれば純粋なポテトの旨味が感じられる。その様子を見てアルテは小首をかしげた。

 

「おいしい?」

「ん、うめぇよ」

「うん、おいしいよね、これ」

 

 可愛らしく笑顔を浮かべてまたフライを摘んで差し出してくる。今度は素直に口を開き、それを受け入れる。すると今度は自分の番だ、と小さく口を開いた。それはまさしく母親にえさをねだる小鳥のようだ。

 

「…………」

「あ~」

「……ほれ」

 

 もはや苦笑しか浮かばない。こう見えても13歳の少女なのだが、この通り精神年齢はそれよりも少し低めだ。ある意味あの10歳の時から時間が止まったかのような感覚だろう。

 ゲイルが差し出したフライをこれまた笑顔で受け止めて咀嚼する。こういうアルテを見ていると心が表れるかのような感覚がする。やはり自分はアルテに救われている。ゲイルはそう考える。

 自分の中に存在する復讐心という名の負の心。それは同時に殺意も孕んだが、セルシウスほどの域にまでぶれることがなかったのはアルテと関わっていたからと考えている。

 その純粋さと暖かさ、人と人との繋がりがゲイルを踏み留めた。レインとサンとの繋がり以上の影響をもたらしたのだ。

 とはいえあの時はただただ昂ぶったまま殺しつくした。今まで受けた屈辱の分だけ傷つけて殺した。

 しかしあとに残ったのは空虚だけ。

 達成感を覆い尽くすように空虚な心が包み込んだのだ。恐らく本当に復讐を志している者ならばここで止まらずに更に燃え上がるだろう。そのまま更に闇へと足を踏み入れつつ対象となる者達を殺しつくす。

 だが自分は殺す事を決意はしたが、それでも突き進めなかった。レイン達に止められた、というだけではない。本来ならばその過去を断ち切る為にレイン達でさえも殺害対象だった。

 迷いがあったのは確かだが、そう考えていた事は否定出来ない。

 そして結果は出来なかった。

 殺せるほどの攻撃はしたが、最終的にはどこかでブレーキをかけていたのかもしれない。色々な感情が混ざり合い、そして手を止めてあの感情が溢れかえり、雫となってしまった。

 あの道が普通から外れている事はわかっていたとしても、それでも突き進んできた。ただその勢いがアルテの存在によって遅かっただけ。そして現実はゲイルが直接手を下すことなく、保守派のほとんどが死亡した。

 もしかするとゲイルがいてもいなくても保守派は死んでいたんじゃないだろうか。落ち着いて考えればそんな事が浮かんできた。

 つまり自分は朝陽のいいように使われただけ。アルテもまた同様だ。

 まさに捨て駒。

 やはりそういう考えに至ってしまう。

 そんな事を考えながらアルテに餌付けのような事をしていると、自分達を見ている視線に気づく。軽く顔を上げてその視線の主らしき方へと見やると、ゲイルはそのまま固まってしまった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「んぐ、んぐ……ん? どうしたの?」

 

 その中でアルテは可愛らしく首をかしげてきょとんとしている。

 見ていたのは港から帰ってきたレインとサンの二人だった。少し離れた場所でゲイルとアルテの中睦まじい様子をはっきりと見ていたのである。問題は一体どこから見ていたのか、なのだが、三人は固まったまま見つめ合っている。

 あたかも時が止まったかのような空気の中、アルテはゲイルとレイン達を交互に見つめながらフライを咀嚼している。

 そんな空気を壊したのは、少し焦ったような、そして引きつったような笑いを浮かべながらゲイルがフライを一本摘む。

 

「……お前らも食うか?」

「……いや、それは君達が食べたまえ。わたし達は自分で注文しよう」

「あ、そう……」

 

 小さく頷きながら手にしているフライを口に運んでポリポリと食べ進める。そしてレインは近くの椅子へと移動すると、向かいに座ったサンに微笑みかけた。そして口にした言葉は……。

 

「サン、わたしも食べさせてやろう」

 

 あろうことか、ゲイル達がやっていた事を自分達でも実践しようとのことだ。そこにある微笑みに揺らぎはなく、どうやら本気らしい。対するサンはというと、真顔でその兄へと答える。

 

「いえ、私は結構ですよ、兄さん」

 

 当然ながら答えは否。アルテと違ってサンはもういい年頃。子供ではなく、大人へと近づきつつある少女だ。そんな頃にそんな恋人同士がやるようなことを、兄妹で出来るはずもない。

 やるとするならそれは、シスコンかブラコンだ。

 

「む? ではサンが食べさせてくれるのか? うむ、兄としてこれは喜ばしい事だ」

「……いえ、それもないです」

「むむ? なぜだ、サン……。兄さんは悲しいぞ……」

 

 そしてこんな事を口にするレインはシスコンである事は間違いない。どうやらゲイルとアルテの仲睦まじい様子に触発されたのだろう。自分達も仲のいい兄妹を堪能しようとしているようだ。

 しかし残念ながらサンは乗り気ではない。これでは実践できるはずもない。とはいえ世間的にはサンの反応が普通だ。レイン(とアルテ)が普通じゃないだけ。

 いつものレインには見られない、少ししょんぼりとした様子でじっとサンを見つめているが、サンは目を閉じて小さく溜息をつく。

 

「……兄上、自重してくださいね? 私はそのような事は致しませんので」

 

 にこり、ととても綺麗な笑顔で「兄上」と呼びつつそう言った。いつも控えめなサンからとてつもない波動が発されているのは気のせいではないだろう。それを受けてレインの頬に汗が浮かび始める。

 どうやらあの兄妹はサンの方が上手のようだ。しかしある意味イメージ通りではないだろうか。というよりサンがあれだけの気迫を放てる事は驚きだ。女性は強い、という話は本当らしい。

 それにしてもあのレインを黙らせる程の気迫とは恐るべし。あるいはレイン限定なのかもしれない。昔からああやってブレーキをかけ、レインの身に染み付かせた結果がアレなんじゃないだろうか。となると、これを繰り返した結果サンの気質も鍛えられてきたとも考えられる。

 そうして育ててきた結果、ゲイルでさえ驚き、冷や汗を流しかねないほどになっている。ハンターとしてはその成長は喜ぶべきなのだが、少々微妙な感覚だろう。

 

「…………シスコン乙」

 

 やれやれと溜息をつき、スパイスポップスを飲みつつゲイルはぽつりと呟いた。だが前に座っているアルテには聞こえたようで、ポテトを咥えながら小さく首をかしげる。

 

「ん? 前もセルシウスさんが言ってたけど“しすこん”ってなに?」

「……いや、気にしなくていいからな、クヒヒ……。そら、食え食え」

 

 こういうのは知らなくていいことだ。しかしゲイルもまたそのシスコンに属する人間だというのは傍から見てわかることだろう。ツッコミの言葉はないが、さっきの光景は間違いなくそれに属するものだというのは十人が十人同意する。

 アルテから誘いをかけたとはいえ、ゲイルはそれを断らなかった。そして自分も食べさせてしまった。そして包み込む雰囲気はただの仲良し兄妹に見えないこともないが、その濃度は高かったのは間違いない。

 

「お待たせしました」

 

 やがてレインとサンが注文したものが運ばれてくると、気を取り直してサンが注文した北風みかんのシャーベットにレモンティーに手を伸ばす。シャーベットの甘さが口に広がり、レモンティーもまた酸味の中にほのかな甘みもある。

 そしてレインにはミルクティーが運ばれる。カップに手を付け、少し香りを楽しんだ後に飲んでいく。

 先ほどまで緊迫した中で警戒していた為、この紅茶が緊張をほぐしてくれる。完全にリラックスするなとは言わないが、ずっとガチガチに警戒するのも体に良くない。休める時は休まなければならない。でなければいざ戦闘に入った際に全力を出せない可能性がある。

 

「……ふぅ、ごちそうさま」

 

 やがてアルテが食べ終えるとゲイルは小さく頷いて立ち上がる。看板娘の下へと向かって勘定を終えてアルテを連れて歩き出した。

 

「じゃ、俺様達は行くぜ」

「またね」

「ああ、頼むよ」

「……いってらっしゃい」

 

 二人の後ろを通る際に声を掛け合い、ゲイルとアルテは港へと向かっていった。

 

 

 ミナガルデに向かった昴達。まずギルドのミナガルデ支部へと向かって登録をし、宿を取る事となった。三人とも上位ハンターのため、それなりにいい部屋を取る事ができた。男女別々の方がいいのだろうが、紅葉と優羅はそれを却下。金は有り余っているが、かといって別々にしなくてもいいじゃないか、ということで相部屋となる。

 これからの事を相談するのに一々移動するのもめんどうだとか、一緒の方がもしもの時に安心じゃないかとか、様々な理由が挙げられたが、一番の理由はやはりこれなのだろう。

 三人(昴と)一緒がいい。

 二人とも考える事は同じだった。

 そして部屋に移動してハンター装備を脱ぎ、和服に着替えたはいいが、一つ問題が発生する事となる。

 もちろんそれは部屋をどうするか、ではない。

 普通に昴一人、紅葉と優羅で一つの個室で泊まる事となる。これは大した問題も発生することはなかった。何か行動を起すような気配はなく、紅葉はすぐに同意し、優羅も小さく頷いて同意した。

 では何が問題なのかというと――料理だった。

 下にある酒場で食事を取るのが一般的だが、中には自分で食材を購入して調理するハンターもいる。ランクが上がるにつれて部屋の設備も充実しはじめると、キッチンもついてくるようになる。

 それにより、優羅が食事は自分が用意する、と口にしたのだ。それに反応したのが紅葉だった。野宿の際はいつも自分が用意していた為、自分も料理すると言ったのだ。

 しかしポッケ村で暮らしていた際は優羅が毎日朝昼晩の三食を全て作ったのも事実。そしてその味は昴自身が認めるもの。紅葉よりも美味だったのも事実。だがその料理を紅葉は口にした事はない。幼い頃は口にはしているが、成長した今の実力から作り出された料理は食べた事はないのだ。

 そして現在、二人はこうして睨み合っている。いや、睨みはしていないかもしれないが、紅葉は腕を組んでじっと優羅を見つめ、優羅は無表情に佇んだまま紅葉を見つめている。

 昴はというと、その間に、というより二人の近くにいるのは何故かまずい気がしたため、離れた場所にあるソファーに座って成り行きを見守っている。

 

「料理するんならあたしがやるよ。今までずっと作ってきたからね」

「……アタシもあっちにいる際は毎日作っていた。……ああ、まさかとは思うけど味とか危惧してたりする? ……問題ない。あの頃よりも腕が上がっていると自負している」

「へえ? じゃあ実際作ってもらおうじゃない?」

 

 だがそれは紅葉にとって衝撃を与える事になるとは今の彼女には思いもしなかった。

 数分後、出来上がったのは純和風の料理。卵焼き、味噌汁、サシミウオの塩焼き、白米。シンプルながらもそれはその人の腕前次第で変化する。

 それらを紅葉の前に置いた優羅はあの藍色のリボンを黒髪につけ、ポニーテールにしている。やはり家事をする際はこのスタイルになるようだった。そっと料理を右手で示し、紅葉に促す。

 

「……どうぞ」

「では、いただきます」

 

 まず口に運んだのは卵焼き。それは実にふっくらとした仕上がりになっている。箸を入れて摘み、そっと口に入れて咀嚼する。

 

「――っ!?」

 

 その時紅葉に電流が走る。

 その出来上がりに驚いたのではない。その味付けに驚いたのだ。

 懐かしくも馴染み深い味付け。

 昴が好み、そして昴の母親の卵焼きによく似て、いや、そのものと言っていいほどの仕上がりだった。しかしながらも優羅の腕前も加わり、昴にとってのお袋の味に優羅の味が加味された卵焼きだった。

 自分も追いかけた味を、優羅は完成させた上に進化させてしまっている。

 味噌汁も塩焼きも同じだった。あの頃の味がそこにある。

 まさかこの10年間もの間覚え続け、再現してしまったというのか。あるいはこの10年のどこかでこの味に辿り着いたとでも?

 紅葉の頬に汗が浮かんでしまう。

 何も言えない。

 自分は負けたのだ。

 性格や外見などが変わっても、家庭的だったのはあの頃から変わっていなかった。むしろ進化させている。ずっと一人で過ごしていたのに、どうしてそこまで腕を上げたというのか。

 

「…………」

 

 考え付くのは一つしかない。横目で優羅を見上げると、そこには無言でじっと紅葉を見下ろしている紅い目がそこにある。表情も変わらないが、無言で何かを語りかけているかのような雰囲気がある。

 アタシは昴が好きだから、腕を上げてきた。

 そんな言葉が聞こえた気がした。

 折れそうだ。心が折れそうだ。幼い頃の自分が鎌首をもたげそうになっている。だがそれを何とか押さえ込み、ぐっと拳を握り締める。そのまま立ち上がって優羅を見据え、何かを言おうとしたとき、優羅はぼそりと呟いた。

 

「……紅葉も作れ」

「……え?」

「……アタシはまだ紅葉の料理を食べた事がない。アタシの料理を食べたんだから、紅葉も得意料理を作り、アタシに食べさせてもらいたい」

 

 確かに筋は通っている。優羅と料理で張り合おうというのならば自分の腕前を示してもらおう、という話だ。

 これは女の戦い。

 本当に好きならば、本気で昴を想っているならば、ここは受けてみろ。

 無言の圧力の中にその言葉が含まれている。

 

「……わかったわ。作るわよ」

「…………」

 

 その言葉に優羅は小さく頷き、紅葉はキッチンへと向かっていった。それを優羅と昴が見送ると、二人はそれぞれ小さく溜息をつく。

 昴はこの緊迫状態から解放されて、優羅はさっきまでの紅葉を思い出してついてしまった。どうやら優羅としてもああいう雰囲気は望ましくなかったらしい。しかし一人の女としては退けないことだった。

 だから一切の手加減なしにあの料理を出した。紅葉がずっと昴の世話をし続けた事は承知している。だからこそここで退くことは出来ない。

 ふと昴が自分を見つめている事に気づく。少しバツが悪そうな顔をしているため、優羅は昴に向き直って小さく頭を下げた。

 

「……すみませんね」

「いや、いいさ」

「…………あなたは、どうしてこういう状況になっているのか、わかっていますよね?」

「……ああ。そこまでバカじゃない」

 

 優羅からは実際に聞かされているし、紅葉が自分をそういう目で見ていた事はこの10年で充分にわかっている。しかし紅葉の気持ちに応えた事はない。わかっていてそれをはぐらかし続けた。

 それはずっと優羅を探し続けたからであり、狂化竜を追い続けたからでもある。そんな状況で、幼馴染で相棒という枠から外れればどうなるか。ずっと離れ離れになっていた二人が恋人になっていたと優羅が知れば、と考えると少し怖いものがあった。

 また狂化竜との戦いの際にその感情が足を引っ張る可能性もあったため、そういう感情を持たないようにした、という事もある。未熟な実力のままそうなってしまえば死ぬ可能性があることはハンターの本に書いてあることだった。

 しかし今のこの状況はまさしく修羅場のようなものだ。自分を中心として二人の女が対立する。いや、完全に敵視しあっていないだけマシだろうが、それが白熱していけばこれからのことに支障が出るかもしれない。

 優羅には全てが終わってから返事する、とあの時言ってしまったが、もしかすると終わらないままに結論を出さねばならないかもしれない。

 なんてこった……と昴はまた小さく溜息をつく。

 そんな昴を優羅は無言で見つめていたが、ふとキッチンの方へと視線を向けた。

 

「……少し行ってきます」

「む?」

「……ああ、心配しないでください。ちょっと話をしてくるだけですので。あと、決してキッチンに入らないようにお願いします」

 

 そう言って頭を下げ、優羅はキッチンへと向かっていく。それを見送り、昴はソファーに深く背を預けて天井を見上げる。

 

「どうしたものか……」

 

 自分達は成長した。幼い頃のようにずっと三人で、というわけにもいかないだろう。昴にとって二人は妹分であり、大事な幼馴染だ。それは間違いない。

 しかし気づけば二人は成長し、それに伴って自分の事を想ってくれるようになっていた。紅葉がそうなのはわかっていたが、まさか優羅からも想われていたとは思いもしなかった。

 10年も離れていたのに、それでも彼女は一途に自分を想ってくれていた。それは男としては喜ばしい事なのだろうが、白銀昴としては少し困る事である。

 大事な幼馴染だからこそ傷つけたくはない。かといって引き伸ばしにしてしまえば間違いなく話がこじれていくし、傷つけてしまうだろう。そして片方を選べば片方は間違いなく傷つく。

 もちろん二人の事は嫌いじゃない。むしろ好きなほうだ。でなければ10年も一緒にいないし、10年も探し続けないはずはない。

 

「……情けないな。こんなに辛いものだったのか、これって……はぁ」

 

 思わず自嘲するような笑みが浮かんでしまう。しかし逃げるわけにはいかない。

 昴は目を閉じて二人の事を考え始めるのだった。

 

 一方キッチンでは紅葉がずっとまな板を見つめたまま考え込んでいた。

 一体何を作ればいい?

 シンプルながらもあれだけの味を作り上げた優羅。恐らく他の料理の腕も凄いものなのだろう。幼い頃から料理をしており、昴の家にやってきては自分達に手料理を振舞った事もある。

 だから他の料理の腕も同様に上げている事は容易に察する事が出来る。

 一方自分は旅を始めた頃から次第に料理を覚えたという形だ。今でこそ普通に出来るようになっているが、あの頃はまだまだ未熟なものだった。つまり経験では優羅に大きく劣っているといってもいい。

 そんな自分が優羅に料理で勝てるというのか?

 

「……っ!」

 

 いや、ダメだ。弱気になるな。

 今までずっと自分が昴の世話をしてきたんだ。昴の好みは熟知している。それを生かせて、尚且つ自分が得意としているものを作ればいい。

 10年も一緒にいたんだ。負けていられない

 

「…………」

 

 そんな事を考えていると、ふと思い浮かんだ事がある。

 自分は10年一緒にいた。だから昴の事をよくわかっている。

 一方優羅は10年一人だった。その時間の昴を全く知らない。一緒にいないのだから昴の世話なんてしたくても出来ないじゃないか。

 確かに家事スキルは優羅が大きく上回っているかもしれない。でも自分はずっと一緒にいた、というアドバンテージがある。

 だがそれはずるいんじゃないのか?

 どちらも想っているのは確かだが、優羅は望んで一人になったわけじゃない。もしかすると、あの時離れていたのは自分だったかもしれないじゃないか。そしてトラウマが発動し、あのまま死んでいた可能性だってある。

 このアドバンテージを生かして勝ったから何だというのか。ずっと一緒にいたのだから知り尽くしているのは当然のこと。優羅は自分の腕だけで挑んできた。ならば自分もまた昴の好みとか関係なく、自分の腕だけで挑むのが筋じゃないのか?

 ああ、ずるい。

 10年も一緒にいたから、これからも自分がやるのだ。

 こんな事を考える自分がいやらしい。

 もう少し何とか出来るはずじゃないか。こんな勝負なんかしなくても、お互いやればいいとか、そんな解決策があるじゃないか。頭に血が上った結果がこれだ。

 そんな風に冷静になっていくにつれて、優羅に対して申し訳ない感情が浮かび上がる。

 

「……何を考えている?」

 

 すると優羅が気配を消したかのように静かにキッチンにやってきた。

 

「……なに、その顔。紅葉らしくない。元気が有り余り、自信を持っているかのような顔がいつもの紅葉じゃないの?」

「だってさ……あたしはずっと昴と……」

「……やっぱりそんなつまらないことを考えていたの?」

 

 つまらない、と優羅は切り捨てた。その紅い目が細まり、じっと紅葉を見据える。

 

「……確かに紅葉はずっと昴と一緒にいた。だからその分だけ優位に立っている、とでも考えてたんだろう? でも、だからなに? そんなもんでアタシが臆するとでも思った?」

「……っ」

「……紅葉、お前も本気で昴を想ってるんだろう? ……違うの?」

「違わないわよ。あたしはあいつが好き。むしろ……愛している」

 

 間髪いれずにはっきりと紅葉はそう答えた。

 すると優羅はその無表情さの中に微笑が含まれたかのような表情を見せる。相変わらずの微かな変化だが、それは紅葉も気づくほどの変化だった。

 

「……ならそれでいい。アタシも昴を愛している。優位だの何だの、そんなものは些細な事。本来の性格が思考や行動を阻むのなら、今の紅葉がそれを握りつぶせばいい。……今は紅葉の実力を示せる料理を作れ。……ただそれだけでしょ?」

「…………」

 

 今まで以上に饒舌に、それでいて紅葉を動かすような事をはっきりと口にする優羅を驚いた顔で紅葉が見つめる。その語りに驚くだけじゃない。ライバルである自分の行動を後押しするような優羅に驚いている。

 

「優羅……本当に変わったわね」

「……それはもういい」

 

 やれやれ、とでも言いたげに目を伏せて嘆息する。再会してから何かあるたびにそう言われ続けている。変わっているのは自分でも判っているからいいとして、ここまで言われ続けるのもどうかと思う。

 今は自分のことよりも紅葉の料理だ。そんな風に視線を向けると、わかってる、という風に紅葉が頷く。

 

「……ならいい。期待している」

 

 そう言い残して優羅はキッチンから出て行った。それを見送り紅葉はぐっと拳を握り締める。その表情にもう迷いはない。

 譲ってもいい、なんて思っちゃいない。

 負けてしまっている、という考えは消え去った。

 今はただ作るだけ。食材を取り出して素早く調理を始めていく。

 数分後に出来上がったのは焼飯と青椒肉絲(チンジャオロース)。それを優羅は無言で見つめている。

 これは一般的には華料理と呼ばれるものだ。東方と中央の中間点にある華国と呼ばれる国の料理とされている。ロックラックの北東部分にあるため、ロックラックでは華料理と和料理の二つを主に楽しめる。

 立ち上る香りは鼻と舌を刺激して食欲をそそる。小さく頷いた優羅はレンゲを手にし、まずは焼飯を掬い上げて口に運んだ。米はパラパラであり、しっかりと全身が炒められている。

 

「…………」

 

 ゆっくりと咀嚼して飲み込む。何も言わずに次は青椒肉絲に箸を伸ばして口に運ぶ。肉はモス肉を使用しており、他の野菜と共にしっかりと火は通されている。それを感じながら優羅は無言でそれらを食べ進めた。

 やがて全部食べたところで手が止まり、紅葉を見上げる。いよいよ優羅の評価が出る。

 

「……こういう系統に関しては紅葉の方が上じゃない?」

「え……?」

「……アタシよりも美味いって事。華に関しては今は紅葉に任せる」

 

 それが意味する事は一つ。

 華料理は紅葉が上だから紅葉がやれ。

 しかし逆に紅葉が感じたように、和料理は優羅が上。だから和料理は優羅がやる、という事なんじゃないだろうか。

 つまり……

 

「あたしたちが交互にやる、ってこと?」

「…………」

 

 それに優羅は小さく頷く。

 紅葉が考えていた解決策に何の異論もなく同意した。

 もしかすると、自分達の料理の腕を確かめ合おう、という考えだったのかもしれない。あるいはさっきの事を伝える為にこのような事をしたのかもしれない。またはこれをきっかけに紅葉と話をしようとしたのかもしれない。

 全ては推測。その無表情の中に含まれる感情はわからない。

 だが今回の事で紅葉と何らかの繋がりが出来たのは事実。そして進展があったのもまた事実。

 優羅なりに何かをしようとしたのかもしれない。一人を選び、一人で行動し続けた彼女の少し不器用な変化のきっかけ作り。恐らくそんな感じじゃないだろうか。

 

「じゃあ普段は交互、たまに一緒に作る。それでいいでしょ?」

「……ん」

「よし、じゃあ今日は一緒に作ろうか」

「……ん」

 

 その事に関しても優羅は頷いた。反対する理由はない。

 大きな波乱もなく事が終わった事に見守っていた昴は安堵する。昴的には最終的にこじれにこじれてあの公園の時のように格闘戦になりでもしたらどうしようかと考えていた。女というのは怒ると怖いというのは知っている。噂によれば男を取り合う際に殴り合いにまで発展してしまった、ということまで旅の途中に耳にするほどだ。

 男が女を取り合って殴り合う、というのはわかるが女までやるとは有り得ないだろう、と当時は考えていたのだが、この二人なら実際にやってしまっているのでやりかねないと恐れていた。紅葉は普通に格闘戦を得意としているし、優羅は優羅でそんな紅葉に勝ってしまっている。

 そんな事を考えている時点で自分はこの二人に頭が上がりそうにないな、と少々テンションが下がってしまう。どちらを選んだとしても尻に引かれそうだという未来図が想像できる。

 そして二人は話がまとまったらしく、二人で今日の夕食の為の食材を買いに行くようだ。もちろん昴も荷物持ちとして二人に同行する事になる。二人の中心に立つと紅葉は右に、優羅は左に並んで三人は一緒に宿を出て行った。

 

 次の日、朝のうちに三人はミナガルデ支部へと向かった。ドンドルマの一件は既にミナガルデにまで届いている。そして同時に狂化竜についての触れもソルの手によって各地の支部へとちゃんと伝えられている。

 それを各ハンター達が信じるかどうかはまた別の話だが、今のところはまだ狂化竜が出没していないようだ。ミナガルデ支部はいつもの空気があった。

 いや、ある一角は何やらハンター達が集まっている。

 一体何事かと見てみると、その中心には金髪の少女がいた。このミナガルデ支部のアイドル的存在である受付嬢のアリスだった。

 何やらしょんぼりしたような、泣いているようなそんな表情をしている。一体何があったのだろうか。

 昴は近くにいた受付嬢の一人に問いかけてみる事にした。

 

「あれは一体……?」

「それが、アリスちゃんのお姉さんであるセレナさんが、ドンドルマの一件で亡くなったそうで……」

「……え?」

 

 それに驚いた声を漏らしてしまったのは紅葉だった。昴と紅葉はセレナとは顔見知りであり、それなりに付き合いがあった相手だ。その彼女があの一件で亡くなった?

 聞けば昨日狂化竜の触れが届いた際に、アリス個人にその報せが届いたという。もちろんココット村にいるエレナにも報せが行っているらしく、骨はエレナへと届けられたらしい。

 あの死体を彼女達に見せるわけにはいかなかった、というギルドナイト達の配慮によるもの、ということのようである。血縁者とはいえ、他の死体らと比べてまだマシな方だったが女性が見るようなものじゃなかった。

 そしてアリスはあの通り姉の死を嘆いており、アイドル的存在だった為ミナガルデの男ハンター達に囲まれて慰められている、という状況のようだ。

 

「……みんな、ありがとうね」

 

 一度目元を手で拭い、アリスは泣くのを堪えつつも笑顔を見せた。その表情にハンター達は息を漏らす。中には「アリスちゃん……」と呟く者もいる。

 

「もう大丈夫。お姉ちゃんが死んじゃったのは悲しいけど、いつまでも泣いてるわけにもいかないもんね。あたし、がんばるよ」

「頑張ってくれ、アリスちゃん!」

「俺たち、応援しているからな!」

 

 わっとハンター達が次々とアリスに声をかけていく。そんな中でアリスは噂に語られるような笑顔を見せて応えていく。沈んでいたミナガルデの太陽は少しずつその顔を覗かせ始めている。

 そんな様子を昴達は見守っていた。セレナが亡くなったのは残念だ。いずれ機会があれば墓参りをしておきたい。妹であるアリスやエレナのこれからも気にかかるところだが、自分達も動かなくてはならない。

 そんな事を考えていると、優羅がじっとアリスを見つめている事に気づく。

 

「どうした?」

「…………いえ、何でも」

 

 一度微かに目を細めてアリスを見たが、かぶりを振って視線を逸らした。何か気にかかることでもあったのだろうか、と考えたが深く気にしないようにする事にした。

 受付嬢へと視線を戻し、昴はカウンターに手を置いて軽く問いかける。

 

「少し聞きたいがいいか?」

「はい、何でしょう?」

「最近妙な話が舞い込んできたりしていないだろうか? 例えば変な飛竜が確認されたりとか、モンスターが凶暴化していたりとか」

「…………えっと」

 

 そこで受付嬢が目を伏せた。どうやら心当たりがあるような様子。

 

「……狂化竜が確認されているか?」

「……っ、ご存知で?」

「俺達はドンドルマの一件に関わっている。狂化竜が確認されているならば、俺達に回してもらっても構わない」

 

 その言葉に受付嬢は一度昴達を見回した。やがて小さく頷いて一枚の紙を取り出す。

 「ゴル砂漠北部にて確認された異常」。

 そんな事が書かれていた。

 概要としては砂漠に生えた水晶がハンターや商隊達を襲った、との事である。水晶ではなくドスガレオスかと思われたが、あの一帯はドスガレオスが確認されておらず、その線は除外された。また生き残ったハンターが言うには、かのモンスターは異常に漆黒に染まった体をしており、ギルドはかの存在を巷を騒がせる狂化竜と認定した。

 

「…………砂漠に水晶?」

 

 優羅が口元に指を当ててぽつりと呟いた。何か心当たりでもあるのだろうか。

 気になるところだが今はこの報告書の詳細を知りたい。

 

「それはいつのことだ?」

「昨日の事のようです。緊急伝達で届きましたが、事が事だけに派遣する調査隊やハンターは慎重になっています。しかし監視員は派遣されており、かのモンスターは移動していない模様ですね」

 

 だが、ゴル砂漠は商隊などが通る場所だ。いつまでも放置しておくわけにもいかない。ならば昴達の行動は決まっている。

 

「ならばこれは俺達が行こう」

「よろしいのですか?」

「ええ、あたし達は狂化竜とはそれなりに戦っているからね。問題ないわよ」

「……わかりました。ではこちらにサインをお願いします」

 

 メンバーを記入する欄に昴達はサインを入れ、これでクエストが受理される。

 

「ではお気をつけて」

 

 その言葉を背に受け、昴達はミナガルデ支部を後にした。

 

 自分達を見つめる一対の瞳と、自分達を笑う人物がいることにも気づかずに。

 そう、昴達はずっと見られている。

 その何者かは普通にその支部に存在し、何事もなく日常に混ざっていた。それが当たり前であり、怪しまれる事もない。

 一体誰が見ていたのだろうか。

 そんな事は昴達がわかるはずもなかった。

 

 

 旧シュレイド城へとやってきた獅鬼と雷河は軽く辺りを見回す。廃墟に近しい風景であり、所々壁が崩れ落ちている。最低限の修復はされているようだが、やはり打ち捨てられて長く、歴史的な趣という言葉では誤魔化されないほどだ。

 ここがかの大戦の終戦場所であり、黒龍と三度も刃を交えた場所である。

 一度は終戦時に。

 二度目は羅刹が戦った時に。

 そして三度目は月が戦い、勝利を収めた時に。

 もしかするとそれ以前にも黒龍と戦ったかもしれないが、記録で確認できるものはこの三度となっている。

 それだけにこの場所には強い闇が充満している。ここに近づくモンスターはおらず、とても静かなものだった。

 ここは多くの命が消え去り、そして多くの血が流れた場所でもある。血は雨によって洗い流されているが、彼らの思念などはここに留まっている。死体が回収されようともこれはここに残るのだ。

 それが黒龍が内包する闇と呼応し、高めあってこの旧シュレイド城に充満している。だからこの場所にはあまり誰も近づかない。人だけでなくモンスターでさえも近づかない。

 彼らもまた黒龍が持ちうる力を恐れている。

 何せかの存在は“世界”が生み出した存在なのだから。そしてこの世界に存在するモンスターたちの頂点に立つ伝説種であり、人にとってもモンスターにとっても敵と呼べる存在である。

 ここにある闇は一般人でさえも寒気を覚えるほどの濃度であり、雷河も軽く顔をしかめてしまっている。

 だがこの場所に獅鬼が用があるため訪れた。一体何が目的なのだろうか。雷河は問いかけてみる事にする。

 

「なあ、親父。なんか気になることでもあんのか?」

「……ああ、あるとも。思った通りだった」

「ん? 何が?」

「ここには陣が描かれている」

「陣?」

 

 獅鬼は魔法を扱う才能はほとんどないが、神倉の血統だけに魔力などを感じる力は備わっている。そして彼が口にした陣とは、恐らく魔法陣のことだろう。

 しかし疑問が浮かぶ。

 こんな場所に一体何故そんなものがあるというのか。

 

「張ったのは恐らく奴だろう。本当に奴はここで目的を達成させようという魂胆らしい」

「奴って誰よ? あの朝陽って奴か?」

「…………」

 

 その事について獅鬼は無言だった。こうなってしまえば獅鬼は話す事はないだろう。やれやれと溜息をついて雷河は辺りを見回す。

 雷河には見えないが、ここには確かに闇以外の何かがあるような気がする。それが魔法陣の魔力なのだろう。だが、魔法陣を描くという事は何かの魔法を発動させようという事に他ならない。

 でなければ魔法陣を描く意味がない。その“奴”という目的が一体何なのかはわからないが、恐らくよからぬ事なのだろう。

 

「……なるほど、全てはここに帰結するという事か。そして……ああ、考えれば実にわかりやすくシンプルだ。全く、神倉のルールに則りおって……だからこそ腹立たしい」

「親父?」

 

 見れば獅鬼はぐっと拳を握り締めて微かに体を震わせている。どうやら苛立っているようだが、恐らくこの魔方陣を描いた相手に怒っているのだろう。その相手とは何か因縁がありそうな感じだった。

 

「……雷河」

「おう、なんだ?」

「“最凶”に喧嘩を売る覚悟はあるか?」

「……あん?」

 

 突然一体何を言っているのだろうか。だが振り返った獅鬼が纏う雰囲気は本気そのものであり、嘘を言っている様子はなかった。

 

「……ああ、あるぜ? 俺は誰だろうと戦ってやるさ」

「そうか。ならばこれから言う事は誰にも言うな」

 

 そして獅鬼はそれを口にした。彼女からの制限はドンドルマの一件まで。その後の件に関しては特に制限はなかった。恐らく事態が一気に加速する為、準備期間はドンドルマの一件まで、という事で制限をかけたのだろう。

 その後に関しては準備期間で培ったもので対処しろ、ということらしい。

 だから獅鬼が心を許せる相手の一人である雷河にこれを打ち明ける。もちろんこれは月に伝える方がいいだろうが、彼女は彼女で動いてもらわねばならない。ならばまだ自由に動け、実力も備わっている雷河に任せることにする。

 その結果雷河が命を落とす可能性もあるが、そこは雷河自身で切り抜けてもらいたい。獅鬼は彼を信じているからこそ打ち明けるのだ。

 

「…………マジかよ」

 

 そして聞き終えた雷河は少し呆けた顔でそう漏らしてしまった。

 

「故に雷河、お前には奴に張ってもらいたい。本来ならばオレが出向くべきだろうが、オレは奴にすぐに気づかれるだろう。何せそういうモノなのだからな。だからお前に頼みたい」

「……でも、そいつってやべぇんだろ?」

「ああ、危険だな。だからこそ慎重になってもらいたい。……出来るか?」

 

 その問いかけに雷河は一度息を吐く。そしてドン、と胸を叩いて笑みを浮かべた。その表情に迷いはない。

 

「任せな。何か動きを見せたら報告すればいいんだろ?」

「ああ。だが気をつけろ。奴は常に一人だが、もしかすると使い魔などが見張りを立てている可能性もある。喧嘩は売るな。そして出来る限り戦うな。奴はそういうものだ、というのはお前も知っているはずだ」

「ああ、わかってるよ。……じゃ、行ってくら」

 

 手を横に向けて立てて頭に当てた後に前に出す。身を包むローブを翻し、雷河はその場を走り去った。それを見送った獅鬼はふぅ、と息を吐く。

 こうしている間も闇はこの場に少しずつ集まってきている。完全に奴の思惑通りだった。

 そしてこれが中央全土に闇が充満する、という意味でもある。

 何もかもが彼女の予見通り。となれば最終的な事も揺るがない、というのは間違いないだろう。

 

「…………」

 

 一度地面を見下ろし、獅鬼はその場を立ち去った。

 

 旧シュレイド城に描かれたという魔法陣。

 これは城の外周全てを包み込む円の中に複雑な図形や文字が描かれている。漆黒の魔力を通し、周りに馴染むようにした上に光明に隠されていた。一般人だけでなく、心得がある者でさえ目を凝らさなければわからないほどのもの。

 描いた者は間違いなく腕が立つ魔法使い。

 さて、これは一体どんな効果を持つのだろうか。そして何を思ってこれを描いたのか。

 知る者は描いた者と獅鬼、そして伝えられた雷河のみ。

 

 事態は少しずつその時へと進んでいった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。