呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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60話

 

 

「……というわけにゃ」

「そう。情報感謝する」

「にゃ!」

 

 右手を挙げて挨拶すると、二匹のアイルーが森の奥へと消えていく。それを見送ったのが、炎の柄が描かれたローブを纏った一匹のアイルー。

 ドンドルマの一件でもかの場所に居合わせたオトモアイルーの焔だ。あの後一人……一匹で各地を駆け回り、そこで暮らしているアイルー達に聞き込みを行っていた。

 アイルー達は人には踏み入れられないところまでフィールドを駆け回っており、人が気づかないところまで目を光らせている事が多い。また、情報網も侮れないため、各地で暮らすアイルー達の情報は人族のものより豊富だ。

 モンスターやフィールドに関する情報をより詳しく知りたいならば、彼らに訊けばいいとまで言われる程である。

 今回の一件に関しては、狂化竜が一体どれくらい各地に出没しているのか。そしてそれを生み出した朝陽達はどこに潜んでいる可能性が高いのか。

 この二点を焔は調査する事にした。

 地図を広げてアイルーから入手した情報を照らし合わせてみる。

 近日確認されはじめた狂化竜の出現経路は雪山、火山、樹海が多いことがわかる。同時にここは人族が容易に踏み込めないフィールドでもある。ここに妙な気配を持つ者たちが出入りしているというアイルーの証言もあるため、恐らく朝陽達で間違いないだろう。

 問題はドンドルマの一件の後どこに潜んだのか、だ。

 

「……ここか」

 

 数日前にあるアイルーが白い影を目撃したという証言をしている。その場所がここだったため、推測するとすればここだろう。ゲイルとアルテが抜けた事で数は減っているが、それでもこれから第三段階とやらを始めようというのだ。

 ならばその打ち合わせをする事だろう。その為に一度集まる事だろう。

 朝陽とセルシウス、そしてアキラ。他に誰かがいるのかもしれないし、いないのかもしれない。

 それを確かめに行かなくてはいけない。

 残る敵は何人なのか。

 倒すべき敵はどれだけいるのか。

 

「行くか」

「ヴォル」

 

 待たせているサラマンドラに飛び乗ると一気に加速させる。

 森を疾走し、平原へと抜けて更に先へ。南東へと向かう一つの影は、すぐに平原の奥へと消えていった。

 

 

 燃え盛る炎の中、逃げ惑う人々がいる。その炎の奥にはこの炎を生み出した元凶がゆらゆらと影を作り出し、しきりに声を張り上げながら炎の塊を吐き出している。

 村だったものに響き渡るのは人々の悲鳴とあの影の咆哮。しかし人の数は着実に減っていっている。

 崩れ落ちた建物やあの襲撃者の手によるものだけではなかった。

 この状況の中、ただ歩いている人物が紛れ込んでいるのだ。普通は村の外へと逃げ出すのが人の心理だが、その人物はそれとは真逆。村の外から村の中へと入っていっているのだ。

 もしハンターならば、ギルドナイトならば、そうするのもまだわかるだろう。人々救出する為にやってきて、村人達を避難させる。あるいはあれに向かっていき、足止めする。

 これらの理由が挙げられるだろう。

 しかしそうするにしても歩くのではなく走るのではないだろうか。

 だからこそ傍から見ればその光景は異常。

 

 そしてその異常さに違わない光景が上乗せされるかのような事態が起きている。

 

「…………」

「ひっ……!?」

「が、はっ……」

 

 逃げてきた村人達をその人物がすれ違い様に斬り捨てて行くのだ。生き延びるために逃げている村人が、逃げる先にいる白い死神の手によって死んでいく。その事で更に状況に混乱し、その足を止めてしまう。

 そんな彼らを死神はただ無表情に見つめるのみ。手にした黒い太刀、黒刀【参ノ型】を無造作に垂れ下げてまた歩き出す。

 

「く、来るな……」

「なんなんだ、きみは……!?」

 

 口々に死神へと言葉をぶつけるも、それを気にした風もない。

 

「諦めろ。この村には結界が張られている。……つまり、逃げ道なんてどこにもない」

 

 フードの下にある鈍色の瞳に赤みが差したとき、その姿は消え去った。

 気づいた時には既に事が終わっている。

 生き残っていた村人の後ろに白い姿が存在している事に気づいた時、彼らは一太刀の下に斬り捨てられていた。

 

「辿る道は唯一つ。『死』のみ、だ」

 

 振り返ることなく白い死神――セルシウスは死体となった者達へと告げた。右手に握り締めている黒刀【参ノ型】を振って血を払い、左手に持っている鞘へと納める。

 長さを調節させられたそれは、人を斬るには充分なほどに扱いやすい。こうして左手に鞘を持ち歩けるほどに。

 そしてゆっくりと辺りを見回し、この村に残っている気配を探った。どうやら村を出ようとしているも、結界によって外へと出られずにいる者達がいるらしい。

 この村には封鎖結界が張られている。

 狂化竜が襲撃した後にセルシウスが到着し、彼女がこの結界を張って村を外界から切り離した。村の中へと入る事は出来ても、中から外へと出られないというタイプの結界である。

 このタイプはそれなりに使用者が多いが、中へと入る事も出来ない完全封鎖結界となれば使用者が限定されてしまう。生憎とセルシウスはこれには含まれなかった。

 

「……行くか」

 

 生き残りがいるならば始末しなければならない。

 また命を殺せる。

 それを感じていてもセルシウスの心はざわつかない。殺しを目的として朝陽達と共に行動しているが、彼女の心はそれでも波が発生しなかった。

 人を殺し、モンスターを殺し、そして時に殺しあう。その機会が増えた事は殺人鬼としての異常を抱えているセルシウスとしては喜ぶべきだろうが、その「喜び」を感じる事はセルシウスにはなかった。

 感情が薄くなり、「生」を実感するはずの殺しに携わろうと、彼女の心は感情を生み出さなかった。

 一体何に喜べばいいのだろう。

 これがセルシウスの新たな欠陥の一つとなりつつある。

 

 桔梗もまた感情が崩壊している。彼女の場合は常に「喜」と「楽」の表情が顔に張り付き、あたかも仮面のようになっている。これによって嬉しくなくても悲しくても、そして戦闘中でもそんな表情を浮かべている。

 その度合いの強弱はあろうが、これは崩れる事はなく、歪な表情となってそこにある。

 セルシウスの場合はほぼ常に無表情。それについては殺人鬼へと傾いている優羅と同じだ。だが彼女の場合は昴たちと共にいることである程度の感情が現れ始めている。また一人旅をしている間も「怒」や「哀」もそれなりにあった。

 だがセルシウスは殺人鬼候補というよりほぼ殺人鬼と化している。「怒」に近しいものはゲイルとのやりとりで表れてはいるが、それ以外の感情はもうほとんどない。

 そして優羅との決定的な違いは、彼女は目標を持って進んだ事により、「喜」を見出して感じる事が出来ている。昴に対して好意を未だに持っている事を自覚し、料理などのスキルを磨いたのがそれだ。

 セルシウスの目的は殺し。そうすることで不安定となった自分の存在を保とうとしているのが彼女の目的。しかしそれを果たしているのに、生きている事に関する喜びがない。

 ああ、また一つ命が消えた。

 そう感じるだけなのだ。

 そして彼女はそれ以外の目的を持っていない。喜ぼうにも楽しもうにも、それを持つための行動を見出せていない。

 それはまるで人形。

 そこにいるのは間違いなく人という名の生き物なのに、その行動は感情がない、心がない人形のようだ。皮肉なのはそれをセルシウス自身も自覚していることだろう。

 桔梗も優羅も歪だが、それでもまだ人でいられる。

 でもセルシウスはもはや殺しを繰り返す人形。

 これが両者の差だ。

 ゲイルとアルテという人でいつづけられたかもしれないピースが欠けた今、セルシウスの人形化は急速に進みつつあった。関わり合う人物がいなくなるだけでこうまで人は変わるというのだろうか。

 

「……さて」

 

 生き残りを全て始末したセルシウスは一息ついて辺りを見回した。村の中央では未だにこの村を襲撃した狂化竜がいる。

 

「クォァァアアアアアア!!」

 

 今回の狂化竜はイャンガルルガ。元々荒々しい性格をしているイャンガルルガは、狂化したことでそれが更に激しくなっていた。手当たり次第に村を破壊し、火の海に沈めている。

 その光景を見ていたセルシウスの眼差しは、いつものように何の感情も感じられない。

 ……いや、今回に限ってはその鈍色の奥に何かを秘めているように感じた。

 彼女の始まりは故郷の村をイャンガルルガに襲われた事から始まった。この村と同じく火の海に沈め、セルシウス以外を皆殺しにした存在。

 もちろんあの個体とは違うだろうが、それでもセルシウスにとっては因縁深い相手であることは間違いない。

 そして今回は狂化竜として、朝陽の駒としてこの村を襲撃した。これにより村人達の死体や念から発生し、狂イャンガルルガがもたらした闇がこの村から放たれていくだろう。

 こうやって中央のあちこちから闇が発生させていく事こそ、朝陽が立てた計画の第三段階。この出来事は計画の中に含まれる一つでしかない。他の場所でもいくつか既に発生しており、闇は少しずつ増えていく。

 もちろんギルド側も対策を立てていたらしく、ハンターが各地に放たれているのはセルシウスも知っている。実際に先日ギルドナイトと出会い、戦闘になった。

 もちろん結果は返り討ち。これによってまた命が消えたが、セルシウスはその死体を無表情に見下ろすだけだった。

 

「…………ん?」

 

 狂イャンガルルガを見つめていると、狂イャンガルルガの視線がただ一人の生者であるセルシウスへと向けられた。奴の思考は生き物を殺し続けること。だからこそセルシウスにもその思考が発揮される事になる。

 狂化竜と化したものの中には、制御に成功すれば指示に従うものもいるが、あの狂イャンガルルガはそれには含まれなかったようだ。やはりその気性の激しさによって完全に命令に従わないらしい。

 それにセルシウスはあくまでも朝陽達の下についているだけに過ぎない。目的は朝陽達と違い、ただ殺しが出来れば良しとしているのだから。

 

「クルァァアアアア!!」

 

 炎を突き抜けて狂イャンガルルガがセルシウスへと向かっていく。他の村人達と同じく彼女の華奢な体を撥ね飛ばし、その鋭い嘴で貫くか、火球によって灰にするか。どちらにせよ死へと誘ってやろう。

 そんな風に考えていたのだろう。

 

 しかし相手が悪かった。

 

 納めていた黒刀【参ノ型】を少しだけ鞘から抜き、腰を落とすと一気に力を解放して地を蹴る。周りは炎に包まれて熱気が立ち込めており、シルバーソルシリーズと白いローブを身に包んでいるセルシウスは、周りの熱さを感じさせないほどに冷静だ。

 

「――居合い・隼駆(しゅんく)

 

 その目が真紅に染まり、握り締めている黒刀【参ノ型】にはセルシウスの気が纏われている。その気の色は黒みがかった紅い色。練気と相まって黒刀【参ノ型】の切れ味を高めていた。

 そしてその眼。

 殺人鬼としての能力として相手の生命力が視覚的に視えるというものがある。だがそれが高まってくると知識で得た相手の急所も視覚的に視えてしまうらしい。知識と視覚が重なり合い、相手をより殺しやすくなるのが殺人鬼としての成長の証。

 それに己の実力が合わされば、それは「完成された殺人鬼」となる。そこに戦いというものはなく、機械的に殺しを行う殺人人形となる。それこそが狩人としてのシュヴァルツの闇が昇華された姿、殺人鬼だ。

 遠い昔、人々は変貌した彼らを見て、まさしく地獄の鬼が現世に現れたと感じたのだろう。だからこそ、「殺人」を繰り返す「鬼」だと称したのだ。理解できないもの、恐ろしい物を相手にしたとき、人は目の前にいるものが例え元が人であったとしても、それを人ではないモノとして認識する。

 故に、鬼。

 まさしく彼らは、人の皮を被り、人の姿をした鬼と化した。

 イャンガルルガは元々甲殻が硬い種族として知られ、属性に対しての耐性も持ち合わせている。すなわち攻守が両立された鳥竜種といってもいい。それが狂化したことでさらにその面が強化されたというのに、セルシウスが振るった一太刀で左耳と左翼が両断されていた。

 

「ク、ァア、アアアアアア!?」

 

 そこで痛みを感じたらしい。左翼を失って体勢を崩し、それでも自分を斬ったセルシウスへと振り返る。

 だがその目に映ったのは、再度鞘に納めた黒刀【参ノ型】を抜きながら自分へと振り返りつつあるセルシウス。先ほどの事で白いフードが取れてしまったらしく、その肩で無造作に切りそろえられた白い髪が風になびいている。

 獲物である狂イャンガルルガを見る目はやはり感情など存在しない。ただ在るがままに、そして自分に刃向かってきた存在への手向けとして、得物である黒刀【参ノ型】による死を与える。

 

閃剣(せんけん)荒鷹(あらたか)

 

 鞘から抜かれると同時に、セルシウスの気と黒刀【参ノ型】の練気が合わさった刃が放たれた。大地をも真っ二つに切り裂かれるその一撃は、当然ながら進路先にいた狂イャンガルルガを通り過ぎていく。

 

「ク、ァ、ァァアアアァ……」

 

 気刃が通り過ぎた後、狂イャンガルルガの嘴から気の抜けた声が漏れ始める。それに続くように狂イャンガルルガの体に亀裂が入っていく。そこから血が漏れ始めたかと思うと、肉が切れる音と共に狂イャンガルルガの体が二つに分かれていく。

 断面は綺麗に斬られており、そこから勢いよく血が噴き出すと共に内臓が現れていく。体を支える足もまた分かれてしまったため、鈍い音を立てて二つの肉塊が倒れてしまう。赤黒い液体が燃えていく地面を染め上げていくが、セルシウスは黒刀【参ノ型】を鞘に戻して小さく溜息をついた。

 

「……むなしい」

 

 呟きながらセルシウスは思い出す。

 ゲイルも復讐を果たしたとき、むなしさを感じていた。自分はあの時ああ言ったが、自分もまた殺しを続けてもむなしさを感じ始めていたのだ。

 こうなると自分の存在の不安定さが増してくる。

 生きている実感がないからこそ命を殺す事で自分の存在を保っている。その行為をしてもなお満たされないならば、自分という存在が崩壊してしまうのだ。加えて自分はシュヴァルツであり、自殺出来ない呪いを持っている。

 生き続けて罪を償う、という名目の下で自身の血統に掛けた制限(のろい)は、後世の者達の一部を悩ませた事だろう。

 セルシウスもまたその中の一人。

 それがあるからこそ今まで強制的に生き続けてきた。この欠陥を抱えて生き続ける事に絶望し、自殺しようと考えた事も何度もある。でも呪いがそれを許さない。

 だから今までこういう生き方を続けてきた。葬った命は数え切れない。最初のうちは普通だったが、自身の闇が進むにつれて心が満たされる感覚がしたのを覚えている。

 だがいつの間にか殺しても心がざわつかず、今ではむなしさも感じるようにもなっている。殺人鬼なのにどうしてこんな事になったのだろうか。

 

「つまらないな……」

 

 生きているのがつまらない。

 でも無気力に自分は殺しを求めている。満たされないのに心が、本能が求めているのだ。これもまた殺人鬼の影響。

 逃れられない宿命。

 どこまでいっても自分は殺人鬼、そしてシュヴァルツに連なる者。

 そんな宿命から逃れたのが、従弟であるあの少年。

 ライム・ルシフェル。

 自分との戦闘により、まさかのルシフェルとしての覚醒を起こした少年。それによって僅かではあるも自分との実力差を埋めてきた。あのまま成長すれば、確かにライムの言う通り自分と殺し合いをする事を可能とするかもしれない。

 だが、ライムは甘い。

 あんなに甘い少年が、本当に自分と殺し合いが出来るのか?

 実力が追いついてきても精神に迷いがあれば殺し合いは出来ない。逆に自分がライムを一瞬で殺してしまうだろう。

 

「……くっ」

 

 しかしその結末を辿る確率はわからない。

 そう思わせるのはライムの眼差しに宿った強さがセルシウスを惑わせていた。どうして変わってしまった自分を見ても彼はあんな風にいられたのだろうか。わからない。

 何故自分を救うとあんなにはっきりと告げられたのだろうか。わからない。

 自分はどうしてこんなに戸惑いを感じているのだろうか。わからない。

 

「なんだっていうんだ……今更、奴の事を思い返してどうしろというんだ……」

 

 あの時の尾が今もなお引き続けている。そして心に波が発生して揺らいでいる。

 この数年になかった――いや、もしかすると殺人鬼へと傾いてから初めての心の大きな波。今自分の心をざわつかせる要因はあの少年以外考えられない。

 なんであんな事を言われたくらいでこんなにも心がざわつくんだろうか。

 どうしてこうまであの少年を気にしてしまうのか。

 どうしてあの程度の事で心を揺らがせるのか。

 何度でも考えてしまう。

 

「……やっぱり、次に会った時に殺すか。そうすれば、このざわつきも収まるはず」

 

 ライムの存在が心を惑わせるならば、その存在を消せばいい。実に簡単な話だった。

 従弟の事だというのに、その思考に至れるのはやはりセルシウスが殺人鬼だからだろう。邪魔なら殺す、それがそういう域へと堕ちてしまった者だからだ。

 だからこそライムが言った通り殺し合いをしてやろうじゃないか。本当に殺し合いが出来るほどの実力を手にするかはライム次第。ついていけなければそのまま即死するまでの事だ。

 でも今度は最初から本気でやろう。このざわつきを消すため、完全に手加減無用でライムを斬る。

 

「そうだ。今までの奴らと同じ。従弟だとかそういうのは関係ない。私を乱すのならば、あいつは私の敵」

 

 握り締めた黒刀【参ノ型】を持つ左手に力が加えられていく。感情を感じさせないその瞳はもう赤く染まってはおらず、剣を思わせるような鈍色へと戻っていた。でも、その剣の奥に何かを揺らめかせているのは、セルシウスの心の迷いを投影しているからだろうか。

 口では、心では殺人鬼に違わぬモノを持っているだろう。しかしそれでもセルシウスは人だ。人族としてのセルシウスが完全に死んではいない。もし既に死んでいるならば、心の迷いが存在するはずはなく、ただ殺人鬼として行動を続けるのみ。

 迷い、戸惑うならば、それはセルシウスがまだ魔族であり、人としての心が生き残っている事に他ならない。

 だがそれをセルシウスは認めることはないだろう。

 彼女はただ自分を惑わせる従弟(ライム)を殺す事を決める。そして決めたならばそのまま突き進むのみだ。

 背後では狂イャンガルルガだったものから黒いもやが立ち上り始め、空気へと溶け込んで消えていく。あとは朝陽の計画通りに従って動いていく。

 それを振り返ることなく、燃え盛る村の中をセルシウスは歩き始めた。

 

「――敵なら、殺さないとな」

 

 その呟きは炎の中に消えていった。

 その白い影はすぐに見えなくなり、数時間燃え続けた炎はしばらくして降り注ぎ始めた雨によって消え去る。

 だが生き残りは存在しない。

 襲われた村人達も――襲った狂イャンガルルガも。

 この村は中央でも辺境に位置する村だったが、こうして無情に消えていく。だがこれは数日間隔で一つの集落が消えていくのが日常的となっている。中央で安全な場所などどこにもない。

 少しでも確率が上がる要素とすれば守るべき者であるハンターかギルドナイトがいるという事。彼らいなければ待っているのは滅びのみ。

 

 ああ、現実は実に無情。

 だがこれはこの世界では日常的な事。しかしそれに加えて狂化竜という存在が加わっただけに過ぎないというのに、ここまでの惨状を生み出せるのだろうか。

 命は消える。

 老若男女関係なく消えていく。

 世界の無情さの前には人の願いや意志など無意味なものだという事。でもそれは自ずと人々は理解していた。

 

 それでも人は抗おうとする。

 その果てには絶望しか待っていないというのに。

 

 だけどその中の一握りは抗い、一握りは願いに届く。

 意志の強さが強ければ強い程、その先に届く程の力へと変えてしまえる。

 それがひとえに「運命を変えてしまう力」を示唆する事になった。

 

 だからこそヒトは侮れない。

 無限の可能性を秘めている、という事を遠い昔に誰かが口にした。

 まさしくその通りだろう。ヒトにはそんな力があるのだから。だからこそ可能性が幾つも存在し、それが無限の平行世界を生み出す要因となる。

 

 それでも“世界”は無情だ。

 そのほとんどの結果を許さない。

 世界の崩壊を防ぐため、バランスを保つためにソレを潰す。様々な方法を用いてヒトの可能性を潰すのだ。

 そうしなければ捻じれが生まれ、そこから世界を崩す要素が生まれてくる。それが後々新たな捻じれを生み出し、バランスが崩れる。

 一握りはそれから逃れて生き延び、言葉にするならば“規格外”として存在する事となる。あるいは一度は崩れるも、自然に世界が適応して新たな世界として分離するか、はたまた捻じれたまま存続するか、という結末を辿る。

 

 この世界は一度後者の結末を辿った。

 捻じれはもちろん「シュヴァルツ」。どういうわけか人族の進化の過程が捻じれ、あたかも世界の意志に抗うかのように魔族の一部が進化を行ったのが始まり。この狩猟世界において、全ての天敵と呼べる程の力を持つに至った一族。

 だが自らを殺しかねない欠陥を抱えての進化だったため、一応見逃しておいたが。それが正しかったのかどうかはわからない。結局この一族はもはや滅びの道を辿り、散り散りになってしまった。

 しかし現在再び集まりつつある。

 同時にこの中央は奴の意思によって闇を集め続けている。

 奴の意思に従うのも癪だが、そうした方がまだ効率はいいだろう。その意思を逆に利用させてもらうとしよう。ヒトが世界に立ち向かうにはそれ相応の代償を覚悟する事だ。傲慢が過ぎるようでは滅びしか待っていない。

 

 見届けさせてもらうとしよう。

 その歴史に名を刻むほどの結果を出すのか、それとも世界と大衆の意思の前に敗れ去るのか。

 

 

 ○

 

 

 なるほど、今のところは五分五分、といったところか。

 力は旧シュレイド城に集結しつつあるが、その中には敗れた狂化竜も含まれている、か。やはり近年のハンター達の実力の上昇には感嘆せずにはいられんな。

 人も年月を経るにつれて少しずつ上へと上ってきているということらしい。とはいえその分だけ上れなかった弱者がいるという事なのだがな。

 それに、まだ存在している狂化竜は元々の個体が生態系としては上に位置する者達。そう易々と倒される事はないだろう。奴らの存在こそがこの計画を達成させるための試算した数値へと近づくための鍵となる。

 とはいえ最後の後押しとはならないのだがな。奴らの対抗手段を推測した結果、そうならないと何度も出てきたのだから。

 

「それで、奴らはどう動いている?」

『はい。どうやらゴル砂漠へは白銀組が向かっている模様。スカーレット組は狂ラギアクルスを討伐し、中央の北西へと移動したようです』

「ほう。よくやるものだ。……それでルシフェルの小僧どもだが、奴らはどこに消えた?」

『依然、行方不明のままです』

 

 やはり月が何かをしたと見るべきか。……あるいは中央の避難所とやらに逃げ込んだか。どちらにせよ月があの小僧どもを何かし、今もなおそれが続けられていると見るべきだろう。

 ルシフェルの事は充分に知っているはずであり、その裏の歴史もまた然り。それを引き出して我に対抗しようとしている事はよくわかる。とはいえ我の事についてはまだ知らないようだし、計画についての全てを知っているわけではないようだな。

 ……くっくっく、四季はまだ語らずにいるか。一体どういうつもりなのやら。やはりあの件のことが未だに尾を引いているとでもいうのか?

 月も気づかぬあの呪い。必要以上に動く事を封じるためにかけたあれがまだ生きているというならば、滑稽な事だな。

 だがそう思わせるために未だに仮面をつけているとするならばどうなるのか。呪いは既に消えており、制限はもうなくなっている事になる。それでも仮面をつけるメリットがあるとするならば、この我を欺いて裏で何かをしているという事。その何かは残念ながらわからぬが、この我に一矢報いるための一手(きりふだ)を隠しているのだろう。

 しかしそんなもので打ち砕かれるような我ではない。

 我とて長く準備を進めてきたのだ。これは朝陽とて然り。

 数年、数十年という時間ではない。

 数百年なのだ。

 人間には不可能な時間を経て我らはここにいる。この計画を発動させているのだ。

 そんな我がたった一人の男の行動を前にして敗北する、なってことはあってはならぬのだ。わざわざ数十年もの間、我に合う器を探し出すためにまどろっこしい真似をしたのだからな。敗北してしまえば我の夢が消える。長年抱き続けたこの夢を霧散させてしまう。

 

 そんな事が許されるわけがない……!

 我は到達する。

 

 ――否、到達しなければならない!

 

 その為の駒だ。

 望みへと至るための力を集め、そこまでの道筋を作るための存在。

 

「いいだろう。引き続き監視を続けておけ」

『承知いたしました』

 

 こいつもまた我の駒。監視の目を広げるための役割を果たす駒。

 そして計画の穴埋めや後押しをするための存在でもある。

 

「……さて」

 

 さっきから気になっていたが、いい加減鬱陶しいものだな。あれは確か四季のところにいた猿だったか。

 なるほど、我を張り込んでいるといったところか。ご苦労な事だな。

 しかし四季ならばまだしも、あの程度の猿を送り込んでくるとは……ふん、命が惜しくはないようだ。

 ならば相手をしてやる事にしようか。

 念話を切ると、さっきから我を見つめている視線の主へと振り返る。距離はかなり離れているようだが、この程度の距離などさほど問題ではない。

 

「……さて、戯れようか」

 

 自然と笑みが浮かんでくる。

 あの時はただ眺めるだけだった猿。ハンターとしてならばいくらでも戦ってきた猿。

 さて、四季が仕込んだあの猿はどれだけ我を愉しませてくれるのか?

 

 

 ○

 

 

「チッ、やっぱ気づかれたか……っ!」

 

 自分に向けられた視線に気づき、雷河は隠れていた木から離れて疾走を開始する。枝から枝へと飛び移り、一気に逃走体勢に入る。一定の距離を飛ぶように移動すると、枝から跳躍して一気に崖を駆け下りていく。

 あの男を張り込んで追跡すると自然と人里から離れ、こんな樹海へと入り込んでいったのだ。人を遮断するかのように生える木々という自然の壁。人の手が入らないが故に、木々は複雑に絡み合い、強固な壁となる。

 視界を著しく悪化させる幹や枝、木の葉の群れ。もちろん樹だけではなく道に生える草むらもまた壁となる。人里に生えるような柔らかな葉ではなく、硬く尖った草が羅列しているのだ。

 軽装で踏み入れようものならば、その側面や先端によってその身を切られてしまう。それはここに生息するモンスターも同じ事であり、彼らはその草むらを掻き分けて進むため、毛皮は厚く強固なものとなって身を守る鎧と化す。

 今駆け下りている崖もまた急斜面だ。バランスを崩してしまえば一気に落下し、地面に激突して重傷、運が悪ければ即死だろう。でも雷河はどうということなく駆け下り、下の森へと入り込んだ。

 

「それにしても、誰かと会話していたようだが……念話を使ってるのは予想通りといっちゃ予想通りか……」

 

 念話は自分と相手の二者しか会話内容がわからない。その方法も頭の中で言葉を浮かばせればいいので、読唇術で把握される事もない。だが魔力の波長を読み取られれば、そこに介入して会話を傍聴出来る、という調査結果が出ている。そこに至るにはやはりそれ相応の腕前がいるが、そんな使い手が多くいるはずもないため、秘密の会話の方法として採用される方法とされている。

 獅鬼が睨んだとおり、彼は誰かと繋がって行動していたらしい。その正体はわからないが、今回はひとまず退かねばならないだろう。正体がラージャンであり、獅鬼に鍛えられたとはいえ、雷河一人で彼と戦う事は無謀に等しい。

 いや、それ以前に彼から逃げ切れるかどうかも怪しい。

 それでも逃げなければ。

 唯一の救いは周りに味方がいなかった事だろう。彼ただ一人であそこにいたからこそ未だに逃げ続けられている。

 

 ――そう思っているのが間違いだったらしい。

 

「――っ!?」

 

 何かが接近してきている気がした。彼が追いついてきたのか、と考えたが、気配の主を考察するとどうやら違うという事がわかった。

 雷河に対する敵意と殺意が尋常ではない。彼ならばそこまでの気迫を持たないということは、彼を観察することで雷河にもわかった。

 彼は自分の実力に自信を持っている。傲慢とでも言おうか。並大抵の者達を相手にしても遅れを取る事はなく、絶対に勝てるという自信がある。だからあそこまで気を放ちながら追いかけてくることはない。

 加えて波長が人族のものではない。モンスター、それも飛竜種に属するものであり、雰囲気からして狂化竜らしい。それを追っ手として向こうから放ってきたのか、あるいは元々この樹海に待機させていたものを出動させてきたのか。

 恐らくは後者だろう。完全に制御下においているのだろうと推測できた。

 

「しかもこいつぁ……やべぇな」

 

 思わず雷河の額から汗が流れてしまう。恐れているのは彼に追いつかれるだけではない。あの狂化竜が合流してくる事も恐れている。

 奴は元々この樹海を生息地としており、その特徴上樹海で戦うならばほぼ敵無しの狩人だ。その真価は夜に戦闘してこそ発揮されるが、今は昼なのでその辺りは救いだろう。

 

「ってかはやっ!? ……いや、元々速かったな、奴は」

 

 奴もまた例には漏れず、狂化によってスピードが上がっているようだ。枝や木の幹へと飛び移りながら着実に距離を縮めてきている。この速さだといずれ追いつかれそうだ。

 ここは奴の得意としているフィールド。そして奴にとっては庭も同然だろう。

 自分はそこに足を踏み入れた獲物。逃げ続ける事を目的としている雷河はいいように追い回される存在でしかない。

 

「――――っ!?」

 

 木々の間から奴の視線が雷河を貫いているのを感じた。気配的にも数十メートルまで接近してきている。このままでは追いつかれ、戦闘になってしまうだろう。つまり彼にも追いつかれてしまうことになる。

 

「くそっ、マズイな……」

 

 訪れる結末を想定してにが虫を噛み締めたような表情を浮かべた。

 一応ローブを纏っているから武器は持ち歩いている。罠などの道具も持ち歩いているため、戦えない事はない。

 しかし残念ながら今回は戦闘するために来たわけじゃない。凄く残念な事だが、戦闘を目的としたのではなく、情報収集を目的としているのだ。

 彼に関しては獅鬼から聞いている上に、世間的にも有名な存在でもある。それを裏付けるのが実際に目にした彼の雰囲気。確かに彼はマズイ存在だ。敵に回しては生き残れる確率は低い。

 入手した情報を届けるための戦略的撤退。何としてでも達成しなければならないのだが、それを許さない漆黒の狩人が遂にその牙を剥いてきた。

 

「――ぬ、ぉおおおっ!?」

 

 空を切って飛来してきた黒い鍼のような細長い毛。それが雷河の進路上に幾多も突き刺さっていく。雷河もなびいているローブを翻してそれから身を守るが、一部の毛が貫通しかけているのを見て微かに息を飲む。

 その守りの行動が数秒、逃亡する速度を落としてしまった。その数秒が奴にとっては充分な時間。

 

「グルァァアアアヴッ!!」

「ちぃ……っ!?」

 

 木々の間から滑空するかのように襲い掛かる漆黒の影。

 紅い二つの光が軌跡を描きながら、影は高速に雷河へと迫っていく。振りかぶられたのは一つの刃。その刃を雷河は何とか反応して回避する事に成功した。

 そして改めてその影と対峙する。

 元々漆黒の毛並みを持っていたが、それが一層深く濃く染まっている。目の周りの赤みもまた深みを増し、鈍く光る真紅の瞳がじっと雷河を見つめている。

 樹海に潜む漆黒の狩人。深い森の奥に息を潜め、その速さを以ってして獲物を狩る者。

 迅竜ナルガクルガ。

 それが狂化竜として雷河の前に姿を現した。

 

「ヴルルルルル……!」

 

 隙を窺うかのように狂ナルガクルガは雷河を見つめるだけだ。このまま撤退してもすぐに追跡を開始してくるだろう。だが逃げなければ彼も追いついてくるだろう。

 思わず雷河は舌打ちしてしまう。

 戦うのは得策ではない。

 そして逃げたとしても狂ナルガクルガのスピードだとすぐに追いつかれる。この背中へと躊躇なく攻撃を仕掛けてくるのは目に見えている。

 では狂ナルガクルガの足止めをするか?

 いや、閃光玉をしてもナルガクルガは目標を見失って暴走するだけだ。

 ……いや、それを利用するのも手だろうか。雷河は狂ナルガクルガの出方を窺いながら幾つかの方法を模索する。

 しかしその時間もまた彼にとっては追う時間でもあるのだ。だからこそ素早く決断を下さなくてはならない。

 雷河の右手に電気が奔り、それを前に出して一気に放出。網目状に迸る雷の奔流が狂ナルガクルガを囲むようにして纏わりつき、その動きを束縛しようとするが、狂ナルガクルガは小さく唸って逃げるように後ろへと跳躍した。

 だがそれだけでいい。雷河は再び走り出して逃亡を開始する。

 

「ヴォルァアア!!」

 

 逃がさない、とでも言うかのように吼えた狂ナルガクルガは木の幹に飛び移り、そのまま三角飛びの要領で跳躍し、翼を広げて滑空を開始した。生え揃っている木々の葉を突っ切りながら雷河を追うその姿は、元々のナルガクルガの狩猟スタイルとは変わっているだろう。

 あくまでも奇襲を主とするのがナルガクルガの狩りだ。あんな風に音を立てながら派手に追跡するのはあまりない方だ。やはりこれも狂化した影響か、はたまた彼の指示に従った結果なのか。

 

「追いかけっこや逃げ続けるってのは趣味じゃねえんだがな……! そらっ!」

 

 バリバリと雷河の体から電気が音を立て始める。舞い散る葉がその電気に触れて弾け跳び、焦げた葉となって塵と化す。少しずつエネルギーが充電していき、雷河は雷を纏って一体化する。

 滑空を終えた狂ナルガクルガは再び疾走を開始する。しかし直線を走るのではなく、木の幹などを飛び回り、跳ぶ時に力を解放して更なる加速をつけていく。それだけでなく、自分が今どこにいるかを悟られず、反撃の手を打たせないようにしていた。

 

「だがこれでどうだ!?」

 

 地を蹴って低空ジャンプをしながら振り返り、纏った雷を放射状に解放する。雷河の背後の全方向に広がっていく雷は、周りの木々や葉を貫いていく。となればその中を突っ切ってくる狂ナルガクルガにもその中の一部が命中し、その体を痺れさせてしまう。

 その隙を突き、再び前を向いて雷を纏って一気に駆け抜ける。今の雷河は雷エネルギーを纏うことで爆発的に加速度が上がっている。しかしこれは元々戦闘時に纏うことでスピードと攻撃を両立させる事を目的としているが、残念ながら持続時間が数分間しか持たない。

 これはG級に含まれるラージャン、一概に「激昂ラージャン」と呼ばれる存在は、怒りが最高潮になれば自身に雷エネルギーを纏って更に攻撃力を上げている。だがあれもまた数分間しか持たない。しかも最近の学者によれば、これほどの技術を持ったラージャンは短命だという報告も上がっている。

 話が少しずれたが、簡単に言えばこれと原理としては同じもの。自分の中で粒子を集めて発電し、その力を纏うことで様々な能力を底上げする。これを応用したものであり、古龍種なども一部はこの力を習得している。

 それを人族が理解し、魔法でも応用したことで属性付与などの魔法が生まれたという。

 現在の状況は逃亡戦。加速度を上げるという名目でこの技術を行使しているが、恐らくこの力の充填具合では1分半くらいしか持たないだろう。本来ならば5分は持つが、残念ながら完全充填には至らなかった。

 

「……ん?」

 

 ふと、妙な事に気づいた。

 彼の気配がさっきからなくなっているのだ。

 一体何故だろうと考えていると、一つの力が迫ってきている事に気づいて息を飲む。

 

「――っ!?」

 

 突如自分に魔法弾が命中して体勢を崩してしまった。それを狙うかのように次々と魔法弾が襲い掛かり、雷河は大きく吹き飛ばされて地面を転がってしまう。

 

「ぐ、はっ……!?」

 

 しかし何とか起き上がり、魔法弾が飛んできた方を見つめる。その先には自分を見つめる一つの影があることに気づいた。

 だが何故だろうか。

 

 何故自分より前にいるのか……!?

 

 いつの間に追い越された?

 いや、回り込まれた?

 それとも空間転移を用いたのか?

 

 様々な可能性を考えたが、そんなことに意味はないだろう。

 どのような過程であれ、自分は彼に追いつかれたのだ。

 

「やれやれ、獲物を追いかけ続ける、というのもつまらんものだな」

 

 そして気づけば、すぐそこに彼がいる。

 冷や汗を流して息を飲んでいる間に、一瞬で距離を詰めてきたらしい。

 

「……やれやれ、なんてこったい。親父に聞いたとおりだ。実際にこうして見る限り、マジであんたやべぇよ。……色々とな」

「ほう? 四季に聞いたと? それは妙な話よな。となるとアレは消えたと?」

「アレとは呪いの事か?」

「………………」

 

 その単語を聞き、彼は沈黙した。

 自分のかけた呪いを知っているということは、やはり雷河は獅鬼から聞いているとみるべきだろうと判断する。しかしそうなると、その呪いが発動し、獅鬼を殺しているはずだった。

 少なくとも呪いに失敗はない。あれは間違いなく二つの呪いを抱え込んでいるはずだった。その内の一つは雷河に話した事で発動するはずなのだが、どうして発動していないのか。

 やはり解呪したのか、と考える。

 だが少し考えて彼は一つの事に気づいた。

 

「……そうか。貴様は猿だったか」

「はっ、俺たちを猿と言うか。とんでもねえ野郎だ」

「ふん、ラージャンなど猿で充分。しかし、そうか……そんな穴を見つけるとは、四季もやはり侮れぬ。……貴様、我の事をどこまで聞いている?」

「さあ、どこまでだろうな?」

 

 そう言って微かに笑みを浮かべているが、それはどこか引きつったような笑みだった。それだけ彼が雷河からすれば規格外の実力を持っているという事であり、雷河に「やべぇ」と言わせるだけの何かを持っているということに他ならない。

 纏っている雷エネルギーは既に消えている。つまり力はもういつも通りに戻っているという事。

 そして彼は、ただそこに佇み、何の感情も感じさせずに雷河を眺めている。身を纏う銀色のローブが風になびく中、彼はフードの下でうっすらと笑みを浮かべた。

 

「ならば死ぬがいい、猿」

 

 それは静かな宣告。

 殺気なんて明確な雰囲気もなく、彼は一つの魔法を行使して雷河へと攻撃を仕掛けた。一陣の風が槍と化し、雷河の心臓目掛けて奔り抜ける。

 それに反応できたのは奇跡だろう。同じく規格外である獅鬼を父とし、彼にしごかれ続けた雷河だから反応できたのか。あるいはラージャンの野生的な勘で自らの死の危険性を感じ取ったのか。

 咄嗟に横に跳んだ事でそれから逃れることが出来た。しかし彼はあくまでも冷静に対処する。そこから跳んで雷河へと一気に接近すると、その身を掴もうと手を伸ばす。

 だが雷河も手を払うかのようにしてそれから逃れ、体勢を立て直しつつ逃げの手を打ちながら雷エネルギーを溜め始める。

 

「ほう? 猿にしてはよく反応できるものだ」

「生憎とこちとら最高の師がいるもんでね。それくらいなら反応できるようになってんだよ!」

「最高の師? ……はっ、あの出来損ないを“最高”と称するか。……くっくっく、滑稽な事だな」

「……ンだと……?」

 

 彼の言葉に雷河の雰囲気が変化し始める。それに気づいてか、あるいは気づいてなお彼は言葉を続ける。

 

「あれは出来損ないよ。どれだけ身体能力が高かろうと、奴は神倉の名を持つには相応しくない。神倉のルールに従わず、魔法の才能などほとんどない。一族の恥といえよう。故に出来損ない。……その出来損ないから教えを受けた貴様もまた出来損ないといえるだろう。……んん?」

 

 フードの下で彼は見下すような視線を向け、冷たい笑みを浮かべている。その瞳は陰に隠れて見えないが、実に憐れみに満ちた雰囲気を感じさせていた。

 彼の言葉を聞く雷河は静かに怒りを堪え続けている。奥歯を噛み締めているのか、その口元が歪んでいるのがわかる。

 

「ラージャンでありながら人として生きる事を四季に決められ、技術を仕込まれる。猿なのか人なのかも曖昧。それが貴様であろう? つまり存在が曖昧、曖昧ならば生物として出来損ない。どっちつかずの存在など、目障りでしかない。故に、死ね」

「うっせぇんだよぉぉおおおおお!!」

 

 堪えきれなくなった怒りが爆発し、雷河の覇気と怒号が樹海に広がっていく。フードが飛び、その金髪が荒々しく先端を跳ね回らせ、髪の一本一本にエネルギーが纏われて電磁波を撒き散らしている。

 隠れている角もラージャンの名残を思わせるかのように変化を始め、口からは犬歯が少しずつ伸び始めていた。雷エネルギーも先ほど以上に集まり、雷河の怒気に呼応するかのように荒々しく、無慈悲に周囲を焦がしていく。

 その様子を見つめる彼の表情は相変わらず冷たい笑みを浮かべたままだ。いや、むしろ喜色は更に冷たく深くなっていく。

 

「てめえにとっちゃ確かに親父はそうなんだろうさ。でもなぁ、それでも親父は人として誇れる人だ! てめえらみてえに堕ちていく事はなく、無差別に命を奪うようなクソッタレにならなかった! てめえのようなクズ野郎に、親父を悪く言うような資格なんてねえんだよ!!」

「口を慎め、猿が! それは弱者の喚きにしかならん! ()く、死ぬがいい!」

 

 雷河へと指を指せば次々と風がカマイタチと化して襲い掛かっていく。

 風は魔法の中で一番攻撃に向いているといわれている。利用するのが空気ということもあり、目に見えない力が攻撃に向いて行使されるというのは恐ろしいものだ。

 束ねれば槍となり、薄く形作れば真空の刃となる。螺旋を描けば周りを巻き込む竜巻となり、ただ吹き荒らすだけで弱き者は吹き飛ばされる。

 だがそれでも風魔法は攻撃に向いている、というだけに終わってしまう。対策を立て、経験豊富なものにとってはただの攻撃魔法でしかない。

 雷河もまた然り。獅鬼から鍛えられているために、一定の風魔法に対しては抗う術を持っている。

 もちろんそれは獅鬼が風魔法を行使できるから、というものではない。獅鬼からは気弾を受け続けただけだ。気弾は自らの気を練り上げて作られた弾であり、これもまた見える者と見えないものに分かれる。大抵の人は気を視認出来ないために、何も出来ずに受けてしまう攻撃だ。

 しかしそれだけではなく、雷河は多くの戦いを乗り越えた経験が、“風魔法を回避出来る”という結果へと導いている。

 

 でもそれでも足りないのだ。

 

 何故ならば雷河はまだたったの80年しか生きていない。

 相手はその倍、いや3倍……それ以上の年月を生きた者。彼にとって80年とは“たったの”と称せるほどに短い年月に等しい。

 

「おらぁあああああ!!」

「ぬるいな、猿が。ふんっ!」

 

 カマイタチを回避しながら接近し、纏った雷を放出する。だが周りの木の枝が伸びて絡み合い、壁と化して雷を防いでしまう。同時に反撃として地面から槍が突き出し、雷河を貫かんと伸びていく。

 しかしそれを大鬼薙刀を取り出して切り払い、自身の角の両端から雷を空へと打ち出した。それは上空で収束し、上から彼へと襲い掛かる。この間はたったの数秒で行われた事だが、彼にとっては遅いものだ。

 

「はぁぁ……はぁ、はぁ……、……ふぅ、……っく……!」

 

 枝が蠢き、空から打ち落とされる雷を防いでいるのを確認した雷河は、大鬼薙刀を回転させながら構えなおし、一度辺りを視線を動かす事で確認した後、背後へと跳躍して距離を取っていく。

 背を向けないのはもちろん背中から攻撃されるのを防ぐため。気配を探りながら一定距離を取ると、横に跳んで木々をすり抜けながら走り抜ける。

 怒りは高まっているが、それでも理性は留められている。元々のラージャンならば怒りのあまり彼へと攻撃を仕掛け続けているだろう。野生のままならば命の危険を感じてもなお攻撃を続行し、敵を排除する思考が働く。

 ラージャンとは超攻撃的生物と評されるほどに凶暴であり、敵と定めたならば一気に排除するモンスターとされている。こんな風に撤退を選ぶ事はほとんどなく、戦いが決するまで戦い続ける存在だ。

 実際雷河もそれに近しいほどまでに怒りが高まっていたが、雷を打ち出し続ける間に少しだけ冷静さが戻り、今の状況を再度頭の中で整理できた。獅鬼の教育がなければこうなはらなかっただろう。

 それだけに雷河にとって獅鬼とは大きな存在であり、ただの父親、戦いの師では納まらない人物なのだ。そんな人を悪く言われれば、雷河でなくとも怒りが高まり、爆発するだろう。

 しかしただの撤退戦を許すほど彼は甘くはない。

 

「逃げられるとでも思っているならばそれは甘いな、猿よ」

「ヴォルルル!」

 

 その声が聴こえたかと思うと、横から狂ナルガクルガが飛び掛ってきた。どうやら追いついてきたらしい。やはりあの対峙した時間があったからこそ、狂ナルガクルガのスピードを以ってすれば追いつくことなど容易い事。

 もしかするとあそこで姿を現したのは、狂ナルガクルガを合流させるという目的もあったのかもしれない。

 

「くそっ、マジかよ……」

 

 見れば既に彼はいた。

 狂ナルガクルガは雷河の右側に、彼は目の前に。

 背後を見せればもう終わる。かと言って彼らと向き合いながら後ろへと跳びつつ下がるのも得策ではないだろう。スピードに何が出るし、狂ナルガクルガが攻めてくれば、彼は回り込めばいいのだから。

 それは彼もわかっているのだろう。余裕を感じさせながらそっと右手を差し出し、手のひらを上に向けて指を少し鳴らしている。

 

「さて、この状況は積みだ。これ以上無駄な抵抗を続ける事は愚かだろうというのは猿でもわかるだろう? よもやまだ抵抗する、などという愚考はしておるまいな?」

「……ハッ、どこまでも傲慢な野郎だ。生憎とな、こちとら足掻けるなら最後まで足掻き通すって決めてんだよ。でなけりゃこんなクソッタレな計画に抵抗なんざしねえよ!」

 

 対抗するかのように雷河は身構えながら彼を睨みつけながらうっすらと笑みを浮かべる。

 彼の言う通りこれは積みだ。“チェック”といってもいい。

 だがそれでも抗う可能性は残されている。つまり“チェックメイト”ではないのだ。

 その僅かな可能性があると信じているからこそ雷河は戦える。彼の目はまだ死んではいない。冷や汗を流しながらも、彼の力に飲まれそうになりながらも彼は諦めるという選択をしないのだ。

 その在り方が彼には不愉快極まりない。フードの下にある笑みが完全に消え去った。

 相変わらず陰になっているところから感じられる視線には見下す色合いがあるが、憐れみの色合いはもうない。

 まるで地を這う弱者(むしけら)を見つめるかのようで、自分が絶対なる強者にして勝者である事を揺らがせない傲慢さが感じられる。

 

「ふん、愚かな。定められた運命に抗う猿が……! よかろう。貴様はただでは殺さん。存分に痛めつけ、(なぶ)り尽くしてくれよう。その果てに決して抗えぬものがあると知り、絶望して死ね」

「御免被るぜ……! てめえのようなクソッタレに下げる頭もなければ、屈するような心なんざ持ってねえ……! あんま猿を舐めんじゃねえぞ? こちとら“金”の如く煌き燃え上がる心と、“獅子”のように雄々しく猛々しく、何ものにも負けねえ精神(こころ)があんだよ!」

 

 両手を握り締めて打ち合わせれば、一気に電撃が解き放たれ、雷河を一気に包み込んでいく。さっきの怒りに呑まれて暴走する雷ではなく、敵を定めて力を溜めていく雷だ。

 ギラギラと燃える瞳に恐れの色はない。こんな状況になってもなお雷河は恐れない。

 いや、生物としての本能から来る恐怖はあるだろう。それだけ彼は実力者なのだ。

 どれだけ傲慢でクソッタレであろうとも、その実力に偽りなどない。それに飲み込まれれば敗北は必至。

 だからこそ心を強く持つ。そしてこの局面を打ち砕いて生き残る。

 

「追い詰められた獣ほど、怖いものはないってことを思い知りやがれ『世界(ワールド)()観測者(オブサーバー)』アキラ!! いや――」

 

 そして雷河は吼えた。

 その名を告げて自らを鼓舞し、敵を圧倒する程の覇気を込めて吼えた。

 その咆哮を受けて彼――アキラは表情を変えずに静かに覇気を放ち始める。

 

「……ふん、その名を吼えるな、猿がッ!」

「ヴォルォオオオオオン!!」

 

 アキラの声に呼応して狂ナルガクルガもまた吼える。

 一対ニ、しかも狂化竜と規格外を相手にする状況。

 助けの手など望めない状況下において、雷河は戦わざるを得ない。

 

 彼は生き残れるのだろうか。

 

 

 

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