呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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61話

 

 

「……ゃん、…………ん」

 

 誰かが呼んでいる気がした。でも意識は深く沈んだままで、その声に応える事は出来ない。でも暗い闇の中で声は繰り返し自分を呼び続けている。

 

「お……ん、……え……、……ん」

 

 一体誰が呼んでいるのか。どこか懐かしさを感じさせる声に、意識は少しずつ覚醒へと向かっていく。

 いや、違う。覚醒していっているんじゃない。

 この呼び声に導かれるように意識がそちらへ向かっているのだ。

 

 やがて一つの光に包まれ、ゆっくりと目を開ければそこには遥か遠い昔の光景が広がっていた。

 

「…………どうして?」

 

 何故今更こんな光景を見てしまうのだろうか。

 これは夢だ。夢でないなら何だというのか。

 

 こんな……神倉の里の光景はもう見れないというのに。

 

 既に滅びて存在しない場所が、何で目の前に広がっているのか。

 考えられるとするならば昔の記憶から作り出された夢の光景。それしかない。

 辺りを改めて見回せば、二つの人影に気づく。

 一人は肩まで伸びた蒼い髪をした10代の少女。身を包むのは暗い蒼の着物。その藍色の眼差しは後ろにいる小さな少女へと受けられていた。

 少女は年の頃はまだ10に満たないと思われる。前を行く少女と比べてかなり身長が低い。背中に届く蒼い長髪をしており、もう一人の少女とは対照的に明るめの蒼い着物を着ている。

 

「お姉ちゃん、どこにいくの?」

「ちょっとした散歩よ。たまには気晴らしも必要でしょう?」

「じゃあ私も行くよ」

「……そう? じゃあこっちに来なさい」

「うん!」

 

 なんだ、あれは?

 幼い少女は姉と呼んだ少女の傍らに並ぶと、二人は手を繋いで歩いていく。傍から見れば実に中睦まじい姉妹の光景だろう。

 しかし、そんな事があるはずはない。

 幼い少女は月。

 隣にいるのは朝陽。

 これは誰の過去? 自分の過去だろう。

 しかしこれは幻想だ。こんな記憶を自分は知らない。

 だがこれを夢とするならば、どうしてこんな光景を見てしまうのか? 夢とは記憶の再生といわれている。しかし存在しない記憶を再生するはずはない。となればこれは朝陽の幻想なんだろう。

 

「でも有り得ない……」

 

 自分は月を憎んでいる。

 殺したいほどに憎んでいる。

 数百年に渡って憎悪した相手を、こんなのどかな日常を夢で見る事なんて有り得ない。

 だが現実はこうして目の前に表れ、朝陽を困惑させるかのように見せ付けている。姉妹は手を繋いだまま村を歩き、森へと向かっていく。

 月を見つめるその眼差しは優しく、今のように憎しみを抱いている様子は全くない。そこにいるのは一人の姉。大きく年齢が離れているが、一人の妹と共に過ごしている姉だ。

 しかしそんな日常は終わりを迎える。

 森へと入ろうとしたとき、村から数人の男がやってきた。それぞれ軽めの和服を着込んでおり、総じて蒼や青の髪に目の色をしているところから、やはりこれが神倉一族の特徴なのだろう。

 一人の男が前に出ると、じっと朝陽を見つめた。

 

「どこに行く?」

「……散歩だけど、それが何か?」

「ならば一人で行くがいい。月は置いていけ」

 

 その言葉に朝陽は目を細め、月は少しだけ怯えたような表情を浮かべて朝陽にしがみついた。その頭に優しく手を置いて撫でてやりながら、朝陽は男たちを睨みつけて反論する。

 

「どうせお前達はこの子の力が欲しいだけでしょう?」

「当然だろう。我らにはシュヴァルツを超える目的があるのだ。かの高みに辿り着くための存在がそこにいる。ならば、それ相応の修練が必要だろう。朝陽、貴様にはない力が、才能が月にはある」

「然り。主には受け継がれなかったモノがその娘にはある。主に用はない。早く月をこちらに渡せ。さもなくば力ずくで奪うぞ?」

 

 男たちが動き出し、二人を囲むように位置を取っていく。その様子を見つめる朝陽は静かに気を高めているが、それを感じても男たちは冷静だ。むしろ朝陽に何が出来る、と見下している節がある。

 実際朝陽は神倉一族の中では平均的な実力だ。平凡で無難と言ってもいい。しかしそれはあくまでも神倉一族の中で、ではだ。一族の外でいえば……そう、人族の中ではまだ上に位置する存在といえる。

 魔法の才能も中級だが、イメージ力は高いために行使する力は強い。だが身体能力は平均的だ。他の人族と比べてもそんなに大きな差はない。修練を積んでいるために実力はある方だが、他のハンターたちも修練を積めば到達できる領域。

 だからこそ平均的。

 そんな才能を持ち、実力を持つ者は神倉には必要ない。そして女として生まれたならば、ただ種付けされ、その子供を産んで次なる神倉を増やす存在でしかない。男ならばもちろんただの種馬でしか利用価値はない。

 ここはそういう場所。

 実力がなければ次の結果を期待し、誰かと交わって次の子供を増やせ。そういう世界なのだ。

 月が生まれたのも、朝陽の母親が出産できる周期に入ったから種付けされただけに過ぎなかった。だから二人の間には数十年という歳の差がある。人間ならば考えられない事だが、寿命が長く、それ故に子供をなかなか産めない竜人族や魔族には時々あることだ。

 一部の竜人族や魔族はその例に漏れる事があるが、大抵の一族だと見かけられること。神倉一族もその例に漏れなかったが、様々な種族の血を取り入れる事で周期がばらけてはきている。

 しかし朝陽の母親は受け継がれた血筋は高い才能を保有されている事は確認できていたが、周期が曖昧だったために排卵時期が不確定だった。排卵時期を狙って高い才能を持つ父親と交わらせたが、結果は失敗。

 “普通”の烙印を押すに相応しい朝陽が生まれてしまった。

 だが次の子供は大当たり。二代目最高傑作と呼ぶに相応しい月が生まれた。その瞬間朝陽の役目は終わった。次代の子供を孕むための存在でもなくなり、他の神倉の女達と同じく用はない“いらない存在”。

 月を鍛える程の実力を持たない神倉の者達は、月が生まれた時から存在に価値はなくなっている。

 ただ勝手に生きていろ、しかし月にあまり関わるな。

 そのように触れが回っており、月に不干渉のまま日々を過ごしている。その中には月の母親も含まれており、赤ん坊だった月の最低限の育児だけを行って退場していった。それ以降関わる事はなくなっている。

 父親はその才能によって月の鍛練を後押ししている。彼は朝陽の父親でもあるのだが、彼は朝陽を娘とは思っていない。朝陽もまた彼を父親とは思っておらず、母親とも関わらずに一人で過ごしている。

 触れによって二人は同じ家に暮らしておらず、外に出なければ出会う事がない姉妹。そんな歪な家族関係はやはりこの一族のルールが関係している。

 そんなルールに従う気がない月は時たま朝陽の下へと訪れて一緒にいようとする。朝陽もまたそんな彼女を無下にはせず、月と一緒に……ザ、ザザ……。

 

「……やっぱり気に食わないわね。月はただ目標を達成する為の道具じゃない。一族の悲願だかなんだか私には知ったことじゃない。月は私にとって……ザザ……」

 

 世界にノイズが走り始める。

 そんな中で朝陽と彼らは何かを話し続けている。それはノイズによって聴こえないが、しばらくそれが続くと、月がうつむいたまま朝陽から離れて男たちの前に出る。その小さな口が動き始めるが、やはり何を話しているのかわからない。

 

「力があれば……ザ、ザ……書物さえ手に入れば……」

 

 ――ザ、ザザ……ザァァァ……。

 

 そんな月を眺めながら朝陽はそう独り言を洩らした。

 

 ザザザ……ザァ、ザァァアアアアァ……プツンッ。

 

 ――――……ザ、ザァァ……。

 

 一度だけ電源が落ちたような音がして世界が暗転したが、すぐに世界は色を取り戻し始める。するとまた朝陽一人で森へと向かっている風景から始まっている。

 さっきまでの険悪な雰囲気などどこにもない。そして男たちの気配などどこにもなかった。

 少ししてまた月が朝陽へと駆け寄っていく。その姿は先ほどより少し成長していた。さっきと同じならば朝陽はそれを迎え入れてやるだろう。

 

「姉さん」

「…………」

 

 だが朝陽は立ち止まらずに歩き続けている。振り返ることなく歩き続けているため、月はまだ追いかけ続けている。

 

「姉さん、待ってよ……!」

「…………」

 

 そこで朝陽が振り返ったが、肩越しで静かに月を見下ろすだけだった。さっきまで見せていた姉の優しさなどどこにもない。深い藍色の眼差しは冷たく、まるで今の朝陽を思わせるものだ。

 

「……なに?」

「どこ、行くの……?」

「どこだっていいでしょう? あなたには関係ないわ」

 

 素っ気無く言うと月からその後ろへと視線を向ける。そこには数人の男たちが二人の元へと近づいてくるところだった。彼らは月を鍛えている者達だ。今日も月を鍛えに来ているのだろう。

 

「……朝陽よ。月をこっちに渡してもらおうか」

「ええ。好きにするといいわ」

 

 月を庇う事など全くなく、ただ淡々と男たちへと月を差し出した。男たちは表情を変えることなく、月を囲むとそのまま月を連れ去っていった。

 その中で月が朝陽へと振り返るが、彼女は何も言わずにその姿を見つめるだけだ。

 一人残った男がそんな朝陽を見つめ、目をそっと細めて彼女を見下ろす。眼差しは鋭く、そして冷たい。その様はまさに朝陽を見下したかのようなものだった。

 

「わかっているな?」

「ええ、わかっているわよ。そう何度も言わないでくれる? いい加減鬱陶しい」

「ふん、あれが何度もお前の元へと向かうからな。情を移されてはこっちとしても困る」

 

 そう言って背を向けるが、まだ言い残した事があるらしい。歩き始めることなく肩越しに振り返ると、男は朝陽と視線を合わせて冷たく言い放つ。

 

「あれはお前の妹でも何でもない。我が一族が目指す域へと到達する者。“出来損ない”のお前と肩を並べることなどおこがましい。……忘れるな、お前とあれは“違う”存在なのだという事を」

「…………」

 

 男が去っていくと朝陽はその場に佇んだまま拳を握り締める。眼差しは既に見えなくなっている月がいた場所へと向けられていた。もしかすると男たちに対してもこの感情を持っているのかもしれない。

 握り締めた拳からは少量の血が流れており、噛み締めた唇からも朝陽の感情が窺える。

 

「…………なに、力を重視するか。そんなに、才能が大事か……!」

 

 湧き上がるのは怒り、憎しみ。

 見下され続けている。

 必要ないと蔑まれている。

 生きる理由など存在しない。それは月が生まれたときから消え去った。

 遥かな高みへと至ろうとする神倉一族にとって、実力がない者や才能がない者は存在する価値はない。だから朝陽に対するあの接し方はこの里ではよく見かけられる光景だ。

 だが朝陽にとってこれは屈辱以外の何ものでもない。あたかも普通の娘から奴隷へと転落したかのような日常の変化。妹に生まれ、自分は失われた存在価値。

 自分の地位を落とした彼らに対する怒りと憎しみが沸々と自分の中に浮かび上がってくる。同時にその原因となった月への理不尽な怒りが鎌首をもたげ始める。

 

 どうして?

 どうしてこうなったのだろうか?

 

「……力、力が必要? 月にあって私にないもの…………ふ、くく……」

 

 うつむいた朝陽から黒い気配が生まれ始めると共に、また世界にノイズが走り始めた。まるで電波障害が生まれたかのように世界に色が失われていき、また里の風景が歪み始めた。

 耳障りな音が響き渡る中、黒い気に纏われていく朝陽がうつむいたまま何かをブツブツと呟き始める。それはノイズによって聴こえづらいが、一部の言葉は耳に届いていた。

 

「ザ、ザ……からを、ザ、誰にも負けな……ザァァ……。……そうよ、ザザ、けなければいい。そうすれば見下され、ザザ……ザ、ザザ……くく、ふはは……ザザザ……」

 

 勢いを増していくノイズは広がるところを知らず、再び世界は闇に閉ざされてしまった。

 静けさに包まれていく世界の中、朝陽の意識は虚空に漂い続ける。

 

『……そう、私は憎む。力ある者を憎む』

『神倉一族は滅びて正解。力に固執するあまり人の心を忘れ去った愚かな者達』

『……ふふ、そして私もその一人。でも奴らと違って届く目標を持った者』

『忘れるな、私。消えていった同じ神倉の者達の宿願、高みへ届いた者への復讐を。諦めた奴らに代わり、お前が達成するのよ』

 

 ――第二の最高傑作、神倉月の抹殺。そうしてこそ私達はあの一族に一矢報いる事になる。

 

 目を閉じた朝陽の頭の中に響き渡る朝陽の声。闇の中、あちこちから響いてくるその声は、眠り続けるかのように横たわって漂う朝陽の中へと吸い込まれていくかのようだ。

 そして朝陽はその声を受けて少しだけ瞼を震わせる。

 ゆっくりと目を開けて辺りを見回すが、どこまでも闇が広がっている。しかし何かの気配だけは感じていた。周囲に漂う気配がじっと自分を見つめているのが朝陽にはわかった。

 これが何なのか朝陽は何となく知っている。

 だから彼女達の言う事もわかってしまう。

 自分と同じく存在価値のない神倉の者、という烙印を押された者達の思念。それが朝陽の闇の中で声を上げている。神倉のルールに押し潰され、生きる理由を奪われ、あるいは強要され、死んでいった者達。

 恐らく彼らは死んでいって体を失い、魂や思念となってこの世に残留したものと思われる。人としての人権など無視した神倉一族に対する思いは、生きている間は口にする事も爆発する事もできなかっただろう。表向きにはそのルールに従っていても、ルールに縛られ、閉じた世界である一族の中では自分の意思を示したり、反撃に出たりする事は不可能なのだから。

 それをするだけの力が備わっていないから、上にいる者達の力によって捻りつぶされる。反抗する意思など無意味と他の者達に知らしめるために徹底的に叩き潰すため、存在価値がない、と烙印を押された者はただ静かに暮らし続けるしかない。

 そうやって消えていった者達は千年以上の歴史を持つ神倉一族の中に何人もいる。反抗できなかった彼らの思念はもはや怨念に近い。それらは神倉一族の中に残留し、いつも彼らを見つめ続けている。

 そして朝陽は彼らに魅入られてしまったのだ。

 何故ならば朝陽は反抗する事を志したから。

 

 月への復讐。

 神倉の理念を受け継ごうという者達への復讐。

 

 これを志し、実行に移すだけの機会とチャンスに恵まれた朝陽の心を後押ししたのが彼らの存在。しかし彼らは怨念ともいえる存在なので常に朝陽の心を圧迫していく。

 

「……ええ、百も承知よ。私は立ち止まらない。このまま進み続けましょう」

『それでいい、朝陽。私達の無念、神倉一族の滅びを達成した今、あなたがすべき事は一つ』

『月の抹殺、期待しているわ』

『ふふふふ……』

 

 笑い声が響き渡ったかと思うと、尾を引きながら次々と気配が消えていく。その数は結構多く存在していたらしく、全ていなくなったときは空気が変わっている。それだけ彼らの存在でこの空間の空気が変化を起こしていたという事になる。

 どこか重苦しかった空気は霧散し、ただ何も見えない世界となる。

 その中で朝陽は過去を再び思い返す。月に対して優しく、普通の姉のように振舞った過去。

 しかしあんな幻想などなかった。

 あったのは血濡れの過去。

 一族の者達を憎み続け、影で自身を鍛えた日々の記憶だけ。

 

 到達しよう――いや、しなければならない。

 才能がなければ修練を。

 届かなければ届くための方法を模索しろ。

 何としてでも見返し、そして超えなければならないのだ。

 

 それだけを考え続けて書物を漁り、体術と魔法の技術を伸ばし続けた。

 そんな中で出会った一冊の本。

 魔法に関する書物が収められていた場所へと忍び込み、闇魔法に関する記述を発見したのが始まりだった。

 これが生贄(サクリファイス)魂喰い(ソウル・イーター)の出会いだった。

 これを利用して影で命を喰らって力を更に伸ばしていく事に成功し、朝陽の実力は少しずつ飛躍していく事になる。だが同時に道を踏み外す事に等しくなり、堕ちていく事にもなった。

 この魔法の扱いに慣れていくにつれて朝陽の雰囲気が変わっていくのだが、誰もそれに気づく事はなかった。人と人の繋がりや関わりを無視している神倉一族だからこそそうなったのだ。

 だがそれでも朝陽の力が変化していく事は気づいていたはずだった。それを指摘するものが誰もいなかったのは、やはり朝陽を完全に見下していたせい。“出来損ない”の烙印を押したものなど気にする事はない。反抗するならばいつものように徹底的に叩き潰すだけなのだから。

 そうやって驕った結果、その時まで朝陽の変化に気づく事はなく、神倉一族は滅ぶ事になった。その時既に里からいなくなっていた獅鬼と、一人だけ生かされた月を除いて。

 

「……そう。月を生かしたのは本気の月を殺すため。決して妹だからとか、そういうものじゃない」

 

 自分に言い聞かせるように朝陽は闇の中で呟いた。それに応えるように闇の奥で何かが反応したように震えたが、朝陽はそれを無視して光へと向かっていく。やがて朝陽を光が包み込むと――

 

「……ん、んん……」

 

 ――現実世界の朝陽が目を覚ました。

 そこは樹海の奥に聳える大樹の中。幹の中の空洞の壁に背を預けて朝陽は眠っていたのだ。通常こういう所には飛竜やモンスターたちが住処としているが、それに対する結界を張っていたために朝陽は襲われることなく今まで体を休めることが出来たようだ。

 消費してしまった魔力を再び取り戻し、傷ついた体の手当てをして薬を飲み、後は眠る事で自身の回復力で戦いの傷と疲れを癒していく。

 だが深く眠った事で妙な夢を見てしまったようだ。よもやあんな幻想(ゆめ)を見ることになるとは朝陽自身も思わなかったらしい。顔をしかめながら頭を押さえている。

 見ているときも思ったが、自分はあんな記憶を知らない。色々な記憶をつなぎ合わせて作られた幻想(ゆめ)だ。そうに違いない。

 そう結論付けながら軽く自分の体を見回してみる。

 

「……調子は、回復しているか」

 

 自分の中で落ち着いている力の波動を感じ取りながら呟く。横に置いてあったローブを手に取り、身に纏って素顔を隠して外に出る。どこまでも広がる緑の海はここが人里から遠く離れている事を如実に語っている。

 気配を探れば樹海には様々な生き物、モンスターがいることがわかる。こんなところにも命が生きているのだ。人族には辛い環境だろうと、彼らは集落として住まう事が出来る。

 もちろん全ての人族がそうだというわけではない。魔族の一部はこの環境に適応し、里を築いて暮らしていた。

 その中には神倉一族も含まれ、樹海の奥の少し開けた場所に里を作ったという。樹海の中に作っているために人から見つからないようにした。行っている事も他の者からすれば人道に反する事のため、始祖が樹海の奥へと身を潜め始めたのが始まりという。

 そんな樹海の奥から、何か強い力を感じた気がする。距離はかなり離れているようだが、その気になれば行けなくもない。

 しかし朝陽はどうでもよかった。

 断片的に感じられる力の波動はモンスターに近しいもの。つまりはモンスター同士の争いと推測。また狂ナルガクルガの波動も感じたので、奴が獲物を狩っているのだろうと判断してしまった。

 

「闇も順調に集まっている、か。この調子ならば計算通りにいきそうね」

 

 闇といえば自身を強化するためのもの。狂化竜も順調に闇を溜め込みながら各地を襲っているようだ。あの狂ナルガクルガもまた闇を得てくれる事だろう。

 ならば自分も少し動く事にしよう。

 このイライラを発散する分にも狩りに行こうと朝陽は行動を決定する。彼女の狩りとはただモンスターを倒すだけではない。生贄(サクリファイス)魂喰い(ソウル・イーター)を行うまでが彼女の狩りだ。

 

Space control(空間、制御).Gate open(門は開かれる)

 

 標的は決まっている。あとはただ狩るだけだ。

 もっと力を得るために。

 もっと高みへ上るために。

 

 

 ○

 

 

 アキラと狂ナルガクルガと対峙する雷河は戦闘体勢に入っている。しかし状況が不利な事には変わりはなく、下手をすれば死にかねない。怒りを力に変えて解放したはいいが、そんな事で好転するかというのかと聞かれればそうではない。

 結局は力を解放したところで、実力が上回るわけでもない。よくてこの局面を切り抜けられるきっかけが増える、というくらいなものだ。

 

「ヴルルル……、ヴァルゥッ!」

「ふっ、おらぁ!」

 

 跳躍して右翼を振り下ろすかのように繰り出された攻撃を横に回避しつつ、横っ腹に一撃右拳を打ち込んでやる。そこで一瞬怯んだところを左翼の棘を掴みつつ腹を蹴り上げて少し浮かせ、掴んだ棘を引っ張って狂ナルガクルガの腹を起こしつつ回し蹴りを叩き込む。

 飛竜というものはその巨体さに違わず重量があるのだが、それを無視したかのように吹き飛ぶ狂ナルガクルガ。

 その先にはアキラがいたが、表情を変えずにやり過ごして一気に雷河へと接近してきた。その手には何も持っていないが、気と魔力が纏われており、若干光を放っている。

 接近してくる速さは今まで逃亡していた雷河の速さよりも上だ。長時間疾走するより、瞬間的な速さほど速いものはない。一瞬の内に解放した力による瞬発力。これが走り続けるときの速さよりも速いのは道理。

 それに反応出来るかが戦いにおける鍵だろう。

 獅鬼から仕込まれているとはいえ、獅鬼以上に速い速度を出されれば危ういところがあるのが現実。反応速度は鍛えられるが、それでも越えられない壁はある。

 繰り出される高速の拳打を何とか回避していくが、力を帯びた光が頬を掠める度にビリッと火傷を負ったような痛みが走る。だがこんな事で怯んでいる暇などない。止まってしまえば狙い撃ちにされる。

 

「おらぁああ!」

「ふん、ぬるい!」

 

 反撃の掌打を放つも受け流されて逆に胸へと拳を打ち込まれた。途端に体の内部へと伝わってくるかのような衝撃と何らかの属性の力の波動。身につけている金色装備を突き抜ける程の衝撃とは、やはりこの男は規格外だ。

 しかしアキラは何か気に入らなかったらしく、微かに表情を変えている。

 

「ふむ、流石は猿といったところか。装備の事もあるが、これでは死なぬか」

「……はっ、やっぱ今のは普通の奴には一撃必殺かよ……っ!」

 

 鍛えられた肉体とラージャンとしての身体能力。上位装備である金色装備という守りがあったからこそ切り抜けられた一撃。もしそれがなければ死んでいたという一撃。

 恐らくどれかが欠けていれば、あの拳の一撃で体に風穴が開いていただろう。実際に金色装備の胸元に使用されている毛が焦げ付き、一部分が陥没している。そこから雷河の体へと直に衝撃が伝わったのだろう。ただ拳を打ち込むだけでなく、纏われた気が雷河へと衝撃を伝わらせる伝導体になっている。

 同時にアキラの魔力が、彼のイメージした通りの属性を発揮して雷河へとダメージを与える。

 物理的な衝撃と気による攻撃と魔法の衝撃の三重攻撃。これが上手く混ざり合う事で一撃必殺の攻撃になりえる。だが気と魔力という反発する二つのものを混合する事は難しい。

 それだけに成功すれば高い威力を発揮するため、人族相手ならば容易に瀕死へ追い込むことは難しくない。もちろんそれは相手も自身を鍛えていたならばの話なのだが、そうでなければ瀕死ではすまないだろう。

 達人以上のレベルになれば雷河の言うように相手を殺す事は簡単だ。規格外と称されるアキラならば、殺せなかった事に疑問を持つほどに耐え切れない。

 

「やはり四季の仕込みは侮れぬな。多少は見直してやってもいいぞ?」

「どこまでも上から目線な奴だな。こちとら80年も親父に仕込まれてんだよ! はぁあああっ!」

 

 アキラの攻撃に堪えると同時に力強く地面を踏みしめ、左手に気力を込めて一気に打ち出す。もちろんその一撃が見えているアキラには反応出来ない事はない。

 

「ふん、馬鹿(さる)の一つ覚え……ぬ?」

 

 だから雷河はもう一手を密かに打っていたのだ。先ほど開放した雷をアキラの周囲に集めて電磁波を作り上げ、アキラの動きを束縛したのだ。

 微弱な電磁波も少しずつ集まれば人の体を束縛する程の力を発揮する。感覚が鋭いアキラならば気づかれないかと不安だったが、どうやら雷河を仕留め損なった事や見下した態度を崩さなかった事で気づくのに数秒遅れたらしい。

 

「ぬ、ぐ……っ!?」

「まだ終わらねぇってなぁ!」

 

 周囲の電磁波を残したまま雷河は高速に左右の拳を打ち出し続ける。もちろん両腕に纏われている雷は雷河の心に反応して少しずつ力を増幅している。アキラへと打ち込まれるたびに雷はアキラの体を這い回っていき、電磁波と他の部位に帯電している雷と呼応してバチバチと激しい音を発生させていた。

 

「あまり舐めた真似をするなよ、猿がっ!」

 

 ギラリとアキラのフードの下から暗い光が発せられた。同時に蒼い色合いを持った気の波動が発せられ、雷が弾け飛ぶ音を響かせながら間合いにいる雷河を弾き飛ばしてしまう。

 それを狙ったかのように木々の間をすり抜けて狂ナルガクルガが飛び出し、両翼を大きく振り下ろした。吹き飛ばされている雷河は回避する事など出来ず、剣のように鋭い狂ナルガクルガの翼は、狂化することで更に鋭い刃となる。

 それはまさに凶刃と呼ぶに相応しいだろう。岩をも切り裂く刃は人に向ければ真っ二つにする事など容易い。装備を身につけているとはいえ、打突と斬は別物。刃を受け止めるか、刃を弾く程の守りを持つ装備でなければ狂ナルガクルガの刃は防げない。

 

「――Appear(現れろ)!」

 

 叫ぶと同時になびくローブから大鬼薙刀の棍が出現して地面を強く叩くようにする。するとローブから伸びる分だけ雷河の体が後ろへと急速に押し出されていく。空中で回避できなければ、無理やり回避できる状況を呼び込むまで。イメージすれば可能な方法は思いつくものだ。

 

「ふんっ!」

「ヴルル、ヴァルァア!」

 

 着地した雷河は地面を滑りながら狂ナルガクルガを見る。交差するように振り下ろされた両翼は地面をX字に切り裂いている。その深さも相まって狂化したあの姿での翼の鋭さが窺えるというもの。

 だが狂ナルガクルガはあの一撃だけでは終わらなかったらしい。すぐに回避に成功した雷河を睨むように顔を動かすと、体勢を立て直すようにし両手を動かして構えた。

 ぐっと地面を踏みしめて力を溜めたかと思うと、素早く跳躍して片方の翼を振り下ろしてきた。

 

「っ、くぅ、はや……っ!?」

「ヴァアルッ!」

 

 何とか回避するも、狂ナルガクルガは逃げる雷河の動きを読み取り、回り込むかのように体を方向転換しながら跳躍した。着地と同時に体を捻りつつ尻尾を伸ばし、まるで鞭のようにしならせながら雷河へと打ち込んでいく。

 それを飛び越えると狂ナルガクルガは既に体勢を立て直し、雷河と向き合う形になっている。体勢を立て直そうとしている雷河へと再度翼を振るっていくが、雷河は一端距離を取るように後ろに下がり、そのまま前へと飛んで狂ナルガクルガを飛び越える。

 その際に両腕から放電して狂ナルガクルガにダメージを与えてやったが、瞬時に横から力の波動を感じて急速にその場から離れた。

 次いで通り過ぎたのは灼熱の炎。雷河を狙ってアキラが放ったものだろうが、その射線は狂ナルガクルガをも範疇に入れられていた。当然ながら雷河が回避してしまえば、炎は狂ナルガクルガへと届いてしまう。

 

「ヴァァアアウゥッ!?」

 

 突如炎に包まれた狂ナルガクルガはその熱さに悶えて暴れ始めた。元から雷は弱点属性のため、ダメージは少しずつ蓄積していただろう。それを一気に塗りつぶすかのように、もう一つの弱点である灼熱の炎。

 一切の容赦などなく、炎は無慈悲に狂ナルガクルガを焼き焦がしていく。その光景を見て雷河はただ言葉を失っていた。あの気配は間違いなく殺意も何もなかった。まるで機械的に雷河を始末しようとしていたように思える。

 しかも現実はこうだ。となると、アキラはなんの躊躇いもなく狂ナルガクルガを巻き込んで雷河を始末しようとした事になる。

 狂化竜とはいえ、狂ナルガクルガもアキラの仲間のはず。狂っていてもナルガクルガは生き物だ。そんな仲間を遠慮なく攻撃できるなんて、正気の沙汰じゃない。

 

「……ふん、使えぬ駒だな。もう少し足止め出来るかと思ったが、所詮はただの飛竜か」

「てめぇ……っ!」

「何を苛立っている? アレも貴様の敵だろう。そんなものに同情するというのか? ……それは意味のないことだろう? 貴様にとってはただ倒すべき相手が一つ減ったというだけの話。何を苛立つ必要がある?」

 

 何てことない風に言いながら木々の間からアキラが姿を現した。その周りには彼が粒子を操作して作り上げたエネルギーが渦巻いている。それはその気になればいつでも撃てる、という意思の表れだろう。

 そんな中でアキラはフードの下で冷たい笑みを深める。

 

「それにあれは所詮我らの駒。駒をどう扱おうと、それは所持者の自由だ。貴様がどう思おうとそれは変わることのない事実というもの。考えるだけ無駄。……ならば、潔く死ぬがいい、猿」

「……っざっけんじゃねえ……っ! どこまでも腐った野郎だ……!」

「ふん、そうやって吼えるしか出来ない猿が……いい加減目障りだな。……そら、いつまでも喚くな! 駒ならばせめてその最期まで指示通りに動いているがいい!」

 

 指を鳴らせばまた光が空を奔り、狂ナルガクルガが何らかの反応を見せる。炎は消えうせたが、その漆黒の体の至るところには焼け跡が痛々しく残っている。

 息も絶え絶えとしていながらも真紅の瞳には戦意は失われておらず、低く唸りをあげながら雷河を見つめていた。いや、その紅い光は若干煌きを増している気がする。口元からは涎が滴り落ち、長く伸びた尻尾には逆立った毛がいくつか見られた。あの反応は通常のナルガクルガが怒り状態のときに見られるもの。つまり、今の狂ナルガクルガは今まで以上に興奮している状態にあるという事になる。

 

「ヴォルァァアア……ヴァァアアアヴッ!!」

「くそがっ、クソ野郎が……っ!」

 

 舌打ちし、苦々しい表情を浮かべながらも、やられないように雷河は再び大鬼薙刀を取り出す。棍を握り締めれば腕に高まっている雷エネルギーと反応を起こし、刀身に強い雷エネルギーが纏われた。

 更に二つのエネルギーは反応して交じり合い、今度は雷河へとエネルギーが伝わっていく。

 となればどうなるのか。

 雷河は雷エネルギーを体に纏わせる事で更に能力を高める事が出来る。つまり、自身が生み出した雷エネルギーと大鬼薙刀の雷エネルギーが交じり合って雷河の体に伝わる。そうすることで高い出力を放ったエネルギーが雷河の能力を一気に押し上げる形になる。

 自身の力で雷エネルギーを作れる雷河が、どうして雷属性の武器を持っているのかと訊かれれば、こういう事なのだと説明される。雷属性の武器なら他にもフルフルやキリンのものもあるだろうというだろうが、それは素材が自分と同じラージャンだから、ということなのだろう。

 無論デメリットはある。

 雷エネルギーは自身の属性が雷ということもあって大したダメージにはならない。何が問題なのかというと、自身の身体能力を何度も無理やり強化させ続けた反動だ。

 力には代償がある。

 そして無理やり能力を伸ばしてしまえば、体のどこかに異常は出るものだ。それは例え小さなものだったとしても、何度も繰り返していれば積み重なって爆発する。だから体を休ませずに何度もこの技術を使えば、雷河は倒れてしまう可能性がある。

 だからこそ激昂ラージャンは己の力の反動によって短命だとされているのだ。

 実際雷河の表情似は狂ナルガクルガに対するやりきれなさと、アキラに対する怒りのもの以外の何かが浮かんでいた。自身の体調の変化による小さな汗が少し浮かんでいる。

 それはやはり反動が少しずつ雷河の体へとかかり始めているということなのだろう。

 そんな雷河へと狂ナルガクルガは一瞬にして距離を詰めて飛び掛かる。大鬼薙刀を回転させながら雷河は回避するも、その動きを目で追った狂ナルガクルガは追跡を開始した。

 

「ヴァゥァァアアア!!」

 

 再び跳躍した狂ナルガクルガは、片翼を振りかざして一気に振り下ろすと同時に体を捻らせる。

 

「…………っ!」

 

 ブレーキをかけつつそれを後ろに下がって回避するも、体を捻っていた狂ナルガクルガの尻尾が鞭のようにしなりながら迫ってくる。それを大鬼薙刀の刃で打ち返してやるが、狂ナルガクルガはまた跳躍し、雷河の死角から翼を振り下ろす。

 これもまた大鬼薙刀を背後に立てつつ防ぎ、向き直ろうと思えば今度はまた一部の毛が逆立っている尻尾が再び襲い掛かってくる。横から襲い掛かるため、雷河はあえて狂ナルガクルガへと飛びつつ大鬼薙刀を立て、回転と同時に狂ナルガクルガの体を切り裂いていく。

 そのまま狂ナルガクルガの右側へと着地し、力を込めて一気に大鬼薙刀を振り下ろせば、刀身から雷撃の刃が発生し、右翼から切り裂くように雷刃が通過する。だがそれでも充分に殺傷力があり、感電するだけでなく充分に体を切り裂くだけのエネルギーが収束しているのだ。

 

「これ以上、苦しみ続ける事はねえ。楽にしてやる」

 

 大鬼薙刀へと雷河に纏われている雷エネルギーが一気に収束し、解放と同時に振りぬく。弱点属性である雷撃が轟きうねりをあげ、重厚な刃となって狂ナルガクルガを幾重にも切り裂く。

 

「ヴォァアアアアアアアアアッ!?」

「おぉぉおおおらぁああああああ!!」

 

 大鬼薙刀を何度も突き出し、狂ナルガクルガの両翼と顔へと傷を与えていくと同時に雷エネルギーを体内へと流し込んでいく。体の内外から傷を負い、先ほどのアキラの炎で体力を削られていた狂ナルガクルガは、遂に力を失ったようにバランスを崩してしまう。

 だが目の力は失っておらず、ギロリと雷河を睨み続けていた。まだ戦意は失っていないらしい。

 攻撃を続行しようとした時、雷河と狂ナルガクルガへと再び魔法弾が飛来してくる。どうやらまた雷河が止まるところを狙っていたようだ。力の波動に反応して雷河は回避できたものの、既に限界だったらしい狂ナルガクルガはその魔法弾に蜂の巣にされてしまい、それがとどめとなってしまった。

 

「……ふん、最後まで足止めにもならぬか。使えない駒だ」

「本当に気に食わねぇ……!」

 

 余裕を見せながら、今はもう動かない狂ナルガクルガへとフードの下からつまらないものを見るかのような表情を浮かべている。その様子がまた雷河の心を逆撫でする。

 大鬼薙刀ではアキラと戦うには若干不利だ。リーチは長いが懐に瞬時に入ってくるために攻撃を当てる事が難しい。ローブへとしまい、無手で対峙する事にする。

 

「だが貴様のその技は貴様自身の体にも反動があるだろう? 見えるぞ? 貴様の体が損傷しているのがな、くっくっく……」

「それがどうした? それでも俺はまだ戦える!」

「ふん、流石は戦いに生きる猿。本能がまだ戦えると叫ぶか。……ならば、そろそろ引導を渡してやろう」

 

 またしても冷たい笑みを浮かべたアキラの姿が一瞬ぶれると、気づけば雷河の目の前にその姿が現れた。右手は握り締められ、気と魔力が混ざり合った力の波動が感じられた。

 そこに現れた、というのは気づいたが、いかんせん反応が既に遅れてしまっていた。

 それでも何とか腕を交差させて守ろうとしたものの、その下の腹へと抉りこむようにアキラの拳が入っていく。

 

「が、はっ……!?」

「ぬんっ!」

 

 アキラの攻撃は止まらない。くの字に折れた雷河を押し上げるようにもう一度拳を入れると、跳ね上がった雷河の横っ面へと回し蹴りを放つ。

 

「……ぶっ……!?」

 

 フードは解放した際に取れてしまっているため、頬へと直接回し蹴りが命中してしまった。口の中が切れて少量の血を吐き出しながら、雷河は吹き飛ばされて無様に地面を転がっていく。

 だが最初にアキラが言ったように、存分に痛めつけて無様な姿を曝け出す事を目的としており、死ぬようなダメージにはなっていない。

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

 口元を拭いながら雷河が起き上がると、視界に自分を見下すような目をしているアキラが映る事で嫌悪感を露にする。だがそんな雷河の表情もまた彼を喜ばせる要因にしかならない。

 

「絶対的な力の差、これは必ず存在するもの。いうなれば定められた運命。それに抗おうというのは人の、生きる者の宿命というものか。猿、このまま死を受け入れる気はないか?」

「ねえな。てめえがそういう奴だってのは会う前から知っている。そしてこうして対峙して、より深く理解したぜ。クソ食らえだ、てめえも……あの一族も!」

「ふっ、そのような言葉など、何度も耳にしてきたわ。しかし我にとってそれは、上を目指す事を諦めた弱者の嘆きにしか聴こえん!」

 

 再度その姿がぶれると、死角からアキラが回し蹴りを放ってくる。だが雷河も何とか反応して身を引いて回避し、そこに現れたアキラへと掌低を放って反撃。

 だがその手を弾かれて隙を作られ、体勢を立て直したアキラがその腕を取ってねじ伏せる。ミシッと危ない音が雷河の右腕に響き、肘を背中に落とされて雷河は地面に無理やり倒されてしまう。

 

「くっくっく……これが現実よ。貴様らは所詮弱者。努力次第で、修行次第で勝てる? ふん、そんなものはまやかしだ。絶対強者の前ではそんなものなど無意味。かの域にまで届こうという我の前では貴様らの努力など霞むというものよ」

「……くっ、とことん傲慢な……! どうしてそこまで傲慢でいられるのか、理解できねえな……」

「決まっておろう。我が我である限り、我は絶対強者なのだ。これは傲慢ではない、単なる事実。……そう、絶対強者は我だ。断じてあの女ではない。断じてな……っ!」

「がぁっ……!?」

 

 右腕を更に潰すかのようにアキラは何度も何度も踏み潰してくる。腕を潰すという死には直結しない苦痛は、対象者の心を折る事に関してはかなり有効だ。自分の体の一部が使えなくなり、尚且つ骨を折られ続ける苦痛は肉体的にも精神的にも大きな痛みを生み出す。

 大抵の人はこれに耐え切れずに失神してしまう。精神が強かろうと、襲い掛かり続ける痛みからは逃れられない。

 まさに拷問。

 そんな中でも雷河は歯を食いしばりながらアキラを見上げている。そんな彼をアキラはまた小さく鼻を鳴らし、腹から蹴り上げて仰向けへと変えてやる。

 

「まだ折れぬか。その心意気はやはりあの四季の手によるものか。……気に食わぬな、そういう目は。そんな奴は徹底的に痛めつけるのだが、よかろう。もはや貴様に構うのも飽いた」

 

 コキコキと指を鳴らすたびに魔力によって集められた粒子が反応を起こして光を放つ。やがてそれは鋭利な刃へと変化し、指を立てれば完全に魔力の剣となる。

 

「では死ぬがいい」

 

 いざとどめを刺そうとアキラが魔力の剣を雷河へと付きたてようとしたとき、その背後から一つの黒い影が飛び出してきた。影は大きく振りかぶった右翼をアキラの背へと振り下ろし、彼の背中を切り裂いてしまった。

 

「な、に……っ!?」

 

 予想外の出来事にアキラの右手の魔力が霧散し、一時的に雷河とその影から距離を取るように跳ぶ。その隙を突いて雷河もまた右腕を庇いながら後ろへと転がり、勢いを殺さずに立ち上がって距離を取る。

 見るとその影は死んだはずの狂ナルガクルガだった。

 もちろん二人の見間違いでなく狂ナルガクルガは死んだはずだった。あのアキラが相手の生死を見誤るはずもないだろうと雷河は考える。

 ならば何故狂ナルガクルガが動いているのだろう。死者をアキラが動かしたというのはありえないだろう。アキラが動かしたならば自身を傷つける真似はしないし、あの反応は本気で驚いたように思える。

 

「貴様……何故生きている?」

「……ヴルルルル……!」

 

 狂ナルガクルガからは黒いもやが立ち上り続けている。倒された事で体内に溜まっていた闇の粒子が世界に溶け込んでいこうというのだろう。その過程で死体が動く、というのは初耳だ。そんな事があるならば、今まで倒されていった狂化竜が動くはずだ。

 ならばなぜ動いているのだろう。

 そんな疑問はアキラもあったらしい。斬られた背中から血を流しながらも、ギロリと狂ナルガクルガを睨みながら苦い顔をしている。

 

「……まさかあの因子によるものか? ふん、だとしても駒の癖に主に逆らうか……!」

「ヴォォォァァアアアアア!!」

 

 黒いもやを周囲に撒き散らし、死んでしまっているために瞳の赤の光を宿さないまま狂ナルガクルガはアキラへと襲いかかる。黒いもやは狂化竜に込められた闇の多さに比例するように濃い。

 狂ナルガクルガから立ち上るもやの濃さは、狂ナルガクルガの黒い体を覆い隠し、同化するかのように漆黒。しかも今は死んでいるために、闇の中で発光する真紅の瞳の光はない。

 この状態のナルガクルガと出会ってしまったら、ほとんどのハンター達にとっては死が待っている事だろう。だがアキラにとってはどうということはないだろう。

 冷静に狂ナルガクルガの動きを観察し、襲い掛かってきた左翼を回避すると同時に根元を掴んでのし上がり、背中から魔力を込めた一撃を叩き込んだ。

 それだけでなく、アキラが自分の周囲に粒子を集めて魔法を行使し、真空の刃を幾つも作り上げた。

 

「駒は駒らしく、さっさと()ね!」

 

 風の刃は無慈悲に漆黒の体を切り刻む。もう二度と動く事がないように細切れに、元の姿が判別できぬようにバラバラに。刃が通り過ぎるたびにどす黒い血が舞い上がり、黒いもやと共に周囲に撒き散らされていく。

 その様子を雷河は荒い息をつきながら見つめていた。自分自身もアキラの手によって満身創痍に近い状態だ。右腕はもう使い物にならなくなっている。

 そして纏っていた雷エネルギーはアキラの両手にもダメージを与える攻守の鎧なのだが、アキラのあの様子ではあまり通用していないだろう。逆にダメージを受けた事でこの鎧は霧散してしまっている。

 この体調ではもう一度作り上げる事も出来ない。そうすれば間違いなく反動がひどいことになってしまい、右腕の回復も遠のくだろう。

 

 ――手詰まり。

 

 そんな単語が頭の中に浮かんだ。

 やはり彼は規格外。

 獅鬼をも超える規格外。

 同時に全てを見下し、自分が絶対強者である事を疑わぬ傲慢さを持つ者。

 恐らく雷河が今まで出会った中で一番残酷な人物だろう。あくどさで言えば朝陽をも超えるだろう。絶対に会いたくない人物である事は間違いない。

 しかしそれでも彼は倒さねばならない敵だ。自分達が絶対に負けられない人物。

 

 でも、今は倒せない。止められない。

 

 同時に撤退も出来なさそうだ。アキラは雷河を絶対に逃がしはしないだろう。

 細切れになった狂ナルガクルガの死体からは、止め処なく黒いもやが立ち上っている。前述の通りあれは闇の粒子が密集している状態だ。しかもかけられていた魔法が魔法のため、そんな中に包まれてしまえば気が狂いそうなほどの精神的なダメージを受けてしまいかねない。

 だがそんな事など気にした風もなく、もやの中からアキラがゆっくりと歩いてきている。

 

「……さあ、次は貴様だ。二度目はなかろう」

「ちぃ、こんな所で……!」

 

 抵抗したいところだが生憎ともう抗う手立てがほとんどない。

 心はまだ負けていないのに、状況的に負けている。それはどれほど口惜しい事だろうか。

 いくらかは攻撃出来たが、それらが効いている様子はなさそうだ。狂ナルガクルガの奇襲で背中を斬られたはずだというのに、あの通り平気な顔で動き続けている。

 それだけ身を守る装備が強いのか、あるいは応急手当をすぐに行う事で切り抜けたのか。

 いずれにせよ、彼を倒すための火力が全然足りないのだ。

 負けたくないのに負けてしまう。

 生き残りたいのに生き残れない。

 世界は、現実はとても残酷で無情だ。

 そんな雷河の想いなどどうでもよさそうに、アキラは再度魔力の刃を右手に作り上げると、飛び出せる体勢に入って雷河をフードの下から無表情に見つめた。

 

「では死――」

 

 その言葉を遮るように森の奥から木々を焼き尽くすかのように、直線状に火炎が飛来してきた。それはアキラを目指して突き進んでおり、木々は幹を焼かれ、周りへと飛び火していく。

 刃を霧散させて右手を振るえば、障壁が作り上げられて襲い掛かる火炎を防ぐ。一瞬でその選択をすると同時に、行使できるだけでもアキラの魔法の実力が高い事は窺える。

 そうするためには刃から壁へとイメージを切り替えなくては出来ないのだが、アキラはそれを可能にしてしまう。口で言うのは簡単だが、イメージの切り替えは思ったよりも難しいのだ。

 

「……今度は誰――ぬ?」

 

 またしても邪魔された事に苛立ちを隠せずに炎が来た方へと視線を向けると、アキラの頭上から幾多の爆弾が降り注ぐ。よく見ればそれは打ち上げタル爆弾だった。それが本来の目的である上方向ではなく、上から下へと落ちていく動きでアキラを目指していた。

 

「小賢しい……!」

 

 今度は左手を振り下ろすと、向かってくる打ち上げ爆弾が全て爆発する。込められた爆薬の激しさから、それは打ち上げタル爆弾Gであることがわかったが、それはアキラにとってはどうでもいいこと。

 一体誰が乱入してきたのか、ということが問題だ。このような爆弾を使ってきたという事は相手はハンターであることは間違いない。

 しかし人の気配など自分以外のどこにもない。

 あるのは火炎を行使してきただろう一匹のモンスターと、雷河と、もう一匹――

 

 ――もう一匹?

 

 見ればいつの間にやら雷河の傍にはローブを纏った何者かがいる。彼の左腕を自分の肩にまわし、支えている何者か。フードによって顔が隠れているが、その姿は人族のように見える。

 だがあれからは人の気配はしない。ということは雷河と同じく人族に化けた誰かという事になる。

 

「……またか。なるほど、獅鬼も考えたものだな。回避するために自分の駒はそういう奴らを選別したか」

 

 どこか興味深そうに何者かを見つめていると、相手は雷河を支えたままどこか納得したように小さく頷いた。

 

「…………なるほど。話に聞くとおり、か」

「まあ、そういうこった。というか、何でここにいるんだよ……?」

「それは後回し。……サラ、来い! そして、飛べ! アルファ1から10!」

 

 声から判断すると、どうやら若い少女のようだった。彼女が叫ぶと木々をすり抜けるようにして褐色のモンスターが飛び出してくる。

 そして彼女が纏っている炎の柄のローブが一気に広がり、その中から10個の大タル爆弾が飛び出していく。見れば底にはお札らしきものが貼られており、それが光を放っている。

 一発だけで充分な威力を持つ大タル爆弾だが、それが10個も飛来してくるとはどれだけ恐ろしい光景か。飛竜だろうと問答無用で大ダメージを与えるのに、人族に向ければ即死は間違いない。

 だというのにアキラは動じた様子などどこにもない。むしろ鬱陶しそうな表情を見せ、また右腕を振り払う。

 

 それは爆音なんて生易しいものじゃない。轟音だ。

 弱い人がこの場にいれば失神する事は間違いない。それほどに凄まじい轟音がその場に響き渡っている。

 轟音と同時に発生するのがアキラを中心として爆風が波紋状に広がり、周りの木々をなぎ倒していく。10個も同時に爆発したため、アキラの近くは衝撃波同士がぶつかり合ってとんでもないことになっているだろう。

 その余波と、何の影響も受けていない爆風が連続して周囲へと走り抜けていく。バキバキと枝が何本も折れていき、緑の葉っぱが一気に舞い上がる光景は圧巻だろう。

 

 だがこの事態を作り出した何者かは対策として札から障壁を作り上げてしっかりと自分と雷河ともう一匹のモンスターを守っている。

 

「そら、乗れ!」

「うぉっと!?」

 

 後ろで止まった褐色のモンスターの背中へと強引に座らせると、自分もその後ろに飛び乗ってアキラへと視線を向ける。

 彼女はあれくらいではアキラは死なないだろうと思っていた。だからまたフードを広げて予め決めている言葉を発する。

 

「飛べ! ベータ1から8! ベータ9と10は設置!」

 

 彼女の言葉に応えるかのように、フードの中から今度は大タル爆弾Gが空を切る。同じように底にはお札が貼ってあるが、少しだけ周りの柄や文字の色が違う。こうやって見分ける事で、決めてあるコードが分けられるのだ。

 8個の大タル爆弾Gはアキラへと向かい、2個の大タル爆弾Gは彼女らの少し前へと設置された。

 

「よしサラ、走れ!」

「ヴァルル!」

 

 彼女の命令に応えるかのようにそのモンスター、サラマンドラが一鳴きして走り出した。

 だがそれを許すほどアキラは甘くはなかったらしい。爆風の中から身を翻しながら飛び出して追跡しようとする。

 それを防ぐのが先ほど射出された大タル爆弾Gの群れ。だがそれがどうしたとアキラは空中で横回転しつつその群れの中へと入り込みながら、その全てを爆発させていく。

 

 とたんに発生するのが先ほど以上の轟音と爆風。

 あんなものなど前戯に過ぎないのだ、といわんばりの音と衝撃波。静かなはずの樹海は騒然となり、遠くでモンスター達の悲鳴や咆哮が聞こえてくる。

 そしてさも当然と言うかのように、全くの無傷でアキラが煙の中から飛び出してくる。

 いや、全くとまではいかなかったらしい。恐らく自分の周囲に障壁を張ったのだろうが、なびいている銀のローブの一部が煤こけていたりしている。

 何より今までの動きで取れることがなかったフードが取れてしまっていた。

 現れたのは20代後半の顔つきをした紫色の短い髪と瞳をした男の顔。だが気のせいかその両方にはまだ赤みが残されており、それが少しずつ紫色へと変化していく。

 竜人族特有の尖った耳は露になっており、整いつつも積み重ねた時間を感じさせるその顔はやはり実年齢が数百年を超えるからだろうか。鷲鼻ではなく普通の人間と変わりない高い鼻に、きりっと締まった顔つき。パッと見ていい三十路前の男性だと思えるのだが、その中身は外見からは想像もつかないほどに黒い。雷河ともう一人を睨む鋭い眼差しは、憎らしげな色合いを覗かせている。

 

「おのれ……たかが猫が舐めた真似を……!」

「おあいにく様。あんたに手段なんて選んでられないから」

 

 悪びれた様子などなく指を鳴らせば、設置されている2個の大タル爆弾Gが爆発した。逃げていくその姿を覆い隠すかのような盛大な爆風と煙が発生し、またアキラの足を止めることとなってしまった。

 舌打ちして障壁の強度を整えるアキラだが、もはやあの二人を追う気などとっくに失せてしまっていた。

 それは様々な要因が絡んだ結果だろう。彼女の乱入などその内の一つでしかない。

 

「遊びすぎたか……。チッ、気に食わぬ猿と猫だ」

 

 苦々しい表情を浮かべながら苛立ちをぶつけるかのように一度地面を踏みしめる。すると周囲に漂っていた煙が一気に霧散し、強い振動がアキラを中心として発生した。

 踏みしめた部分は陥没してヒビが波紋状に広がっている。それだけじゃない。周りの木々の根元から根が幾つか地上へと盛り上げられていた。さっきまでなかったものだが、それだけアキラの一撃が重かったという事なのだろう。

 それだけの力を持っていながら雷河の前で振るわなかったのは、彼の言葉通り“遊びすぎた”のかもしれない。

 雷河相手に本気になるまでもない。いつも通りラージャンを相手にするかのように戯れよう。

 そういう心構えで戦っていたからこうして逃げられた。

 傍から見ればある意味アキラの敗北だろう。“絶対強者”と自負するならば獲物をしとめそこなったアキラの負け。

 だがアキラはそうは思っていない。確かに遊びすぎたのは認めるだろうが、“逃した”のではなく“飽きた”からやる気をなくした。

 ただそれだけの話なのだ。

 それはまさしく遊び。

 最後まで付き合わずにやる気をなくしたから無効試合。そんな理由があるからこそ勝ち負けも何もない。そして引き分けでもない。まさしく決着など存在しない無効試合。

 

「それにしても四季も面白い抜け道を見つけたものだ。なるほど、昔から変わらず食えぬ奴だ。……だがそれでも何も変わることはなかろう。あの二匹でどうにかなるようなものではない」

 

 呪いを避けるためにあの二匹を選んだのならば、やはり呪いは未だに生きていると見ていいだろうか、とアキラは考える。だとすると獅鬼は未だに制限を受けたまま。一体何を狙って動いているのかは気になるところだが、生憎と獅鬼だけに構っている暇はない。

 こちらも計画は詰めに入らなくてはならないのだから。

 

「そう、今更どうにかなるものでもない。状況は変わらない。……くっくっく、見えるぞ……! あの域に届く扉はそこまで来ている……! その時こそ我は、全てを越えるのだ!」

 

 ぐっと握り締める拳から少量の血が流れている。それだけ力強く拳を握り締めて体を興奮で震わせている。紫色からゆっくりと蒼へと変色していく髪に隠れた瞳は、さらに暗く変化し、深奥で揺らめく炎は深海のように蒼く染まっていた。

 

 

 樹海を充分に離れ、草原に出た二人は一休みするために一本の木の下へと訪れていた。ここまで走り抜けたサラマンドラは彼女がローブから取り出した桶に注がれた水を飲んでいる。

 このサラマンドラはアプトルの亜種の一種。火山を主な住処としており、その体は褐色の鱗に覆われている。雪山に生息しているクストルに反して暑さに強く、寒さに弱い種族だ。

 過酷な環境に耐えるように進化した彼らは鋭い爪を持ち、険しい山を自由に駆け抜けて飛び越えるだけの脚力を持つ。環境に適応した進化はクストルに似ているが、火山という環境で暮らした彼らは闘争心が強くなっており、雑食性を残したまま肉食へと変化していっている。

 獲物を見つければ集団で襲い掛かり、肉を食らってエネルギーへと変えている。

 また燃石炭や紅蓮石を食らい、中に含まれている成分を取り込むことで体を覆う鱗を強固なものへと変質させているという。同時に進化の過程で作られた火炎袋へと火薬草などでエネルギーを送り込んでいる。

 これによって火炎ガスと火炎を吐く技術を習得した。

 脚力の強さから生み出される機動力は進化してもなお失われておらず、クストルに並ぶ機動力と、その環境に適応するために培われた攻撃性から、戦争時代では軍の主力として多くのサラマンドラを動員したといわれている。

 そして彼女はこのサラマンドラの“サラ”とは長い付き合いであり、普段は放し飼いにして必要な時に呼び出して騎乗している。

 そんなサラの主人である彼女は、ゆっくりとフードを取り払って軽く顔を振った。

 

「さて、あんな所であれと戦ってたって事は、尾行でもしてたわけ?」

「……まあ、そうだな。やれやれ参ったねえ、どうも……」

 

 嘆息しながら雷河は片手で何とか装備を取って右腕の調子を見てみる。未だにジンジンと痛みが走るそれは、見るからにひどい状態だった。何度も踏まれたことで骨折だけでなく内部出血も起こしている。

 その様子を見た彼女は小さく溜息つくと、ローブの中から薬箱を取り出した。そのまま雷河の隣に腰を落とすと、箱を開けて手当てするための道具を取り出していく。

 

「お? 手当てしてくれんの? 珍しい事もあるもんだ」

「ああ? なに? いらないんだったら帰るけど?」

「すみません、帰らないで下さい、お願いします」

「……ふん、減らず口をたたくだけの元気はあるか。流石はラージャン、筋肉馬鹿なだけはある」

 

 ケッと毒をつきながらテキパキと必要なものを用意して、順を追って雷河の右腕を治療していく。とはいえ骨折しているためにしばらくは右手を使えないだろう。二人は治療魔法なんてものは使えないために、自己治癒力を促して自然治癒を待つしかない。

 もちろん獅鬼がここにいたとしても、骨折を一気に直すなんて真似はしない。それが出来ればシアンの時で実行している。あの時は自己治癒力を促進させて直る日を早めただけに過ぎないのだから。

 

「で、焔は何であそこにいたんだ?」

「ちょっとした調査。……ま、それで大当たりを引き当てるだけでなく、お前までいるとは思わなかったけど」

 

 淡々と答えるその少女は、あのオトモアイルーである焔が人に変化した姿だった。これももちろん札の手助けがなければ行使できない事であり、人の集落に潜り込んで調査する際などに使う事で焔の行動範囲が広がった魔法だ。

 戦闘時では人に変化する事で身長が伸びると同時にローブも長く伸ばされ、それはすなわち裏面の面積が広がる事に繋がる。そうすることで大タル爆弾などの出口が広がり、あのような爆弾ミサイルが行使できるようになった。

 だが焔自身あまり人に変化する事は好ましくないらしく、めったに使わない技術だ。つまり今回のような一件は珍しいということになる。

 元々13歳ということもあり、その身長はおよそ150cm前後か。かなりの身長差があったろうに、何とか支えられたのは僥倖だろう。

 

「……ま、この姿なら色々と選択肢が広がると思ったから。焔がアイルーだって事はすぐにばれたようだけど」

 

 大抵は人だと間違えるものだが、アキラは焔の内部の気配なども見破る事で、アイルーだという事に気づいたらしい。やはり侮れない存在だ。

 

「で? 何かわかったことはあったわけ?」

「……まあ、少しな」

 

 そして雷河は手当てを受けながら語る。それを静かに聞きながら焔は手当てを続け、最後に腕を固定するためのものを添えて包帯を巻いていく。

 全ての工程を終えた焔は一息つき、ゆっくりと空を見上げた。

 

「……さすが、といったところ、か。名は体を表すというけど、まさしくその通りってことか」

「だろうな。そしてあの一族の思考を色濃く受け継いでいる純粋な奴だっていうのもわかる。まさに“最強”にして“最凶”さ」

「で? どうするの? お前はこの通り右腕は使えない。戦闘に参加するのはしばらくかかるだろうけど」

「もちろん親父に報告さ。その際に色々とやってもらうことにすらぁ」

「……はっ、戦闘狂が」

 

 舌打ちすると水を飲み終えたらしく、その場に佇んで休息を取っているサラへと視線を移した。そっと近づいて首筋を優しく撫でてやると、サラは小さく唸ってその手へと首を擦りつけた。

 

「で? 獅鬼は今どこにいるわけ?」

「たぶんシュレイド地方にいるだろうな。あの辺りを調べるとか言ってたし」

「そう。じゃあ乗れ」

 

 ぽん、とサラの背中を軽く叩いてやると、雷河はまた意外そうな表情を浮かべて焔を見つめる。さっきの手当てといい今の発言といい、今日の焔は随分と優しいではないか。

 恐らく右腕がその状態のため、シュレイド地方まで送ってやる、という無言の誘いなのだろう。しっかりと口にしない辺り焔らしい。でも、同時に珍しい。

 

「ホントどしたよ、お前さん? 明日は雨でも降るんじゃね?」

「ああんっ? だったら一人で行けや」

 

 紅い目をひん剥いて睨みを利かせると、サラの背中へと飛び乗った。そのまま手綱を引いて走り出そうとすると、待てと言わんばりに何度も左手を振って焔を何とか止める事に成功した。

 

「待て待て、悪かった、悪かったって。頼むから乗せてくれ、お願いします」

「……ふん、最初からそう言えばいい」

 

 頭を下げる雷河に対して小さく鼻を鳴らすと、手綱を放して少しだけ後ろに下がる。その空いた部分へと雷河は何とか飛び乗り、足でサラの体を挟み込んで自分の体を固定する。

 サラの体は他のサラマンドラたちに比べて少し大きく、二人乗っても問題ないようになっている。だからこうして二人乗りが出来るというわけだ。

 後ろから腕を伸ばし、改めて手綱を握り締めた焔はサラを走らせる。

 三匹は真っ直ぐに西へと向かい、シュレイド地方を目指していく。獅鬼が推察する最終戦場はシュレイド地方だろうと睨んでいる。だから彼らが何か仕掛けるとすれば、シュレイド地方のいずれか――特定するとすれば旧シュレイド城。

 以前調査した際に獅鬼が魔法陣を張っていると睨んでいた。最終的に闇がここに集まるように細工されていたため、ここで何かが起こるんだろう。

 一体何が起こるのかまでは雷河と焔は知らない。だが何となく予想は出来そうな気がする。そんな結末なんて想像したくないというのが本音だ。

 だから何としてでも阻止したいところ。

 

 絶対強者の前では努力も霞む。

 

 雷河の頭の中に彼の言葉が蘇る。

 なるほど、冷静になればまだわからなくもない。何故ならば彼はそう言い切れるだけの実績を持っている。才能もあるし、実力もある。まさに彼の言う通り傲慢ではなく単なる事実とも取れるだろう。

 でもそれでも雷河は信じている。

 自分たちでは無理でも、獅鬼や月ならば届くだろうと。

 悔しいが自分では勝てる未来が見えない。それだけの実力差をあの戦いの中で感じ取ってしまった。しかも予想が正しければアキラは本気を出していない。

 それがさらに雷河に悔しさを感じさせてしまう。思わず左手を握り締めてしまうほどに。

 

「あいつの事を知っている奴って他に誰がいんのか?」

「……恐らくいない。あの昴、大長老、そして恐らくは朝陽も知らない。知っているのは焔たちのみと見ていい」

「……やっぱ存在が存在だけに秘匿はしているか。ま、当然といえば当然か」

 

 ならばアキラのことは置いておき、シュレイド地方やもう一人の注意すべき人物、朝陽を探してみるべきだろう。彼女は一体どこに行ったのか。それについても調査するべきか。

 ひとまずは移動と休息を。

 雷河はサラに揺られながら呼吸を落ち着かせ、ゆっくりと目を閉じたのだった。

 

 

 

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