呪われし血統と黒き竜   作:流星彗

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63話

 

 

 変幻。

 それがアクラ・ヴァシムのもう一つの異名。

 アクラ・ヴァシムはある条件下で変化するといわれているのだ。

 しかしそれは外見的な変化、というわけではない。その外見は狂化のように色合いが変わる事はなく、変わる前となんら変わりない姿でハンターの前に存在している。

 

 ただ一つ、体液だけを除いては。

 

 アクラ・ヴァシムの体内には特殊な体液が流れている。

 それは尾晶蠍と呼ばれる由来となった水晶を作り出す体液の他にもう一つ、その体の調子を変える働きを持つ体液が血のように流れているのだ。

 もしかすると実際に血なのかもしれない。

 その体を斬った際に飛び散っているのはその体液なのだから。

 なぜそれがわかるのかというと、変化した事を示す証拠となった体液の色が関係している。

 ハンターが言うにはその体液は白、黄色、蒼、紅という三つの色があったという。そしてアクラ・ヴァシムが激高し、咆哮するとその体液の色が変化したというのだ。

 それからがアクラ・ヴァシムの真骨頂といってもいいだろう。

 今まで見せなかった行動をハンター達に披露したという。急に変化した動きに呑まれたハンターは成す術もなくアクラ・ヴァシムによってその命を狩られたとか。

 元々これは環境が変化するごとに体液に含まれる成分を調節し、その結果色が変化したのだろうという推測がなされている。そしてその成分が変化した事でアクラ・ヴァシムに適応という変化だけでなく、その思考や行動の指針も変化したのではないかというのが学者の論らしい。

 体液の変化からもたらされる行動の変化。

 これが変幻と呼ばれる由縁だ。

 

 それはまさしく、ハンターを混乱させる幻といってもいい。

 何せ先ほどまでとは全く違う行動がそこにある。

 今までのはなんだったのか。

 観察した結果が無駄に終わり、幻へと消えていくかのような錯覚。

 

 それが昴達に襲いかかった結果だ。

 

「ギュルァァアアアッ!!」

 

 叫んだ狂アクラ・ヴァシムが跳躍しながら体を捻った。風を切りながら鋏が振るわれ、風圧と共に鋭い鋏の先端が昴へと襲いかかる。

 舌打ちしながら後ろへと下がるが、体を捻った事でその後ろにある尻尾もまた遠心力を付けて襲いかかってくるのだ。今度は身を守るための鬼斬破がない。それでも昴は諦めなかった。

 

「コード・シールド!」

 

 叫べば背中になびくローブが反応し、昴を守るために布地が伸びて何重にもその体を取り巻いてくれる。その表面には何らかの文字が浮かび、そういう魔法なのだという事を示す証となっていた。

 そんな彼へと打ちつけるように尻尾と水晶が命中する。

 

「ぬ、ぐっ……!?」

 

 まるでバットに打たれた球のように昴が宙を舞い、打ちつけられた部分は陥没しそれだけの衝撃が襲いかかってきたのだという事を如実に語っている。

 ローブはあくまでも保温効果を持ち、砂塵から守るための壁であり、道具を持ち歩くための入れ物でしかない。身を守るための鎧という役割は防具しか持たない。今行ったことはこのローブにとっては専門外な事なのだ。

 確かに壁にはなってくれるが、それは致命傷を避けるための一時的な壁。いうなれば身代わりだ。

 守ってはくれるが、完全にダメージを殺せるわけではない。

 何重にも巻かれたとはいえ、与えられた衝撃を完全に殺せず、昴へとダメージが届いてしまっている。

 

(衝撃、が……って、なんだ、と……!?)

 

 気を失いそうになるのを堪えつつ目を開ければ、回転していた狂アクラ・ヴァシムがまた跳躍し、宙を舞っている昴の体を飛び越して後ろ側へと回っている。しかもご丁寧に体を反転させる動きを利用してまた尻尾が振り回されていた。

 

(第二波、だとぉ……っ!?)

 

 宙にいる上に、ここぞという時の氷魔法も使用できない。そのまま再び狂アクラ・ヴァシムの尻尾に叩きつけられるかという時、

 

「させないっ!」

 

 昴の体が急に何かに引っ張られるかのように横へと飛んだ。そのまま飛んでいれば、薙ぎ払われた尻尾によるダメージを受けていただろうが、横へと引っ張られたためにそれを免れることになる。

 そのトリックは紅葉の風魔法。

 数メートル先にいた彼女が引き寄せるようなイメージで昴を救出したのだ。

 

「ん、く……っ」

 

 難は逃れたが、また右腕が痺れ始めた。さっきの衝撃が右腕にも伝わり、これは鬼斬破を握りしめる力も弱くなってしまう。それを感じて昴は少し苦い顔をする。

 彼と入れ替わるようにして飛び出す影が一つ。

 テッセン【烏】を構えた優羅だ。

 

「……(いびつ)な……」

 

 ボソリと呟きながらも両手に持つテッセン【烏】へと気を送り、目を細めて標的である狂アクラ・ヴァシムを見据える。

 あの後飛び出した優羅は狂アクラ・ヴァシムへと攻撃を当てる事は出来なかった。

 煙の中から狂アクラ・ヴァシムが咆哮し、その体から闇の粒子が噴き出してきたからだ。それと同時に狂アクラ・ヴァシムの中を巡る体液の色が黄色へと変化した。

 しかも失ったはずの足が急速に体から生え、まるで何事もなかったかのように綺麗に再生してしまったのだ。その事に昴と紅葉は言葉を失ってしまう。

 確かにモンスター達にはそれぞれ再生能力があるだろうが、ここまでの超回復はなかったはず。

 まさか狂化にそんな効果があるはずもなし。何故ならばこれはあくまでも敵を倒すことだけを考え、傷を負う事も厭わずに敵へと向かっていく。そういう風な効果を秘めた魔法だ。回復力なんていじる必要なんてない。

 だが現に狂アクラ・ヴァシムは超回復を見せつけている。

 優羅はこれは闇の粒子に何か秘密があるのだろうと解釈。というよりそれしか考えられなかった。

 

「……しかしこれに関する知識なんてあるはずもなし」

 

 三人ともハンターの家系であり、魔法使いの家系ではない。そして才能も初級から中級止まりで、扱うのは専門的な知識を必要としない自然魔法。イメージ力と魔力に依存するこの魔法は魔法学を必要としないため、三人は魔法の知識をあまり吸収しなかったのだ。

 読書家である優羅はそれなりに読んではいるものの、それでも扱えなかったために魔法学はすっぱりと切り捨てた。当然ながら闇魔法なんてものは優羅の頭に存在しない。

 だから優羅にはこの現象が完全に理解できない。

 

「ギシュ、ギュシュシュ……」

 

 接近してくる優羅に狂アクラ・ヴァシムが反応し、その場を飛びのいて優羅の側面へと移動した。その際に鋏を振り上げ、上から叩き潰そうと一気に落下速度を乗せて落としてくる。

 それを優羅は後ろや横に跳ぶのではなく、前へと跳ぶ事で回避した。同時に広げていたテッセン【烏】を閉じ、右腕を引きつつ体を捻る。

 

「……ふっ!」

 

 滞空したまま突き出されたテッセン【烏】から貫通性の高い気刃が放たれる。

 気は固定した形を持たない。“刃”と呼称されているが、それは何も“剣”だけに留まらない。突き出せばもちろん気の“槍”にも成り得るのだ。

 その気刃はまるで貫通弾のように狂アクラ・ヴァシムの側面を貫いていった。だがそんな事ではもはや狂アクラ・ヴァシムは止まりはしない。ギロギロと赤い目が動き、敵である優羅を見つめている。

 

「……んっ」

 

 砂に着地する前に足元がまた爆発し、優羅はまた狂アクラ・ヴァシムへと接近していく。

 だが今度は低空飛行だ。すぐに着地して砂を軽やかに疾走する。

 

「頭上からの攻撃、回転……明らかに足を使った攻撃が多い。それだけ奴にとって足とは大きな意味を持っているらしいな」

 

 身を包んでいたローブを元に戻しつつ昴がそう言うと、隣で紅葉が軽く頷いた。

 昴の手には瓶が握られており、既に回復薬を飲み干していた。装備しているフルフルDシリーズによるスキル、広域化+2の効果で回復薬の効果が紅葉と優羅にも及ぶようになっている。

 装備の粒子が回復の粒子を読み取り、それを味方にも散布しているようなのだがこれまた詳しい事は不明だ。

 

「そうね。見た限り足は再生しているけど、鋏は再生していない。あれだけの回復力を持っているのに、鋏は修復されてないのはおかしいわね」

「鋏は二の次。あるいは鋏よりも尻尾の方が優先か? ……わからんが、今は足を潰したところでまた再生する可能性が捨てきれない」

 

 二人の言うように、狂アクラ・ヴァシムの再生は足のみ行われた。他にダメージを受けている部分、特に紅葉によって潰された鋏や頭の甲殻に関しては再生していなかったのだ。

 確かに生物が行動するに関して、足というものは極めて重要といえよう。これがなければ戦いに挑む事も、逃げる事も出来ない。

 だが狂アクラ・ヴァシムにとってはそれ以上にあれだけの動きをするために再生させたようにも思えた。逃げるためではなく、昴達を倒すために再生させた、というのが自然だろう。

 機動力。

 これを以ってして自分達を翻弄し、確実に仕留めようという魂胆だと昴は推測した。

 

「優羅が言うには生命力自体はそんなに回復していないらしい。あくまでも体の一部の再生。あれはそういうものだったようだ」

「となれば爆弾は決して無駄じゃないって事?」

「そのようだな。とはいえ現状は打開したとは言えないな。あんな動きを見せている優羅でも決定打が打てていない。どうするか……ってうおっ!?」

 

 突如優羅へと尻尾を振り回し、まるでリオレイアのようなサマーソルトをした狂アクラ・ヴァシム。その際体液も同時に射出したことで、昴と紅葉にまでその体液が飛んできた。

 液体が凝固し、道のように水晶がその場に生え揃う。体液の効果も上昇していないだろうか、と考えながらも昴は走りながら思考する。

 さっきと同じように優羅の気刃で足を止め、紅葉の一撃で体力を奪う。

 しかし現在見せている狂アクラ・ヴァシムの動きからしてそれは難しくなったかもしれない。左右に動けないなら上に跳べ。

 そういう思考が働いている可能性があるのだ。学習したといってもいい。

 優羅の気刃はあくまでも足を止めるためであり、その一撃は狂アクラ・ヴァシムの甲殻にダメージを与える程度しかない。切断出来ないとなれば、上に逃げる道を封殺しても構わずに狂アクラ・ヴァシムが飛び越してしまう可能性が捨てきれない。

 何か別に足を封じる方法があればいいが、その方法が思いつかない。 

 紅葉の竜巻を使うか。

 いや、これは彼女の魔力を著しく奪う。それにあれは確かに狂アクラ・ヴァシムの動きを封じる事は出来るが、同時に自分達もあまり攻撃できない。

 あれは一方的な封殺でしか意味を成さない。攻撃も併用するという作戦では使えない方法なのだ。

 ではどうするべきか。

 そう考えている内に向こうにいた紅葉はとりあえず行動あるのみ、と言って狂アクラ・ヴァシムへと向かっていった。優羅一人に任せておけなかったのかもしれない。そして自分も行動する事で、昴が新たな道筋を見出してくれると信じて走り出した。

 彼女は口にしていないが、恐らくそういう意図もあったのだろうと昴は気づく。

 無言の信頼。

 それを彼女の背中から感じ取った。

 向こうにいる優羅も僅かではあるが昴へと視線を向けてくれた。彼女もまた同じ気持ちなのだろう。

 

「行くよ、優羅っ!」

「……無論、当然の事」

 

 目を細めた優羅が一旦狂アクラ・ヴァシムから距離を取る。何をするつもりかと思えば彼女はテッセン【烏】を頭上で交差させて鬼人化を発動させたのだ。気を扱えるのだからこれも扱えて当然だろう。

 しかしなぜここで発動させたのだろうと思いつつ、力を溜めながら堅骨鎚改を構えていた紅葉はひとまず様子を見守る事にした。

 

「……いい機会だ。活目しろ、紅葉。風を扱えるならこの派生が可能なはず……っ!」

 

 放たれるは幾多もの気刃。

 優羅が行っているのは双剣による乱舞だ。

 だがただの乱舞ではなく、テッセン【烏】に纏われている優羅の気を刃に変え、次々と気刃として放ち続けている。

 その様子を紅葉はただ沈黙したまま見つめている。

 優羅は自分に新たな技術を開花させるための種を提供してくれている。

 そして同時に昴に対して自分が扱える技術を披露してくれているのだ。彼がこの戦局を打開するための策を自分達が扱える技術を吟味するため、まだ見せていない使えそうな技術を見せる。

 そこにためらいはなかった。

 今まで秘匿し続けた技術を優羅は見せている。一人で生きるための技術として自然と身につけていった剣術と気功術。獅鬼から教わった普通じゃない技術だからこそ出し惜しみした技術の数々。

 自分の中にあった殺意を押し殺すため、二人に対してこの技術を振るわないために封じたが、もはや封じる意味などない。

 自分はもう吹っ切れてきている。

 そして二人を信じている。

 だから大丈夫だ、と優羅は思ったのだ。

 狂アクラ・ヴァシムはこの気刃の応酬を受けて固まったままだ。動こうとした部分を封じるかのように僅かな修正をかけて優羅がテッセン【烏】を振るっているため、動きたくても動けない。

 やがてこの気刃の影響で動かすための力が抜けて脱力状態になっている。疲労が重なったのだろう。動こうにも体を動かす力が麻痺しているらしい。

 

「……っ!」

 

 好機と見た今まで開いていたテッセン【烏】を閉じ、そのまま前に出して身構える。

 それはテッセン【烏】が十字に交わるように構えられた。するとそれぞれに気が纏われているからか、それぞれの気が反応を起こして風の渦を作り上げる。

 

「あれは……」

 

 ビリビリと気がぶつかり合って空気が振動しているような気がした。渦は気流を生み出し、テッセン【烏】を取り囲むようにして空気が移動しているような気がした。

 優羅は風魔法を扱えるはずはない。つまりこれは優羅の気から作りだされた副産物。

 それは優羅の狙い通りなのか、纏われている気によって空気は、テッセン【烏】を取り囲んだまま外ではなく内へと移動する事でテッセン【烏】を一周するようなルートを作り上げていた。

 すると交差している部分が強く力が集まる事になっている。

 空気の振動は少しずつ強くなっている気がした。それだけ纏われている気と空気が相乗して高め合っているのかもしれない。

 

「……はあああぁぁっ!」

 

 最後の一押しか、それまで以上に気を送り込めば、溜まりに溜まったものが一気に解放されて狂アクラ・ヴァシムへと向かっていく。

 構えられた十字を形作ったそれは気と空気が混じり合った刃。それが気刃と同じスピードで砂を斬りながら標的を斬り裂こうというのだ。

 

「グギュ、ジュリュリュ……っ!」

 

 しかし狂アクラ・ヴァシムはただ怯んだだけで終わってしまう。しかも左の鋏で僅かに身を守るといった行為まで見せていた。そんな狂アクラ・ヴァシムに与えたダメージはあまりなかったように思える。

 それもそうだろう。

 ため込んだ時間はたったの5秒。本来ならばもっと溜めるだろうが、優羅は途中で解放したのだ。

 今はただ技術を見せているだけであり、足止めもされていない狂アクラ・ヴァシムでは、それ以上の時間をかけては逃げられてしまう可能性があった。

 しかし紅葉にとってはそれ以上の時間に感じられたかも知れない。それだけあの技術には惹かれるものがあった。

 それは遠い昔、優羅が燃え盛る火を見て感じるものがあった事と酷似している。

 そんな紅葉の様子を優羅は感じ取り、すっと目を細めた。手ごたえはあったか、と心の中で呟く。

 視線を動かして昴を見れば、真剣な眼差しで自分達を見つめ続けているのがわかった。口元に指をあてて何かを呟いているようにも思える。

 何か思いついただろうか。そう思いながら優羅は次の一手を打とうと前へと走り出した。

 

 

「…………そうだ」

 

 昴は一つの道が見えたような気がして顔を上げた。

 今までただ眺めるだけだった自分もいつもの狩りならばパズルのピースの一つ。今回ばかりはそのピースにならないか、と自分を切り捨ててしまっていたが、状況が変わったためにもう一度組み込んでみた。

 優羅が見せてくれた技術を眺め、そして狂アクラ・ヴァシムを見つめながら頭の中で色々と試行錯誤を繰り返す。

 昴、紅葉、優羅、そして狂アクラ・ヴァシム。砂漠というフィールドもパズルのピースだ。様々な事を考慮してただただ頭をフル回転させてやる。

 

 その結果、見えた。

 

 忘れてしまっていたのだ。

 最近その方法を使っていたというのに、記憶を取り戻したことで逆に失念してしまったのかも知れない。

 ローブの中から取り出したのは白猿薙【ドド】。内包するのは氷属性。

 もちろん属性ダメージはアクラ・ヴァシムには通用しないという事は優羅の目で明かされている。しかしこれが活路を開くためのピースになる可能性が出てきたのだ。

 白猿薙【ドド】を構えて一回転。蒼い刀身は使われていなかっただけあり、切れ味は抜群。内包している氷属性も全く失われていない。

 

「……やるしかない。駄目なら駄目で結構。それでもそれは意味のない事にはならないはずだ」

 

 決めたのならば即実行。

 次なる作戦を伝え、決行するために昴は走り出した。

 

 狂アクラ・ヴァシムと交戦している紅葉と優羅は、当然ながら昴が走り出した事に気づいていた。二人は昴の気配を覚えている。それが動き出した事で彼が何かを思いついたんだろうと判断した。

 ならばそれを遂行するため、話を聞かなければならない。

 だがそれを狂アクラ・ヴァシムは黙って見逃すことはないだろう。興奮状態にある狂アクラ・ヴァシムは逃げる獲物、一か所に集まっている獲物を逃しはしない。

 エメラルドのペンダントを取り出し、再びあの竜巻を作り出そうとした紅葉を見た事で、狂アクラ・ヴァシムの標的は定まった。直感的に紅葉をあのまま行動させてはならないと感じたのだろう。

 

「ギリュリュ!」

 

 一鳴きし、素早く砂を走って勢いをつけて前へと跳躍。振り上げた鋏を振り下ろした。

 

「くっ!」

 

 自分が的になっている事を感じた紅葉は工程を中断して回避するしかない。横へと跳びながら集めていた風を足元へ。そのまま噴出させて飛距離を稼ぐ。

 だが狂アクラ・ヴァシムの攻撃は終わっていなかった。尻尾をくるくると回転させ始めたのだ。その尻尾には水晶が付いたまま。そのまま投げ飛ばすつもりなのだろうか、と思ったがそうではなかった。

 その先端を紅葉に向けると、そこから勢いよく体液が噴射されたのだ。

 水晶の中を通っているせいなのか、先ほどよりも細く、そして勢いを増した事で飛距離も伸びている。

 

「まだまだっ!」

 

 空中にいる者は更に回避行動は出来ないが、風魔法などを習得しているものならば話は別だ。そこから横へと急転進することで体液から緊急回避。その勢いのまま狂アクラ・ヴァシムの攻撃範囲から離脱する事に成功し、そのルートのまま昴へと距離を詰めていく。

 そこには優羅が既に待機しており、紅葉が合流した事で昴がすぐに口を開いた。

 

「時間がないので軽く説明する」

 

 昴がやる事を説明し、次の段階を説明しようとした時、狂アクラ・ヴァシムが一気に疾走して距離を詰めてきた。やはり獲物が一か所に集まっているというのは狩りやすい標的でしかない。

 そして集まっている獲物を薙ぎ払おうと、体を捻りながら跳躍した。

 

「散れっ!」

 

 叫ぶと同時に昴は紅葉が伸ばした手をとり、彼女の風魔法で一時離脱する。優羅もまた足元を爆発させて二人と反対方向へと跳びつつ、手にしているテッセン【烏】を握り締めた。

 いなくなった場所へと鋏を振り下ろした狂アクラ・ヴァシムだが、今まで以上に力を込めたせいか、砂が強く巻き上がってしまう。鋏を振り下ろしたところが陥没するほどの力を振るい、鋏を中心として放射状に砂は宙を舞う。

 

「ギジジ、ギジュジュジュジュッ!」

 

 何を思ったか狂アクラ・ヴァシムがその場で回転を始めた。鋏を砂に刺して体を浮き上がらせ、舞い上がった砂をも巻き込む程の回転を披露している。

 砕けたはずの左の鋏もまた自身の回転を止めぬために右と交互に刺す事で回転を維持している。その際には痛みがあるはずだが、それを気にしないのはやはり狂化の影響だろうか。

 ともかくその体と尻尾で砂を巻き上げ、回転によって空気の渦が作りだされたそれは、外から見ればまるで砂の竜巻のようだ。

 だが規模は小さく、砂が数メートル程舞い上がったまま維持されている、という具合でしかない。

 しかし突然のこの行動。相手が相手だけに昴達は警戒せざるを得ない。

 今までの流れもあって三人にかかる緊張は次第に重くなっていく。

 心労。

 それが昴達を蝕む隠れた敵だった。

 アクラ・ヴァシムは三人にとっては初見の敵だ。それが狂化しただけでなく、体液の変化に従ってがらりと行動パターンを変化させている。しかも自分達の戦術は制限されており、一体どうすれば突破口が開けるのか。

 その不利な状況はストレスとなり、自然と自分の体に影響を与えてしまう。

 特に昴にかかる心労は二人よりも大きいだろう。リーダーとしてだけでなく、自分の戦いがあまり通用しないという現実は重く圧し掛かっていたはずだ。

 狂アクラ・ヴァシムの攻撃だけでなく、見えないところで昴の体にも影響が起こっている事は否定できない。実際キリキリと胃が痛み、昴の表情に微かな影を落としていた。

 

「……昴? まだ腕痛むの?」

 

 それを紅葉が気づかないはずもなかった。気づかれた事で昴がチラリと紅葉の表情を見ると、そこにはじっと自分を見上げている真剣な表情がある。でもそれは責めるというわけではなく、心配しているからこそ。

 その意図をわかっている昴は小さくこう呟いた。

 

「大丈夫さ。これは精神的なやつだ。問題ない」

 

 手にしている白猿薙【ドド】を握り締めて回転させる。瞳はじっと狂アクラ・ヴァシムを見据えており、そこには明確な戦意がある。

 ここまで来て退くわけにはいかなかった。

 退いたところで戦いが長引くか、他に被害が拡大するだけ。

 道が見えているのだ。

 ならばその道を駆け抜けるのみ。

 それが終わらせるための方法であり、これ以上無駄に血を流さず、傷を広げることのない道だ。

 

「……そう、ならいいけど」

「じゃあさっき伝えそこなった手順を言うぞ」

 

 紅葉の追及を避けるように昴は作戦について説明を始めた。紅葉の方も話を変えられた、とは感じたようだが、昴の話も大事なものなので口を挟む事はない。

 短い話だったものの、すぐにそれは確かに伝えられる。「了解」と紅葉が言うと、彼女は狂アクラ・ヴァシムを見据える。

 

「……昴、これだけは守って」

 

 ふと紅葉が堅骨鎚改を握り締めて昴の前に出ると振り返らずに告げる。

 

「あまり無理せずに。……例え勝ったとしてもね、昴にぶっ倒られてちゃ、あたしたちが困るんだから」

「……ん、わかっているさ」

「ん、なら良し。破ったら承知しないんだからね」

 

 それだけ言うと紅葉は再び狂アクラ・ヴァシムへと走り出した。

 それを見送る昴は白猿薙【ドド】を回転させながら小さくため息をつく。

 

(悪いな、紅葉。今回ばかりというか、いつも通りってやつだ)

 

 浮かぶのは少しだけすまなそうな表情。しかしそれはすぐに消え、またハンターとしての顔が浮かんでくる。

 白猿薙【ドド】の回転は勢いを増していき、同時に蒼い刀身には昴の気が纏われていく。それによって刀身が鈍い光を放ち始めるが、それでも昴は白猿薙【ドド】を回転させる。

 左手で、痺れる右手で、あるいは両手で。

 刃は風を切り、昴の周囲はそれによってある力が満ち始めていた。

 

(俺はお前達を守るためならば倒れても構わんさ。それがお前達の命を預かるリーダーであり、兄としての役割。……今回はお前達だけ前に出させといてどうかと思うだろうけど、それでも俺の役割が見出せたならば、俺は力を振るう事を惜しまない)

 

 その力は昴の力に直結するもの。

 充分に満ちた事を確認した昴は、少し息を吸って呼吸を整える。

 

(それでお前達を守れるならば、俺はただそれに命を賭けて遂行してやるのみっ! ……そう、この力でな!)

 

 カッと見開かれた黒い目は標的から視界を外さない。

 力が込められた足はしっかりとそれを踏みしめ、それはその体をしっかりと支えてなお崩れず、砕かれない。

 右手で握りしめられた白猿薙【ドド】の刀身は相変わらず鈍い光を放っているも、同時に何かの力が渦巻いている。

 満ちる力は昴の意思に従い、彼の周りに漂いながらも、一定以上の距離を離さずに渦を巻くようにして周囲を回っていた。

 

(イメージはここに像を結ぶ。意味のない事なんてありはしない。それを見せてやろう、アクラ・ヴァシム……っ!)

 

 力が解放され、昴は飛び出すようにしてそれを蹴った。それによって彼の体は低空で弾丸のように飛び出していく。

 そんな彼の首元からは、サファイアの宝石をしようしたペンダントがぶら下がっていた。

 

 その数分前。

 回転を続けていた狂アクラ・ヴァシムは突如として鋏を左右に突き出すように広げた。

 狂アクラ・ヴァシムを中心として渦巻く風はその鋏の力に従って動き、二方向へと空気が勢いよく動く。

 それは単なる力技でもあり、ある意味法則に従っている動きでもあった。

 突き出された鋏に従うように、舞い上がっていた砂が風の動きに乗って勢いよく噴射される。

 出口のない渦巻に突然生まれた出口。例えるならば扉の前に集まっていた大衆が、開かれた扉に向かって一気になだれ込むようなもの。

 砂は風という追い風を受けて弾丸のように優羅と紅葉に向かっていく。

 しかしそんなものはじっと出方を窺っていた二人にとって脅威ではなかった。

 逆にようやく動いたか、と二人は回避しながら思考する。

 

「……まだ昴は動かない。ならばまだ引きつけておくのみ」

 

 狂アクラ・ヴァシムを挟んで向こう側。

 現在昴は白猿薙【ドド】を振り回しているところだった。作戦通りならばあの一手を打つための準備といったところだろう。なるほど、あの時やったような事を再びやるつもりか、と優羅は目を細めた。

 同時に納得する。確かにああしておけば昴の打ち手は広がるだろう。問題は狂アクラ・ヴァシムの耐性だが、彼の役割からいえばそんなことは何の問題もない。

 

「……問題はその次」

 

 昴の一手が成功した際の次の一手。

 それを彼が口にする前に狂アクラ・ヴァシムが乱入してきたため、その先を聞く前に分断されてしまった。

 普通ならばいったい何をすればいいのかと戸惑うだろうが、優羅からはその様子が全くない。

 

(……彼の考えた作戦は厳密にいえば最初に考案したものとなんら変わらない。ヴァシムの動きを読み取り、その行動を制限し、一気にダメージを与える)

 

 鋏の次は尻尾が振り回された。砂の壁を吹き飛ばすようにした尻尾の射線の上を覆い潰すように、上から砂の波が降り注ぐ。

 それを右手で構えたテッセン【烏】を自分を中心に弧を描くようにして動かせば、それに従って爆発が上空で発生する。爆発は砂の波を吹き飛ばし、優羅に降り注ぐ事を防いでしまった。

 

(……一手一手相手の動きを観察し、どういう一手を打つのかを読み取り、自分が打つべき一手を考察。導き出される自分の一手の中から、現在の状況とその先で打てる一手を絡めつつ考え、実行に移していく)

 

 更に距離を詰めようとすれば、砂の壁を失った狂アクラ・ヴァシムから水晶が飛んできた。

 だがそれに構わず前へと進む。自分と水晶の位置関係を把握し、身を捻りながら飛び出してやれば、恐らくたったの数センチ程の差で水晶が後ろへと飛んでいくのを感じた。

 

(……この思考はアタシによく似ている。相手の動きをしっかりと頭の中に叩き込み、自分の取れる行動を吟味し、どうやって相手を始末するか。一人でやってきただけあって、アタシはどうやれば速く相手を殺せるか、どうやればアタシの負傷を減らせるかを考えてきた。でもそれは誰だって考えること。何もおかしい事はない。……でも、それでも昴と似ている気がする。例えるなら、そう――)

 

 将棋。

 

 東方にある昔ながらの遊びの一つだ。

 用意された駒を動かし、相手の王を取れば勝ちとされるものである。

 優羅は自分と昴の思考傾向をこれに例えた。

 といっても別に将棋じゃなくてもいい。こちら側の遊びでいえば、チェスでも構わない。

 要はそういうモノを前にし、どうやって相手を詰めていくかという思考傾向が問題なのだ。

 

(……アタシにとって狩りとはただの経験積みと、素材や金集め。それに一生を賭けているわけじゃないから、どこかしらでゲーム感覚があった。対して昴は生き残るためにどうやって相手()を詰めていくか、という思考をよくするようになったんだろう。まるでそれはリアルな将棋。フィールドを盤面に、自分達とアイテムを駒に。変化していく状況の中、最善の一手を考え続けたに違いない)

 

 だから似ている。

 ここで取るべき一手は何か。

 その先の事も考えて打つべき手は何なのか。

 それに対して相手はどう動くのか。

 獲物は取るべき王であり、同時に対峙している打ち手として考えている。

 

(……そんな昴が、この先打つ一手の次を考えるとするならば)

 

 そこまで考えたところで、もう一人の仲間の紅葉を視界に収める。

 今までずっと昴と共に行動し、彼の一番の相棒となっていた人物。

 彼女はこのような思考をするのではなく、昴が考案した作戦を実行する人物だというのはよくわかる。昔から彼女は考えるよりも動く人物だからだ。それは成長した今でも変わる事はあまりないようだ。

 ふと、紅葉が狂アクラ・ヴァシムの奥から何かを伝えようと口を動かしている。しかしそれは狂アクラ・ヴァシムの声や風を切る鋏や尻尾の音でかき消されている。

 夜の砂漠という静かな環境ではあるが、この狂アクラ・ヴァシムの激しい攻撃によって伝えられる声が邪魔されているのだ。

 

(……しかしアタシには何の問題もない)

 

 優羅の目が細まり、今も動き続けている紅葉の唇にも意識を向けた。

 読唇術だ。

 目がいいのでこういう技術も自然と身についてしまっている。あまり利用されることはないが、身につけておいて損はなかっただけでもいい。

 そして現在伝えられている事はただ一つしかない。昴の作戦についてだ。

 

(……ん、やっぱりそういう手を打つか。今までの事を吟味すればアタシもそんな手を打つ。というよりそれが最短の手か)

 

 昴と同じことを考えていたという事と、了承の意を込めて優羅は小さく頷いた。

 そのまま狂アクラ・ヴァシムを引きつけるようにテッセン【烏】を握りしめ、その視界へと飛び出して行った。

 とはいえそのまま前に出て行ったということではなく、その上、すなわち狂アクラ・ヴァシムの上空だ。

 

(……問題はそこに至るまでの下準備だったんだろう。……でもそれも昴という駒で解決された。後は自然となるようになる。それまでは充分に引き付けておくのみっ!)

 

「……大――」

 

 閉じていたテッセン【烏】を開き、己の気を込められた刃の部分が漆黒の光に覆われていく。

 また優羅の足元には彼女の扱う魔法の種である火の粒子が集まり始めていた。彼女は風魔法を扱えないために空中に留まるためには火魔法の爆発を使うしかない。

 となればどうなるか。

 今までの彼女の行動から容易に推察できる。

 

「――車輪……っ!」

 

 爆発の推進力を受けて優羅の体が弾丸のように飛ぶ。加えて前転による回転を行い、構えられたテッセン【烏】もまたそれに従って歯車のように彼女と共に回転する。

 

「うわ……」

 

 思わず紅葉の口から呆けたような声が漏れてしまった。それだけ彼女は自分の見ているものに対して、とんでもない印象を持ってしまった。言葉にするなら「ありえない」だろうか。

 かつて自分の師に向けて感じた言葉を、幼馴染から向けられるというのはどうなんだろうか。

 そんな事を知る由もない優羅は、狂アクラ・ヴァシムの上を通り過ぎ、抵抗として振るわれる気配がした尻尾を避けるように紅葉と昴がいる側へと緊急離脱する。

 そこで気づいた。

 先ほど紅葉へと噴射した体液が固まり、射線に沿って水晶が作られている事を。それは優羅達から左方向、紅葉を追うように僅かにカーブして水晶が並び、それは水晶の道というよりその高さによって小さな壁のように生え揃っていた。

 そっち側へと行かなければ自分達には何の影響もないだろうが、もしあっち側へと逃げられればあの水晶を利用してくるのではないだろうか。

 ならばその足止めもしなければならない。

 優羅は着地しながら判断し、狂アクラ・ヴァシムの後ろ側へと移動する。だがそれを防ぐように狂アクラ・ヴァシムが尻尾を後ろへと勢いよく叩きつけた。しかも連続して別の方向、それも優羅を追うように何度も何度も叩きつける。

 後ろを取られないようにするための行動だろうが、優羅はマスクの下で舌打ちした。

 やはり尻尾もまた脅威だ。自由に振り回し、曲げられる尻尾というのは厄介な事この上ない。特に鞭のようにしなり、強固な尻尾ほど鬱陶しい。

 それによって後ろに回る事を一時中断し、優羅はテッセン【烏】を振るって尻尾に少しずつダメージを与えていく事にした。

 すかさず紅葉も続くように狂アクラ・ヴァシムへと攻撃を仕掛ける。

 堅骨鎚改が狙う先は背中。先ほど優羅が大車輪によって背中の甲殻へと攻撃を与えている。回転によって連続した斬撃が甲殻へと与えられ、しかも所々甲殻の繋ぎ目がやられており、若干剥がれそうになっている。

 そこを狙わないわけにはいかないだろう。

 

「ギシュシュ、ギジジジ」

 

 接近してくる紅葉もまた狂アクラ・ヴァシムの右側にいる。彼女だけでなく、昴達『吹雪(ブリザード)』のメンバーは全員そちら側に存在している。

 狂アクラ・ヴァシムは軽く首を右に向けると、そのまま軽く跳躍して左に下がりつつ、方向修正するようにして体全体を右に向けた。

 それによって優羅と紅葉と距離を取りつつ、正面から向き合う形になった。

 しかもご丁寧に水晶だけは切り離し、その場に置いておくという作業も行っている。

 水晶が軽く音を立てて砂に落ちると、ぶるぶると水晶全体が震え始める。

 

「忘れものよ!」

 

 叫べば水晶が突然狂アクラ・ヴァシムへと飛んでいく。

 何の事はない。紅葉が風魔法をぶつける事で水晶が吹き飛ばされただけだ。

 紅葉の事だから堅骨鎚改を振りかぶり、水晶を球として吹き飛ばすのかと優羅がちょっと思ったものだが、さすがにそんな危険を冒すほど脳筋ではなかったか、と少し失礼な事を影で考えている。

 

「ん?」

「…………」

 

 ふと紅葉が何気なく優羅を横目で見やったが、優羅は素知らぬ顔で狂アクラ・ヴァシムを見つめる。丁度紅葉が吹き飛ばした水晶が狂アクラ・ヴァシムの眼前で爆発したところだった。 

 

(……なぜあのタイミングでアタシを見た)

 

 ちょっとだけ紅葉に対しての思いが変化した瞬間。

 

「――来たか」

 

 そして同時に、背後で待ち人が動いた瞬間でもあった。

 優羅が気づいたように、紅葉もまた動いたことに気づいて、知らず笑みが浮かんでいる。

 

 作戦が遂行される。

 

(……じゃあ、獲物()を詰んでいく事にしようか。今こそ完全なる王手をかける戦局)

 

 そのための第一手を打てるように優羅は狂アクラ・ヴァシムの動きを見据える。どう動けば大事な一手を打てるような状況を作れるのか。

 彼女の真紅の瞳はギラリと冷たく凄まじい威圧を含めつつも、ハンターとしての観察眼が含まれている。

 放たれる気質にまたしても一瞬狂アクラ・ヴァシムがあてられてしまい、小さく呻き声を漏らした。

 そうしている間にも彼は近づいてくる。周囲にはその一手を打つためにため込まれた力が渦巻き、纏われていた。

 紅葉もまたじっと狂アクラ・ヴァシムがどう動くのかを見極めようとしている。ただ飛び出していくのはもう終わったというのか、と思ったのだがそうでもなかったらしい。

 彼女が注意すべきは狂アクラ・ヴァシムが見せたアクロバットな動きだ。あれは自身の回転により、どこから、どのタイミングで攻撃が放たれるのかをわからなくさせている。狂アクラ・ヴァシム自身にそんな意図はないだろうが、人からすればそれは恐ろしい事この上ない。

 特に力押しで攻める者にとっては相性が悪い。

 しかしこの数分間、狂アクラ・ヴァシムはその動きを見せない。普通に鋏を振るい、水晶や体液を使うといった、変幻する前の戦いに戻っているように思える。

 とはいえ砂の壁やら、それを吹き飛ばすとか、そんな技も織り交ぜているのだが。

 しかし接近されれば普通にああいう戦いをするのだ、と言われれば納得はいくもの。一定距離から内側へと入られればそう戦うが、外側ならばああいう戦いを見せる。

 そういう事ではないだろうかと紅葉は推測。

 ならば足止めするならその内側に入って引きつける。そして昴があの一手を打つ。

 その後は流れるままにいけば狂アクラ・ヴァシムを討伐出来るだろう。

 紅葉は意を決して狂アクラ・ヴァシムへと接近するために疾走を開始する。

 そんな彼女の行動に優羅は少しだけ驚いた。ここで紅葉が接近する理由を少し考える。昴の準備が整っているとはいえ、あれほどのものは放つまでにやはり時間を食うだろう。

 となれば優羅と同じように自分に引きつけておいて昴の攻撃の時間を稼ぐ魂胆かもしれない。

 

「…………ここは、追うか」

 

 チラッと後ろを一度だけ確認し、優羅は後に続くことを選択。

 何かあった時のためにも彼女の近くにいた方がいいだろうという事もあった。

 

 一方紅葉は堅骨鎚改を構えたまま疾走し、静かに力を溜め続ける。昴の告げた作戦はこれより決行されるが、昴の打つ一手は普通に打てるようなものではないだろう。もちろん全ての工程が完了すればそれを打てるが、狂アクラ・ヴァシムの事を考えればそれは普通にありえない。

 実際狂アクラ・ヴァシムも向こうから接近してくる昴の雰囲気を訝しんでいる。

 それもそうだろう。

 彼の周りに満ちる力を狂アクラ・ヴァシムが気づかないはずもない。

 だから昴が一手を打てる状況を作り出さないといけない。その先の一手を打つための最初の一手。

 それをしなければ詰めるための戦局は始まらない。

 

「……っ!」

 

 速く、(はや)く、ただ(はや)く。

 加速をつけてなお、紅葉は風魔法の後押しを受けて前へと進む。

 狂アクラ・ヴァシムのあの動きを作り出すための範囲よりも内側へと入り込むために、ただ前へと進む事を選んだ。

 何を恐れる事があったのだろうか。

 このチームでの自分の根本的な役割は何なのか。

 

 それは昴のために先陣切り、相手へと先手の一撃をぶち込む事だ。

 

 今までもそうだった。そして優羅を加えた今でもそれは変わる事はない。

 あの動きに押されて様子見をし、自分のもう一つの役割「その力を以ってして敵に大打撃を与える」を遂行する事を考え続けていたが、それは間違いだった。

 確かに自分の体を守るためならば、様子見をして行動するというのは正しいだろう。ハンターとして人として、相手を恐れるというのは何も恥じる事ではない。

 恐怖を知らない者こそ本当に危険なものなのだから。

 だが紅葉にとってそれは間違いだった。

 恐れを知っている。

 だがそれを踏み越え、前に出る事が出来るならば自分がそれをやる。

 それが可能ならば先陣切る。

 後に続く昴と優羅のために、一陣の風となって道を切り開く。

 それが竜宮紅葉だった。

 

「ギジュッ!?」

 

 反応こそしたものの、狂アクラ・ヴァシムが身構える前に既に紅葉は懐へと入り込んでいた。

 

「遅いわよ」

 

 その頭へと加速を乗せた一撃が振り下ろされた。

 音は軽いものだったが、それでも紅葉の力から繰り出された一撃は相変わらず重い。

 だが紅葉の口の端から赤い液体が垂れ落ちる。

 狂アクラ・ヴァシムの攻撃を受けたのではない。これほどの加速をつけるだけの風魔法と、加速によって彼女にかかった影響の二重の反動が襲いかかった結果だ。

 それに紅葉は先ほどの竜巻によって消費した魔力が完全に回復しきってはいない。そんな中でまた一気に魔力を消費してはどうなる事か、紅葉自身も理解はしているだろう。

 それでも紅葉はこうする事を選ぶ。

 恐れる事なんて何もない。

 自分には頼れる仲間が二人もいるのだから。

 

「優羅! 任せた!」

 

 すぐそこまで来ているだろう仲間(おさななじみ)へと声をかければ、黒い疾風が視界を通り過ぎる。

 

「……任せろ」

 

 そう言いながら優羅は砂を滑るようにして急ブレーキをかける。狂アクラ・ヴァシムの右側へと回り込んだ彼女には、視界に狂アクラ・ヴァシムの体が横向きに映っている。

 彼から離れはしたが、もちろん彼はその距離を詰めるために疾走を続けている。

 今の役割は彼が到着するまで狂アクラ・ヴァシムを動かさないことだ。

 

「……大人しくしてもらおう」

 

 既に彼女が握り締めているテッセン【烏】は漆黒の気に纏われている。

 しかも今回は広げられているのではなく、閉じたまま優羅は構えていた。その状態のまま優羅は鬼人化を発動させる。

 テッセン【烏】は閉じていようが広げていようが、“双剣”というカテゴリに入っているため、閉じていても鬼人化は発動可能だ。

 

「……はぁっ!」

 

 深く深呼吸をした後、優羅の両腕が目に見えぬほどの速さで動きだす。

 いや、辛うじて紅葉の目には見えた。その動きは“斬る”という縦の動きではなく、“突く”という横の動きをしている。

 つまり優羅は連続して、高速でテッセン【烏】で突いているのだ。

 その度テッセン【烏】からは漆黒の気が槍となって狂アクラ・ヴァシムへと襲いかかっていく。

 双剣による高速の突き。飛竜戦では考えられないような事だが、元々人間同士の戦いでも双剣にはこの技術が存在している。故に何もおかしいことはない。

 

「ギ、ギギ……ッ!?」

 

 横っ腹に襲いかかる打突のダメージ。いや、放たれている気槍の中には狂アクラ・ヴァシムの腹を貫通していくものがある。

 それは幾つかの気槍によって空けられた甲殻から、直に肉を貫くように侵入している気槍が存在しているのだ。

 徹甲榴弾によって甲殻を破壊し、貫通弾で露わになった肉を貫く。

 ガンナーとしての戦法を気槍にも応用する。

 どんなに硬い装甲だろうと、何度も傷を与えていけば綻びが生まれる。優羅はそれを知っているからこそ連続して気槍を放っている。

 そして肉を貫かれるが生み出す結果を知っている。

 狂アクラ・ヴァシムは痛みにもがきながらも反撃しようとしているが、思うように体が動かないようだ。

 それは体の内部にダメージが通る事で生まれる激痛が体を動かすことを阻害しているのだ。

 それでも狂化しているだけに体の悲鳴を無視して尻尾を動かす。

 

「……っ!」

 

 視線を動かして意識を向ければ、先端から体液を射出するよりも早くそこに爆発が起こる。そのショックで体液が射出されることだけは阻害できた。

 足止めは成功。

 待ち人は到着する。

 

「待たせた」

 

 その一言を聞いた二人に笑みが浮かんだ。

 

「ん、頼んだわよ!」

「……状況は整っています」

 

 それぞれ昴へと声をかければ、彼もまた笑みを浮かべてそれに応えた。

 昴は優羅の近くに位置を取る。そこからの方が狙うべき場所を攻撃出来るからだ。

 彼の周りには白い霧のようなものが漂っている。これは全て白猿薙【ドド】から生み出されたものだ。

 すなわち冷気。

 内包されている氷属性が氷の粒子をまき散らし、空気を冷やした事で作りだされたのだ。

 

「……ふぅ」

 

 呼吸を整えれば、下げられているペンダントに付いているサファイアが淡い光を放ち始める。

 これが意味する事は一つ。

 昴が氷魔法を行使しようとしているのだ。

 普通は乾燥している砂漠では水分がほとんどないために氷魔法を行使できない。水分という種がないから使えないのだ。また氷だけでなく水の粒子もないからかき集める事も出来ないし、出来たとしてもかなり小さなために昴が普段使っているような事も出来ない。

 だが、種がなければ作ればいい。

 ドンドルマにてラオシャンロンと交戦した際、昴は白猿薙【ドド】を振り回して種を作り出し、氷魔法を行使した。それを思い出したのだ。

 そして今、サファイアの後押しを受けて昴はイメージを漂う冷気へと伝える。

 

「……ふっ!」

 

 数度狂アクラ・ヴァシムを斬りつけ、白猿薙【ドド】を握りしめて跳躍すれば、白い霧の一部が昴の足元に少し集まって固まる。

 それは氷。昴が得意としている使用法だ。

 連続して氷の足場作って階段状にし、どんどん高く上っていく。その高さは狂アクラ・ヴァシムの背中を超える。その高さまで届けば充分だろう。

 

「――錬気、解放! 冷気、解放!」

 

 白猿薙【ドド】に纏われている錬気が光り、蒼い刀身に力が集結していく。渦巻く冷気は昴から白猿薙【ドド】の刀身へと移り変わって渦巻き、同時に姿を変えていく。

 漂っていた冷気は広げればおよそ十メートルにはなったんじゃないだろうか。それだけの冷気が昴の周りを漂っていたのだ。それが一気に集束すればそこから放たれる冷気はとんでもない力を放っている。

 実際その発生源である白猿薙【ドド】の近くにいる昴にも影響があるほどの冷気。舞い散る汗の雫がすぐに氷となるほどだった。それほどの冷気ならば当然ながら白猿薙【ドド】を握りしめている両腕にも影響がある。実際フルフルDアームには霜が付いている。

 だがそれだけだ。

 昴が自分の体には最低限の影響だけにとどめ、自分の身体へは悪影響を及ぼさないレベルで調整していたのだ。そうしなければこの冷気が自分へと牙を向ける。

 すなわち凍死。

 だからこそ調整しなければ攻撃云々の話じゃなくなってしまう。

 それだけでなくこの冷気を自分のイメージで形を作る事も考えている。刀身を纏う冷気は現在刀身から延びるもう一つの刃と化している。蒼い刃を包み込み、なおかつそこから延びる水色の刃。

 これが昴の打つ一手。

 

「おおおおおぉぉぉ!!」

 

 背中から一刀両断と言わんばかりの上空からの振り下ろし。ただそれだけだが、氷の刃と白猿薙【ドド】本来の蒼い刀身は狂アクラ・ヴァシムへと傷を与える。

 しかし傷を与えているのはどうやら蒼い刀身が触れた部分のみ。冷気の刃の部分はどういうわけか切り傷を与えず、ただその部分を凍らせるのみ。

 だがそれでよかった。

 砂に着地すると同時に今度は体を捻り、目の前にある足を薙ぐように横へと振りぬいた。傷を与えるのはやはり蒼い刀身の部分だが、今度はそうではない。

 冷気の刃によって狂アクラ・ヴァシムの二つの足が氷に覆われて身動き取れなくなってしまった。しかも最初に斬られた縦の傷跡に沿うようにして氷が覆われている。

 

「ギギギッ!? ギ、ギジジジッ!!」

 

 そこで狂アクラ・ヴァシムが紅葉の攻撃を振り払うように動き出したが、砂に縫い付けられるように氷がその動きを止めている。

 属性ダメージなんて元から狙ってはいない。

 最初から氷が生み出す領分を利用するためにこの氷魔法を行使していたに過ぎない。

 狂アクラ・ヴァシムがその動きで昴達を翻弄し、自らの手番を連続して得るというならば、昴達は自らの持ちうる技術で狂アクラ・ヴァシムの動きを封じて手番を得る。

 本来ならば罠によってその足を封じるが、生憎とそれは狂アクラ・ヴァシムには通用しない。

 足をもいでも超再生で回復するというならば、足をもがずに封じてやるしかあるまい。

 そしてその方法を昴が持っていることを思い出し、こうして実行された。

 手番はまだ終わっていない。

 ここから一気に詰むまでだ。

 

「任せるぞ!」

 

 反対側へと向かうために跳躍し、氷を足場にして狂アクラ・ヴァシムの背中を飛び越しながら叫ぶと、それに応えるように立ち上る激しい風と燃え上がる気配。

 

「応! 任せなさい!」

 

 応えたのは紅葉だ。

 昴が反対側の足へと冷気の刃を突き刺すと同時に、紅葉が堅骨鎚改を既に構えていた。だが構えるその様は今までと違っている。

 少し足を広げ、体は前のめりになり、堅骨鎚改は右後ろへと立てるようにして構える。その構え方が一般的なハンマーで力を溜める際の構え方。

 しかし今の紅葉はただ剣を下段に構えるようにし、少しずつ力を込めている。

 

(風……あたしの魔法。優羅のあの技を参考にあたしもここに再現してやろうじゃない)

 

 イメージするのは全てを薙ぎ払うであろう強風。ただ存在するだけで全ての命を無慈悲に吹き飛ばしてしまうほどの暴風。

 でもそれをイメージすると同時にそれを制御してみせる。

 今回は薙ぎ払うのではなく、そのエネルギーを借り受けるだけだ。

 少しだけ脂汗を滲ませながらも何とか堅骨鎚改へと風エネルギーが収束していく。だが優羅ほど精密じゃないのはこれが紅葉にとって初めてのことだからしょうがない。

 彼女は魔法の扱う技術はあくまでも初級から中級レベルでしかない。風エネルギーを一か所に集めて圧縮させて固定という技術は難しく、本人の言うようにこればっかりは才能も関わってくる。

 体を動かす事が得意な人。

 気を扱うことが得意な人。

 魔法を扱うことが得意な人。

 人というものは実に様々な人がいる。

 紅葉の場合は体を動かすのが得意であり、次いで気を扱うことが得意だ。

 一説によれば気と魔力は相反するものとされており、これらを上手く混ぜ合わせれば高い威力を発揮するが、それに至るまでの修練が厳しいとされている。それは扱う人においても同じであり、気を得意としているものは魔法を苦手とし、術者は気を扱うことを苦手という例が多い。

 紅葉もまたこれに漏れず、基本的なことはまだしも、こういう専門的な技術となれば難しくなってしまう。

 

(暴れるな、この……っ! このまま留めつつあたしの力と合わせて解放。……瞬発力と爆発力っ! これを会得すればあたしは更に火力を得られる! 見本はあった。あとはあたしがこれを身につけるだけだ!)

 

 己を強化するための気を最低限にとどめ、堅骨鎚改に込める力はすでに紅葉自身が定めた一定ラインを超えている。あとはこの風エネルギーを溜めるのみ。

 

(あたしの役割は狂アクラ・ヴァシムを即死、または瀕死近くまで追い込むこと。充分に頭は揺さぶられている上に昴の氷によって足も封じられた)

「ふっ、はっ!」

「……っ、はぁっ!」

 

 紅葉が一撃入れるための時間を稼ぐため、昴と優羅が狂アクラ・ヴァシムの体へと斬りかかっている。動けない今、斬らずにどうするといわんばかりに尻尾や背中へと二人は斬り続ける。

 動けない狂アクラ・ヴァシムだが、まだ鋏と尻尾は動かせる。

 

「ギジ、ギジュジュジュ……っ!」

 

 尻尾を振り回した上にそこから体液が噴射された。自分の体の両側に斬りかかってくる二人を薙ぎ払うように噴射されたそれは昴から狂アクラ・ヴァシムの背中を通り、優羅へと体液が浴びせかけられる。

 攻撃へと使用された体液は自身に浴びせかければダメージになるのか。

 そんなことは全くない。逆に自身の傷を塞ぐように水晶が作られ、傷を癒していく。

 体液を回避しても攻撃の手は緩めない。近くで体液が固まって小さな水晶を作るが、爆発する気配はまだない。ならばまだまだ斬り続けるのみ。

 

(もう充分力は集まった?)

 

 その様子を見つめている紅葉はちらりと堅骨鎚改を見やる。そこには球状に渦巻いている風が存在している。

 これが収束している風エネルギー。

 火力を上げるための策をここで取り入れるのは無謀だろうが、それでも紅葉は完成度をここまで高めているというのが紅葉の凄いところだ。

 

(……なら、今こそやってやる……っ!)

 

 轟っ! と風の勢いが紅葉の感情に反応するかのように一瞬だけ増した。

 跳躍して高さを得るも、更に上へ上へ。人の身では到底無理な高さである5メートル以上まで跳躍している。その高さから落下する力は後押しを受けて上乗せされる。

 

(これが今のあたしにとっての全力、最大火力……っ! これで倒れるなら良し! 倒れなくてもまだ次があるっ!)

「おぉぉおおおおおおおおああああああああ!!」

 

 その体、堅骨鎚改が纏われている風の炸裂によって推進力を得る。その推進力に負けない紅葉の両腕はしっかりと根を握りしめ、目標である狂アクラ・ヴァシムの頭を狙ってその全力を以ってして振り下ろす。

 

「ギギギギッ!?」

 

 落下してくる強い気配に気づき、狂アクラ・ヴァシムから漏れて出た声。せめてもの抵抗として尻尾の先端が紅葉へと向けられ、あの体液を射出することでカウンターとしようとしたのだろうが……。

 それよりも早く紅葉がその一撃を命中させた。

 

 その時、響いた音は風が暴れ狂うような音だけではなかった。

 その中に混じるように何かが砕けたような音が混じっている。

 そして何より、衝撃音が今まで以上だ。発生した音は複数の爆弾が爆発したあの轟音とはまた違う轟音が響き渡る。辺りに響き渡る鋭く重い音は明らかに砂漠に響き渡るようなものじゃない。それだけあの衝撃がとんでもない事になっていることだけはわかる。

 

「…………ふぅ」

 

 確実に頭を捉えた一撃。元々そこには何度も攻撃を与えており、傷が出来ている。

 それを狙って振り下ろしたあの一撃は今の紅葉にとっては間違いなく全力。

 言葉にするならば全力全壊の一撃だ。

 人が受ければ間違いなく即死。大きな岩をも砕きかねないその一撃は間違いなく狂アクラ・ヴァシムへと甚大なダメージを与えたことだろう。

 狂アクラ・ヴァシムはそのまま砂に沈み、動く気配がない。頭からは黄色い体液が流れ落ち、体に力が完全に入っていない。

 死んだか?

 紅葉は堅骨鎚改を杖のようにして体を支えながら荒い息をついている。あれだけの力を振るったのだ。体にかかる反動も今まで以上なのだろう。

 流れ落ちるのは脂汗ではなく、疲労などからくる汗が次々と浮かんでいる。夜の砂漠は冷えるというのにここまで汗が流れているのは尋常じゃない事から、彼女にかかっているものの重さがわかるだろう。

 

「大丈夫か、紅葉」

 

 昴が紅葉の様子に気づいて一旦白猿薙【ドド】を戻し、彼女のもとへと駆け寄っていく。その向かい側では優羅が紅葉を見やり、そして狂アクラ・ヴァシムへと視線を移している。すうっと目を細めているそれは睨みつけているかのようだが、何か気になる事でもあるらしい。

 ふらふらとしている紅葉を支えるように左肩を貸している昴に気づき、紅葉にかかっている反動が思った以上に大きかったのだろうか、ともう一度彼女へと視線を移すと、優羅も二人のもとへと駆け寄っていく。

 

 だがあれだけの一撃を放ってなお、足りない。

 

「……っ、下がって!」

「……ギ、ギジジ、ギギギ……ギュルォォオオオアアアアアアアッ!!」

 

 優羅がそう言うのと、今まで反応がなかった狂アクラ・ヴァシムが動き出したのは同時だった。その後天を仰いで咆哮し、体を巡る体液が蒼色へと変化する。

 

「ギギギギッ!」

 

 最後の抵抗か、尻尾からさっきよりも勢いが増して体液が噴射される。自分を中心として周囲を一気に薙ぎ払うような噴射に対し、昴が周囲に残っている冷気を利用して三人を覆うように氷壁を張った。

 そんな中、優羅はしっかりと狂アクラ・ヴァシムを見据えている。

 

「……本当に、(いびつ)だ。恐らく今までにないパターンか?」

 

 視えているものは黒い力によって一気に体内から変化を起こしている光景。先ほど見た限りでは間違いなく狂アクラ・ヴァシムは死にかけていた。それだけ紅葉の一撃が凄まじく、生物としての急所を捉えた攻撃だったといえよう。

 つまり死んでもおかしくない一撃。よくて瀕死、その域に達していたのは間違いない。

 しかしどうだ、この狂アクラ・ヴァシムは。

 生命力は瀕死の域に達しているのに、それでもこの抵抗力。そして生命力に反したナニカが奥から湧き上がってくるかのようなものがある。

 人族でもそういう事は起こり得る。倒れてもおかしくない状態だというのにそれでもなお立ち上がる。その例がある事は優羅も知っている。

 だがこれはそんなものじゃない。

 恐らくあの狂化の種の影響の一つ。あの足の超再生と何らかの関係があるに違いない。

 

「……どちらにせよ、始末することには変わりないか」

 

 そう呟き、優羅は後ろにいる昴へと微かに肩越しに振り返った。

 

「……では、予定通りアタシで締めくくっていいんですね?」

「ああ、頼む」

「……了解しました。では――」

 

 目を閉じて小さく頷いて狂アクラ・ヴァシムへと向き直ると、ゆっくりとその瞳を開いていく。

 すると紅い目がギラリと怪しく輝き、優羅から気が膨れ上がっていく。一体どこにそれほどまでの気を隠していたのだろうか。その気質は今まで以上に大きく膨れ上がっている。

 だがそれだけではなかった。

 漆黒の気配。

 テッセン【烏】に纏われる漆黒の気は今までのはただの手加減だった、というかのように鋭く冷たい。

 作戦を考案した昴や、彼に支えられている紅葉も思わず冷や汗を流しそうになってしまうほどに鋭い気。

 狂アクラ・ヴァシムの前に立った優羅はじっとその紅い目で獲物を見つめる。その気迫からして睨んでいるんだろうと思うだろうが、そんな事は全くなかった。

 睨むなんてものじゃない。

 彼女はただ狂アクラ・ヴァシムを見つめるだけだった。感情を感じさせないその目が高められる気質とは真逆。

 だからこそ逆に恐ろしい。

 しかしそれが味方ならばそれは頼もしさを感じてしまう……なんてことは普通はないだろうが、紅葉は小さく口の端をひくつかせながらも笑っている。

 

「……もはや驚きを通り越したわね。どこまで行っちゃってるのかしら」

 

 それは称賛として呟いたのだが、それでも紅葉の言葉は真意だ。あんなものを見せられてはそう感じてしまってもしょうがない。しかも相手は10年ほど疎遠になったとはいえ彼女は同郷の幼馴染。

 こんなもの、普通のハンターが持ち得る技術とかそんなレベルじゃない。持つとするならば対人戦を専門としている戦士だろう。

 

「…………」

 

 こうしている間も優羅はそれを高め続けている。

 殺意はない。

 ただ目の前にいる狂アクラ・ヴァシムを討伐するためにそれほどの気質を高めている。感情のない眼差しい込められた意図は普通は測りづらいが、紅葉は少しだけわかった気がした。

 ただ狂アクラ・ヴァシムを討伐するだけではない。優羅は己の役割を果たす為に本気をここで見せつけようとしている。

 そう、彼女は本気を出すということで、昴と紅葉に本当の意味で自分の成長の証を見せようとしている。

 

(……とどめを刺す、それこそがアタシの役割。……なるほど、単純に考えて破壊力でいえば紅葉の方が上回っている。だからそういう面でいえば紅葉はダメージ稼ぎに向いており、大打撃を与える=瀕死に追い込むと考えられる。つまり追い込むならば紅葉向きといえる)

 

 紅い目が映し出す光景は通常のものとは違っていた。

 狂アクラ・ヴァシムを見つめている優羅だが、その漆黒の体の奥に蠢く黒い種。それが狂化の種。

 もう一つは狂アクラ・ヴァシムの体の一部が妙に光っている。それがアクラ・ヴァシムの弱点としている部位。

 現在は双剣を手にしているため、光っているのは尻尾が一番輝き、次に足、体と光りが弱くなりながらも光っている。

 図鑑によれば剣が有効とされている部位が書かれており、それが真実かは今もなお調査中とされていたが、優羅の目がそう捉えたのならば真実らしい。

 これは殺人鬼としての能力の一つだが、あくまでもこれは人体、モンスターの知識を持っているという前提がなければ意味はない。

 人体の構造を知識として把握していれば実際に相対した時にそれが反映されて視覚的に捉えられる。

 モンスターならばモンスターごとに特徴が変わっているため、一種ごとに知識がなければ視る事ができない。そのため完全初見状態ならば、こんな風に視る事は不可能なのだ。

 

(……こんな力を持っているが故に、単に相手を仕留めるだけならばアタシ向きだ。……昴がそれ……アタシの異質さに気付いたわけじゃないだろうけど、それでもアタシは昴に任された役目を果たしてやろう……!)

 

 高められた気をそのまま力に。鬼人化を開放すれば更なる力が優羅に纏われる。

 今の彼女は一人のハンターであると同時に、一人の殺人鬼候補だった人でもある。

 会得したものはハンターの技術に対人の技術。これらを組み合わせた技術を今ここに。

 

「ギジジジジッ!」

 

 噴射された体液が固まって作られた水晶は狂アクラ・ヴァシムを取り囲むように存在している。その大きさは尻尾についているものと比べて少しばかり小さくなったようなものだが、薙ぎ払うようにして噴射されたため、すべての水晶は連結しているかのように繋がっている。

 それらが一斉に震え始めたのだ。これは数秒後に爆発するというサイン。

 これらが一気に爆発するとなれば、その影響力はどれ程まであるだろうか。現在昴達を守っている氷壁はない。昴の魔力はサファイアの補助があるとはいえもう尽きかけている。紅葉を支えてはいるが、彼もまた汗を流しているのだ。

 隠しているつもりかもしれないが、微かに表情に影が差していることは優羅も気づいている。魔力のことだけじゃない。支えることに使っていない右腕の事もまだ尾を引いているんじゃないだろうか。

 一度だけ後ろを気にした優羅はテッセン【烏】を振りかぶり、右、左と順に薙ぎ払った。するとそれに合わせて水晶らの下、砂が一斉に爆発して水晶が上へと吹き飛ばされた。昴達の近くにあったものから遠くにあるものまで繋がっているもの全てが、優羅の爆発魔法によって舞い上がったのだ。

 そして水晶は優羅達の上空で一斉に爆発する。

 だが爆発の余波が狂アクラ・ヴァシムの足を封じている氷にひびを入れてしまう。少しずつ足が動き出し、ようやくその身が動き出そうとしている。

 

「……逃げられると思ったか」

 

 呟きは狂アクラ・ヴァシムへと向けられたもの。

 間に差し込んだ爆発魔法なんて大した事はないとでもいうように、高められた気はそのままにテッセン【烏】へと伝わる気質は深みを増している。

 

「……斬る」

 

 今ならまだ的だ。

 的ならばまだ間に合う。

 

「――閃剣・月光(げっこう)

 

 収束した気刃から繰り出される一撃は、その人の気質の強さに依存される。高められた気を収束し、放たれた気刃という名の剣閃は閃光の如く地を走り、対象を大地もろとも切り裂く剣術の一つ。

 それが閃剣。

 手にしている閉じたテッセン【烏】を振り上げれば、曲線状になった気刃が尻尾めがけて飛んでいく。横から見ればその形状は三日月のように見え、下部は背中の甲殻を切り裂きながら突き進んでいた。

 尻尾で二つの黒い月が交わり、斬属性に弱い部位とされている尻尾は気刃を受けて大きな傷を受ける。だが完全に切断には至らないようだ。

 

「――閃剣・五月雨(さみだれ)ッ!」

 

 瞬時に距離を詰めて狂アクラ・ヴァシムへと肉薄。迫りくる鋏を紙一重で躱した優羅はぐっと右手を引いて力を溜め、何度も突き出す。すると気刃ではなく気槍が幾多も繰り出される。先ほど使った剣術と同じものだが、先ほどよりも圧縮された気が狂アクラ・ヴァシムへと雨のように放たれている。

 

「ギ、ギギッ、ギジジジッ!!」

 

 狂アクラ・ヴァシムも鋏や尻尾で反撃しようとしているようだが、次々と襲いかかる気槍によって何もできないでいる。それでもじりじりと足を動かし、尻尾から体液を滴らせつつ何かをしようとしているようだ。

 

「……やらせないっ!」

 

 振りかぶられた鋏をテッセン【烏】で受け流しながら節へと突き出す。鋏が通じないならばと体全体でぶつかってきた。さすがにその巨体を受け流したり、防いだりすることは出来ず、一撃を受けて優羅が吹き飛んだ。

 

「優羅!」

「……問題、ない!」

 

 吹き飛んだ優羅を見て紅葉が叫ぶが、空中で受け身を取りながら優羅が応える。砂を滑りながら着地する彼女へと、尻尾から体液を高速射出。迫りくる体液を素早く横に転がってかわし、再び疾走。

 接近してくる優羅を見据え、狂アクラ・ヴァシムは何を思ったか彼女を飛び越えるように跳躍。だがその際に体を反転させ、尻尾から素早く水晶を切り離した。

 これにより、優羅の頭上から水晶が落下してくることになる。

 

「……ちぃ……!」

 

 それに気づいた優羅が砂に体を投げ出すように横へと飛ぶ。

 刹那、上空で爆発した水晶の爆風が優羅へと襲いかかった。

 

「ギッジュジュ!」

 

 勝った、と狂アクラ・ヴァシムは思ったことだろう。視線が離れたところにいる昴と紅葉へと向けられ、二人にもとどめを刺そうと走り出す。

 

「……行かせないッ!」

 

 爆風に煽られたはずの優羅が凄まじい眼光を狂アクラ・ヴァシムに向けている。足元を爆発させることで飛び出した彼女はまさしく空を切る弾丸。

 その体は水晶の爆風にあてられたことで傷つき、小さな結晶を未だにこびりつかせているが、それが月光に照らされて一種の美しさを作り上げていた。

 傷ついてなお美人。

 それを体現するが、しかし今の彼女は同時に相手を抹殺することを念頭に置く修羅。

 着地からの滑り。それによって二人の前へと踊り出ながら狂アクラ・ヴァシムの眼前を爆発させる。突然の爆発に一瞬だけ怯んだのを見計らい、完全にブレーキをかけて体勢を立て直し、彼女は跳んだ。

 先ほど突き刺した鋏の節を狙い、一息でテッセン【烏】を振りかぶり、高められた気刃によってそれを切断してしまう。確かに狂化によって甲殻は硬くなっただろう。しかし節は甲殻ほど硬くはなっていなかったようだ。だから優羅の気を纏ったテッセン【烏】によって数発で切断されてしまった。

 

「ギ、ギギ……っ!?」

「…………っ!」

 

 まだ気は残っている。

 相変わらず狂アクラ・ヴァシムにはどろりとした闇の気配が残っている。それが狂アクラ・ヴァシムを未だに動かし、戦いの空間へと留めて死なせないようにしているのだろう。

 一体どういうことなのかはわからない。理解も出来ないし、しようとも思わない。

 ただ自分は後ろにいる二人を守るためにこの力を振るうのみ。

 恐れはない。

 自分はもう一人じゃないのだから、何を恐れる事があろうか。

 逆に守るべきものが近くにいるのに恐れている暇などどこにもない。

 

「……はぁッ!」

 

 頭部へと狙って一撃与えればたまらず狂アクラ・ヴァシムが転倒した。それも腹を曝け出すように体を反転させている。そこまで隙を晒せばもはや遠慮など必要ない。

 優羅はこれで終わらせるとばかりに己の内側から気をひねり出し、全力を以ってしてテッセン【烏】を操る。

 モンスターというものは外殻こそ硬いことが多いが、内側、すなわち腹の部分は少し柔らかい事が多い。とはいえその部分も硬いが、外殻に比べれば柔らかいという違いだ。

 今の優羅の気刃は背中の甲殻にも傷を入れる事が出来るため、その部分よりも柔らかいとなれば、付けられる傷の深さも増す。

 腹には一定のリズムで気槍で何度も貫き、顎や首、突かれた部分を抉るように気刃が追い打ちをかける。

 それはまるで舞。

 突き詰めれば変則乱舞になるだろうが、このような攻撃法をやったことがあるとでも言うように優羅の乱舞は止まることを知らない。

 まさに剣閃が舞うように敵を斬り、衝く。

 

「……これでっ!」

 

 最後に右手の力を込めて斬り下ろせば顎から切り裂く一撃がとどめとなる。

 多くの傷を負った狂アクラ・ヴァシムの顔はもう限界だった。顎から顔が真っ二つになり、そうまでされては狂アクラ・ヴァシムだけでなく生き物が生きているはずもない

 その体はもうボロボロだ。鋏は切断され、顔は真っ二つに加えて紅葉の一撃によってほぼ半壊。腹は穴が多く空き、足は氷の名残が付着している。

 

「…………ふう」

 

 大きく息を吐けば高まった漆黒の気配が次第に落ち着いていく。冷たい空気が落ち着いていき、いつもと変わらない優羅がそこに戻ってきた。ゆっくりと肩越しに振り返り、小さく頷いてテッセン【烏】をローブに戻して静かに言葉を紡いだ。

 

「……討伐、完了です」

 

 

 ギルドに報せを送り、狂アクラ・ヴァシムの死体の近くに留まっていると、死体から闇の気配が少しずつ空気中にまき散らされていく。昴と紅葉はそれをうっすらと感じる事が出来ているが、優羅の場合は視覚的に視えている。

 それを見つめている優羅は少し妙な事に気づいた。

 

「……どこかに向かうかのような動きをしている」

「ん? どういうこと?」

 

 応急処置を優羅から受けている紅葉が彼女の言葉に反応した。傷を負っているのは今までにないくらい魔力を消費し、風魔法を使っただけでない。

 風を爆ぜて疾走したことによる足への反動。

 長く堅骨鎚改を振るい、なおかつ最後のあの一撃によってかかった両腕への反動。しかもそれはザザミアームにも影響を与えるほどであり、所々損傷している。

 昴も冷気によってフルフルDシリーズの一部が冷えて損傷し、狂アクラ・ヴァシムの攻撃の影響で所々ガタがきていた。通常のフルフルシリーズならば冷気には耐えただろうが、亜種である赤フルフルの素材を使ったフルフルDシリーズだと強くも弱くもなく、普通の装備としての守りになってしまう。

 だからこそ冷気を操るには多少の慎重さが求められる。今ではもう慣れているので、よほどの事が起こらない限りは自身を冷気で傷つけることはなくなっている。

 そんな二人は色々と反動などがあったために、優羅から応急処置を受けることになった。ドンドルマの一件でその手の腕もある事がわかっており、昴が何かする前に彼女が「……アタシがやります」と名乗り出た時に昴が「おう……」とそのまま押されて先に応急処置を済まされた。

 今はこうして紅葉の処置をしている最中である。

 

「……闇の粒子がヴァシムから出て、そのままあの周囲に停滞するかと思ったけど、何かに引かれるように粒子が少しずつ移動している。少なくともアタシにはそう見える」

「それはやはり、神倉朝陽の下へと向かっているという事なんだろうか」

「……それはわかりません。少なくとも北に向かっている事はわかりますね」

 

 目を細めてその動きを眺めていた優羅だが、その視線を追って昴と紅葉も見てみるのだが、やっぱり二人はその闇が視えなかった。

 ふと、優羅がぽつりと呟くように言葉を発する。

 

「……やはりこれは闇が増えている影響でしょうか」

「増えている……それはやはり彼らの計画が順調に進行しているということか」

「……そうだと思います。こんな砂漠でも闇が満ちているほどですから。その副産物なのかは知りませんが、その結果があの足の超再生に、紅葉の一撃を受けてもなお動こうとするあの異常さ。……生命力は尽きかけていたというのに……だからあそこまで斬ってしまったわけですが」

 

 その光景を思い返し、紅葉が手当てを受けながらまた苦笑いを浮かべてしまう。だがすぐに消え、目の前にいる優羅を真剣な眼差しで見つめれば、それに気づいた優羅が紅葉へと視線を向けた。

 

「優羅、頼みがあるんだけど」

「……なに?」

「あたしを鍛えてくれない?」

 

 その願いに優羅はじっと紅葉を見つめる。しかし紅葉は本気だった。

 今回の戦いで充分に思い知らされてしまったのだ。自分と優羅との実力の差を。HRの差の話じゃない。個人の実力の差が明確に表れている。

 だからこの先戦っていくために自らを磨く事にしたのだ。

 それに続くように昴も優羅に告げる。

 

「俺からも頼む」

「……昴」

「俺はまだまだ未熟だ。だから少しでも実力を高めないと、これ以降の狂化竜との戦いを生き残れない可能性がある。……だから優羅、俺を鍛えてくれないだろうか」

 

 頭を下げて言えば、紅葉もまた頭を下げる。そんな二人を優羅は少し驚いたような眼差しをむせていた。

 しかしそれも数秒だけ。

 すぐにそれに対する答えを口にする。

 

「……アタシは人に何かを教えることは苦手です」

 

 目を閉じて紡いだ言葉はなるほど、優羅らしい。ずっと一人で過ごしていた彼女が人に何かを教える、という事は恐らくこの10年間まったくなかったかもしれない。そんな彼女が自分の習得している技術を教えるなんてことは難しいだろう。

 無理か、と二人が思ったとき、「……でも」という呟きが聞こえた。

 

「……アタシが役に立てるのであれば、アタシは協力を惜しみません」

 

 優羅もまた頭を下げる。

 

「おお、そうか。ありがとう。最初は気刃について知りたかったが、こんな機会はめったにないだろう。だからお前の技術の全てを教えてほしい」

「……わかりました。昴が望むのであれば、アタシの全てをあなたに」

 

 見つめあう二人。交差する視線の中、二人だけの世界がここに存在している。

 だがここにはもう一人、紅葉がいるのだ。しかも優羅のすぐ傍に。

 そんな空気が生まれれば非常におもしろくないのが彼女だろう。

 

「……こらこら、あたしを置いていくな。……んっ」

 

 そのまま少し優羅を促して少しばかり昴から離れる。あからさまに咳払いして背中を押しているあたり相当おもしろくなかったらしい。優羅もその行動に特に異を示すことなく素直に従った。

 昴から五メートルほど離れたところでチラリと後ろにいる昴を確認した後、紅葉はそっと優羅に話しかける。

 

「っていうかさ、何を口走っちゃってんのよあんた」

「……ん? 何か問題でも?」

 

 一体何を言っているのだ? みたいな視線を紅葉に向ければ、彼女は頭に右手を当てて小さくため息をつき、首を振った。

 逆にお前こそ何を言っているのだ? という意味を含めたジト目を向けてやる。

 

「『アタシの全てをあなたに』って、どういうことよコラ。『技術』が抜けてるでしょうが」

「……ん? お前は何を言っている?」

「はい?」

 

 離れたとはいえ聞こえてはならないとそっと身を寄せ、耳打ちするかのように言えば、またしてもあの視線が紅葉へと向けられた。あまり変化はないようだが、優羅の視線からは間違いなくそんな視線が感じられる。

 

「……『技術』では物足りない。『身も心も』含めてアタシの全て。それが正解。要は文字通り『アタシの全て』ということ」

 

 そのあまりにもぶっちゃけた発言に紅葉は絶句して固まってしまう。その間にも優羅は適切な処置で紅葉の腕にテーピングしていく。やがて処置が終わると紅葉が、がしっと無言で優羅の両肩に手を置いた。

 それは突然の事だったものの、優羅は大して動じた様子がない。

 そんな中でじっと優羅を見つめる紅葉の表情は妙に無表情だ。それだけ優羅の発言で心がかなりかき乱されているらしい。ずっと傍にいて想っていただけに、そして優羅がかなりいい意味で性格が変わったことも合わさって、それはもうぐちゃぐちゃな状態だろう。

 それでも黙っていられず紅葉はゆっくりと口を開く。

 

「……それはやっぱりぶっちゃけすぎじゃない?」

「……でも真意。アタシはこの気持ちを隠す気はない」

 

 ドンドルマの一件で優羅は自分の気持ちを昴に告げたりキスしたりしてはいるが、それを紅葉はまだ知らない。

 正直言って紅葉は優羅がここまで行動するとは思っていなかった。話すようになったな、とか強くなったな、とかぐらいで留めてはいたのだが、まさか恋愛方面まで動くようになるなんて……。

 もしかするとあの頃の自分達が反転してしまっているかのようだ。

 想ってはいるも昴の気持ちを感じ取って一旦心に秘めて遠慮した紅葉と、想い続けて再会し、正直にぶつける優羅。幼い頃のままならばこの行動は反対だろう。時の流れは人を変えるだけでなく、環境も変わって行動も変わる。

 色々な事があって今の優羅がいる。

 色々な事があって今の紅葉がいる。

 そんな風に思える。

 少しだけ目を閉じて軽く自分の胸に手を当てた優羅は言葉を続けた。

 

「……この10年、色々あって何度か諦めた。諦めようとした。それでもアタシの中にある感情は消えなかった。……ならばとアタシはこれを受け入れて突き進んできた。もう偽るのも目を逸らすのもやめた。だから紅葉には悪いけど、アタシは手加減しないから」

「……っ」

 

 それは新たな宣戦布告。

 優羅の事情を悟った紅葉は息を呑むが、ミナガルデでの一件を思い出して言葉を飲み込む。過去の事は何も関係ない。大事なのは自分達の気持ちであり、昴がどう受け止めるかだ。

 もう、遠慮する時間は終わったのかもしれない。それは優羅と再会した時から訪れたのだろう。昔からのライバルが再び目の前に現れ、三角関係はここに蘇る。そんな予感は恐らく優羅と再会する以前からわかっていたことだ。

 幼い頃から自分達は昴の事をただの幼馴染や兄として見ると同時に、淡い恋心を持っていた。それが明確になったのはこの10年の間。これもまた時間の流れの中での変化だ。

 頼もしい仲間は同時に手ごわい恋敵でもある。物語の中でよく知る関係だが、なるほど本当に起こり得る事なんだな、と紅葉は感じた。

 

「……わかったわよ」

 

 漏れた言葉に優羅が僅かに目を細めた。

 一息ついた紅葉の表情はどこか吹っ切れたような雰囲気があったからだ。

 

「今まで押し込めて我慢してきたけど、優羅がそう決めたんならもう遠慮しなくていいか」

「……ん。というか、前にそういう意味も込めて言ったつもりなんだけど、まだ遠慮してたのか」

「んん、やっぱそうだったか……はは。でもあんなもの見せられたらもう吹っ切れるしかないでしょ」

 

 どうしても優羅の境遇に対して負い目があったために遠慮がどこかに残っていた紅葉だったが、もう迷う必要はなくなった。

 それだけ気にしてしまうほど紅葉は優羅の事を大事に思っているという証だ。だからこそ昴の事に関しても無意識のうちに遠慮してしまう。でもそんな必要はない。逆にそんな事されては許さん、という風な雰囲気も感じられる。

 妹のように思っていた小さな少女はこんな風に大きくなっている。逆に自分が優羅に世話になっているような、いいようにされているような気がしないでもないが、その辺りも追々何とかしてやろうじゃないかと陰で意気込んでみる。

 

「じゃあ昴の事も、修行の事もよろしくね」

「……ん、どっちも遠慮しないから。それと」

「ん?」

「……色々と遠慮しすぎ。紅葉はもっとアタシらを引っ張ってくれて構わないから。それが紅葉でしょう?」

 

 耳が痛いことを言われてしまい、苦笑しか出ない。

 そんな紅葉に追い打ちをかけるように、とん、と胸と軽く右手で叩いた優羅は目を細めたままぼそりと呟く。

 

「……これ以上見苦しい姿を見せるんだったら、殴ってでも目を覚ませるところ」

「ちょ、それってあたしの役割じゃない!? 主に拳系な所が!」

「……知らん。それくらいアタシは少しばかり憤っている。そういうところは紅葉のキャラじゃないだろうに」

「それはちょっとごめんって思ってるけどさ、ってかキャラって何よキャラって」

 

 さっきまでの雰囲気はどこへやら。優羅が少し紅葉を抉るようなツッコミや言葉を発し、それに対して紅葉がツッコむという図式が出来上がる。昔とまるっきり変わった掛け合いだが、どこか二人らしい光景がそこにあった。

 それを離れた所でそれ離れたところで眺めている昴は、少し寂しさを感じながらも微笑を浮かべている。よもや自分の事に関して話していたとは思いもしないだろうが、あんな風に年頃の女の子のように話をするのはいいことだと小さく頷いていたりする。

 話している内容は聞こえないために二人の表情でどんな事を話しているのだろうかと想像するしかないが、そんな事が昴にわかるはずもない。

 なので視線を外して軽く辺りを見回す事にした。

 

(それにしても俺達の実力もそうだが、装備もそろそろ新調するべきか)

 

 狂アクラ・ヴァシムの死体を横目に見た昴はそんな事を考える。

 フルフルDシリーズもザザミシリーズも強化はしているが、それでもこの先戦っていくには少し不安がある装備だ。スキルの事も考えて揃えているものの、上位ハンターならば、そして今回の敵の力を考えれば、装備を新調するという選択肢が出てくるのは仕方ない。

 優羅もガルルガシリーズをつけているが、これも下位では中盤の装備だ。守りの硬さはあるも、上位モンスターも中盤までくると不安が出てくる装備ではある。

 

(これもいい機会だ。修行と並行して新しい上位装備についても考えてみるとしよう)

 

 これからの方針はこれでいいだろうと考え、もう一度二人に視線を戻した。相変わらず何かを話しており、仲がよさそうな雰囲気がここまで伝わってくる。実に楽しそうだ。

 

(……ま、邪魔をするのは悪そうだ。ギルドの人が来るまではそっとしておくか)

 

 そう考えて昴はその場に佇み続ける。

 その間も紅葉と優羅は昔はこんなことがあったとか、お前はこんな風だったとか話しつつもツッコミをしあっている。でも険悪な事にはならず、多くは笑い話で済ませていた。

 これが10年の時の空間を埋める事になり、積もる話は色々と多くある。無意識に作られた遠慮という名の壁や溝はあったろうが、今回の事でその壁は取り払われ、溝はかなり縮められただろう。

 どんなに変わっていても幼馴染は幼馴染だ。遠慮する事は何もない。

 

 その日の夜は三人にとって大きな変化を生み出した夜となった。

 

 

 

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