「はっはああああァァァアアアアア!! どうしたの!? これで終わりなのかしら?」
心情世界での戦いは狂気を具現化した桔梗の優勢だった。
繰り出される格闘術に、ただ守りに入るがままの桔梗は歯を食いしばってじっと相手を見据えている。
なんと醜悪なことか。
歪んだ笑みを浮かべたまま怒涛の打撃を繰り出し続けている狂気は、狂ったように笑いながら攻めたててくる。
(これが、
狂化竜を前にした自分はこんな風に戦っていたというのか?
本当にこれが……山吹桔梗だというのか。
(……ふふ、なんと醜い。見るに堪えないものですね)
自嘲するような笑みが浮かび、突き出された拳を避けつつその胸へとカウンターを放つ。うめき声をあげる狂気へ追撃するように、下がった頭へと裏拳を打ち、掌底で吹き飛ばしてやった。
(――だからこそ、私はお前を受け入れましょう。己の闇を受け入れ、力とする。そうしなければいつまで経ってもクロムさんを安心させてあげられませんわ)
「……っ、あなた……!」
空気が変わったことを察知したのだろうか。狂気は驚いた眼差しを桔梗へと向けた。
そんな狂気を見据え、桔梗は構えを取る。その顔からは笑顔が消え、真剣な眼差しが狂気を射抜いている。
そこにあるのは壊れてしまった感情じゃない。
敵を討つ戦士の表情をしていた。
「来なさい、狂気の私。まだ戦いはこれからですよ?」
「……覚悟、決めたのですね?」
「ええ。あなたを打ち倒し、己の闇を制御します」
「ふふ、いい表情するようになったじゃない、桔梗。いつの間にそんな感情を取り戻したのかしら?」
ざわりと狂気から闇が吹き上がる。
「よもや、私の狂気がこれくらいだったとお思い? あの日生まれた狂気はこんなものじゃない。その笑顔の仮面の下に、これほどまでの負の感情をため込み続けたのよ! それを全て受け入れ、飲み込もうというのならばどうぞ。飲み込んでみせなさいなッ! アハハハハハァァァァァ!!」
闇は狂気全てを包み込み、彼女を漆黒の影のように姿を変えた。目と口元だけが赤く光り、その醜悪さをより際立たせる。しかし桔梗はそれを見ても引き締めた表情を崩さなかった。
揺らめく闇の残滓を残し、狂気が動く。
向かってくる狂気。それは自分を堕とそうという負の感情。
痛めつけるということは、あれを拒絶するということ。
あれを受け入れるということはすなわち――
「――来なさい、
両手を広げて桔梗は不動のまま自分へと殴り掛かってきた狂気を受け止めた。
目覚めた桔梗はひどく汗をかいていた。思わず座り込んでいた体勢を崩してしまうほど、彼女はかなり苦しい状態にあったらしい。
窓から差し込んでいたはずの太陽の光はもうない。いつの間にか日が暮れてしまっているようだった。
「おかえり、桔梗」
「はぁ……はぁ……、月、さん……?」
壁にもたれかかっていた月が布をそっと差し出してくれる。それをぼうっと見上げている桔梗の様子は苦しげではあったが、何かが変わった様子はあまり見られない。
しかし月は微笑を浮かべている。
「……どうやら戻ってこられたようだね。手ごたえはあったのかな?」
「……はぁ、ふぅ……ええ、何とか」
汗を拭きながら桔梗は何とかそう応えるだけ。
己の心と向き合うということの難しさを、文字通り身を以って思い知った。あれほどの負の感情をこの体にため込んでいたとは思いもしなかった。それを全部ぶつけられてしまったのだ。辛くないはずがない。
「それは何より。でも、完全に制御しているわけではないようだ」
「……はい。今日できたことはただあれを受け入れる事だけでした。あとはこれを何とか言う事を聞かせるだけです」
「……大丈夫かい?」
「ええ。駄々っ子に言う事を聞かせるのは、多少は心得がありますわ。そこまであなたの手を煩わせるつもりはありません。ありがとうございました、月さん」
息をついて頭を下げる。そんな桔梗に月は「ああ、頑張るんだよ。桔梗」と穏やかな笑顔を見せた。
○
ある日の夜、ここはとある樹海の少し開けた場所。
周りは木々に覆われており、夜という事もあってかなり薄暗い場所になっている。空に浮かぶ月の光は生い茂る木々によって遮られる中、誰かがその場に存在していた。
何事かを話し続けているが、そこにいるのは一人だけ。
だが声は二つ。
『……ほう。やはりそこにいたのか』
「はい。偵察に放った使い魔をそちらにお送りいたします。それでご確認くださいませ」
その何者かは跪いているのは黒装束を身に纏っている。素顔を隠す為に仮面を隠しているが、声からして若い女性という事だけが分かる。
彼女の前には岩にとまっている黒い鳥がいる。その夜のように蒼い瞳はじっと彼女を見つめているが、嘴を動かさなくても声が聞こえてくる。
これは彼女が従っている主が遣わした使い魔の鳥。魔力によって練り上げられた存在であり、夜の闇に溶け込むほどに黒い体は、夜に行動する事に適している。
『月もいるならばシュヴァルツの血統であるあの小僧二人を鍛えようという魂胆だろう。ならば多少の変化はあるだろうな。……いいだろう、計画の一つを実行しよう。フラヒヤ山脈に“レイダー”を送りこめ』
「……“レイダー”を、ですか?」
『そうだ』
その単語に女性は少しだけ驚いた様子を見せる。
彼女らにとってその名前は特別な名前だ。彼女の主が持っている駒の名前の一つであり、その駒は主が持っている駒の中でもかなり特殊な部類に入る。
そんな“レイダー”を投入するという意味を考えた女性は、あのシュヴァルツの兄弟の命運はほぼ尽きたのではないだろうかと推測した。
だがあちらにはあの神倉月もついている。彼女の実力ならばまだ命運は完全に尽きたわけではない。故にほぼ尽きた、だ。
「承知しました。……しかし我が主」
『なんだ?』
「神倉月がいる中、“レイダー”を投入しても、あの兄弟は完全に死ぬとは限らないのではないでしょうか」
『……ふっ、それは百も承知よ。故にタイミングを見計らっている。山の奥からあの猿が動き出しているようだからな、それを狙って投入せよ』
「はい、我が主」
一度頭を下げた女性に対し、鳥は一瞥するだけで声をかける事なく飛び去って行った。それを見送った女性は一息つき、黒衣の中に手を入れて一つの手帳を取り出した。
ページをめくっていきながら女性は現在の状況を思い返す。
放たれた狂化竜は確かに計画通りに闇をばらまいている。優秀なハンターやギルドナイトによって狩られているが、その分だけ闇は増加していく。
さて、狩られている狂化竜のリストを見る限りではなるほど、ある程度の顔ぶれが消えている。モンスター大全に載っているリーダー格のドスランポスから始まり、飛竜であるリオ種は全滅。
中級レベルであるガノトトスも狩られ、ダイミョウザザミも狩られ、ショウグンギザミも一部が狩られている。
最近は狂ナルガクルガも死んだらしいが、まだ他にも中級レベルから上級レベルが生き残っている。“レイダー”もまたその中の一種。しかもあれは通常体でも上級レベルに位置する存在だ。
それが狂化した“レイダー”。
神倉月でも苦しいか、あるいはそれでも容易く狩られるか。
「……現在はここですか」
開いたページには“レイダー”という見出しが書かれ、様々な事がページいっぱいに書かれている。その能力、特徴をはじめとした情報は当然とし、“レイダー”の現在地まで書かれている。
そこにいけば“レイダー”が徘徊している。
「眠りが通用しないからタイミングを見計らって送るしかありませんか」
手帳を閉じながら呟き、女性は指を立ててそっと前に差し出した。
「
下ろされた指に従うように景色に裂け目が生まれていき、その先には雪原が広がっていた。黒衣からホットドリンクを取り出して中身を飲み干して寒さ対策をすると、女性はゆっくりと裂け目を潜り抜けて雪原へと足を踏み入れた。
「さて、探すとしましょうか」
白い吐息を銀世界に溶かしつつ、黒い影はゆっくりと消えていく。
今ここに、フラヒヤ山脈に小さな変化が起こされることとなった。
使い魔を通じて会話を終えた彼は夜空を飛行しているそれに命令を下し、自分の下へと向かってくる彼女の鳥の到着を待っていた。
なびくは銀の布。深くかぶったフードがその顔を隠し、彼はただ静かに空を見上げている。
周りは話していた彼女と同じく乱立する木々によって闇を作り上げているが、その濃度は彼女がいた場所よりも深い。空へと伸びる木々は月や星の光さえもほとんど遮ってしまい、視界はかなり悪い状態になっている。
ここはただの森ではなく、樹海と呼ばれる未開の地だ。彼はあの日からまだこの樹海から離れる事はなく、ここで静かに大陸の状況を眺め続けていた。
要所に滞在している自分の駒の三人から送られてくる情報を吟味し、計画にずれが内容に調整していると、先ほどの彼女からの報告が届いたのだ。
ドンドルマの一件から雲隠れしたシュヴァルツの血統であるあの兄弟の現在地。神倉月と共にドンドルマから離れたことは知っていたが、どういうわけかそのまま尻尾が掴めなくなってしまった。
彼女が何かをしたのだろうと思っていたため、大して慌てるようなことはしなかったが、ようやく発見されたとのこと。
「……来たか」
木々の間をすり抜けるように一羽の黒い鳥が舞い降りてきた。それは彼の指先に止まり、そして粒子となって彼に吸い込まれていく。
だがそれでいいのだ。
これは魔力で練られた存在のため、鳥が記憶したものは粒子となる。それが彼へと吸い込まれたということは、記憶したものがすべて彼へと吸い込まれたことに等しい。
逆に言えば対策しなければ無関係の者に情報が渡るという事だが、そんな下手をするほど彼らは甘くはなかった。
(……なるほど。流石は月といったところか。あの村の結界に重ねるようにして迷彩結界を張ろうとは。道理であの村の住人以外の存在が感じられなかったという事か)
鳥が得た情報を解析した彼はつい口元に冷たい笑みを浮かべてしまう。
迷彩結界とは特定の人物の存在を隠してしまう効果を持つ。
ポッケ村は元々結界によって、ある程度世間から隠されるようにして存在している村だが、普段から出入りしている者達からすれば普通の村と何ら変わりない。
言い換えれば素通りさせられているといってもいい。存在感が他と比べて希薄な村なのだ。
そんな効果を持つ結界に重ねるようにして月は迷彩結界を張ったようだ。現在修行しているライム達と自分を隠すように設定した迷彩結界により、大陸を監視している彼らの目からライム達を隠した。
しかしそれは暴かれてしまった。彼女の使い魔による探りによって存在が明らかとなり、彼に伝えられてしまった。更に駒の一つが派遣されることになる。
(これで月がどう動くかだな。くく、そのタイミングはアレならばうまくやってくれるだろう。……さて)
頭の中に浮かんだ流れの通りに彼女が動くだろうと判断し、ポッケ村についてはひとまず置いておくことにした。
なぜならば彼の背後には一つの気配が存在していたのだから。
「いつまでそこで見つめ続けるつもりか、朝陽」
振り返らずに呼びかければ、木の陰から静かに夜色のローブに纏われた女性、朝陽が出てきた。フードの下にある暗い藍色の瞳がじっと彼、アキラに向けられている。
それを知ってなおアキラは特に行動を起こすことはなく、ただそこに佇むだけ。朝陽の瞳に宿る雰囲気はアキラもわかっているはずだが、彼は余裕という名の自然体のままだ。
「何か儂に用でもあるのか?」
「…………わかっているはずよ、アキラ」
「はて? 何か話す事でもあったか? 報告は以前した通りのものだが、何か問題でもあったか?」
あっけからんと言いながらアキラは肩越しに朝陽へと振り返った。
そこで視線が交差する。
睨みつけるようにしてアキラを見つめる藍色の瞳と、それを受け止めながらも何の感情も感じさせない赤い瞳。
夜風が森を吹き抜け、纏う布が揺らめいても二人は動かず、ただ見つめ合うだけだ。
頬を撫でる冷たい風はただの自然現象か、あるいは二人の雰囲気によって低下した気温の表れか。少しずつピリピリしていく空気は、モンスターにも感じているようで二人へと近づこうとする気配はない。
どれだけそうしていただろうか。朝陽は一息ついてアキラへと問いかけた。
「……前から思っていたのよ。貴方は確かに裏でよく動いている。私が思った以上の結果を持ち寄ってくれたわ。しかし同時に考えていた。貴方の下で動く私が知らない存在」
「……ほう?」
「さっきの使い魔、それが貴方の下で動いている者ね? それはいったい誰かしら?」
アキラは今まで報告すること以外の情報はほとんど提示していない。それは朝陽の下についたときから変わっていなかった。自分の実力を見せ、どれだけ情報収集力があるかを示したのだが、それが自分の全てはないという事は当然の事。
そしてそれは朝陽も察していた。
これだけの実力を持っているのだ。仲間だからといって実力の全てを公開する程アキラは甘くはないと睨んでいた。
しかしそれを指摘してアキラが裏切るかもしれないという危険性も孕んでいたため、今まで何も言わずに泳がせ続けていた。完全に信用しないが使えるならばうまく使うのみ。
だがこうして現場に立ち会ってしまった。計画も第三段階に入っている。そろそろアキラの秘匿していた一端を暴いても問題ない時期となった。
アキラの下にいるのは誰なのか。
情報収集だけでなく他にも自分の知らないところで動いているという疑惑もある存在だ。大事な段階に差し掛かっている今だからこそ、
「話せないのかしら? 今まで追求しなかったけど、私に隠れてこそこそと動く貴方は一応把握していたわよ。今まで見逃していたけどそろそろ見逃せなくなってきたからこうして出向いてきたわ。……アキラ、貴方も私を裏切るのかしら?」
「……ふっ、何も心配する事はない。アレはお前で言う所の儂の“駒”の一人。儂の為に情報を集め、動いてくれる存在よ。……そら、こいつのことだ」
そう言ってアキラは自然に指を立てる。すると二人の間に光が発生し、一人の人物を作り上げた。それは先ほど会話していた彼女の姿。それを見た朝陽は少し眉をひそめた。
「この娘、確か…………ああ、そういうこと」
「察しがいいな、朝陽。だからこそアレは裏で動きやすくなっている。これからも儂、ひいては主のいいように動くだろう。ならば何も問題はあるまい?」
「そうね……と言いたいところだけどそうもいかないわね」
ふっと笑みを浮かべながら首を振る。
「貴方もまた独自に狂化竜を作り上げているんじゃないかしら? そのデータを貰いたいのだけど」
そう告げた朝陽は先ほど以上に瞳に力が宿っている。対してアキラはそれでも表情を変えていない。まるで朝陽の気迫など、そよ風のように涼しげな様子で小さく笑い声を漏らした。
「なるほど、ようやくそこにつっこんだか。一体いつそれについて問いただしてくるかと思ったが……それとも今まで本当に気付かなかったか?」
「確信犯というわけね」
「なに、特に問題はあるまい? サンプルの数が多ければ多いほど主にとって得であろう? それだけ力を集められるのだから。儂は今までの実験の成果を踏まえて数を増やしていただけだ」
そこに悪びれる様子など何一つない。自分は朝陽のために動いたのだから責められることなど何もない、と言いたげな雰囲気を放っている。何という傲慢な態度だろうか。
しかしそれがアキラである事はわかっているため、朝陽は特に何も言わずに追及を続けた。
「ならば報告してもいいんじゃないかしら?」
「ふむ、報告はしたぞ? ドンドルマ襲撃の際に用意したリオ系統、火山のものに雪山のもの。……ああ、確かに漏れたものはあるが、報告自体はしておる」
「……どうあっても非は認めないというわけね」
やるべきことはやったし、全ては朝陽の得になる。報告漏れがあったことは認めるが、それ以上の実を朝陽に与えたのだ。ならば何も問題はないとアキラは笑みを浮かべたまま言外に告げる。
ここまで堂々としているとは朝陽にとっては少々予想外だ。何か少しでも弁解でもするのかと思ったのだがそれが全くないとは。
「さて、話は以上か? 儂も他に調べる事があるのでな。これで失礼させてもらうぞ」
「……ええ、行くといいわ」
やれやれとため息つきながら言えば、アキラはまたうっすらと笑みを浮かべて背を向け、深い森の奥へと歩き去って行った。
(いつかはこんな日が来るとは思っていたが、ようやくといったところか。だがそれでいい。その方がこちらも次の一手を打てるのだからな。……くくく、撒き餌は垂らされた。後は釣られるのを待つのみよ。……そう、替え玉の役目を果たしてもらう準備を進めるとしようか)
心の中で呟くアキラの背中を見つめるのは、まだ複雑な色合いを持ったまま睨み続ける朝陽。あのまま問いただしてものらりくらりとかわし続けるアキラが目に見えている。
しかし今回の事で見えたことがある。
アキラの下にはあの女性がついている。もしかすると他にも何人かいるかもしれない。彼女らがアキラが集める情報の一端を担い、狂化竜を秘密裏に増やしていた。
今まで普通に自分に従っていたように見えて実際はアキラもまた何か目的があったに違いない。でなければ秘密裏に動く理由はない。
だが何か心に秘めていたのはわかっていたが、その何かが見えないほど暗いものだとは。少々侮っていたのかもしれない。
(だとしてもやることは変わらないわ。……アキラ、そのまま裏切るというのならそれでも構わない。貴方の役目はほぼ終わっている。ならば予定通り遂行するのみね)
今回の質疑はこの先遂行する計画を始動するか否かを決定するものだった。シロならばまだ彼を上手く使って計画の大元を動かす。第三段階は何の問題もなく流れていくはずだった。
しかしそれに追加する計画が発生した。
(残念ね、アキラ。でもそれが私。利用できるならばその最後まで利用し尽くす。全ては私の目的のために。月を殺す為に……!)
それが彼女を突き動かす原動力。それを果たす為にどれほどの命を犠牲にしようとも構わない。今更引き返すような事はしない。
例え小事が失敗しようともこの流れならば大した問題ではない。アキラが増やしたという狂化竜がより一層闇を集めてくれる。その点においてはアキラを評価してやってもいい。いや、むしろそれがあったからこそ今まであまりアキラへと何か追求する事を控えていた。
もはやそれをする意味はない。
ゲイルとアルテにしたように、アキラもまた切り捨ててやるのみだ。
○
太陽が空高く昇る頃、昼食を取り終えたライムとシアンは鍛冶屋へと足を運んでいた。
ライムが撫子に依頼をしてから既に一週間が経っている。撫子は彼の依頼を快く引き受けてくれた。自分が開発した新しい武器を早速実戦で使ってくれるのは、作り手としては喜ばしい事であり、実戦で使う事で更にデータが集まり、より一層改良が進む。
彼女が作った武器は母親でありハンターである花梨が主に使っていたが、それだけではなかなかデータは集まらない。最近は月もデータ集めのために武器を手にして戦いに赴いてくれているため、撫子の開発は右肩上がりでペースが上がっている。
そんな撫子から連絡が来たため、二人はこうして鍛冶屋を訪れる事になった。先にライムが扉をノックし、中へと入って声をかける事にする。
「こんにちは」
「はいは~い、いらっしゃ~い」
すぐに奥の作業場から撫子が出てきて笑顔で迎え入れてくれた。ずっと作業していたのだろうか。彼女の額には汗の雫が浮かんでいる。かけているメガネは相変わらず曇っていないが、それにつっこむことはもうなくなった。
父親である岩徹と共に、通常業務である武器と装備の調整も行っている中、自分の趣味である武器の開発も行う撫子はなかなか休める時間がないといってもいい。しかし彼女は常に笑顔を絶やさない。
恐らく昨日も徹夜でシアンに渡す武器を調整していたのではないだろうか。その為あまり寝てないように思うのだが、それを感じさせない程に柔らかな笑顔だ。それが撫子のいい所だ。
「えっと……出来上がったと聞いてきたんだけど、ほんとですか?」
「うん、出来たよ~。早速裏に回って実際に手にしてみてね」
シアンの言葉ににっこり笑ってそう言い、作業場に向かう扉の隣にある裏口の扉を開けて向かうように示した。撫子自身は作ったものを取りに作業場へと向かっていくようなので、二人は先に裏へと向かうことにした。
裏の広場には先に岩徹がいた。どうやら撫子が作った武器を試していたらしく、その手にはあの超速射のボウガンが握られている。
「ん? おう、らっしゃい。あれを受け取りに来たのかい、嬢ちゃん」
「はい、そうです。えっと……岩徹さんのそれは?」
「これか? こいつぁ撫子が作った超速射搭載のライトボウガンよぉ。我が娘ながらあの才能と創作意欲は目を見張るもんがあらぁ」
左手に持ったボウガンを撫でながらそう言う岩徹の口元は、作った娘を誇らしく思っている笑みが浮かんでいた。岩徹自身は腕はあるものの、新しく作ろうという気持ちはあまりない。
鍛冶屋を務める以前はハンターを務め、華国では普通に鍛冶屋を営んでいただけだ。自分で素材を取りに行く事もあるが、それ以外に何かしていたわけではない。
数年前に華国の魔族狩りが発生して一家そろってこのポッケ村に身を寄せてからは、家族を守るという目的も追加されている。ハンター時代は竜人族ということもあって上位以上の実力を持っているため、何かあった時は花梨と共に戦える。
種族に反して愛娘が三人もいるため、岩徹はまさに一家の主として武器を手にして戦う事を厭わないだろう。
何にせよ自分の家業を継ぐ娘が素晴らしい鍛冶職人に成長している事は、親として、師匠として喜ばしく、同時に誇らしい。一時は女性が職人になるのはどうなのだろうか、と考えはしたものの、彼女の才能を見出してからは迷いを捨てて自分の持つ技術を全て叩き込んだつもりだ。
趣味として武器開発を始めた時は驚いたものだが、それは今もなお変わらない。彼女の想像力とそれを実現させる技術から作られる武器は岩徹を驚かせ続けている。
「その紫色の鱗はもしかしてイャンガルルガのものでしょうか?」
「おお、よぉわかったな坊主。耐火性と素材が持つ丈夫さ、軽さを求めた結果ガルルガの素材が選ばれたってぇ話だ。超速射をすると何度も弾丸が放たれるからなぁ。火薬と摩擦熱に耐えるため、耐火性のある素材は必須ってわけよぉ」
「なるほど……。それで改良の調子はどうなんでしょう?」
「あぁ……路線としてはわるかぁないんだがな、数発撃っただけでちょいとガタがきちまうんだな。弾丸の複製も超速射の速度に対応するためにほれ、こんな風にリボルバーにしてみるという工夫もしたらしいけどよぉ、回転速度を調整しねぇとモーターがいかれちまうという欠点もあらぁ。まだまだ課題は山積みよぉ」
一つ一つ問題点を指しながら説明し、参ったなという風に頭を掻いているが、表情は暗くない。むしろ職人魂が刺激されるようで笑みを浮かべている。娘の趣味だが、ハンターの戦力上昇という実益も兼ねているため、岩徹も共に腕を振るっている。
ただ作るだけでなく実際に使い、問題点を見つけるという役目も担うため、岩徹の存在は必要不可欠である。
しかし元々剛種武器であるはずのライトボウガンを、上位以上の素材で再現してしまうのは素晴らしい。確かに問題点はあるが、こうして実験できる程に再現できるのはそうそう出来ない事だ。
「そうだねぇ。でも、だからこそやりがいがあるってね~」
裏口から出てきた撫子がその手に見たこともない武器を握りしめて出てきた。新緑色の鱗を使用し、両刃の刀身は鈍い光を放っている。特に装飾されているところはなく、シンプルに武器であることをその剣自体が物語っていた。
またダブルセイバーは片刃であることが多いが、撫子が作ったそのダブルソードは両側が刃になっている。
「はい、これが出来上がったシアンちゃんの新しい武器だよ~」
「これがわたしの……」
渡されたそれを受け止めると、ずっしりとした重みが両手にかかった。だがこれくらいの重さは慣れたものだ。しかしこの重みは実際の重さとはまた違った重みもある。
これは他にはない新しいカテゴリの武器だ。つまりデータが少ない。撫子と岩徹の手によって作られ、花梨と月の手によって実践検証されているものの、まだ市場に出回っていない代物だ。
自分が初めて客として、この“ダブルソード”を手渡されたという重みが感じられた気がした。
「さて、ちょっと試し斬りをしてみたらどうかな? ダブルソードだけじゃなくて、ダブルセイバーも初めてでしょ?」
「あ、はい。そうですね。お父さんとお母さんもダブルセイバーを使ったことがないから、どういう風に使うのかよくわからないです」
「じゃあ私が手本を見せてあげよう」
背後からそんな声がかかり、振り返ればそこには微笑を浮かべて広場に入ってくる月の姿があった。なびく青いローブから取り出したのは、撫子から受け取ったと思われるダブルソード。
実験段階を抜け切っていないようで、良質な鉱石のみを使用したシンプルなダブルソードだ。しかしただの鉱石剣ではなく、彼女らの手によって磨き上げられ、加工されているため切れ味は鋭い。
日の光に当たって反射している鈍色の刀身は、シアンが持っているダブルソードと同じく両刃だ。軽やかにそれを回転させてみせると、シアンは月の手つきをじっと見つめているのがわかった。
早速その目で月の技術を盗もうとしている。
武器を回転させるには指をどういう風に動かせばいいのか。やっている人をみれば実に簡単そうに見えるが、実際のところはそうはいかない。
二つの剣が繋がっているだけあって重量はなかなかのものであり、大剣程ではないにしろ腕の力を必要とする。
さらにダブルセイバーは主に回転を付ける事で遠心力をつけた斬撃と、連続攻撃、気刃の応酬を特徴とした武器だ。それを行使するための力も必要となる。
「――っと、基本としてはこんな感じかな」
「ふむふむ……なるほど、こうかな?」
先ほどの月の手つきを思い返しながらシアンもまた手にしているダブルソードを回転させ始めた。まだ少しぎこちない部分はあるが、何度かそれを繰り返していくうちに慣れたような指使いでダブルソードを回転させている。
「よっ、ほっ、やっと……」
右手から左手へのアプローチ、頭上で回転させて振りおろし、両手で持って自分の周りで回転させる。最後のは気を込めていれば、アルテが狂ラギアクルス戦で使ったような気刃乱舞となる。
だが一回見ただけでここまで再現できるのは普通じゃない。才能ある者ならばわかるが、シアンはそれがあまり感じられないのは岩徹と撫子にもわかっていた。
良くも悪くも一般的。言い換えれば普通。
それがシアンだった。
しかしシアンは月の技術を見事に盗んでしまった。それが二人には信じられなかった。
「こいつぁびっくりだな。ワシも職業柄色んなハンターを見てきたつもりだが、この嬢ちゃんみたいなハンターは初めてよぉ」
「そうなんだぁ。わたしはこの村でしか仕事したことないから数は少ないけど……シアンちゃんがちょっとすごいっていうのは何となくわかるかな~?」
岩徹の場合は東方で花梨と共にハンターをしていたことと、鍛冶屋を勤めていたという事もあってあちらで様々なハンターを見てきている。
だからこそわかる。シアンが普通ではない何かを秘めている事を。
「才能あるハンターなら初見で技術を盗むってぇのはわかる。……しかし嬢ちゃんが初見でそれをやっちまったってぇのはワシには信じられねぇな。坊主、あの嬢ちゃんはなんか持ってんのか?」
「ええ、まあ……月さん曰く『トレース』の才能があるとか」
「ん~そうなんだぁ。それはいい才能だね~」
トレースという単語に二人は納得したらしい。鍛冶屋もまた教わるよりも目で見て技術を盗む事を主としている。シアンのその才能があれば親の技術をたった数日で完全に会得する事が可能だ。
だがその才能は稀有なものである事は間違いない。
誰もがそんな才能を持っていれば、誰もが素晴らしい技術を持っている事になる。
しかし誰もが持っていないからこそ個性が出てくる。
才能ない者が上に行きたければただ努力するだけだ。努力して努力して、己をただただ磨き上げる。
それはあたかも結晶を磨き上げて装飾品にする宝石のようだ。自分自身の研磨によって光るか光らないかの違いである。
「ふっ、ふっ、ふんっ!」
両手で気刃乱舞をしてから体を捻って自分の周りを斬り払い、最後に一閃、振り下ろす。
ダブルセイバーとしての基本形はほぼ完全に盗みきったかもしれない。あとはこのダブルセイバー形態から双剣形態へとシフトする手際だろうか。
双剣自体は普段から使っているから問題ない。会得するのはダブルセイバー形態の技術と素早く状況に応じて変化させる事。
それさえ押さえればこのダブルソードもすぐに実戦で使えるだろう。
「では次は私と打ち合おうか」
「月さんと、ですか?」
「そうだよ。こういうのは実際に戦った方がいいからね。習うより慣れろとも言うし、それにシアンちゃんにはその目がある。その方が効率いいよね」
なるほど、とシアンはこくこくと小さく頷いた。
シアンにとっては言葉よりも体で教わった方がいいというのはドンドルマでもわかっている。厳しい修行を耐えてきたシアンならば、この鍛錬も問題なくこなせるだろう。
少しだけ距離を置き、それぞれ手にしたダブルソードを構える。
そこで撫子は思い出したようにぽん、と手を叩いてシアンへと声をかけた。
「あ、シアンちゃん」
「――あ、はい。なんですか~?」
「そのダブルソード――名前を付けるなら“プリンセスセイバー”について軽く説明しておくね~。双剣という特徴を利用してそれぞれ別の属性を付けておいたよ。柄に着色したもので見分けてね。ちょっと緋色に染めているのが火属性、紫色に染めているのが毒だよ~」
双剣にはゲイルが持っていたスノウヴェノムのように、二つの剣が別の属性を内包しているものがある。撫子は素材として利用したリオレイアの持つ属性を、この剣に宿らせる事に成功した。
片や火竜としての力を込めた火属性。
片や尻尾の棘が持つ毒。
これらを一つに纏め上げ、一つの武器へと鍛え上げた。それがシアンが手にしたダブルソード、プリンセスセイバーだ。
そして片刃ではなく両刃のため、峰うちが出来ないのも特徴の一つ。
「二属性を持ってるからそれを使って鍛錬するっていうのはあまりオススメしないけど、月さんなら大丈夫かもしれないね~。逆に言うと、月さん以外でそれを使って鍛錬するのはやめておいた方がいいかもねぇ」
「……まあ、撫子さんの言うとおり、私に対しては大丈夫だね。毒を受けたとしてもある程度は対処可能だから。だからシアンちゃん、私の事は気にせず、持てる力全てを振るって打ち込んでくるといい」
「はい、わかりました! そぉおおいっ!!」
掛け声を叫びながらシアンはプリンセスセイバーを振りかぶって月へと斬りかかる。それは涼しい顔をした月の手にしているダブルソードで受け止められたが、シアンは攻撃の手を止めない。
ダブルセイバー形態は回転による連続攻撃を主としている。縦横無尽に回転しながら振り回し、常に回転する事でどこから攻撃が飛んでくるかをわからなくさせる。
その特徴上対人戦向きの武器なのだが、様々な可能性を見出されてハンターの武器の一つとして登録された。
その一つが回転。これによって何度も刃が硬い甲殻や鱗を切り裂き、外壁を切り崩したうえで内側の肉を切り裂いていく事を狙ったのだ。
「ふっ!」
切り返された刃が下から月へと襲いかかる。しかしそれもまた構えられたダブルソードの刃によって止められる。
しかし止められようともまだシアンの手は止まらない。プリンセスセイバーをその小さな両手で巧みに回転させて月へと次々と斬りかかっていく。
その様子を眺めていたライムは撫子の傍へとそっと近づいた。
彼女もじっと二人の戦いを見つめており、特に自分が作った武器の二つを熱心に見つめている。
どこか問題は出ていないだろうか。
使い手の手に合っているだろうか。
そこを重点的に見ているらしい。
そんな彼女にそっとライムは耳打ちするように声をかけた。
「撫子さん、ありがとうございました」
「んにゅ? なにが~?」
「シアンのためにあの武器を作っていただいて……」
「ああ、別にいいよぉ。シアンちゃんは新しくて強い武器を手にして幸せ。わたしはダブルソードのサンプルを新しく作れて幸せ。わたし達どっちも幸せでおーるおっけーだよ~」
柔らかく笑いながらそう言う撫子は本当にそう思っている事がわかる。裏表がないとでもいうのだろうか。いい意味で撫子はわかりやすい人だった。
ここまで穏やかで柔らかい雰囲気を醸し出す女性というのは珍しいんじゃないだろうか。更に言えばそんな雰囲気を持つ彼女は、普通は似合わない鍛冶屋をしている。
ハンターの使用する武器や装備を作る事を喜びとし、新しい物を考えて作る事を楽しみとしている。
そんな彼女が言うとおり、武器の新しいカテゴリであるダブルソードのデータを集められるのは撫子にとっては歓迎できることだ。だからこそシアンにダブルソードを作る事をライムが頼んだとき、撫子は異を唱える事なく快く引き受けてくれた。
「……それに、ああいう事を聞かされたらわたしも熱が入るってものだからね~」
「? 何かありましたか?」
「うん、まあね~」
どこか思い返すように目を細める撫子。
一体何があったのかはライムにはわからないが、撫子はただ静かにあの時の事を思い出していた。
ライムが撫子に依頼した次の日、シアンは撫子の下へと訪れていた。依頼事は当日の夜にシアンへと説明され、シアンは本当に新しい武器を手にしてもいいのだろうかとか、ライムが頼んだ一件について訊いてみようとか色々あったものだ。
撫子を訪ねると早速シアンが持ってきた双剣を見る事になった。シアンが持っているのはインセクトオーダーとチーフシックル。この二つのどちらかをベースにし、シアンが持っている素材を吟味した結果、ベースとなるのはチーフシックルとなった。
「これに竜骨【中】を加えて削って~磨き上げて~……うん、こうして強化した方がより一層いいベースになるかなぁ。んで、シアンちゃんが持ってるリオレイアの素材を足していけばいいかな~。……ああ、でもこれだけだと上位には届かないかなぁ」
ぶつぶつ言いながら手にしているチーフシックルを様々な角度から眺めていた。
これはカタログにない武器のため、設計図は撫子しか持っていない。恐らく彼女の頭の中には様々な形が浮かんでいるんだろう。
どの素材を使い、どのような手法を使って鍛え上げるのか。その設計図から過程まで何パターンもあるんじゃないだろうか。
「うん、倉庫にあるものをいくつか使えばいい感じに切れ味の鋭さを得られるかな~。あとはこれとこれを使えば属性効果を得られるから、これで補強して~……」
「う~ん、すごいな~……」
思いついた事を引き出しから取り出した紙とペンでメモしていく。ちょっと見えた文字から読み取るに、使用する素材から工程についてだった。素早く動くペンは次々と文字を羅列していく。
いつもの彼女はそこにはいない。既にもう彼女は鍛冶屋としての仕事を始めている。
ふと撫子が走らせていたペンを止めて、ちらりとシアンを横目で見ながら口を開く。
「……一ついいかなぁ、シアンちゃん」
「……え? あ、はいっ! なんですか?」
まさかここで声をかけられるとは思いもしなかったのだろう。少しだけ飛び跳ねそうな反応をしながらシアンは撫子に向き直る。
「シアンちゃんって何か目標があるかな?」
「目標……ですか?」
「うん、目標。この先ハンターを続け、あの竜たちと戦っていくにあたっての心構えってやつかなぁ? あ、強くなるための理由でもいいよ~。竜たちと戦うのは目先の目標だけど、それが終わった後に普通にハンターとしてやっていくための目標。……それは何かなぁって思ってね」
ライム達に関しては撫子は知っている。あの兄弟は両親の背中を追う事であり、桔梗に関しては狂化竜を討つ事が目標だ。
その為に今よりも強くならなければならない。上に行かなければならない。
しかしシアンはどうだろうか。
何か目標があるのだろうか。撫子はそれを知らなかった。
だから少し聞いてみたいと思った。
「……そう、ですね……」
少しだけ口元に指を当ててシアンは自分の心を思い返す。しばらくそうやって自分を分析していたようだが、シアンの表情はまるで自分の心は揺らがなかったという風にどこかかがやきがあったように思える。
顔を上げたシアンは真っ直ぐに撫子を見つめ、笑顔を浮かべたまま語り始める。
「ライムの隣に並んでいたかったから、かな」
「おぉ、それはなかなか。深く聞いてもいいかな?」
「……わたしはライムの一番近くにいたんだ。だからこそわかってしまう。ライムがすごく成長しているってことを。クロムさんと再会して、一緒にお父さんたちの後を追うように頑張っていることを」
二人ともココット村の出身であり、幼い頃からずっと一緒にいたものだ。クロムがいなくなってからもライムの隣に立ち、ずっと励まし、支えてきた。
体が弱かった彼がハンターとなるために体を鍛えた時も、自分に教えられることは教えてきたつもりだった。彼がハンターとなった後も一人で頑張る彼にアドバイスをし続け、あの日コンビを組んだ時もライムのために自分が出来る事をやろうと決意していた。
何かするときはいつもシアンがライムの手を引き、歩く先を示しながら前に進んでいく。
それが二人であり、まるで姉弟のような関係だっただろう。
しかし最近はそれが逆転しつつあった。
「昴さん達と会ってから、ライムはすごく変わったよ。……もちろんわたしだって紅葉さんや月さんに鍛えられたから成長している。それは実感しているよ。でもライムの成長には届かない。わたしが一段ずつ階段を上がっているとしたら、ライムは二段、三段と飛ばして上がっている感じかな……」
ライムは昴から、シアンは紅葉からハンターとしての技術を教わった。その辺りはほぼ一緒のスピードで成長したかもしれないが、時が進むにつれてそれに差が生まれ始めた。
ドンドルマに行ってからは月達と出会い、ライムの才能の枷が少しだけ外される事になる。そこからのライムの成長はめくるましかったのは確かだ。月の鍛錬で魔法を、獅鬼や雷河の鍛錬で体を鍛え続けた。
セルシウスと戦った時も自らの血が完全に枷を外し、魔法の才能においてはほぼフルで扱えるようになっている。
それに狂化竜との戦いもまた彼を成長させる要因となる。鍛錬という下積みも大事だが、実戦に勝る程ではない。実戦の経験は確実にハンターたちを成長させるものとなるのだから。
そして今もなお月を師匠とし、このポッケ村で鍛錬の日々を過ごしている。
もちろんシアンもトレース能力を生かして成長はしている。それは確かだ。
時にクエストをこなし、二人でそれを達成させてきている。ドドブランゴやフルフルだけでなく、山を下りて密林に向かってリオレイアやゲリョスも狩っている。
この辺りのモンスターならば二人で狩っても問題ないほどまで成長していた。
実戦経験は二人で同時に行っているのだが、それ以上にライムが成長している。それはシアンでなくとも誰の目にも明らかだろう。
だからこそシアンの心は複雑だった。
「最近ライムの背中がとっても遠く感じてきているんだ……。追いかけても追いかけても遠くなっていく気がしてたまらないんだ……。わたしに才能があんまりないっていうのはわかってる。だからこそ頑張って強くなろうと月さんたちの修業をやってきた。……それでもわたしはライムの背中が遠く感じる」
「……うん」
「悔しい……っていうんじゃないんだよ。ライムが才能持っているっていうのは前から知ってたことだもん。だから悔しくない。……でもこの胸が苦しくて、締め付けられて、ざわつく感じ……。たぶん、そう……これは寂しい」
「寂しい?」
見上げる撫子の視線に肯定するように小さく頷き、シアンは自分の胸を掻き抱く。その瞳はいつも明るく、元気で天真爛漫な彼女が見せないような哀愁の色合いが浮かんでいる。
しかし撫子は何も言わずただ彼女の独白を静かに聞くだけだ。
「わたしがそう感じているだけでライムはいつもと何も変わらないだろうけどね。……でもわたしはライムが昔以上に強くなって、たくましくなって……どこかかっこよくなって。そういう風に変わっていくのがうれしい。でも、その分だけ遠くなっていくような気がして寂しい……そう思ってるんだ」
「…………」
「ライムはいつかお父さんとお母さんのように、中央に名前が広がるほどのハンターになる。うん、きっとね。でもわたしは普通だもん。トレースの才能があったってライムと比べれば全然ダメ。見劣りしちゃうから」
苦笑するシアンがそのまま自虐するのかと思いきや、すぐに目を閉じ、そして開く。顔を上げたシアンにはさっきまでの哀愁はなくなっている。
「でも、だからといって泣くことはしないよ。わたしはそんなライムを追いかける。ライムのパートナーとして隣に並ぶためにね」
パートナーとシアンは言った。
ハンターのコンビでも相棒ではなく、パートナーと。
それはもちろんハンターとしてのパートナーの意味であり、もしかすると同時にライムのパートナーという意味合いもあるのかもしれない。
「わたしはもっともっと強くなりたい。もっともっと上に行きたい。いつか有名になったライムのパートナーだって胸を張って言えるようにね。それがわたしの目標。絶対に届いてみせる目標だよ」
「……そうなんだ」
柔らかく目を細めて微笑する撫子はシアンを慈しむような雰囲気がある。真っ直ぐに彼女を見つめるシアンもまたその目標を見据え、必ず達成するのだという強い意志を感じる。
「好きなんだね、ライム君が」
「……うん、大好きだよ。昔からずっと……これからも」
「そうなんだ。いいね、そういうのって。わたしはすごく素敵なことだと思うよ~」
にっこりと笑った撫子は何度か頷き、書き終えたメモを手にして立ち上がった。そしてシアンの前に立ち、その肩を軽く叩いて先ほどよりもいい笑顔を見せてくれた。
「シアンちゃんの目標、しかとこの胸に刻んだよぉ。お姉さんに任せなさい。シアンちゃんがこの先使っていけて、強くなったシアンちゃんの手に合うすごくいいものを仕上げて見せるからね~」
「撫子さん……」
「シアンちゃんの目標、ぜったいに叶うから。二つの意味で立ち止まらずにライム君を追いかけ続けなさい。シアンちゃんのまっすぐで純粋な想いは、どんな壁だって超えられるはずだよ~」
「……はい! ありがとうございます!」
その言葉にシアンは満面の笑顔で応えた。そんな彼女の笑顔を見ながら撫子は優しく頭を撫でてやり、これから制作するダブルソードを必ずいい代物にすると決意した。
彼女の目標を叶える為の後押しをするに相応しい武器を。
決して綻びを生み出さず、長く使えるような武器を。
そして何より、使用者であるシアンによく似合う武器を。
それが鍛冶屋である撫子の役割だった。
また年上のお姉さんとして彼女の心の支えにもなっただろう。紅葉とはまた違った雰囲気でシアンを優しく包み込んでいる。
撫子はしばらくシアンを抱きしめたままであり、シアンもまたその温かさに身を任せていた。
「……頑張れ、シアンちゃん」
微かに呟いた言葉はシアンにも隣にいるライムにも聞こえなかった。でもそれでいい。自分はシアンの純粋な想いを応援している。
彼女は作った武器だけでなく、それを振るっているシアンもしっかりと見つめていた。彼女が目標に向かって努力している姿を見つめていた。
強い想いは活力となり、その人を突き動かす原動力となる。それは振るう刃にも表れるというもの。わかる人にはわかる表れだ。
そして撫子は感じた点をメモしている。それが今後の調整や新しく作るダブルソードに生かされていくだろう。その辺りは流石は職人というべきか。
「そらっ、ここが甘いよ。しっかり守る!」
「は、はいっ!」
広場で打ち合っている二人の表情は真剣そのものだ。守りが甘い所を容赦なく月が攻めていき、シアンがそれを打ち払う。こうすることでダブルソードでの守りの仕方を仕込んでいるのだ。
しばらくそれが続き、昼は丸々シアンのダブルソードの鍛錬が行われたのだった。
ある日の夜の森。月の光も差し込まない暗い森を突き抜ける白い影があった。向かっている方角は無造作に生える草や木々によってわからないはずだが、白い影はまるで道がわかっているかのように迷いなく北東へと向かっている。
走り抜ける白い竜、クストルにまたがる一人の少女。彼女からなびくのは纏っている白いローブ。彼女はまさに風のように視界が悪いはずの森を駆け抜けていた。
(……少しずつ気配が大きくなっている。やはりあそこにいるとみていいか)
フードの下で彼女は目を細めた。
気ままにこの地方を彷徨っていた彼女がここまで真っ直ぐに目的地といえる方向へと向かっているには理由がある。
それは北東――ポッケ村から僅かに感じられるある気配を察知したからだ。本来ならばポッケ村を囲っている結界によって感じられるはずのない気配なのだが、どういうわけか彼女はそれを察知してしまった。
(あの時よりも強くなっているか。それにもう一人……クロムの気配も感じられる。……ま、私もシュヴァルツの血統だから感じられるのかもしれないな)
クストルと繋がっている手綱を握りしめながら彼女、セルシウスはそう判断した。自分の中に流れている遠い先祖の力は、同じ血統の力と共鳴する事が時折一部の魔族で起こっている。力の共鳴は人の持つ感性にも影響を及ぼし、普通ならば感じ取れるはずのない気配を感じ取ってしまったのではないかというのが推測の一つだった。
(……まあいい。あのライムがどれだけ強くなったのか。あのクロムがどのようなハンターとなったのか。殺し合いの中で見極めさせてもらうとしようか)
そしてその導きに従ってポッケ村に向かうセルシウスの目的はただ一つ。
シュヴァルツの血統同士での本気の戦いだ。
彼女の戦う理由は生きる実感を得るため。
戦場や死地へと赴き、極限状態に身を置いた状態での戦いこそが彼女の生きる理由。あのドンドルマの一件後も各地の狂化竜と共に命を狩り続けた。その中には一般人が多く含まれているし、防衛にあたったハンターやギルドナイトも含まれている。
そして共に襲った狂化竜の一部もまたこれに含まれている。命を喰らう狂化竜は対象を選ばない。仲間であるはずのセルシウスもこれに含まれている。あの狂イャンガルルガもまたその中の一頭だ。
しかしそれを咎められることはない。彼女の事は朝陽達も知っている事であり、狂化竜が例え討たれようと集められた闇は放出されるため計画にあまり支障は出ない。
それにセルシウス自身も命を斬り殺す事で闇を生み出している。彼女もまた闇を作り出すサイクルの中にいるし、その血統もまた重視されている。だから彼女は第三段階では放任されており、特に行動を縛る事はなかった。
「あと数日。数日すればまたシュヴァルツ同士の戦いが出来る。……弟か兄貴かはわからないけど、どちらにせよ心躍る戦いが出来る事を願うばかり」
深く期待はしない。でもそう願わずにはいられない。
シュヴァルツの負の象徴、殺人鬼としての彼女は、ただ殺し合いを求めてポッケ村へと疾走した。
そしてまたある夜のフラヒヤ山脈。天候は少し芳しくない様子であり、空には黒雲が広がり、雪がはらはらと降り注いでいた。吹き抜ける風は冷気を孕み、耐寒装備をしていなければすぐに凍えてしまうだろう。
そんな雪山を歩く大きな影が一つ。モノクロといってもいい背景と一体となっているそれは、のしのしと新雪を踏みしめながら歩いている。
「ヴルルル……」
低く唸るそれは崖から下界を見渡している様子だった。めったに姿を現さないその存在がこうして姿を現したのだ。それは一つの事件となり、同時に嵐が訪れる証でもある。
「来ましたか」
それを使い魔を通して見ていた一人の女性。いくつかの使い魔をフラヒヤ山脈に放ち、その存在が現れるのを待っていたのだ。
そして今、ついにその姿を現した。
「中央を包み込む闇の気配についに動いたのか、あるいは各地で発生している戦いの気配についに釣られたのか。どちらにせよそれは主にとってはありがたい話ですね。あなたを利用させてもらう事にしましょう」
微笑を浮かべながら女性は崖の下に意識を移した。指を立ててそこへと向け、ゆっくりと詠唱を行う。
「
すると何もなかった雪原に裂け目が生まれ、ずずず……という音が聞こえそうな様子で裂け目が広がっていく。
とたん、裂け目の奥から強い敵意と闇、そして強者の気配が逆流してくるかのような空気が発生した。それは比喩表現というものではない。明らかに裂け目から強い空気が噴き出され、裂け目の前の雪が舞い上がっている。
「――ァァァアアアッ!!!」
空気の音に混じり、何かの獣のようなあるいは竜のような声が聞こえた気がした。それを聞いた女性はフードの下でくすりと微笑を浮かべた。
「来なさい、“レイダー”」
その呟きに反応したのかそうでないのか。声と空気の動きが消え、裂け目を強引に広げるかのように生き物の前足が姿を現した。そのまま裂け目を広げ、何かがこの雪原へと舞い降りる。
それは漆黒の体。しかしその体には血のように真っ赤に染まったラインがいくつか走っている。
それは真紅の瞳。新たなる大地をギロリと見回し、己が狩るべき相手を探し求めているかのように思える。
それは捕食者。彼のものが現れればその命は無残に食い散らかされるだろう。
それは侵略者。その姿へと変えたそれは、命を食らうために様々な場所へと姿を現す。故に与えられた名は“
「グルルル……ッ!」
しばらくその場で辺りを見回していた“レイダー”はある一点でその真紅の瞳を止めた。その先には狩るべき対象が存在している場所。
どうやら向こうにいる存在も“レイダー”の気配に気づいたらしい。溢れる闘志を抑えられないようで、ギラギラとその目を輝かせている事だろう。
――ォォオオオオオオン!!
遠くから獣の遠吠えが聞こえてきた。込められた闘志をそのまま空へと解き放った遠吠えは、同時に“レイダー”への宣戦布告とも取れるだろう。
それに応えない“レイダー”ではなかった。しっかりと前足を雪へと踏みしめ、大きく息を吸って曇天へと有り余る敵意と闘志を込めて咆哮を上げた。
「グァァアアアアアアアア―――――ッ!!」
耳をつんざくような咆哮は、自身の周りの雪をも吹き飛ばすほどの衝撃波を放っていた。それは元々の異名に恥じない程の力を放っており、その姿へと変えた事でより一層威力が増している。
「グルル、グォァァアアアアアッ!!」
そして“レイダー”は助走をつけて雪原を走り抜け、切り立った崖へと飛び出していく。だがそのまま落ちていく事はなく、広げた翼で滑空を始めた。
その漆黒の姿は崖の奥の雪原へと吸い込まれ、やがて見えなくなってしまう。
「……種は撒かれましたね。あとは、それに釣られるのを待つばかり。主の見据えた展開通りに進むことを願うばかりです」
見上げた空は先ほどよりも暗い。それはまるで、この先起こる事を暗示しているかのようだった。