「……ム、……ロム」
誰かが呼んでいる気がした。遠い昔に聞いたどこか懐かしい声。
辺りは白く染まり、上も下もわからない世界の中で響く声。それは確かに知っていた声であり、世界に響き渡る自分を呼ぶ声ではないかとおぼろげな頭でそう思った。
「……クロム。ほら、あれを見て」
声が何かを示すにつられ、世界はその姿を変えていく。ゆっくりともやが晴れるかのように声と同じく懐かしい光景が現れてきた。
それは一つの村のようだった。のどかな片田舎に存在するかのような村であり、山の麓に静かに存在している。木造りの家が主流で村の東には森が広がり、森の恵みを受けて生活するのがこの村の特徴だ。
ここは故郷であるココット村ではなく、もちろん今暮らしているポッケ村でもない。シュレイド地方の一角にあるとある小さな村だ。どうしてこんな村の光景を夢に見ているのかというと、この村もまたクロムには少々縁があったからだろう。
村にはクロムの従姉妹が暮らしていたのだ。母親であるミントの妹がその従姉妹の母親であり、一度村に一家揃って遊びに行ったことがある。エメラルドとミントが健在で、なおかつライムの体の調子がいい時にしか行けなかったのでその回数は少ないものだったが、子供の頃に過ごした思い出は何となく覚えていた。
それに相手の家族がココット村に遊びに来たこともあったはず。ライムはまだかなり小さい時期だったので覚えてないだろうが、一、二回は来たことがあったんじゃないだろうか。
その時に出会った従姉妹の姉。
確か名前は――
「……シア、なのか?」
グレイシア・ルシフェル。
氷の名を与えられた少女にして、あのセルシウスの姉。クロム達は彼女を「シア」と呼んで親しくしていた。
外見は恐らく5、6歳ほどの姿。日の光を浴びて光る銀髪は腰まで届く長髪であり、髪の後ろを黒いリボンで結んで房を作っている。服装はシュレイド地方には珍しい東方の着物で、湖のような淡い水色とそれに浮かぶ水草を描いた柄となっており、そこから覗く白い肌。
記憶に残る姿と何ら変わりない。夢の中での再会はクロムに懐かしさを思い起こされた。
そんな彼女の手が指し示しているのは少し離れた所にいる二人の男女。
幼い頃のライムとセルシウスだった。
当時のセルシウスもまたグレイシアと同じ銀髪であり、背中まで届く長髪をしていた。着ている和服は月の浮かぶ夜空のような紺色に染まっており、どこか彼女のイメージによく似合っている。
セルシウスが本を広げて傍にいるライムに読み聞かせているらしく、ライムの様子を窺いながらゆっくりとページをめくっている。それを静かに聞き、時折反応を示しながらライムはセルシウスの紡ぐ物語を楽しんでいる様子だ。
傍から見ればそれはとても仲のいい姉弟のようだろう。あの頃はまだこんなにも平穏だった。
「あの子は確かに男っぽくってぶっきらぼうで、人との付き合いも苦手で不器用で……。挙げればキリがないだろうけど、ライムくんに対しては少しマシな方。あんな風に本を読み聞かせるなんて私は驚いたものよ」
「……ん、そうだったな」
昔のセルシウスはまだ普通の少女だった。ライムから話に聞く限りでは、殺人鬼に覚醒する事でかなり変わっているようだが、この頃は男っぽい少女でしかない。……外見はどう見ても女の子なのだが、それは魔族ゆえに髪を大事にしていたから仕方がない。
そんな彼女はこの村が滅びた時に一変してしまった。
村のただ一人の生き残りとなり、ルシフェルの前身であるシュヴァルツの殺す者を受け入れ、染まりきった彼女は、殺し合いを求めて世界を巡っている。朝陽達の下へと付き、今も離れないのは彼女の下にいた方がモンスターも人も殺せるからだと推測できる。
ふと、グレイシアが目を伏せて悲しげな様子を見せた。
「どうした?」
「……感じない? 私たちは従姉妹の関係にあるわ。そしてセルシィは覚醒状態にある。あの子がポッケ村へと接近しつつあるわ。たぶんあなたかライムくんと戦うために」
その言葉にクロムは沈黙した。
対人の戦闘において考えうる最上の戦いは、シュヴァルツ同士での戦いだろう。かの戦争ではシュヴァルツの戦士同士の戦いは、見るものを絶句させるほどに激しく、鋭く、それでいてどこか美しいとされていた。
傷つこうとも相手を殺すまで止まらない両者の振るう刃と魔法。飛び散る鮮血も殺し合いを彩る赤い華でしかなく、彼らの戦いに巻き込まれた兵士たちもまた戦場を形作る背景でしかない。大地を赤黒く染めていく死体と血の匂いに両者は酔いしれ、ただ笑みを浮かべて戦い続ける。
戦いの中でこそ輝く彼らにとって、同族同士の殺し合いこそ至上。
己の性が語るのだ。
これこそ、我らが感じられるモノの中で最高の愉悦であると。
彼女もまた同じだろう。
狂気と歓喜が混ざり合い、生きるか死ぬかを感じられる殺し合いこそが、セルシウスが今回求めるものだとグレイシアは言う。例えクロムとライムが相手だろうと彼女は手を抜くようなことはしないだろう。
もし二人が彼女の前に立たなければ、セルシウスはポッケ村へと侵入して村人達を殺していくだろう。それを止めたければ二人のうちどちらかが戦うしかない。
「……あそこにいるあの子こそが本来のセルシィよ。私はそう信じている。変わってしまたし、両手を赤く染めつつあるけれど、あの子は私たちが遺したたった一人の家族」
胸の前で手を握りしめ、うつむいた顔を上げたグレイシアは真っ直ぐにクロムを見据えた。その瞳は少し潤んでいるが、それでも彼女ははっきりとクロムへと告げる。
「あの子を止めて。そしてどうかこれ以上殺人鬼としてのルシフェルじゃなく、せめて狩る者としてのルシフェルへと引き上げて。……お願い」
僅かに震えた声で頼みつつグレイシアはクロムへと頭を下げた。だがクロムはすぐにグレイシアの肩に右手を置いて微笑を浮かべる。
「頭を下げなくてもいいぜ、シア。そうしなくても俺はやってやるさ」
「クロム……」
「セルシィの話を聞いてから、俺はあいつを何とかしないといけねえって考えてたんだ。向こうから来るというなら上等さ。存分にやりあい、あいつを押さえつけてこっち側に連れ込んでやるさ」
泣きそうな顔になりながらクロムを見上げるグレイシアの頭を撫でつつ、彼はにっと笑いかけた。その笑みに曇りはなく、自分に任せとけという風な頼もしさがある。
こういう所が頼もしい兄という雰囲気をもたらしてくれるのがクロムらしい。彼は昔からこうやってライムとシアンだけでなく、グレイシアやセルシウスの面倒を見てくれた。彼はいつだって皆の頼れる兄貴だったのだ。
「知らせてくれてありがとな、シア。あいつの事が心配であっちから夢という形で来たんだろ?」
「ええ、そうね。……でも心配だったのはあの子だけじゃないわ」
「ん?」
「ライムくん、そしてクロム……あなたの事も気がかりだったの」
「……そうか」
少し上目使いに言った彼女に僅かな驚きを感じつつも、クロムは微笑を浮かべながらまた軽く頭を撫でてやる。グレイシアの姿はあの頃のままのため、頭を撫でる際は少し屈みながらになってしまう。そして彼女がクロムを見る際は、自然と上目使いになってしまうのも無理はない。
しばらくそのまま頭を撫でられ続けたグレイシアだが、ぐっと唇を軽く噛みしめてうつむいた。だがそれも一瞬の事、そのまま背伸びをしつつ両手を伸ばしてクロムの首へと抱きつき、彼の肩へと顔を寄せる。
そんな彼女の行動に驚かないはずもない。クロムは抱きついてきたグレイシアの体を抱き留め、そっとグレイシアの様子を窺った。
「……シア?」
「…………あの子の事で来たけど、やっぱり我慢できない。あの頃みたいにそんな手で撫でるんだから……どうしてくれるのよ」
彼女の目元は前髪に隠れている上に、自分の左肩に顔が寄せられているだけあって窺い知れない。だがどうしてこうしているのかは何となくわかってしまった。
クロムに抱きついているその両腕の温もりと少しだけ震えている彼女の体。そして記憶の中での幼い頃の彼女の振る舞い。思い当るところはいくつかあった。
それに自分だって何となく自覚していた。あの頃のクロムはグレイシアの事を……。
「随分と大きくなったものね。その体、背中……撫でてくれるその手も。本当はこんな事せずに消えるつもりだったのに……。あなたが悪いんだからね」
「……わるい」
「謝らなくていいのよ。私はすでに死んだ身。それと同時に私のこの気持ちも終わったの。それにクロム、あなたも今は他に大切な人がいるでしょう?」
その言葉に頭に浮かんだのは大事な弟であるライムと、ハンターのパートナーである桔梗の姿だった。ライムに関しては弟だから当然として、桔梗に関しては恐らくただのパートナーというだけではないかもしれない。
彼女の心の問題もあって面倒を見てきたが、五年も一緒に過ごしてきた相手だ。更に言えばクロムとて年頃の若者だ。少しも意識しない、なんていうことはない。
守るべき人はいつのまにか大切な人でもあったのだ。だがそれを彼女に伝える事はない。そうする前に彼女の心を治してやりたいと考えているためだ。
だからこの感情は胸の奥に秘めている。
グレイシアもその事は感じているようでクロムの耳元で僅かに笑い声を漏らした。そのまま軽く左頬へとキスすると静かに離れた。
「じゃあね。次に会うときは…………たぶん普通に考えたら百年以上も先になるのかしら?」
「そうだな……」
「でもハンターだからそれは確実じゃないのよね。だからクロム、この先の戦いで死なないでね? ……あの子との戦いでも」
「おう、安心しな。俺はそう簡単には死なねえよ。だから安心して見守ってくれ」
また笑顔でそう言うとグレイシアの表情は柔らかくなり、どこか安心したようなものになる。同時に世界もうっすらと白く染まっていく。
「……頑張ってね、クロム」
遠ざかっていく彼女の姿と世界の中、軽く手を振りながらグレイシアはそう呟いた。普通ならば聞こえないような声だったが、クロムはその声に応えるかのように右手を挙げた。
言葉はなくともそれで通じ合える。光の先へと消えていくグレイシアは、いつの間にか隣にいた彼女に似ている女性と一緒に手を振りながら笑顔でクロムを見つめていた。
「……ん、んん……」
目が覚めたクロムは視界に映る天井を見つめた。目元をこする事も忘れて天井の木目やシミを眺め続ける。
頭の中では先ほどの夢についてまだ覚えている。普通夢は忘れるものだが、先ほどのものは夢のようで夢じゃない。まさか死んでしまった人物とああして対面しようなど誰が思うだろうか。しかもその相手が自分にとって縁が深い人物とは驚きだろう。
本当に懐かしい。当時のままのグレイシアが再び目の前に出てくれるなんて一体どういう運命のいたずらか。そして自分達の危機を知らせてくれるとは、あの世の管理人も粋な計らいをしてくれる。……気のせいか最後にはもう一人いたような気もする。あの人も来てくれるなんて……本当に懐かしい。
ふと、自分の両親のことを思い出したが、小さく首を振る。今回はあちらの家族に関することだ。
ベッドから起き上がったクロムは目を閉じて意識を集中させる。感じ取る気配は自分の血筋に流れている一つの力。自分の中にあるものだからそれを辿るのはそう難しくはない。
すぐに感じ取ったのは弟であるライムのもの。それをスルーして村の外へと間隔を広げていく事にした。
そうやって感覚を広げる事しばらく、クロムの眉がぴくりと動く。
「…………確かに接近してきているか。位置からしてここは……なるほど、明日にでもここに到着する勢いか」
その気配は恐らくアプトル系統のモンスターに騎乗して移動しているのだろう。そのスピード、相手の位置とこの村の距離を計算してクロムはそう判断した。
ベッドを離れてタンスに向かい、着替えを取って素早く私服に着替えつつクロムは決心を固める。
タイミングを見計らって出る事にしよう、クロムの蒼い瞳の奥には揺らめく光が灯っていた。
朝食を取り終えたライムとシアンはポッケ村にあるギルド支部へと向かっていた。シアンが支度をしているとき支部からの使いが訪れ、後で支部へと来るようにという連絡があったのだ。
現在フラヒヤ山脈には曇天が広がっており、所によっては雪が降り注いでいるらしい。朝という事もあってポッケ村を吹き抜ける風は冷たく、肌を撫でる風は住人達に体感以上の寒さを伝えていく。
「いったいどんな用なんだろうね? ギルドからわたしたちに連絡なんてそんなになかったのに」
「そうだね。もしかしたら狂化竜に関する事かもしれない」
狂化竜の件ならば二人は実際に戦ったことのあるハンターだ。もちろん二人だけで戦えば間違いなく二人がやられることは目に見えている。それだけ現在中央で行動している狂化竜たちは危険域に達している。
戦えと言われれば戦うしかないのだが、この状況で将来が期待できるハンターの卵を切り捨てるような事はないだろう。となればいったいどんな要件なのかと考えてしまうが、それは支部につけば分かる事だ。
木製の扉を開けて中に入ると、そこには受付嬢であるシェリーと月がいた。二人は神妙な顔で何かを話しており、少し話しかけづらい雰囲気を作り上げている。
「……ん?」
どうしたものかと二人が視線を合わせた時、月が二人に気づいて声を漏らした。その声にシェリーも反応したようで、二人へと笑顔を向けてくれる。
「いらっしゃい。待ってたわ」
「おはようございます、シェリーさん。それで用とはいったいなんでしょうか?」
「ええ、用件は……これよ」
そう言ってカウンターの引き出しから一枚の用紙を取り出した。それは一見するとクエストが書かれている用紙と何ら変わりないようだ。遠目に見る限りでも一番上に太字で何かが書かれ、下にはそれに関する事が書かれているように見える。
用紙がカウンターに置かれ、二人はそっとそれを覗き込んだ。
「なになに~? 『上位ハンター・公式狩猟試験』……って、え? えええええっ!?」
「公式狩猟試験ってもしかして、僕たちが上位ハンターになるための試験ってことですか?」
「そうよ。この数週間のクエストであなたたちはその条件を満たすHR30になったわ。まだ経験が追い付いていないという現実があるけど、今の中央の状況から見て将来有望な卵は育てていかなくちゃならない。上位装備を身につけさせるためにも、そんなハンター達は上位ハンターへと上げなくちゃならない。……そんな状況なのよ」
試験を無視して上位ハンターする事はルール違反になる。緊急事態とはいえそのルールを無視して上位ハンターやG級ハンターを増やしてしまえば、全て終わった後にそのルール違反を適用させろという声が上がってしまう。そうなってしまえばハンター達を統括するギルドが乱れてしまう。
だから面倒だが試験を受けさせなくてはならない。そして最近試験の条件に合う環境が近くに現れたため、それを試験とすることになったようだ。
「内容はイャンクック、ヒプノックの狩猟よ。場所はポッケ村から南西へ進んだ先にあるフラヒヤの森。どうやら狂化竜の暴走にあおられて森に集まったらしいわ。鳥竜種とはいえ、飛竜を二頭相手にするクエスト……どう? 試験としては申し分ないと思うのだけど」
今の二人ならば一頭ずつを相手にする分には問題ないだろう。二人は確実に月達の修業によって成長しており、実力は昴達と出会った頃とは大きく差がある。
それに装備も一変しているからへまをしない限りは大けがを負う事はないかもしれない。イャンクックならば何度も戦っているが、ヒプノックに関しては初見。だがある程度狩猟の経験を重ねているから、シェリーは二人ならば大丈夫だろうと信じてこのクエストを通した。
でもそれらは一頭を相手にする場合だ。この二頭が一つのクエストに会する同時狩猟は初めてといっていい。ドンドルマのあの戦いはある意味同時狩猟だったが、運が良かったのか同じ現場に二頭が現れる事はなかったため一頭ずつ戦う事が出来た。
この公式狩猟試験もその可能性が示されている。運が良ければ一頭ずつ戦って終わらせる事が出来るだろうが、運が悪ければ一つのエリアで二頭同時に出くわすことがあり得る。
だからこその試験。どんな状況になろうとも生き残るために自分の持てる力を振るって生き延び、狩猟を終わらせる。そうなってこそ一人前のハンターといえよう。
それに上位ハンターになれるチャンスがやってきたのだ。二人の出す答えは元より一つしかない。
「わかりました。この試験、受けます」
「わたしも受けます! 今までの結果をぶつける機会ですし、がんばります!」
揺らがない眼差しでそう答える二人。クエスト内容に恐れている様子はない。それよりも恐怖する場面に何度も遭遇しているから心にある程度余裕が持てているようだ。
だが完全に気を緩める事はない。そうすれば油断を生み、死ぬ可能性がある事を教わっている。
「じゃあ受理で通しておくわね。試験、頑張ってね」
「はい! じゃあライム、戻って準備しよ!」
「うん」
突然の試験だが受けるとなれば頑張らなければならない。月達の付添は当然ながらないため、二頭の飛竜を相手に二人で戦わなくてはならない。準備は念入りにしなければ。
二人は持っているアイテムを見直し、必要なものを買うため支部から飛び出していった。
それを見送った月は微笑を浮かべている。この数週間二人を鍛えてきたのだ。そんな二人がついに上位ハンターになるための試験を受ける。激動の状況だからこんなに早く二人に試験が与えられたのだが、二人にとってはチャンスであることには間違いない。
月の目から見てもこの試験は実力に合っているものと判断している。上手くいけば二人は晴れて上位ハンターになるだろう。
師匠としてそれは喜ばしいものだ。
だが今は喜びに浸っている状況じゃない。とはいえ狂化竜の件というだけではない。今はそれだけではない何かがフラヒヤ山脈に存在している。
「それで、監視の結果ではその二頭が確認されたと?」
「はい。使い魔から届けられた光景ではそのような結果が出ました。目を疑うようなものでしたが、それが現実です」
「……今は両者が戦闘しているからいいとして、もしこっちにやってくるようならば危険だね。一刻も早く処理するべきか」
「その通りです。しかも片方は狂化されています。危険度は計り知れません」
先日フラヒヤ山脈に突如として現れた一頭の狂化竜が確認されたのは数時間前の事。発端は月がフラヒヤ山脈に出現した狂化竜の気配を感じ取ったからだ。すぐにシェリーがフラヒヤ山脈に飛ばしている使い魔を動かして現場上空へと向かい、状況を確認したのだ。
その使い魔が帰ってきたのがつい先ほど。それを月へと報告していたのである。
「すぐに私も出よう。最悪の事態になる前に事を終わらせないとね」
「すみませんが、よろしくお願いします」
少し申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げるシェリーに微笑みかけながら月は軽く手を挙げ、ローブを翻して支部を出ていった。
この日、支部から二組の狩猟へと向かうハンターが送り出された。
片や必ず成功させようと燃える若きハンター二人。
片や迫りくるであろう危機を処理するために戦場へと赴く有力なハンター。
両者の雰囲気はまったく違うし、送り出したシェリーの表情も正反対だ。
でも彼女の気持ちは同じだ。
みんな、必ず無事で帰ってきてほしいと願う。それが送り出す受付嬢の誰もが持っている気持ちなのだ。
朝食を終えたクロムは軽く支度をして壁にかけているローブを手に取った。身を包んでいるのはいつも戦場で身につけているクックUシリーズ。いわゆる戦闘服だ。それを隠すように深緑のローブが纏われる。
部屋を出るとリビングのソファーに桔梗が座って本を読んでいるのが見えた。このまま通り過ぎるか、と考えながら歩いていると、桔梗が本から視線を上げてクロムへと移す。
「あら、おでかけですか?」
「ああ。ちょっとフランに行って買い物してくるよ」
「そうですか。いってらっしゃいませ」
「行ってくる」
笑顔で見送られ、クロムもまた微笑を浮かべて家を出る。扉を閉めればその笑顔は消え去り、真剣な表情で歩き出した。
これから向かう先は戦場になる。いつもの狩猟と同じく命を懸けた戦いになるが、その相手は自分の従妹だ。本当は殺し合いなどやりたくはないが、やらなければ彼女がこの村の人達を殺す可能性がある。
心に浮かぶ感情を押し殺し、彼女を止めるために殺し合わなければならない。他の誰でもない、同じルシフェルとして自分がやらなければならない。ライムもセルシウスを止めたいと思っているようだが、今のライムには少し荷が重いだろう。
それにグレイシアにも託されたのだ。ならば彼女の想いに応えるためにも自分が止めてやる。
「おう、おっちゃん。クストル借りれるか?」
「クロムか。おうよ、問題ないぜ。どっか行くのか?」
「フランまでちょっとな」
「そうかい。気をつけてな」
竜小屋の管理人の男性からクストルを受け取ると素早く騎乗する。
表向きにはみんなにはフランまで買い物に行く、という嘘をつくことになった。クロムが主に物を買いに行くときはフランを利用する事が多い。あそこは酒が多く売られているが、それだけでなく行商人もよく訪れる町であり、彼が持っている宝石の多くはここで購入している。
だから表向きの嘘をつきやすいから幸いだった。今回の件はそうそう誰かに事情を話せない内容でもある。だからこそ誰にも真実を伝えず、ただ一人でセルシウスの下へと向かうのだ。
「はっ!」
手綱を操り、クストルを走らせてポッケ村の出口へと向かう。坂道を駆け下りるクストルに揺られながらクロムはまた感覚を広げて現在のセルシウスの位置を確認。彼女と鉢合わせるためのルートを頭の中に思い描き、寒風吹く雪山を疾走していった。
○
午後2時を回る頃、ライムとシアンはフラヒヤの森のベースキャンプに到着した。この森はポッケ村から南西へとクストルで数時間かけて移動して到着する。フラヒヤ山脈の西に広がる森であり、ここから南西へと広がる樹海の入り口でもある。
樹海の入り口だけあって目の前に広がるのは青々と彩られている木々。ベースキャンプとして利用されている場所は小高い丘になっており、出口は二つある。
一つは少しだけ急な坂になった道でそこから深い森が見渡せる。丘にはなっているがベースキャンプは周りを囲む木によって隠れるように配置されているため、見つからないようになっている。
もう一つの出口はベースキャンプから見て左側。先ほどの出口からは下の森へと向かえるが、左側にも当然ながら森が広がっている。主にブルファンゴやランポスが見かけられ、時折カンタロスも見かけられているという。
支給品ボックスから取り出した地図を見る限りでは左側を通って一番上のエリア4へと向かうコースになっているようだ。
坂を下った先はエリア6となり、そこから三つのエリアへと移動できるようだ。地図を見ればわかるが、この樹海は様々な道が繋がっているらしく、複雑にルートが絡み合っているようだ。地図がなければ間違いなく迷ってしまいそうになる。
またこのフラヒヤの森はまだまだ未開の地であり、その先に広がる樹海も詳しい事は不明となっている。その為狩猟エリアはまだ限定されている状況だ。
今回の試験はそんなフラヒヤの森で行われる。
対象はイャンクックとヒプノック。
ヒプノックは元々樹海で見かけられる鳥竜種の飛竜だが、イャンクックはそうではない。森丘や沼地では確認されているが樹海で確認されたという報告はほぼない。シェリーが言っていたように、狂化竜のあおりを受けてこの森へと逃げ込んだのではないかというのが考えられるだろう。
普通は存在しないイャンクックとヒプノックが出会い、ヒプノックとしては縄張りに侵入者が入り込んだと感じたようでいさかいが繰り広げられたとある。しかしイャンクックとしてもここから離れてしまってはまた狂化竜と出くわしてしまうかもしれない、という感情があるらしく、まだフラヒヤの森から離れないようだ。
そんな二頭の飛竜を相手にするクエスト。ドンドルマと違い、自然の中での同時狩猟。
となれば使用する道具がいつもよりも多くなるのは必然だろう。
二人が纏っているローブの中には以前から持っているアイテムと、ポッケ村で購入した物が多く入っている。
今回は試験だが、もしもの時に備えてローブ着用を許可されている。
また二人の装備も以前のものとは違っている。ポッケ村でクエストをこなしていくにつれて素材も集まり、新たに装備を作り上げて身の守りを強化したのだ。
ライムが装備しているのは純白の皮に血を思わせる赤いラインが走った装備だ。頭にはフードが被られており、影が入って少しその顔が隠されている。
その外見はスバルが装備しているフルフルDシリーズの色違いと思われるだろう。それは正解だ。あちらは亜種の素材を使用したものだが、こちらは原種であるフルフルの素材を使用したフルフルシリーズだ。
そんな彼の胸元には首飾りが提げられており、何らかの力を微かに放っている。これは凍土のクエストで入手した光るお守りを鑑定して手に入れた護石と呼ばれるものだ。主に東方のロックラック地方で見つけられるものだが、フラヒヤ山脈の東の凍土でも稀に確認される物である。
護石にはスキルの力を内包しており、ハンターが身につけている装備に含まれているものと反応し、スキルの発動を後押ししてくれる役割を持っている。その為ロックラック地方にいるハンターのほとんどはこの護石を身につけていることが多い。
ライムの身につけている物は騎士の護石であり、内包しているのは広域化をプラスさせるもの。それに加えて装飾品を使ってスキル調整をし、発動したのはダメージ回復速度+1と広域化+2、ボマーとなっている。
一方シアンの装備は新緑色に染まったものだった。胸と肩には鉱石から作られた金属部分が当てられ、腰回りにはドレス状に広がったスカートが当てられている。
それはまさしく女王と呼ばれたリオレイアの装備として合っているといえよう。ドンドルマの一件で狂化したリオレイアを何頭か倒しているため、その素材を使用したのだ。もちろん剥ぎ取った素材は狂化の粒子が残らぬよう月が浄化している。
リオレイアの素材は集まっていたがそれ以外の物があまり集まっていなかったため、全てを揃えて出来上がったのはつい最近の事だ。ちなみに言えば、撫子が作ったプリンセスセイバーの素材もドンドルマの一件で集まった素材を使用した物だ。
またシアンも光るお守りから護石を手に入れており、これは城塞のお守りとなった。内包しているのは千里眼をプラスさせるもの。
装飾品としては会心率を上げる達人珠を付けている。何故か黄金芋酒を素材として作られるパターンの手法で作られた達人珠は、通常のものと違って+2の効果をもたらしてくれた。また城塞のお守りにスロットが一つ空いていたことも幸いし、見切り+2が発動する事になる。
これによってシアンのスキルは体力上昇・中、毒半減、見切り+2、自動マーキングとなった。
今回のクエストにおいてこの自動マーキングは重要な鍵を握っているといってもいい。これはフィールドにいる飛竜の位置を感知する事が出来るスキルであり、それはすなわちいつでもイャンクックとヒプノックがどこにいるのかがわかるという事だ。
片方と戦闘中にもう一頭が戦闘エリアに接近してきた事も感じ取る事が出来るのは大きい。これによって不意打ちが防げるかもしれないのだから。
さて、そんな二人はテントを張り終えると次は持ち寄ってきたアイテムと支給品ボックスを検分する作業に移る。
試験において道具を使用する際はポーチの制限に従わなくてはならないというルールが敷かれている。これに従うならば閃光玉は五つまで、罠もそれぞれ一つずつ、罠を作るためのトラップツールも二つまでだ。
爆弾も持ってきた荷車に乗せなければならないが、これも個数が限定されている。ハンター一人に対して大タル爆弾Gは二つ、大タル爆弾は三つまで。今回は二人なのでこれらを倍にして持っていく事が可能だ。
しかし素材としての大タルが十持ち歩けるため、計二十の保険がついてくる。またライムがスキルのボマーを発動しているため、ライムが使用する際は爆弾の威力が上昇するようになっているのだ。これによって討伐する際は多少楽になるだろう。
「支給品として閃光玉がいくつかあるね。……あ、落とし穴もある。支給されたものに大タル爆弾も積まれてたし……うん、いい感じに使っていけばいいかな」
リストと入っている物を確認しつつライムがぶつぶつと呟いた。今回は二頭の飛竜を相手にするためギルドの支給品もなかなか凝った物が入っている。めったに手に入らない生命の粉塵も二つ入っているから考えてなかなか奮発されている。
「応急薬は二人で六個ずつ、携帯砥石はいつも通りシアンが多めで。携帯食料も半分ずつ。罠は……僕が持つか。あとは投げナイフだけど、これはシアンが持つ?」
「うん、一応持っていくよ。月さんに教わったあれもやってみたいし」
投げナイフは毒と麻痺が入っていた。眠り投げナイフも存在するが、今回は支給されなかったようだ。毒投げナイフと麻痺投げナイフはそれぞれ五本支給されており、その全部をシアンが受け取る。
支給品ボックスに入っている物を全部確認してポーチに入れると、今度はローブからポーチへとアイテムを移していく。回復薬に回復薬グレート、もしもの時の秘薬。こんがり肉に砥石、閃光玉と落とし穴にシビレ罠。これらに関してはどちらも持っているが、これ以降は異なってくる。
ライムは調合するための素材を主に入れていき、シアンは強走薬に強走薬グレート、鬼人薬グレートに硬化薬グレートを入れていった。二人でクエストを行う際はシアンが主なアタッカーになるため、こういう事になるのは当然の事だろう。
その他にも必要なものを入れ終えれば、最後にローブから今回使用する武器を取り出す。
ライムはもう馴染みになったオデッセイブレイド、シアンは撫子から受け取ったプリンセスセイバーだ。月の鍛錬といくつかの実戦を重ねてシアンはプリンセスセイバーを扱う技術を上達させている。
ふと近くの木の枝に一羽の鳥がとまった。鷹だろうか、茶色い羽毛に覆われたその鳥の眼差しはじっと二人を見下ろしており、まるで二人を監視しているかのようだ。
「あれがシェリーさんの使い魔だね」
「うん。あれが来たってことは今から試験開始ってことだね」
今回は普通のクエストではなく公式狩猟試験だ。試験という事は監督している人が必要になってくる。その為ギルドの者が派遣する使い魔が、試験の間ハンターを見張るようにフィールドを飛び回る事になる。
ルール違反をしていないかを見極めるため、ハンターはどこからか見張られながら狩猟を行う事になる。主な違反はポーチに収める数以上のアイテムを使用していないか、ローブから別の武器を取り出して戦っていないかが挙げられるが、この二人がそんな違反をする事はないだろうとシェリーは判断している。
では何が気がかりかといえば狂化竜が乱入するかしないかだろう。もしそんな事態が発生すればすぐさま試験を中止し、二人を守るために安全な場所へと誘導して救出しなければならない。
そんな最悪な状況は起こってほしくはないが、それを想定して対策を練っておかなければ二人の安全は保障できない。
その事も二人は説明されているため、何かあった時の心構えもちゃんとしている。
最悪な展開は確かに望ましくないが今はただこの試験に集中しよう。シアンはまず自動マーキングの力を発揮し、目を閉じて意識を集中した。
「んん~…………お、キタ、キタよ~! ……えっと地図で言うと片方はエリア2、もう片方はエリア5にいるみたいだよ」
「なるほど……左右に分かれているのか。こっちとしてはありがたいね。問題はどっちがどっちかがわからない……んだよね?」
「うん。どこにいるかはわかるけど、その正体まではさすがに……」
千里眼を使いこなしたハンターは実際にその姿を見なくとも、感じ取る力で相手が何かを判別出来るらしいが、シアンはまだその域には達していない。
イャンクックは戦い慣れているから先に討伐し、残りの時間をヒプノック狩猟に回すのが一番いいだろう。
もしも先にヒプノックと出くわしたらどうするか。そうなればヒプノックの動きを確認する事から始めなくてはならない。二人は樹海は初めてであり、当然ながら樹海を主な生息地としているヒプノックも初見だ。
だからヒプノックがどのような動きをするのかは知識でしか知らない。そのため実際に対面してその行動パターンを把握するところから始めなくてはならない。
この相談はベースキャンプに来る途中の竜車の中であらかじめやっておいた。問題は二頭がそれぞれどこにいるかだったのだが、左右に離れて存在しているからファーストアタックは問題なさそうだ。
「じゃあどっちから行こうか?」
「うーん……、エリアの広さからして……エリア5がいいかも?」
「なるほど、広ければある程度動き回れるしいいかもしれないね。じゃあエリア5に行こうか」
道は決まった。後は結果を出す為に全力で戦うのみ。
纏ったローブをはためかせて二人はベースキャンプを出て坂を下りて行った。
坂を下りればエリア6へと到着する。空を隠す勢いで伸びた木々が周りを囲むこのエリアは、先ほど降りてきた坂を含めて四つのエリアを移動できる場所になっている。
よく辺りを見渡してみると普通の森では見られないような植物が生え、妙にカラフルな花が咲く。人の手が入っていないだけあって自然の摂理に任せて木が生えているため道はうねり、今歩いている道はそれなりに広いが、エリア2へと向かうらしい道は急に細くなっている。
エリア7へと向かう道もまた草むらを通り抜ける道になっているらしく、更に深い森の奥へと入るのではないかと思えるほど木々が群がっているようだ。その先には地図を見る限り木々に囲まれた広場になっているようである。
聞いた話だが樹海は森によってエリアの様子が違うらしく、ある樹海ではエリア7は森に聳える大樹の中に入る所があるらしい。その大樹は飛竜が住まう場所と呼ばれているらしく、樹海の主である棘竜エスピナスの根城ではないかとささやかれているそうだ。
だがこの森ではまだ確認されていないようで二人が遭遇する事はないだろう。シアンの千里眼にも引っかかっていない事もあり安全と思われる。
残る道は少し上り坂になっている道。木々に挟まれた道を抜けた先は開けた場所になっていた。左を見ればエリア7へと向かう細道が僅かに見えるほどの木々の群れ。先ほどのエリアと同じく三メートルを超える木は圧巻の一言だろう。
右を見れば崖になっているらしくその向こうに広がる山は恐らくフラヒヤ山脈だろう。エリアの中心には太い幹をした木が点々と生えており、完全に吹き抜けた広場になっているわけではなさそうだ。
そしてその木の奥には何かが存在している。
羽毛は橙色に染まり、様々な色に染まった飾り羽の尾羽は広がっており、これが威嚇に使われるという。嘴は鋭く尖り、充分に殺傷能力はあるだろう。外見を見ればそれはイャンクックやゲリョスに比べて鳥に近しいだろうが、翼は羽ではなく皮膚で出来ているようだ。
また姿はどれだけ鳥に近くてもあれは鳥ではない。高い生命力を持ち、人族よりも強い力を持った鳥竜種に分類される飛竜である。
眠鳥ヒプノック。
今回の狩猟のターゲットの片割れがそこに佇んでいた。草むらに身を潜めて様子を窺っている二人に気づくこともなく、ヒプノックは悠々と森林浴をしているらしい。
だがその体には僅かばかりの傷がついているように見える。恐らくイャンクックと戦った時についたものではないだろうか。つまりヒプノックは傷を癒すという意味でも森林浴をして体を休めているらしい。
だが必要以上に休ませればイャンクックとの戦闘での傷が全快してしまうだろう。イャンクックと戦ったのはいつかもわからないため、傷の頻度が目に見える形でしかわからないのもある。
「じゃあ仕掛ける事にしようか。先手はシアンが行く?」
「うん、任せて! 引き付けておくからライムはいつものように補助任せるね」
「うん。じゃあ散開しよう」
ライムは草むらを縫うように移動してヒプノックの背後に回り込んでいく。ライムの役割はアタッカーであるシアンを補助する事。その為最初は発見されずにいる事が重要だ。それに何かあった時の不意打ちも出来る。となればライムは必然的にこのような位置取りとなる。
シアンはその反対側を小さい体を生かして素早く駆け抜ける。草むらを抜け、木に回り込み、ヒプノックの様子を窺いながら見つからないように側面へと移動していく。
「クルルル」
接近してくるシアンに気づくことなくのんきにあくびをしている。あの通りヒプノックはおとなしい性格をしており、特に何もなければ攻撃する事はない。だが敵意を感じれば身を守るために戦う事も辞さないところは飛竜らしい。
「さてさてー」
プリンセスセイバーを握りしめてシアンは飛び出す隙を窺う。傷を癒す為に森の香りに包まれてリラックスしているため隙はある程度ある。視線は前を向き、左側に潜んでいるシアンにはまだ気づいていない。
現在のプリンセスセイバーの形状はシアンにとって馴染み深い双剣スタイル。右手は火属性、左手は毒属性の効果を内包した剣となっている。それを構えながらすり足で少しずつ距離を詰め、ヒプノックの首が右を向いた瞬間飛び出した。
極力足音を立てずに一気に接近。そのまま疾走力をつけて跳躍し、ヒプノックの左翼をプリンセスセイバーで斬り裂いた。
「ピェッ!?」
皮で構成されている翼はプリンセスセイバーに斬り裂かれてもまだまだ余裕がありそうだ。刃は薄く傷を作り出し、小さな熱波と小さな毒液を左翼に残す。
地面に着地したシアンにヒプノックは怒りがこもった眼差しで振り返った。傷を癒しているところに突然の奇襲。しかも相手は小さな人間だ。小さき者に安らぎの時間を邪魔されては戦意が湧き出るというもの。
「ピャルェエエェ!!」
翼を広げて身を低くし、首を下げて威嚇をした。しかしそれもまた攻撃のチャンスでもある。少し側面から下がっている顔、それも鋭い嘴めがけてプリンセスセイバーを突き出して斬り払い、そこから追撃するのではなくバックステップで距離を取る。
そこを狙ってヒプノックが足に力を入れて翼をはためかせた。そのまま跳躍し、両足を振り上げてシアンへと蹴りを放ってくる。飛竜種の中ではまだ小さな方ではあるが、それでも人族から見れば大きな体をしているヒプノック。
そんなヒプノックが飛び蹴りをしようとは。図鑑からその知識は得ていたが実際に目にするまでは信じられないものだろう。だが何とか反応できたのでシアンはすぐに横へと転がって回避した。
「クルル……!」
飛び蹴りを回避されたことでヒプノックの視線がシアンへと下げられ、今度は鋭い嘴が振り下ろされる。それも横に跳び、そのまま受け身を取って一気に距離を取った。
「ふぅ……、これはなかなか。やっぱ気が立ってらっしゃるようですね~……。でも切り抜けてやりますよ!」
不敵に笑いながらシアンはプリンセスセイバーを構える。その合間にまだ草むらに隠れているであろうライムの様子を窺ってみる。
ヒプノックと相対しているシアンから見て右側。どうやらまた移動してヒプノックの隙を窺っているようだ。ならばまだ引き付けておき、ライムが奇襲できる隙を作り出さなければ。
プリンセスセイバーの柄を握りしめ、じりじりとライムのいる方の反対側へと移動していく。それに従ってヒプノックの視線がライムのいる方から外れていき、タイミングを見計らってその嘴を振り下ろしてきた。
その軌道を読み、ステップで回避して懐に入り、プリンセスセイバーで斬り払っていく。イャンクックと違い生え揃っている毛が体を覆うヒプノック。とはいえ樹海を住処としているため、針葉樹で体が傷つくことでその毛は見た目に反して硬くなることがある。
また、深くまで斬り込んでいないために傷は未だに浅いままだ。プリンセスセイバーが持っている二属性が主なダメージ源になっている状況。
でも塵も積もれば山となる。
「ふっ、やっ!」
下がってきた頬を斬り払い、胸元を突き上げ、翼を斬る。一回ずつ確実に攻撃を当ててダメージを蓄積させていくのだ。
これによりヒプノックの意識は完全にシアンへと向けられていた。それこそが奇襲の好機となる。
「――っ!」
草むらから飛び出してライムは一気にヒプノックへと接近する。足音を立てず、声も上げず、ただ速くヒプノックへと接近を。背を向けているヒプノックへと跳躍し、手にしているオデッセイブレイドを振り下ろした。
それは綺麗にヒプノックの尻尾を斬り、突然の攻撃にヒプノックが悲鳴を上げる。だがそれでもライムは止まらず、着地してから斬り上げ、体を捻って足を薙ぎ払った。
「ピャァアッ!」
後ろにいるならばとヒプノックは尻尾を振り回してライムを振り払おうとした。しかしそれを身をかがめ、少し距離を取って当たらないようにし、オデッセイブレイドの柄を握りしめて意識を集中させた。
するとオデッセイブレイドに篭められている水属性の力が少しずつ表面に現れてきた。表面に現れた水の粒子は鈍色の刀身に纏われ、第二の刃となる。
「ふっ!」
それを振り抜けば水の刃がヒプノックを傷つける。だがヒプノックは水属性には耐性があるため大したダメージにはならないだろうが、これもまたダメージの蓄積要素となる。
「クルル……ピェエエッ!!」
ヒプノックは一度二人から距離を取りつつ二人を視界に収め、一度息を吸って吐き出した。その際嘴から何やら甘い匂いが僅かに香る青白い煙が吐き出された。
「っ、距離を取って!」
すかさずライムが叫びつつ左手で鼻を押さえた。同時にヒプノックと煙から離れるように後ろへと跳んだ。シアンもそれに続き、その煙を吸わずに距離を取る事に成功した。
ヒプノックの俗称は眠鳥。主食はネムリ草や眠魚であり、この二つに含まれている眠り成分を体内に蓄積する事を可能としている。
またヒプノックは元々臆病な性格をしており、眠り成分を含んだガスを相手に吐きつけて眠らせ、その間に逃げる事で自らの生存率を上げている。
つまり縄張りを侵されたとしても、奇襲を仕掛けられたとしても、このように反撃に出るという事は少々珍しい。人相手ならばそれは珍しくもないだろうが、イャンクック相手に戦うのはどうなんだろうか、とライムは思考の端で考えた。
「クェエエン!」
距離が開いたところをすかさずヒプノックが飛び蹴りを放ってくる。それがライムへと襲いかかるため違和感を思考するのを中断し、斜め横に転がる事でそれを回避する。ヒプノックの後ろへと移動する事で、ヒプノックの後ろから反撃できるようにした。
しかしヒプノックはそこからまた攻撃を続けた。視線がシアンへと移り、そのまま飛び蹴りを続行する。自然とライムとの距離は離れ、正面から相対しているシアンへと接近される。
「当たらないってね!」
今までと同じように横に跳べば回避できる事はもう把握した。空を切って振り上げられるその足を受ければ柔い装備であれば破壊されるだろうが、どのように飛んでくるのかを把握すれば回避する事は簡単なこと。
しかしだからといって慢心すれば思いもよらぬ攻撃が飛んでくる。ヒプノックの左へと移動したシアンだが、着地したヒプノックがそのまま息を吸って地面に向かって吐き出した。
翼をはためかせて低空飛行しながら吐き出される睡眠ガスは、気を抜いてしまっていたシアンに吸い込まれていく。飛び蹴りを回避したことでヒプノックの顔は、シアンの背後に位置してしまった。その為息を吸っている事に気づけなかったのだ。
漂ってくる睡眠ガスに気づいて鼻を押さえるがもう遅い。すでに鼻と口から入り込んだガスが体内に回り、シアンの意識が急激に落とされていく。
「く、うぅ……、やばい、かも……」
「シアンっ!」
ライムが叫ぶことで何とかシアンの意識をこっちへ戻そうとしたが、睡眠ガスの力は飛竜種相手だろうと眠りへと落してしまうほどの力がある。睡眠に耐性を付けるためのスキルを身につけていない人族では容易く眠りに落ちるしかない。
力が抜けたように地面に倒れていくシアンへとライムは駆け寄るが、すぐそこで低空飛行しているヒプノックが攻撃に移る方が早い。
「クルェエエ!」
羽ばたきながらその足が攻撃態勢に入る。地面にうつぶせで倒れ込んでいるシアンめがけて降下し、ヒプノックは右足を振り上げてシアンの横っ腹を蹴り上げた。
「――っ、はっ……か……!?」
眠りに落ちる事で無防備になっているシアンはただ無残に蹴り上げられるしかない。しかも小柄なために易々と宙に浮かび上がるその華奢な体。ヒプノックはまるでシアンを球のように扱っていた。
「シアン!! くっ……!」
宙を舞う小さな新緑の少女。ヒプノックは一度着地し、じっとシアンを見つめていた。落下していくシアンはヒプノックの蹴り上げによって強制的に意識を呼び戻されたが、その痛みによって受け身も取れない状態だ。
ぐっと力を籠め、ヒプノックが追撃態勢に入る。あの追撃が入ればいくらレイアシリーズを身に纏っているとはいえ命の危険が迫るだろう。そんな事は絶対にさせてはならない。
ポーチへと手を伸ばし、ライムは小タル爆弾を取り出した。導火線に火をつけ、ヒプノックの眼前めがけて放り投げる。走りながら投げつけたが、そのコントロールは正確で、狙い通りに弧を描いてヒプノックの顔付近で小タル爆弾は爆発した。
「ピェエエエッ!?」
突然目の前で発生した爆発に、ヒプノックがたまらずたたらをふんだ。その間にライムは落下していくシアンへと意識を向け、両手を伸ばしてシアンを受け止める体勢をとる。
だが距離と速さが足りないためにシアンが先に地面に落下してしまうだろうという計算が頭の中で完了された。でもそれで諦めてはならない。このまま落ちればシアンは大けがを負ってしまいかねない。
「強化、脚力っ!」
足を強化させて疾走速度を上げる。でもそれでもまだ足りない。
ならばこの速さを乗せて……飛ぶ!
「くぁあああああ!!」
自分を鼓舞する叫びをあげ、体を伸ばし腕を伸ばし、ライムは落下してくるシアンをその腕に抱きかかえた。そのまま着地する事はなく、伸ばした腕を曲げてシアンを胸に抱え、体を回転させて空中で体勢を整えて着地した。
地面を滑りながら何とかブレーキをかけ、ようやく勢いが殺せたところでシアンを一度地面に下ろしてやる。
顔を上げれば怯みから立ち直ったヒプノックが睨みつけてきている。そんなヒプノックに意識を向け、先ほど爆発した辺りに念を送れば、その周囲に炎が発生してヒプノックへと襲いかかった。
「クエッ、ピェエエ!?」
炎に顔を焼かれてヒプノックが悲鳴を上げた。水属性に耐性があるヒプノックだが、火属性に対しては少々弱点となっている。そうでなくとも普通の生き物が顔の近くに火を当てられては悲鳴を上げるのも当然の事だろう。
顔を振り回し、翼を羽ばたかせて火を消そうとしているヒプノックは隙だらけだった。普通ならばここで一気に攻撃を仕掛けるだろうが、ライムはもう一度シアンを抱え上げて走り出した。向かう先はすぐそこにあったエリア7へと続く細道。
シアンがこの状態になっては戦闘を続けるのは得策ではない。一度離脱し、シアンの手当てをしなければならない。その判断を誤る程ライムは落ちぶれてはいなかった。
ライムがエリア7へと移動した後、落ち着きを取り戻したヒプノックは「クルル……」と一鳴きして辺りを見回した。先ほどのハンター二人はもういない。
自分の住処であるフラヒヤの森を侵そうとしている存在が増えたことは、ヒプノックにとってよろしい事ではなかった。中央を侵しつつある闇はこのフラヒヤの森にも入りこんでいる。
狂化竜から逃げ出したイャンクックに、自分達を倒そうとしているハンター二人。穏やかだった暮らしはもうめちゃくちゃだった。
臆病とされているヒプノックも自分の暮らしを壊されては苛立ちは募る。それが辺りに漂う闇の粒子に反応している事も気づかずに。
しかしヒプノックに反応している闇の粒子はまだまだ少ない。その為このヒプノックは狂化竜に堕ちる事はまだなかった。
「クル」
空を見上げたヒプノックは翼を広げてゆっくりと飛行を開始する。そのまま木を突き抜けて空に上がり、北へと移動していく。その先にあるのはエリア4。泉のある広いエリアであり、森ではなく自然にできた広場のような場所である。
そしてエリア5は誰もいなくなり、そこには静かな森がよみがえったのだった。