幻想郷に来て三日目。
暁が起きると永琳の薬が効き、体に残っていた疲労は全て無くなっていた。
彼の協力者にも薬剤師がいたが、永琳は彼女と同じく天才と呼ばれる人種なのだろう。
感嘆しながら暁が朝食に向かうと、そこには難しい顔をした永琳と、彼女の表情を見て不安げにする鈴仙、素知らぬ顔でマイペースに食べているてゐの三人がいた。輝夜はまだ起きていないらしい。
「ごちそうさまー」
彼が座るとほぼ同時に食べ終えたてゐはさっさと食器を台所に運び、自室へと戻る。
暁はあまり箸が進んでいない二人に首を傾げる。二人のどちらに聞くか少し迷ったが、永琳に尋ねる。
「どうしたんです?」
「……あなたに話すことがあるわ。まずは博霊大結界について。……そして、外界の今の状態について」
彼女の言葉に目を見開く暁。
それは何よりも聞きたい情報だった。
真剣になった暁の雰囲気を感じた永琳は語る。
「結界は今のところ問題無い、とのこと。そして何より厄介なあの八雲の連中も、結界の維持にかかりきりでこちらには目もくれてない。これは私達には好都合ね」
「……八雲、というと。前聞いた名前ですね。八雲紫とかいう妖怪でしたよね?」
「そう。八雲紫とその式神である
「なるほど。確かにそんな立場からの監視が無いというのは幸運ですね」
「…………」
「……で? それだけではないでしょう? あなたの顔を見る限り、あまり愉快なことになっているわけではないことはわかりますが…………外の世界は、どうなっているんです?」
沈黙する彼女に、落ち着いた口調で問う。
その言葉に背中を押されたのか、重い口をようやく開く永琳。
「止まっている…………だそうよ」
「はい?」
「止まっている。人も、動物も、植物も、無機物も。……そして時間も。全てが、完全に停止しているってこと」
「…………」
暁は虚を突かれたように、呼吸が一瞬止まる。
鈴仙はさっき師に教えられたその事実を改めて認識し、どうしようもない事態に言いようもない不安を覚える。
二人の様子を見た永琳も目を閉じる。
いくらなんでも想像の埒外、人知の及ぶ領域を遥かに逸脱している。輝夜の能力を使えば物体や空間の時を止めることはできる。だが、彼女でも全世界に影響を及ぼすほどの力は持ち合わせていない。
いったい、自分達は何を相手にしようとしているのか————
「そうですか。それは好都合ですね」
しかし、その思考は平然とした暁の呑気な声によって打ち切られる。
永琳は思わず目を見開き、唖然として彼の顔を見る。鈴仙も同じような顔をしてマジマジと彼を見つめている。
「…………え?」
「な、なんです? 何か間違ってます?」
「…………暁、とうとうおかしくなったの? 時間が止まってるのよ? それも、全世界で。何もかもが。師匠が言ってることの意味、わかってる?」
「わ、わかってるよ。だから、好都合……だよな? 俺がこっちで手間どってても現実では一切時間が経たないんだろ? 外に出られるようになるまでどれだけかかるかわからない現状、メリットでしかなくないか?」
自分の聞き間違いかと思い聞き返す永琳と、暁が現実を受け止めきれなくなったのかと心配する鈴仙の二人。
しかし暁は、逆に二人に聞き返されること自体が想定外だったらしく、自分が何か間違ったことを言っているのか不安になりだす。
「そ、そういう話をしてるんじゃなくて! 時間停止よ!? 時間停止! 姫様と同じ能力だけど、規模がまるで違うわ! こんなことが起きてるのに、なんでそんな平然と——!」
「あ、あー…………なるほど……いや、悪い。確かに時間が停止していたのは予想してなかったけど、俺はそのこと自体にはそこまで驚いてないんだ。なんせ、
「……………………はぁ?」
「…………どういうこと?」
暁の答えに絶句する鈴仙。
代わりに永琳が引き継いで彼にそう聞いた。
彼も記憶を引っ張り出しながら彼女に答える。
「数ヶ月前のことです。ペルソナを発現した後に、俺が街を歩いていた時、周囲の物音や人々の声が突然途絶えました。何かと思い、辺りを見渡すと、そこは全てが静止した世界でした。ペルソナといい、意味不明なこと続きで……」
そこで一呼吸おいて、続ける。
「事態をまったく飲み込めず、俺が混乱してるうちに何事もなかったように周囲は元通りになってました。それ以降は何もなかったし、精神的な疲れからくる白昼夢か幻覚でも見たのかと思ってましたが…………どうやら幻覚ではなかったみたいですね」
肩をすくめ、淡々と語った暁。
永琳と鈴仙はもはや何も言えなかった。
「ペルソナといい、パレスといい。そしてこの幻想郷だってそう。世界には未知が溢れてます。…………もう慣れましたよ。いちいち驚いてられません」
——それより、せっかくのごはんが冷めてしまいますよ。さ、食べましょう。
そう言って彼は苦笑した。
朝食後、彼は鈴仙に話しかけた。
「なあ鈴仙。連日で悪いんだけど、ちょっと付き合ってくれないか?」
「…………何?」
さっきの話をまだ少し引きずっているのか、若干返答が遅れる。
「妹紅さんのところに行きたくてさ。どこに住んでるかくらいは知ってるだろ?」
「……まあ、知ってはいるけど。なんで?」
「まだお礼に行けてないから、できるだけ早いうちに行っておきたいと思って。やっぱダメか?」
「…………いいわよ。私個人としてはあいつと会うのは気が進まないけど……師匠からも暁の手伝いをするように言われたし。暁一人でここから出ても帰ってこれないしね」
思っていたよりすぐに折れてくれた鈴仙に頭を下げる。
「助かる。いつから出れる?」
「別にいつでも。けどお礼に行くって、手ぶらで? あんまりよく知らないけど、こういう時は何かしら手土産を持って行くのが相場じゃない? 香霖堂に寄って適当に見繕ってくる?」
「あ、そこは問題無い。俺のバッグの中に贈り物も何種類か入ってるから、そこから選んで渡すよ」
いつの間にやら傍らに置いていたバッグをポンポンと叩く暁。
鈴仙はそれを聞いて一つの疑問が浮かんだ。
「…………ねえ、あなたのバッグには何がどれだけ入ってるの? 昨日のスプレーとかタオルとか、それにお金も。いくらなんでも詰めすぎじゃない?」
「お? なんだ、知りたいか? 知りたいか??」
「…………さっさと行くわよ」
「えっ、ちょっ」
おもちゃを自慢する子供みたいなことを言い出した暁にイラっときた鈴仙は立ち上がる。
まさかスルーされるとは思っていなかった彼は引き止めようと鈴仙に声をかけるも、彼女は戸を開け、外に出ていった。
慌てて立ち上がり、こちらの後を追おうとする暁を視界の端に収めながら鈴仙はどこかスッキリした顔になっていた。
(ふふ、ようやく暁を出し抜いてやった。姫様や師匠だけじゃなく暁にまでいいようにされてたら身がもたないわ! こちらのペースに巻き込んでやる!)
小さくガッツポーズをする鈴仙。
幾分得意な気分になっていた彼女は、しかし大事なことに思い当たり、特徴的なそのウサ耳をへにょりと萎れさせる。
(…………でもその代償にバッグについてはわからないままね。うう、知りたい……けどもう聞けない…………!)
小さな満足感と引き換えに、彼のバッグについて知る機会は失われてしまった。
早まった行動だったかと後悔しかける鈴仙に、ちょうど追いついてきた暁が声をかける。
「待ってくれって。興味が無いのはわかったから、置いて行かないでくれよ。もうこの話はしないから」
「…………ええ、そうね…………」
先に行った理由を「バッグの話がどうでもよかったから」だと思っているらしい暁に訂正することもできず、表面上平静を装う鈴仙。
彼女は貴重な機会をみすみす逃したのではないか、と妹紅の家まで歩きながらずっと内心で煩悶することとなった。
「ごめんくださーい。妹紅さん、いらっしゃいますかー?」
鈴仙に案内された妹紅の家は竹林の奥深くにあった。
質素な造りの一軒家。暁は扉をノックしながら呼びかける。
やがて中で物音がし、次第に足音が近づいてくる。そして扉が開く。
「…………お前は」
「どうも。先日は大変お世話になりました。あの時言った通り、お礼に伺いました」
「……………………本当に来たのか。律儀というか、物好きな奴だな」
「いや、当然のことでしょう。助けてもらった上に道案内もしていただいて、お礼の一つもしないというのは……」
(……なんか、釈然としない。いや、敬語を止めさせたのは私の方からなんだけどさ……)
呆れたように笑う妹紅に、真面目な顔でその言葉を否定する暁。
そして鈴仙は暁の丁寧な態度になんとなく不機嫌になる。
「わざわざ来てくれてありがとう。じゃあ、帰りは気をつけろよ?」
「え、ちょ、待ってください。まだお礼の品を渡してないですよ。お邪魔なようならすぐ帰りますので、せめてそれだけは受け取ってください」
訪れて早々に話を打ち切ろうとする妹紅に焦る暁。
彼の言葉に目を瞬かせる妹紅。
「はあ? いや、いいよ。そこまで気をつかわなくても」
「気をつかうというより、そうでもしないと俺の気が済まないです。つまらないものですが、どうか……」
「や、わかったから! 頭を上げて! 受け取る、受け取るよ!」
「…………そうですか。よかった」
談笑する二人を眺めながら鈴仙は近くに落ちていた石を蹴る。
……何故だか思っていたより力が入り、勢いよく飛んでいく。
暁はゴソゴソとバッグを漁り、中からいくつかの物を取り出す。
「えーと……香水、お香セット、ルージュ、リング、ネックレス、花瓶、扇子…………あたりですかね。妹紅さんはどれか気に入ったものとかあります?」
「…………えっ」
「妹紅さんは赤と白で統一したコーディネートのようですし、俺としてはこのルージュがいいんじゃないかと思いますね。妹紅さんは色白ですし、さぞ綺麗に映えるのではないかと」
「いや、その」
「あ、別に選ぶ必要もないですよ。なんでしたら全部差し上げ————」
「ちょっと待ちなさいっ!!」
「——マ゛ッ…………! い、いきなり何するんだよ、鈴仙……?」
駆け寄ってきた鈴仙に全力で頭を叩かれ、暁は話を中断する。
目尻に薄く涙を滲ませながら鈴仙の顔を見る。その隣に立つ妹紅はホッとした様子で鈴仙に感謝の視線を送る。
「どういうことよ!! なんでバッグから次から次にそんな物ばっか出てくんのよ!!」
「なんで、って……いくつか贈り物は持ってるって言ったじゃん……」
「こんなに多いなんて思ってないわよ! だいたい花瓶って何!? なんでそんなのバッグに入れてんの!? 割れるでしょ!! 馬鹿じゃないの!?」
「そんなの入れ方次第だろ……実際割れてないし……痛い」
「そもそもどれもこれも明らかに高級品じゃない! なんでこんな物持ってるのよ!」
「お礼の贈り物なのに安物とか頭おかしいだろ大丈夫か鈴仙」
「ア゛ァァァァァッッッ!!!!」
「ゴフッッッ!!」
答えになっていない上に煽られた鈴仙は反射的に渾身の右ストレートを怒声とともに叩き込む。
そして腹を押さえて崩れ落ちる暁を冷徹な目で見下ろす。
「お、おい大丈夫か!? 鈴仙ちゃん、いくらなんでもやり過ぎだろ!」
「ソイツにはそれくらいで良いのよ。私はこの三日で学習したの」
「この三日で何があったんだ……」
次から次に出てくる品物に思考が停止し、流暢な暁の言葉に反応できずにいた妹紅。
最初は鈴仙の割り込みに「助かった」と側から呑気に見守っていたが、暁が沈んだのはさすがに看過できなかったらしい。
「それで、どうすんの?」
「え?」
「何を選ぶのかって話よ」
「いや、こんな良い物どれも貰えないよ。というかこっちの心配が先じゃ……」
妹紅は静かに悶える暁と鈴仙を交互に見る。
「どうせすぐに平気な顔で立つから問題無いわ。それよりも早く選びなさいよ。選ばなかったら結局全部受け取らされることになるわよ」
「え、ええっ!?」
「そういう奴だからね。で? どれにすんの?」
「ちょっと待って……こんなの決められないって…………」
「ソイツが立ち上がるまでが猶予よ。なんなら、
「待って、落ち着いて。決める、決めるから。だからその振り上げた拳を下ろして。これ以上は見てられない」
紛れもなく本気だと告げる鈴仙の目。
妹紅は暁のためにも必死で欲しいものを考える。
(…………お香と扇子はなんとなくアイツを思い出させるから却下。花瓶も飾る花が無いし、飾る趣味も無い。残るは香水と口紅と指輪、首飾り…………)
悩みに悩んだ妹紅。
やがて、決断を下して暁の出した品のうちから一つを取る。
それを見た鈴仙は感情を窺わせない平坦な声を出す。
「……結局、それにしたんだ」
「う、うん。指輪とか首飾りはつけるのが面倒になりそうだし、香水とどっちにするか悩んだんだけど……せっかくだから、勧めてくれたコレにする」
「…………ふぅん」
「な、なんだよ。柄じゃないのは自分でもわかってるよ」
「…………別にー」
そう言って、鈴仙は妹紅が選んだ品——ルージュから目を逸らした。
RPGの宿命ですが、「持ち物」って明らかに持ち運べる量をオーバーしますよね。
それを納得いくように解決するにはギャグ時空しか無い……!