こいしに引きずりこまれるようにして大穴に落下した暁。
このままでは墜落死——! という至極まっとうな危機感に襲われ、あれこれ考える前にペルソナを発動していた。
位置を指定せずに呼び出した【アルセーヌ】は自分と同化し、怪盗服を纏った全身に鎧のように展開される。
彼はそのまま空中で止まれ、と念じる。
すると背中から生えた黒翼が勝手にはためき、その場に静止する。
【アルセーヌ】に限らず、ペルソナは翼の有る無しに左右されず空中を自在に飛びまわれるが、今回の動きは彼の無意識下のイメージによるものである。
バサリ、バサリと音を立てながらその場でホバリングするジョーカー。
上から下まで黒で統一された衣装、そして背中に生える一対の黒翼。
何も知らない人間がその姿を見れば、ほぼ間違いなく彼を怪盗などではなく、悪魔だと認識するだろう。
ともかく、無事に墜落死は免れた彼はホッとし、そして自分をこんな目にあわせたこいしを姿を半眼で探す。
…………いない。彼を待たずに先に落ちていったのだろう。
(……こんな紐無しバンジーをいきなりやらせるのはやめてくれ…………こっちはまだ自分で飛ぶ感覚を知ってすらいないんだぞ……)
今までスキーヤーだった人間にいきなりスノボーを渡してトリックを要求するくらいの無茶振りである。
そして彼女の場合は無茶とわかっている、いないの次元ではなくて、そもそもそんなことを考えてすらいないというのがさらに頭を痛くさせる。
……だが、彼もただの人間ではない。
いざという時はこうして止まることができるとわかれば、決断することに躊躇はない。
彼はペルソナを解除してホバリングをやめる。
そうなると当然ながら重力に引かれ、穴の底に落ちていく。
ジェットコースターに乗っている時のような、自由落下に特有の気持ち悪い浮遊感を味わうが、無視。
眼鏡が落ちないようにポケットにしまい、空気抵抗からくる猛烈な風に顔をしかめる。
どれほど落ちれば底につくのか——
それから数秒ほど下の様子を見ながら落ち続けていると、
「…………ん?」
真っ暗だった下に小さな光が見える。
その光は次第に大きくなっていき、どんどん近づいてくる。
さしずめ、トンネルの中から抜けた先を見ているようなものだろうか。
ついにその光は彼の目前まで来て、次の瞬間にはその光を通り抜ける。
そして見えたのは地面とそこに立つ二人の人影。
地底という割に周囲が明るいことに驚きながらもペルソナを纏い、一気に減速する。
ゆっくりと降下し、立っていた人影の近くに着地する。
「あ、やっときた! 遅いよ!」
慣れないままに挑んだ空中での姿勢制御がうまくいき、安堵している彼に声がかけられる。
こいしだ。先に落ちて下で待っていたのだろう。
「……あのな、そもそも心の準備すらできてないままに空中に放り出されて、しかもこの状態で飛ぶなんて初めてなんだぞ……?」
「でもちゃんとうまくいったみたいじゃん! さすがお兄ちゃん!」
「うまくいってなかったらこうして会話できてないからな……」
恨みがましくこいしに文句を言ってみるが、柳に風とばかりにまったく気にした様子もない。
ドッと疲れを感じて肩を落とす彼に、こいしの隣に立っていた人物が口を開く。
「これが後から来るって言ってたやつ? ずいぶんと変わった人間だね。大丈夫かい?」
「……あ、はい。大丈夫です」
いきなり話しかけられて反応が少し遅れる。
「いきなりこの子がやってくるなり、『もう一人くるから道を空けて!』ときたもんだ。地上との不可侵条約を無視して妖怪が来たかと思えば人間だって言うし、どんなやつか興味が出てね」
「えーと……」
不可侵条約というのは永琳から聞いた。
地上の妖怪は無用なトラブルを避けるために地底と互いに不干渉を貫く決まりになっているらしい。
だが、『道を空ける』とはどういうことなのか。
道も何も、一本しか無いただの大穴しか地底への通路は無いと聞いたし、実際にそこを通って来たのだが…………
首を傾げるジョーカーに思い出したようにその少女は自己紹介する。
「あ、言い遅れたね。私は
「そうですか。ああ、だから『道を空ける』と……」
彼女の説明に納得する。
本来なら途中で彼女の網があるのだろう。こいしはそれを解除するよう彼女に頼んだというわけだ。
「すいません、ご迷惑をおかけしました」
「これくらいなんでもないよ。それより、人間が
ヤマメはこいしを見やりながらジョーカーに尋ねる。
「成り行き、と言いますか…………いろいろとありまして…………」
彼はなかなか際どいところを突いたその質問に言い淀む。
ペルソナや自分の素性について話すわけにもいかない。
「……とにかく、これから古明地さとりさんにお会いすることになってまして」
「…………げ。あいつに会うの? 勇気あるねー。……そういうことなら私はお暇するよ。あまり顔を合わせたい相手じゃないし」
途端に顔をしかめ、ヤマメはひらひらと手を振る。輝夜の言っていた噂に違わぬ嫌われようだ。
そして自分は比較的気のよさそうな彼女にすら、こんな反応をされる相手にこれから会いに行くのだ。
ジョーカーはますます憂鬱になりながらも彼女に一礼する。
「……では失礼します。こいし、地霊殿まで案内してくれ」
「えー、その前に地底観光しようよ! 案内するよ!」
「行くとしても挨拶が終わった後だ。さ、行くぞ」
「ぶーぶー! 行くって言ったって案内するのは私でしょー?」
騒ぎながらもこいしはジョーカーへ駆け寄っていき、その背中に飛びつく。
ジョーカーも抵抗せずに彼女をおんぶし、空中に浮かぶ。
そして背中ごしに彼女が示す方向へと真っ直ぐ飛んでいく。
それを見送ったヤマメもいつもの場所に戻ろうとする。
そこでふと何かが引っかかり、首を傾げた。
(…………そういえば、妙な格好だったな。仮面に全身黒尽くめで……ん? ……どっかで聞いたような…………)
仮面。黒い服装。
その情報に頭のどこかが刺激される。
(…………ま、いっか)
しかしそこで思い当たる記憶はなく、気のせいだろうと判断したヤマメは肩をすくめ、大穴へと飛んでいった。
一方ジョーカーは一目につかないようにしながら地霊殿があるという方角へ飛んでいた。
鬼や妖怪が住むという街からできるだけ遠ざかり、若干遠回りしてでも徹底的に誰かに見られることを避ける。
そうして用心した甲斐あって、誰にも見咎められることなく、地霊殿へと到着するジョーカー。地面に降り立つと同時に変身を解く。
そこにあったのは、地霊「殿」というだけあって、神殿のような立派な建造物だった。
「ここに住んでるのか。ずいぶんと大きな家なんだな」
「そう? すごい?」
「すごいすごい。中の案内も頼むぞ」
「任せて! そこの入り口からしばらく歩くだけだけどねー」
かなりの高さがある地霊殿を見上げながらおざなりに褒める。
背中のこいしをしっかりと支え、正面から中に入る。
広い玄関ホールに人の気配はなく、閑散とした印象を受ける。
こいしの指示に従って広い地霊殿の中を歩いていく途中で犬や猫に鳥、たくさんの動物達とすれ違った。
見慣れない男を見た動物達は露骨に警戒心を強めるが、その背中にのっかっているこいしを見た瞬間、大人しく彼の通り道を空ける。
その光景を物珍しげに眺めるジョーカーにこいしが話しかけてくる。
「みんなお姉ちゃんのペットだよ。お姉ちゃんは動物が好きなの」
「……そうなのか」
あれだけ悪し様に言われていたが、動物に慕われているような人物——妖物? ……なら、思っていたよりはまともで優しい相手なのかもしれない。
そんなことを思っていた矢先。
「あ! こいし様じゃないですか! 探しましたよ! ……そこの男は誰です?」
暁は背後からかけられた声に振り向く。
そこには赤いお下げの少女がこいしをおんぶする自分を訝るようにして見ている姿があった。
「やっほー、お
「…………お、お兄ちゃん? いきなり何を……」
「あ、お兄ちゃんに紹介するね。彼女は
「あ、はじめまして。俺は…………待て。ペット? ペットって言ったか?」
聞き捨てならない単語に耳を疑う。
「え? そうだよ。お燐はお姉ちゃんのペットだけど?」
「……………………」
「な、なんだいその目は!」
暁はこいしのとんでもない発言にドン引きし、信じられないものを見るような視線を燐にむける。
いきなり見ず知らずの男にむけられたその視線に憤る彼女に返事をせずに冷静に考える。
——ペットが動物。
……わかる。誰でもそうだろう。
——ペットが人間。
………………。
………………………………。
「…………こいし。お前のお姉さんはそういう
「趣味? うーん……お姉ちゃんの趣味はどちらかというと読書かなぁ」
「いや、そういう意味では……あー、なんでもない。忘れてくれ」
こんなことをこいしに聞いても無駄なことであるのは自明だ。
ますます古明地さとりなる妖怪に会いたくなくなったのは事実だが、今は気にしていてもしょうがない。
とっとと挨拶を終わらせて、一刻も早く地上に戻ろう。
「…………早く挨拶を済ませよう」
「そうだね。お燐、お姉ちゃんは今どこにいるか知ってる? お兄ちゃんはお客さんなの。お姉ちゃんに会わないといけないんだけど」
「え? えっと、さとり様ならいつも通り自室に篭りっぱなしですが……そちらの人間が客人というならそんな風にしがみつくのはいかがなものかと——」
「だってさ! 行こ、お兄ちゃん! この先曲がってすぐがお姉ちゃんの部屋だよ!」
「…………わかった。えっと、お燐さん? すいません、そういうわけですので、失礼します」
困惑しながらもきちんと聞かれたことには答える燐。
彼女の言葉を最後まで聞かないこいしは暁を急かして先へと進ませようとする。
どうするか悩んだものの、彼はとりあえず燐に一礼してその場を去った。
後に残された燐はただポカンとして、暁達の背中を眺めていた。
「ここがお姉ちゃんの部屋だよー。ついてきてー」
暁の背中から降りたこいしはそう言いながらドアを開けて部屋の中へと入っていく。
彼は本当についていっていいものか悩むものの、「早くー」と急かすこいしの声に負けて部屋へと入る。
右も左も本棚に囲まれた部屋をこいしの先導に従いながら進むと、やがて椅子に座って読書をしている一人の少女の姿が彼の視界に入ってきた。
その少女を見るなりこいしは駆け出していく。
「お姉ちゃん、ただいまー!」
その声に読書をしていた少女が本から視線を上げると同時、こいしは少女に抱きつく。
(……彼女が古明地さとりか)
確かにどこかこいしと似ているような気はする。
背丈もほとんど同じで、姉妹というより双子に見える。
「おかえりなさい、こいし。またいつもみたいにどこかに行ってたの?」
「うん! あとお客さん連れてきた!」
「お客……?」
そこで彼女——さとりは暁の存在に気がつく。
慌てて頭を下げる暁。
「あ、その、お邪魔してます。あなたに用があってここまで来ました」
「………………」
彼の挨拶に返事をしないまま、胡乱げな瞳で暁を見つめるさとり。
やはり勝手に部屋に入ったのはまずかったか、と彼が後悔しはじめた頃にようやく彼女は口を開く。
「……失礼しました。ここに客人など久しく来ていなかったことに加えて、まさかこの子が誰かと一緒に行動するなんてことは想像の埒外だったもので。…………地霊殿へようこそ。ここの主である、古明地さとりとは私のことです」
怒っていたわけではなく、純粋に驚いていたと知り安堵する暁。
心を読む妖怪だけあって、なかなかのポーカーフェイスだ。
彼女の自己紹介に対して自分も自己紹介を返そうと考えるが、はたと気づく。
(……なんて名乗ろうか)
ここで怪盗だと名乗ったとしよう。
彼女からしてみれば、いきなり妹と現れた男が怪盗を自称する変質者だった……としか捉えられない。
逆に本名を名乗ったとしよう。
それ自体に問題はなくとも、やがて自分がもっと大々的に知られ、誰かに追われる立場となった時、ここから足がつくのではないか。
異変を解決するという博霊の巫女。
過程を無視して勘で手がかりとなる存在を見つけて暴力的に解決するという。
そんな相手に見つかる可能性はできるだけ避けたい。何より、さとり自身を巻き込むこととなる。
そこまでの思案を瞬きするほどの短時間で済ませ、彼は口を開く。
「……私は『永遠亭』の人間です。そこの少女——こいしさんに、我々のところに滞在したいとの申し出を受けたので、その旨をお伝えしに参りました」
所属を強調し、個人名をぼかす。
本題は自分の名前ではなく、あくまでこいしを預かること。
案の定、それを聞いたさとりは少しだけ表情が変わる。これが彼女の驚いた時の反応だろうか。
「こいしが……? 何故です?」
「私がお兄ちゃんを気に入ったから!」
と、自分で申告するこいし。
さとりは暁からこいしに視線を移す。
「気に入った?」
「うん! しばらくお兄ちゃんと一緒にいたい! いいでしょ?」
「…………」
それを聞いたさとりは沈黙する。
(……いきなりこんなこと言われても納得できないよな。かといってこれ以上尋ねられるとボロが出そうだから、なんとかここで収まってほしいが…………)
暁はハラハラとしながら見守る。
そんな彼をチラリと見て、片目を瞑るさとり。
ウインクするような彼女の行動に戸惑う暁は首を傾げる。
「————!?」
しかし次の瞬間、はっきりわかるくらいにさとりは驚いた表情になる。
すぐに無表情になり、何事かを考えだす彼女はやがて口を開いた。
「…………わかったわ。あまり迷惑はかけないようにね」
「はーい!」
(…………え!? 納得するのか!?)
さとりの謎の行動の連続に困惑していた暁は、彼女があっさりと承諾したことにさらなる衝撃を受ける。
どういうことかと思っていると、本人からの説明が入った。
「今あなたの心を読もうとしましたが、ぼんやりとして見えませんでした。……こいしと同じく、ね。……理由はわかりませんが、この子はきっとそこに惹かれたのでしょう。心は読めずとも、この子が気に入った相手なら、きっと悪い人間ではない。面倒をかけると思いますが、どうかよろしくお願いします」
「は、はい! もちろんです!」
コクコクと頷く暁。
こうも話が楽にいくとは思わなかった。
頭を下げ、走ってきたこいしを受け止める。
「…………では、しばらく妹さんをお預かりします」
「はい。…………こいし、いってらっしゃい」
「うん! いってきます!」
彼らは互いに頭を下げあう。
そして暁はこいしを連れてさとりの部屋を後にした。
今回はちょっと駆け足気味です。
次回までに地霊殿でのやりとりは済ませておきたかったので。
雑だったり強引なところがあるかと思いますが、どうかお許しを。