連続する剣戟の音色が、澄み渡った空気を伝播していく。
「そこっ!」
「くっ……」
鋭い一閃。甲高い金属音とともにジョーカーの持つ刀は呆気なく宙を舞い、足元に突き刺さった。
白い息を緩やかに吐きながら残心をとり、妖夢は自分の“楼観剣”を鞘に納めた。対するジョーカーはため息をついて両手を挙げる。
「参った、降参だ。……動きについていくので精一杯だな。ここまで動けないのは我ながら情けない」
「何が動けない、よ。そもそも剣において赤ん坊同然の相手に多少なりとも粘られてる時点で私の立場が無いじゃない」
「そこはまあ、剣以外のところで培ってきたからな。躱したり見切るだけならそれなりにできるさ。肝心の剣の腕がお粗末すぎて、受けることも斬ることもままならないがね」
「そうね。今のあなたはただ自分の身体能力に物を言わせて剣を振り回してるだけ。いっそ持たない方がいいくらいね」
「…………耳が痛いよ」
苦笑したジョーカーは妖夢に弾き飛ばされた“薄緑”を拾う。そんな彼に妖夢は問う。
「ねえ、どうして剣を使おうとするの? 他に使ってきた武器があるんでしょう? それで戦えば……」
「ダメだ」
「!」
急に硬い声になり、明確な拒否の意思を示すジョーカーに妖夢はたじろぐ。手にした“薄緑”を見つめるジョーカーの横顔は、仮面ごしにでもわかるほど真剣な表情をしていた。
「今までと同じじゃダメなんだ。それじゃ足りなかった。だから……俺は、強くならないといけないんだ」
「………………」
「そのための課題の一つとしてこれがあるだけだ。他にもできなければいけないことはまだまだある。ダメなんだ。このままじゃ……」
言葉を絞り出したジョーカーはそれっきり沈黙する。悔恨の滲むその独白を遮ることなく聞いていた妖夢はしばらくしてため息をつき、口を開く。
「……黙って聞いていれば、ずいぶんと馬鹿馬鹿しい。強くなるために剣を握る? 間違いじゃないけどね、そんなあれもこれもやろうとしてる心構えで簡単にいくほど甘いもんじゃないわよ。舐めてんの?」
「っ………………」
切れ味のいい妖夢の指摘に思わず奥歯を噛むジョーカー。反論のしようもない。
「だいたいね、貴方程度が自分の実力に悩むなんて分不相応にもほどがあるわよ。卵から孵ったばかりの雛鳥がいっちょまえに空見上げて飛ぼうとしてどうすんのよ。そんなことするのは相応の時間をこの道に捧げる覚悟を決めてからにしなさい」
鋭い言葉と裏腹に妖夢の表情に怒りの色はない。ただ淡々と言葉を続ける。
「私なんかもう何十、何百万回剣を振ったかもわからないけど迷い続けてる。この道は片手間に進んでいけるほど、簡単でも楽なものでもないわよ」
「…………その、通りだ。君の積み上げてきたものの価値を貶めるような発言だった。……すまない」
自分の発言が無思慮なものだったと気づいたジョーカーは深く頭を下げて妖夢に謝罪した。対して肩をすくめた妖夢は腕組みをし、柔らかい声色でジョーカーに言う。
「……それに、当たり前のことだけど剣の鍛錬を積んでも剣術が上達するだけよ? あなたも既にわかってるだろうけど、武術はそれぞれに違う動きの“型”がある。半端にあれこれ身につけてもかえって歪むだけ。百害あって一利なしよ」
「だからこそ、あえて聞くわ。あなたの求める強さっていうのは何? 本当にあなたが必要としているのは剣術を修めることなの? あなたは、どうしたいの?」
「…………! ……それは……」
思わぬ問いに考え込むジョーカー。その様子を妖夢は真剣な顔で見守る。……ややあって、ジョーカーは口を開いた。
「俺は──とにかく、敵を倒すための手札を増やしたかった。剣はその選択肢の一つ。別にその武器を極めようとは思わない。ただ、敵を倒せればそれでいい」
「…………やれやれ、ずいぶんとまあ物騒な答えが返ってきたわね」
妖夢は苦笑する。彼の言う「倒す」が実際のところ、もっと血腥いものであるのは察しがつく。しかし、そこにはあえて言及しない。その「敵」とやらがなんであるかも。
「……なら、やっぱりあなたは剣術を学ぼうとするべきじゃないわね。剣術はあくまで剣のみを振るうためにあるんだから。むしろあなたがするべきなのは本来の自分の戦い方に立ち返ることよ。その動きの上に剣を“乗せる”。……邪道もいいところだけど」
「……なるほど」
妖夢の真摯なアドバイスを自分の中で反芻し、納得する。
「……ま、そんなものは所詮付け焼き刃にすぎないわ。どこまで効果があるかは未知数だけど………少なくとも、半端に剣術を身につけようとするよりはマシよ」
「…………重ね重ねすまない。そしてありがとう。おかげで自分が本当にやるべきことがわかった気がするよ」
「別にいいわよ。こっちとしても稽古相手を求めてるのに、その相手に変な癖がついて弱くなるなんてごめんだもの」
「ははっ、違いない」
軽く笑うジョーカー。そしてその手に持った“薄緑”を音も無く消失させる。妖夢はその光景を見てもはや驚こうともせずに呆れ声を出す。
「ホントなんでもありね。いっそ手品師にでも転職したら?」
「ふっ、廃業したらそれも視野に入れておこう」
言いながらどこからともなく取り出したのは一本のダガー。それに、
「…………何それ?」
「知らないか。拳銃という道具なんだが」
“R.I.ピストル改”。モデルガンを更にカスタマイズしたものだ。
「銃? こんな小さいのが?」と妖夢はジョーカーから受け取ったそれを物珍しそうに矯めつ眇めつする。「銃そのものは知っているのか。……幻想郷の技術の進歩具合はいまいち掴みにくいな」と呟くジョーカーに「何か言った?」と聞き返す妖夢。
「いや、なんでもない」と首を横に振って手渡された拳銃も“薄緑”同様に消失させるジョーカー。そして手の中でくるりと回転させたダガーを逆手に握り、軽く振るう。
「今の拳銃とこれが俺の武器だ」
「ふーん、なるほど……私の“白楼剣”よりも短いわね。かなり間合いを詰めないと使えなさそうだけど」
「ある程度の距離まではさっきの拳銃でカバーできるからな。……それ以上離れてたら離れてたでまた違う手段はあるし、な」
「……へぇー……」
自分ならどう戦うか想定しているのか、まじまじとダガーを見つめながら考え込む妖夢にジョーカーは「……試してみるか?」と尋ねる。その声で我に返った妖夢は「……え?」と瞬きして首を傾げた。
「さっきは君の稽古になるほど俺が戦えていなかっただろう? だから今度はこちらでお相手しよう。今のアドバイスに対する返礼も兼ねて」
「……いいじゃない。受けて立つわ」
きょとんとした表情から一転、引き締まった顔になる妖夢。彼女は“楼観剣”を引き抜き、脇構えでジョーカーに相対する。
「先手は譲るわ。どこからでも好きなように来なさい」
「……そうか。ではお言葉に甘えて────」
息を静かに吐いて脱力するジョーカー。右脚を後ろに下げて半身になる。
次の瞬間。
ギュルッ! とその場で独楽のように高速ターンしたジョーカーを見て、妖夢はその速度に少し驚きながらも反射的に予想した。この勢いで右手のダガーを振るうのだろう、と。
しかし、
「なっ!?」
その予想に反してジョーカーが選択していたのは後ろ回し蹴り。コンパスのように軸足を基点にした左踵が美しい円弧を描いて側頭部へと迫る。咄嗟に上体を反らした妖夢は、崩れそうなその体勢から右手を地面につけて体を支え、反動をつけて跳ね上がるように上体を起こしながら左手だけで無理やり斜めに斬り上げる。蹴りを放った直後のジョーカーは無理に避けようとせず、体の側面に来ていた右手のダガーで受ける。さすがに不安定な体勢で完全に衝撃を殺すことはできず、激しい金属音とともに弾かれた。横にむかって倒れこみながら妖夢と同じように左手を地面につき、一瞬折り曲げた肘を伸ばす、その反動だけで勢いよく自身を浮かせる。バネのように跳ね上がった体を空中で捻りながら着地。まるで曲芸のような動きである。
距離をとって再び妖夢と対峙したジョーカーはそこから攻勢を続けるわけでもなく、両手をポケットに突っ込んで笑う。
「お好きに、とのことだったからな。……どうやら驚いてもらうことには成功したようだ」
妖夢は呆れとも感心ともつかない表情で剣を正眼に構えなおす。
「何よ今の……さっきまでと身のこなしが違いすぎるでしょ。……というか、意表を突くためとはいえ、剣構えてる相手に蹴りなんて選ぶ?」
「君は“楼観剣”を脇に流すように構えていただろう? あの至近距離で左からくる蹴りをその長物で迎撃するのはまず無理、そもそも振るう前に止められる……と思ったんだが。まさか仰け反りながら、それも片手で振り抜くとは恐れ入った」
「それを防いだあなたも大概だけどね。咄嗟のことだったからかなり本気で斬ろうとしたんだけど。……怪盗、ねぇ? さすがに素性が気になるけど…………」
「………………」
「……ま、そうよね」
答える気はない、とばかりに肩をすくめて何も言わないジョーカー。妖夢も最初から答えを期待していたわけでもなく、特に気にした様子はない。
「いいわ。それより続けましょう。……弾幕を使わず剣でやりあえるなんていつぶりのことかしら」
「俺もあまり対人というものは経験したことはないからどこまでやれるかはわからないが……やれる限りはやらしてもらうさ」
「上等。来なさい」
「言われずとも」
──────刹那に詰まる彼我の距離。
交錯する二つの影が連続する刃鳴を生み出して、火花散らす剣の舞が再開された。
一方。
炬燵に入ったまま黙々と蜜柑を食べ続ける幽々子とこいしの二人。遠くから小さく剣戟の音が聞こえてくるが、それ以外はいたって静か。時たま使用人の幽霊が廊下を通るくらいだ。
「ねえ」
「……んー?」
ふと呟くように口を開いた幽々子。こいしは視線を手元の蜜柑から離さずに気のない声を返す。幽々子も自分の剥く蜜柑から目を離さない。
「あなたとあの怪盗さんはどんな関係なのかしら?」
「えー? うーん…………」
「言えないことなのかしら?」
「いやー、そういうわけでもないんだけど……関係、関係…………わかんないな。うん」
投げやりなようではあるが、こいしとしては至って真面目に答えた結果である。
「私がまず見つけて、面白そうだからつきまとってるだけ? みたいな? 別に関係だのなんだのみたいなご大層なものは無いかなー」
「ふうん。そうなの」
その返答を幽々子は素直に受け取る。そして相槌を打つように何気なく呟く。
「確かに興味深いわねぇ。何を目的として怪盗だなんて名乗って盗みを働いてるのか、とか。そもそも人間なのか、とか」
「…………」
「……? どうかした?」
不意に黙りこむこいし。それを感じとった幽々子は剥き終えた手中の蜜柑から視線をそちらへと向けた。こいしは手に取ろうとしていた蜜柑を置いて、ぼうっと宙空を見上げる。その目にはなにやら異様な色が渦巻きはじめていた。
「鏡、ってあるじゃない? ほら、道具の」
「…………ええ。私もよく使うわ」
幽々子はこいしが切り出した脈絡もない話題に眉をひそめながらもひとまず疑問を飲み込んで同意を示す。
「あれってさ。その前にあるものをそっくりそのまま映すわけじゃん」
「そうね。それが鏡の役割だもの」
「でね? それはつまりさ? ないものは映せない、ってことでしょ?」
「それは…………当たり前でしょう」
何を言いたいかを掴めずに困惑を深める。そんな幽々子に構わず熱に浮かされたような口調でこいしは続ける。
「ないものは映せない。────裏を返せば
「そこに確かにあるはずで、そこに確かに映っているはず。なのに見えない。見えていてもわからない」
「自分からも、誰からも。認識できない、映らない。……そんなもの、存在してると言えるのかな」
「ねえ、亡霊さん」
「教えてよ」
「私は生きてるように見える?」
「あなたの世界に、私はいる?」
「私は────
「──────ッ!!」
久しく感じていなかった悪寒が背筋を走った。そして気がつく。自分が今まで掌に持っていたはずの蜜柑がどこにも無いこと。
そして、対面の少女の口の端から伝う雫。目を離してはいなかった。気がつかないはずもなかった。なのに。
いつのまにか引き込まれていた幽々子が我に返ったと同時、こいしもふと瞬きをして首を傾げる。その目からは既にあの異様な色は綺麗さっぱり去っていた。
「……あれ? ……うわっとと、蜜柑の汁が」
慌ててゴシゴシと頰のあたりを服の袖で拭う彼女はごく普通の少女にしか見えなかった。
「いけないいけない。床を汚しちゃうところだった」
「………………」
「あ、大丈夫だよ! 零してないから! ちゃんと拭いたよ!」
幽々子の視線に気づいたこいしは誤魔化すように両腕をぶんぶんと振る。そして気をとりなおすように咳払いをして口を開いた。
「えーと、つまりそういうこと? なのかな? 私の理由は」
「…………何の話?」
「何のって…………」
やや表情の強張った幽々子の反問に口を開き──首を傾げる。
「…………なんだっけ?」
「………………」
「えーと……あ、あはは…………じゃあ私、二人の様子でも見に行ってくるから!」
こいしは場の空気に居た堪れなくなったのか、そう言って逃げるように走っていった。残された幽々子は強張った表情のまま考えていた。
あの少女が口にしたことと一変した雰囲気。明らかに普通ではなかった。そう、あの少女…………あ の…… ………… ………… ?
「………………あら?」
「私、今何を考えていたのかしら────?」
ややホラー風。不気味さ出そうとしてみたものの筆力足りてない気がするなあ……
“世界は観測するものがいて初めて存在する”ということに絡めて云々、みたいな感じでした。こいしの危うさみたいなものを表現できていたらいいんですがね……(自信無し