「そちらに兵を割く。なんとしても学園地区を抑えろ。―――急げ!」
通信を一方的に切った。なんとか激昂するのだけは抑えようとしたが、ことこの問題に対しては、正気ではいられない。この戦い全てに関わる、重大な目標だったからだ。
ルルーシュにとってそれは、何よりも優先すべきことだったからだ。
「くそっ! あんな場所に伏兵がいたとは……。
まあいい。今は租界中がパニックだ。ブリタニア軍も、総督府を守るだけで手一杯だろう。学生の避難など、後回しになるはずだ」
「そうなるといいな」
不意に、自分の下から声が聞こえた。
副座式のガヴェインのコックピット内、自分が最も心を許している共犯者が、沈黙を破って答えた。
「……それはなんだ。皮肉のつもりか、CC?」
「言葉通りの意味だ、ルルーシュ。まだ今は、全てがお前の想像通りに動いている。一つぐらい想定から外れたぐらいで、あたふたする必要はない。
戦術的勝利などくれてやればいい。大事なのは―――」
「わかっている!」
それ以上は聞きたくない、と言わんばかりに激昂した。
大事なのは、「戦略」的勝利だ。いくらゼロ番隊がほぼ全滅してしまって、外縁部を崩落させた勢いのまま電撃的に学園地区を占拠することを失敗したとしても、次の手を打てばいい。持ち駒はまだある。自分にとって重要な拠点ではあるが、この戦いにおいてはさほど重要ではない学園地区だ。ブリタニア軍は、そこを重要視しない。そこを狙うであろう唯一の敵についても、対抗策をとってある。何も、心配することはない。
だがそれでも、彼女の、ナナリーの身の安全が保証されていないというのは、それがわずかばかりのことであっても、自分をこんなにも不安にさせる。
敵は何も、ブリタニア軍だけではない。自分が操っているこの日本人たちもまた、牙をむく恐れがある。
行政特区で引き起こされた虐殺の映像によって、復讐の群れとかした日本人たち。彼らすべてを統率することはできない。ただの暴徒であって、雪崩のようなものだ。不用意にも連結し合ってしまうことで、互の重みに耐え切れず堕ちるとこまで堕ちる。そして自分が、彼らのリーダー=ゼロとして、その崩落に今まで自分たちを支配してきたブリタニア帝国を巻き込めと、扇動した。少しでもコントロールの手を緩めれば、たやすく彼らは、下劣なことも厭わなくなるだろう。自分たちが今までやられたことを、同じように、ブリタニア人に返すことだろう。
自分では立てず目も見えない彼女は、真っ先に犠牲になる。彼女の周囲にいるであろう生徒会のメンバーたちの善性を信じないわけではないが、彼女を守るほどの壁になるか否かを賭けるには、彼女の命はあまりにもかけがいのないものだ。……そんなことは、絶対にできない。
「……わかっているのならば、いい」
そう言うと再び、黙したまま眼前のモニターと向かい合った。
その背中は、どこまでも冷たく不動だ。まるで、このガヴェインと一体となったかのように、無機質な冷たさを纏っていた。
そんな彼女に文句の一つでもかけてやろうとしたが、やめた。それが、彼女のなりの鼓舞の仕方だということが、わかったからだ。
この自分に対して、迷うなと言っている。同時に、たとえどんなことがあったとしても私はお前の共犯者でい続けるとも、語っている。
「……わかっているさ」
だから、小さく呟くだけにした。
もう、先程の不安は消えていた。頭は、次の最善手をひねり出そうとしている。普段の冷静さが、戻ってきていた。
「敵の航空戦力は片付ける。ディートハルトは所定の位置へ、G-1はカグヤに仕切らせろ」
『はい』
静かな、事務的とも言えるような声が帰ってきた。
ディートハルト・リート。
ブリタニア人の報道記者だが、帝国に反旗を翻す黒の騎士団に参加したキワモノだ。ゼロに魅せられた、世界を革命する劇場型犯罪者の姿に己の欲望の形を見た奴は、それを見るだけでは飽き足らず自分でプロデュースするために、ブリタニアを裏切った。誰を撮るか、どこから見れば、どのように映し出せば観客の心を動かすことができるのか、熟知している。その情報操作に対する手腕を認めて、作戦に必要な下準備をまかせている。
だが、外見からは見分けがつきにくい、獣だ。
「扇は、兵を率いて学園地区へ向かえ」
『わかった』
『ゼロ。こちらにもあまり余裕はないぞ。今兵を割けば、こちらの方が押し切られてしまう』
黒の騎士団たちに変更した指示を伝えるが、それに異を放つ通信が帰ってきた。
藤堂鏡志郎。
「奇跡の藤堂」との異名を持つ元日本軍人の彼は、その名に違わぬ軍事的な才能を見せている。混沌を極めてしまう前線において、彼が指揮をとり続けているからこそ、こちらの意図通り的確に兵を動かしてくれる。その大部分を、こちらで流した虐殺の映像に魅せられた暴徒か訓練もされていない別のレジスタンスでしかないが、見事にまとめ上げている。その能力は、十分に認めている。
その彼からの反対意見だ。
「わかっている。だが、策は打ってある―――」
言いながら、モニターを見た。
そこには、このガヴェインに搭載されているファクトスフィアが捉えたリアルタイムの立体映像が、映し出されていた。加えて、リンクしている黒の騎士団のナイトメアから送られてくる情報も、同じように映している。それらを、同じく搭載されている高速演算装置・ドルイドシステムによって分析・統合することで、この租界ほぼ全域のリアルタイム映像を作り出すことができていた。
トウキョウは今、電波やECMの影響下の戦場であるため全てを網羅することはできない。だがそれでも、モニターには、ブリタニア帝国が測量した地図にはない地下に広がっている網目状の空間まで映し出すことができている。
そこに、肉眼では決して見ることができない地下の空間に今、一つの大きなシグナルが政庁方向へと移動していた。
ゼロ番隊のことは想定外であったが、この動きは、あらかじめ命じた通りのものだった。
上の二人と違って完全にその性質を掴んでいるわけではないが、仕事はきっちりこなす男であることは、付き合っていくうちに飲み込めた。カレンではなくて奴に命じたのは、間違えではなかった。
輻射波動を用いて政庁を崩落させてしまうために、キーとなるその者が、所定の位置まで移動していた。
「今、矢吹を地下へ行かせている。やつが到着したのならば、政庁を落とすことができる。それまで、ブリタニア軍を政庁に押し込めておければいい」
『……なるほど、その手があったか。
だが、コーネリアはどうする? 奴を捕縛しなければ、帝国の増援には太刀打ちできない』
「航空戦力を片付け次第、私が奴を捕らえる」
『機体のスペックに頼りすぎるのは、危険だと考えるが?』
ブリタニア軍がこちらの通信を傍受していることはないだろうが、万が一を考えると危険は冒せない。そのため、作戦の概要を事細かに説明することはできなかった。だが、流石と言ったほうがいいのかもしれない、藤堂はその一言だけで、こちらの意図することを読み取ってみせた。そして、その問題点を指摘してくる。
それについては、問題はない。少々危険なことではあるが、事前に策は打ってある。
ただ、それがちゃんと機能するかどうかは、確かなことが言えない。なにせ、銃で撃たれた重傷の身だ。俺が命じた以上それを必死でこなそうとするのだろうが、目的を果たせるかどうかは信頼性に欠けるものだ。
「私が来たとあらば、奴を上に誘導できる。一騎打ちで私を倒すつもりだろう。―――撹乱するだけに留める」
そう言うと、通信を切った。
それだけでもいい。それ以上は、必要ないだろう。捕らえてしまった後ならば、いくらでも機会はある。
彼女には個人的に、聞きたいことがある。
俺の母、「閃光のマリアンヌ」を殺した犯人の糸口がやっと、この手につかめるかもしれない。俺を、そしてナナリーを、このような状況に追い込んだ奴の正体がわかる。復讐すべき元凶を、捉える事ができる。
下のCCは、何も言わずモニターを見つめている。少し癪ではあるが、その姿に見習うことにしよう。
もう、やるべきことは決まった。あとは、それをやるだけだ。
◆ ◆ ◆
「将軍、おやめください!」
「父上、気が狂ったのですか!」
グラストンナイツたちが、私の息子たちが私に、銃を向けている。あれは、クラウディオとバート、それにデヴィットか。
声の震えとは裏腹にその銃口は、しっかりとこちらを見据えている。自分が訓練した通りのことだ。ホルスターから銃を抜いて構えるまでの一連の動作は、なめらかで無駄がない。彼らの日々の鍛錬のたまものだろう。それを向けられていながらも、誇らしい気分に満たされる。
ただ、引き金にかけられている指に、力を込められないでいた。
5人の指揮を取らせている穏やかさと厳しさを兼ね備えたクラウディオや、沈着冷静でありながらその胸に激情を秘めているバートも、いつもは粗野で乱暴に振舞ってはいるがいざという時は自然体で行動できるデヴィットでさえも、固まったように動けなくなってこちらを見つめているだけだった。
怪我を負った自分に肩を貸したエドガーは、いつも決して隙など見せない用心深い性格をしているが、そのホルスターから銃を抜き取られたことに瞠目しつつ、どうにか隙を伺っている。その相手が、まさかこの自分であるなどとは、つゆとも疑ってなかった目だ。そして、アルフレッドは、ここまで自分を運んできた枢木をその場で跪かせて拘束しながら、どちらを優先すべきなのか、判断がつかない様子だった。
そのためらいは、標的を前にして、最もしてはいけないこと。もはや彼らは、私がなにかしない限り、そこから一歩も動けなくなっている。
「なぜ、なぜだダールトン……」
傍ら、まさに目と鼻の先に、情熱と清純さを程よくブレンドしたようなワインレッドの髪が揺れている。その持ち主は、息絶え絶えにしながらも、己の現状を理解できないでいた。いや正確には、納得することができないでいた。こちらの腕でしっかりとその首が絞められているため、まともに息ができず苦しいはずだ。
彼女ぐらいの体格の者の意識を落とすのは、普段なら造作もないことだ。だが腹から、力を入れれば今も血が噴き出すような深い重傷を負っていながら、締めた腕を解こうともがいている人間から意識を奪うのは、なかなかに難しい。
彼女を苦しませたくはなかったが、こうなっては仕方がない。自分には、どうしても、こうしなければならない理由があったからだ。
「ご安心ください、姫さま。お命までは取りません―――」
自分の口から声が出た。周囲の緊迫した空気とは全く正反対の、機械的とも言える返答だった。
そのためだったからだろうか。自分の声であるのに、それを喋っていたのが自分であるとは、思えなかった。
「ゼロに身柄を、引き渡すまでの辛抱です」
そう言うと、腕にいっそうの力を込めた。
同時に腹の傷も開いているはずだが、何故かその時激痛は、行為を止める堰とはなり得なかった。麻痺以上に、妖しい悦びとでも言うような感覚がじんわりと、熱とともに広がっていった。
「く、くァァッ……」
その効果は、ギリギリのところで拮抗していた自分と彼女の関係を、こちら側に傾けた。それを戻そうと彼女は、最後の抵抗をその声と目に宿らせて放った。しかしそれは、虚しく空気の中に溶けて、消えていった。
するとそのまま、腕の中で落ちた。
硬い岩のようだった彼女の体が、次の瞬間、めい一杯細かい砂を詰め込んだよく伸縮する革袋へと変わった。その重みを捉えそこねて、少し体が傾く。首を絞めていた腕で、こぼれ落ちる彼女の体を抱え直した。
一瞬、注意が、意識を閉ざした彼女へと向けられていった。
(眠られている姫様は、なんと、可愛らしいことか―――……)
彼女には不釣合いなその褒め言葉だが、改めて近くで眺めてみると、その思いを一層強くする。口元が思わず、緩んでくる。
ブリタニアの戦女神だとか、その猛々しさをもてはやされ同時に畏れられてもいる彼女だが、実際の彼女はこのとおり、実年齢より10歳は幼くなった少女の寝顔を、無防備に晒している。そこには、戦場の荒々しい生命の匂いとは無縁な、平和なブリタニア王宮の花園で慈しめられた華の、透明かつ可憐な美しさが満ちていた。半生を無骨な戦場で過ごしてきた自分であっても、そうであるからもしれないがそこに、無闇に踏みにじってはいけない何かがあると感じることができる。
なぜならば、恐れ多いことではあるが、彼女には、臣下として以上の特別な感情を、抱いていたからだ。
◆◆◆◇
彼女の訓練教官として、幼き頃からその成長を見守ってきた。
“―――ダールトン。私は、強くならなくてはならないんだ。皇女だからといって、手心を加えたりするなよ”
“イエス・ユア・ハイネス。コーネリア姫様”
“……ではダールトン。まずその、「姫様」というのはやめろ。私は、そんな軟弱なものじゃない!”
そして、彼女との関係は、その勇ましくもいじましい宣言から始まった。
皇女や女性であったからといって、甘やかしたことはない。ただそれは、どう接すればいいのか、わからなかっただけだ。
女性との付き合いはあるが、娘など持ったことがなかった。優しくすればいいのか厳しくすればいいのか、まるでわからない。目の前に差し出された彼女は、あまりにも、今まで自分が見てきたものとはかけ離れていたからだ。決して、粗末に扱うことはできない無垢なものだった。だから、自分が最も慣れた方法で、軍人として彼女を「訓練」してきてしまった。
彼女は、それによく応えてくれた。ブリタニアの皇族という義務感もあるが、その情熱の大半は、妹ユーフェミア様へ注がれていた。彼女を守らなくてはならない。守れる存在に、自分が変わらなくてはならない。幼いながら彼女が、自分の軍人としての訓練に耐えられてきたのは、その責任感故なのかもしれない。
今思い返しても、それを思い返すときはいつでも、これが彼女にとって正しいことだったのか不安になる。もっと皇女として、女性として、舞踏会の華として舞っていた方が、彼女のためになっていたのではないかと後悔している。自分が関わってしまったがために、この可憐な華を踏みにじってしまったのではないかと、罪悪感まで感じてしまう。だが同時に、自分にはこれ以外の道はなかったと、開き直ってしまう。弱肉強食である王宮の中では、そんな柔弱さなど許されないと、言い聞かせもしてきた。そんな己の不手際さと無遠慮さには、その度に嫌気が差してくる。
ブリタニア第三皇女を、自分の娘のように想うなど、もってのほかであるというのにだ。
“―――姫さまは、お強くなられた”
“「だが、まだまだですな」か、ダールトン。お前の小言は、最近、負け惜しみに聞こえているのだがな”
“これからブリタニア皇帝になられる御方が、私などにいつまでも躓いては、困りますからな”
いつか見返してやるとむくれていた顔が、年を重ねるごとに、凛々しいものへと変わっていった。それを誇らしく思うと同時に、どこか手の届かぬ場所まで離れてしまうような寂しさも、感じていた。
ブリタニア貴族には、必須とされているフェンシングと乗馬。
必死で打ち込んでくるも、あまりに拙くそして遅い突きに、それは違うとその一つ一つを叩き潰していく。
自分の考えた最善手を否定された時の悔しそうな顔、誤って間違いを繰り返してしまった時には、怯えたような恥じ入るような表情が浮かんだ。疲労と怠け心を叩きのめすために打たれた体の痛みに、泣きそうになるのを必死で我慢する。その時の潤んだ目に宿る、幼い少女の名残。それらすべてを乗り越えた上で、こちらに一手踏み込んだ時の喜び様。過去の自分に打ち勝って、成長した達成感を実感していた。自分にとっては敗北ではあるものの、彼女の無邪気な喜びように、共に喜びたいのを我慢することに必死になってしまう。
初めのうちは、自分の体より大きい馬という生物に圧倒されて、震えていた。
手綱を掴む手も頼りなげで、後ろで歩いている者がいつ裏切るのか、心配でならないと言わんばかりだ。その怯えゆえなのか、初めて馬の背に乗ったとき、人に慣れたはずのその馬が暴れて、危うく彼女を地面に振り落としてしまうところだった。その時の恐怖が頭の深い部分に刻印されたのか、乗馬そのものに恐怖を抱いて無理に強要すれば泣く始末だ。だが、妹君が姉様の代わりに乗ると言い出すと、意を決して馬と向かい直す。そして、見事乗りこなした時、彼女の勇気を我がことのように誇らしく感じた。
それら一つ一つの思い出が、自分の胸の中に、大切な温かなものとして残っている。これからもそれを、忘れることなどできないだろう。
忠実な臣下として、彼女に仕えてきたつもりだった。
だが、並み居るブリタニア騎士たちを従えて、幾度も帝国に勝利を捧げてきた自分が、皇女といえでも10歳にもならぬ少女の世話をするには、王家への忠誠以外の何かが必要だった。それを野心で埋めるには、あまりにも勝利と年月を軍に重ねすぎてきた。また、子供の頃には抱いていた信仰も、肉体を頑健に鍛え銃を撃ち続けナイトメアを自在に操って見せるうちに、自ずと消えていった。そんな自分に残っていたのは、己の血を分けた子供を作ることができなかったという、寂しさだけだ。戦いの中では、それを忘れることができた。正確には、忘れていると思い込むことができていた。
ブリタニアでは、血筋と家柄に大半の富と力が集中している。それは、合理性を尊ぶ軍隊では、悪弊となって現れている。優秀だが貧しい家の出の少年たちは、それゆえに、その能力を発揮できないでいた。グラストンナイツたち。そんな彼らを自分の部下として一から育てることは、帝国の繁栄を考えてのことだったが、その寂しさ故でもあったかもしれない。
彼女にも、そんな想いを抱いていなかったのか。抱けずにいられたのか。―――そうは考えられない。
“―――ダールトン。お前は、私を裏切らない……よね?”
“決して、そんなことはありません”
初陣の勝利に浮かれて無闇に兵を進ませてしまった結果、手痛い損失を被ってしまった。その敗北により、先々代の皇帝から続けてきた故郷ブリテンの奪還が、後一歩というところで遠のいてしまった。幸い、シュナイゼル皇子の活躍で戦線を立て直すことはできたが、従っていた兵たち心は、彼女から離れ始めていた。そして彼女も、自分の将としての器を疑い、彼らと向かい合うことにも怯えていた。
だからその時、誓ったのだ。自分があなたの下にいるのは、地位や名誉などの下らないモノのためではない。その程度のことで私は、決してあなたを裏切らない。たとえ陛下から命じられようが、それ以上に確かなものはない、と。
◇◇◇◆
私には、理由がある。こうしなければならない、絶対的な理由がある。
だが一体、それはなんのか?
『―――コーネリアを、私のもとに連れて来い』
ズキリと、頭に痛みが走る。思い出そうとすると頭が、割れそうなほど痛くなる。それこそが理由だった。
痛みとともに湧き出てきたその言葉を端緒に、詳しく思い出そうとするができない。その時には激痛が、脳を蕩けさすような甘い痺れに変わっていたからだ。それを退けると途端に、思い出そうとする何かを見失ってしまう。そして、その言葉だけが、根を張ったかのように深く、頭の中に残り続ける。すべての理由となって、私を動かしていく。
なぜ、この私がこんなことをしなければならないのか? 忠誠を尽くしている、決して裏切らないと誓った相手であるのに、こんなことをしているのはなぜか? 彼女の顔を曇らせるようなことを、なぜこの自分がやっているのか? ―――……。
これらとその理由が、どうしても噛み合わない。この理由は疑いようのないものなのに、なぜ自分は、迷っているのだろうか。分からない。解らない。判らない。わからない―――……。
「将軍!」
「父上!」
内側に向かっていこうとする思考が、彼らの声で目を覚ます。
「それ以上近づくな。でなければ―――」
警告すると同時に、彼女のこめかみに銃を突きつけて牽制した。
撃つ気はないが、その覚悟を示しておくのは重要だ。なにせこれから、この腹に穴があいた体で彼女を連れて行かなくてはならないからだ。彼らに関わっている暇はない。
そして、その意思を知って彼らは、絶句していた。
「……わかったのならいい。
姫様のグロースターは、奥にあるな。それならば―――」
『アンドレアス・ダールトン!!』
緊迫した空気がその咆哮によって、吹き飛ばされた。言おうとしていた言葉が、空気に霧散する。
それを放った源が、今までそこにいたのすら無視してきた彼が、まんじりと瞳を見開きながら自分に向かって叫んだ。その瞳には赤く、充血しているものとは違った光のようなものを、纏っていた。
それが、叫びとともに、迸ってくる。
それは自分の名前である。そう認識すると同時に、胸の奥底・頭の片隅から「何か」が、湧き上がってきた。
……――――、みたいなものだからな”
自分とは明らかに違う声が、木霊した。これは、姫様の声だ。
その響きは、記憶の彼方から、ある忘れられない思い出を引きずり出してくる。
◆◆◆◇
人類始祖の大陸の、ある熱砂の国を倒して帝国のエリアに変えた後、新しい総督府の建設祝いに訪れた時のことだ。
人を人とも思っていないクズの見本。与えられた地位と受け継いだ血筋の責務を全うせず、ただただ富と権力を貪るブタ共。臣民たちから吸い上げたそれらを使って豪遊する、それのみが人生の目的と言わんばかりに、彼らの血と汗の結晶を吸い続ける寄生虫。その国は、破綻した失敗国家だった。
反政府勢力たるその国の軍隊を仕切る者を支援して、旧王家を打倒する。だがそれで、その国が幾分も良くはならないことなど、承知の上だった。「将軍」と名乗っているその男は、国民のためではなく己の利益と命の保証のために、忠誠を尽くすべき王家と守るべき国と民をブリタニア帝国に売った。軍人と名乗る以上、惰眠を貪り続けている王家の者たちとは違って、自分と同じほどの背丈の厳しい姿かたちをしていた。だが、彼らの内実は同じものだ。同じ腐臭を、にじませていた。
姫様は奴のことを極度に嫌っていた。この王国の腐敗と怠惰にも嫌気がさしているが、それ以上に、この将軍の獣ぶりには怖気まで感じていた。この国で地位ある者たちは、その誰も彼もが、彼女が抱いている信条と理念に反した生き方をしてきたらだ。彼らには、高貴なる者の勤めなど、理解することもできないのだろう。
だが、将軍は事あるごとに姫様と話をしたがった。それも下らない、身につけている装飾品やありもしない軍功の煌びやかさの誇示だった。だが、己で己を称える軍賞を所狭しと貼り付けている軍服の下は、女を性欲を発散するための道具だとしか考えられない獣でしかなかった。やつの話の全ては、中身が空であることを訴えているだけで、それだけは愉快なことであったが、聞いているだけでも不愉快極まりないものだった。傍にいる姫さまが、いつ彼を撃ち殺してしまわないか、ヒヤヒヤしていた。
クーデターに手を貸してその国に難なく入り込むと、こちらの偽装もすぐに取り払った。
将軍に力を貸すと見せかけて、その実、王家の者たちにもその手を伸ばしていた。将軍にわざとクーデターを起こさせて、それを王家の認可とともに公式にとり潰す。そして、自国の軍隊を失ったその国は、盟友である自分たちに助力を求めるしかない。そうすることで帝国は、最小限の被害でその破綻国家を、この手に収めることができた。この国の地下に宿る良質なサクラダイトと天然資源を、帝国のものとすることができた。なによりその国の住民たちが、ブリタニア軍の進軍と駐留を快く迎えてくれた。そして最後に、彼らの要請を受けて、王家は名だけのものとなった。
全ては、シュナイゼル宰相の采配だ。
釈然としないものはあったが、全てが終わってその国を出ることになった時、見えない重荷が肩から落ちたような開放感があった。この国はどうにも、自分の肌に合わなかった。
共に戦った騎士たちも、この国の暑さと砂に参って観光などするつもりはさらさらなく、与えられた兵舎の中で故郷のブリタニアのことを想っていた。自分もまた、そうして疲れを取ろうかと考えていたが、姫さまは違っていた。この国と別れるのならば、今日だけでも、見ておきたいと言った。
当然、彼女を一人行かせるわけにはいかない。かと言って、疲れて休んでいる兵たちを連れて、観光することも忍びない。ギルフォードは、生真面目なことだが、次に派遣されるエリアの情報収集と分析を行っていた。彼女が命じれば彼らは、どんなことがあっても従うことだろう。だけど、それは、彼女の自身が決めている公私の区別に抵触するものだ。腐ったものを見て触れ続けてきた所為もあるが、プライドの高い彼女は、とてもそんなことを許せなかった。
それゆえに自分が、彼女に付き添うことになった。
“―――いつか私も、殿方を迎えることが、……あるのだろうな”
旧時代の遺跡。かつてここに、今のブリタニアに比肩するほどの巨大な帝国が築かれていた時の残滓。この国の人々が抱いている信仰の源たる、教会。巨大でも華美でもない、だがそれゆえに、年月を経てなお生き残っている根の深さと強さが、伺えるものだ。
そこで彼女は、ポツリと、そんなことを呟いた。
圧政から解放された民衆たちは、この日を祝うためか、街中で祭りのような賑わいを見せていた。
ブリタニア帝国の征服のあとでは、大抵の国々が、露骨とはいわないが進軍してくる帝国軍を歓迎しようとはしない。力でねじ伏せただけである以上、それは仕方のないことだと割り切って、その敵意に殺されないだけの胆力を身につけてきた。彼女もまた、それは同じだった。彼女が背負わねばならないものの分だけ、それは、自分よりも一層重い肉に食い込むような枷であった。
だがここでは、帝国軍は歓迎されていた。それまでが、あまりにもどん底であったためか、それを取り払った自分たちを英雄のように褒め称えていた。
賑わいの最中、その教会では、数組の男女の結婚式が同時に行われていた。それを傍らで見つめながら、ふと、そんなつぶやきが口からこぼれでた。
自分はその時、なんと返したのだろうか? ……思い出せない。
いや、何も言えなかった。となりの彼女が、あまりにも、周りの賑わいから離れたところにいたからだ。お忍びのため、姿を隠すためにこの国の女性らしい格好をしてきたが、それでも隠しきれないブリタニア皇族らしさが見え隠れしてしまっていた。だがその時だけは、彼女がこの土地の空気と、同化してしまったようにも感じられた。あるいは、その空気によって、彼女の色が消されて透明になっていくようだった。いつものように、皮肉で返すこともできなかった。
その姿を見ていると、「気を弱くするな」とは言えなかった。
“……もし、私が誰かと結婚するようなことになったら、ダールトン。お前に、ヴァージンロードを付き添ってもらいたいんだ”
“私が、ですか? ……しかし私では、その大役は務まりませんよ。もっとふさわしい方が、いらっしゃるでしょう”
“お前じゃなきゃ、ダメなんだ―――”
なぜ。
その一言が出る前に、彼女は続けた。
“だってお前は、私にとって――――――……
『コーネリアを、私のもとに連れて来い!』
◇◇◇◆
大切何かが、遮られた。それを、どうしても思い出せない。思い出さなければならないのに、強大な何かに遮られていた。
「何か」、何かがそこにあった。それさえわかれば、すべてが解決するという「何か」が、あった。しかし、それをどうしても思い出せない。思い出せないことが、苛立たしく歯がゆく、胸が締め付けられるように痛みを伴って疼く。
なぜ、こんなにも自分は、迷っているのだろうか。ここで足踏みしている暇などないというのに、やるべきことは分かっているのに、一歩も動けない。足が、前に進まない。
「ダールトン将軍、あなたはまだ間に合う! あなたはまだ、何もしていない!」
枢木が叫んでいる。拘束され跪かされながらも、その視線だけは強くこちらを指している。
その声が聞こえてくるのは、なぜか。……わからない。わからないが、平静だった鼓動は高まっていく。その視線から、目が離せない。
気づけば、しっかりと彼女のこめかみに向けていた銃口は、震えていた。
「それは、あなたの願いではないはずだ。しっかりと自分を保ってください! 大丈夫。ここに居る彼らは、あなたを撃ちません。あなたは、銃をそこから下ろすだけでいい。あなたにはそれが、できるはずだ!」
「お前ごときが、何を……私の何を知っているというんだ。枢木!!」
奴の言葉の一つ一つが、私の中の琴線をことごとく弾いた。そこから生まれてくる焦燥感や摩擦を生む歪が、私を叫ばした。
近い言葉で言い表せば、それは怯えであった。現状が全く理解できないのに、答えだけはわかっている。それらが自分の上を通り過ぎているのに、その中心にいるのは自分であるということ。その理由を、自分以外の誰かが知って握っているということ。目の前の相手だけが、それを知っている。自分よりもはるかに格下だと思ってきた者が、急に、眼前で巨大化していた。あるいは自分が、あまりにも小さくなっていたのかもしれない。
吠えることで、自分を鼓舞して相手を威嚇する。自分の中で生じた震えが、許容範囲を超えてしまったことで、その怯えが漏れ出ていた。
「―――あなた自身の心に、従ってくれ。……奴の命令など、そんなもの聞かなくてもいいんだ!」
静かに枢木は、選択を迫っていた。それが選択であるために、強要しないように。それでいて、自分の望みを告げていた。
グラストンナイツたちは、我々の様子を、固唾を飲んで見守っている。
何が起きているのかわからないのは、彼らも同じなはずだ。だが、私が姫様をこうして捕えているのと同じように、枢木の真剣さは、伝わっていた。答えの見えない不安定な膠着状態に、その意志だけが、彼らの望むものとむすびついていると、無意識に感じているのだろうか。現状を打破する鍵は、自分たちではなくこの男にあると、見抜いていた。私の様子を見て何かが、自分たちの方へ傾いているのだと直感していた。その流れを乱さないためには、息をひそめる以外の手が見つからなかった。
「あなたならまだ、助けられる。僕はあなたを、救いたいんだ!」
枢木は言った。胸の内側から出てくるものを無理やりに押し込めようとしながら、絞り出すように言った。
「……頼む。彼女を解放してくれ、ダールトン将軍」
最後にそう言うと、やつの中に宿っていた何かも、消えた。ロウソクの火のように儚いそれが、フッと息を吹きかけられたことで、消えた。あとには、その残響だけが静かに頭の中で木霊しているだけだった。
奴は何を言っているんだ。そう思いながらも、胸の震えは、もはや抑えられないほどにまで全身を犯していた。
鼓動が激しく、息をするのも辛い。今まで、なぜ忘れられていたのかわからないほど、腹の傷が熱を持って疼いていた。それに呻きそうになるのを、歯を食いしばりながら目もそらさずに耐えた。
倒れてはならない。ここで、倒れてはならない。
『コーネリアを、私のもとに連れて来い!』
あの声が、また聞こえてくる。私を、急き立てていた。
それは絶対的で、太陽が西から昇らないのと同じように確かなものだ。また、私には、受け入れがたいことでもある。だが、そのほころびなど一切ない強大さゆえに、あらゆる抵抗が無意味だった。その命に従うことに、喜びすら感じてしまうほどに私を、支配下においていた。
だがもはや、それは、私の理由となり得なくなっている。それが持ち得ていた絶対的な支配力は、もはや、私を拘束しきれていなかったからだ。
体中から痛みが、吹き出していた。指先は決断することに惑って、胸の奥底からは、怒りが湧き上がってくる。不透明で不確かなものを確かなものにするために、奪われていた自分の「何か」を取り戻すために、喉元までせり上がってきたそれを、搾り出す。
「わたしは姫様を、ゼロの下まで、連れて行く。……連れて行かなくては、ならないのだ。
この私が―――」
言って、姫さまから銃口を下げた。そしてそれを、自分のこめかみに向け直した。
「父上!!」
グラストンナイツたちに、緊張が走った。
それは、先ほどのものとは違う。それに不確かなものはない。すぐにもそれは、放たれるものだ。
あるのはただ、理由だけだ。彼らは最後まで、それゆえに、引き金を引けなかった。軍人としてはあるまじき迷いだが、人として彼らの父としては、誇らしい躊躇いだ。
(バンっ―――)
乾いた破裂音が一発、耳元で鳴り響いた。
そのすぐ後、視界の片隅が、鮮やかな赤で染まっていった。
◆ ◆ ◆
地面が傾いでいた。下に向かっていた重力が、急激にそれと平行になっていた。視界に映っていた彼らがその下に消えて、明るい天井が、一杯に広がっていた。
はじめは何が起こったのか、わからなかった。地球が急に自転することをやめたのかとも思ってしまったが、そんなことはありえない。なぜだろうか考えると、自分の右手に硬いものが握られているのに気づいた。馴染み深い感触だった。そこで初めて、ああそういえばそうだったな、と納得した。
そして同時に、これで終わったのだと、肩の荷が降りたような気分だった。
安心すると今度は、左手に、柔らかな感触があるのに気づいた。そして、ほんの少しだけ、後悔した。
もはや視界も自由に動かせずぼやけてもきているが、その髪の色を間違えることはない。彼女を抱えたままこんなことをするなど、もし万が一でも、彼女に被弾してしまったらどうするのだ。自分の無思慮に腹が立つ。……ああ、こんなに、汚れてしまっているではないか。
腹立たしくなる。だが同時に、音が耳から立ち去って光が色彩を失っていく今、この手の温もりだけはそこにあり続けていた。それが、今にも消えかかっている私から恐怖を、別のものへと変えていった。
静かに、透明になっていく。もうあの声も、聞こえない―――……。
悔いはない。……ただ、ひとつだけ。彼女の花嫁姿をこの目で見れなかったことだけだ。
幸せになって欲しい。皇女としてではなく、彼女自身の幸せを掴んで欲しい。
私の祈りは、それだけだ。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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