不可侵のギアス 《完結》   作:ツルギ剣

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魔女 の 烙印

 

 

 ファクトスフィアにて広域探査、島全域をくまなく調べた。どこかに敵が潜んでいるかもしれない。

 だが、あるのは自然だけ。廃墟と化した遺跡だけ。人から忘れ去られた無人島、つい先日まで足を踏みいられたことがなかった場所、木々が生い茂りサラサラと小川が流れ海に溶けている。生物反応、動物の気配はほとんど感じられない。ナナリーを攫ったであろう人の気配はどこにも見当たらなかった。……こんなことで見つかられるとは思っていなかったが、改めてそれを突きつけられると舌打ちせざるを得ない。

 フロートシステムの出力を落とし、降下した。ガヴェインの足が地面に付くと、システムを停止させる。はんば崩れかけた遺跡の入口の前に立った。

 

「―――やはりここだろうな。何かお前に関係ある場所か?」

「……ここは知らない」

 

 いつもとは違った弱々しげな返事。

 無理やり信じさせ連れてこさせたにも関わらず、事この期に及んでも情報を明かさない。明かすことができない。罪悪感でも感じているのだろうか? いつものふてぶてしさはどこに行ったのか。……調子が狂う。

 

「ふん! 他にもあるということか。

 ナナリーを攫った奴はギアス能力者か?」

「そこまではわからない」

 

 中々に的を得ない返事だ。犯人像が浮かんでこない。マオのような奴ならいくらでも対処のしようがあるのに、それすらわからない。わからないのは非常にまずい。

 無言でCCを睨みつけた。もしかしたら俺は、この女に騙されたのか? 彼女もグルで、俺をここに誘導したのかもしれない。その可能性は極めて高い、ここまで意味不明な状況ならばソレを疑わなければならない。だとしたら、まずいどころの話ではなくなる。今すぐにも排除する必要がある。

 そっと、パイロット緊急排除用のコンソールパネルに手を伸ばした。

 

「本当だ」

 

 信じてくれ……。懇願するような、あまりにもらしくない返事。

 小さくため息をつくと、伸ばした手を元に戻した。

 

「……信じよう。少なくとも、我々の共犯関係はまだ続いているのだから」

 

 憤懣やるかたないが飲み込んだ。こういう時こそ冷静にならなければならない。

 彼女に振り回されるのはいつものことだ、こんなことでいちいち目くじらを立てていては身がもたない。まずは何よりも、ナナリーを救出することに専念しなければ。それさえできれば、何でも飲み込んでやる。まだ彼女が、敵と決まったわけではないのだから。

 

「……ありがとう―――!?」

 

 突然、CCの顔に緊張が走った。遺跡を、地面を凝視する。

 

「そうか! これは―――」

 

 ガヴェインを駆動させようとするも、途中で固まった。金縛りにでもあったかのように、指先すらも動かせなくなっている。

 そこまできてようやく、異常な何かが起きたことを悟った。

 

「どうした、CC? 何をして―――!?」

 

 だが、時すでに遅し。CCを襲った何かが、俺にも降りかかってきた。染み込んできた。

 体が一気に麻痺した。全く動かせず感覚もなくなった。視界はパチパチと明滅し、音も遥か彼方まで遠のいていく。皮膚から触覚が剥ぎ取らたかのようで、平衡感覚が失せ上下左右がわからなくなった。コックピットの柔らかくもしっかりとした座席に座っていたはずなのに、冷たく硬いコンソールパネルと操縦桿を触っていたはずなのに、消えた。ここにいながら、どこか別の場所へと溶けていく。

 恐慌状態一歩手前だ。何が起きてるのかわからない、ただ流されて溶けていく。確かなはずだった身体感覚が、急激に消え去っていた。

 

(なんだこれは!? 足元が、体までどこかに……。流れ込んでいく―――)

 

 もはや何も感じず、意識だけ/幽霊にでもなったかのような不確かな状態。それでも正気を失わなかったのは、以前にも似た経験をしたからだろう。以前/まだ俺がゼロになる前/無力な学生だった時、CCと初めて遭遇した時/ギアスを手に入れた時のこと。あの時味わった感覚と非常に似通っている。まるで、混沌たる無意識の異世界に放り込まれたかのようだ。消された感覚を埋め合わせるように、意味不明なだけど意味があるようにも思えてしまう超現実な映像が映し出されてくる。

 それでも、存在基盤とでも呼ぶような骨格は染め切られず。流れ込む映像を眺め続けた。同化されずに眺められる安全な場所を確保していた。

 だが、不安定であることは変わらない。偶然無事だっただけ、いつ消されるかわかったものではない。何とか確かなモノが残っている今のうちに、安全を確保しなければならない。探して見つけなければならない。―――CCを見つけなければならない。

 

 必死にあがき続けると、その想いに反応したのだろうか。混沌だった映像群が統一されていった。

 虹色のハレーションを起こし続けていた視界に、奥行と物体らしい輪郭が現れた。エッシャーの立体迷路のような映像に、乱雑な方向を指し示す標識が立ち並び始める。ソレがぐにゃりと歪み人の形に、女性らしい特徴を帯びていく。ソレが見え始めた時には、迷路は消えていた。白い拘束衣を着た腰まで届く長髪を垂れ流すままにしている女、俺が真っ先に思い描くであろう彼女の姿。視界の中に幾つものCCの映像が映し出された。

 

「落ち着け、ルルーシュ。これは侵入者に対してのトラップ。作動させた奴が―――ッくぁ!?」

 

 警告の途中、額に銃弾を食らったかのように、のけぞった。その衝撃は何故か、俺にも波及する。意識が刈り取られた。

 CCは消え、受けた衝撃が最後の臨界点を壊した。何とか堪えていた場所から、さらなる暗部へと落ちていった……。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 頭の中がガンガンと鳴り響く。激しい頭痛で目を覚まされた。

 頭を抱え思わずよろめいた。ぐらりと傾ぎ、倒れないように支える。その感触、頭を支える手の感触と地面を踏みしめている足の感触で、自分が立っていることに気づいた。冷たく埃っぽい空気が鼻腔を刺激している。真昼の日差しが瞳と肌を温めていた。

 ここは……、ガヴェインのコックピットではない。別の場所だ。

 

『―――何だ、一体何が起きたんだ?』

 

 ぼやこうとするも、口から声はもれなかった。動かせなかった。代わりに、少々荒くなっている胸の鼓動と息遣いが響いてくるだけ。まるで今まで、大地の上を走り回っていたかのように。衣服がかいた汗で肌に張り付いている、戦闘時に出てきた冷や汗とは違う体温上昇に伴うものだ。心と体がズレていた。

 その違和感を確かめるまもなく、動いた。動かされた。朦朧とした意識のまま、体は勝手に動く。岩場の影から外に飛び出した。

 視界に映し出された光景に、呆然となる。

 

『……なんだ、これは? この映像は!?』

 

 その目に映ったのは、一面の荒野。草木も生えず、乾いた土と砂礫が地平線いっぱいに広がっている。日本では有り得ない光景だ。ブリタニアの占領によって土地が荒れたとはいえ、ここまでの荒廃はない。ここまで寒々しい光景になれるほど、日本の土地は干からびてもやせ衰えているわけでもない。別の国だろうか。

 もっとよく観察しようとするも、できなかった。目すらも動かせない。見せられたものだけを見ているだけ。今の俺は完全に、心と体が離れている。そしておそらく……、この体の持ち主は別人だ。

 意識が先程よりかははっきりとしてきたことで、わかった。五感と運動/感覚神経網と接続された。そこから浮かび上がってきた身体イメージは、俺のものとは全く違う。若く細身で身長はあまり変わらない、手足の細さと指先の細さも区別がつかない。身体能力は幾分か上だがスザクのような超人じゃない。だが、腰まで届くであろう長髪の感触と胸の重みと揺れが決定的だ。俺にそんなものはない。着ている服もゼロの衣装とは違っている。防寒用の毛皮のコートとブーツだ。

 別人の体に憑依している。今の俺の現状は、そういったものだろう。体を動かす方法が全くないことを考えれば、五感全部をリアルに感じ取れる映画を観ているのと同じだ。理屈や理由を考えることは早々に放棄、棚に上げる。ただ異状な現状を受け入れることにした。

 

『……見慣れない場所だ、どこかの戦場か?』

 

 銃声/爆音/怒号、飛び交う鉛玉と吹き荒れる土埃。人目につかないよう隠れながら走り抜けている場所は、間違いなく戦場だ。兵士と兵器が入り乱れ破壊と死を撒き散らしている。いつ流れ弾が体のどこかを撃ち抜くかわかったものではない、先の岩場に隠れていた方が安全だろう。だが隠れたままでは、いずれどちらかの兵隊に見つかる。今の「自分」の立ち位置がどういったものかはわからないが、隠れて逃げている以上どちらの味方でもないのだろう。捕まれば何をされるかわかったものではない。危険であっても動き続けなければならない。

 

『それにしても、おかしいぞ。戦車だと? 今時あんな骨董品の兵器を使ってるなんて、何十年前の話だ―――!?』

 

 こんな前線と言える場所で旧時代の兵器が主力として扱われている。そのことに呆れていると、鼻先に銃弾がとんだ。足元にも銃痕が穿たれた。

 驚くも踏みとどまって何とか避けると、周囲を警戒した。気づかれたのか、どこからか狙われたのだろうか。だとしたら、逃げるのがさらに困難になる。見つけた奴をどうにか始末しなければならない―――。息を呑む。

 

 一通り見渡してみるも、それらしき影は見当たらなかった。流れ弾が偶然飛んできたのだろう。「私」には誰も気づいていない。安堵をひとつ漏らす。

 再び身を低くしながら進むと、地面に掘り抜かれた溝/塹壕に体を滑り込ませた。

 塹壕、知識としては知っている旧時代の戦場の防壁だ。遮蔽物の無い平野において、敵の銃弾を防ぐために地面を掘り抜いた。戦車とは比べ物にならない高機動力のナイトメアが主力となっている今では、その戦術の有効性は低くなった。それだけの陣地を作るコストに見合ったメリットが、無くなってしまったからだ。その塹壕がまだ現役として使われている時代、ナイトメアが開発される前。少なくとも30年は昔だ。

 

 滑り込んだ後、背後で爆発が起こった。直前に居た場所に手榴弾が破裂したか砲撃が撃ち込まれたのだろう。爆音と土くれが頭上から降り注いできた。その場にしゃがみこみ頭を腕でガードしながらやり過ごした。ほんの数秒遅れていたら、バラバラの肉片になっていたかもしれない。……間一髪だった。

 土埃が立ち込めるなか、すぐさま移動した。服についたホコリを払う暇はない。キンキンと突き刺すような痛みが鼓膜と頭の中で鳴り響いているが、治るのも待たず。ここも安全じゃない、塹壕の中なのだからいつ兵隊に見つかってもおかしくない。口元を押さえながら、先に進んだ。

 あと少しだ。歩みの迷いのなさと戦場の只中であっても落ち着いている鼓動が、目的地が近いことを示していた。ここを乗り切ればあとはどうとでもなる、この先には間違いなく安全な場所があるのだから。もう少し、もう少しだ……。「私」は迷いなく進み続けた。

 

「―――なんだ貴様は!?」

 

 背中から呼び止められた声に、思わず振り向いてしまった。

 そこにいたのは、土色に薄汚れた軍人。ブリタニアの兵士ではない、日本人の兵士。だが、着ている軍服はかつて見た日本軍の残党のソレとは少しばかり違っていた。さらに、その軍服は汗と土と血で汚れその顔は削られたようにやつれている。一度の戦闘でつけられた疲弊ではない、補給も援軍もままならず慢性的に襲われ続けている証拠だ。肩と胸に縫い付けられている紀章が、彼が将校であると物語っていた。身を整える暇もなかったのだろう。だが、瞳だけは戦意を滾らせている。死と隣り合わせの場所にいることで/飢餓と恐怖と責務に苛まれて、狂気に陥る寸前の高揚に染め抜かれていた。腰だめに構えた突撃銃が、「私」に向けられている。

 自分は敵兵じゃない。武器も敵意も持っていない。そう訴える必要もないぐらい、見れば分かることだ。跳ね上がる心臓を押さえつけながらも、両手をゆっくりと頭の上に上げた。

 

 戸惑いながらも兵士は、引き金は引かず警戒し続けた。銃口を向けたままジリジリとにじり寄る。

 厄介なことになった。あと少しだというのに、こんなところで足止めを食らうとは。ここで捕まってしまうとは……。どうにかして振り切らなくてはならない。降伏のフリをしながらも、相手の隙を伺った。

 近づいた兵士が、腹ばいになれと命じてきた。言葉がわからないふりをして、何もしない。俺はわかるが、「私」はわからないのだろうか? どちらかは判断がつかない。だがハッタリだとしても、兵士には通じた。ひどく雑ながらもロシア語で再度怒鳴りつけてきた。

 今度は言い逃れできないのか、その場にうつ伏せになろうと身をかがめた。ゆっくりと、兵士の方に少しばかり近づきながら。かがめ続け地面に手をつける。ちらりと見上げると、兵士も気を緩めたのか銃口がわずかばかり逸れている。―――好機到来。

 一気に体を跳ね上げると、兵士に飛びかかった。

 

 銃口を定めなおすも間に合わない。飛びついた「私」に押されて、背中から倒れた。

 兵士に馬乗りになりながら、その首を締め付けた。柔らかな肉の感触と冷え切った指先に感覚を取り戻してくれた体温/トクトクと脈打つ拍動が、手のひらから染み込んできた。兵士は苦しそうにもがく、手足をばたつかせ何とか脱しようと暴れた。

 予想以上の力に、抑え付けていられない。こっちがぐらついて剥がれそうになった。締める力も弱くなる。兵士の目は怒りと復讐心で染まっていた。……このままではいずれ、こちらがやられる。

 意を決して片手を首から離すと、親指を兵士の目に突き刺した。

 

 言葉にならない絶叫が吐き出されるも、近くで鳴った爆裂音で紛れた。近くには誰もいない、仲間には聞かれていないはず。偶然の重なりに、まだ運が残っていたことを喜ぶ。

 こめかみを握り締めながら、親指をさらに深く突き刺していく。生暖かいゲル状の液体、滑りをもったぬるま湯につけたような感触。吐き気を催すような生々しさだ。瞳と指の境目からプシュリップシュリと鮮血が吹き出す。勢いよく飛び散るそれは、「私」の頬や首筋を汚すが構っていられない。奥へ奥へと、時折グリグリと捻りながら指を穿孔させていった。

 親指の根元まで押し込んだ後、兵士の悲鳴は小さなものになっていた。喉からかすかに、シュウシュウと空気を流すだけ。吹き出ていた鮮血の勢いも小さくなっていた。先までの奔馬のような抵抗もなくなっている。

 もう事切れていた。首に当てている手からも、脈動が感じ取れない。残った瞳は瞳孔が開ききっており、何も見ていない。死んでいた、殺した……。それでも手を緩めることなく、指を突き刺し続けた。

 

 時間にしては2分足らずだろうか。落ち着きを取り戻すと、ようやく兵士の眼孔から指を引き抜いた。赤い粘糸が爪先から垂れ伸びる。

 争いの汚れはそのまま、死体の傍でヘタリこんだ。血の匂いが鼻腔に張り付くほど臭って気持ち悪いが、離れられるほどの気力が湧いてこない。荒くなっていた呼吸を整え、麻痺していた頭を回し始めた。

 すぐにでもこの場から離れないといけない。ようやく至ったその目的のため、手から血をぬぐい去った。全身に飛び散った血も洗い取らなければならない。着ていたコートで拭い取ろうと四苦八苦していると、自分の愚かさに舌打ちした。こんなものを着ているから、こんな目に遭っているのだ。ここは戦場なのだから、もっとふさわしい/他に紛れるような服がある。

 急いでコートを脱ぐと、死んだ兵士の軍服を剥ぎ取った。

 

 兵士の軍服に着替え終えると、ヘルメットを被ろうとした。これで騙しきれるわけはないだろうが、皆忙しい。たった一人、敵兵でもない逃亡犯に構っていられるような状況じゃない。気づいても無理に追いかけては来ないだろう。長い髪を後ろに纏め上げた。

 その時ヒラリと、紙切れが落ちた。ヘルメットの内側からこぼれ落ちた。

 地面に落ちたそれに目をやる。写真だ。今とは違って色鮮やかで質感のいいものでもない。白黒で、水に少しでもつけたら崩れてしまう粗末な写真。拾い上げて、そこに映し出されていたものを見た。……見てしまった。

 ポトリ、ポトリ……。小さな水滴が、写真の端を濡らした。

 

「―――ごめん、なさい。ごめんなさい……」

 

 「私」から謝罪が漏れた。初めて「私」の声を聞いた。

 

「私の、私のせいでこんな……、こんなことに―――」

 

 拾った写真を胸に抱いて、言葉にならない嗚咽を漏らし続けた。

 

 

 

 しばらくその場で泣き崩れると、力なく起き上がった。先程とは違い、目的を失ったかのようで虚ろになっていた。呆然と空を仰ぎ見るだけ。

 逃げる算段はとれた、目的地はもうすぐ傍だ。ここはまだ危険地帯だ、立ち上がって走らなければならない。ここまで来た努力を無にしてはならない。この場所では死の不気味な気配が、背中に張り付いてとれない。俺は「私」をせっついた。

 だが、動かない。動かせない。体を動かす気力が抜けきっていた。先まで持っていた強い目的意識も、今は空っぽになっていた。ただ乗りしているだけの俺では、何もできない。

 

 何もできずただ座り続けていると、危惧していたことがやってきた。

 

「―――お前が……、お前がやったのか」

 

 異変を感じたのか、新たにやってきた日本兵が「私」に憤怒の視線を浴びせてきた。差し向けている銃口はプルプルと震え、上手く定まっていない。

 一触即発。何をしても挽回は難しいだろうが、問答無用で撃ち込まなかったのならチャンスはある。先のように隙さえつければ倒せる。まだここで、終わる必要はない。……諦める理由にはならない。

 だが「私」は、微笑みを返した。何も言わずただ、笑いかけた。―――あなたの言うとおりだ、と。

 

 震えていた兵士の銃口が、ピタリと定まった。同時に、空気が凍りついた。近くで銃声や爆音が鳴り響いているというのに、この場だけ静けさに包まれた。

 

 パァんっ―――

 乾いた破裂音が静寂を破ると、のけぞった。急に視界が蒼穹に染まる。綺麗な空が映し出されると、真っ赤な雨が降り注いでくる。すぐに視界は赤く染め抜かれた。

 のけぞった勢いのまま、後頭部を地面に強打した。グワングワンと平衡感覚が揺すられる。だけど、痛くない。地面は、少しばかり湿った柔らかい土だとはいえ、おもいきりぶつければ痛いはず。小さなガレキも幾分か混じっている。それにぶつかれば痛いどころでは済まず気絶するかもしれない。でも、そんな激痛は襲いかかってこない。意識もはっきりとしている。何も感じない。

 視界の端から暗闇が染み出しきた。手足の先からだんだんと無感覚になった。それなのに、妙に耳だけは澄んでいた。周りの雑音、先ほどの兵士の罵倒が聴こえている。

 何が起きたのか分からず呆然としていると、あるはずのものが聞こえないことに気づいた。心臓の鼓動と呼吸が聞こえない。やたらと澄んで聞こえていたのは、内部の雑音がなくなっていたからだ。……それに気づくと、ようやく理解した。

 

 視界が暗転すると、俺も「私」から剥がれていった。

 

 

◆◆◆◇

 

 

 カンガン、カンッ―――

 鳴る硬いものが打ち据え合う音で、目を覚ました。意識が目覚めた、と言ったほうがいいだろう。視界は暗く、瞼は閉じられたままだ。打音は背後から鳴り響き、全体へと反響する。音源は離れた場所、厚い壁のようなものから。反響のこもり度合いから、伽藍堂の広々とした室内だろう。自分の他には人の気配がない。

 ゆっくりと瞼を開けると、ここがどこなのかわかった。綺麗に整えられた石床と、側面には木製の飾り気のない長椅子が均一の間隔で置かれている。顔を上げると、前方に鎮座しているものが見えた。祭壇。身の丈の倍はあるであろうステンドグラスから、淡い光が降り注いでいる。その後光を背負った巨大な十字架が、跪いた「私」を見下ろしている。

 同じ人間に憑依している。先ほどと同じ体感覚がソコにはあった。だが場所が違う、おそらく時代さえも。先のコートは現代にも通じる作りとデザインをしていたが、今着ている麻布らしき粗末な修道衣にソレはない。履いている靴も、布を厚く巻いただけの/ゴム底のような程よい弾力をもったものではなかった。サンダルか足袋といったものに近いのだろうか。現代では見かけないモノだ。

 

『―――今度は何だ? ここは一体……、教会か?』

 

 呟こうにも口は動かず、確認しようにも目も動かせない。先と同じ、「私」に取り付いているだけだ。そうそうに諦めて、事の成り行きに身を任せた。

 

 ガン、カンカンっ―――

 再び背後から打音が鳴り響いてきた。先からずっと鳴り響き続けていた。静かな荘厳さが似合うこの場には相応しくない雑音だ、心の中で眉をひそめた。ここ8年あまりは神の恩寵など感じたことがない、今ではソレを授かることはおこがましいとすら思っている俺だが、この清明な雰囲気をぶち壊したいほど堕ちてはいない。そうするような輩を野放しにできるほど、懐は広くもない。動けないことが癪に障る。

 「私」はそう思っていないのか、ただ黙って跪いているだけ。十字架の先にいるであろう誰かに向かって、祈りを捧げているだけだ。それがさらに苛立たしさを募らせてくる。無粋なヤツラなど、一喝でもしてすぐに黙らせればいいのに……。

 

 パリィンッ―――

 窓ガラスが割れ、小さな礫が一つ入り込んだ。

 それで堰が切れたかのだろうか。教会の中に怨嗟に満ちた怒号が響き渡ってきた。

 

「「さっさと出て行け、魔女め!」」

「「汚らわしい、消えろッ!」」

 

 男女に年齢も様々、負の熱狂に包まれた罵倒が吐き出されてきた。何十人も、あるいは百を超えているかもしれない人間が、教会の外を取り囲んでいる。そこに込められているあまりに深い憎しみに、先の不快感はどこかに消えていた。たじろがされた。一体全体、何が起きているんだ。

 ドンドンッと扉を叩かれた。激しく、壊れるほどに。俺はビクリと跳ね上がったが「私」は落ち着いている。振り向くとソレは、叩かれるたびに撓んでキシミを上げていた。ギシギシと、今にも打ち破られそうに悲鳴を上げている。カンヌキを差し込んではいるものの、焼け石に水だろう。そもそも侵入を防ぐつもりもなかったはずだ。バリケードにしてはヤワすぎる、幾つも置かれている長椅子で補強するという発想すらない。ただ普段と同じように鍵を閉めただけだ。

 

 怒れる群衆の猛攻に耐えきれず、扉は破砕された。蹴破られ、教会の中へとなだれ込んでくる。

 ドカドカと足音を鳴り響かせながら、「私」を取り囲んでいった。ここが神聖な教会だということを考慮していない、することができないほど群衆の顔には、怒りが貼り付いていた。恐怖とないまぜになった狂気の表情で、「私」を睨みつけている。各々、鍬や鋤・斧などの農具を手に持ちながら。

 祈りの姿勢からゆっくりと立ち上がると、囲む群衆を見渡した。どれもこれも似たような顔、怪物でも見ているかのような表情だ。彼らの怯えに汚染されず、穏やかなまでの落ち着きのまま見つめ続ける。

 

 今にも爆発しそうな群衆。その囲み輪から進み出た一人が、何事かを「私」に告げた。

 「私」はソレに従い、教会を出て行った。

 

 

 

 見える風景が、急に変わった。

 黒土と雑草がまばらに生い茂る平野、周囲には先を倍する群衆が囲んでいた。彼らの奥には、レンガ造りの建物がチラホラと立ち並んでいる。何処かの街の広場なのだろうか。集まっている群衆の顔は、怖れと怒りと、安堵からくるであろう悦びで歪んでいた。もはや害意を及ぼしようもない怪物に安堵している、一方的に攻めて立てれることに悦んでいる。虐げられてきた弱者特有の顔。中央で縛り上げられさらし者にされている「私」を、揶揄していた。

 

「―――以上の罪状により、この魔女を処刑する」

 

 聖職者と思わしき太った男が、長々と続けていたであろう宣告を終えた。

 

「コレが主の御心だ。災いは一刻早く、浄化せねばならん」

 

 読んでいた羊皮紙を群衆に向かって掲げた。どよめきが広がる。

 皆に見せびらかすと大切に巻まとめ、懐に収めた。

 太った男が離れると、代わりに別の男たちが近づいてきた。群衆よりも整えられている服装、だがその顔は能面のように無表情だ。あるいは、何も考えていない牛のような顔。各々手に、煌々と燃える松明を持っている。

 分厚い丸太に縛り上げられている「私」、身動きとれず手足すら動かせない。足元には乾いた干し草が引き詰められ、獣油か何かであろう油の鼻をつまみたくなるような臭がほんのりと漂ってきている。服は先の修道衣ではなく薄汚れた麻布の衣服、生ゴミや饐えた臭いがまとわりついている。ところどころ肌に染み込んでくるほど水気があるものあり気持ち悪い。元々粗末な作りではあるが、付いた汚れは後から付けられたものだろう。つい先程から叩きつけられたものだ。囲んでいる群衆からもらったものだ。よく見ると干し草の中には、幾つか小石が混じっている。

 

 体のあちこちに痛い。それなのに、涙は流れてこない。代わりに額から頬にかけて、一筋血が流れ落ちていた。

 嫌な予感がした。身をよじり抜け出そうとした。ここから一刻も早く、離れなければならない。そうしないと何かが、何か、最悪な事が起きる―――。

 しかし、「私」は動かない。俺が何をしようとも動くはずがない。そもそも、縛り付けられているのだから身動きなど取れない。ただ黙って、男たちの火が迫り来るのを眺めるしかない。

 

『……おい待て、そいつは何だ? 一体何を―――』

「火をつけろ、燃やせ!」

 

 命令とともに、松明の火が干し草に移った。またたく間に、燃え広がっていく。

 その火とともに群衆も、雄叫びをあげた。

 

「「焼き殺せ!」」

「「殺せぇ!」」

 

 噴き上がる煙と熱風で息ができない。たまらずむせ返り続ける。

 広がり続けた炎はついに俺の、「私」の足元にまでやってきた。服に着火し皮膚を炙っていく。激痛が全身に走り抜ける。もう、耐えられない―――。

 俺と「私」は同時に、悲鳴を上げた。

 

『「ウウアァァアアァアァアアァァーーーーーッ!!」』

 

 全身が炙られる間、泣き叫び続けた。自分の体が焦げる感触を感じながら、その臭いを嗅ぎながら、ジュウジュウと鳴りつづける焼き音を聞きながらずっと。髪に引火した炎が頭を/目を焼き、何も見えなくなっている。

 群衆は、その声に倍するように歓喜の雄叫びをあげ続けた。誰もコレを、止めようとするものはいない。もっと燃えろと、煽り立てるだけ。

 

 徐々に悲鳴はかすれていき、ついには消えた。喉から声が出ない。呼吸ができないか喉が焼き切れたのだろうか。炎の中にいるはずなのに、すこぶる寒い。痛くも熱くもない……。

 ベキベキと音を立てながら、手足があらぬ方向に無理やり曲げられていった。焼かれた筋肉が縮み、筋と骨を砕いたのだろう。その頃には拘束していた縄は焼ききれていた。しかしもう、どこも動かせない―――。

 声が途切れ、肉の焦げる匂いで鼻腔が一杯になった頃には、事切れていた。俺と「私」の接続は焼ききれ、再び暗闇の中へと落ちていった……。

 

 

◆◆◆◇

 

 

 再び目覚めさせられた俺は、何度も「私」の死に目に遭った。何度も何度も、毎回違った死に様を味合わされた。同じものはひとつもない。全て地獄のような終わりだ。

 繰り返すたびに、俺の中で何かが崩れていった。麻痺していった。よくこれだけのバリエーションがあるものだとの感心が生まれるほどには、壊れかけていた。慣れていった。「私」の心に/諦観に同調していく。

 

『やめろ……。これ以上見せるな、これ以上は、もう―――』

 

 ソレに抗わんと叫ぶも、見せ付けられ続けた。何もできずただ、「私」の死に様を見せて付けてくる。俺の心を削っていく。

 ソレに馴れてしまえば良かった。諦めて受け入れてしまえば良かった。そうすれば、苦しまずに済む。毎度毎度、苦しい思いをして死ぬことはない。信じた人たちから裏切られた悔しさに、涙を流すこともない。下劣な奴らから辱めを受けたことに、恨みを抱くこともない。何も考えなくていい。もう何も、感じずに済む……。

 

 ―――ふざけるな。

 

 腹立たしい。何だコレは、この有様は! ここまでされて何故黙っている、何故奴らに同じことをしてやらない?

 報復しろ、復讐だ。腹の底に怒りが煮えたぎっている、今にも噴火しようと疼いている。どれだけ悲劇を重ねられても、ソレは変わらずソコに有り続けていた。より熱く濃密に黒く染まっていった。

 コレは俺だけの想いじゃない。「私」もまた同じだ、そのはずだ。死の間際に思い浮かべているのは、悟ったような諦めだけじゃない。諦めきれてない悔しさが残っている、同じことの繰り返しが無いことがその証拠だろう。何かを変えようともがいている、求めているものは少しづつだが現れている/現れようとしている。全て無駄じゃない。

 それなのに「私」は、繰り返し続けた。死に続ける。この怒りを消滅させようと、殺し続ける。同じようにそれ以上に必死になって、殺し続けた。

 

『やめろ、やめろ、やめろッ! やめろぉぉぉーーーー―――』

 

 

 

「―――あなたのおかげで私は、ここにいる」

 

 

 

 かすれた耳障りな声が耳に響き、叫びを止めた。目が覚めたかのように、周囲を見渡す。

 

 また新しい場所だ。また違う死に様を見せてくるのか……。ウンザリする。

 窓のない、薄汚れた塔の中。あるいは地下なのだろうか。外の風音だかの音が聞こえてこないところを見ると、地下なのだろう。それも地下牢、と言ったほうがいいだろう。ビッシリと引き詰められた分厚い石壁、所々錆び付いているが頑丈さだけは失われていない鉄格子、点々と壁に備え付けられているロウソクがチロチロと微かな明かりを照らしている。牢内全てを明るくするほどではなく、ただそこに置いてあることだけが目的のような灯火。ジメジメとした生臭い空気の中で、燃え続けているのが奇跡のようなものだ。貴族が入れられる牢屋ではないだろう。高級家具が置かれたりホテルのような清潔さは、微塵もない。

 

 何度も見せつけられた光景、その外観だけが違うだけ。悲惨さの度合いは比較的大きいほうだろう。それだけの違い。……そのはずだが、少しだけ様子が異なっていた。

 「私」に訪れるであろう死の危険は、どこにもない。やってくる様子もない。

 

「あなたがいなければ、こんなことにはならなかった。何もかもめちゃくちゃ。地位も家族もあの人も、子供さえも―――」

 

 視線の奥、牢屋の暗がりの中から先ほどの声が聞こえてきた。

 女の声、辛うじてそうだとわかる声だ。ひどくかすれてモゴモゴとも篭って、聞づらいことこの上ない。それなのに、耳に響いてくる。「私」がソレを聞き取ろうと、耳を澄ませているからだろう。聴かなければならない必死さが、伝わって来る。

 暗闇を見つめ続けていると、声の主の姿が露わになってきた。

 

「挙句の果てがこの汚らしく病んだ体、同じ囚人だって見向きもしない。看守なんて近寄りよりもしないのよ。……今まで散々遊びつくしたくせに」

 

 精一杯に情感を込めた声に、背筋がゾッとした。語りが途切れると同時に、目が暗闇になれた。

 思わず、叫びそうになった。「私」も口に手をやっていた。

 

 餓鬼。昔枢木の家に人質にさせられていた時、古い倉庫から見つけ出した本があった。仏教の地獄の風景を描いたもので、その一角に住み着いた悪魔の一種。生前に悪事を働いた人間の成れの果て、その一つの有様。ソレが頭に浮かんできた。

 骨と皮だけなのに腹だけは異様に膨れた裸の人間、人であったはずの何かだ。裸であることの卑猥さなど微塵も感じられない、おぞましさだけだ。

 飢餓による衰弱だけなら、最貧国の紛争地帯に住む子供にも見られるものだ。顔つきが違う。やせ衰え骸骨寸前になっているが、おちくぼんだ瞳は黒々と(見た目はブリタニア人に近い蒼い目をしているがそうとしか言えない暗さを秘めているため)爛々としている。どこかに隙が無いかとせわしなく動き続けていた。肉のない頬と目尻は釣り上がり、時折ピクピクと動く。表には作り笑いを貼り付けて、内心では目の前の獲物をどう狩るか企んでいる/生き残るために命乞いをしている。恐怖と猜疑心に染め抜かれた顔、臆病で貪欲な人食い狼の顔だ。大きなあかぎれのような口からは、毒気のような呼気が漏れている。よく見ると、歯がほとんどないのだろう。唇は口内に落ち窪み、横に長い尻の穴のような有様だ。

 着ているのは、黄ばみきって所々擦り切れたドレス。体を隠す以外の用はない。もういくら洗っても汚れを落としきれないであろうソレですら、病み衰えた体には不釣り合いなほど高級品だった。そのように見えてしまう、無理やり着せているとしか思えない。ただそれなしには、彼女が女性だと判別できなかったことだろう。痛みにいたんで褪せたブロンドの髪は、男のように短く刈り上げられていた。

 

 見えた瞬間、後ずさりしたくなった。吐き気を堪えるのに必死になった。そんなことは有り得ないだろうが、伝染病でも移されてしまう気分だ。一刻はやくこの場から抜け出したい、少しでも触られたら眠れなくなるかもしれない……。だが、その必要はないだろう。彼女は牢内の奥から動かない/動けない。害を及ぼすことなどできはしない。

 床に投げ出された足は/足首から下は、ピクリとも動いていない。どうにか膝を引きずる程度、動かすことができない。両足とも腱が切られているのだろう。雑に巻かれていた包帯のアキレス腱付近が、黒く汚れているのが見えた。

 ソレを確認すると、安堵の吐息が漏れた。跳ね上がった鼓動も落ち着きを取り戻す、俺だけでなく「私」も一緒に。だが次の瞬間、激しい罪悪感がせり上がってきた。ソレを牢内の女に見られてしまったことが、猛烈に恥ずかしい……。

 恐る恐るその顔を見直すと、目ざとくもソレを見つけたのだろう。ニヤニヤといやらしく笑っている。

 

「そう、そんな感じよ。

 不潔な汚物でも見るかのような目で見られるのよ、私の前を通るたびに。時には、わかりやすく鼻までつまみながらね。あんなゴミみたいな奴らから、私をこんなになるまで穢した奴らから! 私の子供まで殺しやがった人でなしどもからぁッ!! ……私は、全てを奪われた」

 

 最後に静かに、呪詛を閉じた。

 その体のどこに、叫べるだけの力が残っていたのか。死に体の汚れた女は、悪鬼の形相から再び作り笑いに顔を戻した。何者も寄せ付けない、災いを振りまくことだけに喜悦を見出している。哀れに思うことすらできない不潔の塊に……。

 「私」の瞳からポロポロと、涙がこぼれ落ちた。

 

「……許して。私は、そんなつもりなんて、なかったの。ただ、ただ一緒に居たかっただけだったの」

 

 とめどなく涙が溢れてきた。苦しげに嗚咽を漏らすと、告白を続ける。

 

「皆から馬鹿にされるのが嫌だった、ひもじい生活が辛かったの、独りでいることが怖かったのよ。ただ、そこから抜け出したかっただけだったの……。

 こんなこと、私は望んでない。望むわけないじゃない! あなたをこんな、こんなめに―――」

「時間です、これ以上は」

 

 急き立てられてるかのように告白を続ける「私」を、隣の男が止めた。

 華美なところはないが高級な衣服=貴族、静かだが威厳が漂う佇まい=騎士、整った柔弱な顔つきだが瞳には射抜くような力強さがある=青年に見えるが壮年の男だろう。控えめだがはっきりと遮るその手からは、「私」に対する労りと目の前の女に対する警戒心が滲んでいた。「私」の意志を尊重してここまで来たが、これ以上近づかせることはできない。指先ですら触れさせるわけにはいかない。自分が盾になると、すすんで前に出てくれた。

 普段なら頼もしい限りなのだろうが、今は違う。男の揺るがぬ腕に「私」は、それ以上近づけない/近づきたいのに近づけない。逆に引き離されていく。

 

「待って、待ってよ! まだ話は終わってないわ!」

「お嬢様! ここはあなたのような方にふさわしい場所ではありません。お願いです、もうお引き取りください!」

「私はお嬢様なんかじゃない! 貴方が敬わなければならないのは、この人なのよ! この人だったのよッ!!」

「この売女に与えるものなど何もありません! 我が忠誠は、あなた様にのみ捧げるものです」

 

 牢の女には侮蔑を、「私」には心からの敬愛を示した。理性の塊、己の感情を表に出すことなどなさそうな目の前の男をして、そうしている。―――「私」がそうさせていた。

 男の瞳には、俺もよく見知ったものが映っていた。そこにあるはずの意識が消えている、ただ一つのコードに従っている操り人形、傍から見ればそうとは思えない。瞳孔の外縁に沿うようにうっすらと赤い光が帯びている。……ギアスの力だ。

 男の意志は「私」によって、支配されていた。

 

 その有様に「私」は、絶句していた。……そうしたことに、疑問が浮かんできた。コレは彼女の所業ではないかも知れない、彼女はギアスを使ってないかもしれない、誰か別の使い手がもたらしたものかも知れない。コレを引き起こしたのは、彼女ではないかもしれない。

 だが、不思議なことにもその可能性は、ない。無いことがわかる。彼女自身がギアスの使い手であることが分かる。男にかけた呪いを通して、自分が支配しているという確かな実感があった。俺がそうであるように、「私」がそうであることもわかる。

 「私」が彼を変えた。後戻りできない一線を超えて、引落した。他にも何人も、同じように。国中すべてを支配した。牢の中の女が、そのような有様に心身を堕とすよう仕向けた。全て「私」の所業だった……。だけどそれは、「私」の意志ではなかった。「私」はこのようなことを望んでいなかった。怯えながら嗚咽を漏らし続ける「私」には、このような大事を引き起こすだけの胆力は微塵もない。受け止めきれず、逃げようとまでしている。

 

「私は……、私は何の取り柄もない小娘で、どこにでもいる庶民で、この国の人間ですらないのよ―――」

 

 操り人形の男に告白した。

 当然のこと男は、ただ疑問符を浮かべるだけ。植えつけられた忠誠は揺るぎもしない。ギアスの力は絶対なのだ。「私」もそのことは分かっているはず。この告白には何の意味もない、それでも一縷の望みはある。もしかしたら目が覚めて、真の忠誠を取り戻してくれるかも知れない。だけど同時に、そのことを怖れてもいた。万が一にもそんなことが起きたら、自分はどういう目に遭うのか。火を見るよりも明らかだ。今まで俺が散々味あわされた地獄を、巡ることになる。ソレを防ぐためにこんなことを言っているだけ。贖罪と保身が入り混じる告白。

 

「ただの……奴隷だった。はした金で売られた奴隷だったの、親が誰かもわからないのよ! こんなの身分不相応なのよッ!! それなのにどうして、どうしてこんな―――」

「せっかく奪い取ったんだから、楽しみなさいな。心ゆくまで。ソレが欲しかったんでしょ?」

 

 「私」は再び、絶句した。続けようとした言い訳の全てが、切り落とされた。

 そう言うと牢の中の女が、艶然と笑った。骨と皮だけの彼女にそんなことできるわけないのに、確かに笑った。骸の笑いだ。……底のない暗黒を見た―――。

 

 向けられた瞬間、凍りついた。臓腑の底まで縮み上がった。

 それは「私」を貫き、俺にまで侵食した。ここにはないはずの心臓が、握りつぶされた。息を飲まされる。そのためなのか、女の顔があの高潔な皇女と重なった。この世界に本物の奇跡をもたらそうとして、果たせなかった。俺の過ちに潰された皇女、ユーフェミア・リ・ブリタニアに。彼女の成れの果てが、目の前の女に見える。……見えてしまった―――。

 

 

 

「サヨナラ、________。できれば地獄に堕ちて欲しいわ」

 

 

 

 最後に、「私」の名を告げた。呪いの言葉とともに。かつてその名は、親愛とともにあったはずなのに……。

 

 何も言えず男に引きずられたまま牢から出ると、俺は「私」から引き離れていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 何もない、麗白な世界。

 見渡す限り、遮るものは何もない。地平線の彼方まで白く染め抜かれている。あるいは、対象物がなさすぎるので、ほんの数メートル四方の小部屋なのかもしれない。……どちらでも構いやしない。

 目の前に、一人の女が立っていた。萌黄色の長髪を腰まで伸ばした、よく見知っている女。背中を向けているが、誰であるかわかっている。お互いに。

 

「―――CC。これは……、お前の記憶か?」

 

 呼びかけても、彼女は返事をしない。振り向こうともしない。

 

「これが、お前の過去なんだな」

 

 断定するように言うと、やっと顔を向けてきた。

 傲岸不遜を絵に書いたような女。言葉遣いも立ち振る舞いも気に障るばかり、世話してやっている俺のことなど何も考えていない。下僕だとでも思っていたのだろうか。わけのわからない力を与えたくせに、その目的を言いやしない。それなのに今では、俺の秘密を明かせるたった一人の女性になっていた。

 そんな彼女なのに向けた横顔は、迷子のような寂しさで満ちていた。

 

 

 

「―――残っているのは、魔女としての記憶だけ」

 

 

 

 静かな告白。彼女が自分のことを語るのは、コレが初めてのことだ。

 

「他は全て消えてしまった。自分が何者で、どこで生まれ、誰と出会ったかも……」

 

 確かに、繰り返された地獄の中では、彼女自身の由来は見当たらなかった。子供時代、いたであろう親兄弟姉妹/友人たちはどこにも、いなかった。人としての記録はなかった。……あるいは、本当になかっただけなのかもしれないが。

 

「私を愛した人も憎んだ人も、皆時の流れの中に溶けて、消えてしまった。誰もいない。残るのはいつも、私一人だけ……」

 

 内心の吐露は、傷口から血が吹き出るようなものではない。もはやそこからは、何も出てこない。苦悶も後悔も涙も出てこない。出てこないことを惜しむほどまで、乾ききっていた……。

 

 ―――ああ、腹が立つ。なんて腹立たしいんだ。

 向かい合う彼女は、俺の鏡像だ。俺の陰画だ。同じもの見て、同じ苦しみを知って、同じ罪を背負っている。彼女の悲しみは俺のものだ、彼女の寂しさは俺が抱くであろうものだった、繰り返し続けた自罰行為はこの世に留まるための最後の縁だ。慰めが欲しくてこんなことを言っているわけでもない、ただ聞いて欲しかっただけだ。それがわかる/わかってしまう。

 でも、俺は彼女とは違う。諦観に浸って消えていくのはまっぴらだ。こみ上げるこの想いは、彼女には無いものだ。

 

「私は、永遠を生きる魔女。たった一人で生き続ける定め。これまでもいつも、これからもずっと、独りで―――」

「独りじゃないだろ! 俺たちは共犯者だ」

 

 俺が遮ると、彼女は驚いたような顔をこちらに向けてきた。何も知らない、見た目よりも幼い少女のような顔で。

 そんな顔もできるんだな……。胸の中で小さく笑った。

 

 

 

「お前が魔女なら、俺が魔王になればいいだけだ」

 

 

 

 ソレが俺たちの関係だ。出会いから今まで、そしてこれからもそうであり続ける。それ以外に道はない、変えるつもりもない。

 

 胸のつかえは、消えていた。俺も、そしてたぶん、CCも。

 

「……こんな時に、そんなセリフを。よく言えたものだな」

 

 苦笑交じりの皮肉、いつも通りだ。

 CCが微笑んだ。今まで同じように、だけど今までとは違う柔らかさを持って。俺も同じように、そんな微笑みを向けていた。互いに認め合った。

 俺たちは共犯者。どれだけ変わりゆく世界だろうと、それだけは変わらない。コイツと始めて、終わりまでコイツとともに歩む。

 

 互いを薄明が包みあげると、この白い世界から消えた。今度こそ確かに、戻っていく―――。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 瞼を上げるとソコは、ガヴェインのコックピットだった。操縦桿を握り締め、座席の上で固まっていた。

 

 モニターに表示された時計を見た。かつてここにいた時の時刻と重ね合わせると、たった数分も経っていなかった。体感では少なくとも1ヶ月は過ぎてしまったと思っていたが、その程度でしかなかった。

 安堵の吐息を漏らした。一体どんな理屈かわからないが、それだけのロスなら問題は少ない。まだナナリーを助けに行けるだろう。……そこで気づいた。最も大事なはずのソレが脅かされたというのに、落ち着き払っていることに。やり通す意志は変わっていないが、焦燥感は薄れていた。あれだけ乱れていたというのに、どうして―――。

 頭を軽く振った。今は余計な分析などいらない。

 

 変化した内情は棚に置き、前部座席のCCを見た。こちらの世界に戻っている。

 

「―――CC、無事か?」

「誰に言っている」

 

 素直な返事、いつもの差し出した手を振り払うかのような言いブリ。ただ、どこか精彩に欠いていた。トゲがない。

 調子が狂う。次の言葉が見当たらず、気まずい沈黙が流れそうになった。

 

「……他に、トラップはないか?」

「無いはずだ。大抵はアレで魂が喰われる」

 

 沈黙を埋めるためだけの問にも、バカ正直に答えてきた。いつもなら目ざとくも突いてくるというのに。……全くもって調子が狂う。

 今は、ソレをどうこうする暇はない。

 操縦桿を握り直すと、ガヴェインを再起動させた。

 

「時間がない。このまま先に進む―――!?」

 

 がなり立てるアラーム、ガヴェインの警戒網が敵影を捉えた。どこからかロックオンされている。

 後部カメラが対象を捉えた。空に浮かぶ小さな染みでしかなかった敵影が、ズームされていく。すぐさまはっきりと露わになった全容が、モニターに映し出された。

 

 そこに映っていたのは、つい先ほどビルの下敷きにしたはずの敵。新型の異形のナイトメアだ。まっすぐ俺の下まで、飛んできた。

 

「……しつこい奴め」

 

 舌打ちがこぼれた。せっかく巻いたと思ったのに、こんな所まで追いかけてきた。

 迫りきたイガグリは、その巨大な刺の一本を発射した。ルガーランスの刃に酷似した刺、奴専用のスラッシュハーケン。高速で飛来してくる。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 流れはアニメと同じにしましたが、マンダラとかビックバーンだかは省きました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。
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