ゼロが/ルルーシュが去った壁面を、呆然と眺めていた。
何も、できなかった……。
ホッカリと胸の中に、穴があいてしまった。そこにシュウシュウと冷たい風が吹き込む。勢いは強くないはずなのに、あまりにも寒い。体の芯まで凍えてしまう、震えて温めようとする生存本能まで麻痺してしまうほどに。
何も、考えられない……。
これからの先行きが、全く見えなかった。一筋の光もない暗闇、何をすればいいのかわからない/何をしていいのかわからない。もうゼロはいない、正しさへと導いてくれる人はいない/この重圧を背負ってくれる人はいない。……どこにも、いない。
私は目的を、見失った。
(私、一体どうしたら……)
壁面を見つめながら、立ちすくんでいた。
まるで主に見捨てられた子犬だ。ここで待っていれば帰ってくるのじゃないかと、案山子みたいに立っているだけ。それ以外に考えられない、考えたくない。……子犬ほど純粋ではいられない。
彼はもう、帰ってこない。その事実を受け入れられず、ただ立ち止まっているだけだ。
「―――あ…ぁ……。うぅっ…があぁっ!」
必死な喚き声に、体がビクリと跳ねた。金縛りが解けた。
振り返るとそこには、スザクがうつ伏せに横たわっていた。ずっとそうしていたのに、そんなことはわかっていたはずなのに、初めて気がついたかのようで驚かされた。
己で流した血の池の中、蠢いている。全身の気力を振り絞って、手足を動かしていた。
「が、あ……ッ、あッ、ガアァッ、アアアアァァアアアァァーッ―――!!」
雄叫びをあげながら、傷から血が噴き出しながらも、立ち上がろうとした。
生まれたての小鹿が、はじめて自分の足で立とうとする有様に似ていた。全身が血に濡れそぼっているのも同じ。両手両足を使いながら、プルプルと震えながら徐々に、体を起き上がらせていく。……違うのは、彼は瀕死だということだけ。
駆け巡っているであろう激痛を押して、立ち上がろうとする。四つん這いから膝立ちに、肘から手のひらに重心を移動させようと力を込める―――
しかし、力が入りきらず倒れた。支えが抜けて滑る。ドタリと血だまりに、体を埋めた。
「―――うぐぅ…………ぁ、……あがぁ……」
倒れた衝撃が傷口に響いたのだろう。苦悶の声を漏らしていた。
もはや動けない、動かしてはならない。こぼれた出血の量が、嫌でもそれを示していた。今は安静にしていなければ、死ぬ。安静にしていたとしても、死ぬかも知れない。もはや彼の命は、風前の灯だ。
だけど、手を前に伸ばしていた。這ってでも先に進もうと、伸ばし続けていた。先へ、ルルーシュが消えた壁面へ、その奥にあるであろう場所へわずかでも―――
足が自然と動き、近づいていった。
「傷に触るわ、動かないで」
落ち着かせるようにそう言うと、しゃがんで怪我の具合を見た。医者ではないが救急治療の心得はある、このような場面には何度も立ち会ってきた。どうすればいいのか、やり方は心得ていた。
―――息を、のまされた。
予想以上に酷い、どうにも手がつけられない。
銃弾はパイロットスーツを破って、体を貫いている。一発しか受けていないのに、銃創は二つ以上ある。背中の脇腹あたりと、みえないがおそらく正面に胸の穴が。弾丸は外に抜けていない、スーツが邪魔をして跳弾したのだろう、体内に入ったままだ。取り出したほうがいいが、器具もないここで取り出すのは自殺行為だ。
顔色は青白さを超えて土気色に脱色している、呼吸も小さく微かなものになっている。死期が秒読みで近づいていた。あまりの傷/出血の多さに、絶望しか見えなかった。まだ動けるのが奇跡だった。
(こんなの、もう……、どうしようもないわ。もう、手の施しようがない……)
冷静に、スザクの傷と今自分ができる治療を分析して出てきた答えは……、楽にしてやることだけ。
今すぐナイトメアに格納している救急キットで治療したとしても、間に合わない。キットを持ってくる前に終わってしまうかもしれない。何とか間に合ったとしても、本格的な治療を施せない。ブリタニアは太平洋の彼方、今のトウキョウ租界は戦場だ。どこにも治療できる場所がない。そもそも、イレブンを治療してくれる医者などどこにもいない。黒の騎士団の元に連れて行こうにも、名誉ブリタニア人をそれも枢木スザクを治療してくれるスタッフはどこにいない。殺されるかもしれない、殺せと言われてしまうかもしれない……。
このまま何もせずにいたら、彼は死ぬだけ。苦しませるだけだ。それならいっそのこと、ここで一息に、止めを刺してやる。そのほうが……いいのかもしれない。
顔を振った。不吉な考えを振り払った。
ここで終わらせるなんて、認められない。助けられたまま、何も返せずに見送るだけなんてあり得ない。……それだけは絶対に、ダメだ。
「……まだ、だッ。まだ、死ねない……。まだッ、こんな……、ところで……は―――」
血泡を噴きながら、肺腑の奥底から絞り出して言った。つぶやき程度の小声だが、耳を越えてお腹に響いてきた。
前に進もうともがき続ける。うつ伏せのままズリリと、腕の力だけで体を引きずり這う。あまりにも弱々しい姿だが、目だけは力強く前を睨みつけている。だけど、もはや欠片も力残っていない体だ、カタツムリほどにしか動かない。気力を千切れるほどに振り絞って、振り絞って動かしている。そのためか瞳から、傷口から溢れでた血とは違う赤い涙が流れていた。それが苦悶で色を失っている顔に新たな/ふさわしい色として染み込む。隈取のような異貌へと変わっていた。
狂気にも近い執念が、迸っていた。背筋がゾッと震え上がる。思わず、差し出した手を引っ込めた。
ギリギリのところで意識を保っていた、保ってしまっていた。もう気絶してもおかしくない、むしろ気絶したほうが良いのではないかと思える傷だ。何故気絶していないのか、わからない……。
内蔵を傷つけたであろうその銃槍からは、鮮血とともに灼熱の苦痛が吹き出し猛威を奮っていることだろう。それが全身で荒れ狂う様は、何度も見てきた。見ていられないものだった。麻酔でも鎮静剤でも何でもいいから、静かにさせたくなる断末魔/一人になってからも頭の中に木霊し続ける怨嗟の悲鳴、夢にまで出てくる。何度立ち会っても慣れない修羅場だ。いつも拷問/悪趣味な責め苦という言葉が、頭にちらついて離れない。治療しているのでなく、弄んでいるだけではないかと我が身を疑う。延命させることが何よりの正義だという考えは、その経験で壊れた。
段々と自分の生命が抜け落ちていくのを感じながら、進む。動けば動くほど死期を早めると分かりながら、そうせざるを得ない。激痛の枷を引きずりながら這い上がって進む。……それは、地獄の苦しみだろう。耐えきれるものではないはずだ。気力の多寡など関係ない、常人が到達できる領域をはるかに超えていた。
コイツは今、抗っている。ここより前に進もうと、振り絞っている。残りの全てを、燃やし尽くして―――
「ウオオァウアアァァっ!! ガアアアァァぁぁーーッ―――」
再び手足に力込めると、四つん這いに体を起こし始めた。
地面から剥がした胸から、ぷちゅりプシュリと鮮血が吐き出される。傷の大きさからは、考えられないぐらい弱い勢いだ。あまりにも少ない……。
ヒューッヒューッと、空気が抜け出るような掠れた弱い呼吸。何とか起こしきるとそのまま、前に進もうと肘を地面に滑らす―――
迷いは晴れた。傷口を押さえながら、スザクを抱きとめていた。
「―――絶対に……、絶対に死なせない。死なせないから、助けるからッ!」
スザクへの激励というよりも、己を奮い立たせるための言葉。自然と口から零れていた。
「ウウーッ、ウウァーっ! うおおぉおおおぉぉぉッ! ウがああぁああぁーッ―――!」
留める腕を振り払おうと、暴れた。獣のように、狂ったかのように、悪夢にうなされているかのように。
瀕死だとは思えないほどの力だが、いつもの彼とは比べ物にならない。脆弱だ、簡単に止められる。ただ、暴れることでよけに傷が開く。ドンドン生命の残量が減っていく。……これ以上暴れられると、本当に死んでしまう。
「ダメよ、もう無理しないで! 今無理に動けば死んじゃう、死んじゃうからッ!」
「あがあぁぁあぁーーっ!! あぐぁッ、あ、ああぁぁああぁぁーーーッ!!」
なおも暴れ続けるスザク。錯乱状態に陥っているのか、私のコレを拘束だと思っているのだろうか。振りほどこうともがき続けた。……安心させないと。
「助けるから、私は敵じゃないからッ!」
「ごぼすッ殺ずッ、殺すッ! アイづを、ユぶィをッ、ブリぎを全てッ! 俺は……、俺がぁーーッ―――」
制止の声は呪詛で塗りつぶされた。何も聞こえていないのか、わめきたて続けるだけ。
「このままだと死んじゃうのッ、静かにして! ……言う事聞きなさいよッ!」
「ごい、来いィッ! ランずロッどォッ! ランスロッドオォォーーーっ!!」
悲鳴混じりに怒鳴りつけるも、止まらない。聞く耳を持ってくれない。意味不明な言葉を叫びながら、傷が開くのもお構いなしに暴れ続けた。
どうしたらいいのか、わからない。どうすればいいのか? どうしたら、止まってくれる……。
彼は敵だった。ずっとずっと、そうだった。殺し合ってきた。お互い何も知らず/知ろうともせず、ただ命令に従って殺し合った。わかった後もやっぱり、殺し合った。そうする以外の道なんてどこにもなかった。……いや、それは言い訳だ。そうしたいなんて考えなかった、行動に移そうなんてしなかった、ゼロに忠実であることしか頭になかった。それが私の全てだった。ゼロにとって邪魔者である彼は、敵以外にはありえない。
でも、今は違う。わからなくなった。何をすればいいのか、何をしたいのかすらもわからない。ルルーシュに全ての理由を剥ぎ取られてしまった。私が戦う根拠は、どこにもない。殺さなくてはならない理由も、なくなった。
だけど、過去は変わらない。引き金は引かれた。彼にとっての私は敵のまま、命を奪おうとするハイエナだ。そんな危険な敵地では、気絶したくてもできない。私が何も言い募ろうが、信じることなどできはしない。信じてもらえる何かを、私は、示してはいなかったから―――。
……やるべきことはわかった。今できることが/やらなきゃならないことが、ある。
「―――私は……、助けたいの。あなたを助けたい! 助けたいのよッ、助けさせてよッ!!」
涙が、こぼれ出てきた。
ソレが何を意味しているのか……、わかっていた。わかっている。ゼロへの忠誠を/今までの自分の頑張りを裏切ることだ。コイツはゼロの敵であって、敵であり、敵で有り続ける。今すぐここで、排除しなければならない。助ける道理はどこにも、ない。殺さなければならない、確実に殺せる今のうちに―――。その正しさを無視して助ける。裏切り以外の何者でもない。
「……いぎ、る。生ぎ、ないと……。まだ……、まだ死ね、ない―――」
体の芯から、凍えていた。
今までの全てを捨てる。裏切って別の道を行く、どこに繋がっているのかわからない道を独りで……。ソレがこんなにも、怖いことなんて。
「お願い、だから。お願い…………、助けて」
搾り出すかのように懇願が、にじみ出てきた。
強がりの果てに出てきた本心が、そんな情けなさ。何のことはない、私は、助けるフリをしていただけだったのだ。今にも死にそうなコイツに、すがりついているだけだった。……目も当てられないみっともなさだ。
だけど、だからこそかもしれない。伝わることができた。
「生ぎ、る……。助げ……、る。……死な、ぜ、な……、い―――…… 」
伸ばしていた手から、力が抜け陥った。
暴れ続けていたスザクが、ようやく鎮まってくれた。
心臓の鼓動を確かめた。
まだ、微かではあるが……、ある。動いている、生きている。気を失っているだけだ。
安堵の吐息を漏らした。肩の力を抜く。
「……ありがとう。―――!?」
洞窟内が微かに揺れた。天井からパラパラと、砂埃が舞い落ちてくる。
がりがりゴリゴリと、岩を削るような音が鳴り響いてきた。ドンドンと大きくなっていく、近づいて来る。
何処かで聞いた音だった。身構えながら、思い出そうとする。そう、この音は、いつも聞いてきたはず。体に馴染むほどまでに―――。
思い出した瞬間、木霊してわからなくなっていた音源が、はっきりした。
「―――上か!?」
空まで空いた天井を見上げると、音が止んだ。
だけど、脅威がなくなったわけじゃない。むしろこれからだ。すぐにでも―――降ってくる。
スザクを抱え上げると、すぐにこの場を離れようとした。
だけど……、遅すぎた。
天井の穴から、巨大な鋼鉄の塊が降ってきた。
ソレが地面に着地すると、轟音とともに衝撃が走り抜けた。地鳴りが遺跡内に響きわたり、撓んだ。立とうとしていたが支えられず、膝立ちでこらえる。
地震が止むと、顔を上げてソレを見た。
思わず、我が目を疑った。
眼前にあったのは、白銀のナイトメア。今日までずっと戦ってきた相手=ランスロット。忘れようはなく、忘れることなどできない。腰元から銃を取り出し、その銃口を私に向けてきた。
息を呑む。一瞬の間、頭のなかで疑問が吹き荒れた。どうして動いている、ここにパイロットがいるのに。この島には他に、誰もいないはずなのに……。わからない。何が起きているのかわからなかった。
だが、撃たれる、ほんの少しでも逃げようとしたら。それだけは直感させられた、突きつけてきた銃口がソレを物語っている。
身動きがとれず固まったまま、射竦められていた。
◆ ◆ ◆
どこともしれない場所を、粛々と歩き続ける。
(―――俺は独りだ)
継ぎ目を感じさせないほど平らな床、鏡のように磨き上げられてもいる。古代の石造りの神殿風だが、高度なテクノロジーが使われているのがわかる。それも、現代の技術を超えるような未知の技術。狭い洞窟内にいたはずなのに全方位で水平線が見えた、それも液体の海ではなく雲海の水平線。明らかに重力を無視した建造物、空に浮いているのだ。水平線の先から、茜色の黄昏の光が全てを染めていた。ここに入った時は夜明け前、暁であるはずなのに夕暮れどきの空模様。時間すら歪められている。伝説上の異界に迷い込んだかのようだった。
いつもなら、目を奪われていたであろうオーバーテクノロジーの数々。圧倒されていたことだろう。でも今は、その全てに興味がわかない。
(俺は独りだ。もう……、だれもいない)
肩口を抑えながら、歩き続けた。
肩の銃槍からとめどなく血が流れ落ちていく。生命が抜け落ちていくのを肌で感じていた。それなのに、ほんの少し痛みと喪失感があるだけだ。何も感じない。先までの、全身を凍えさせるような寒気はない、歩みもしっかりしていた。歩いていることに気づいてから、その異常な正常さに気づいた。
一体何が起きているのか……、わからない。時間もかなり立っているはず、抜け落ちた血も大量だろう。本来なら俺は、まともに歩くことはできなかったはずだ。どこかで気絶していてもいいはずだ。それなのにこうやって、歩き続けることができている……。疑問と解釈が頭の中でかけめぐる。
だが、答えを出すことはない。それを求めることも。心が麻痺しきっているのか、ただ先に進むことだけしか考えられない。全てを切り捨ててきたことで、己のこともどうでもよくなっていた。
今の俺は、目的を果たすためだけの機械だ。ギアスにかかっている人間と同じだ。痛いだのやりたくないだの何故だの、そんな無駄なことに頭を使うことはない。ただ今だけ、今持っている全てを使って目的地へ向かうだけだ。
(ナナリーを助ける、なんとしても。ナナリーだけでも―――)
ポタポタと血がこぼれ落ちる。歩んだ後に、血の跡が尾を引いていた。
別れ際のスザクの顔を、脳裏に浮かんできた。痛みとともに。
どうして最後まで、俺を信じてしまったのか。そうしてくれなければ俺は、ここにはいない。そうしてくれなければ俺は、こんな場所にはいなかったのに……。
思い返すと、胸の中にポッカリと空洞ができているのに気づいた。底なしの闇が見えた、一筋の光もない真っ黒な世界。―――俺は今、そこにいる。もうそこから、逃れることはできない。全てが融けきるまで、突き進むだけだ。
黒く染まっている心を再確認すると、もう一つ思い出した。
最後に聞こえた銃声、俺に向けられ発射された弾丸。確かにソレは聞こえた。ソレは今、どこにあるのだろうか? スザクは外したのだろうか? あの場面で奴が外すのか……、ありえないだろう。だったら、どうして俺は今、生きている? ―――
思考はそこまで、目的に関係のないことは削除。今は、体がうこかせれば問題はない。敵に勝つだけの力が残っていれば、ナナリーを助けるだけの力が残っていれば、何も問題はない。問題はどこにも、有りはしない。
歩みが止まった。人の気配を感じてか、顔を上げた。
石階段の先/天井のないこの神殿の最上層/祭壇。見上げたそこにあったのは、敵の姿。弱肉強食の国是を形にしたかのような風貌、傲岸な王の姿。この8年間、片時も忘れることができなかった男―――
「―――久しいな、ルルーシュ」
遥か上段から放たれたのは、ブリタニア皇帝の声=シャルル・ジ・ブリタニアの声=父親の声だ。厳かな、自分以外の全てを萎縮させる威圧に満ち満ちている。……8年前と変わらず、聞くだけで肝が潰されるような声だ。
ただ、それは昔の話。今は違う。
憎しみと怒りが、俺を強くした。俺は強くなった。その程度で怯むことなどない。
返事の代わりに、睨みつけた。奴は嘲るように見下ろすだけ。
全ての元凶が、そこにいる。最後の障害として立ちはだかってきた。コイツにたどり着き、コイツを倒すために、生きながらえてきた。全てを切り捨てて。―――今がその時だ。
瞳にギアスを灯した。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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