駐車場に止めるために何度か車を切り返す、その度に車がガクンガクンと揺れるのは、それがクラシックカーだからだ。コーディネーターの資産家が多いこの島では、こういった珍しい物も同じように多い。エタノールを燃料にする内燃機関に油圧式の変速機、動かすのもままならない代物だった。
所有者が亡くなり競売に掛けられたクラシックカーコレクションの中で売れ残っていたものを格安で譲り受け、部隊の業務に使用している。設備に関して、連合本部はなかなか予算を回してくれない。アイシャがやり繰りして、島の業者から必要なものを入手していた。
だからニッシムも、車には文句を言わず自分の運転が下手だと思う事にしている。幾度かのエンストの後、ようやく駐車場に車が納まった。
「おはようございます」
車庫入れが余程うるさかったのだろう、不審そうな顔をした赤道連合海軍の兵士が顔を覗かせていた。制服姿のニッシムにも、怪しむような表情を崩していない。ニッシムは挨拶をしながら、建物を見上げる。わずかに残った海軍の部隊が宿舎としている建物は、痛みが目立っていた。
残務処理の名目で五十名程度が残っているという話だが、日常の訓練などは続けているようで、宿舎は静かだった。敷地のあちらこちらに完全武装の兵士が立っているのを見ると、テロへの警戒も怠っていないようだ。
宿舎の出入り口に立っていた同い年くらいの兵士に、責任者のソモ・ラマがいるかを尋ねる。オフィスの場所を教えてもらい、宿舎に入った。
「まだ忙しいのだろ?」
ソモが灰皿を勧めながら言う。ニッシムは軽く頭を下げて代用タバコの箱を取り出した。マッチの匂いが一瞬鼻をくすぐる。
「えぇ、まぁ」
島の返還に向けたザフトとの作業は、遅々としているが着実に前進していた。プラントの行政システムを現行シテスムと平行に稼動させて不具合を確認するためのスケジュールは決定し、住民登録に向けた説明会の準備も進んでいる。島を出て行く人達へのフォローアップ体制も、連合本部が赤道連合に対して強く指導しているらしい。
懸案事項である警察権限の駐留ザフト部隊への委譲も、ザフトが直接警察業務を行うのではなく、新たに文民警察をカーペンタリアから派遣する形での決着が付きそうであった。ザフト内部の反発はあるそうなのだが、ザフト第二陣の派遣人員は行政官と文民警察官を軸にするという話だ。
「わざわざ報告してもらって済まない。こちらの部隊も、撤収スケジュールが決定しそうだ」
「本当ですか、それは良かった」
「だが、そんな事を言うために、君自身がここに来たのか?」
「あ・・・・・・いえ、大尉がこちらを離れられる前に、昔話でもと」
大戦中、ニッシムは港湾施設を防衛するための部隊にいた。湾内に進入してくるザフトのMSを攻撃するための砲台に配属されていたのだが、その砲台が狙われた。逃げるニッシムを救ったのがソモのいた部隊である。
まだ地球軍にMSが配備される前であり、Nジャマーによる電波障害で誘導兵器もほとんどが使えなかった。赤道連合では、迫撃砲や無反動砲といった比較的小型の火砲でMSに肉薄攻撃を仕掛ける対MS擲弾兵部隊というものまで編成されていた。ソモがいたのはまさにその部隊であり、彼らはMSに対して無謀な決死攻撃を仕掛けていた。
MSの配備後その部隊は編成を解かれたのであるが、生き残った隊員達の結束は今でも強いと言われている。
MSの電装系の消耗品を中心に、わずかながらの補給が届いた。港の突堤の外側に停泊しているのは、大きな飛行艇である。大洋州の民間航空会社が所有していたものをカーペンタリアが借上げ、輸送機に改修したものだ。
正規の輸送機に比べて積載量は少なく効率は悪い。また航続距離も長くないので、最も近いザフトの基地から飛ばしても危険を伴う。それでも飛行艇を飛ばしたのは、本隊第二陣の派遣を延期し続けているプラント上層部に対する、カーペンタリアからのせめてもの罪滅ぼしであろう。
プラントからの指示ではなくカーペンタリアが独自に飛行艇の派遣を決定したからなのか、補給品の目録に不備があるなどいくつか混乱も生じていた。警察業務の専門家数名が飛行艇に同乗して島に来たのも、飛行艇到着後に分かった事だ。
「あくまでも治安の回復が先ってことか」
ヘルミはその専門家の名簿を見ながらつぶやく。どの人も、対テロや公安関係の部門にいた人達だ。それが不要な業務だと言うつもりはないが、今の部隊の仕事として必要なのは行政機関としての警察業務だろう。対テロの専門家に、酔っ払いの保護や漁師と仲買人の喧嘩の仲裁をさせるというのだろうか。
とりあえずヤルミラの下に配属されるとの事だったが、日常業務を差配しているのはヘルミだった。対テロ用に隊から選抜したメンバーと合わせて十五名、遊ばせていられる人数ではない。島の警備局と合同で巡回業務ができればいいのだがと、彼女はファイルを閉じた。
拳銃射撃の訓練を時間の無駄だとは思わない。現に島でテロが発生し、その犯人はまだ捕まっていない。ヤルミラの危惧はもっともであり、それへの備えも当然である。それでも、とヘルミは思う。的に一発も当たらなかった拳銃にため息をついた。
「キーデルレンさん、副長がお見えです」
部下の声にヘッドセットを外して射撃ブースを出る。てっきりヤルミラかと思っていたが、別人であった。
「ルシエンテス副長、どうしました?」
アンシェラは訓練中に済まないと前置きし、新しく来た人員を含めたメンバーの予定を確認したいという。ヘルミは考える事は同じかと思うと同時に、動くのが早いなとも思う。ヘルミは、自分の考えを述べた。
「そうですね、こちらとしてもそれが一番ありがたいです。警備局の方には私から話を通しておきます」
「あ、ヤル・・・・・・ジーノ副長には」
「彼女にも私から。何か言われたら、私の命令だと言っておいて下さい」
おそらく、今日中に警備局との合同巡回業務のスケジュールが決まるだろう。アンシェラの仕事の速さは間違いが無い。そしてそれがヤルミラを刺激する事も、彼女は分かっているのだ。
ヘルミはそれ以上何も言えなかった。ヤルミラであれば、警備局との合同業務に難色を示すだろう。彼女に言わせれば、警備局も潜在的な反ザフト勢力なのだから。だから彼女の頭越しに決定をする。その上で、責任も問題もアンシェラが被った上で解決する、そう言っているのだ。
この人は、ヤルミラを傷付けていると分かっているのだろうか、ヘルミはそう思った。アンシェラの様な仕事は、人の感情の機微を正確に察知しているからこそ出来る事だろう。それが経験によるものなのか、何らかの学問的な技術なのかは分からない。だがどちらにせよ、ヤルミラがどう思うかもアンシェラには分かっているはずだ。
分かっていてなお、仕事のためにはそれをする。では早急にと言って訓練場を後にするアンシェラの後姿を見ながら、見た目よりもずっと冷たく怖い人なのだとヘルミは思った。
基地のMS格納庫では、整備員が総出で機体の点検を行っていた。今まで誤魔化しながら使ってきた消耗品を、一気に交換してしまうのだ。ディンの方は装甲板が半分ほど外され、ドゥルも至る所からケーブルが伸ばされていた。輸送艦の方では、ジンワスプの整備がこちらと同じように行われているだろう。
ドゥルの腰部可変機構の整備ハッチに上半身だけを突っ込んでいたキャロラが、声を上げる。インパクトレンチのエアが止まっていた。周囲に人の気配はあるが、キャロラの声に気付いた者はいないようだ。
「ちょっとぉ! コンプレッサー回ってる!?」
なおも返事がなく、キャロラがもう一度声を上げようとした時、お尻を触られた。ハッチから上半身を引き抜き、振り向きざまにインパクトレンチを思い切り振るう。最も嫌な冗談に対しては、それでも軽すぎる仕打ちだ。
インパクトレンチはエルシェの眼前で止まった。目を見開いたまま表情を固めている彼女の頭を、キャロラは思い切りはたく。
「このクソ忙しい時にやめてくんないかな?」
「セクシーポーズが無防備だからよ」
エルシェのその答えにもう一発頭をはたくと、用件を聞く。彼女は、整備進捗状況のチェックシートを集めていた。それをもとに、警戒飛行のシフト案を組みなおすのだという。
「あんた、そんなの任されてるの?」
「人少ないもん。落第生でもアカデミー出だからってやらされてるの」
プラントでは宇宙での作業にもMSが多数使用されており、ザフトもそのような経験者をパイロットとして優先して入隊させている。そのため、現在のアカデミーのパイロット養成過程は、MSの操縦よりも現場での運用方法を学ぶ側面の方が強い。
もう一人の落ちこぼれと一緒にねと、エルシェは視線をキャットウォークの上に向けた。ディンの頭部に集まっていた整備員に、クレトが声を掛けているのが見える。同じように整備の状況を聞いて回っているのだろう。
機体自体が壊れているわけではないのでそれほど時間がかかるものではない。水密処理の必要がない分、輸送艦の方で整備しているジンワスプよりも早く終わるはずだ。
「ノンミスの一発OKなら、夕方には終わると思うよ」
「・・・・・・ってことは、深夜か。今日中?」
「日付は跨ぎたくないかな」
キャロラはコンプレッサーのスイッチを入れるようにエルシェに頼む。キャットウォークの上のクレトに合図を送りながら、別の整備員の元に歩いていく彼女を見送ると、キャロラは再びハッチの中に頭を突っ込む。
エルシェはあんな事を言っていたが、アカデミーは入るのも出るのも簡単な場所ではない。実力主義を標榜するプラントであっても、アカデミーというブランドは厳然と存在する。アカデミー内部の成績など、外部の人間にとっては与り知らぬ事だ。
比べる相手が悪すぎるのではないだろうかと、キャロラは思う。経歴を鼻に掛ける必要はない、だが誇るべきは正しく誇っていいのではないだろうか。それが、エルシェと接してきた彼女の偽らざる考えであった。
「だから、コンプレッサーのスイッチ入れろって言ったじゃん!!!」
基地の片隅の木造兵舎、その脇の小さなカマボコ型格納庫の中にある、専用通信ユニット。連合本部との直接通信などに使っている設備だ。小さな会議室ほどの広さで、壁面には様々な機器が埋め込まれている。リンタンは椅子を回した。机の上に書類を広げて、ナワンが頭を抱えている。
いつも涼しい顔をしているナワンにしては珍しいと、リンタンは思う。彼はそこそこ整った顔立ちなのだが、どんな時でも表情が変らないので不気味だという隊員も多い。そんな彼が苦渋の表情を見せているのだから、大事なのだろう。
もっとも、リンタンにもその理由の一端は分かっている。一連のテロ事件の犯人が特定できそうなのだ。ただ、今のところ状況証拠しか揃えられていない。
「盲点、ではなかったのに・・・・・・」
ナワンが搾り出すように言った。大戦中から、ブルーコスモスが連合各国の軍に深く食い込んでいたのはよく知られている事実である。組織の過激化や、軍の運営に対する過度の介入を警戒され、戦後は急激にその影響力が排除されていった。
ブルーコスモス自体、軍閥化したり市民に対する無差別攻撃を行うなどした結果、単なるテロ組織として各国政府の取り締まり対象となっている。今ではいくつかの過激派グループを除いて、組織としては壊滅状態だとされていた。プラントとの緊張緩和が戦後復興と結びついている以上、ブルーコスモスの居場所はない。
だが、その思想までもが消えたわけではなかった。コーディネーターに対する感情は、戦争が終わったからといって即座に変わるわけではないのだ。
「軍にはブルコスのシンパが多いって言いますしね」
リンタンは他人事のように言う。ブルーコスモスの問題は、軍内部の権力闘争にも関わる問題なので、下手な話題に出来ないのだ。まことしやかな噂として語られはするものの、自分自身の事としてそれを話す者はいない。
彼女自身、今回の件で調査に携わったからこそ、そのような考えを持った者が身近にいた事を知ったのだから。
「今回の件は、個人的な思想信条の話ではすみません」
計画的なテロ攻撃を可能とする大きな組織が存在する事、そこが軍の一部と通じている可能性がある事が問題なのだ。ナワンは頭を上げる。
アフリカは現在小康状態を保っているが、まだまだ政情が不安定な地域は多く、そのような場所ではブルーコスモスもまだまだ活発な活動を行っているという情報がある。島で起きた事件も、アフリカを拠点とするブルーコスモスが背後にいると考えられた。
彼らが次にどのような事件を起こすのか。それを把握し、阻止しなければならない。
「それにしても、意外と船が来ていたとは」
ナワンは広げられた書類を見つめてため息をつく。定期連絡船以外に、他の場所から島にやって来た船のリストだ。港に寄った船だけでなく、沖合いで操業して島には寄らずに帰っていった漁船なども含まれていた。リストは警備局から提供されたもので、正規に届出がなされたものである。無届のものは、巡視船がたまたま発見したり港に寄ったりしたものでなければ把握できない。
Nジャマーによる電波障害で、航行の危険性は旧世紀に比べてはるかに高い。だがある程度の規模を持った組織であれば、大型船を使う事も可能だ。小火器や爆発物を島の沖合海上で受け渡すなどすれば、島への武器の持込も容易であろう。
「軍内部のブルコスシンパが、テロ組織の支援を受けて大規模攻撃を実行・・・・・・」
「ともかく、有無を言わさず相手を押さえられる証拠を掴みましょう」
敵の動きに関する、いくつかの重要な情報は掴んでいた。既に、何らかの武器が島に持ち込まれた可能性が高い。隊員による巡回任務とは別に、島の捜索を行なわなくてはならないだろう。
ナワンは、監視対象者への対応策もいくつかリンタンに指示しておく。厄介な仕事を引き継いでしまったものだと、彼は広げた書類をまとめながらつぶやいた。
MS格納庫に併設されている建物には、パイロットや整備員のロッカールームやシャワー施設、当直用の仮眠室や医務室などが入っている。今は整備員が出払っているので、建物全体が静かだった。整備状況の確認を終えたエルシェとクレトは、ロビーの机でチェックシートを広げている。
油染みが付いたものや、濡れて皺になってしまったものなども混ざっているが、それこそが紙媒体が生き残っている理由であった。整備現場でも故障しない丈夫な情報端末というのもあるのだが、それらは総じて大きく持ち運びに不便であった。
結局、紙とペンの組み合わせは生き残り続け、今もこうして使われている。クレトが、チェックシートの内容をパソコンに入力していた。
「キャロは深夜までかかるって言ってたよ」
「ぽいな。ジンの方は明け方に間に合わせたいって連絡あった」
連合の部隊のスカイグラスパーと警備局の飛行機で島の上空の警戒飛行を行っているのだが、向こうにも余裕があるわけではない。MSの整備が深夜までかかるのであれば、夕方以降の時間帯にどうしても空白が生じる事になる。
以前のように切れ目なく警戒飛行を行っているわけではないが、流石に六時間以上の空白はまずい。ディンかドゥルどちらかの整備に作業を集中してもらい、少しでも整備時間の短縮ができないだろうかとエルシェは言う。
「ドゥルの方が良くない? あれの方が飛べる時間長いし」
「整備班長にそれ言ってみた。たいして時間は変らないってさ」
一つの整備箇所に二人も三人も手を出したところで、作業効率はそれに比例して早くはならないのだ。
飛行艇での警戒が出来ないかどうかも考えてみたが、地上警戒用熱紋センサーや夜間索敵用暗視装置などを、輸送機が装備しているはずもなかった。クレトは腕を組んで、空白のシフト案を眺める。
誰もいないロビーは静かで、ときおり格納庫からクレーンを動かす音が聞こえてくるだけだった。クレトは指先でペンを回す。
「それ、何度教えられても出来ないのよね」
「あ? あぁ、留年回し?」
クレトがクルクルといくつかのバリエーションでペンを回した。エルシェが真似をして、ペンを盛大に飛ばしてしまう。彼女は小さく笑った。
アカデミーの時も、空き教室や食堂の隅で、二人で白いノートを目の前に頭を抱えていたと、クレトは思う。それでも卒業まで漕ぎつけられたのは、エルシェのおかげだった。一人なら、途中で辞めていただろう。
実力主義を謳うプラントの中でも、アカデミーほどそれが可視化される場所もないだろう。全ての実力が数字になって示されるのだから。それだけに、途中でアカデミーを辞めるものも多い。無能を突きつけられるという事は、コーディネーターにとっては耐え難い事なのだ。
アカデミーに入ったという事は、それだけで同年代の者達の中でより秀でていた事を示している。だからこそ余計に、その自分が無能に過ぎなかったのだという結果は重く圧し掛かる。
「何? いい方法思いついた?」
ペンを拾ってきたエルシェがそんな事を言う。アカデミーの時と変らない能天気な表情。クレトの好きな表情だ。教官に叱責されても、年下の先輩に笑われても、エルシェは自分を否定しない。自分が肯定されて存在しているという確固たる証拠のように、彼女は能天気に笑うのだ。
優秀か否か、有能か否か、そんな評価を受けるはるか以前に、彼女は自分を肯定している。だから、クレトも自分を否定せずに済んだ。アカデミーを辞める事無く、卒業する事が出来た。今もこうしてザフトでパイロットが出来ているのは、そんな彼女のお陰だと、彼はそう思っている。
「連合に、今夜だけは無理してもらうしかないな、これは」
クレトはそう言った。夜の十一時をドゥルの整備完了時間に設定し、整備班にはその厳守を頼む。連合には夕方の警戒飛行の後、もう一度飛んでもらうように要請する。細かい詰めは、連合と打ち合わせなくてはならない。
エルシェは嬉しそうに立ち上がり、ロビーの電話を掛け始める。連合に繋がる内線番号をいくつも知っているのだ。
ザフトが使用している兵舎と、連合が使用している兵舎はともに基地の敷地内に建っている。ザフトが基地に入った時、その境界に関する取り決めもなされ、ロープやカラーコーンで境界線が示されていた。歩哨も立てられており、建前の上では手続きに則らない限りそれを越える事は許されない。
しかしテロへの警戒のため、ザフトと連合が合同で実施する市内巡回や海岸線の警備などが増えるにしたがって、両者の行き来も増える事となる。それに伴って、境界線を越えて相手側の兵舎へ行くための手続きも簡略化されていった。
エルシェやクレトは顔見知りの歩哨に挨拶をする。歩哨の一人が端末を手に、来訪予定者のリストを確認する。
「電話してすぐ来るのは無しにしてよ、リストに載ってないじゃん」
「この前の貸しの分、ね」
端末を手にしていた歩哨は、慌てて二人を通してくれる。クレトが何の事かを聞くと、ラブレターを届けてあげたのだとエルシェが答えた。
木造兵舎のロビーには、ナレインが待っていた。MS運用責任者は、基地の管制室に詰めているという。相変わらず管制関係の部門では、揉め事が続いているらしい。機嫌良く席に着いたエルシェを横目に、クレトはザフトのMSの整備状況について説明する。
警戒飛行のローテーションについてザフト側からの要望を出すと、極端な負担にはならないので大丈夫だろうとナレインが言ってくれた。スカイグラスパーを飛ばす分には、警備局へ連絡を回すだけで済むはずだ。
「ただ、俺は責任者じゃないんで、上の許可が下りるまで待って下さい」
「それは私達も同じですから」
エルシェの笑みに、ナレインも微笑み返す。管制室にいるMS運用責任者に電話を掛けるため、ナレインは席を外した。クレトはエルシェに、バレッタのお礼はしたのかと聞く。横目でクレトを睨みながら、エルシェはまだよと答えた。
惚れっぽく、それでいて度胸が無いのがエルシェだった。社交的なタイプなのだが、肝心の相手に対しては何故か尻込みするのだ。
それはつまり、彼女と気兼ねなく付き合っている自分は、最初からそういう対象ではないのだと、クレトには分かっている。彼女の髪を留めているバレッタは一つだけだ。
「オッケー、夜に一回グラスパー飛ばせます」
正式な書類は出来しだい送ると言いながら、ナレインは席に戻った。クレトは礼を言うと、ゆっくりとした仕草で出されたコーヒーに口を付ける。逡巡するエルシェに目配せをしてやった。
ナレインも、用が済んだからすぐ帰れなどと言うタイプではない。何も言わないエルシェをサポートしようと、クレトが話を振った。出身地の話だの、趣味の話だの、当たり障りの無い話題が行き交う。
「多少足が速かったんで、左のサイドバック・・・・・・」
「あ、あの、ナレインさん」
サッカーの話が盛り上がりかけたところで、唐突エルシェの声が割って入った。驚いたように視線を向けるナレインに、エルシェは無意味な手振りを見せていた。席を外した方がいいかと、クレトは手洗いの場所をナレインに聞いた。
エルシェの健闘を祈って席を立ったクレトは、ロビーに近付いてくる美しい金髪を目にした。彼女の口元に浮かぶ純粋な微笑に、クレトは思わず足を止めた。振り返ると、アンシェラがナレインに話し掛けているのが見える。
彼女は連合の司令官を訪ねてきたようだが、ナレインへの接し方はザフトの士官が連合の士官に接する態度ではなかった。彼女が示す節度を保った親密さは、二人の関係をより一層親密に見せている。クレトがエルシェのところに戻ろうとした時には、アンシェラはナレインと連れ立って司令官の執務室に向かっていた。
「今週末、大丈夫だから」
アンシェラのその言葉は、何故かはっきりと聞こえてくる。クレトは、エルシェの口元に浮かぶ微笑を、正視できなかった。
にわか雨が上がり、再び強い日が差してくる。風が少し強まり、潮の香りが強くなった。島の天気はいつもと変ることなく、時々刻々と変化している。先遣隊としてこの島に着いてから、ヤルミラがこの天気に慣れる事はなかった。水も空気も光も、全てが人のための調和を保っているプラントを恋しく思う。
この島は人のためには存在しない、水も空気も光も溢れるほどにたくさんありながら、その全てがただの物に過ぎない。だから、人は文明を作ったのだ。ただの物を、人のための物に作り変えていく事が、文明の営みだ。
それはやがて、人のための大地を宇宙に浮かべるまでになった。全てが人のために作られた世界としてのプラント。
そして、そこで生きる者であるコーディネーターは、人のために作られた人間だ。生存権を宇宙にまで拡大していくためには、ただの物としての人では不十分なのだ。文明の営みの果てとして、全てが人のために作られた人類としてのコーディネーター。
ヤルミラは空を仰いだ。
「うっとおしいですね」
傍らにいた女性隊員がそう言って、眩しそうに手を目の上にかざす。数名の隊員が同調するように頷いた。無秩序に変化するだけの天気は、無意味でしかない。この島の、いや地球の気候を嫌う者は少なくない。
兵舎同士を繋ぐ渡り廊下から、近道をするために中庭に出る。MSの整備状況を確認しに行くのだ。補給品の到着に伴う消耗部品の交換は、昨晩の内に完了したとの話だった。
週明けには飛行艇が一旦カーペンタリアに戻り、再び補給品を積んで島にやってくる予定になっている。第二陣の派遣が正式に決まるまでは、飛行艇による補給が続けられるらしい。
ヤルミラは赤い制服の裾をひらめかせるように歩く。連合の兵舎との境界線をくぐろうとしている隊員を見かけ、大きな声で呼び止めた。連合側の歩哨が驚いた顔でこっちを見ている。
「何をしているのですか、ルルー行政官」
現在、部隊の中で裾の長い青い制服を着られるのは一人だけなので、顔を見ずとも誰かは分かっていた。ノンナは連合の歩哨に何かを言っている。ヤルミラが、ノンナに近付いていく。
「何をしているのかと聞いています」
「仕事です」
連合の歩哨が遠巻きにしているのを無視し、ヤルミラはノンナが抱えていた書類の束を取り上げる。
昨夜の島上空の警戒飛行で、ザフトと連合はローテーションの一部変更を行った。警戒飛行業務は海洋警備局との共同実施であるため、ローテーション変更に関する報告を送る必要があった。島の警察行政に関する会合が実施されるため、その報告書をノンナがついでに持っていく事になっていたのだ。
連合の兵舎に向かっていたのは、会合場所の警備局本部まで、ナワンが車を出してくれる事になっていたからだ。ノンナは隠す事無くそう説明した。
「・・・・・・全て、規定違反だと分かっていますか? そもそもこの報告書は」
「一週間以上前に司令官決裁を経て告示。出来ると思いますか?」
ノンナはゆっくりとした調子でいう。カーペンタリアが飛行艇を飛ばす事を伝えてきたのが五日前だ。補給品のリストが不十分だったためMSの整備計画を立てられず、補給品の実物とリストの照合を行いながらの作業だった。
警戒飛行のローテーションに関するザフトと連合と警備局の取り決めは、あくまでも通常時の運用に関する取り決めであり、今回のような場合について細かく取り決められたものではない。警戒飛行実施に穴を開けないために現場同士が話し合った事を、事務官として事後処理しただけの事だ。
「可能かどうかの話ではありません」
「話です。仕事をするのは規定ではなく人間です。仕事をしない規定ではなく、仕事をする人間を優先して下さい。ジーノ副長」
連合の兵舎との行き来も、連合の隊員との行動も、仕事のためにやっている事だ。ただルールを守るために彼女はここにいるのではない。ノンナは寝不足の不機嫌さを押し隠して言う。
この報告書の作成と、警戒飛行のローテーション臨時変更に対応するための規定改正案を策定するため、自分の仕事を中断した上で徹夜の作業だった。ノンナはヤルミラの手から書類を取り返し、代わりの書類を差し出す。
ノンナを睥睨していたヤルミラの表情が消えた。書類を持つ手に力がこもっているのか、紙がよれている。
「確認のサインをして司令官に届けて下さい」
「どういう、事・・・・・・?」
「決定事項です」
「私は聞いていない!」
対テロ用に選抜した人員を、島の巡回や警備局との合同捜査に当てるとの決定だった。既に連合や警備局との同意はなされており、週明けの朝から開始との事だった。
「この部隊の責任者は、私・・・・・・」
「だったら仕事しろ!!」
ノンナが大声を出した。その声に含まれた怒気に、ヤルミラが怯む。
「連合の人を説得しろ! 警備局の人を納得させろ! 島の人を安心させろ! 責任者の仕事はルールを守る事じゃない、作る事だ! 市役所の人と一緒に条例案を考えろ! 商工会の人と一緒にガイドラインを策定しろ! 漁協の人と一緒に内規を見直せ! ここはプラントじゃない! プラントのルールなんて役に立たないと分かれ! この島のための、この島で生活する人のための、この島で仕事する私達のためのルールを作るのが責任者の仕事だ! それをやりもせずに責任者面すんな!!」
呆然とするヤルミラを一顧だにせず、ノンナは連合の兵舎の方に走っていった。数度目の呼びかけで、ようやくヤルミラは我に返る。
「あなた達は、MSの整備状況の確認に。私は、司令に用がある」
ヤルミラは一緒に来た隊員たちに視線を向ける事無く、ゆっくりと兵舎の方に向かう、つもりだった。しかし彼女は走るような速さで、来た道を戻っていく。
彼女が提言し発足させた部隊は、島に潜伏するテロリストに対する抑止力として、また事件発生時には即応可能な戦力として使うはずだった部隊だ。それをどうでもいい業務に、しかもナチュラルと共同で当たらせるという。
アンシェラ・ルシエンテスの名前で提案され、既に各方面の了解を取り付けてられていた。部隊の責任者であるはずのヤルミラを除いて。
渡り廊下に上がる階段を一飛びにしようとして躓き、屋根を支えている柱に体を打ち付けるようにしてどうにか体勢を保つ。鉄柱が低い音を立てた。ヤルミラは奥歯を食いしばる。視界が滲んだ。
「・・・・・・何、でっ!」
ヤルミラは拳を鉄柱に打ち付ける。自分と、彼女らと、何が異なるのか。同じコーディネーターなのに、何が異なるのか。自分の何がいけないのか、何が間違いなのか。
13歳の壁を乗り越えられなかった時も、同じ事を思った。
それでも、それだから努力した。アカデミーをトップの成績で通過し赤服を受領した。博士号を取り、資格も多数所持している。ザフトに入ってからも、配属先ではどこでも常に最高評価を受けてきた。
「何で!!」
それらは全て無意味だったのか。所詮は凡人の中で、ましな凡人だと評価されていたに過ぎないのか。アンシェラやノンナのような13歳の壁を越えられるコーディネーターと、そうではないコーディネーターの間には、決定的な断絶が存在するのだろうか。
誰よりもザフトたらんとし、誰よりもコーディネーターたらんとしても、所詮は出来損ないに過ぎないのだろうか。生まれた時、いや生まれる前から、こうなる事が決まっていたのだろうか。
ヤルミラはか細い声で泣いた。
次回は、16日に投稿します。