大海原の小さな島 ~アルダブラ島奮戦記~   作:VSBR

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十二話 急転

 雲の無い空に月が浮かぶ。月が投げかける煌々とした光が、地面に影を落としている。島の真ん中の大きな池に作られた砂浜を、一組の男女が歩いていた。月明かりに照らされる金髪が美しくきらめく。明るい夜に、アンシェラの上機嫌な顔はよく映えていた。

 規則正しい足音が乱れる。ナレインが足を止めたのだ。アンシェラは無邪気な表情のまま、小首を傾げる。彼女はナレインの手を取って、再び歩き出す。

「満ち潮の時間なのかしら」

 池の水面は静かで波もないが、砂浜は普段より狭まっている。底の一部が海と繋がっているため、干満が生じるのだ。アンシェラは水際に身をかがめると、手をそっと水に浸した。ナレインは、その様子をただ眺めている。

 街で食事をし、場所を変えて少し飲み、彼女に誘われてここを散策していた。アンシェラはずっと微笑んでいる。ナレインは聞いた。

「いいんですか、その・・・・・・」

「いいの、週明けからまた忙しくなりそうだし」

 アンシェラはそう言って、ナレインの正面に立つ。

「ふふ、ゴメンね。そんな事、聞きたかったんじゃないでしょ」

「いや、どうして、俺を」

 言葉を最後まで言う前に、ナレインの視界は見た事もない動きをみせた。どこをどうされたのか彼は砂浜に倒され、アンシェラが彼に覆いかぶさっている。驚いて起き上がろうとする彼は、彼女にがっちりと押さえ込まれ動けなかった。

「ア、アンシェラさん・・・・・・?」

 彼の眼前に彼女の顔がある。今にも触れてしまいそうな距離にまで唇が近づき、甘いアルコールの吐息は鼻をくすぐる。彼女の唇が動かす空気が、彼の唇を撫でていた。

「コーディネーターはね、酔わないの」

 アンシェラは愉快そうに言う。そして聞いた、初めてはいくつの時だったかと。ナレインはようやく、彼女に様子にザラつきを覚える。その感覚に飲まれないよう、彼はゆっくりと息を吐いてから答えた。

「軍に入る直前」

「私は17の時だった。三つ上の先輩、大好きな人だった」

 アンシェラは少し体を起こす。ナレインは押さえ込む彼女に抵抗せず、その表情を見つめていた。綺麗なままなのに、酷く歪つな笑顔だ。

「好きになって、自分から告白して、彼の事に夢中で・・・・・・だから初めての時は、痛みさえ嬉しかった。しばらくは、会うたびにしていたわ。果てて受け止めて、愛して愛された。気持ち良さと幸福を同時に味わえた、最高の日々だった。

 でもある日、気が付いてしまったの。あの子は、こうやって生まれたんだって。パパとママが、こうやって快楽と幸福を貪る中で、あの子は生まれたんだって」

 アンシェラが力を込めたのが分かった。ナレインは彼女の瞳が、笑ったまま震えているのを見る。

「その瞬間、自分の不幸を知ったわ。両親の愛を疑ってなんかいない、でもその愛は病院の遺伝子カタログのページをめくる愛なの。最高の私を生むために、パパとママはカタログの中の遺伝子を選んでいたのよ。そこにパパの幸福があるの? ママは気持ちが良かったの?

 私は望まれて生まれてきた、完全に、何一つ欠ける事無く、パパとママの望みの通りに生まれてきた。でもあの子は違う、愛と快楽の結果として、幸せと気持ちよさの結晶として、両親の望みを越えた希望として、あの子は生まれてきた。

 愛し合う幸福と、愛し合う快楽を知ったから、私はその結果でありたかった。でもそれは、私じゃなくてあの子だった」

 ナレインは目を逸らす。アンシェラの笑顔は濃くなり、まともに見る事が出来なかった。

「だから私は、あの子が大嫌い。嫌いで嫌いで嫌いで、あの子の事を嫌いでいる時だけ、私は自分の事を好きでいられる」

「だから、俺を?」

「そうよ。だって不公平じゃない、あの子は存在自体が幸福なんだから」

 聞き取れたのは、そこまでだった。それ以上の言葉は笑いに霞み、何を言っているか分からなくなっていた。

 せめて抱き締めるくらいは出来るだろうに、ナレインはそう思いながら降りかかる笑い声を受け止め続けた。未だアンシェラに体を押さえつけられたままの彼は、身じろぎひとつ出来ず、砂浜に横たわっている。

 そして彼は、基地に戻らなくてはならない時間が迫っている事だけを心配した。だから、池の水面に生じた変化には気付く事が出来なかった。

 

 

 

 島の道は舗装状態がよく、スピードを上げてもトラックが大きく揺れたりする事はない。完全武装の兵士を乗せて走ったところで、大きな音を立てたりする心配はないはずだった。トラックのモーター音は静かなままだ。わずかな音すら嫌うように、トラックの車列はそっと走っていく。それが余計に、緊張感を高めていた。

 トラックの助手席に座るニッシム・サーカーは、タバコを吸いたくなった事を悪い兆候だと感じる。ハンドルを握るのはベテランの隊員だが、その表情は硬く引き締まっていた。百名以上の隊員を一斉に動かす事など、島に来て以来始めての事である。

 週末のまだ夜も早い時間なので、町中を通らないよう少し遠回りの道を選んでトラックを走らせている。目的地は、海洋警備局の旧宿舎。今は、海軍の部隊が使用している建物だ。

「ドンパチはないさ」

 ニッシムは自分に言い聞かせる様に言う。海軍部隊がブルーコスモスの過激派と結託し、島でのテロを計画している。それは、極めて精度の高い情報であった。連合本部からはブルーコスモスの動向についての重大な情報が入っており、赤道連合の司令部からも背後関係についての調査報告が伝えられていた。

 何より、彼の部隊が独自で入手した情報の多くが、テロ計画の存在を裏付けている。それを未然に阻止するために、ニッシム自身が陣頭指揮を取る形で部隊を動かしていた。腕時計を見て時間を確認する。

 海洋警備局やザフトへの連絡は、海軍部隊の制圧確保に着手すると同時に行うと決めていた。時間きっかりに、トラックの駐車予定地点に到着する。

「隊員の配置、完了です」

「じゃ、作戦通りに。奇襲だ、一発も撃たずにすむ」

 ニッシムは、選抜された隊員が乗ったトラックで、海軍が宿舎としている建物に近付く。他の隊員は、夜陰に紛れる形で宿舎の包囲を始めた。

 敷地の入り口には歩哨が立っているが、もともと軍の施設ではないので入り口ゲートは、工事現場で使う木製のバリケードを並べているだけだった。歩哨がトラックに近付いてきたタイミングを見計らって、一気にスピードを上げる。バリケードを跳ね飛ばして、トラックは建物の入り口前まで侵入した。

 荷台から飛び出した完全武装の兵士に、慌てて追って来た歩哨が両手を上げる。大きな物音に、建物の窓から何人かの海軍兵士が顔を出した。ニッシムは拡声器のスイッチを入れる。

「ラマ大尉はいるか!?」

 その問いに対する返答はなかったが、宿舎を包囲している事を伝えて投降を促すと、あっさりと兵士達が建物から出てきた。どの隊員もちゃんと制服を着ておりブーツを履いていた。身支度の妙な速さに、ニッシムは首をひねる。

 拍子抜けしたような表情で報告を行う隊員に、確保した海軍兵士の数をもう一度確認させる。建物や敷地の内部にまだ隠れている者がいるのかもしれない。こちらが把握していた人数と比べて明らかに数が少ない。

 武器の保管場所を調べていた隊員からも報告があった。海軍部隊にはないはずの重火器、特に対MS用携行火器が隠されていたという。

「大尉の昔からの部下なのか、ここの兵士は」

 ソモ・ラマは前大戦の初期、赤道連合で編成された対MS擲弾兵部隊に所属していた。携行火器でMSに決死攻撃を仕掛ける部隊だ。それと同じ事を、この島でやろうなどと考えているわけでもないだろう。ニッシムは倉庫一杯の武器が、ただちに出撃可能な状態で準備されているのを見て思った。

 海軍兵士の数を確認していた兵士が、もう一度確保した人数を伝える。やはり数が足りず、ソモ・ラマの姿も見つからないという。

 ニッシムは耐えられずに、タバコを口に咥える。すぐにナワンへ連絡を取るよう言うが、宿舎に引かれた電話線は全て切断されていた。

 

 

 

 滑走路ではスカイグラスパーがライトに照らされていた。短距離離着陸が可能なので、この基地の滑走路でも何とか運用できているが、どこか窮屈そうにも見える。警戒飛行を終えて基地に戻ってきたスカイグラスパーは、格納庫が空くのを待っていた。

 報告その他の手続きを行って警戒飛行の任務をザフトに引き継ぎ、ザフトのMSが格納庫から発進した後で、スカイグラスパーが中に入る。格納庫の広さが十分ではないのだ。

 牽引用の車両に繋がれているが、周囲に人はいないようだ。作業が出来るようになるまで待機なのだろう。ヘルミは、視線を窓の外から戻した。

「聞いていましたか、キーデルレンさん」

 ヤルミラの硬い口調に、ヘルミは黙って視線を向けた。会議室にいるのは、ヤルミラが指揮する対テロ用選抜部隊。非常召集のコールでここに集められたのだ。丁寧に、装備一式までロッカールームから運び込まれている。

 ホワイトボードの前で熱弁を振るうヤルミラを除いて、全員がこの状況に対する疑問を浮かべた視線を交わしていた。当然その視線は、最終的にヘルミへと集まる。こっちが聞きたいという言葉を、ヘルミは何度も飲み込んでいた。ホワイトボードを叩く指示棒の音が、ひときわ高く会議室に響く。

 これより、島内に潜伏するテロリストを急襲し、その確保及び排除を行う。ヤルミラは満足げに息をついて、隊員を見渡した。

「根拠は十分なのでしょうか?」

 男性の隊員が挙手と共に発言した。カーペンタリアからの追加人員で、ヘルミより若いがザフト入隊時から対テロの前線で活動してきたベテランであった。彼の発言に同調するように、数名の隊員が頷く。

 カーペンタリアからの追加人員は島に着いた直後であるが、現場での勤務経験が豊富な事もあって、島の状況についての理解も深かった。ザフトが、この島における強固で正確な情報網など有していない事は、彼らも知っているのだ。それだけに、ヤルミラが説明した作戦に疑問を呈するのは当然だった。

「もちろんです」

 自信があるというより、そのような疑問が出される事が理解できないという感じで、ヤルミラは答える。ヘルミは小さく頭を振った。

 だがヤルミラの有能さは、ヘルミ自身が身をもって知っている。部隊の中にはヤルミラの信奉者がおり、島のコーディネーター住民の中にも同じような人がいるという話も聞いている。ノンナに言わせれば被害妄想に取り付かれた差別主義者だが、ザフトの活動に過大な期待を寄せる人達が存在する事も事実だ。

 そういう人達の数は少なく、また島のコミュニティから孤立しがちな人達ではあるが、ヤルミラはヤルミラなりに島に独自のネットワークを作っている。そういった彼女独自の情報網があればこそ、テロの予見に成功したのだ。

 しかしヘルミは、この作戦の本当の意味も分かっていた。来週の頭から始まる警備局との合同パトロールが実施される前に、ヤルミラの指揮で部隊を動かした実績を作りたいのだ。アンシェラ・ルシエンテスが提案した計画が実施され成果を上げる前に、ヤルミラ・ジーノ自身の成果が必要なのだ。

 ヤルミラが勝算もなしに何かを行うとは思えない。適法か否かは別として成果は出るのだろう。ヘルミはもう一度頭を振った。

 彼女らは装備を整え、二台の車に分乗して市街地へと向かう。ヤルミラ自らがハンドルを握った。

 

 

 

 基地の片隅に建つ木造の兵舎。もともとは昔の役場だった建物を移築して、兵舎として使用している。特定の建築様式があるわけではないだろうが、そのたたずまいには南の島らしい開放感があった。

 大きく開けられた窓から身を乗り出すようにして、リンタン・フェは月を見上げた。その明るい光にどこか魔術めいたものを感じると言うと、白衣の女性が月の満ち欠けと人間の生理的変化の相関関係について研究がなされている事を教えてくれる。ヴィヴィアン・ジェガセサンは、コーヒーカップを差し出した。

「静かですね」

「週末だから」

 ヴィヴィアンはそう言ったが笑ってはいない。基地の隊員は、今ほとんどが出動している。海軍部隊が計画しているというテロを未然に防ぐための作戦が実施されているのだ。

 部屋の時計は作戦開始時間を指していた。何事もなく作戦が成功する事を祈る。もし海軍部隊の抵抗があれば、戦闘になる事も考えられた。市街地でテロが起こる可能性もあり、百人ほどが既に島の各地に展開している。基地に残るのは、後方任務の隊員とMS関連の隊員だけだ。

 ただし、一部の隊員には通常通りの勤務を行わせていた。週末の町に繰り出して行った隊員もいる。作戦を隠匿するためであった。ザフトや海洋警備局への通達を、作戦開始と同時に行ったのもそのためだ。

「どうしてだと、思います?」

 リンタンの問いに、ヴィヴィアンは首を横に振った。本人に聞かなくては、いや聞いても分からないだろう。シティ・ハルティナは、部隊の情報を海軍に流していた。

 そして、その証拠を掴むための任務に従事していたリンタンは、シティがそのような行為に及んだ理由を知りたかった。女性のほとんどいない部隊で必然的に仲良くなってしまった間柄だが、それでも、友人の裏切りは納得も理解も出来るものではなかった。リンタンの暗い顔に、ヴィヴィアンは辛い任務だったでしょうと労いの言葉を掛ける。

「相手がコーディネーターだから、ですか?」

「違うと思うわ。もっと分かりやすい理由よ、きっと」

 相手がコーディネーターだから、そんな理由はどこかで読んだキャッチフレーズの受け売りに過ぎない。コーディネーターの排斥を叫ぶ人達はいる。だがその者達がコーディネーターを知っているわけではない。だから彼らは、『コーディネーター』の『排斥』を叫ぶのではなく、『コーディネーターの排斥』を叫ぶのだ。

 人間という個人が存在しないように、コーディネーターという個人も存在しない。たった一つの属性で語れる個人など、二次元のキャラクターでしかない。

 ナチュラルもコーディネーターも一人一人が無力な個人であり、そこに遺伝子の差異など意味を持っては存在しない。ブレイク・ザ・ワールドの被災地で医療活動に従事した事のあるヴィヴィアンにとって、それが真実だった。

「コーディネーターだからという理由なら、そこには特定の誰かがいるわ。ブルーコスモスのためだと言うのなら、そこにも特定の誰かがいる」

 理由なんて個人的なもの以外にはないわ、そう言ってヴィヴィアンはコーヒーカップをあおった。部屋の電話が鳴り、リンタンが受話器を取った。その向こうから、アイシャの不安げな声が聞こえてくる。

「いなのよ、シティが」

 アイシャは、作戦開始時刻と同時に、シティの拘束を行う手はずとなっていた。管制業務に携わっているシティは現在待機時間のはずであり、普通であれば自室に戻っているはずなのだ。一応は監視をつけていたのだが、こちらの動きを悟られないよう、厳しいマークは出来ていなかった。

 しかし、夕方までは管制室で通常の勤務をしており、その後の食堂やシャワールームでも不審な動きは無かったはずである。しかしシティの私室に乗り込んだアイシャは、彼女の姿を見つけられなかった。

 

 

 

 時計の針が指し示すのは、海軍部隊の宿舎で作戦が始まる時間だ。ナワンはその方向に顔を向ける。流石に銃声まで聞こえてくるような距離ではないが、大きな爆発が起これば分かるだろう。

 島でのテロを計画している海軍部隊の確保、それが作戦目標だ。リンタンが入手した情報では、海軍部隊に呼応する少数のブルーコスモスのテロリストが市街地に潜伏しているとのことだった。海軍部隊がザフトの基地を襲撃する直前に、町で陽動のテロを行う可能性が高い。

 ナワンは受話器をとって、市街地の各所に詰めていた隊員に連絡を回す。市街地のパトロールを一斉に行うのだ。こちらの動きを海軍に悟られぬよう、作戦開始時間まで隠れていたのだ。ナワンがいるのは、市街地の中心部に程近い喫茶店。パーティー名目で借り上げ、オーナーに事情を説明して完全武装の隊員数名を詰めさせてもらっている。

 武装した兵士がパトロールを行えば、その面前でテロが行われる事もないだろう。海軍部隊が拘束されれば、テロリストも動けないはず。あとは拘束した海軍部隊から、テロリストの居場所を聞き出せばいい。

「宿舎の方は上手くいってるんだろうな・・・・・・」

 海軍部隊のいる宿舎の方角に面している窓から、ナワンは身を乗り出すようにして外を見る。Nジャマーの影響で無線は使えないが電話は引かれているため、作戦が成功したら宿舎の電話を使って連絡があるはずだ。宿舎と電話が通じる事は、夕方の時点で確認済みだった。

 何かトラブルがあったのか、それとも抵抗を受けているのか。だが、戦闘に発展すれば連絡員をすぐに出す事になっている。連絡の無い時間の空白が奇妙だった。そんなナワンの疑問は、全く別の形で破られる。不意に呼びかけられ、彼は声の方を向いた。

「ルルー行政官!? どうして・・・・・・」

 ナワンの問い掛けは、ノンナが聞きたい事であった。彼女は、警備局の本部で行われた会議に出席し、その後ナチュラルの相互連絡会の代表や役所の担当者とともに夕食を兼ねた会合を行ってきたところだ。会合の場所が、彼の詰める喫茶店のすぐ向かいだったのは、偶然でしかない。

 ノンナが基地から迎えの車が来るのを待っていると、窓の外にナワンの姿が見えたので声をかけたのだ。いつもの制服姿ではなく防弾装備の戦闘服姿のナワンに、彼女は不安げな視線を向ける。

 駆け寄ってきたナワンは、ノンナの視線に口ごもる。この作戦は、ザフトにも警備局にも島の行政当局にも伝えていない。海軍部隊によるテロ計画という軍内部の問題は、軍内部で処理したいという上層部の意向だった。

「今は詳しく話せませんが、必ずご説明に伺います。今は早く基地に」

 ナワンはそう言って敬礼をすると、詰め所へと戻る。オートバイが止まり、連絡員が詰め所へと駆け込んできた。海軍部隊の拘束作戦の終了と、ソモ・ラマを含む数名の行方が掴めない事が伝えられる。

 作戦計画と事態の推移に生じているズレが何を意味するのか、それを考えるナワンの耳に爆発音が聞こえる。驚愕と同時に来るべきものが来たとも感じる。彼は状況の確認を命じると、ノンナの保護に向かった。

 

 

 

 ロッカーのような狭い空間。そこを満たしていた水の排出が、ようやく終わった。わずかな灯りしかないそこで、ウェットスーツを脱ぎ簡易スクーバを外す。ソモ・ラマは大きく息を吸うと、壁面のスイッチを押した。空気が微かに揺れ、壁が扉の様に開く。

 その先にあるのは、同じように狭く暗い空間。ソモは臆する事無く、その空間へと乗り込んでいった。座席に身を沈め、スイッチを操作していく。モニターの光に、彼は目を細めた。

「自動点検プログラムの作動を確認・・・・・・」

 レクチャーされたとおりに装置を立ち上げ、完了時間を確認する。聞いていた話より時間がかかるようだ。ソモは、座席の後ろからパトロットスーツを取り出し、狭い中で苦労しながらそれを着ていく。

 彼がいるのは、MSのコクピットであった。ザフト襲撃のためにブルーコスモスが用意した秘密兵器であり、今回の計画の要だ。ヘルメットを付け、バイザーの開閉を確認しながら、ソモは暗いモニターに映る自分の顔を見る。自嘲が浮かんでいる、そんな風に感じた。

 携行火器だけでMSに肉薄攻撃を仕掛けていた自分がMSに乗っているのだ、皮肉以外の何物でもないとソモは笑う。今でも、MSは憎悪の対象であり、ザフトは嫌悪の対象だ。

 だからこそMSでザフトに攻撃を仕掛けることには意味がある、ブルーコスモスの人間はそんな事を言っていた。下手なレトリックだとは言わず、ソモはその機体に乗る事を決めた。

「青き清浄なる世界のために」

 コーディネーターは悪であり、ザフトは敵である。だから彼は戦争をしていた。決してその逆ではない。戦争をしていたから、コーディネーターが悪で、ザフトが敵だったのではないはずだ。

 だから、たとえ戦争が終わっても、コーディネーターが悪である事は変わらず、ザフトが敵である事は変わらないはずだ。

 しかし、実際は違った。連合とプラントはその結びつきをますます強めている。アルダブラ島とダマル島の交換など、その最たるものであった。今やコーディネーターの存在は容認され、ザフトは敵でなくなった。

 ならば何故、彼は戦争をしていたのか。何故彼の仲間や部下は、戦場で散っていったのか。コーディネーターが悪でなければ、彼が戦争をしていた意味は失われる。ザフトが敵でなければ、戦場に散っていった者達の価値は奪われる。

 彼はただ戦争をし、彼らはただ死んだのではないはずだ。コーディネーターが悪であり、ザフトが敵である以上、彼には戦争をする理由があり、散っていった者達には意義がある。

「まだ、戦争は終わっていない」

 故に、ソモ・ラマは再び戦場に出る。軍人として、敵を迎え撃つ。

 モニターには、機体に異常が見つからなかった事を示す文字が浮かび上がっていた。カメラからの映像にモニターが切り替わり、機体各部のモーターが始動したのが座席に伝わる振動で分かる。

 ハッチが閉まり、ウェットスーツを脱いだ場所が切り離される。それが水の底に沈むのを確認する事も無く、機体はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 非番時に兵舎にいる時は、支給品のシャツやジャージで過ごす者が大半だ。勤務時には制服があり、街に出る時は私服に着替える。それはキャロラも同じだった。だから、どんな格好をすればいいのか分からなくなる。

 街へ出かけるにはもう時間が遅く、私服を着ていれば兵舎の中で目立ってしまうだろう。制服を堅苦しく着るような場面ではないと思いつつ、ジャージではあまりにも品が無い。部屋の小さなクローゼットの前で、下着姿のまま頭を悩ませる。

「制服の・・・・・・首元にでも何か明るめのアレンジができれば」

 キャロラは、私物の入った箱からスカーフを何枚か取り出して見比べる。時計を見ると、それほど時間に余裕があるわけではない。ラブレターの返事をしなくてはならないのだ。

 連合の兵士から渡されたそれは、紙の便箋にインクで書かれた古風なもので、ありきたりな美辞麗句ながらも、十分に衝撃的だった。ラーマン・バダウィというその人は、基地内の連合とザフトの境界に歩哨としてよく立っている人で、キャロラも顔は知っていた。

 正直、どう返事をしたものか迷っているのだが、ともかく何も返事をしないのは失礼だろう。とにかく、直接話をしてみない事には分からないと思い、彼が歩哨に立つ時間を調べておいたのだ。

 丁度、週末の夜で人の数も心なしか少ない。タイミングは悪くなかった。ようやく選んだスカーフを片リボンで結び、少し着崩した制服に合わせる。

 小走りで兵舎を出て、一つ息を付く。あえてゆっくりとした足取りで、連合側との境界線に近付いていった。

 境界線には一応センサー付きのロープが張られている。境界線越しに話をする者はいるが、勝手に乗り越える事は禁じられていた。行き来するためには、ザフトと連合の歩哨が詰めている簡易のゲートで、双方の照会を受けなくてはならない。

 ゲートには先客がいたようで、キャロラは近くの木立に寄り添うようにして、その様子を眺めていた。十名ほどの人達が、ゲートで照会を受けているようだ。

「こんな時間にですか?」

 ザフト側の二人の歩哨は、手にした端末を見ながら何か相談している。シティ・ハルティナは、苛立ちが表情に出ないように注意しながら、連合の歩哨に話しかけた。

「いつもは通してくれるでしょ」

「ハルティナさんは、いつもちゃんと申請してくれますから」

 運用規則では、申請と双方の司令官の決裁を経てから互いの敷地を行き来する事になっている。だが頻繁な行き来を必要とする者は、歩哨も顔を覚えてしまっているため、事後申請でも問題なしという事になっていた。杜撰な運用を危惧する者もいるが、仕事を滞らせてまで守るべき規則でもないというのが大方の意見だった。

 管制業務を行うシティは、それこそ毎日のようにザフト側の施設に行かねばならないので、ザフト側の歩哨も彼女の顔を知っている。しかし、毎回ちゃんと運用規則に則っている彼女の名前が、照会用端末にない事は不自然であった。

 ザフトの歩哨が、連合の歩哨に声を掛けた。

「こっちに書類が回ってるなら決裁漏れってのはないと思うんですよ」

「うちの司令か・・・・・・」

「それに、あの人達は誰なんです? 管制の人じゃないですよね」

「いや、警備局の人らしいんだけど」

 シティの後ろには八人の男性がいる。海洋警備局の職員で、警戒飛行に関する運用規則の改定準備のための打ち合わせに来たのだそうだ。流石になあなあで通してしまっていい人数でもない。

「司令に電話する、あの人なら書類放置してるかもしれんし」

 連合の歩哨の一人がそう言って、電灯の柱に備え付けられた構内電話の受話器を取った。シティは、はっきりと聞こえる舌打ちをする。

「仕方ない、やるぞ」

 彼女の後ろにいた男が低い声で言う。そして左手をさりげなく上げた。

 受話器を持った歩哨が仰け反り、崩れるように倒れる。もう一人の歩哨は、驚きの声を上げるより早く顔を撃ち抜かれていた。ザフトの歩哨は二人とも、状況の変化に認識が追いつかないままに銃を構える。だが彼らの構えたそれが、銃声を発する事はなかった。

 一瞬で四人の歩哨を制圧した彼らは、シティの先導でザフト側の敷地内へと侵入した。

 その一部始終を見ていたキャロラにとって幸運だったのは、木立で彼女の姿が隠れていた事と、驚きのあまり悲鳴もあげられなかった事だ。基地施設の方へと走っていく侵入者をやり過ごすと、彼女はもつれるような足取りで倒れた歩哨へと駆け寄る。

 受話器を持ったまま倒れている歩哨は、まだ息があった。傷口を押さえたスカーフは一瞬で血に染まる。

「ラーマンさんっ! しっかりして下さい!!」

「連絡を・・・・・・連、」

 彼が震える手で差し出した受話器にかじりつくようにして、キャロラは必死に助けを呼んだ。

 

 

 

 時計の針が回る音がかすかに響いている。壁に掛けられた時計は、夜の九時を回ろうとしていた。テレビからはカーペンタリアの放送局が流しているニュース番組の音が聞こえてくるが、頭に残るような内容はない。

 エルシェがテレビの画面からつまらなさそうに視線を外すと、クレトと目があった。彼は驚いたように目を逸らす。ずっと彼女を見つめていたのだろう。エルシェはきつくまとめた髪を乱さないようにそっと触りながら聞く。

「何か付いてた?」

「え・・・・・・いや」

 口ごもったクレトは、ぎこちなく笑ってみせた。エルシェは不思議そうに首を傾げて、再びテレビへと視線を向ける。

 MSの格納庫脇に建っているのは、シャワールームやロッカールーム、整備員の休憩室などが入っている建物で、パイロットの控え室もそこにある。今日は、エルシェとクレトがこの時間の当番だった。古雑誌が乱雑に置かれたテーブルに、向かい合うような位置で座っている。

 一時間ほど前に、スカイグラスパーが滑走路に到着した音が聞こえたので、もう少しすれば連合の方から連絡があるはずだ。それを受けてから、哨戒飛行に向かう。クレトがディンで飛び、エルシェが待機する事になっている。二人はパイロットスーツのまま、テレビの音だけが無駄に響く部屋にいた。

 クレトが何かを言う。エルシェは聞こえなかったその言葉を聞き返す事無く、テレビを見ている。彼の声が強くなった。

「アーナンド少尉の事、お前、それなりに本気なのか?」

「何? 急に」

 エルシェの口調は硬い。クレトは努めてゆっくりと言葉を発する。

「男の話で、落ち込むとか、珍しいからさ」

「何よそれ。私は繊細な乙女なのよ、涙無しで失恋なんてできるわけないじゃない」

 急に明るくそう言ったエルシェを、クレトは怒気を込めて睨んだ。視線を逸らした彼女に、彼は茶化すなと言う。

「今までだって、ちゃんと落ち込んでたでしょ。ナレインさんだけが特別じゃない」

「・・・・・・相手が、お姉さんだからか?」

 エルシェはクレトの顔を見なかった。

「私が好きになる、それ以外の事は何も関係がない。恋ってそういうものじゃない? みんなお姉ちゃんを好きになっちゃうんだから、私から好きにならないと・・・・・・私が好きであれば、恋は出来るでしょ?」

「それで・・・・・・いいのかよ」

「みんながお姉ちゃんを好きになるのは当たり前の事だもの」

 出来損ないの私とは違うんだからと言って はにかむような笑顔を見せたエルシェから、クレトは目を背けそうになる。彼女が姉に対して抱く思いが、その笑顔に渦巻いているのが見えるようだ。

 だからクレトはエルシェを見つめた。

「俺は、エルシェが好きだ」

 彼は立ち上がる。座っていた椅子が床に擦れて音を上げる。エルシェは一瞬目を伏せ、傍らに近付いてきたクレトを見上げて言った。

「知ってる」

 クレトの手が肩に触れた時、エルシェはもう一つ言った。

「だから、クレトも知ってるよね」

 クレトはエルシェの肩に触れさせた手を動かさなかった。彼女が、男性に対する好意を彼に向けていない事は知っている。だからそれをどうにかしようと、彼は手に力をこめた。

 その時、廊下の非常警報がベルを鳴らし、天井のスピーカーからはサイレンが鳴り出した。




 次回は、18日に掲載します。
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