とてもうれしいです。
――紀元前39億年 7月31日 午後3時――
「……到着したかな」
確かな手ごたえを感じつつ窓の外に首を動かせば、青と緑が美しい星ではなく、土色の巨大な大陸と銀色の海に覆われた原初の地球の姿が見えた。
私達を乗せた宇宙飛行機は、地球全体を一望できる絶好の位置に滞空しており、時折小さめの隕石が地球に向かって落下していたものの、かつて月が誕生するきっかけとなった星を揺るがす巨大隕石や、この機体に直撃しそうな軌道の隕石はなかった。
ちなみに仮にこっちに飛んできたとしても、この宇宙飛行機の武装ならば楽々と破壊できるとにとりが話していたので、ひとまず安全と言っても良いだろう。
「ここから地球を飛び出してきたアンナに呼びかけるんだよな」
「ちゃんと通信機能も正常に動作してるし、準備オーケーだよ!」
どこからともなく取り出した卓上マイクを見せながら、にとりは自信ありげに答えていた。
「アンナへの説明は私がやるから任せてくれ」
「ちゃんと聞いてくれればいいけどなぁ」
「魔理沙が喋るんだし、きっと聞いてくれるよ」
そうして大まかな段取りを決め、
「それじゃ早速だけど、観察に入ろっか」
にとりはコックピット内の計器を動かし、先程までボイジャー1号探査に利用していたモニターを別の画面に切り替える。
モニターには地球を中心に据えた宇宙空間が映し出され、にとりが計器を操作すると、どんどんと地球の中へとズームインされて行き、しまいには地球と宇宙の境界を越えて地球内部にまで入って行く。
「へぇ、星の中まで見る事ができるなんて便利だな」
「過去の私はどこにいるかな~? ……おっ見っけた」
拡大された映像を動かして、ルーペのように地表をくまなく探していき、やがて過去の私達が乗って来た宇宙飛行機と、地表にほぼ垂直に突き刺さった宇宙船を発見する。
そこからさらに拡大すると、宇宙船の底面でしゃがみ込みながら、工具を手に何やら作業をしている宇宙服を着たにとりと、それを見守っているアンナの姿が映っていた。
ちなみにこの映像は、二人の表情は勿論の事、地面に転がる小石一つ一つまで鮮明に描写している。
「この位置からなら、過去の私達にバレることはないでしょ」
「にしてもまさかこんな遠くから覗かれていたとはな。全然気づかなかったよ」
「アハハ、もしかしたら今までの私達の行動もこんな風に未来の私達に観察されてたりして」
「有り得ない……と断言できないところが怖いな。やれやれ」
(……)
正直なところ、私もこうやって覗き見るのはあまりいい気分ではないが、未来を変えるためには仕方ないことだと自分に言い聞かせる。
「ところで、修理はどれくらい進んだところなの?」
「映像を見る限りでは佳境にさしかかったところだね。もうすぐ終わると思うよ。幻想郷よりも科学技術が大きく進んだ高度な文明の未知なる技術に触れて、この時は楽しかったなぁ」
しみじみと語るにとり。だとするならば、別れのシーンが来るのも近そうだ。
引き続き映像をじっと眺める私達。やがて何かに気づいた妹紅が、再びにとりに問いかける。
「アンナが楽しそうにしゃべってるみたいだけど、この時どんな話をしてたの?」
ディスプレイには、修理作業中のにとりに対して、身振り手振り交えて笑顔で口パクしているアンナが映っていて、時々にとりも手を止めてアンナへ顔を向けながら、何かを話しているように見える。
「とりとめのないただの雑談だよ。アンナが今まで行った星や地元の友達の話とか――ああ、そういえばこの時、私も地球の未来の姿や幻想郷について話したかも。アンナは凄い聞き上手だったから、私もついつい口が回っちゃったな」
「へぇ、アンナの話の中身がちょっと気になるな」
「なんかね、宇宙には水だけで構成された星とか、実体のない生き物――私達の概念で例えるなら幽霊のような存在が住んでる星とかがあるんだってね。ケイ素化合物を主食にしてテレパシーで意思疎通をするんだって」
「ケイ素化合物ってシリコンのことか? あんなものを食べるのか」
「他にも性別の概念がないから分裂して数を増やすとかでさ、その星の全ての生き物は、元をたどればたった一つの個体から生まれたんだって。なんだかもう嘘としか思えない話だったよ」
「肉体が無いのに分裂するの? 話だけ聞いてるとアメーバみたいだな……」
「あとはそうだねぇ。故郷の話もしてたかな。フィーネとシャロンって二人の友達が今回の太陽系ミッションから帰ってくるのを心待ちにしているとか――」
その後も妹紅とにとりは雑談をしていたが、私は会話を聞き流してこんなことを考えていた。
(なるほど、アンナはここで私達のことを知ったのか)
あの時の私は自分の事に手一杯でろくに個人情報は話していなかった筈なのに、何故色々知っていたのか不思議だったが、ようやく合点がいった。
にとりは何事もなかったかのように話してはいるが、もしかしたらこの時の会話が、アンナの人生を変えるきっかけになったのかもしれない。
その後も、ディスプレイには過去のにとりが宇宙船の底面でもぞもぞと作業を行っている映像が映されていたが、やがて地面に広げた工具を片付け始める。
「修理が終わったみたいだね。もうすぐ魔理沙が来ると思うよ」
にとりの言葉通り、少ししてから宇宙服を着用した過去の私と妹紅が連れ合いながら宇宙飛行機から登場する。
カメラを動かして過去の私の顔を斜めから覗き見ると、顔色がとても悪く、今にも泣き出してしまいそうな悲壮感を出している。
「我ながら酷い顔だな……」
思わずそう呟いてしまう程に。
今となっては笑い話だが、この時の私は霊夢が自殺したあの時よりも世界に絶望していた。
そんな過去の私にアンナはしきりに話しかけ、精いっぱい励まし、やがて大きく一礼してから宇宙船へ乗り込んでいく。
「……そろそろアンナが来るよ!」
「ここからが正念場だな」
どんどん地上を離れて行くアンナの宇宙船に過去の私達が手を振っている映像を確認した後、すぐに窓の外に目を向けたその時、地球から勢いよく飛び出してきたアンナの宇宙船が見えた。
同時に、彼女の宇宙船の周りの空間が歪み始め、細かな粒子のようなものが舞い散り、宇宙の暗い背景がそれを引き立て美しい光景となっている。
同時に、彼女の宇宙船の周りの空間が歪み始め、細かな粒子のようなものが舞い散り、宇宙の暗い背景がそれを引き立て美しい光景となっている。
「まずいよ魔理沙! 早くしないとワープされちゃう!」
「……よし!」
私は意を決して卓上マイクを掴む。
『アンナ、聞こえるか!? 聞こえたら返事をしてくれ!』
声を張り上げて精一杯呼びかけると、一拍遅れて返事が返って来た。
『ひゃっ!? こ、この声は魔理沙さんですか……?』
『ああ、私だ。実はアンナに至急話したいことがあるんだ。アプト星に帰るのは待ってくれないか?』
『は、はい! 今ワープエンジンを停止させるので、少し待っていてください!』
その言葉通り、宇宙船の周囲に漂っていた粒子のようなものが徐々に消えていき、速度がゆっくりと落ち始め、落ち着きを取り戻した。
「止まったか……」
ひとまずアンナを呼び止める事には成功したが、これからが正念場とも言える。まだまだ安心はできない。
『お待たせしました! 魔理沙さん、あたしに話とはなんでしょうか? かなり焦っているようですけど……その、大丈夫なんですか? さっきは物凄く辛そうだったじゃないですか』
アンナは心の底から私の身を案じているようで、心が痛くなってきたので、すぐに釈明を始める。
『え~とさ、ちょっと説明が難しいんだけどな、アンナはさっき〝私″と別れただろ? でも今ここで話している私はその〝私″じゃなくてさ、アンナが会った〝私″よりもっと未来から来たんだ』
『んーと……つまり……さっきまであたしと話していた魔理沙さんとは、違う魔理沙さんなんですか?』
『そうそう、そうなんだよ! 理解が早くて助かる』
『でも、それならどうしてあたしのことを知ってるんですか? 魔理沙さんはあたしと直接会ったわけじゃないんですよね?』
『いやそうじゃなくてね? その〝私″の延長線上の未来が今の私なんだよ。だから別人とかじゃなくて全く同じなの』
『はあ……え~っと?』
アンナが明らかに狼狽えているのがスピーカー越しに伝わり、どうやって説明すればいいか悩ましい。
『まあとにかくさ、あの後未来が大変なことになってな、そのことでアンナに――』
「魔理沙、大変だよ!」
時間もないのでとにかく押し切ってしまおうとしたその時、にとりが会話に割り込んできた。
「もう、なんだよにとり。今話し中なんだからさあ」
「過去の私達が乗った宇宙飛行機が発射しようとしてるんだよ! このままだと見つかっちゃう」
「え、もう? ちょっと早くない?」
「今見つかるのはまずいぞ……」
「どうしよう魔理沙?」
「とにかくすぐに隠れるんだ! 死角に回ってくれ、にとり!」
「了解!」
にとりはすぐさま操縦桿を握り、発射の準備を始めていく。
『あの、何だか慌ただしいみたいですけど、なにかあったんですか?』
『アンナ、この宇宙船に付いて来てくれないか! このままだと過去の私達に見つかって、大変なことになる!』
『! よく分かりませんが、魔理沙さんがそう仰るならついていきますね!』
にとりは宇宙飛行機を発進させて、過去の宇宙飛行機からは死角になる場所――地球が陰となって向こうからは見えなくなる位置――まで速やかに移動させ、アンナの宇宙船も私たちの斜め後ろにぴったりとくっついた。
やがて過去の宇宙飛行機が宇宙に飛び出してくると、程なくして停止する。これから過去の私が西暦200X年8月1日に向けて時間移動するところなのだろう。
その予測通り、次第に機体の底面から全体をすっぽり覆えるほどの時空の渦が発生し、同時に機体の上部にはローマ数字の時計盤を模した二層の魔法陣が出現。サンドイッチのように挟まれながら宇宙飛行機は時空の渦の中に沈んでいった。
(へぇ~客観的に見るとこんな感じで時間移動していたのか。あんな魔法陣が出てるとは気づかなかった……って感心してる場合じゃないな)
私は卓上マイクを口元に近づけ、後ろの宇宙船に向かって呼びかける。
『行ったみたいだ。なんだか済まないな、バタバタしちゃってさ』
『いえ、別に構いませんが……』
何故か言いよどむアンナ。
『どうした?』
『今の光景を見て、魔理沙さんの仰りたいことがようやくわかりました。あたしとこうして通信している魔理沙さんは、先程未来に帰って行った魔理沙よりもさらに未来から来たんですね! なんだか凄いです!』
『……そうか。分かってくれて良かったよ』
過去の私達の行動が予想以上に早かった事に焦りはしたものの、アンナへの説明の手間が省けたので結果オーライってことにする。
『それで本題に入りたいんだけど、いいかな?』
『でしたら一度地球に戻りませんか? どうせなら直接話し合いたい所ですし、燃料にも不安があるので』
『分かった。じゃあ、さっき着陸した場所に来てくれ』
『はい!』
かくして、私とアンナの宇宙船は再び原初の地球に戻って行った。
この時魔理沙達が見ていた映像の出来事は
第三章第79話 サブタイトル「修理」 81話 サブタイトル「アンナとの別れ」がそれに該当します。