頑張ります。
夕焼けのように赤かった空は群青色に移り変わり、なだらかな星の海が静かに降りて来る美しい夜。
視界一面に広がる銀色の海が月の光を反射し、地上は昼間のように明るく、水平線上で分かたれた銀と群青色のコントラストは、まるで海全体が浮かび上がっているように錯覚する。
現在時刻は午後5時02分。現代ならまだまだ日が明るい時間帯だが、39億年前の地球は既に夜に突入しているようだ。
墜落の衝撃が激しく残るクレーターの中心には、アンナが乗って来た円盤型宇宙船。その隣には私達の宇宙飛行機が駐機している。
「それじゃ、私達も宇宙服に着替えて外に出よっか」
「ちょっと待って。実はね、月の都からいいものを持って来たんだ。はい、どーぞ」
そう言ってにとりが私と妹紅に配ったのは、手のひらに収まる程度のカプセル型の機械で、表面にはON・OFFと書かれているスイッチがついていた。
「なにこれ?」
「これは万能適応装置。詳しい原理は省くけど、このスイッチを入れると体の表面に透明なバリアを張ってね、火山の中や海の中、さらには宇宙といった過酷な環境でも、地上と同じように活動できるようになるのさ」
「そんなものがあるのか! 便利だな」
「31世紀では広く使われているモノなんだ。一々着替えて消毒するのも面倒だし、これで行かない?」
「そうだな」
早速万能適応装置のスイッチを入れてみる。見た目は何も変化はないように見えるが、自分の手を凝視してみると、体の表面に薄らとした膜があり、それが全身を包んでいるようだ。
「なんだか何にも変わった気がしないな。本当に大丈夫かこれ」
「大丈夫だって! 私と31世紀の月の科学力を信じてちょうだい」
「まあ、にとりがそこまで言うなら」
「それじゃ行こうぜ」
にとりから受け取った装置をポケットに入れ、私達は外に出た。
宇宙飛行機のハッチを開いて原初の地球に再び降り立つと、私はすぐに自身の変化に気づいた。
「……凄いな」
現代では既に失われた荒々しい空気感、肌を舐めるように吹き抜ける生温い風、波の音一つしない静かな銀の海に真水の匂い。足の裏から直に伝わるまだ未完成の大地の躍動。原初の地球のありのままの姿を肌で感じる。
宇宙服では決して味わう事の出来ない新鮮な感覚。一度は訪れた事がある場所なのに、遠い別世界に来てしまったかのよう。
――私は今、39億年前の大地に立っている。
「以前とはまるで感覚が違うな。これも万能適応装置の影響なのか?」
「その通り! 生命機能を維持しつつ、その土地の自然を味わえる。これこそ万能適応装置の最大の利点なんだ!」
「よく出来てるんだなぁ。未来の科学技術ってのは凄いわ」
そんな話をしていると、目の前の宇宙船から扉が開く音が響く。
「みなさんお待たせしました――!」
宇宙船のハッチを開けて元気よく飛び出してきたアンナは、私達の姿を見て驚愕していた。
「噓……! そのお姿……もしかして魔理沙さんなんですか?」
「うんそうだけど。どうかしたか?」
「そんな、まだ心の準備が出来ていないのに……あっでもでも、よく見たら妹紅さんやにとりさんまで……。それだけ本気ってことなのかな」
「?」
私達の姿を見て何故だか困惑した様子のアンナは、辛うじて聞き取れるレベルの独り言を呟いていた。
(一体なんだ? 別に変な所はないはずだが)
そんな疑念の眼差しをよそに、迷いを見せていたアンナは、やがて意を決したように口を開く。
「――はい。魔理沙さんのお覚悟は充分に伝わりました。あたしも腹を括ることにします。魔理沙さんのお話、聞かせてください!」
妙に気負っているアンナにどことなく違和感を覚えるが、もしかしたら気のせいかもしれないので、指摘することは躊躇われる。
「じゃあさ、せっかくだし機内に来ないか? 長い話になっちゃうし、ずっと立ってるのも大変だろう」
「! 分かりました。お邪魔させてもらいますね! よろしくお願いします!」
緊張した面持ちで、深々と頭を下げるアンナ。
「?? 別に取って食うつもりはないぞ?」
(ん~やっぱり何かがおかしいぞ?)
どこか噛み合わない会話。どうしたもんかと思ったその時、私とアンナのやり取りを横で見ていたにとりがバツの悪そうな顔で呟く。
「あ~もしかしたらこれは……しまったな。すっかり忘れてた」
「何か知ってるのかにとり?」
「断言はできないけど、まあ見ててよ」
にとりは一歩前に出て、アンナに向けて話しかける。
「アンナちゃん。実はね、前会った時は宇宙服を着てたんだ」
「……へ、そ、そうなんですか?」
ポカーンとしているアンナに、にとりは頷きながら話を続ける。
「この時代は私達の住んでる時代と違って180度環境が違うからね、その時の私達には技術力が無かったから、原始的な装置を使っていたんだ。でも今はアンナちゃんと同じ万能適応装置を使っている。つまり今の恰好こそが私達の噓偽りのない姿でさ、遠い未来の地球人も同じ姿をしているんだよ」
「! そ、そうでしたか……。やだ、あたしったら盛大な勘違いを……穴があったら入りたい気分です」
「いやいや、こっちこそ説明不足でごめんね」
「??」
アンナは耳まで真っ赤にして恥ずかしがっていたが、私の疑問は増えていくばかり。
「いまいち状況が分からないぞ? どういうことか説明してくれ、にとり」
「初めてアンナと会った時はさ、私達は宇宙服を着てたじゃん? あくまで仮説なんだけどね、アンナから見て、私達はあの宇宙服込みで日々を生活している種族として認識したんだと思う」
「ふむふむ」
「でも今は宇宙服を脱いでいる。つまり言い換えれば、素の姿を見せていることになるわけで。その違いについてアンナが深読みしちゃったんじゃないかな」
「理屈は分かったけど、深読みってどんな?」
「そうだね~アンナの反応を見る限りだと『私はあなたを信頼しています』とか、もしくは『私の全てをあなたに捧げても良い』とかその辺りじゃないかな」
「え!? そうなのか?」
思わずアンナを見ると、彼女は僅かに頬を染めながら頷いた。
「はい、概ねにとりさんの仰る通りです。細かな違いはありますけど、基本的に本来の姿を隠すような種族は、よほど親交が深くなければその姿を異種族に見せたりしないのです。なので、てっきり魔理沙さんたちもそういった方々なのかと勘違いしちゃいました」
「なるほどなぁ……」
「言外の意味を汲み取るのではなく、きちんと言葉による意思疎通を図らないといけませんね。翻訳装置には全く問題が無いのに、お恥ずかしい限りです……」
機内でにとりが話していた文化や価値観、常識の違い。それがまさかこういう形で現れるとは。異星人とのコミュニケーションは、私が思ってる以上に難しいのかもしれない。
「つーことは、知らず知らずのうちに“親愛表現”というか、極端な解釈をすれば愛の告白まがいの事をしてたって訳か。ははっ、面白いな」
「笑ってる場合じゃないぜ妹紅? 危うく盛大な勘違いが起きるところだったんだぞ」
「こんなの笑い話にした方がアンナだって気が楽になるだろ。まさかアンナも本気で受け取った訳じゃないだろうし、な?」
「そう……ですね。妙に堂々としてるのが気になりましたけど、こうして真意がわかってしまえば何でもない話だったんですね」
アンナは少し落ち込んだ声色で、言葉を選ぶように返事をしていたが、すぐに立ち直り、
「皆さんはアプト人とよく似ているんですね。しかも同年代の女の子がタイムトラベラーなんて、より一層親近感が湧いてきました。えへへ」
柔らかな笑顔を見せ、私達に純粋な好意を寄せていた。
(う~ん、こうして話す限りでは悪意があるように思えないんだけどな)
未来ではアンナがアプト星のデータベースに私の情報を遺したことで、それが巡り巡って地球滅亡の要因となってしまっていたが……。
「それにしてもにとり。よくこんな情報知ってたな?」
「月に居た時にさ、とある玉兎が異星の地で体験した話を聞いたことがあってね。まさかそれが役に立つとは思わなかったよ」
「31世紀の月の都って色んな星とつながりを持ってるんだな。ちょっと興味出て来たな」
「まあその話はまたの機会にね」
その後アンナをコックピットに案内し、椅子を回転させて向かい合うように座る。席順としては、私の正面にアンナが着席し、隣に妹紅とにとりという図になっている。
「魔理沙さん達の宇宙船はこんな風になってるんですね~」
宇宙飛行機の中に入ってからというものの、物珍しそうにキョロキョロとしているアンナ。
「実はさ、アンナが別れ際にくれたあの設計図が元になってるんだぜ?」
「そうだったんですか! あたしのプレゼントがお役に立ってくれたようで何よりです♪ ……あれ? でもそうしたらおかしくないですか? 確かあたしと会う前から同じ機体だったような?」
喜んでいたアンナだったが、すぐに冷静になる。ころころ表情が変わって面白いな。
「その事も含めて全部説明するよ。これから話すことは今から約39億年後の果てしない未来についての話だ」
「39億年……」
「そんな先の時代の話なんか関係ないと思っちゃうかもしれないけど、アンナにも深く関わる話なんだ。聞いてくれるか?」
「――はい!」
それから私はアンナと別れた後の出来事を話していった。
「――という訳なんだ」
「そうでしたか……未来ではそんなことになっているんですね……」
現在の時刻は午後6時24分。
なるべく要点だけを順序立てて話していったつもりだが、地球の歴史や月の都の事など、私達が前提として持っている知識に関する質問もあったので、それらの説明も込みで大きく時間を取られてしまった。
未来の話ともあり最初はワクワクしていたアンナだったが、私の話が続いていくうちにドンドンとトーンダウンしていき、終いには神妙な表情になっていた。
「ああ。そしてこれがアンナの最期だ」
出発する際に依姫から預かった、コールドスリープ装置に眠る今よりも成長したアンナの写真を見せた。
「これは……もしかしてあたし?」
「そうだ。今から何年後かは分からんが、近い将来、アンナは今から約39億年後の西暦215X年9月19日までコールドスリープしようとする。だけど記録によれば、アプト文明の崩壊と共に電力供給が切れて、そのまま目を覚ますことはなかったそうだ」
「!」
「私にはお前の行動が分からない。何故だ? 何故こんなことをしたんだ?」
「……………………」
少し強い口調で問いただすも、アンナは神妙な表情を崩さず、静かな吐息が漏れるばかり。
「……ちょっと近くで見ても良いですか?」
「いいぜ」
私は写真をアンナに手渡す。
「ありがとうございます。これが未来のあたし……」
アンナは写真を穴が空くほど見つめながら、深く考え込んでいるようだ。
「私は別に未来で起きた出来事について、アンナを責めたい訳じゃない。ただ真実が知りたいだけなんだ。……教えてくれないか?」
「………………」
この場の張り詰めた空気に気圧されたのか、妹紅とにとりは黙り込んだまま、只々アンナの言葉を待ち続ける。コックピット内は静寂に包まれ、それぞれの息遣いだけが微かに聞こえるのみ。
やがてようやく考えがまとまったのか、彼女は顔を上げ、私に向けてゆっくりと口を開いた。
「……魔理沙さんから話を聞いて、未来のあたしがなにを思っていたのかずっと考えていました。でも、やっぱりその時になってみないと、今のあたしには分かりません」
(やっぱりか……)
西暦200X年9月1日に、人間だった頃の咲夜にレミリアの手紙を渡した際にも似たような事を言っていた。やはりコールドスリープに入る前のアンナに聞きに行かないとダメなのか?
そう諦めかけていた私だったが、続く言葉は意外なものだった。
「でも未来のあたしが何を思っていたのか、それに近い考えなら今のあたしでも話せると思います。それでも宜しいですか?」
「! ああ、頼む」
私が強く頷くと、アンナは努めて冷静に喋り始めた。
「まず未来のあたしがアプト星の中央データベースに魔理沙さんの情報を遺したことですが、多分2つの理由があっての事だと思います」
「2つの理由?」
「まず一つ目は、あたしが惑星探査員だからです。ついさっきもお話ししましたけれど、惑星探査員は、惑星の環境・生物の有無・文明の発展度合いなど多岐に渡って調査します。その仕事柄あたしが立ち寄った星についてはレポートを纏める必要があるのです」
「ふむふむ」
「この星に来るきっかけとなったのも原因不明のエンジントラブルによるもの。規則では仕事中に何らかのアクシデントが起きた場合、それについて事細かに政府に報告する義務があります」
「なるほど、大体わかったぜ」
つまり自分に与えられた役割として、私や地球の情報を伝える必要があったということか。そういえば出会った時、この仕事に誇りを持っているって話していたし、未来の彼女がそのように行動してもなにも不思議ではない。
「二つ目の理由ですが……、未来のあたしは魔理沙さんに恩義を感じ、魔理沙さんの名誉のために行動したのではないでしょうか」
「名誉だって?」
「銀河――いえ、宇宙初のタイムトラベラーの存在の確認。これは宇宙の常識を根本から揺るがすとても大きな出来事で、見方を変えればアプト文明の科学力ですら成し得なかった偉業です。この事実をあたしが報告することで、惑星機関のデータベースにとても大切な情報として記録されて、永久に魔理沙さんの名前が刻まれ続けることでしょう」
「……それに何の利点があるんだ?」
「惑星機関のデータベースはアプト星の核にまでネットワークを広げていまして、稼働開始したその時から『宇宙全てを記録し続けているのではないか』と噂される程の膨大な情報量があります」
私の脳内では、地球に大きな根を張り宇宙まで突き抜けた巨大な木が思い浮かんだ。
「あたしの星では、惑星機関のデータベースに個人名が記録され続けることは非常に名誉なこととされています。どうしてかって言うと、大多数の人々は死亡宣告された瞬間から、あらゆる個人情報とパーソナルデータが消去されてしまい、乱暴な言い方をしてしまえば、存在した痕跡全てが無くなってしまうからです」
「なるほど、そうだったのか」
アンナは、私の名前を歴史に刻みたかったということだろう。
確かにこの星でも、大きな武功を上げたり、歴史に遺るような並外れて優れた人物を偉人や英雄として死後も讃えているし、幻想郷内に限っても、稗田家の御阿礼の子が代々幻想郷縁起を編纂している。
しかしその影で、何千何万何億もの人間が、歴史書に名を残すような偉業を為す事無く、ひっそりと生涯を終えている。
自らの生きた証を遺そうとするのは人間の本能であり、縁も所縁もない遠く離れた異種族の文明にも、同じ文化があってもおかしくない。
だけど私は誰よりも大切な友達を――霊夢を助けたくてタイムジャンプを開発したんだ。名誉や栄光を求めてタイムトラベラーになった訳じゃないし、そんな欲も無い。
「でもあたしが良かれと思ってしたことが、遠い未来で地球滅亡のきっかけを作り出してしまうのであれば、今日の出来事は内緒にすると約束しますね。ご迷惑をお掛けしてごめんなさい」
「そう言ってもらえると助かる。よろしく頼むぜ」
真摯な態度でペコリと謝るアンナに、私はホッとしていた。