「……落ち着いたか?」
「ええ、ごめんなさい。ちょっと興奮してしまって。すぐ離れるわ」
(ちょっと……?)
表現の差異に疑問はあったが、やっと馬乗り状態から解放されたのでそこに突っ込まず、私も起き上がることにする。
紫は淑女な外見に反して力が強く、結局彼女の腕から抜け出せなかった。さすが大妖怪。
スキマの中に入り込み、何かモゾモゾと――多分涙と鼻水まみれの顔やぐちゃぐちゃになった服装を整えているのだろう――しているその横で、騒ぎを聞きつけたにとりが私の元に近づいて来た。
「あはは、災難だったね魔理沙」
「見てないで助けて欲しかったぜ、全く」
「ごめんごめん。なんか滅多に見れないものを見て面白くってさ」
「あのなぁ」
文句を垂れつつ土埃を払っていると、鳥居のある方角から「お~い魔理沙ー!」と私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ん?」
振り返ると、駆け足で一直線にこちらに向かってくる妹紅の姿。
「妹紅じゃないか!」
「ははっ、やったな魔理沙!」
その勢いのまま笑顔で胸に飛び込んできた妹紅と軽く抱擁を交わす。その後ろでは、妹紅に遅れて階段を静かに上って来た輝夜の姿も見えた。
「妹紅は記憶が残っているのか? いきなり宇宙飛行機の中から消えたからびっくりしたんだぞ?」
「魔理沙達と行動した記憶を思い出したのはちょうど昨日のことさ。私からしてみれば、宇宙飛行機から自宅に瞬間移動してさ、いきなり身に覚えのない記憶が流れ込んできて混乱したけど、すぐにもう一人の自分が歩んできた記憶なんだって受け入れられたよ」
「なるほど、そうなるのか」
続けて優雅な歩調で此方に来た輝夜は。
「ふふ、こんにちは。私も月の都の入り口で貴女達を見送った後、気づいたらいつの間にか永遠亭にいたのよ。歴史が変わる瞬間って面白いものね」
「輝夜も妹紅と同じってことか?」
「正確には、貴女が改変した歴史に沿って私の意識や肉体も引っ張られた感じ。だから今の私も、かつての歴史の私も、意識と記憶は連続しているわ」
「なるほどね」
輝夜は歴史が変わった瞬間に、妹紅は私と最後に別れ、私の主観から見て地球の歴史を変えた時に別の歴史の記憶を思い出したらしい。二人の記憶想起のトリガーが異なるのは、輝夜が永遠の能力を持っているからだろう。
「ところで、月の都にはもう行ってきたの?」
「いや、まだだ。そこに何かあるのか?」
「豊姫と依姫も記憶が戻ったみたいだからね、会いに行ってあげてちょうだい。きっと喜ぶと思うわ」
「もちろん、そのつもりだ」
そんな話をしていると、やっと身嗜みを整え終えたようで、スキマの中から紫が登場して会話に混ざって来た。
「お待たせ魔理沙――あら、いつの間にか人が増えているみたいね」
「よっ紫」
「こんにちは、妖怪の賢者さん」
「妹紅はともかくとして、永遠亭のお姫様がこんなところに何の御用?」
「彼女と再会の約束があってここに来ただけ。別にあなたに用はないわ」
「そう」
すぐに輝夜に興味を無くした紫は、続けて妹紅の方に顔を向ける。
「妹紅、改めてお礼を言わせてもらうわ。これまで協力してくれてありがとう。あなたがいなければ、私もここまでたどり着くことはなかった」
「よしてくれよ紫。私だって幻想郷を守りたい気持ちは同じだったんだ。お礼を言われるような事でもない」
「それでもあなたには感謝してるのよ。私があの時幻想郷と共に心中できたのは、同じ志を持つあなたの存在があったから」
「私としてはあんな馬鹿なことをして欲しくはなかったんだがな。命さえあればどんな可能性だってあったのに」
「外の人間が妖怪殺しのスキルを蓄積してしまった以上、あの時の私には命を賭しての反撃か、魔理沙の歴史改竄に賭ける道しかなかったわ」
「そうかもしれないけどさぁ――」
旧知の仲のように話し込む妹紅と紫と。
「う~ん、な~んか私は空気だなあ……。ま、あまり関わってないし、しょうがないのかもしれないけど」
「あなたは縁の下の力持ちのような役回りですものね。目立たないのはしょうがないでしょう。けど、それを卑下することはないわよ?」
「別に卑下してるわけじゃないよ」
雑談するにとりと輝夜の横で、私は一人、これからの事を考えていた。
(さて、これで〝西暦300X年まで幻想郷を存続させる″という当初の目的は達成したな。……だけど、すぐに元の時代に帰るわけにはいかないよなぁ)
何せこれまで、散々外の世界の人間達の都合に振り回され、辛酸を舐めさせられてきた。また何らかのきっかけで、この世界の平穏が打ち破られる可能性は否定できない。
折角平和になったのに疑心暗鬼になりすぎだ。と誰かが言うかもしれないが、幻想郷が滅亡した原因全てが外からの干渉によるものだったので、否が応でも気にしなければならない。
他にも幻想郷の劇的な変化も気になる。幾ら紫が万能な能力を持っているからとはいえ、海を創り出すのは無理だろうし、その辺りの事情も聞いておきたいところ。
(これらの疑問をすっきり解決して、大丈夫そうだったら元の時代に帰ることにするか)
自分なりに考えを纏めた所で、私は口を開いた。
「なあ紫。そろそろ私からもいくつか質問してもいいか?」
「ええ、良いわよ。何でも聞いてちょうだい」
「邪魔してごめんな」
紫と妹紅は会話を止め、私に向き直った。
「じゃあ一つ目の質問だ。この歴史において幻想郷はどんな道筋を歩んできたんだ?」
「申し訳ないけれど、その質問は曖昧過ぎて答えようがないわ。魔理沙の歴史改変によって、幻想郷の内外問わず西暦200X年~西暦300X年まで、1000年もの間にとても多くの事があったもの。全部話していたら夜が明けてしまうし、もう少し範囲を絞った質問にして貰いたいわ」
「ならば質問を変えよう。これまでの歴史では幻想を解明する研究所により幻想郷が滅亡し、宇宙人の攻撃によって地球までもが消滅してしまった。今の歴史ではそのようなことはないのか?」
「……ちょっと待ちなさい。宇宙人の攻撃で地球が消滅したなんて初耳なのだけれど。本当にそんなことがあったの?」
「あぁそうか。紫は知らなかったんだよな。実はな――」
私は博麗ビルで別れた後の出来事について説明する。まさか質問する筈の立場だった私が、逆に質問される立場になってしまうとは。
「――ということがあって、今に至るわけだ」
「……とても信じられないけど、魔理沙が言うのなら真実なのでしょうね。まさか月の民に助けられるなんて」
紫は非常に驚いていた。
「まあそれも過ぎた事だし別に良いんだけどな。それで、さっきの質問について答えてくれるか?」
「先程の魔理沙の話に出て来た宇宙の状況も踏まえて、幻想郷を取り巻く環境について話すなら、少し――いえ、かなり長い話になるけど、それでも良い?」
「ああ、かまわないぜ」
と、頷いたところで、ふと博麗神社の縁側が目についた。
「なあ、どうせならあそこに座って話さないか? ずっと立ってるのも疲れるしさ」
「そうね」
「勝手に上がり込んで大丈夫なの?」
「今の時間帯の博麗の巫女は幻想郷の見回りに出かけているわ。当分帰ってこないでしょう」
「へぇ、この時代の博麗の巫女は仕事熱心なんだな」
「霊夢が良くも悪くも規格外なだけで普通のことよ?」
「ははっ、違いない」
そうして博麗神社の縁側に移動し、左から順に輝夜、妹紅、紫、私、にとりの順に座り、紫は語り始めた。