「あ~美味しかった~♪」
食堂で咲夜の手作り料理を堪能した私は、彼女と別れた後大図書館に向かってご機嫌で歩を進めていた。
もうね、ここの食事は一汁一菜の毎日を送る私とは大違い! 霜降り肉のステーキにジャガイモのソテー、更には年代物のワインなんかも出ちゃって、紅魔館の人達って贅沢三昧な暮らしをしてるんだなぁって思ったり。あ、さすがにまだお昼だしワインは断ったけどね。
別に日々の生活に不自由してるわけじゃないんだけど、私もたまには贅沢したいのよね~。
でもうちの神社は、早苗の神社や命蓮寺に比べると参拝客が殆どいないから、御賽銭はあまり見込めないし。仕事で人里から妖怪退治の依頼を受けることもあるけど、それだっていつもある訳じゃないし。
ここだけの話、毎月の生活費の殆どは紫からの仕送りに頼ってるのよね。今度思い切って『もう少し仕送りを多くして』って、紫に頼みこんでみようかな。だけど『もっと巫女としての修行をしなさい』って交換条件を突き付けられそう。それは面倒で嫌だし。
豪勢な食事を取るか、自由を取るか。そんな謎の葛藤? って言うには大げさすぎる悩みを抱えつつ大図書館に到着し、奥へ向かって歩いていくと、眉を顰めたパチュリーが私を待ち構えていた。
「遅かったわね。どこへ行ってたのよ」
パチュリーは既に読書を終えていたみたいで、彼女の机の上に閉じたルーズリーフが置かれていた。横には小悪魔が控えているけど、少し顔が青ざめているように見える。どうしたのかな。
「あんたが邪魔だからあっち行けって言ったんでしょうが……まあいいわ。その分だと読み終えたみたいね。どう? 何か分かった?」
「貴女の読み通り、このルーズリーフには時間移動に関する秘術が記されていたわ。こんな代物がこの世に存在しているなんて信じられない!」
「じゃあ、やっぱり未来の魔理沙が来たのは間違いなかったのね」
少し興奮気味に語るパチュリーが太鼓判を押したことで、奇しくも私の勘が当たったことに。自分でもビックリ。
「こんな常軌を逸した方法で時間移動を成し遂げるなんて、貴女が会った未来の魔理沙は、きっと頭のネジが何本か外れているのではないかしらね。理解が進めば進むほど震えが止まらなかったもの」
「そ、そんなに?」
いったいどんな方法なんだろう。気になる。
「未来の魔理沙が使用する時間移動法――魔理沙はタイムジャンプと名付けてるみたいだけど、これは〝次元シフト法″と呼ばれるもの。つまりね、私達が今いる次元とは異なる次元を経由して時間移動するのよ」
「? どゆこと?」
「私達が今いるこの世界は十二の次元があるとされていてね、その次元ごとに法則や事象が大きく違っているの」
「……んーと?」
「身近な所で言えば二次元の世界。これは縦と横のみで構成され、平面の広がりで空間を成す世界のことでね、絵画や図面、地図の事をそう呼ぶの。そして私達が今いる世界は三次元。ここは、縦と横に加え奥行きも付加された立体的な世界よ」
「ふむふむ」
「そして四次元の世界ともなると縦・横・奥行に加え、時間の概念も加わってるとされているんだけど、あいにくまだ誰も見た事がないのよ」
「そうなのね」
「四次元以上の次元世界は三次元世界の住人である私達には知覚できず、観測も不可能。そして二次元以下の世界へも、三次元世界の物質や生物が到達するのも無理。何故なら私達は三次元の世界に生きるように設計されているから。だけど魔理沙の開発したタイムジャンプは違うのよ」
「というと?」
「魔法という媒介を通じて時の法則が異なる高次元世界への境界を強引に開き、その世界に適応できるように魂や物質の情報を変換することで、高次元世界でも存在消失することなく活動可能な肉体と精神を構築するの」
「え……?」
「そして三次元世界から高次元世界に到達した際に使用した空間座標を記録しつつ、時間軸のみを前後に移動するの。それから記録しておいた空間座標を通過して三次元世界に帰還すると、タイムジャンプを使用した場所はそのままに時間だけが過去や未来にずれているわ。これがタイムジャンプの原理ね」
「……何言ってるのかぜんっぜん分かんないわ」
熱心に説明してくれるのは良いんだけど、小難しい言葉を使われても理解出来ないのよね。誰にでも分かるような説明をして欲しいわ。
「あら、ごめんなさい。ちょっと饒舌になり過ぎてしまったわ。私の悪い癖ね」
パチュリーは咳払いしてから。
「……まあとにかくね。私が伝えたかったのは、魔理沙は相当な労力をかけて過去へ跳ぶ魔法を開発したってことなのよ。ちょっとやそっとの時間ではこんなに緻密で繊細な魔法は完成しない。もしかしたら完成までに数百年掛かっているかもね。彼女のとてつもない執念を感じたわ」
「嘘! 本当に?」
「私の見立てに狂いはないわ。貴女が未来から来た魔理沙に会った時、私達の知る魔理沙とどこか違いはあった?」
「そうねぇ。いつもよりも私の一挙一動を真剣に見てたような気がするけど、それ以外は特に変わらなかったわ。見た目も魔理沙と全く同じだったし、もしルーズリーフを忘れてなかったら気付かなかったと思う」
「ならその未来の魔理沙は、人間を捨てて魔法使いになってでも、この時代の7月20日にどうしても時間遡航しなければいけない理由があったのでしょうね。何か思い当たる節はない?」
「そう言われてもねぇ……う~ん」
あの日は、連日のように続いていた悪夢にうなされていたのを助けてもらったくらいで、他には特に思い当たる節はないのよね。
「……まあ結局のところ、今の私達では情報が少なすぎて真実には辿り着けないでしょうね。いずれ時が経てば、魔理沙が今年の7月20日に戻るためにタイムジャンプの研究に取り掛かるんでしょうけど、果たしてそれがいつの日になることやら」
「あ、そっか! 私が会った魔理沙は、今この時間にいる魔理沙の延長線上の未来、だもんね」
「そう、その通り。そして未来の魔理沙も、このルーズリーフを忘れたままにしないと思うわ。貴女の話を聞く限りでは、わざとこの時間に忘れて行ったのではないでしょうし」
「ということは、また会えるかもしれないってこと?」
「ええ。いつになるかは分からないけど、確実に」
パチュリーは神妙な面持ちで頷く。まるで未来を確信しているように話しているけれど、でも何か勘違いしているような、そんなモヤモヤ感がある。
それに近い将来魔理沙が種族としての魔法使いになるって言い出した時、博麗の巫女として私はどうしたらいいんだろう。人里の人間が妖怪化するのは幻想郷では禁じられている。幻想郷のバランスを考えるなら止めるべきなんだろうけど……、私にできるかな。
あれ? でも魔理沙は人里に住んでないし、こうして魔理沙が未来から来てる以上、未来の私は魔理沙の魔法使い化を容認したってことなのかな? ……うーん、考えれば考えるほど分かんなくなる。
「……あまり難しく考える必要はないわよ。この問題は時間が解決してくれる。今の私達には待つことしかできないんだから」
「そう、ね」
パチュリーの言う通りかもしれない。これ以上考えると頭がこんがらがっちゃうので、話題を変えることにする。
「ところで、あんたはタイムジャンプ魔法を試してみたの?」
「いいえ。貴女が来てからの方が良いかと思って、まだ何もしてないわ」
「ねえ、それなら一回試してみたらどう? もし本当に過去や未来に行けるのなら、魔理沙がどの時間から来たのか分かるかもしれないじゃない」
「……なるほど。受け身の姿勢ではなく、こちらから探すという方法を取るのね」
「そうよ。その方が手っ取り早く済みそうでしょ?」
ひたすら待ち続けるなんて私の性に合わないし、気になることはさっさと解決したいところ。
「確かに一度試してみるのも有りね。分かった、やってみるわね」
パチュリーはゆっくりと立ち上がり、それなりのスペースを確保してからルーズリーフを開く。
「時間は……まあ10分後でいいかしらね。『タイムジャンプ魔法とは、脳内で魔法式を練った後、何年何月何日何時何分、と時間を指定することでその時間へ跳べます。大規模な儀式や生贄、対価などは必要ありません。中程度のマナだけで使えます』このお手軽さがますます怪しいのよねぇ」
本の内容に疑念を抱きながらも、パチュリーは目を閉じて詠唱を始めていく。
「――――――――――――」
聞き取れない謎の言葉と共に、彼女の体が地面から数十㎝ほど浮かび上がる。頭上にはローマ数字とアナログ数字の時計盤の形をした図形が浮いていて、魔法陣って言うのかな? それが重なり合うように出てきた。長針と短針がグルグルと回転しているし、なんだか本格的っぽいなぁって思う。
彼女の足元に目を向けると、靴と地面の間に丸みを帯びた歯車模様の魔法陣が何層も重なっていて、以前霖之助さんのお店で見たアンティーク時計の中身みたいな感じになってる。
いつまで続くのかな~と思いながら見てると、パチュリーは目を開けて、浮いた状態のまま小悪魔に問いかけていた。
「タイムジャンプの準備完了。小悪魔、今の時刻を教えてちょうだい。ちゃんと西暦からね」
「はい! 今は西暦200X年7月25日、午後1時45分です!」
指名された小悪魔は腕時計を見ながら答え、無言で頷くパチュリー。私の視線に気づいた小悪魔はニコリと微笑み、私にも見えるように1時45分と表示されたアナログ時計を見せてきた。
「タイムジャンプ!」
頭上の時計が高速で回り始めて、足元の歯車模様の魔法陣がゆっくりと動いていく。
「時間は西暦200X年7月25日、午後1時55分!」
奏でるような声で宣言した。
パチュリーを中心に魔法陣から光が発生して、それに包まれるようにして次第に姿が消えて行って――。
『そこまでよ』
風邪で声がしゃがれた時みたいな、誰かも分からない声が彼女の魔法陣から響く。
「ッ――!?」
「!」
魔法陣が怪しく点滅し始めていき、やがて鏡が割れたような音と共に消滅。パチュリーはそのまま地面に倒れてしまった。
「パチュリー様! お気を確かに! パチュリー様ぁ!」
小悪魔が泣きそうな顔ですぐに駆け寄って彼女を介抱するけれど、パチュリーは苦しそうな表情で目を閉じていて、返事はなかった。
『資格なき者が時を駆けようなんて、思い上がりも甚だしいわね。彼女には申し訳ないけれど、此方側から強引に経路を絶たせていただきました』
「彼女に何をしたの!?」
並々ならない異常事態に、私は頭の中のスイッチを異変を解決する時のモードに切り替える。
こんな事が起こるならお祓い棒を持ってくるべきだったかな。今更後悔してもしょうがない。
(姿も正体も分からない相手。女性的な口調だけど……敢えて偽ってる可能性もあるし、何とも言えないわね)
『パチュリー・ノーレッジは一時的に気を失っているだけ。心配しなくても大丈夫よ、博麗霊夢』
「! 私の名前まで知っているなんて……! 貴方何者!?」
「私は……そうね。時の流れを司る神とでも思ってちょうだい』
「時の神様!?」
私の記憶の限りでは、幻想郷の中にそんな神様がいた覚えはない。……ってことは、外の世界から干渉してるの!?
「その神様がなんでこんなことをするのよ!」
『本来なら私自らこの世界に干渉することは避けたかった。私という存在が静かな水面に投じた石のようにこの世界に波紋を広げてしまうから。しかし時の流れは誰にも等しく、平等に流れる絶対的な概念で無ければならないの。有資格者と同じ手を使って時間移動しようとする者を見逃すわけにはいかないわ。それが私が定めたルールだから』
あくまで上から目線で話す時の神。それにひどく苛立った私は「そんな事の為にわざわざ出張って来たのかしら?」と、虚空に向かって睨みつける。
『考えてもみなさい霊夢。誰もが皆、好き勝手に時間移動したら宇宙の歴史は滅茶苦茶になってしまうのよ? 私がいなければこの宇宙はどうなっていたことか。感謝こそされど、恨まれる筋合いはないわ』
「……ならどうして魔理沙は時間移動できるの? あんたの言い分だと、魔理沙もその条件に当てはまるんじゃないのかしら?」
『…………』
時の神と名乗る存在は、私の質問に何も答えない。わざととぼけているのか、はたまた本当に知らなかったのか。顔が見えない相手は表情で言葉の意味を掴めないから厄介ね。
『……時間移動の知識と手段を得た人間は、例外なく私の手で歴史から隠滅してきたわ』
「!」
『歴史から隠滅』――その言葉に嫌な予感がした私は、すぐにパチュリーを介抱中の小悪魔の前に立つ。だけど時の神と名乗る存在は私に気にも留めずに言葉を続ける。
『けれど此度のケースでは、私の手で歴史を修正すると時の流れに致命的な歪みが生じてしまう。何故ならあなた達はこの世界に必要な人物だから。既に確定している未来は変えられない』
「何を……言ってるの?」
『今回は大目に見るけど、次は同じ失敗を繰り返さない事ね、霊夢』
その言葉の直後に、視界は限りなく真っ白になっていって……。
私の意識はそこで途絶えてしまった。
「――はっ!」
ふと目が覚めた私は、すぐに辺りを見渡す。照り付けるような日差しに、周りの森から地鳴りのように響く蝉の鳴き声。見上げれば軒下に吊り下げられた風鈴の音が優しい音を奏でていた。
「ここ……私の家よね?」
どうやら私は博麗神社の縁側に座った状態でいるみたい。ついさっきまで紅魔館の大図書館に居た筈なのに、一瞬で神社まで戻って来ている。どういう理屈かは分からないけど、あの時の神様はテレポートまがいのことも出来るのか。
「全く酷い目に遭ったわ。あの後パチュリー達はどうなったのかしら…………え?」
何気なく振り子時計を見上げた私は、言葉を失った。
「……噓でしょ……? こんなの有り得ないわ……!」
『小悪魔、今の時刻を教えてちょうだい。ちゃんと西暦からね』
『はい! 今は西暦200X年7月25日、午後1時45分です!』
パチュリーが気絶する寸前に小悪魔と交わしたやり取りを瞬時に思い出す。そう、小悪魔はあの時確かに午後1時45分と言っていた。私もこの目で見たし間違いない。
なのに今私の視線の先にある振り子時計は、短針が10、長針は12を指している。それってつまり――。
「まさか……時間が巻き戻ったの……?」
私の呟きは、蝉の音にかき消されていった。