今日は日曜日ともあって、大通りは喧騒に包まれていた。
往来を自由に走り回る子供達や、通行人に積極的に声を掛けて商売に勤しむ商売人、買い物を楽しむ仲睦まじそうなカップルなど、多くの人々が思い思いの休日を楽しんでいる。
私はサイダーを求めて屋台や出店などを回っていくものの、どこもかしこも口を揃えて『売り切れ』としか返ってこなかった。外はまだ午前中だというのに、突っ立っているだけで汗が流れ落ちるこの暑さ、考える事は皆同じということか。
(もっと隅々まで回ってみるか)
商店が連なる大通りだけではなく、裏道や小道の先に続く住宅地にも範囲を広げ、しらみつぶしに歩き回っていく。
やがて、大通りから道一本外れた通りにひっそりと建つ住居一体型の食料雑貨店を見つけ、そこに入っていく。
閑散とした店内を探していくと、氷水を蓄えたバケツに入った瓶入りサイダーを発見する。値段も思ったよりもお手頃で、手持ちのお金で充分に足りそうだ。
(これはラッキー! こんなところに残っていたか)
私は店の奥にぼんやりと座っていたおばちゃんに声を掛ける。
「おばちゃん、このサイダー2本貰える?」
「はいよ。400円ね」
商品を引き上げ、清算を済ませようとお金を差し出したのだが……。
「……おばちゃん? お~い!」
目の前のおばちゃんはお金を受け取るどころか、突然石像のように固まってしまった。大声で呼びかけてみても返事がなく、私の声がやまびこのように店内に反響していく。
「――これはもしかして!」
既視感のある光景にあの現象が思い浮び、商品を戻してから外へ飛び出し、大通りへと向かう。
人里の雑踏は真夜中のようにしんと静まり返っていて、往来を歩く人々はマネキンのように固まり、空の鳥は羽を広げたまま空中で止まっている。
世界全てが写真のように切り取られてしまったこの現象を、私は良く知っている。
「時間停止か……!」
脳内時計も【AD200X/09/02 10:20:09】と表示されたまま停止している。こんな芸当ができるのは咲夜をおいて他にいない。
(参ったな、時間停止の影響を受けない性質がこんな形で響くなんて)
前回は時の止まった世界でも普通に動けたことで、この時代の咲夜に未来から来たと信じて貰う材料の一つになったが、今回はそれが裏目に出てしまっている。
自分以外の全てが止まってしまった今、買い物もできないし、霊夢と過ごすこともできない。
(しょうがない。咲夜の用事が終わるまで待つか)
適当なベンチを見つけてそこに腰かけ、再び時が動き出すのを待つことにした。
「……遅い! 遅すぎる!」
あれから体感的に1時間近く経ったが、待てど暮らせど一向に時が動き出す気配がなく、我慢の限界が近づいていた。
(このままだと埒が明かないな。当の本人を探してちょっと文句を言ってやらないと)
こうして待っているのが退屈だというのもあるが、全てが止まった世界にずっと居続けると、このまま自分が世界に取り残されてしまうのではないかという不安が募り始めていたからだ。
「咲夜~いたら返事してくれー!!」
私は腰を上げ、人里を駆け回りながら彼女の名前を叫び続けた。もちろんそれと並行して、通行人や店舗内の人間一人一人の顔を確認するのも忘れない。
二人並んで、楽しそうに出店を見て回る慧音と妹紅。
人だかりが出来た広場の中心で、プリズムリバー三姉妹の演奏をバックに人形劇を演じるアリス。
八百屋の店先で里芋とカボチャを片手に首を傾げる早苗。
花屋の店先に並ぶ色とりどりの花々を鑑賞する幽香。
雑貨屋の店頭で困り顔の店主に何か無理難題を押し付けてる様子の天子と、それを諫める衣玖……。
友人や知人の姿は見受けられたものの、肝心の咲夜が全く見つからない。
「ん? あれは……危ない!」
大通りの道端で、薬籠を背負った鈴仙がつんのめりになっているのを見つけ、すぐに駆け寄っていったが。
(そうだったそうだった。時間が止まったままなんだっけ。それにしても凄いタイミングで止まってるな)
足元には膝小僧近い大きさの石が転がっていることから、これにつまづいて転びそうになったところで運よく時間が停止した、ってところか。鈴仙がこんなに切羽詰まった表情をしているのは初めて見たかもしれない。
薬籠からは、何に使うのか分からない錠剤や遮光瓶が鈴仙の頭上にばら撒かれる寸前で固まっている。このまま時間が動き出せば、転倒の衝撃に加えて、頭から薬品を被るダブルパンチを食らうことになるだろう。
(助けてやるか)
つんのめっている鈴仙を助け起こし、人形のように足や腕の関節を動かして直立不動の姿勢になるよう地に足つけた後、飛び散った薬を一個一個掴んで籠に戻し、転がっている石ころもその場から退かしておく。
「これで大丈夫かな? 次は転ぶんじゃないぞ~」
鈴仙の肩をポンと叩き、私は引き続き咲夜の捜索に戻っていった。
「駄目だ~見つからない!」
私は最初に座ったベンチに戻り落胆していた。
あれから人里全体を地上や空中からくまなく探し回るも、動いている人間は疎か、銀髪のメイド服を着た少女の姿もなかった。
(う~ん、ここにいないとなると紅魔館にいるのか?)
よくよく考えてみれば、咲夜の時間停止は幻想郷どころか宇宙全体にまで影響が及ぶ訳だし、人里で時が止まったからと言って必ずしもその場所にいるとは限らないじゃないか。
(やむを得ないが、ここは行くしかなさそうだな。まあちょっと話すくらいなら歴史も変わらないだろう)
休憩も程々に、私は箒に腰掛けて人里を飛び出していった。
風の音や虫の鳴き声一つしない究極の無音の世界。
道中、カメラを下げた文が人里に向かって滑空する姿や、氷精が名も知れない妖精に笑顔でスペルを放つ姿を見かけながら飛び続けていると、遥か前方に紅魔館が見えてきた。
(どこに降りようかな、中庭がいいか)
居眠りしている門番の頭上を越えて、中庭の中心に着地する。
(時系列的には〝昨日″もここに来たんだっけ。まさか昨日の今日で二度も同じ場所に来るなんてな。……さて、とりあえず咲夜を呼んでみるか)
その場で大きく深呼吸し、耳を塞ぎつつ腹の底から絞り出すように絶叫する。
「咲夜ぁぁぁーー!! いたら返事してくれぇぇぇーー!!」
両手の平から伝わる痺れるような衝撃と共に、私の声がこの地域一帯にこだまする。
時が止まった世界では、衣擦れの音や心拍音といった、普段は環境音によってかき消されてしまうような微弱な音すら感じとれる。
なのでこれだけ大声で呼びかければ、例え屋敷の中にいたとしても聞こえている筈。……というかここに居てくれないと私が困る。他に咲夜が行きそうな場所に心当たりがないし。
そして私の声の反響が止んだ頃、今度は手を離して周囲の音に耳を澄まし、咲夜が気付くことを祈りながらじっと待つ。
変化が訪れたのは体感的に5分後のことだった。無音の世界の中で石を叩くような音が微かに聞こえ、その音の大きさが徐々に大きくなっていった。
「!」
期待を込めて足音のする方に視線を向けると、正面玄関の扉が静かに開き、目的の人物が登場した。
「咲夜! 良かった、いてくれたか!」
私の安堵の気持ちとは裏腹に、咲夜は露骨にハイヒールの音を鳴らして近付き、困り顔で口を開く。
「やっぱり貴女だったのね、〝未来の魔理沙″。なんでまだここにいるのよ? 昨日『10年後に会いましょう』ってお別れしたじゃないの」
「ちょっと霊夢に用事があってさ、また戻って来たんだよ。ああ、安心してくれ。ちゃんとお前との約束は守って10年後に会いに行ったからさ」
「そうなの? でも霊夢はここに居ないわよ?」
「ああ知ってる。霊夢が博麗神社にいるのは確認済みだ。私はお前に頼みがあって来たんだ」
「頼み? 未来のお嬢様からの手紙についてなら昨日答えた筈だけど、まだ何かあるの?」
「そうじゃないんだ。あのさ、私は今日一日だけこの時代で活動したいと思っている。だけどな? お前が今のように時を止めっぱなしにされると何も出来なくて非常に困るんだ。何をしているのかは知らんが、今日1日だけでいいから能力を使わないでくれないか?」
「……そんな理由で能力の使用禁止を求められたのは初めてだわ。ふふっ、なんだか複雑な気分よ」
苦笑しつつも咲夜は続けて。
「貴女には悪いけど私にも事情があるの。今日は午後から美鈴とお出かけする予定が入っていてね、午前中の内に今日の仕事を全部終わらせておきたいのよ。もし時を止めなかったら、終わる頃には夕方になってしまうわ」
「私にそれまで待てというのか? こっちはお前が時を止めてからというもの、居場所を突き止めることでさえかなり時間が掛かったんだ。そんなに待てないぞ」
「そもそも誰にも迷惑がかからないように時を止めっぱなしにしているのに、私に苦情を言われても困るわ。むしろ貴女の存在がイレギュラーなのだけれど」
「……確かに」
「貴女は時間移動できるのだから別の時間に行けばいいじゃない。例えば5分後とか」
「そうか。その手があったか!」
なんでこんな単純な手を思いつかなかったんだろう。
「よし、早速やってみよう。タイムジャンプ発動!」
意気揚々と魔法の宣言をするも、いつも必ず現れていた魔法陣は出現せず、ただ私の声だけが虚しく響き渡る。
「あれ、おかしいぞ。なんで時間移動できないんだ?」
これまで何度も成功してきたタイムジャンプ魔法に今更不具合が出るなんて考えにくい。もし魔法が不発に終わる原因があるとすれば……。
「……もしかしたら、私が時間を止めっぱなしにしてるからなのかしら」
「可能性はあるな。似た能力を持つ者同士、打ち消し合うことになるのかもな」
それにこの咲夜は知る由もないことだが、彼女の正体は全宇宙の時空を管理する時の神様であり、私の能力よりも遥かに格上な力を持っていた。
もしかしたらその力の名残ということもあり得る。
「それならこうしましょう。貴女が私の仕事を手伝ってちょうだいな。そうすれば早く終わることになるでしょ? もし手伝ってくれるのならちゃんとお礼するわ」
「……仕方ないな」
「決まりね。それじゃついてきて」
先を行く咲夜の後をついていって、紅魔館の中へと入っていった。
「終わったぁ~」
「ご苦労さま」
私は咲夜の仕事の手伝い――もとい家政婦としての仕事を終え、客室のソファーでぐったりとしていた。それはもう、咲夜のお茶を飲む気力もないくらいに。
「貴女なかなか筋が良いわね。メイド服も似合っていたし、どう? ここで働いてみるつもりはない?」
「結構だ。お前と違って私はそこまでレミリアに思い入れは無いからな」
「あら、残念ね」
私がすっかりバテてしまっているのに対して、隣に座る咲夜は涼しい顔でお茶を飲んでいた。この細い体のどこにそんな体力があるのか不思議でしょうがない。
「それにしても、お前いつもこんなに働いてんのか? ちょっとレミリアに苦情をつけてもいい仕事量だぞ」
咲夜に言い渡された仕事は、掃除・洗濯・レミリアに出す食事の下準備の三つで、案外大した事ないなと思って安請け合いしてしまったが、それは大きな間違いだった。
何せ紅魔館は一般的な住宅に比べて規模が遥かに大きい。
一部屋一部屋が私の自宅よりも桁違いに広い館を隅々まで掃除し、洗濯場で何十人分もの洗濯物をにとり製の洗濯機で洗っては裏庭の物干し場に吊るし、加えて豪勢な生活スタイルに見合った手間暇かかった料理の数々、どれもこれもが地味だけれど大変な作業だった。
疲労よりもむしろ、これだけの仕事を文句一つ言わずに毎日こなしている咲夜への驚きの方が勝ってしまう。
「この程度いつもの事だから平気よ」
「だとしても大変すぎるだろ。いくらお前が有能だからといっても体は一つしかないんだ。折角妖精メイドが無駄に沢山いるんだからそいつらを使いこなした方がいいぜ?」
ずっと時が止まったままなので客観的な時間は1秒も経っていないが、体感時間的には全て終わるのに半日近く掛かっていた。もし私が居なかったら倍近い時間が掛かっていたとなると……やはり、働き過ぎだと言わざるを得ない。
「あの子たちはあまり役に立たないのよ。急ぎの場合は私が一人でやった方が早いし」
「……昨日私は言ったよな? お前の死因は能力の使い過ぎによるものだって。こんなことを毎日続けていたら私の知る歴史よりも早く死んじまうかもしれないんだぞ?」
「私が10年後の6月6日に死ぬ未来は確定してるんでしょう? 何をいまさら」
「い~や違うね。確定している未来なんてない」
「え?」
「個々人の意識次第で歴史はどうにだってなるんだ。人として最期まで全うするのと、生き急ぐのとは全く意味合いが違うからな。少しは自分の体を労わってくれよ……」
気づけば私は、歴史の整合性だとか、バタフライエフェクトだとかそんなことは関係なく、ただ感情のままに咲夜に訴えていた。
「……分かったわ。魔理沙がそこまで言うのなら、妖精メイド達の教育プランをきちんと考えることにしてみる」
「考え直してくれたか」
「横で魔理沙が辛そうに仕事しているのを見て、少し思うところもあったしね」
「おいおい」
まあ後半はひいひい言いながら仕事をしていたのは否定出来ないのだが。
「――さて、最初に言った通り約束は守るわ。魔理沙には私の仕事を手伝ってもらったし、今度は私が貴女に力を貸すわよ。どんなことでも言ってちょうだい」
「そうだな……」
(待てよ? そういえば早苗が霊夢のことについて何か言ってたな)
思考を巡らしていく内に人里での早苗との会話を思いだした私は、それについて訊ねることにした。
「じゃあさ、ここ1ヶ月の間、霊夢とマリサについて何か変わったことはなかったか?」
「マリサって、貴女じゃなくてこの時代のマリサ?」
「ああ」
「わざわざそんなことを聞くなんて、昔のことはもう覚えてないの?」
「私がマリサだったとしても、150年前の日常のワンシーンなんて余程強い印象が無かったら記憶の彼方に埋もれてると思うぜ。だからこそ、この時代に生きて、尚且つ霊夢やマリサとも仲が良いお前の意見を聞きたいんだ」
「かなり含みのある言い方をするのね。う~ん……そうね。ぱっと思いつく限りでは、霊夢がここに遊びに来る頻度が多くなった事と、マリサへの態度がちょっと変わった事くらいかしら」
「霊夢が?」
「先月から急に私に会いに来ることが多くなってね、時間が空いた時によくお茶してるのよ」
「へぇ、仲が良いんだな」
咲夜と霊夢って二人きりだとどんな会話をするんだろう。全く想像がつかない。
「ただ、時々じっと私の顔を無言で見つめてくることがあってね、理由を訊ねてもはぐらかされてしまうから、どう対応したらいいのか困るのよ」
「確かに、霊夢の性格だったら、言いたいことはズバズバと言ってくるだろうな」
「そうでしょう? 他にもね、最近の霊夢はしきりにマリサのことを気にしてるみたいよ」
「というと?」
「私との会話の中でもしょっちゅうマリサの話が出てくるし、先月の宴会の時もはしゃぐマリサのことをじっと目で追ってたのよ。誰にでも平等に接する霊夢にしては珍しく興味を示している、と言うべきかしら」
「なるほどな。実はここに来る前早苗に会ったんだが、早苗も霊夢について似たようなことを言ってたんだよな」
「早苗も? なら他にも霊夢と親しい人なら彼女の変化に気づいていそうね。貴女に心当たりはないの?」
「……分からん。さっき会いに行った時も普通に見えたけどなぁ」
「気になるならそれとなく聞き出してみたら? 貴女はこの時代のマリサと全く同じ見た目なんだから、変に勘繰られることはあっても正体が看破されることはないでしょ」
「そうだな。本人から直接聞きだすのが一番手っ取り早いか。サンキュな、咲夜」
「玄関まで送るわ」
会話も程々に、咲夜に見送られつつ中庭まで移動する。そしていざ飛び立とうとした時、まだ時間が停止したままだということに気づく。
「そろそろ時間停止を解除してくれてもいいんじゃないか?」
「あら、うっかりしてたわ」
咲夜が懐中時計を取り出し、竜頭を押し込む。その瞬間、全てが止まった死の世界に生の息吹が吹き込まれ、静寂を破るように多くの音が戻ってきた。
そこかしこの木から聞こえる鳥のさえずりと、蜜を求めて花壇に集まる羽音、滝のように流れ落ちる噴水の水しぶき、寄せては返す梢(こずえ)の葉擦れ、自らの存在を主張するようにやかましく鳴き続ける蝉……その他多くの音の奔流に思わず耳を塞ぎかけたけれど、これが自然な事なんだとすぐに思いとどまる。
「ふう、時間が止まった世界に慣れると怖いな。普通が普通じゃなくなっちゃうみたいで」
「だからこそ、いつもの日常がかけがえのない大切な時間になる。そうは思わない?」
「はは、同感だ」
そして私は箒に跨る。
「約束通り今日1日、余程の事が無い限りなるべく時間は止めないでくれよな?」
「はいはい、分かってるわよ」
「それじゃあ、またな」
「ええ」
咲夜と別れ、今度こそサイダーを買いに人里へと飛び去って行ったが、途中で重大な事に気付く。
「あ、今更だけど咲夜に時間を動かして貰った直後にタイムジャンプすれば仕事を手伝う必要なかったな……。まあたまにはいいか」