「はい、お茶どうぞ」
「サンキュー」
霊夢から淹れたての緑茶を受け取り口に含む。
(あ、美味しい……)
「…………」
緑茶の苦味が自然と心を落ち着かせてくれるが、対面する霊夢が正座したまま今か今かと無言のプレッシャーを掛けてきているので、悠長に味わっている暇はなさそう。
「さて何から話せばいいかな……。まあ霊夢の予感通り、私は今から150年後の9月21日から来た魔理沙なんだ」
「150年後って、え~と今年が200X年だから……215X年よね? かなり先の未来から来たのね」
「事のきっかけは200X年7月20日、今からちょうど1ヶ月ちょい前だな。この日の霊夢は『最近調子が上がらなくて気分が悪い』って話していたんだが覚えてるか?」
「ええ、そうね。あの時は連日のように悪夢をみて辛かったわ」
「その後私は一度帰って行ったけど、夕方頃に戻って来たら霊夢が倒れててさ。話の流れで霊夢が心配だから泊って行くことになって、深夜にうなされていたお前を起こし、お前を苦しめていた妖怪を退治した。そんな流れだったよな?」
「そうそう。そんな感じだったわ。今思えばあんな低級な妖怪に不覚を取った自分が情けないわ。……それがどうしたの?」
「実は夕方に戻って来た【私】こそが、150年後の未来から来た【私】だったんだ」
「それって、お昼頃まで過ごしていた魔理沙とは別にもう一人、未来から来たあんたがいたってこと?」
「察しが良いな。あの時、あの時間に戻る事こそが、霊夢を死から救うために必要なことだったんだよ」
「……もしかして、さっきの話に出てきた不運な事故の事?」
「私の記憶――霊夢から見てお昼頃まで過ごしていた魔理沙は、家に帰ってそのままどこにも出かけなかった。その翌日に、血相を変えたアリスが自宅に飛びこんできたんだ。……霊夢が亡くなったって知らせを持ってな」
「え……?」
絶句している霊夢に、私はさらに言葉を続ける。
「すぐに神社へ直行したらさ、眠るように亡くなっている霊夢の遺体があったんだ。――紫から死因が睡眠薬を多量に飲んだことによる自殺って聞いて絶望に打ちひしがれたよ。霊夢が苦しんでいたのに、ろくに助けもせずに見捨ててしまったってな。今思い返してみれば、あの妖怪に精神を削られて追い詰められていたんだろうな」
「激しく後悔した私は『あの時霊夢をもっと気に掛けていれば良かった』『霊夢を助けたい』。その一心でパチュリーやアリスの助けも借りながら、ひたすら時間移動の研究を続けた。完成するのに150年も掛かってしまったが、その時は達成感と喜びに満ち溢れていた。何せ過去をやり直せるかもしれない千載一遇のチャンスを掴んだからな」
「そして私は完成したばかりの魔法、タイムジャンプを使って今年の7月20日夕方に時間遡航したんだ。――後は霊夢の知っての通りの出来事が起きて、翌朝元の時代に帰っていった。これが事の全貌なのさ」
ひとしきりの説明を終えて、飲みかけのお茶を口に含んで一息つく。霊夢は余程大きな衝撃を受けたのか、話し終えてからもしばらく沈黙が続き、俯いたままだった。
霊夢はどう思うのかな。私のしたことに喜んでくれるのか、それとも……。穏やかではない気持ちのまま、時計の針と、鈴虫の鳴き声だけが聞こえる静かな部屋で返答を待つ。
「……あんたって馬鹿ね。私のためにそこまでしちゃってさ。さっさと忘れちゃえば良かったのに」
「まあ確かに馬鹿かもしれないな。だけどさ、私にとって霊夢は何よりも代えがたい大切な友達だからな。どんな手を使ってでも助けたかったんだ」
「もう本当、馬鹿。そんな事言われちゃったら、どう応えたらいいのか分からないじゃない」
「霊夢……」
いつも気丈に振舞っている霊夢が、静かに涙を流している。
「……どうやらお前は最期まで人としての一生を全うしたらしいな。それを聞いた時、不幸な歴史を変えられたことに安心したんだ」
「…………」
「でもさ、モヤモヤとした気持ちが私の中に芽生えてずっと消えなかった。思い切って悩みをアリスとパチュリーに相談して分かったんだけどさ、私は霊夢ともっと長い時間を一緒に過ごしたかったんだ。それで今日この時間に再び戻ってきて、過去のマリサに成り代わっていたんだが……まさか完璧に見破られるとは思ってもみなかったよ」
普通は未来の人間が成り代わるなんて発想に至らないだろうに。霊夢の洞察力はもはや未来予知の領域に達しているのではないだろうか。
「私もノーヒントじゃ分からなかったわ。魔理沙が未来から来たかもって気づいたのは、あんたの忘れ物のおかげなのよ」
「忘れ物?」
「気づかなかったの?」霊夢は立ち上がりタンスの引き出しを開けて「え~と確かここに……あった、これこれ」と一冊のルーズリーフを私に見せる。
「それは……! なんでここに!?」
それは私のタイムジャンプ魔法の研究成果全てが詰まったルーズリーフだった。早速受け取ってパラパラと捲ってみたがやはり間違いない。
「帰る時に転んだでしょ? たぶんその時に落としたんじゃないかしら」
「なんてこった……」
色々とごたごたしていたせいですっかりその存在を忘れていた。自分のあり得ない失態に思わず頭を抱えてしまう。
「なあ、この本は誰かに見せたのか?」
「実は魔理沙がいなくなった四日くらい後かな? 魔理沙の様子が変だったから魔女繋がりでパチュリーに調べてもらったのよ」
普通の魔法使いならともかく、パチュリー程の魔法使いなら本の内容を読み解くことなど赤子の手をひねるより簡単なことだろう。後で自分で見返すことも考えて、特に暗号やトラップも仕掛けてなかったわけだし。
「それでね、話の流れでタイムジャンプ魔法を使おうってことになったら、神様の咲夜が現れてね。『宇宙の歴史を守るために時間移動は認めない』とか言って、私が調べるように依頼する前まで世界の時間を巻き戻しちゃったのよ。もうびっくり」
「信じられん……! それ本当なのか?」
「こんなことで嘘を言ってどうするのよ。むしろこっちがあの咲夜について聞きたいわ。彼女は何者なの?」
「時の回廊っていう、まあ時間移動する時の通り道みたいな場所があるんだけどさ、そこで自分のことを『遥か昔、ビッグバンによりこの宇宙が誕生し、〝無″しか存在しなかった世界に〝時間″の概念が確立された瞬間に、〝私″も誕生した』って前に話してたな。なんでも時間の法則を創り上げたとか」
「ふーん、まあ咲夜なら有り得なくもないわね。彼女色々と人間離れしてるし」
こんな曖昧な説明で意外にあっさりと霊夢は納得していた。私はめっちゃ驚いたんだが適応力が高いな。
「魔理沙が時間移動できるのはどうして?」
「どうしてと言われてもな。特になにかした覚えもないんだが……」
「ま、なにはともあれ、次はその本を落とさないようにしなさいよ。パチュリーと私は『この世界に必要な存在だから、既に確定している未来は変えられない』って話してたから何もなかったけど、『時間移動の知識と手段を得た人間は、例外なく私の手で歴史から抹消する』とも言ってたし」
「んなっ……! 分かった、気を付けるよ」
確かに咲夜は『全宇宙の過去から未来全ての時間において、能動的に時間移動を行える存在は霧雨魔理沙たった一人だけ。この事を誇るといいわ』と語っていたが、まさか私以外の人間にそんな実力行使に出ていたとは。
この本が存在するだけで色んな騒動の種になりそうな予感がするので、名残惜しいが元の時代に戻ったら燃やすことにしよう。
「……話してくれてありがとね魔理沙。あんたのしてくれたことには感謝してもしきれないわ。またいつでも遊びに来ていいからね?」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、もうこの時代に来るつもりはないぜ。これ以上ここにいると、この歴史のマリサに嫉妬して自分が嫌な人間になりそうでな」
「どうして? 魔理沙はこの時代にいるマリサの未来の姿じゃないの?」
「ちょっと分かりにくいかもしれないけどさ、私とこの時代のマリサじゃ歩んできた歴史が違うんだよ。アイツも同じ〝霧雨魔理沙″ではあるが私じゃないんだ」
「どゆこと?」
「私が200X年の7月20日に〝霊夢が自殺した歴史″から〝霊夢が自殺しなかった歴史″に過去を改変したことで、私を除いた世界全てが前者から後者へと上書きされてさ。それに伴い〝霊夢が自殺しなかったことで、時間移動の研究をしなかったマリサ″が再構築されたんだ」
「あぁそっか、魔理沙は私が死んじゃったから過去に遡ろうとしたんだもんね」
「そうそう。つまり私は〝霊夢が自殺した歴史″を生きた魔理沙で、霊夢が良く知るマリサは〝霊夢が自殺しなかった歴史″のマリサ。この二人は〝容姿も思考も人格もそっくりな別人″なんだ。もちろん200X年7月20日以降の記憶は共有していない。私はいわば亡霊みたいなものなんだよ」
(ああ、咲夜の言葉はこういう意味だったんだな……)
霊夢への説明と同時に、『タイムトラベラーとは世界から浮いた孤独な存在。自らの居場所が見つからず時には寂しさを感じるかもしれない』とのセリフが頭によぎる。
西暦215X年において、マリサはとっくの昔に死んでいたので気づかなかったが、思い返せばパチュリーやアリスはこの歴史のマリサに私を重ねていた。言い換えれば、私は〝マリサ″の代替品でしかなく、〝マリサ″が築き上げた歴史の上に乗っかっているに過ぎないのだ。
「え……? それじゃあんたが報われないじゃない。だって私の為に一生懸命頑張ってくれたのはあんたなんでしょ? なのにそんなことって……」
「良いんだよ、私は。とにかくお前の元気な顔が見れただけでさ。この歴史のマリサと楽しくやってくれ」
「待って!」
自嘲するように薄笑いを浮かべつつそのまま元の時代に帰ろうとしたが、腕をぐいっと掴まれて引き留められる。そこに視線をやれば悲痛な表情をした霊夢がいた。
「魔理沙、私も150年後に連れて行って」
「何を言ってるんだ霊夢!?」
「さっき私は言ったわよね? 『もしまたマリが目の前に現れてくれたら、レイには彼女の気持ちを受け入れる覚悟はある』って。例え歴史が違っても魔理沙は魔理沙なのよ。私はあなたの支えになりたいの」
霊夢の瞳から一筋の涙が頬を伝い流れ落ちる。私は理性が吹っ飛びそうになったが。
「っ――! やっぱり駄目だ! お前がいなくなったら幻想郷はどうなる? みんな心配するぞ?」
「う……」
すんでのところで溢れる衝動を抑え込み、冷静さを取り戻す。
もちろんできることならそうしたいところだが、私だけの都合で幻想郷を滅茶苦茶にするわけにはいかない。これまでの時間移動で、未来の紫が幻想郷を守るために命を捨てたこと、未来の妹紅が紫に負けず劣らず幻想郷を深く愛していたことを知っている。
この時代から霊夢がいなくなることの影響は計り知れない。
「……そこまで私のことを心配してくれるなんて、優しいな霊夢は」
「当然でしょ。本当に帰っちゃうの?」
「ああ。私のあるべき時間はここじゃないんだ」
「そんな……」
同じ人間が同じ時代に二人存在する事実は確実にマリサの邪魔になる。どれだけ理屈を並び立てても、マリサがいない時間に行くより他はない。
「魔理沙……うぅ……」
……そう思っていたのだが、悲涙を流しながら必死に引き留める霊夢に後ろ髪を引かれ、最後まで迷っていた臆病者の私は、意を決して想いを伝える。
「霊夢、何も今が別れの時じゃないんだ」
「――え?」
「150年後にまた会おう。その時になったら、私と一緒の時間を過ごしてくれないか?」
「――! ええ、分かったわ! 必ず会いましょうね!」
「ありがとう霊夢。ありがとうっ……!」
一瞬の驚きと共に柔らかな笑顔を見せた霊夢は私の腕をぎゅっと握り、それに合わせるように私も彼女を優しく抱きしめていた――。
気づけば外はすっかり真っ暗になっていた。真夏の暑さは影を潜め、半月と無数の星々が辺りをぼんやりと照らし、神社全体を浮かび上がらせている。
縁側から境内に降りた私は、近くに立て掛けて置いた箒を掴んで鳥居の方に歩いていく。見送りに来てくれた霊夢の顔には、今もまだ泣きはらした跡が残っていた。
「それじゃあ私はこの辺で未来に帰るよ。元気でな、霊夢」
「またね、魔理沙!」
手を振る霊夢を背に箒に跨って宙に浮かび、神社全体を見下ろせる高さまで昇ったところで元の時間へと帰って行った。