――200X年9月4日――
紫に今後の意向を伝えたその翌日、三日月が妖しく輝く博麗神社の夜のこと。
普段は静まり返っている境内は今、多くの人妖達で賑わっている。私は縁側に座り、お猪口で日本酒をちょびちょびと味わいながら周囲の状況を観察する。
「ワハハハ! お~いもっと酒持ってこ~い」
「そ~れイッキ! イッキ!」
「もう無理でずぅぅ~……勘弁してくださいよ……」
「逃げようたってそうはいかないからね! 潰れるまで付き合いなさいよ~」
「そんなぁ~……」
最初に目に付いたのは、周りに囃し立てられ、萃香との飲み比べに無理矢理付き合わされている椛の姿。
萃香は余裕の表情で四斗樽を持ち上げて豪快に飲み干しているのに、椛は並々と注がれた酒杯を飲むというより胃の中に注ぎ込んでいて、かなり辛そう。彼女もそれなりにお酒が強いのでしょうけど、相手が悪いわね。
「文さ~ん助けてくださ~い……って、いないし。どこへ行ったんですか~……。私を見捨てないで~……」
助けを求められている文は上手い事鬼達の目から逃れたようで、遠くの木陰から椛に向かって合掌していた。どうやら流石の文も、鬼達の輪に飛び込む勇気はないみたいね。
次に目に付いたのは、早苗と魔理沙のグループだった。
「ちょ、どこ触ってんだよお前!」
「いいじゃないれすかまりささ~ん。酒の席は無礼講ですよ~ウヘヘヘヘ」
「えぇい、絡んでくるんじゃない! おいお前ら! この酔っ払いを何とかしろ!」
「アハハハハ、仲が良くていいじゃないの」
「笑ってる場合か!」
「ちょっとまりささ~ん。わたしのはなしきいてますか~!?」
「お前その話さっきも聞いたぞ? 何回ループするんだよ」
「はれ~そうでしたっけ~? エヘヘヘヘ」
早苗にベタベタくっつかれている魔理沙を遠くから笑って見守る守矢の二柱。彼女らは何故か鬼達と一緒のグループで飲み続けているみたいで、先程の飲み比べの時に囃し立てていた声も実はこの二柱だったりする。
周囲には数えるのも面倒なくらいに大量の酒瓶が転がっていて、明らかに飲みすぎな気がするけど……、神様ってお酒強いみたいだしこれが普通なのかも。
続いて、緑緑しい桜の木の下にビニールシートを張り、そこに陣取るレミリアと咲夜に視線を送る。
「フフ、たまにはこうして騒がしい場所で呑むのも悪くないわね。パチェや美鈴も来れば良かったのに」
「パチュリー様は人が多い場所を好みませんし、美鈴に残ってもらわないと館の警備がおろそかになってしまいますよ。妹様もいることですし」
「フランも感情の波が安定すれば宴会にも一緒に連れていけるのに、残念でならないわ」
「きっといつか全員で集まれる日が来ますよ。今日は宴の日なんですから、あまり悲観的にならないでください」
「それもそうね」
「お嬢様、もう少しぶどう酒をお召し上がりになりますか?」
「いただくわ」
レミリアはセンスの悪い紅色の玉座に座り、ワイングラス片手に高みの見物を決め込んでいて、咲夜はひたすら給仕している。ふと思ったけど、宴会に使われるお酒って殆どが和酒なのよね。私が今飲んでるのも日本酒だし。
境内の隅っこで、お猪口片手に二人静かに語り合っている様子の紫と幽々子も見えたけど、あいにく私のいる場所からは彼女達の会話は聞き取れなかった。
鳥居の近くに意識を向けると、鈴仙と妖夢とアリスが集まっていた。
「なんか今日は呑むペースが速いね? どうしたの鈴仙?」
「ちょっと聞いてよ~二人共。最近になってやっと新しい薬の調合ができるようになったのよ。それでね? 誇らしげに師匠に報告したらさ、褒めるどころかさらにノルマを課してきたのよ? もう覚えることが多すぎて頭がパンクしちゃいそう」
「大変なんですねえ」
「家事雑用や兎たちの統率もしなきゃいけないし、体がもう一つ欲しいくらいだわ。……こんなこと師匠に聞かれたら、本当に分身できそうな薬を作っちゃいそうだから口が裂けても言えないけど」
「あなたの話を聞いてて思ったけど、そんなに激務なら辞めようとか思ったりしないの?」
「師匠や姫様には月から逃げて来た時に匿ってくださった恩もありますし、医学の道は楽しいです。何よりも師匠の厳しさにはちゃんと愛があると分かってますから、きっと今の仕事も自分への投資になると思ってます」
「へぇ、いいわね。そういう関係って」
「その割には結構愚痴ってる気がするけどね~?」
「う、ま、まぁ今日は酒の席だから無礼講ってことで! 師匠には内緒にしておいてちょうだいね? ばれたら大目玉を喰らっちゃうから」
一升瓶をそのまま一気飲みしながら従者としての苦労を愚痴る鈴仙と、それを聞く妖夢とアリス。果たして彼女が1人前になれる日はいつ来るのやら。
「アッハッハ、やっぱし宴会は楽しいねえ。お前さんもそう思うだろ?」
「うんうん! なんかみんなすごいはしゃいでるね!」
豪快な笑い声が聞こえたのでそちらに注目すると、酒を呷る小町と目を輝かせるこいしという珍しい組み合わせが見えた。
「よーし、次は魔理沙に突撃だ! 行ってこーい!」
「ま~りさー!」
「うわっ、いつの間に後ろに!? というかお前まで抱き着いてくるなって!」
「ちょっとあなた! 私の魔理沙さんをとらないでください!」
「誰がお前のものになったんだよ!? ギャー! お前までのしかかってくるなぁ!」
「アッハハハハハ! 随分と愉快なことになってるねぇ」
小町によってけしかけられたこいしに魔理沙は押し倒され、それに泥酔している早苗まで参加したもんだから、もうてんやわんやなことになっちゃってる。
しかもけしかけた本人は馬鹿笑いしてるし。魔理沙って人気者よねぇ。
「綺麗な月だな……」
「ええ、そうね……」
境内の片隅で、三日月を見上げながら言葉少なく呑み交わす慧音と妹紅の姿も発見。その二人の間には長年培った信頼関係による、阿吽の呼吸がある――ような気がする。
(これは完全に場が暖まってるわね)
一通り観察した私はそんな印象を抱く。
今宵の宴会は急遽開催されたにも関わらず、これまでの異変で知り合った幻想郷の殆ど全ての人妖達が集まり、それぞれ交友がある者同士でグループを作って大盛り上がりを見せていた。
ちなみに、私が一人で呑んでると知って絡んできた人妖達――魔理沙、早苗、レミリア、咲夜、アリス――がいたけど、今日は一人で飲みたい気分だからと理由を付けて断っている。今回はその方が私にとって都合が良いからね。
その後も、目の前で繰り広げられる混沌とした光景を眺めつつ、酔いすぎない程度に飲みながら宴会の時間は流れていった。
宴もたけなわになり、完全に酔いつぶれて寝ちゃってる人――主に早苗――や、境内周辺の草むらで胃の中の物をリバースしちゃってる妖怪――彼女の名誉の為に名前は出さないけど――なんかも現れ、私と咲夜が作った数々の料理や酒のつまみも底を突きかけていた。
(そろそろ頃合いかな)
「はい、ちゅうもーく! そろそろ宴会はお終いの時間だけど、私から重大発表あるから聞いてー!」
立ち上がって手を叩きながら呼びかけると、ざわざわとしながらも私に注目が集まり始めた。
「重大発表?」
「あの霊夢が?」
「自分で重大発表とか言っちゃうなんて、どうせくだらない事じゃないの?」
「まさかとうとう破産したのか~? 言っておくがお賽銭はないぞ~! 一円も持ってないからな」
「……それ自慢できることじゃないでしょ」
「そこ、うるさいわよ! ――コホン。えー、私は来年までに博麗の巫女を辞めるつもりだから、その時までよろしくね」
そう宣言した途端、今までざわざわとしていた宴会場が一瞬静まり返った後、魔理沙は。
「ちょ、ちょっと待て!? 霊夢。い、今なんつった!?」
「だからー、来年までに博麗の巫女を辞めるって言ったのよ。何度も同じ事を言わせないでよ」
「霊夢がこんなこと言いだすなんて酔っぱらい過ぎなんじゃないの?」
「でも見た感じシラフっぽいし」
「信じられない」
「でもあたしは嬉しいけどなあ」
「とうとう霊夢がご乱心かぁ」
「新しい時代が来そうだわ」
「……ふふ、これは面白くなりそうね。咲夜」
「ええ、そのようですね」
私の発言は余程衝撃が大きかったらしく、しばらくざわめきが生じていた。
「霊夢、きちんと理由を説明してくれ! いきなりそんなこと言われても納得ができないぜ!」
「なんであんたに納得してもらう必要があるのよ……」
「私も気になります霊夢さん。博麗の巫女が病気や怪我などではなく自分の意思で辞めるなんて、かなり特大のスクープですよ!」
「そうよ。今までそんな素振りは欠片も見せてなかったじゃない」
「…………」
魔理沙以外にも、いつの間にか手帳とペンを持って取材モードに入っている文や、興味津々のアリスが私に詰め寄り、その場から動きはしないものの、熱視線を送ってくる咲夜と目が合ってしまった。
見渡せば、その他多くの人妖達が私の発言を待っているようなので、仕方なく私は重い口を開く。
「――なんてことはないわ、私はこれから人間を辞めて妖怪になるつもりなの。博麗の巫女は人間が務めるものでしょ? だから巫女をやめる。単純な話よ」
「ええぇ!?」
「へぇ……!」
「わぁ!」
「霊夢妖怪になっちゃうの?」
「衝撃発言ねこれ」
「博麗の巫女だった人間が妖怪になるのって、大丈夫なのかなあ?」
「やっぱり酔ってるんじゃ……」
「次の日冷静になったら撤回しそうだわ」
理由も含めてそうきっぱり言い切ると、この場にいる多くの人妖達が驚きの声を上げていた。
「霊夢さんが……妖怪? いまいち想像できませんね」
「驚いたわね。霊夢ってそういう事に全く興味がないと思ってた。どういう風の吹き回しなのよ?」
「ただの気紛れよ」
「それは嘘だな。言っちゃ悪いが、お前みたいな人間が思い付きで妖怪になる訳がない。長い付き合いだしそれくらい分かるぞ」
「確かにそうね。あの霊夢が自ら面倒事に関わるとは思えないし」
「霊夢さん……どうせならもうちょっとマシな言い訳をしましょうよ」
「ガッカリね」
「あんたら一体私をなんだと思ってんのよ! ――はあ、もういいわ。確かに気紛れって言い方には語弊があるけど、私の中で人生観が変わる大きな出来事があったのは事実よ」
「それについてもっと詳しく!」
「いずれ答えが判る時が来るわ。それまで内緒よ」
「ふ~む、そうですか」
どうせこの新聞記者はあることないこと書くに決まっている。こんな場所で本心を曝け出すわけには行かない。
「そもそも、あのスキマ妖怪が霊夢の妖怪化を許すとは思えないんだが」
魔理沙の最もらしい疑問に、幽々子と飲んでいた筈の紫がスキマを介して私の隣に瞬間移動してきて。
「霊夢が博麗の巫女を辞めることは既に私も承知してるところよ。今跡継ぎとなりそうな巫女候補を探してるところなの」
「なっ……!」
「それまでの間、霊夢には引き続き博麗の巫女を務めて貰うから、何も心配いらないわ。これまでよりも早く巫女の代替わりが始まるだけよ」
「ふむふむ、事情は良く分かりました。今日の話は良い記事になりそうですね。急いで書き上げてこないと!」
言葉を失っている魔理沙に対し、文はささっと手帳にペンを走らせ、翼を広げて妖怪の山の方角へと飛び去って行った。明日の文々。新聞の一面に私の記事が載るのは間違いない。
「はいはい、ほら! もう私の話は終わりよ」
まだまだ色々と聞きたそうなアリス達をしっしと追いやって引き下がらせると、再び宴の喧騒が戻り始めた。
夜が更け始めた頃宴会はお開きになり、境内に残っているのは私を除いて片づけを手伝うと申し出た咲夜、アリス、魔理沙の3人だった。
ちなみに早苗は完全に酔いつぶれてしまっていて、神奈子が苦笑しながら背負って行ったけど、あれは翌朝になったら絶対二日酔いに苦しむわね。
「今日は最後まで手伝ってくれてありがとう。凄く助かったわ」
「気にしなくていいわ。大したことじゃないから」
宴会の参加者たちは皆、自主的にゴミを持ち帰っているので、食器洗いと細かいゴミの片づけくらいしかなく、私を含めて4人もいるので、対して時間も掛からずに全て終わった。
「もう夜も遅いし気を付けて帰ってね」
「ええ、おやすみ霊夢」
「おやすみなさい」
アリスは魔法の森の方角へ飛んでいき、咲夜は目の前からいつの間にか居なくなっていた。
そうして二人をお見送りして、最後に未だ帰る気配のない魔理沙に問いかける。
「魔理沙は帰らないの? それとも昨日みたいにまた泊って行く?」
「……なあ、霊夢。本当に何があったんだ?」
「え、何が?」
「今夜の宴会のことだよ。あの時お前、『私の中で人生観の変わる大きな出来事があった』って話してたじゃないか」
「あぁ、あれね」
どうやら魔理沙は、ずっと宴会での私の発言を気にしていたみたいだった。
ほんのついさっきまで片付けの最中に何度も私に目配せしてたし、なんだろうって思ってたけど、そういうことだったのね。
「それは私にも理由が話せないことなのか?」
確かに昨日泊った時に、魔理沙は『もし何かあったら私に相談しろよな?』と話していたし、彼女の立場になって考えてみたら、昨日の今日でこんなことになったら驚くのも分かる。
だけど〝未来から来た別の歴史の魔理沙と約束した″ってどうやって説明したらいいんだろう。私自身もややこしいなって思ってるのに、上手く伝える自信がないよ。
「…………」
でも魔理沙は真剣に私の言葉を待っているし、あまり悠長に考えている暇はないみたいね。
「……魔理沙、私達が今いるこの世界が、かつてあった筈の歴史の上に成り立っている世界だって知ったらどうする?」
「いきなりなんの話だ?」
「未来からタイムトラベルしてきた人が過去に戻って歴史を改変したら、その人以外はみーんな過去の歴史を忘れて新しい歴史に沿って誕生するんだって。これって凄いことだと思わない?」
「……お前がそんなSF好きだとは知らなかったよ。だが今はそんなことどうでもいい! 頼むから私の質問に答えてくれよ……っ!」
「一昨日ね、150年後の〝現在が改変される前の歴史の魔理沙″が家に来て色々と教えてくれたの。実は私、元々1ヶ月以上も前に死ぬ運命だったらしいんだ」
「!」
「だけどその魔理沙が、頑張って、頑張って、私が今もこうして生きていられるような歴史に世界を変えてくれた。そして魔理沙は『150年後にまた会おう。その時になったら、私と一緒の時間を過ごしてくれないか?』って言い残して未来に帰っていったの。だから私は、その再会の約束を果たすために巫女を辞めるの」
誠意をもって正直に答えたんだけど、魔理沙の表情は強張るばかりで、雲行きが怪しくなって来た。
「……なんだよそれ……! 私は真面目な話をしてるんだぞ! ふざけてんのか!?」
「ふざけてなんかないわ。全て事実よ」
「そんなとんでも理論信じられるか! 霊夢、お前は騙されているんだ。目を覚ましてくれ」
「どうしてそう言い切れるの?」
「私はそんなこと言った覚えがないし、私がここにこうして生きていることが何よりの証拠だ。きっと一昨日の私はその偽物に眠らされたんだ。そんな訳も分からん奴の言葉に惑わされるんじゃないぜ」
「〝私″が〝私″だってどうやって証明するの? もし声も、見た目も、記憶すらも全く同じ〝私″がいたなら、どうやって自分を証明するの?」
「……そんな在りもしない仮定について議論するつもりはないぜ。哲学的な話で矛先を逸らそうったってそうはいかないからな。本当のことを話せよ霊夢」
なんだかさらに強情になってしまい、私の話なんてこれっぽっちも信じてくれそうにない。どうしたら私の言葉が伝わるのかな?
一瞬考えてから私はこんな提案をする。
「ねえ魔理沙。貴女も一緒に人間を辞めない? そしたら私の発言の意味が分かるわよ」
「な、なんだって?」
「私は博麗の巫女を辞めたら仙人になるつもりなの。ちょうど華扇が修行の旅から帰ってくるらしいし、再会したら彼女に修行を付けてもらおうと思ってるわ」
「しゅ、修行? お前がか?」
「何度も言うけど、私の気持ちは既に固まっているの。さっきのお誘いも本気よ?」
「…………………………」
魔理沙は完全に迷っているみたいで、中々返事がこない。
ほんの少し前まで騒がしかった神社の境内は静寂に包まれて、祭の後の静けさがよりこの空気を重くしているような気がする。
「……」
お互いに向かいあったまま、魔理沙の返事を待ち。
「私、は……」
「……うん」
長い沈黙の果てに、重い口をようやく開いて。
「【――私は人のまま生きて、人のまま高みを目指し、人のまま死ぬつもりだぜ】」
きっぱりと私の誘いを断った。
「……そっか」
「さよなら霊夢。お前には失望したよ」
侮蔑するような言葉を吐き捨て、魔理沙は箒に乗りもせず、神社の階段を降りて行った。
「魔理沙……」
その別れの言葉は、まるで私との決別の意味合いが強く含まれている気がして、今までの関係には戻れない嫌な予感がするものだった――。