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次に映し出された時刻は西暦200X年9月9日午後2時57分。場所は紅魔館の中庭で開催されている博麗霊夢と十六夜咲夜のお茶会。
『あれから魔理沙とはどうなったの?』
『一生懸命謝ってなんとか許してもらったわ。昨日も修行の合間に魔理沙と遊んだし、もうわだかまりは無いわ』
『ふふ、それは良かった。人間仲が良いに越したことはないからね。特に幼い頃からの友達は一生の宝物になるっていうし』
『……あんたって、時々達観したような口ぶりでものを言うわね。本当に見た目通りの年齢なの?』
『私はちょっと時間が操れるだけの人間よ。それ以上でもそれ以下でもないわ』
『普通の人は時を操るなんて無理なんだけど……ま、それは今更か』
ここで話が一区切りついたところで、博麗霊夢は紅茶を一口飲みつつ、ここに来る前から気になっていたことを訊ねる。
『ところで咲夜、あんたは私に何か用があって呼び出したんじゃないの?』
『あら、どうしてそう思ったの?』
『だってあんたとこうして話すのはせいぜい週一くらいのペースだったのに、最後に会ってから三日しか経ってないのよ? こんなに早く私を招待するなんて、あんたに何かあったとしか思えないわ』
『随分と酷い言い草ね。魔理沙との関係が心配になって誘われた、とは考えないのかしら。……ま、霊夢の言葉は否定できないけどね』
十六夜咲夜は皮肉めいた笑みを浮かべつつ、悩みを打ち明けた。
『実はね、最近お嬢様のことで悩んでいるのよ。その事で話を聞いて貰いたくて』
『へぇ? 私で良ければ話を聞くわよ』
『8日前にね、お嬢様から私の眷属になって欲しいとお願いされたの』
『……さらっと話してるけど、かなり大事なことじゃない! でもこうして日中に私とお喋りしてるってことは、まだ吸血鬼にはなってないのね』
『ご明察。その時は丁重にお断りして、お嬢様は『咲夜の意思を尊重するわ』と仰られて話は終わったの』
十六夜咲夜は紅茶を含み、ティーカップを静かに置いた。
『けれど、先の宴会での霊夢の発言に触発なされたのか、お嬢様が時々私に聞こえるように『私の何がいけなかったのかしら』『咲夜の人生観を大きく動かせるような出来事は何かないかしら』と呟いておられるのよ。それが、なんだかプレッシャーに感じてしまって』
『私にはどこが悩みなのかさっぱり分からないわ。あんたのことだし、喜んで誘いを受けるものだと思ってた』
『私はね、人間であることに誇りを持っているの。人として生まれた以上、人のまま死にたいし。もし私が寿命を伸ばして数百年生きられるようになったとして、私はその長い人生でお嬢様に忠誠を誓って仕え続ける事が出来るのか? 人間であった時のように、日々を一生懸命努力しながら生きる事が出来るのか? ……そんな恐さがあるのよ』
『ふ~ん……』
一見どうでもよさそうに相槌をうつ博麗霊夢だったが、内心では完璧超人だと思っていた十六夜咲夜の人間らしい悩みに、驚きと親近感を覚えていた。
それを踏まえた上で、博麗霊夢は少し考えてから発言する。
『咲夜の気持ち、分からなくもないけどなんか違和感があるのよね』
『え?』
『本当に心の底からレミリアに忠誠を誓っているならさ、例え何十――ううん、何百年経ったとしてもその想いは揺らがないと思うのよ。長い時間が経つことでレミリアに愛想をつかすのが怖い、って、誘いを断る動機としては弱い気もするけど』
『……霊夢には初めて話すけどね、実は私、幻想郷に来るまでのエピソード記憶が全くないの。年齢や出身地はおろか、『十六夜咲夜』って名前もお嬢様から授かった名前だし、私の本名は今も思い出せない……。自分が何者なのかと考え出すとキリがないわ』
十六夜咲夜は言葉を続ける。
『もちろん、右も左も分からない私を拾ってくださったお嬢様には感謝してもしきれないわ。でもね、空っぽだった私が人であり続けることが、私が〝十六夜咲夜″になる前から続く唯一のアイデンティティーだから、もしお嬢様に愛想をつかすようなことがあれば、私には何も残らなくなってしまうのよ』
『そうだったんだ』
博麗霊夢にとっては、およそ1ヶ月以上前、〝既に無かった事にされた7月25日″に時の女神の咲夜から聞いた話だったので驚きは少なかったが、目の前の十六夜咲夜が人間であることに拘り続ける理由については初耳だった。
『でも、そこまで固い決意があるのに私にこんな話をするってことは、やっぱり心に迷いがあるんでしょ?』
『そう、なるわね。自分でもちゃんと決心したつもりだったんだけどね』
いまいち煮え切らない態度の十六夜咲夜に、博麗霊夢は自分の体験談を交えつつ語り掛ける。
『咲夜。幾ら幻想郷といえども、基本的に一度失われた命は二度と同じようには戻らないわ。例え死者を復活させる術を使ったとしてもね。……幽々子や邪仙が操るキョンシーを見れば分かるでしょ?』
『……』
『私が仙人になろうと思ったきっかけは、大切な人と一緒にいられる時間がどれだけ貴重なものか強く実感する出来事があったからなの』
『え?』
『とあるきっかけで友人を亡くして、あの時ああしておけばよかった、って、自分の選択を激しく後悔した人を目の当たりにしてさ、今あんたとこうして駄弁ってるような何気ない日々が、かけがえのない大事な時間だって気づいたのよ』
博麗霊夢にとって、西暦200X年9月2日は忘れたくても忘れられない濃密な1日だった。あの日の出来事は心に深く刻まれている。
『話が脱線しちゃったけどさ、心の迷いを抱えたまま過ごしていたら必ず後悔する時がくると思う。原因を生み出した私がこんなこと言うのもなんだけど、レミリアともう一度腹を割って話し合ってみたら?』
『……確かに霊夢の言う通りね』
この時、十六夜咲夜の脳裏には、西暦200X年9月1日に出会った時間旅行者霧雨魔理沙から託された150年後のレミリア・スカーレットからの手紙が思い浮かんでいた。あの時に彼女の提案を断った今、時間旅行者霧雨魔理沙が語ったレミリア・スカーレットが悲しみに明け暮れる結末へ辿り着くのは想像に難くない。
しかし結論から話せば、この時間から10年後の201X年6月5日、死の間際に彼女宛に辞世の句を綴った手紙を残したことで悲しみから立ち直り、前を向いて生きていく結末へと歴史が改変されるのだが、この時点での十六夜咲夜はそこまで考えが及ばなかった。
『それともう一つ。あんたの素性についてだけど、私に心当たりがある』
『どういう事?』
『実は――』
博麗霊夢は〝既に無かった事にされた7月25日″に体験した出来事をかいつまんで話していった。
『……そんなことがあったの? 本当に? あの日は何でもない一日だったはずだけど』
『皆忘れちゃってるだけで全て事実よ』
『……それにしたって、私がそんな、時の神様とかいう大それた存在の分身だなんて、あまりに突拍子がなさすぎて……』
十六夜咲夜の呆然とした言葉は徐々に尻すぼみになっていき、沈黙に上書きされた。
博麗霊夢にとって彼女の反応は至極当然のことであり、信じてもらえなくても仕方ないと、半ば諦めの境地に至っていた。
『まあ信じても信じなくてもどっちでもいいわ、どうせ証明するのは無理だし。話半分に聞いてくれて構わないわよ』
『……いえ、霊夢の話を信じることにする。貴女と同じく、私も未来から来た魔理沙に2回会ったことあるもの』
『そうなの!? それっていつ?』
『初めて会ったのが8日前の9月1日で、最後に会ったのがその次の日だから……ちょうど1週間前ね』
『結構最近じゃない! しかも9月2日って魔理沙が私の神社に来た日だし。でも、あの時はほとんど一緒にいたと思うんだけど……それ何時ごろの話?』
『確かお昼前だったわね。時を止めっぱなしで仕事をしていた私に『この時代で活動したいけど、時間が止まったままだと何もできないから時間を動かしてくれ』って文句を付けに紅魔館まで来たのよ』
『それおかしくない? だって時間を止めてたんでしょ?』
『私にもよく分からないんだけど、未来の魔理沙は時間停止の影響を受けないみたい』
『へぇ~なんだか面白そうね』
『あまり大したものでもないんだけどね。……それで話を戻すけど、紆余曲折の末に未来の魔理沙には私の仕事を手伝ってもらって、そのお返しにあの日は時間を止めずに過ごすって約束をして人里の方へ飛んで行ったわ』
『ふ~ん。時間的に罰ゲームで私がジュースを買いに行かせたくらいね。買い物程度でかなり疲れてたから変だなってあの時思ったけど、そんなからくりがあったんだ』
博麗霊夢は納得したように頷いていた。
この時の時間旅行者霧雨魔理沙はそもそもジュースを捜すだけでもかなり苦労していたのだが、知る由もない。
『それにしても、まさか咲夜が未来の魔理沙を知ってるなんて思いもしなかったわ』
『それは私のセリフよ。もしかして、さっき霊夢が例えに挙げた〝自分の選択を激しく後悔した人″って未来の魔理沙のこと?』
『うん。説明が面倒だからわざと名前は出さなかったんだけど、秘密を知ってる咲夜になら全部話すよ』
そう前置きして、博麗霊夢は9月2日に体験した出来事を咲夜に話していく。この時代の霧雨魔理沙は信じようともしなかった話だったが、十六夜咲夜は真摯に耳を傾け、共感していた。
『――と、いうわけ。残念ながらこの時代の魔理沙は聞く耳を持たなかったけどね』
『そうだったの……。一歩間違えばそんな歴史になっていたのね』
『うん。だからね、私は未来の魔理沙の気持ちに応えたいって思ったの。私のために頑張ってくれたのに報われなきゃ悲しいじゃない』
『…………』
博麗霊夢の本心、時間旅行者霧雨魔理沙の苦悩、自身の出生の謎、それらを一度に知った十六夜咲夜は、〝自分の在り方″について真剣に考え始めていた。
『色々と話してくれてありがとう霊夢。私自身の事も踏まえて、熟考してみるわ』
『今度どうなったか聞かせてね』
こうして二人だけのお茶会はお開きとなり、再会したのは1週間後のことだった――。
西暦200X年9月16日午後2時15分、紅魔館のエントランスホールにて博麗霊夢と十六夜咲夜が顔を合わせる場面から、映像が開始される。
『いらっしゃい、霊夢。待ってたわ』
『家でのんびりしてたら急に招待状が目の前に現れてビックリしたわ。普通に届けてくれればいいのに』
『クス、そうでもしないと霊夢は私に振り向いてくれないから』
『ここ最近しょっちゅう顔を合わせてるくせに何を言ってんだか。それで、あれから結局どうなったの? ……って、聞くまでもないか』
彼女のメイド服の背中から生える立派なコウモリの羽を見て、博麗霊夢は全てを察した。
『あの日霊夢と別れてからお嬢様と夜通し話しあって、気持ちもしっかり受け止めた。その上で私は決めたの。お嬢様に求められている限り、私は忠誠を捧げ続けるって』
『幸せは失ってから初めて分かるものだ――なんて言うけど、多分貴女に話を聞いてもらわなかったら、今の私がどれだけ恵まれているのか考えもつかなかったと思う。ありがとう霊夢』
幸福に満ち溢れた彼女の素直な言葉に、博麗霊夢は照れ臭くなり『べ、別に私はただ話を聞いただけ。お礼なんて要らないわ』
『ふふ、それでも、きっと霊夢がいなかったら踏ん切りが付かなかったと思うの。感謝の気持ちを籠めて今日はシュークリームを作ったわ。一緒にお茶でもいかが?』
『ま、まあそういうことなら、遠慮なく頂こうかな』
『クス、決まりね。ついてきて。今お部屋に案内するわ』
甘いスイーツに心惹かれた博麗霊夢は十六夜咲夜の後についていく。その道中、彼女の姿をまじまじと見つめながら博麗霊夢は口を開いた。
『それにしても見違えたわね~。なんかレミリアと違っていかにも〝本物″っぽい感じ』
『……美鈴にも同じことを言われたわ。そんなにそれっぽいかしら?』
『あんたはスタイルが良いからね~。むしろレミリアの方が眷属に見えるわ』
『それ、お嬢様が聞いたら悲しむから絶対に口にしちゃダメよ?』
『分かってるわよ。ま、なにはともあれ、これからもよろしくね咲夜』
『ふふ、貴女とは長い付き合いになりそうね霊夢』
移動中に、笑顔で軽口を叩く2人が廊下を歩いていく所で、映像が段々と薄れていった。
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「えぇ~!? そんなまさか……! こんなことになるなんて! 『私は一生死ぬ人間ですよ』と答えたあの時の決意はどこへ行ったのよ!?」
予想だにしていなかった人間十六夜咲夜の歴史の変化に、同じ自分である筈の女神咲夜は動揺を隠せない。
何故ならこの歴史は今まで観測したことのない新たな歴史であり、今までの十六夜咲夜とは異なる、新たな十六夜咲夜が生まれたことを意味していたからだった。
「もはや完全に私の手から離れて別の存在になっちゃったわね。人であることに固執しつづけた私を心変わりさせてしまうなんて、霊夢の影響力には目を見張るものがあるわね……!」
女神咲夜はただただ、博麗霊夢に感心しきっていた。
「う~ん。霊夢と別れてからたった一週間で何があったのかしら? それに吸血鬼になった私がどんな歴史を歩むのか気になるわね」
一度は気持ちが別のベクトルへと向きかけた彼女ではあったが。
「――いえ、今は霊夢の方を優先しましょう。一度決めたことを途中で投げ出すのは良くないわ」
自分にそう言い聞かせ、再び変動後の歴史の観測に戻っていった。
今回の話で十六夜咲夜が人であることを辞めたことによって、第2章の内容全てが古い歴史になりました。