――西暦????年?月?日――
(ん……)
タイムジャンプを発動してから体感的には5分以上経過した頃、いつまで経っても魔法が終わる感触がなく、不思議な浮遊感を覚え目を開く。
(んなっ……!)
視界の先には、鬱蒼と茂った魔法の森ではなく、地平線の果てまで何もない大地と空が広がっていた。
空は漆黒に染まり、アナログ時計・デジタル時計・日時計・振り子時計・機械時計等のありとあらゆる種類の時計が無数に浮かび上がっているが、その全てが違う時刻を指しており、どれが正しい時刻なのか分からない。
大地もまた墨汁で黒く塗りつぶされたような色をしていて、地面から少し浮かんでいる私を中心に、放射状に白く塗られた細い道が伸びていて、その果ては見えない。
さらに今いるこの謎の空間は、体内を流れる血流音や心拍音、耳鳴りが聞こえてしまうくらいに静寂で、人っ子一人、いや、生物が生息している気配すらない。
(なんだここ!? 一体何がどうなって――!)
叫びかけた時、私は声が出せず、首から下が全く動かせない事に気づいた。
さらにこの空間の中は、世界の法則自体が幻想郷とはまるで違うらしく、魔法を発動しようとしてもなぜか不発に終わってしまう。まさに八方塞がり、万事休す、四面楚歌だ。
(動けないなんて……どうすれば)
再び四方を見渡してみるも、現状を打破出来そうな種や仕掛けもなく、どんどんと不安な気持ちが募って行く。
(これが……これが時間移動をした者の末路なのかな……。こんなわけのわかんない所を、私は永遠に漂い続けるのか……?)
悲観した気持ちに浸っていたその時、大地が大きく揺れ始める。
(な、なんだ!?)
見ると大地がひび割れ、360度無数にあった白い道が次々と崩落していく。
同時に宙に浮かぶ無数の時計の針も滅茶苦茶に動き出し、その音がこの世界に反響していく。
(何が起こっているんだ……?)
今の状況を理解出来ず唖然としている最中にも、地鳴りをあげながらどんどんと大地は崩れていき、ついには目の前に二本の道のみが残されていた。
すると今度は、その場に漂うだけだった私の体が何かの意思によって後ろからゆっくりと動かされて、その分岐路で再び静止する。
(これは……どちらかを選べってことなのか?)
だがその予想に反し二本の内の片方の道も崩壊してしまい、残る道は一つだけとなった所で、示し合わせたかのように全ての時計の短針と長針がピタリと停止する。
直後、この空間が波のようにうねり始め、私の体も粉になっていく。何もかもが意味不明なこの異常事態に、私はパニックになるどころか、はっきりと覚醒していた。
(……ああ、これは――! そうか、そうだったのか!)
この空間の謎、時間軸の正体、因果律のメカニズム、世界の記憶。
肉体が消滅していく間際で真理を悟った私の意識は、糸が切れた人形のようにぷっつりと落ちていった。
――――――side out ――――――――
幻想郷の中心にある人間達の集落――通称人里。
そこから徒歩ですぐの場所に位置する【迷いの竹林】。中は同じような竹林が密集し方向感覚を狂わせることから、その名の通り一度入ったら二度と出る事が出来ないとされている。
それ故に、興味本位で入る人間はいない。
そんな竹林の奥深くに、【永遠亭】の看板を掲げた伝統的な日本建築の建物がひっそりと建っている。
江戸時代の大名が住むような大きな屋敷、枯山水の石庭が一望できる和室に二人の女性が座っていた。
黒髪の女性はハサミやジョウロで盆栽の手入れをしており、銀髪の女性は座椅子に座り、アンティーク調の机に向かって山積みになっている書類の整理を行っていた。
彼女達の間に会話はないが、お互いを尊重し合うような、信頼しきっている柔らかい空気が流れていた。
しばらくの間時計の秒針が刻む音、ハサミの音、紙を書きなぐる音だけが響いていたが、ふと盆栽の手入れをしていた黒髪の女性がその手を止めた。
「……ふふ、世界が変わった。過去が変わった。未来が変わった」
「……姫様? どうなされました?」
静寂を破るように言葉を発した黒髪の女性を、銀髪の女性は筆を止めて訝し気な表情で振り返っていた。
姫様と呼ばれた黒髪の女性は、手早く片づけをした後すっと立ち上がる。
「永琳、少し出かけて来るわ。留守番よろしくね」
「それでしたら、すぐに護衛を付けさせますので少しお待ちを」
立ち上がろうとする永琳に、黒髪の女性は軽く手を振る。
「別に必要ないわ。今日は一人で歩きたい気分だから」
「……はあ、そうでございますか。では、なるべく夕飯の時間までには帰って来て下さいね」
永琳は腑に落ちない様子で再び机に向かい、その言葉を背に黒髪の女性は部屋を出る。
そして黒髪の女性は縁側を歩きながら「この世界線は果たしてどうなるのかしら……くすくす、楽しみね」と独り言を呟いていた。
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