とてもホッとしました。
「……ところで、いい加減隠れてないで姿を現したらどうですか?」
「あら、気づいてたのね」
四季映姫が虚空に向けて呼びかけると、博麗霊夢の近くの何もない中空が突然裂け、ギョロリとした沢山の目玉と共に八雲紫が現れた。
「……噂をすれば影ね」
「紫!?」
「こんにちは霊夢。元気そうで何よりだわ」
スキマの上に腰かけながら八雲紫は優雅に挨拶した。
「いつからそこにいたのよ?」
「貴女が魔理沙と抱き合っていた所からよ~。ふふ、仲が良くて何よりね」
「かなり最初からじゃない! 影からこそこそ覗くなんて趣味悪すぎでしょ」
「ウフフ」
すっかり呆れてしまっている博麗霊夢だったが、八雲紫は愉快そうに微笑んでいた。
「貴女自ら姿を現すとは、やはり魔理沙のことですか?」
「ええ。私の立場としては幻想郷――いえ、世界でたった一人のタイムトラベラーの動向は把握しておきたいもの。まさか貴女がここに来るとは思わなかったけれど」
「奇遇ですね、ちょうど私も同じことを思っていました」
二人の間にとげとげしい空気が漂い始め、小野塚小町は全く口を挟めずにいる状態だったが、博麗霊夢はそんな空気を読まずに話しかける。
「ずうっと前に魔理沙のことを話した時は全然信じてなかった癖に、都合がいいわね」
「100年前に亡くなったマリサが、タイムトラベラーになるんだとばっかり思ってたから……。私はね、霊夢がマリサの死を認められなくて、ありもしない妄想に走ったんじゃないかって心配してたのよ?」
「ふ~ん……。道理でマリサの命日以降、私によく絡んでくるようになったのね。納得。だけど今までこっそり話を聞いてたんなら、さっき居なくなった魔理沙の経緯は分かったでしょ?」
「ええ。充分に理解出来たわ。タイムトラベラーという存在を、自分の物差しではかってはいけないのね」
「そうよー。魔理沙は凄いんだからね、えへへ」
八雲紫の珍しい姿を見て、彼女の考えを深読みしていた自分を馬鹿らしく思った四季映姫は、知人に話しかけるかのような穏やかな声色で問いかける。
「ところで、貴女と同じ立場の〝彼女″は来ていないのですか?」
博麗霊夢との会話で気を良くした八雲紫は、これまたすんなりとその問いかけに答えた。
「彼女なら外の世界に行ってるわよ。恐らく、後十数年は帰ってこないでしょうね」
「おや珍しい。普段滅多に表舞台に出てこない彼女が自ら動くとは、何かあったのですか?」
「外の世界はまさに激動の時代よ。20世紀の人間達が思い描いていたSFの世界――恒星間航行が現実になろうとしているわ。彼女はこれらが幻想郷にどんな影響を及ぼすか確認しに行ってるのよ」
「なるほど、科学の世界は日進月歩と言いますが、遂にその領域まで行きましたか」
「遥か昔に我々をお伽話の存在へ追いやった人間達は、この星の支配に飽きたらず宇宙へと進出しようとしてるわ。全く、どこまで愚かなのかしら」
「え、なに、何の話?」
「霊夢は気にしなくてもいいのよ~。こっちの話だから」
「でもなんか深刻そうだけど」
「私達の存在を知る人間はごく一部。妖怪と非常識の概念を暴かれない限り優位性は変わりないわ」
八雲紫は実の母親のような優しい笑みを浮かべながら、博麗霊夢の頭を撫でていたが。
「……なんか煙に巻かれた気がするけどまあ良いわ。それより、もう魔理沙は居ないんだしさっさと帰りなさいよ」
彼女はごく自然にその手を払いのけながら、言い放った。
「あら酷い。霊夢ったらちょっと冷たくないかしら?」
「気のせいよ」
邪険に扱われつつも笑顔を崩さない八雲紫を見て、この二人はいつもこんな感じなのだろうと思う四季映姫であった。
「……さて、私達もそろそろ帰りますよ小町」
「え、えぇーもう帰っちゃうんですか? ……はい、わかりました」
突然名前を呼ばれ、驚きながらも文句を言いかけた小野塚小町だったが、四季映姫の射るような眼差しに言葉を引っ込め、彼女の後ろをとぼとぼと付いて行った。
博麗霊夢の後ろでは「小町も大変ねぇ」と、肩を竦めるアリス・マーガトロイドの姿。
「咲夜、今何時?」
「午後4時59分ですね。今の季節は日が長いですが、それでも後1時間もしないうちに日没を迎えるでしょう」
「そう。なら暗くならないうちに私達も紅魔館に戻りましょうか。魔理沙がいつ帰って来るのか分からないし」
「畏まりました。それでは皆さん、失礼しますね」
「うん」
「またねー」
別れの挨拶をしていた時、何かに気づいたアリス・マーガトロイドが声を上げる。
「あ! ねえ見て! 魔理沙の自宅の前が光り始めたわよ!」
その言葉に、帰りかけたパチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜は足を止め、八雲紫は遠巻きに、博麗霊夢はすぐ近くまで歩いていく。
「何もない地面に、勝手に模様が浮かびあがって来てる……」
「これはクオーツ時計の内部に似てますね」
「この光は魔方陣から出てるみたいね」
「ねえ、これ魔理沙のタイムジャンプ魔法にかなり似てない?」
「言われてみればそうね!」
「ひょっとしたら魔理沙が帰って来るのかもしれないわ」
十六夜咲夜の言葉もあって、この場にいる全員の注目がその光源へ集まる。やがて周囲を覆い尽くすような眩しい光が徐々に収束していき、中から人影が現れ……。
「え……!?」
はっきりとその姿を見た彼女らは、皆一様に言葉を失った。
――side 魔理沙――
時間移動の際に起こる何とも言えない感覚が波を引いていくのを感じ、私は目を開ける。
四方八方には、満開の桜や眩しい日差しが照りつける砂漠、美しい紅葉と、緑を覆いつくすまでに降り積もった雪景色が綺麗に分かたれ、それらを分断するかのように柱が連なる回廊が地平線の果てまで続き、中心には咲夜が立っていた。
(いつ見ても壮観だなぁ。今度カメラ持ってこようかな)
現実味のない景色を楽しみつつ、私は咲夜の元へと歩いていき、会話が届く距離まで近づいた所で咲夜は口を開いた。
「いらっしゃい魔理沙。大変なことになっちゃったわね」
「もしかして見てたのか?」
「全宇宙の歴史の観測、それが私の役割よ」
「…………」
物憂げな顔で話す咲夜に、私はいつかと同じ質問を投げかける。
「なあ咲夜。私の主観ではお前と会ったのはおよそ二日前、西暦300X年から帰って来る最中だった。あの時には、既に未来がこうなるって知っていたのか?」
「100%ではないけど、貴女が心の問題を抱えている限り、起こり得る可能性が高い歴史だったわ」
「そうか……」
「教えてあげられなくてごめんなさいね。私の話で貴女の未来を変える訳にはいかなかったのよ」
「いや、いいさ。これも自分が起こした問題だし、自分でなんとかするよ」
あれだけ盛大な啖呵を切ってしまった以上、立ち止まる訳には行かない。霊夢や待っててくれた皆の為にも私がやるしかないんだ。
「そういえば人間の咲夜が吸血鬼になってたんだけど、あれはお前的にどうなんだ?」
「私もかなりびっくりしたんだけどねー、人間の〝私″が決めた事だからどうこう言うつもりはないわ。お嬢様に永遠を誓った〝私″は、とても幸せそうだから」
「ふむ……」
「もし私が人であることに拘っていなければ、こんな未来もあったんでしょうね。その点だけ考えれば今の歴史も悪くないわ。ふふ」
穏やかに微笑む咲夜は、その表情とは裏腹に少し寂しそうに見えた。
「――そうだ。お前に渡しておきたいものがあるんだ」
私は懐からルーズリーフを取り出し、咲夜に手渡す。
「これはタイムジャンプ魔法の魔導書ね」
「霊夢から聞いたぜ。こいつを巡ってひと悶着あったそうじゃないか」
「あの時は大変だったんだからね。あまり私の仕事を増やさないでちょうだい」
「はは、悪いな。二度と同じことがないよう、お前が預かっていてくれ」
「分かったわ」
咲夜が指を弾くと、跡形もなく消え去ってしまった。
「じゃあ用も済んだし行ってくるよ。また後でな」
そう言って背中を向けた私に。
「魔理沙! 閻魔の話のことだけど、あまり気に病まないでね」
「……気にしてないぜ。いつか誰かに言われてもおかしくない事柄だったからな」
誰かの気持ちを踏みにじってでも私は霊夢を助けたかった。その為ならこの身が地獄に堕ちても構わないくらいに。
今は慌ただしいけど、いつか落ち着く時が来るだろう。その時になったら、タイムトラベルなんて忘れて昔のように暮らして行こう。
「私はいつだって貴女の味方よ」
「ありがとな」
こっちの咲夜には本当に感謝している。霊夢を助けるチャンスや、確かめようもない世界の秘密を教えてくれたんだから。
だからこそ、期待を裏切らないように頑張らないといけないだろう。
「タイムジャンプ発動! 時間は西暦200X年9月4日、午後7時!」
その直後、私は過去へと続く地平線の彼方へ吸い込まれていった――。
◇ ◇ ◇
「頑張ってね魔理沙。貴女の選択次第で未来は変わるわ」
◇ ◇ ◇