マリサを過去から連れてきたものの、全然信じてもらえない。魔理沙の提案でマリサは未来の世界の幻想郷を見に行った。
騒ぎを起こした張本人が去ったリビングにて、窓の外を見つめたままアリスが呟いた。
「行かせて良かったの?」
「アイツはああでもしなきゃ納得しないだろうさ」
「何も騒ぎを起こさなければいいのだけれど」
「いやいやアリス、流石にこの状況でそんなことしないだろ」
「そうは言ってもねぇ」
「連れて来たのが200X年のマリサなら、充分有り得るわ」
何か思い当たる節があるのか、咲夜とアリスは苦笑していた。一体マリサはどんなことをしたのか、徹底的に聞いてみたい気もする。
「それにしても、マリサの怒り方は尋常ではなかったわね。取っ組み合いの喧嘩が始まるんじゃないかって、見ててハラハラしたわよ」
「あんなに怒った所を見たの初めてかも~」
「傍から見ていた限りでは、彼女はタイムトラベルを否定する材料が欲しかっただけのように思えるわ」
「マリサってそんなにSF嫌いだっけか?」
「彼女は特に偏りなく私の図書館から本を盗っていたし、そういう問題じゃないと思うわ。きっと貴女の存在が癇に障ったのでしょうね」
「不意打ちのようなやり方で連れて来た訳だし、怒るのも無理ないわ」
「……それを言われると痛いな」
やはりもうちょっとスマートな方法があったのだろうか。
「でもまあ、アイツがギリギリの所で理性を働かせたのも霊夢のおかげだろう。さっきはありがとな」
「ううん、私こそ早めに助けられなくてごめんなさい」
「全然気にしてないからそんな謝らないでくれ。お前らしくもない」
それでも、霊夢は申し訳なさそうな態度を取るばかり。彼女の眼は非常に潤んでいて、今にも泣き出しそうだった。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい。あのね、昔のマリサを見てたら色々と思い出してきちゃって……」
「古い記憶は大抵美化されるものだけど、彼女の瞳の奥の輝きはまさに記憶のままだったわ。本当に、今日は懐かしい気持ちにさせてくれる一日ね」
「でも私達は彼女の未来を知っている。それってとても残酷だわ」
「そうならないためにマリサを連れて来たんだ。霊夢、あまり悲観的になるな」
霊夢は無言で頷いてはいたものの、表情は晴れない。
「とにかく、あいつが帰って来た時、もうちょっと態度が軟化してるといいんだがな」
「魔理沙、何所へ行くの?」
「アイツと私は瓜二つだからな。ちょうど着替えたいと思っていた所だったし、どっちがどっちか分かりやすいよう、見た目に変化をつけてくるよ」
「ちょっと待って。私も行くわ」
「アリス?」
「その……言いにくいんだけどね、2階は物置みたいな感じになってるから、私に案内させて欲しいの」
「そうなのか? じゃあ頼むぜ」
そうしてアリスと私は二階の自室へと上がって行った。
人一人がやっと通れるような、暗くて細い急勾配の折り返し階段を上がり、廊下と呼ぶには余りにも短い距離の道を進み、左右の扉を無視して突き当りの扉を開く。
木の板を敷き詰めたような床と天井、傷一つない白い壁紙で覆われた7畳程の部屋は、西と南の方角にガラス窓が一つずつ、天井からは剥き出しの豆電球がぶら下がり、入って真正面の窓際にはシックな柄の白いベッドと全身鏡が置かれ、埃一つなく新品のような状態だった。そして反対側の壁の半分はクローゼットとなっており、もう半分にはシックなタンスと5段の高さの木製棚が置かれ、アリスが造ったと思われる西洋人形が飾られていた。
良く言えばシンプル、悪く言えばただ寝るだけという、特筆すべき所は何もないごく普通の部屋という印象を受けるが、これでも150年前のマリサの部屋よりかは大分マシに思える。ベッドへと繋がる道以外は床にガラクタが散乱していたわけだし。
(というかあれ? なんか部屋の中身が変わってないか? 今朝は起きてそのままだった筈なのにベッドメーキングされてるし、勉強机も無くなって、その替わりに人形棚が増えてる。う~ん、これもタイムトラベルの影響なのか?)
首を傾げている間にも、アリスは部屋の奥へと進んでいき、クローゼットの扉を静かに開ける。
私が両手を広げた長さよりも広いそれは、天井に近い上半分に仕切りができていて、プラスチック製の半透明な収納ケースが複数置かれ、中には綺麗に折りたたまれた衣類が詰まっていた。そして下半分には、不織布カバー越しでもファンシーなデザインが目立つワンピースが、鉄製のハンガーパイプにズラッと釣り下がっていて、ちょっとしたブティックを開けそうなくらいの数だった。
「これは凄いな! 全部アリスのコレクションなのか?」
「自分で作ったのは良かったんだけど、私の家ではしまいきれなくてね。ここに置かせてもらってたの。劣化しないように一着一着魔法を掛けてあるから、今でもちゃんと着れるのよ」
「へぇ~」
「好きなの選んで良いわよ」
「好きなのって言われてもなあ、こんだけあると迷うぞ。てか私とお前とじゃサイズ合わないだろ」
「あ、そうだったわね……。けどちゃんとフリーサイズの服もあるのよ。例えばこれとか」
「ん~いまいち興味を惹かれないな。昔の私が着てた服は残ってないのか?」
「ちょっと待ってね。確か……」
上海人形と蓬莱人形を操りながら、釣り下がっている衣類を一枚ずつ確認していくアリス。
「……見つけた!」
左端の方にぶら下がっていたハンガーを取り出し、不織布カバーを外して見せる。それはまさしく、私が今着ている服と全く同じデザインで、皺や折り目もなく、丹念にアイロンがけされた直後にも似た綺麗な状態だった。
「おお、これこれ。サンキューなアリス。早速これに着替えさせてもらうぜ」
アリスから受け取った私は、部屋の端に置かれた全身鏡を近くまで運び、帽子と今の自分の服を脱いでいく。
「ん~どうせなら下着と靴下も履き替えたいな」
「それならタンスの一番上の引き出しの中に入ってるわよ。マリサの遺品は基本的に全部残してあるから」
下着姿の私へ、背を向けたまま答えるアリスに従って取っ手を引っ張ると、きっちりと折り畳まれた下着類と靴下が、引き出しの仕切りの中にズラリと並べられていた。ううむ、ショーツはともかく、ブラのサイズが今の私と変わってないのは喜ぶべきか、悲しむべきか。
そんな事を思いながら清潔な下着と白い靴下に履き替え、その上からエプロンドレスを着ていく。もちろんこちらもサイズはピッタリで、丈の長さも丁度良い。
「なあアリス。ヘアゴム持ってないか?」
「持ってるけど、どうするの?」
「まあ見てなって」
話の最中に、左耳近くから伸びていたおさげを解き終えた私は、こちら向きのアリスから受け取ったヘアゴムを口に加え、ざっくりと手櫛で髪を整えてから頭の後ろに腕を回し、ある程度の毛髪を後ろで一つに纏め上げてからヘアゴムで縛る。俗に言うポニーテールって奴だ。
「じゃーん。こんな感じでどうよ?」
「あら良いわね。でも、どうせならこの辺をもうちょっと整えた方が良いんじゃない?」
後ろに立ったアリスは櫛を取り出し、私の髪をすいていく。くすぐったさを感じつつも彼女に身を任せ、ちょっと型が崩れ、飛び跳ねていた髪は、アリスの手によってみるみるうちに梳かされていった。
「ふふ、これで完璧ね。きっと霊夢も喜ぶと思うわ」
「霊夢か。そういえば、過去のマリサと話してからかなり情緒不安定になってる気がするんだけど、大丈夫かな」
「……私は霊夢の気持ち良く分かるわ。あんなことがあったらねぇ……」
鏡に映るアリスの沈んだ顔。
「何か知ってるのか?」
「実はね――」
物憂げな表情のアリスが話したのは、マリサが死ぬ3年前の8月2日と3日、そしてマリサが死亡した日の朝の出来事だった。
「……そんなことがあったのか」
肉体的な衰えを感じ、弾幕ごっこに参加できず悔しがるマリサ。事情を知るアリスにすら何も言わず極秘に研究していた秘密の魔法。マリサの死を知り、遺書で彼女の真意を理解し泣き崩れる霊夢。
「霊夢はマリサが魔女だと信じて疑わなかったから、彼女の死にとても大きなショックを受けてたし、マリサの気持ちに気づけなかったことをとても後悔してたのよ。霊夢があっちのマリサに拘るのも、それが理由」
「なるほどな……」
霊夢がマリサの大人時代の話をしたがらなかった訳が分かった。確かにこれは後味が悪い。
「けど話を聞く限りでは、マリサはアリスにかなりお世話になっていたみたいだな。アイツに代わって礼を言っておくよ」
「ううん、全然苦じゃなかったわ。あの頃の私も、きっと霊夢と同じだったのよ」
「同じ?」
「外面ばかり都合の良いように見繕って、中身が伴わないただのまがい物」
良く分からない事を呟いたアリスは、肩口から腕を伸ばすようにして、後ろから優しく抱きついてきた。
「ど、どうしたアリス?」
「…………」
困惑しながら問いかけてもアリスは何も答えない。鼻孔をくすぐる紅茶の香りと、背中越しに伝わる温もり。窓の外はすっかり夕焼けで、部屋に差し込む西日が、私とアリスを茜色に照らし出していた。
(???)
頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになりつつ、彼女の行動を待っていると、沈黙を破るように声を発した。
「……あの頃の私はね、きっと優越感を抱いていたんだわ」
「え?」
「霊夢の知らない秘密を自分だけ知って良い気持ちになって、マリサは私が居なきゃ駄目なんだって思い込んじゃって、甲斐甲斐しく世話を焼く自分に酔っていたの。彼女の苦悩なんてまるで考えていなかった」
「…………」
「今だってそう。
鏡に映る、涙を流しながら懺悔するアリスは、彼女に抱いていた冷静なイメージとは大きくかけ離れていた姿で、戸惑いが増えるばかりだった。これはどう返事したらいいのだろうか。
「……なんかごめんなさい。暗い気持ちにさせちゃって。こんなこと言われても答えに困るだけだよね」
私からそっと離れ、ピンクのレース模様のハンカチで涙を拭うアリス。ふと、彼女の周囲にふよふよと浮かぶ上海人形と蓬莱人形と目線が合ってしまった。主人なしでは動けない無感情の人形の筈なのだけど、その表情は心なしか怒っているように見える。
「私、先に降りてるから。今の話は忘れて頂戴」
未練があれども、それを敢えて突き放すように言い捨て、逃げ去ろうとするアリス。
「待ってくれアリス!」
私は振り返りざまに呼び止める。
「私だって完璧じゃないんだ。マリサに嫉妬もするし、疎んでいたこともある。何もアリスだけが後ろめたい気持ちを抱いている訳じゃないぜ」
「……」
「だからさ、その、あまり自分を卑下するなって。アリスだって私の大事な友達なんだ。そんなの全然気にしてないし、むしろアリスの事を更に知ることができて良かったとすら思ってるよ」
「魔理沙……」
「きっと死んだマリサだって私と同じ気持ちだったはずだ。アリスが何を思おうと、心の支えになってくれたのは紛れもない事実なんだから」
頭の中で良く練らず、勢いのままに答える私。振り返ったアリスは一瞬驚いた表情をしてから、「貴女は優しいのね、ありがとう。気持ちが楽になったわ」と穏やかな笑みを浮かべ、正面から抱擁を交わし、私もまたそれを受け入れた。
やがてアリスは名残惜しそうに離れ、「それじゃあ私は行くわ。魔理沙も早く降りて来てね」と微笑み、落ちついた足取りで部屋を出て行った。
(……まさかアリスがあんなことを思っていたとはな)
腕の中に残るアリスの感触。一世一代と表現するにはあまりにも大袈裟だが、かなり勇気のある告白だった。果たして私の言葉はちゃんと伝わったのだろうか。
(霊夢のことばかりじゃなくて、他の友達のことも考えないと駄目だな)
そんな事を考えながら、脱いだ衣類を片付けていき、帽子をベッドの上に置いたまま部屋を後にした。
本文中でアリスが語った103年前と100年前の日付の話は、第4章第127話、タイトル『霊夢の歴史⑤~⑥』で詳しく描写されています。