外はすっかり暗くなってしまった魔法の森。満天の星空に昼間よりは涼しくなった空気。私とマリサは玄関を出てすぐの壁際で立ち止まっていた。
「で? 私に話ってなんだよ?」
「……なんだかなあ、この時代に来てから戸惑ってばっかだよ。アリスはともかくとして、いつも素っ気ない霊夢や、迷惑そうにしている咲夜とパチュリーがあんなストレートに好意を示してくるなんてな」
隣でぽつぽつと話すマリサは、いつもの大胆不敵さがすっかり影を潜め、大人しくなってしまっていた。
「それだけ好かれてるってことだろ。良い事じゃないか」
「そうなんだけどさあ……」
「なんだよ、歯切れが悪いな。何を悩む必要があるんだ?」
「悩んでるってわけじゃないんだけどさ、いきなりのことで混乱しているのかもしれない。これから先の事なんて真剣に考えたことなかった。毎日魔法の研究を続けて、霊夢達と馬鹿やりながら生きてくんだろうなあ、ってくらいにしか思ってなかったからなあ……」
難しい顔で再び黙り込んでしまうマリサ。心地よさをも感じさせる秋風が吹き抜け、草木を揺らす。
確かに彼女からしてみれば突然なことだったかもしれない。私は彼女が結論を出すまでじっと待ち続ける。
「……お前はどうなんだ?」
「?」
「魔法使いになってよかったと思っているのか?」
虚空を見つめたまま不安そうな表情で尋ねるマリサに、私は胸を張ってこう答えた。
「当然だ。霊夢が亡くなっても諦めなかったからこそ、今私はここに立っている。これまで色んなことがあったけど、微塵も後悔してないぜ」
「……そうか」
マリサは、言葉の重みを噛みしめるように深くうなずき、星空を見上げながら自嘲気味に呟いた。
「きっと未来の私は変化を恐れていたんだろうな。いつまでも同じような日が続くことを信じて、大きな決断を下す事から逃げ出してしまった。大親友の霊夢にすら心の内を明かさなかった、見栄っ張りで、強がりで、負けず嫌いな弱い私」
そしてマリサは私に向き直り「本当のこと言うとな、霊夢の心を夢中にさせて、タイムトラベルなんて面白そうな事をやれるお前のことが気に食わなかった。他の奴なら奪い返してやろうという気持ちにもなっただろうが、よりにもよって相手が未来の霧雨魔理沙だって話だしな。今の私にはどうしようもなくて、悔しくて仕方なかった。……だけどそれは間違いで、相当な苦労を重ねてきたんだな。お前のことを何も知らずあんな罵声を浴びせて悪かったよ」と頭を下げた。
「……へぇ、まさかお前からそんな言葉が聞けるとはな。随分としおらしくなったじゃないか」
「うるさい茶化すな。私だってたまには真面目になるさ」
ここで言葉を切ったマリサは、一呼吸置いてから。
「……だからさ、私、決めたよ。本当の魔法使いになる。それで昨日のことを霊夢に謝ってくるよ」
私の目を見ながらはっきりと答えたマリサは、いつもの色が戻っていた。
マリサを先頭に玄関をくぐってリビングへと戻ると、霊夢が出迎えてきた。
「おかえりなさい。どんな話をしてたの?」
顔色を窺うように尋ねてくる霊夢。彼女の後ろに目をやれば、ソファーで一挙手一投足を見守っているアリス達。答えたのはマリサだった。
「もう1人の〝私″とちょっと、な。おかげで心の整理がついたよ。――私は生きることに決めた」
「そ、それじゃあ……!」
「そもそもそこまで人間で在ることに拘りがあったわけじゃないからな。霊夢がずっと人間でいるのなら、私もそれに付き合おうかな、程度の気持ちだった。仙人になった霊夢や皆が私を求めるのなら、それに応えるのも悪くない」
(……ああ、やっぱり〝私″なんだな)
マリサの言葉は、かつての私が魔女になった理由とそっくりで、懐かしささえ感じさせるものだった。
「ありがとう。私、とっても嬉しいわ……!」
「お、おいおい大袈裟だな霊夢。そんな泣くなって」
「だって、だって……!」
困った様子のマリサに抱き着きながら感涙する霊夢、そんな二人をアリス達は温かい目で見守っていた。
「これで一件落着かな?」
「そうみたいね。100年経っても色褪せない友情って素晴らしいわ」
「一時はどうなることかと思ったけどね~」
「彼女が私達と同じになるのなら、昔のようにまた騒がしくなりそうだわ」
「ふふ、そうですねパチュリー様」
(これで私の役目も終わりかな)
「貴女もありがとう」
「え?」
「これも全て貴女のおかげよ。貴女がいなければこんな未来はなかった。本当にありがとう……!」
マリサからそっと離れた霊夢は、涙声で私にお礼を述べた。
「おいおいまだ礼を言うのは早いぜ霊夢。マリサを元の時代に送り届けてきちんと歴史が変わってからだ」
「そ、そっか。そうだよね、うん」
「そういえば魔理沙――」
「「ん?」」
「ああ、えっと、貴女よ貴女。そっちの髪の毛を纏めている方ね」
私とマリサが一斉に振り向くと、パチュリーは私を指差した。行儀が悪いとされている行為ではあるが、この場合は仕方のないことだと思う。
「目論見通り昔のマリサが生きることを決めた訳だけど、どのタイミングで歴史が変化するのかしら?」
「歴史が変化する瞬間を見た事がないから確たることは言えないけど、私の主観でマリサを元の時代に送り届けた時だろうな」
「そうなの? では既にこの歴史は過去になりつつあるのかしら?」
「何事も無ければだけどな」
「ふ~ん……」
この空気に水を差すようで悪いが、また何か不測の事態が起こるかもしれないし、断言できなかった。
「じゃあマリサ、帰るぞ」
「――あぁ、分かった」
私はマリサを連れて、再び外へ出ていった。
すっかり暗くなった我が家の前に全員が集合し、私とマリサを除いた六人の少女達は、数歩程度離れた位置に立つ私達に注目していた。
「なあ、どうしてもこんな体勢じゃないと駄目なのか?」
「こうして互いの身体を密着させることで、タイムトラベルの成功率を上げるんだ」
「そう言われても、自分で自分を抱きしめるのって結構気持ち悪いんだが」
「私の知らない時代に飛ばされたくなければ我慢してくれ。すぐに済むからさ」
「はいはい。ったく、そんな恐ろしいことを気絶している間にやられてたのか……」
マリサは小声でブツブツと文句を言いながらも、私の指示した通りに、正面から腰に手を回すようにガッチリと抱き合っている。それを見てクスクスと笑う紫とこいしだったが、最早何も言うまい。
「それじゃ、150年前に戻るよ」
「二人とも気を付けてね」
「貴女とはまだ話したいことがあるわ。いつでも紅魔館にいらっしゃい。その時は歓迎するわ」
「新たな歴史でまた会いましょう。貴女と再び顔を合わせる日が来ることを楽しみにしてますわ」
「バイバ~イ!」
「魔理沙! 私、待ってるからね! 絶対帰って来てね!」
私達の身を案じるアリス。読みかけの本を片手に、クールに別れを告げるパチュリー。格好つけたように言い放つ咲夜。スキマに座ったまま、無言でじっと私達を観察する紫。とびっきりの笑みを浮かべながら手を振っているこいし。そして心の底から叫ぶ霊夢。
彼女達から思い思いの別れの言葉を受け取り、感謝の気持ちを込めて頷いてからマリサの耳元で囁く。
「行くぞ。時間移動中は危ないから、目をつぶってしっかり捕まってろよ?」
「あぁ」
(今の時刻は西暦215X年9月21日、午後6時30分だな)
腕に力が入ったのを感じ、私は声高々に宣言する。
「タイムジャンプ! 時間は西暦200X年9月5日午前9時15分!」
景色に歪みが生じはじめ、発生した時空の渦へと飛び込んでいった。
――side out――
『時空変動により、現在この歴史を観測できません。霧雨魔理沙の行動が確定するまでしばらくお待ちください』
誰も居ない時の回廊で、女神咲夜が使用していた大型透過ディスプレイから電子的なメッセージだけが響き渡る……。
――side 魔理沙――
――西暦200X年9月5日午前9時15分――
それほど多くない時間を通じ、私とマリサは200X年へと戻って来た。
「ほら着いたぞ」
「ん」
目を開けたマリサは一度辺りを見渡してから私から離れた。空からは眩しい太陽光が降り注ぎ、夏の空気が残る蒸し暑さ。
「お~さっきまで夜だったのに昼になってるな。目がチカチカするぜ」
「お前を連行した10分後に戻って来たんだ」
「まだそれだけしか経ってないのか?」
「あまり時間が離れすぎると色々と面倒だろ?」
「ふーん……」
分かっているのか、分かってないのか、マリサは曖昧な返事だった。
「なんか嘘みたいな話だったけど、あれが未来だったんだよな。……本当に私の行動で、あの悲しい結末が変わるのか?」
「50年後になったら答えが分かるさ」
「はっ、随分と気の長い話だな」
マリサは肩を竦めながら自宅へと戻っていき、使い古された箒片手に帰って来た。
「んじゃま、早速霊夢の元に行ってくるよ」
箒に跨り出発しようとするマリサに、「待ってくれ、ついでに伝言を頼む」と呼び止める。
「伝言?」
「約束の時間は150年後の9月21日じゃなく、翌日の正午だとな」
「? ああ分かった。ちゃんと伝えておくぜ」
「それと、今日体験した未来の出来事はむやみやたらに言いふらすんじゃないぞ」
「はいはい。じゃあな~〝私″」
マリサは頷いた後、箒に乗って神社の方角へ飛び立っていった。
こうして日付を1日ずらすことで、300X年で紫や妹紅が経験したように、215X年9月21日の出来事について記憶の継承が起きるかもしれない。
「よし、私も帰るか。未来はどうなったかな」
私はタイムジャンプ魔法を唱え、215X年9月22日の正午に跳んでいった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ようやく一区切りついた気分です。