魔理沙のタイムトラベル   作:MMLL

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第156話 霊夢とマリサの歴史④~⑤

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 次に観測する時刻は、前回よりおよそ7か月飛んだ西暦2008年4月6日午前10時。春になり満開の桜が咲き誇る博麗神社にて、博麗の巫女の継承式が完了した場面から開始される。

 お茶の間には、博麗霊夢といつになく真剣な表情の八雲紫が並んで座り、ちゃぶ台の向かい側には一人の少女が正座していた。

 

『……これで引継ぎは完了ね。今日からあんたが私に代わって博麗の巫女よ』

『はい! 博麗の名を汚さないように、精いっぱい頑張ります!』

 

 博麗霊夢によって新たに博麗の巫女に任命された少女は、彼女より三つ年下の淡い栗色の髪が綺麗な、愛嬌溢れる可愛らしい女の子だった。

 もちろんその少女は例によって、脇が開いた博麗神社伝統の巫女服を身に着けている。逆に、今日この日から先代の博麗の巫女となった少女は長年愛用してきた巫女服を脱ぎ、良く言えば素朴、悪く言えば地味な柄の着物へと着替えていた。

 

『あ~そんな気負わなくても良いのよ? 別にそんな重みとかないし。もっと気楽に気楽に』

『そうはいきません! 博麗の巫女は幻想郷を代々守護して来た神聖な役職であり、私のような退魔師の家系に生まれた者にとって憧れのような存在でした。親元を離れて家名を捨て、〝博麗″の名を賜ったからには、この素敵な楽園を永遠に存続させるために命を捧げる覚悟です!』

『ふふ、頼もしいこと。これからよろしくお願いするわね』

『なんだかなぁ……』

 

 やる気に満ちあふれている新代の博麗の巫女に愛おしく微笑む八雲紫と、自分との覚悟の違いにばつの悪い表情をする先代博麗の巫女――もとい、博麗霊夢。

 しかし、自分の跡継ぎとしてここ数か月に渡って八雲紫と共に少女を教育してきたこともあり、この日を無事に迎えられたことの達成感や感慨深さも得ていた。

  

『それにしても、何とか霊夢が人の枠に収まっているうちに巫女の継承を執り行えて良かったわ。貴女、去年の秋頃と比べると見違える程霊力が高まっているわよ』

『そうかな? 自分だとあまり良く分かんないけど』

『貴女を博麗の巫女に見出した時、『この子は物凄いポテンシャルを秘めている』と思っていたけれど、やはり私の目に狂いはなかったわね』

『…………』

 

 かすかに口角を上げて静かな声で語っていく八雲紫。霊夢は膝に手を置き僅かに俯いていた。

 

『そんな暗い顔しなくてもいいのよ霊夢。貴女はこれまでちゃんと責を果たしてくれたわ。後は自分の好きなように生きて頂戴』

『……ええ。分かったわ』

『霊夢様、たとえこの神社から去ったとしてもいつでも遊びに来てくださいね!』

『ありがとう』

 

 二人に見送られつつ、最低限の身の回りの物を包んだ風呂敷包み片手に、博麗霊夢は神社を後にしようとしたが、『そうそう。紫に言い忘れていたことがあったわ』と立ち止まる。

 

『どうしたの?』  

『紫。もう私は博麗の巫女じゃなくなったし、博麗の名は返上するね』

『!』

『妖怪になる予定の私が〝博麗″を名乗っていたら、人々から博麗の巫女への不信感が募るでしょうし、その名を持つ者は1人で良いわ』

『待ちなさい霊夢。『名は体を現す』ということわざがあるように、苗字を捨てることはこれまでの自分を半分亡くすことになるのよ? その意味を分かってるの?』

『平気よ、これも私の選んだ道だから。それじゃあね紫。ちゃんとあの子の面倒見てあげてね』

『いいえこれだけは譲れないわ。勝手に話を終わらせないで頂戴』

『霊夢様!』

 

 立ち去ろうとした博麗霊夢の行く手を阻むように、硬い表情の八雲紫がスキマを介して瞬間移動し、後ろからは博麗の巫女が追いすがって来た。背後の少女はともかくとして、目の前の八雲紫は能力が能力なだけに、本気で追いかけられたら逃げられない――そう判断した博麗霊夢は、仕方なく彼女の話を聞くことにした。

 

『なんでそんなに怒ってるのよ?』

『私が名無しの妖怪から『八雲紫』という個人名を持った妖怪に成った時、〝私″としての自我が芽生えて今の能力が発現したわ。それくらい〝名前″は妖怪にとって大きな意味を持つの』

『へぇ、あんたにもそんな時期があったのねぇ』

『もう二千年近く前の話だけどね』

『お言葉ですが霊夢様、私も反対です! せっかく家族になれたのにこのままお別れするなんて悲しいですよ……』

『あんたまでそんなこと言うの? けど今更私は戻れないわよ?』

 

 二人の人妖に引き留められすっかり困り果てている博麗霊夢に、八雲紫はこんな提案をした。

 

『霊夢。もし妖怪になったとしても、常に人間の味方であり続けると約束してくれる?』

『元からそのつもりだけど? 相手から襲ってくることがない限り、少なくとも私から積極的に襲うつもりはないし』

『そのスタンスなら問題ないわね。〝博麗″の名を持つ者が人間の敵じゃないと公布すれば、幻想郷に悪影響は及ばないでしょう。とにかく霊夢、あなたは〝博麗″を捨てちゃ駄目。私が許さないわよ』

『もう~何なのよ? まああんたがそこまで言うなら構わないけど。それじゃ今度こそ行くわよ?』

『いってらっしゃい』

『仙人の修行、頑張ってくださいね~!』

 

 再三に渡る説得により、結局博麗霊夢は〝博麗″の名を捨てることなく、茨木華扇が待つ妖怪の山へ向けて歩を進めていった。

 

 

 

 博麗神社を後にしてからおよそ30分、敢えて空を飛ばずに徒歩で山登りし、妖怪の山の中腹にひっそりと建つ茨華仙の屋敷に辿り着いた博麗霊夢。玄関先にはその屋敷の主が待ち構えていた。

 

『約束通り来たわよ~!』 

『いらっしゃい霊夢。良く来ましたね。もう終わったのですか?』

『ええ。ついさっき博麗の巫女は後任の子に譲ったから、今の私は仙人を志すただの人間よ』

『そうですか。今までは博麗の巫女としての立場もあり控えめにしていましたが、今日から本格的に厳しい修行の日々が始まります。覚悟は出来ていますか?』

『元からそのつもりよ。聞かれるまでもないことだわ』

『よろしい。では入りなさい』

 

 戸を開けて中に入った茨木華扇の後に博麗霊夢が続いた所で、映像は途切れた。

 

 

 

 時刻が五か月飛んだ西暦2008年9月10日午前11時5分。こだまのように蝉が鳴り響く深緑に包まれた妖怪の山中腹、茨華仙の屋敷のとある一室にて、畳の上に博麗霊夢と茨木華扇が向かい合うように正座する場面が映しだされていた。

 

『おめでとう霊夢。とうとう仙人になれたのね』

『ありがとう華扇。あんたの指導のおかげよ』

『いいえ。私はただ道を示しただけ。霊夢の日々の努力の成果です。ふふ、師匠として誇らしいわ』

 

 茨木華扇は新たな仙人の誕生を自分のことのように祝福しており、対する博麗霊夢も笑顔が見えていた。

 

『それにしても、本格的な修行を始めてまさかたったの五か月で仙人に昇華するなんて。普通は仙人になるにはもっと時間が掛かるものだけど、いい意味で肩透かしを食らった気分よ』

『マリサが魔法使いになったんですもの、私も負けてられないわ』

『ふふ、良い関係ですね。ですがここで満足してはダメですよ? むしろここからが仙人としての人生の始まりなんですから』

『うん、分かってる』

 

 その後一言二言会話を交わし、博麗霊夢が遂に茨華仙の屋敷を出る時が訪れた。

 

『霊夢、私の元を離れても日々の鍛錬を怠ってはいけませんよ? 魔法使いが魔法の研究に勤しむように、仙人が修行を怠れば肉体の維持が出来ず、あっという間に老いて死んでしまいますから』

『この道を志した時から分かっていた事よ。大丈夫、もう昔みたいな怠け癖はすっかりなくなったわ』

 

 彼女の答えに満足気に頷いた茨木華扇。

 

『もう一つ忠告をしておきます。仙人になった者には100年に1度地獄から死神のお迎えがやってきます。彼らを倒すことで私達はさらに寿命を伸ばし、天人を目指して切磋琢磨していくのです』続けて、『しかし彼らは非常に狡猾で、心の隙間を突いた精神攻撃を多用してきます。心身共に鍛え上げなければ勝てない強敵であり、負ければ地獄に落ちて閻魔の裁きを受ける事になるでしょう。……頑張るのですよ』

『とはいってもねぇ、100年も先の話だし、ま、その時が来たら考えるわ。それじゃあね~』

 

 手を振る茨木華扇に見送られ、博麗霊夢は屋敷を後にした。

 

 

 

 

『ん~! なんか久しぶりね』

 

 妖怪の山を離れ、風呂敷包み片手に幻想郷上空を飛行する博麗霊夢。俗世との関りを断ち、茨華仙の屋敷でおよそ5か月に渡って住み込みで修行した彼女からしてみれば、何の変哲もない風景に新鮮さと安心感を覚えていた。

 

『これからどうしようかな。もう神社には戻れないし、まずは衣食住を確保しないといけないよね。でもその前に、魔理沙に報告しにいこっかなぁ』

 

 当てもなく飛んでいた博麗霊夢は進路を魔法の森へと変更し、やがて霧雨魔理沙邸の前に降りた彼女は、そっと玄関の扉をノックした。

 

『魔理沙~! いる~?』

 

 家の中に向けて呼びかけると、一拍遅れて騒がしい足音と共に扉が開かれ、家主が姿を現した。

 

『霊夢か! 久しぶりだな。いつ降りてきたんだ?』

『ほんのついさっきよ。それより聞いて! 私とうとう仙人になったのよ!』

『やったじゃないか! 未来の〝私″も喜ぶだろうぜ』

『そうね。これでようやく彼女との約束を果たせるわ……』遠い目をする博麗霊夢。

『おいおい、なにしんみりしてんだよ』肩をポンと叩く霧雨マリサ。『アイツが来るまで149年もあるんだ。満足するにはまだ早いだろ?』

『うん。そうね。これからが仙人としての人生の始まりだもんね』

『そういうことだ! よし今日は祝いだ! 宴会やるぞ!』

『今から!? だってまだお昼よ?』

『細かいことは気にすんなって! そうと決まれば参加者と酒を集めてこないとな。ちょっくら行ってくるぜ~!』

 

 霧雨マリサは玄関に立て掛けてあった箒を掴んであっという間に飛び去ってしまい、博麗霊夢は口を挟む間もなく見送っていた。

 

『ふふ、マリサったら本当に騒がしいのね。じゃあ私は神社が使えるよう、あの子に頼みこんでいこうかな』

 

 霧雨マリサに遅れて博麗霊夢もふわりと浮かび、その場を離れていく。

 それから数時間後、霧雨マリサが半ば強引に集めて来た大量の酒と料理が博麗神社に並べられ、白昼にもかかわらず集まった大勢の妖怪達に彼女は祝福されていた。

 

 

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「うんうん。霊夢も無事に仙人となったようだし、この歴史も大きな変更点は無さそうね」続けて、「前回の歴史との相違点は、霊夢が修行を頑張ったことで仙人になるまでの期間が1ヶ月短縮されたこと、この歴史のマリサが祝福してくれたことかしらね。事情を知っているからこそ、彼女へのやっかみや葛藤が発生しなくなるのね」

 

 既視感溢れる出来事を再び観測した女神咲夜はそのように結論付けた。

 

「特に言うべきこともないし、さっさと次の時間を見ていきましょう」

 

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 西暦201X年6月6日午後9時。

 永遠に晴れることのない分厚い雲に覆われた空、鳥のように自由に飛び回る大量の人魂。心を冷やす陰気な風。季節などお構いなしに妖しく咲き誇る無数の桜。お世辞にも居心地が良いとは言えない死の土地で、現世(幻想郷)へと続く下り階段を背に、無表情の十六夜咲夜が白玉楼の長屋門を見上げている所から映像が開始される。

 

『…………』

 

 ほんのつい先程ここに到着したばかりの十六夜咲夜は、まるで待機するよう指示されたロボットのようにピクリとも動かない。白玉楼の庭で日課の素振りをしていた魂魄妖夢は生者の気配を察し、楼観剣を握ったまま張り詰めた表情で長屋門まで歩いていく。やがて訪問者が知り合いだと気づいた彼女は、ホッと一息吐きながら楼観剣を鞘に仕舞い、タオルで汗を拭ってから話しかける。

 

『こんな時間に何の御用ですか? 貴女とは無縁の場所の筈ですが』

『っ!』

 

 この時初めて彼女に気づいた十六夜咲夜は、一瞬動揺しながらもすぐに平静を装い、ちらりと刺すような視線の彼女に答える。

 

『今晩ここで待ち合わせしてる方がいるの。待たせてもらっても良いかしら?』

『構いませんけど……』

『ありがと。ついでに尋ねたいのだけれど、私以外に誰か来なかった?』

『こんな所に好き好んで来る人は居ませんよ。今日に限らず、昨日も、一昨日も』

『そう』

 

 十六夜咲夜は魂魄妖夢に後ろを向けるようにして鏡柱に寄りかかり、腕を組んで階段を見下ろした。

 

『……』

 

 もう話は済んだと言わんばかりの態度に魂魄妖夢は思うところがあったものの、彼女に背を向けて敷地内へと戻り、修練を再開した。

 

 

 

 

 一時間後、修練を終えた魂魄妖夢が屋敷に戻って汗を洗い流し、白装束のパジャマに着替えて縁側を歩いていると、先程別れた場所にまだ十六夜咲夜が居る事に気づき、庭に降りて歩いていく。わざとらしく足音を立てても、彼女は我関せずといった様子で人魂が踊る空を見上げるばかり。魂魄妖夢は彼女を見上げて言った。

 

『あの、まだ待ち人はいらっしゃらないのですか? あれからもう一時間も経ってますけど』

 

 十六夜咲夜はぼんやりとした意識を戻し、冷めた視線で懐中時計を確認した後、初めて魂魄妖夢に顔を向けた。

 

『……そのようね。迷惑だったかしら』

『いえ! そういう訳ではありませんけど……』おじおじとしている魂魄妖夢は『もしよろしければ屋敷内で休まれてはいかがですか? ずっと立ちっぱなしでいるのは大変でしょう』

 

 階下と白玉楼に一度ずつ視線を向け、数秒程度逡巡した後、十六夜咲夜は『……ええ。お言葉に甘えさせてもらうわ』と薄ら笑みと共に答え、彼女の後に続いて門をくぐって行った。

 

 

 

 

『日本茶です。どうぞ』

『感謝するわ』

 

 魂魄妖夢のお盆から湯気が立つ湯呑を受け取り、味わうようにゆっくりと喉を潤していった。

 十六夜咲夜は白玉楼の縁側に座布団を敷き、幽雅な日本庭園と出入口を一望できる恰好の位置に座っている。

 

『素敵な庭ね。いつも貴女が管理しているの?』立ち去ろうとした魂魄妖夢に尋ねる。彼女は足を止め、十六夜咲夜の隣に座りながら答えた。

 

『はい。私はここ白玉楼の庭師であり、幽々子様の剣術指南役とお世話係も兼ねています。幽々子様はあの橋の上から庭を眺めるのが好きなんですよ』

『へぇ、そうなの』

『もう数百年も昔の話になりますが、元々は先代の庭師、私のお師匠様が幽々子様の意向を汲んで設計されたそうなんです』

『彼女もそうだけど、貴女のお師匠様も中々いいセンスしてるのね』

『……そうですね。お師匠様はとても偉大な方でした。彼に追いつくために日夜精進していますが、庭師として、そして剣士としても半人前の私にはまだまだ背中が遠いですよ』

 

 焦点が定まらない視線でぽつぽつと喋る魂魄妖夢の話を、十六夜咲夜は真顔で聞いていた。円滑な会話というよりかは、ぽつぽつと自分の言いたいことだけを口にしているような歪な形。

 

『あ、あはは、なんだかすみません。私の話ばかりで』

『気にしなくて良いわ。暇つぶし程度には成りえたから』

 

 空笑いを浮かべる魂魄妖夢ではあったが、十六夜咲夜はクスリとも笑わず湯呑を口に付ける。既に半分近く中身が減っていた。

 

『と、ところで貴女は誰を待っているのですか? 知っての通りここは死者が集う土地。幾ら吸血鬼が強大な生命力を持つとはいえ、一度土に還った者が現世に甦ることはありませんし、むやみに長居することもお勧めできません』

『なに変な勘違いしてるのよ、別に死者に会いに来た訳じゃないわ』憮然とした表情で『私はここで魔理沙と待ち合わせしてるのよ。もちろん死んではいないわ』

『マリサと?』

『今晩ここで会う約束だったのだけれど、こんなに待ちぼうけすることになるのなら、別れるときに詳細な時間指定をしておくべきだった。失敗ね』

 

 長屋門の出入口に視線をやりながら、不機嫌な表情で毒づく十六夜咲夜。

 

『そういうことでしたら、直接自宅へ足を運んだ方が早いのではありませんか?』

『……私が約束した魔理沙はね、140年先の未来にいるのよ。10年前にここで落ち合うことを約束したのだけどね』

『はぁ……?』

『今のマリサは何も知らないし、説明する意味もない。だから私は待つしかないのよ』

 

 鹿威しを見ながらアンニュイな表情で語る十六夜咲夜に、魂魄妖夢は呆然とするより他はない。

 

『……良く分かりませんけど、貴女も大変な約束をしたんですね。こう言ってはなんですが、彼女があまり決まり事を順守する人間には思えません』

『確かにそうね。昨日もマリサは私の許可なく家の中を堂々と歩き回ってたし、自由奔放という言葉が良く似合う性格だわ。けれど私の約束した魔理沙は全然余裕がなくて、瞳の奥に悲しみと決意を背負っていた。だから私は必ず来ると確信してる』

『なんと……まるで想像できませんね』

『こればかりは直接会って見ないと分からないでしょうね。言葉では伝えられないわ』

 

 そうして会話が止まり、両者の間に再び沈黙が漂う。微かに響く川の涼し気な音と、鹿威しの澄んだ音が聞こえる世界の中で、彼女らは一心に長屋門を注視していた。

 

『…………一向に来ませんね』沈黙に我慢できなくなった魂魄妖夢が呟く。

『そうね』

 

 一言答え再び口を閉ざす。

 会話もなく、一見すれば然としている二人であったが、魂魄妖夢の頭の中では何か良い話題がないかと思い浮かべては、適当な理由を付けて却下しての繰り返しだった。

 そんな中、次に長い沈黙を突き破ったのは、十六夜咲夜の方だった。

 

『妖夢、別に無理して私に付き合わなくていいのよ。貴女は貴女で自分の役目があるのではなくて?』

『え? あ、も、もう本日の仕事は全て終わっていますので、後は寝るだけですから』

『そう』

 

 素っ気ない返事をした十六夜咲夜は、再び正面に顔を戻し、緩やかな川の流れを見つめていた。

 それからも退屈な映像が続く中、魂魄妖夢は何かを思い立ったように席を離れ、襖を開けて奥へと引っ込む。二分後、襖が再度開き、縁側に戻って来たその両腕には将棋盤と駒台が抱えられていた。

 

『よいしょっと』

 

 腰を屈め、十六夜咲夜の隣に将棋盤を降ろす魂魄妖夢。『あの、宜しければ一局やりませんか? ただぼんやりと待つよりかはこの方が有益な時間の使い方だと思うんですけど』

 

『……それもそうね。いいわ、相手になりましょう』

 

 十六夜咲夜は僅かに表情を和らげ、将棋盤を挟んで魂魄妖夢と面するように正座し、将棋盤に山盛りに積まれた駒を彼女と一緒に並べていく。そして完全に並び終わったところで、『先手は譲るわ』と十六夜咲夜が発し、二人の対局が始まった。

 

 

 

 

『王手。これで詰みよ』

『む、むむぅ……!』

 

 細い指で指された駒を食い入るように見つめ、魂魄妖夢は唇をぎゅっと噛みしめていた。

 現在の局面は、自陣の駒で逃げ道が塞がれた玉将の前に金将が指された、俗に言う頭金の状態になっていた。彼女は自陣を隅々まで眺めてしばらく唸っていたが、指された金将を取れる駒はなくガックリと肩を落とし『ま、負けました……』と投了した。

 

『ふふ、今回も私の勝ちだからこれで三戦三勝ね』

『もう一局! もう一局お願いします!』

『えぇー? 流石に集中力が切れてきたわ。休憩させてちょうだい』

『なっ! もしかして勝ち逃げするつもりですか!? そんなの卑怯ですよ!』

『貴女ねえ……』

 

 魂魄妖夢の負けず嫌いに呆れ果てる十六夜咲夜。こんな事なら途中で手を抜けば良かったわ、と思いながら懐中時計を確認すれば、時刻はちょうど午前0時を回った所であった。

 

『あらら、熱中している間にもう0時過ぎていたなんて』

『もうそんな時間でしたか。なんだかあっという間だった気がします』そして魂魄妖夢はキョロキョロと辺りを見回し、『……結局、マリサは来ませんでしたね』と呟いた。

『はぁ、やれやれ、まさか魔理沙が約束を破るなんてね。彼女だけはマリサとは違うと思ったのだけれど、私の見立てが間違いだったのかしら』

 

 失望を込めた溜息を吐きながら十六夜咲夜は立ち上がり、『それでは私はお暇させてもらうわ。長居して悪かったわね』と告げ、ハイヒールを履いて長屋門へと歩いていく。

 

『いつかまた対局してください! 次こそ必ず勝ちますから!』

『時間が空いてる時なら構わないわ。いつでも家にいらっしゃい』

 

 十六夜咲夜は柔和な笑みを浮かべ、現世へと帰って行った。

 

 

 

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「幻想郷の〝私″が吸血鬼になった時点で魔理沙は白玉楼に現れない。前提が覆されない限りこの歴史も不変。彼女がこれを知るのは140年後まで……」

 

 女神咲夜の観測はまだまだ続く……。




201X年6月6日に吸血鬼咲夜が白玉楼を訪れた時の詳細なエピソードは、第二章の20話~21話に描かれています。
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