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時代は大きく飛んで西暦205X年1月30日。
この日の幻想郷は幾日にも渡って降り続いた雪がやっと晴れ、地上は一面銀世界に覆われていた。とはいえ気温は氷点下を切り、身を切るような北風が吹きつけるこの冬一番の寒さだった。
時刻は午前7時40分。場面は真っ白に包まれた魔法の森の霧雨邸一階リビングから始まる。
『う~今日もさみぃなあ……』
真っ白な息を吐き、体を縮こませながら二階から降りて来た霧雨マリサは、震える手でテーブルに放置されたエアコンのリモコンを掴み、スイッチを入れる。10年程前に香霖堂から入手したそれは、40年前に外の世界で製造され、一般家庭で使用されていたポピュラーな空気調節装置であり、にとりの手によって新品同様に修理され、電気の替わりに彼女の魔力で起動するように改造されている。
やがて室内に暖気が集まりはじめ、震えもだんだんと収まってきた。彼女は魔導書やガラクタで散らかるリビングを見渡した後、雑巾を拾って窓際へと移動し、窓霜を拭い取る。
『ようやく雪が止んだか。めんどくさいけど後で雪かきもしとかないとな』
霧雨マリサは窓の外を恨めしそうに眺めつつ呟く。降り積もった雪に日光が乱反射しキラキラと輝いていた。
『さて、今日はこれから何をしようかなぁ。いつものように魔法の研究をするか、はたまたどっかに遊びに行くか』
窓から離れ、雑巾を処理してからリビングをウロウロしていたその時、彼女の頭に激痛が走る。
『ぐっ――こ、これは……!』
堪らず膝を付いて頭を抑えるものの、その痛みはどんどんと強くなっていき、彼女の意識は朦朧としていく。脳内を埋め尽くすはおびただしいまでの記憶の数々。一瞬一瞬が切り取られた64年の人生の集大成が走馬灯のように駆け抜けた。只の頭痛ではないと直感した霧雨マリサの目に、壁に留められたカレンダーが映る。
『そ、そうか!――今日は、50年目のあの日だったな……! うっかり……して……た……ぜ…………』
声を出すのもやっとの消えゆく意識の中、何かを悟った霧雨マリサはそのまま気を失った。連鎖するように棚に積んであった蔵書が次々と体の上に降り注ぎ、彼女は本が散乱した床の一部となった。
静かに時を刻む針の音、温風を吐きつづけるエアコン。十分、二十分と時間が刻々と流れる中、霧雨マリサはうつ伏せのままピクリとも動かない。そんな状態が三十分、一時間、二時間と続き、女神咲夜が観測を打ち切るべきか検討し始めた時、静止画に近い映像に変化が訪れた。
玄関からリズムよく響くノック音。
『こんにちはマリサ。私だけど居る?』
アリス・マーガトロイドの声が扉越しに伝わって来た。すぐさま扉の向こう側へと映像が切り替わり、玄関前に立つ彼女を正面から俯瞰するような視点で映し出される。
ペールオレンジの毛糸製イヤーマフにブラウンの手袋、淡い暖色系のタータンチェック柄マフラー、普段着と調和した色合いのトレンチコートを身に着け、長靴にも似たロングブーツを履き、冬らしい恰好をしていた。
『マリサー?』
アリス・マーガトロイドは呼びかけていたが、返事が返ってくることはなかった。
『居ないのかしら。残念、また出直すことにしましょう』
ザクザクと雪に埋もれる足音と共に飛び立とうとしたその時、ふと視界の端に映った窓が気になり、窓の前まで歩いていく。
『今のって……』
少し考え込む素振りを見せてから、中を覗き込んだ。
『酷い散らかりようね。足の踏み場もないじゃないの』
酷評しながら見回していたその時、あらゆる物で散乱した床の一部となった金髪を発見する。
『っ! マリサ! マリサ!』
血相を変えて窓を叩くアリス・マーガトロイドだったが、それでも返事はない。彼女はすぐさま玄関に引き返し、一直線に霧雨マリサの元に駆け寄って行く。
『マリサ! しっかりして、マリサ!!』
肩を揺すって必死に呼びかけるも目を開かない。『そ、そんな……どうしたらいいの……?』絶望に打ちひしがれていた時。
『……う、ううん……?』
『マリサ!』
気怠そうな呻きと共に、霧雨マリサはゆっくりと目を開いた。
『う、ここは……』
『はぁ~良かった……! 死んじゃったのかと思ったわ……!』
その場にへたり込み、心からホッとしているアリス・マーガトロイドの横で、ふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がった霧雨マリサ。頭が割れそうなまでの強烈な頭痛は、嘘のように消え去っていた。
『大丈夫? いったい何があったの?』
『……』
彼女を見上げ、心配そうに話しかけるアリス・マーガトロイドを意に介さず、霧雨マリサは虚ろな目で立ち尽くしていた。その異常さに気付いたアリス・マーガトロイドは、肩を叩きながら呼びかける。
『マ、マリサ? ねえどうしたの?』
『…………』
霧雨マリサはまるで意に介さず洗面所へと向かって行き、アリス・マーガトロイドも後をついていく。霧雨マリサは洗面台の鏡の前で声を上げた。
『こ、これは……! 私か、私なのか?』驚愕の表情を貼り付け、ペタペタと自分の頬を触っていた。
『私は誰だ?――私は霧雨マリサだ。本当か? 本当だ。ならお前は何者だ? 霧雨マリサだ。霧雨マリサとは何だ? 他の何者でもない私だ』
『…………!』
傍から見れば狂人としか思われない怪しげな言葉を、鏡に映る自分に向けてぶつける霧雨マリサ。その異質な有様にしりごみしてしまったアリス・マーガトロイドは、固唾を飲んで見守ることしか出来なかった。
そうして、しばらく呪文のように同じ言葉を繰り返していた霧雨マリサは、ある瞬間から憑き物が取れたような表情になり、言葉を止めた。
『……ふっ、なるほど、そういうことか』
霧雨マリサがリビングに戻ろうとする足の動きを見て、アリス・マーガトロイドは咄嗟にドアの影へと隠れる。移動した霧雨マリサは散らかり放題のリビングを見回しながら言った。
『50年前の9月5日、確かもう1人の〝私″は、歴史改変に深く関わった人間には以前の記憶が戻ることがあると話していたな。だとするとこの記憶――いや、記録は私が人だった頃のモノか……。なんともまあ生々しいな』
現在の彼女の脳内には、霊夢と道をたがえ、人であることをずっと隠し、偽りの仮面を被って生きて来た自分。自らの死が現実的になって来た頃に初めて自身の本心を悟り、過去をやり直すためのタイムトラベル研究を始めた自分。そして寒さが厳しい今日の朝に、突然の心臓発作に苦しみながら意識が途絶えた記憶が甦っていた。彼女は更に記憶を探って行く。
『霊魂になった私が小町の船で三途の川を渡り、あの世の裁判所で映姫に転生の判決を下された瞬間が、私の魂に刻まれた最期の記憶か。なるほど、死ぬってのはこういうことなんだろうな。なんか貴重な体験をした気分だぜ』
どこまでもポジティブに考える霧雨マリサは、納得しながら近くのソファーに腰かける。影でこそこそ話を聞いているアリス・マーガトロイドには、何のことだかさっぱり分からなかった。
『さて、こうして前世の記憶――と表現すればいいのかな。それが甦った今、私はなにか変わったのか? 前世の私と今の私、どちらの人格が今の私を引っ張って行ってるのか……って考えるまでもなく今の私か。弾幕ごっこの知識と経験は私の方が上で、時空魔法に関する分野は前世の私、後は……ん~?』
難しい顔で考え込んでいくマリサであったが、答えは出ない。
『ずっと考えていく内に不思議と馴染んできたような……あれー?』
腑に落ちない霧雨マリサであったが、『まあいいか。とりあえず、霊夢の所にでも顔をだしに行くかな』と結論付け、エアコンを切って二階へと上がって行った。
静かになったリビング。アリス・マーガトロイドが扉の影から現れる。
『……今の独り言はどういうことなのかしら? 詳しい話を聞く必要がありそうね』
続きは近いうちに