それから、シックな色合いのアウターに寒色系のマフラー、黒い革手袋を身に着けて一階へ降りて来た霧雨魔理沙。その行く手を阻むように、アリス・マーガトロイドが立ち塞がった。
『遅かったじゃないの』
『あれ? アリス、お前いつの間に来てたんだ?』
『さっきからずっと居たわよ。名前を呼んでも返事しなかったじゃない』
『そうなのか?』
『そうよ! 本当に気づかなかったの!? 遊びに来たら貴女が倒れているのを見つけて、とてもびっくりしたんだからね!? 一体何があったの!?』
彼女に詰め寄っていくアリス・マーガトロイド。霧雨マリサは困り顔で答えた。
『いや、それはだな……。そう! うっかり足を滑らせて転んだんだよ! 心配させたみたいで悪かったな』
『ふーん? じゃあ歴史改変ってなに? 前世の記憶って?』
『ど、どうしてそれを!?』
『どうしても何も、さっき大きな声でペラペラ喋ってたじゃないの。気づいてなかったの?』
『マジか……』
脳内の思考を無意識的に口にしていた事実に、肩を落とした霧雨マリサ。普段から独り言が多いタイプではないと自覚している彼女は、歴史改変の影響による一時的な混乱だろうと判断した。
『いったい貴女の身に何が起きてるの? お願い、教えて』
『分かった。だけどその話は霊夢の家に行ってからでいいか? 確かめたいこともあるし』
アリスマーガトロイドは頷き、霧雨マリサは玄関に立て掛けてあった箒を手に取り、戸締りをしてから二人は飛び立っていった。
『ひゃっほ~!』
『マリサ待って~! 速すぎよー!』
寒空の下、凍てつく風を切り裂くように飛ばす霧雨マリサと、追いかけるアリス・マーガトロイド。
『いや~自分の思った通りに飛び回れるってのは気持ちいいな! 魔法最高ー!』
いつにもましてハイテンションな霧雨マリサ。全力で飛ばしたこともあり、あっという間に人里の外れ、霊夢が住む平屋建ての上空まで到達すると、そのまま高度を落とし、人の背丈程の高さまで降りて来た所で箒から飛び降りる。採点競技なら満点を貰えそうな宙返りを見せ、華麗な着地を決めた。
『決まった! ナイス着地!』
『普通に着地しなさいよ。寒いのに元気ねえ』
ガッツポーズする霧雨マリサに遅れて、アリス・マーガトロイドがふわりと余裕を持って隣に着陸した。そして捨てられた箒を拾い、『お~い霊夢。いるかー!?』と言いながら、返事を待たずに玄関を開けた。
『ちょっ! あんたねえ、急に開けないでよ!』
道場着にも似たデザインの服を抱えていた博麗霊夢は、押し入って来た霧雨マリサに怒鳴りつけた。
この時、博麗霊夢はちょうど日課の鍛錬を終え、普段着として愛用している、レースが入った暖色系の着物に着替え終わった直後であり、もう少しタイミングが早ければあられのない姿を見せていた。
『全くもう、何度言っても聞かないんだから』
『ごめんなさいね霊夢。もしかして着替え中だった?』
『もう終わった所。で、私に何の用?』
『用事があるのはマリサの方よ。確かめたいことがあるからって』
『ふ~ん』
呆れ返る博麗霊夢がジト目で霧雨マリサを睨みつける。当の彼女は箒を手放し、博麗霊夢の姿を見て口をぽかんと開けていた。
『ちょっと、黙ってないで何とか言ったらどうなのよ?』それでも返事がなく、『……聞いてる?』と顔の前で手を振った。
『……れ』
『れ?』
『霊夢ぅぅぅ!!』
『キャアッ』
『!?』
突然スイッチが入った霧雨マリサは博麗霊夢を押し倒し、至近距離で見ていたアリス・マーガトロイドは目を丸くしていた。
『もうー! 今度は何なの!? いい加減にしないと――!』
『そうか……そういうことだったんだな……』
『え……?』
苦情をつけつつ彼女を引きはがそうとした博麗霊夢は、大粒の涙を流す霧雨マリサの顔に焦点が合い、手を止める。この時、霧雨マリサも無意識のうちにしでかした行動に驚いていた。
『なあ〝私″。お前の未練はちゃんと私が成し遂げた。だからさ、ゆっくり眠ってくれ――』
彼女を恋人のように優しく抱き寄せ、誰ともしれない誰かへ言い聞かせるように呟いた霧雨マリサだった。
やがて落ち着き、コートやマフラーを脱いだ後、博麗霊夢と霧雨マリサが向かい合うように炬燵に座り、アリス・マーガトロイドは二人の顔を見比べられる位置に座っていた。
『その……悪かったな。急に抱き着いたりして』
耳を赤くしながら謝る霧雨マリサ。
『ううん。ねえ、今のは何だったの?』
『まるで死んだと思ってた人が生きていた――みたいな反応だったわね。今日のマリサは変よ?』
『そのことも含めて、全ては50年前に遡る。何も知らないアリスの為に前提から話すとだな――』
霧雨マリサは博麗霊夢の補足も交えつつ、時間旅行者霧雨魔理沙のことを知識の限り語って行った。博麗霊夢はリラックスした様子で、アリス・マーガトロイドは5W1Hを交えつつ、耳を傾けていた。
『――以上だ』
『へぇ~50年前にそんなことがあったなんてね。私にも教えてくれれば良いのに、ケチ』
『未来の魔理沙が来た時に教えようと思ってたのよ。一々説明するのも面倒だし』
実際、この説明だけで30分近く掛かっており、既に天辺まで日が昇っていた。
『まあ、そういう訳でな。今日は歴史が変化する前の〝私″――人間だった〝私″の命日なんだ』
『命日……』
『今朝の8時頃だったかな? 突然私の体験したことがない記憶が流れ込んできてさ、その膨大な量に頭が追い付かなくなって意識を失ったんだ。アリスが見つけたのはその時だろう。次に目を覚ました時には、まるで自分の中にもう一人の〝私″が居て、私を後ろから見下ろしているような不思議な感覚だった。きっと二重人格ってのはこういうことなのかもしれんな』
『大丈夫なの?』
『多少の混乱はあったけど今は平気だ。もう違和感はない。私は私だ』
『そっか』
胸をなでおろす博麗霊夢とアリス・マーガトロイド。霧雨マリサの話は続く。
『どうやら前世の私は、霊夢に対して特別執着していたみたいだな。お前のライバルで居たい、対等に在りたいという気持ち、その存在だけが霧雨マリサの生きる原動力だったみたいだ。……まあ、その気持ちも分からんでもないがな』
『…………』
帽子の鍔で目元を隠す霧雨マリサ。濡れた虚ろな眼差しで俯く博麗霊夢。沈黙が続く中、沈んだ表情のアリス・マーガトロイドが訊いた。
『…………そこまで強い感情を思い出して、他に影響は出てないの?』
『何ていうかな、確かに『霧雨魔理沙』という少女の記憶なんだけどさ、映像化された他人の一生を観客として早送りで見ているような気分なんだ。どうしても深い感情移入が出来なくてさ、どこか一歩引いて見ている自分がいる。だからそこまで前世の記憶に引っ張られるようなこともない』
『そうなんだ』
そして霧雨魔理沙は博麗霊夢の顔を見て、『さっきお前を見て抱き着いてしまったのは、前世の私が抑圧していた衝動の残滓みたいなもんだ。それが消えた今、もう二度目はないと断言できるぜ』と言った。
『そう……』
博麗霊夢は胸中に複雑な感情を抱いていたが、それを言葉にせず、じっと霧雨マリサを見つめていた。
『霊夢は私みたいな前世の記憶ないのか?』
『うん、全然。私にも人のまま死んだ〝私″の記憶が甦っても良い筈なのに』
『……そっか。でもまあ、それはそれで良いんじゃないか? こんな記憶なんて思い出さない方がいいぜ。否が応でも、昔と今の自分を対比して、向き合わざるを得なくなるからな。ははっ』
重い雰囲気の中、失笑する霧雨マリサは真顔に戻り、同じく真剣な博麗霊夢とアリス・マーガトロイドを見渡してからこう言った。
『……もう1人の〝私″、タイムトラベラーの〝私″が来るまであと100年だ。もしその時が来たら私は――』
100年後に向けての決意を表明していく所で、映像はフェードアウトしていった。
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「記憶のフィードバックがここまで激しく現れるなんてね。通常なら僅かなデジャブとして、すぐに忘れ去られる程度しか起きえないのだけれど、これもマリサだからかしら?」
背もたれに全身を預け、紅茶を一口含みながら感想を述べる女神咲夜。先程の観測映像で霧雨マリサが気絶しているうちに、ラウンドカウンターテーブルを出現させ、紅茶とショートケーキのセットを用意していた。これも人だった頃、幻想郷で覚えた食の楽しみ。
「それとマリサが魔理沙と再会した時どんなことになるか。100年後も楽しみね」
画面の中で意見を交わすかつての友人達を見ながら、期待の表情を膨らませていた。そして紅茶をラウンドカウンターテーブルに置き、次の観測の準備にかかる。
「さて、次の時間は……」
今度はショートケーキが盛られた皿を取り、一口ずつ味わいながら透過スクリーンを見つめていた。