「それじゃ、話を聞かせてちょうだい」
私は今、大きく改装された自宅の居間にあるダイニングテーブルに向かい、アリスと対面している。
テーブルの上にはアリスが人形に用意させた紅茶とマカロンが2人分置かれていた。
「話を聞かせてと言われてもなあ、まず何が聞きたいんだ?」
私はお茶を一口飲みながら訊ねた。
「なんで魔理沙は生きているの? 100年前に亡くなったんじゃなかったの? それに〝魔法使い″になってるなんてどういう事?」
(やっぱりそう来たか)
「うーん、何て説明したらいいのかな。私はアリスの知ってる〝霧雨魔理沙″とは別人なんだよ」
「え、どういうことよ?」
「その質問に答える前にさ、100年前に死んだ〝私″の状況を詳しく教えてくれないか?」
というのも、私は現に今こうして生きてるんだから、死んだはずと言われても答えに困ってしまうからだ。
けれどアリスの狼狽振りから、過去が変わったのはほぼ間違いないとみていいだろう。
どこまで話せばいいか計るためにも、まずは情報が欲しかった。
「質問に質問で返すのかしら?」
「実は私も混乱していてな、まず死んだ〝私″がどうなったのか聞かせてくれないと、話しようがないんだ。だから頼む」
「……しょうがないわね」
怪訝な表情のアリスは、渋々といった感じで答える。
「私の知ってる〝魔理沙″はね、今からちょうど100年前に天寿を全うしたわ」
(100年前か……今の私が164歳だから、計算すると64歳で死んだことになるのか。くしくも早苗と同じ年に死んだ事になるのか)
「まるで霊夢の後を追うように亡くなってしまったから、たった一年で立て続けに親友を失ってしまったあの頃の私はとても悲嘆していたわ」
霊夢という言葉に私はピクリと反応する。
「――ってちょっと待て。その言い方だともしかして霊夢も亡くなっているのか?」
「ええ、そうよ。今から101年前ね。享年63歳だったわ」
「死因は!?」
「魔理沙と同じく寿命よ」
「そうか……!」
(霊夢が寿命で死んだ……、という事は自殺を防げたんだな! 過去を変えることが出来た!)
長年の目標を達成できたことで、歓喜の感情を得たが、同時に(……良かったけど、なんだろうなこの気持ち。結局過程が違うだけで、霊夢はもうこの時代にはいなくなってるんだよな……)と虚しい気持ちが去来し、とても複雑な気分を抱く。
「霊夢が他界した時は幻想郷全体が深い悲しみに包まれたわ。彼女のお葬式の時は生前親交があった大勢の人妖達が集まってね、盛大に惜しまれながら見送られていったわ」
(私が知る歴史と同じか……、やっぱり霊夢は愛されてるんだな)
霊夢は昔から妖怪に愛され懐かれる不思議な魅力を持っていたので、納得できる話だ。
「霊夢らしいな。ついでに聞きたいんだが、100年前の〝私″はどんな死にざまだったんだ?」
「私の知ってる魔理沙はさ、年老いても若々しく精力的に生きていてね、最後まで〝普通の魔法使い″のまま死んでいったわ。私とパチュリーが何度か種族としての魔法使いになるよう薦めたけど『人の一生は短い。だからこそ、その短い人生の中で懸命に生きる姿、輝きこそ何よりも美しいんだ』って断られてしまったわ」
「……ふっ、何格好つけてるんだよ〝私″は」
過去の〝私″のあまりにもキザったらしいセリフに、思わず乾いた笑いが出てしまった。
「……私からは以上よ。今度はこちらの質問にも答えてくれる? あなたは何者なの?」
「実はな――」
私は150年前の7月20日に霊夢が自殺した事、それがきっかけで真の魔法使いとなって時間移動の魔法を開発した事、そしてたった今霊夢の自殺を回避してこの時間に戻ってきたことを簡潔に話した。
「そんな……信じられない……!」
私の話を真摯に聞いていたアリスはとても驚いていた。
まあ無理もないだろう。私が逆の立場だったら同じことを言っていただろうし。
「信じられないかもしれないけど、それが私の歴史なんだ。お前は知らないだろうが、アリスには時間移動魔法の研究の際に色々と助けてもらったんだぜ?」
自宅に一人籠って研究してた時も、アリスは定期的に私の様子を見に来てくれていた。それが心の支えにもなっていたので、彼女には本当に感謝しかない。
「……ふうん。それが事実だったとして、おかしい所があるわ」
「なんだ?」
「本来霊夢が自殺する〝事実″を貴女はなかったことにしたじゃない? でもそうしたら貴女が種族としての魔法使いになる動機も消えるし、〝霊夢の自殺″という歴史が消えた事で、貴女が過去に戻る必要性も無くなると思うんだけど?」
アリスの指摘は誰もが思い浮かべるものだろう。
実際私の認識する歴史と、アリスが認識している歴史は異なるわけで……。
「私はな、誰が過去を覚えているかで未来が変わるものだと思っている」
「?」
「200X年7月20日に過去が変わったことで世界が分岐したんだよ。このケースでは【霊夢が自殺した世界】と【霊夢が自殺しなかった世界】だ」
「分岐? さっぱり分からないわ……」
「そうだな。図で説明した方が早いか。アリス、紙とペンを貸してくれないか?」
「はいどうぞ」
アリスは人形を器用に操って、紙とペンを人形に運ばせ、私の前に置いた。
「サンキュ」
私は軽くお礼を言いながらペンを取り、真っ新なメモ用紙に一本の線を引き、右端の一歩手前付近に215X年と書く。
「この線は世界を現していてな? 仮に〝世界線″と名付けよう。この世界線では、200X年7月20日に霊夢が亡くなってしまった」
私は線の左側の方に区切りを付け、区切りの上に200X年7月20日と記してそこに△を付ける。
「私はこの2週間くらい後から時間移動魔法の研究を開始し、その150年後――215X年9月15日に時間移動魔法を完成させた」
私は215X年と書かれた場所に9月15日を書き足して、そこに丸を付ける。
「魔法を完成させた私は過去に舞い戻り、霊夢を助けて、自殺をなかったことにした」
215X年から200X年と記された場所に向かって半楕円状に矢印を書き、そこに丸を付ける。
「そうするとこのようになる」
「!」
私は200X年7月20日の場所から、下に線を伸ばして、上の線と並行になるように横一直線に伸ばした。
「世界線が二本になったわ……」
「上の世界線をA、下の世界線をBとすると、私がAの世界線で215X年から200X年に遡って霊夢を救出した。その時に世界線が分岐して、私はBの世界に――つまり今私達がいる【霊夢が自殺しなかった】世界線に移動したんだ」
これが今迄の推察と体験から導き出した結論だ。
朝にパンを食べたかご飯を食べたか――極端な話そんな些細な行動でも世界は分岐するのだ。
この宇宙には無数の世界線が存在していても不思議じゃない。
「もしくは〝霊夢が自殺する″という結果を〝霊夢が自殺しなかった″という結果に変えた事で、この時間軸が〝霊夢が自殺しなかった″歴史に上書きされた可能性もあるが……、私がここにこうして存在してる以上、その可能性は低いだろうな。だからまあこの世界線分岐説が有力だと思うぜ。どうだ? 納得できたか?」
長々と解説を終えた私はすっかりと冷めてしまった紅茶を飲んで一息つくが、説明を受けたアリスはポカーンとしていた。
「……正直魔理沙の説明を聞いても半分も分からなかったわ」
「まあそうだろうな。私もまだ完全に解明しきれてはいないんだ。でもこの説が最有力なのは確かだぜ」
「へ~凄いのね。なんだか私の知る魔理沙とは大違い」
「私はこれ一筋で150年間探究し続けてきたからな。この分野では誰にも負けないつもりだぜ」
「ふぅん」
アリスは関心したように相槌を打った後、さらに問いかけてきた。
「これからどうするの?」
「そうだなぁ。もうやりたいことはやったし、霊夢の墓参りでも行ってこようかなあ」
前の世界線では、彼女の死を認めたくなくて結局行く事が出来なかったので、天寿を全うしたこの世界ならきちんと向き合える気がする。
「アリス、霊夢の墓がある場所を教えてくれないか?」
「……残念だけど私も知らないの。なんでも、博麗に代々伝わるお墓に入れられたらしいんだけど、場所が分からないのよ」
「なら今代の博麗の巫女にでも聞いてこようかな」
「やめておいた方がいいわよ。今の博麗の巫女は霊夢と違って妖怪を毛嫌いしてるから、素直に教えてくれないだろうし、逆に退治されてしまうわ」
「そうなのか……じゃあやめとくか」
アリスは真剣に忠告してくれているようなので、私は思い留まる事にした。
「もう一つ質問いいか? なんだか私の自宅の内装がガラリと変わってるんだが、アリスは何か知らないか?」
「魔理沙が亡くなった後、ここを取り潰しちゃうのは惜しいと思って私が再利用させてもらってたのよ」
「なんだ、そうだったのか」思ったより軽い理由でホッとした私は「そういう事ならまたここに住んでもいいか?」
「構わないわよ。また魔理沙と一緒に過ごせる時が来るなんて、思ってもみなかったもの。そのくらいお安い御用だわ」
「ありがとな、アリス」
ご機嫌なアリスにお礼の言葉を述べ、その後私達は和やかなムードでとりとめもない話を語り合っていった。
やがて外が暗くなりアリスが帰った後、1人残された私は今日の話を頭の中で整理していた。
(霊夢はどうやら盛大に見送られながら亡くなったようだな。本当に無事に助けることができて良かった良かった)
(そして過去の〝私″は、種族としての魔法使いにならず人のまま死ぬことを選んだんだな。まあ私も、霊夢の自殺がなかったら同じ選択を取っただろうしな)
(……これから私はどうしたらいいんだろうな)
大きな目標を達成した事で、私はすっかりと生きる目的を失ってしまった。
何かこう、心の中の情熱というか、そういうモノが消えてしまった。
(……それになんだろうなこの気持ち。なんだかモヤモヤするぜ)
アリスから霊夢の顛末を聞いてからというもの、私の中には悶々とした気持ちが渦巻いていた。
過去を変えられたのは嬉しいのだが、何かが足りない、満たされていない気がするのだ。
(はあ……)
霊夢との思い出を心に留めて、私はこれから先の生を歩んでいく――。
私にはもうそれしかない。
「今日はもう寝よう」
眠らなくても良い魔法使いの体ではあるが、どんどんと気分が暗くなっていくだけだ。
ならばいっそ、朝まで眠って気持ちを切り替えた方が良い。
私は寝室に向かい、ベッドに入った。
この話で第一章完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。