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次の時刻は約38年後の西暦2108年9月10日午後2時00分。暦の上ではとっくに秋になっているが、まだまだ夏の暑さが残る晴れた昼下がりの事。妖怪の山と連なる深い森で覆われたとある山の中腹に、唯一空が開けている広場があった。とは言っても、人間がハイキング気分で来れるような登山道はなく、妖怪の山付近ともあって野良妖怪もあまり訪れようとしないので、〝広場″と言うより、〝秘境″と例えた方がしっくりくるだろう。
そんな秘境では今、少し前から二人の人ならざる者が戦いを繰り広げていた。片や、道場着にも似た服に着替えた可憐な少女。名は博麗霊夢。片や、顔が覆い隠される程の漆黒のローブを纏い、人の背丈ほどもある大鎌を両手に持つ不気味な死神。是非曲直庁から派遣された彼は、100年目の仙人の命を刈りに彼岸からやってきたのだ。
『――』
声なき声で威圧する死神は、彼女目がけて突進し、その勢いのまま巨大な鎌を薙ぎ払うが、博麗霊夢は後ろに大きく飛びのきながら躱し、手の平から豆粒ほどの小さな霊力弾を連射する。死神は足を止め、胸を隠すように両腕でガードした。
『はあっー!』
その隙に地面を強く蹴り、死神の懐に飛び込んだ博麗霊夢は、霊力を込めた右腕で顔面目掛けて殴りかかったが、死神はそれを体を捻るように躱した後、流れるように大鎌を振り上げる。博麗霊夢はその刃を霊力で保護した左肘で受け止め、空いた右腕で死神の脇腹を殴打、刃が離れた所で、左足を軸に回転しながら回し蹴りを側面に当て、死神を大きく吹き飛ばす。
顔から地面に叩きつけられた死神はすぐに起き上がり、言葉にならない咆哮をあげ、鎌をしっちゃかめっちゃかに振り回しながら博麗霊夢へと突撃する。彼女は刃の軌道を読みながら右に左に冷静に躱して行き、隙を見ながら、死神の体に一撃ずつ、的確に拳を当てていく。何度も繰り返していくうち、体にじわじわとダメージが蓄積されていった死神は、徐々に動きが鈍り始め、遂には膝をついた。
それをチャンスと見た博麗霊夢は、すぐさま霊力を練り上げていき、自らを奮い立たせるような掛け声と同時に、巨大な霊力弾を発射。防ぐ間もなく、正面から諸に直撃を食らった死神は、うめき声をあげながら地面に突っ伏した。
死神が倒れてからも、博麗霊夢は警戒を解かずにずっと相手の出方を伺っていたが、どれだけ待ってもピクリともしない死神を見て、彼女は戦闘態勢を解除し、大きく息を吐いた。
『ふう~、これで試練は終わりかな』
『お~い霊夢ー!』
頃合いを見計らって、空からずっと戦いを見守っていた霧雨マリサが博麗霊夢の隣に降りて来た。
『どうやら終わったみたいだな。怪我はないか?』
『全然平気よ。華扇が『彼らは非常に狡猾で、心の隙間を突いた精神攻撃を多用してきます。心身共に鍛え上げなければ勝てない強敵です』って警告するくらいだからどんなものかと思ってたのに、こんなあっさり勝っちゃって拍子抜けだわ』
『傍から見ればまるで大人と子供のような実力差だったからな。全く、大したもんだぜ』
前回の歴史では、霧雨マリサに負い目を感じ、死神が創り出した彼女の幻覚に囚われ、危うく彼女の元に逝きそうになった博麗霊夢だったが、霧雨マリサが健在で、関係が良好である現在の歴史では、死神を終始圧倒し、かすり傷一つ負わずに勝利を収めていた。
『だけど私疲れたわ。ねえマリサ、後ろに乗せてって~』
『やれやれ、しょうがないなぁ』
『やった!』
博麗霊夢が意気揚々と霧雨マリサの箒の後ろに跨ると、『それじゃ行くぜー! 振り落とされるんじゃねえぞ!』と、人里の方角へすっ飛んで行く。『きゅ、急に飛ばしすぎよ~!』と、悲鳴にも似た博麗霊夢の声がこだました。
そうして、先程までの戦闘が嘘のように元の静けさを取り戻した所で、小野塚小町が木の影から姿を現すと、彼女は倒れている死神の傍まで歩いていき、それを見下ろしながら言った。
『……やれやれ、まだまだ駆け出し仙人の癖に、こんなあっさり倒してしまうとはねえ。将来が恐ろしい』
同族の死にさして感慨に耽る事もなく、先程の光景に感嘆の句を漏らす。博麗霊夢と霧雨マリサは全く気づいていなかったが、小野塚小町は少し離れた木の上から、戦闘の一部始終をこっそりと観戦していた。
『さて、私も帰ろうかな。四季様にも報告しておかないと』
そう呟き、彼岸へと帰っていった。
同日午後2時30分、是非曲直庁のとある一室、閻魔に割り当てられた部屋で書類仕事を行っていた四季映姫の元に、小野塚小町が訪れた。
『ただいま帰りました!』
『おかえりなさい。首尾はどうでしたか』
『ええ。霊夢は
そう前置きして、つい先程起きた出来事を仔細なく報告していく。四季映姫は彼女の話を聞きながら、業務日誌にすらすらと書き連ねていった。
『――と、言う訳でして。まるで赤子の手をひねるような戦いでしたよ』
『ふむふむ、ご苦労様でした。事後処理については此方で手続きを済ませておきます。もう持ち場に戻っても良いですよ』
『そ、それだけですか? もうちょっとこう、ご褒美とか、お休みとかあってもいいじゃないですかー!』
『…………』
『す、すぐに戻ります! 失礼しました!』
不満をあらわにした小野塚小町だったが、上司の刺すような視線に身震いを感じ、逃げるように部屋を退室していった。
1ヶ月後の10月10日午後4時00分。場所は再び是非曲直庁の同じ部屋。
『お呼びでしょうか、四季様』
ノックしてから部屋に入ってきた小野塚小町は、四季映姫が座る窓際のデスク近くまで歩いていく。
『来てくれましたね小町。実はね、貴女に聞いておきたいことがあるの』
『な、なんでしょうか! 今日は真面目に仕事してますよ!』
『今日は? …………まあ、いいです。今からちょうど1か月前の9月10日、幻想郷のとある山で、霊夢と我々が差し向けた死神が戦った事、覚えていますか?』
『えぇ、ばっちり覚えてますよ。何せこの目で見た事ですから。いやぁ、歴代最強とまで謳われた元博麗の巫女の力は、末恐ろしいものがありましたねぇ。このまま修行を怠らなければ、彼女は1000年でも2000年でも生き続けるでしょうね』
ヘラヘラとしながら喋る小野塚小町は、『それがどうかしたのですか?』と訊く。
『…………』
『四季様?』
四季映姫は顎に手を当て、机の上に広げられた業務日誌を睨みつつ思案していた。その沈黙に小野塚小町は、もしかしたら自分は何か怒らせることを言ってしまったのではないかと、段々不安に感じ始めていた。
『あ、あの~……』
『今から二時間ほど前です。この部屋でいつものように書類仕事をしていた際、急に先月の十日の出来事が気になって、先月の業務日誌を振り返っていたのですが……』
そう言って、四季映姫は小野塚小町の手前に業務日誌をひっくり返すと、『ここの行に『博麗霊夢は我々が差し向けた刺客をいとも簡単に撃退した』と記されているのですが、私にはどうにも引っかかる』と指をさす。
『と、言いますと?』
『既視感とでも言うべきでしょうか、魚の小骨が喉に刺さっている時のような気持ち悪さが頭の片隅にあるのです』
『はぁ。それはいつごろからで?』
『二時間ほど前からです。何かを思い出しそうで思い出せない、このモヤモヤ感を解消しなければ仕事に集中できません。なので、貴女にもう一度話を聞く為に呼んだわけです』
『なるほど、そういうことでしたか。取り敢えず此方を拝見しますね』
『お願いします』
小野塚小町は業務日誌を手に取り、開かれたページに目を通していく。時計の音だけが聞こえる静かな部屋。読み終えた小野塚小町は四季映姫に返して言った。
『一通り読んでみましたけれど、特に違和感はありませんでした。私が話した要点をきちんと纏めて書かれてますし、記録としての不備はありません』
『……』
『お言葉ですが四季様。よく昔から、忘れるような出来事は大したことない、とも言いますし、四季様も〝これ″ではありませんか?』
『そうだと良いのですが……』
難しい顔で業務日誌を見る四季映姫は、少し考えてからこう言った。
『やっぱりどうしても気になります。次の休日に霊夢の元を訪れましょう。小町も来てくれますね?』
『はぁ。別に構いませんが』
『そうと決まればすぐに仕事を片付けないといけませんね。小町、貴女も頑張るのですよ』
『……はい』
やる気満々の四季映姫とは対照的に、うなだれている小野塚小町だった。
――西暦2108年10月12日午後4時20分――
四季映姫が強引に仕事を切り上げ、小野塚小町と共に博麗霊夢の自宅を訪れたのは二日後の午後4時20分のことだった。
『この家で間違いありませんね?』
『はい。寺子屋の先生や子ども達がそう話していましたし、間違いないでしょう』
二人は人里外れ、背後が森となっている位置に建つ簡素な住宅を見上げている。
『『霊夢様、霊夢様』と、人々から随分慕われているみたいねぇ』
『彼女は珍しく〝人間側″の妖怪ですからねぇ。これまでに起きた数々の異変からも人間達を守ってきましたし、博麗の名は伊達じゃないってことでしょう』
『人間と妖怪では善行の定義が変わってきます。閻魔の立場としては、彼女が巫女だった頃に善行を重ねていれば、と思ってしまいますね』
そんなことを口にしつつ、四季映姫は呼び鈴を鳴らす。清涼な音が家の中に響き渡り、畳の上で座布団を枕に寝転がっていた博麗霊夢は、重い腰を上げて玄関へと歩いていき、扉を開けた。
『は~い、どちらさまー?……うげっ、あんたは!』
『人の顔を見るなり失礼な態度ですね。そもそもあなたは日頃から礼節を欠いてる節がある――』
『ふん、わざわざ私の自宅まで押しかけて、そんな説教をしに来たのかしら? あいにくだけど間に合ってるわ』
『四季様、ここは抑えてください。今日は彼女に用があって来たのでしょう?』
『むむ、そうでした。霊夢、玄関先で構いませんので、少し話してもよろしいかしら?』
『……何よ? 手短に頼むわね』
『先月の10日の事です。貴女は我々が派遣した死神と戦いましたよね?』
『そうだけど、何? まさかアイツに代わってあんたが命を狙いに来たのかしら?』
『私は閻魔で小町は三途の川の船頭。そもそも〝管轄″が違いますから、貴女の命を狙う理由はありません』
目を見てきっぱりと言い切る四季映姫。その目に噓偽りがなさそうだと判断した博麗霊夢は、警戒心を解いた。
『……どうやらそのようね。で? 回りくどい事言ってないで、はっきりと言いなさいよ』
『小町の報告によると、貴女は死神に無傷で圧勝したと聞いていますが……それは本当でしょうか?』
『それがどんな報告なのかは知らないけど、それは事実よ。ほら、この通り』
四季映姫と小野塚小町の前で博麗霊夢は両手を広げて見せ、自分の体をアピールした。寝転がっていたこともあり、彼女が着ているレース入りの暖色系の着物は折り目としわが出来ていたが、それ以外の露出している肌は傷一つなかった。
『ほほぅ、確かに綺麗な肌ですね』
『私にはどうしてもやらなきゃいけない事があるの。あんな奴になんか負けてられないわ』
『……そうですか。私から聞きたいことは以上です、ありがとうございました』
四季映姫が頭を下げ、博麗霊夢は扉を閉じた。
『何か掴めましたか四季様?』
『良く分かりません。霊夢と話せば話す程、言葉にできない違和感が増しますね。例えるなら、完全な物の不完全な部分を探すような矛盾。こんなことは初めてです』
四季映姫はバツの悪そうな顔をしている。
『どうします? 今度はマリサに話を聞きに行きますか?』
『……いえ、もう結構です。あくまで私の勘ですが、この現象についてこれ以上考えてもどうしようもない気がします。貴女や当事者の霊夢が記録の正確性を証言してしまった以上、私の思い違いと考えるのが筋というものです』
『はぁ、そうですか』
『いずれ来るべき時が来れば解決するかもしれませんが、それは栓無き事です。……さて、帰るとしましょうか。小町』
そう言って歩き出そうとする四季映姫の前に小野塚小町が回り込み、『まあまあ、今日の仕事はもう終わった事ですし、そんな焦って帰ることもないじゃないですか。せっかく現世に降りて来たことですし、ちょっとお茶でもしていきましょうよ。私、いいお店知ってますよ』と誘いをかけた。
『……それもそうですね。では案内お願いしますね』硬い表情だった四季映姫は、小野塚小町の自然な笑顔につられるように微笑んだ。
『お任せください!』
人里の方向へとスキップする小野塚小町と、マイペースに後をついていく四季映姫の背中が徐々に遠ざかっていくところで、映像は終了した。
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「この時間の彼女が感じていたのは、古い歴史の記憶の残滓。本来覚えている筈のないもの。完全に忘れなかったのは、閻魔としての能力なのかしら? それとも……」
西暦2108年の観測を一通り終えた女神咲夜はここで言葉を切り、考え込んでいたが、「とはいえ、彼女の記憶は決定打にならない。歴史は収束し、大きな変化には至らないでしょうね」と結論付けた。
「さて、次の観測時刻は西暦2151年4月19日、午後4時35分。後に博麗の巫女となる杏子の母親が霊夢に助けられる時間だけど、この出来事は以前の歴史と全く同じだから観なくてもいいわね。となると次は……」
砂嵐になった透過スクリーンは徐々に鮮明になり、はっきりと物を映す。そこには自宅も兼ねた工房内で、雑多に散らかる機械や工具に囲まれ、箱のような物に向かって機械いじりをする河城にとりの横姿が映されていた。
「なるほど。さて、次に現れる記憶の証人は、この歴史にどんな変化をもたらしてくれるのかしらね?」
女神咲夜は、期待の眼差しで河城にとりを見据えていた。
今回の話は第129話『霊夢の歴史⑧』第130話『霊夢の歴史⑨』を見返すと違いが分かりやすいかもしれません