魔理沙のタイムトラベル   作:MMLL

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第163話 霊夢とマリサの歴史⑫ 彼女達の記憶

 翌日の9月21日午後6時25分。時の回廊を塞ぐ透過スクリーンは十字に分割され――といっても、元が元なので充分すぎるほどの大きさなのだが――それぞれ別の箇所を同時に映していた。

 左上の画面には、紅魔館の地下一階の大図書館で、魔道具などが雑多に置かれた机の前に座り、魔導書を広げているパチュリー・ノーレッジ。

 右上の画面には、同じく紅魔館一階の厨房で、夕食の準備の為、せわしなく動く妖精メイド達に交じって働く十六夜咲夜。

 左下の画面には、魔法の森のアリス邸二階、二架の本棚と無数の西洋人形に囲まれた薄暗い部屋の中、卓上スタンドに照らされた木製の作業机に向かい、マネキンに命を吹き込むアリス・マーガトロイド。

 右下には、人里外れの森近くに建つ博麗邸一階奥の引き戸の先、正面には鬱蒼と茂る森を覗けるガラス窓、右手に木目のタンス、左手にはお祓い棒や陰陽玉が並べられた細長いテーブル、背後には押入れに繋がる襖に囲まれた生活感ある部屋で、座布団に姿勢よく正座し、両膝の上に親指と人差し指で輪っかを作り、目を閉じる博麗霊夢が映し出されていた。

 1秒、10秒、1分と刻々経過していくが、読書に夢中のパチュリー・ノーレッジや、人形制作に集中しているアリス・マーガトロイドには目立った変化はなく、博麗霊夢に至っては微動だにしていなかった。他方で、厨房に立つ十六夜咲夜はテキパキと妖精メイド達に指示を出していく。

 

『いい? 貴女は冷凍庫の肉の下処理、そこの貴女は野菜を適当なサイズに切るのよ? そっちの貴女はいつものレシピ通りにブラッドソースを作ってちょうだいね』

 

 そして自らも、妖精メイド達が下ごしらえした材料をフライパンで熱し、手際よく調理を進めていった。

 思い思いの時間が過ぎていき、その時刻が午後6時30分になった瞬間、彼女らの身に異変が降りかかる。

 

『『『『!』』』』

 

 パチュリー・ノーレッジは頭がガクリと下がり、机に突っ伏しそうになった所を左腕で抑え、アリス・マーガトロイドは針と糸を落とし、作業机に肘を付きながら頭を抱え、博麗霊夢は体勢はそのままに、僅かに顔を顰め、ふらついて力が抜けた十六夜咲夜の手からはフライパンが滑り落ちてしまい、反射的に懐中時計に手を伸ばす。ひっくり返ったフライパンから、水しぶきのように散らばった半生の食材が空中で固まっていた。

 

『これは……』

 

 左手をおでこに添えたまま、自らの身に起きた異変におののく十六夜咲夜。実はこの時、彼女らの身に同時多発的に軽い頭痛と眩暈が降りかかっていた。

 

『記憶?……魔理沙? そんなまさか、でも……』

 

 しばらく当惑していた十六夜咲夜だったが、次第に事態を飲み込み始め、『もしあの場にいた全員に起きているのだとしたら……よしっ』と拳を握り、空中で散らばったまま時が止まっている半生の食材を、一つずつ地道に菜箸で掴んでフライパンに戻し、ひっくり返る前の状態へと戻す。

 その後も時を止めたまま厨房内をせわしなく動きながら、一度は妖精メイド達に任せた仕事を一つずつ自分の手で行い、料理を完成させていく。

 

「〝私″って働き者ねえ。あぁ、何もかもが懐かしいなぁ」

 

 世界の時が止まっても、独立した時が流れる時の回廊からの観測には何の支障もない。女神咲夜は人だった頃の自分と重ね、感慨深そうに見守っていた。

 

『……よし。これで完成ね』

 

 やがて調理を終え、盛りつけと配膳準備まで行った十六夜咲夜は、再び時を動かした。

 

『あれ~?』

『わたしの野菜が消えちゃった』

『あ! もうご飯が出来てる!』

『私が作っておいたわ。良い? 私はちょっと所用ができたから持ち場を離れるけど、貴女達がお嬢様とフラン様にお給仕するのよ?』

『はーい!』

『任せてください、メイド長!』

 

 元気よく返答した黒髪と緑髪の妖精メイドは、夕食が乗ったシックなデザインのサービスワゴンを押しながら厨房を出て行った。

 

『残った貴女達は後片付けをしておきなさい』

『はいっ!』『すぐに取り掛かります!』

 

 指示を受けた4人のメイド妖精は洗い場へと向かって行った。

 

『さて、と』

 

 十六夜咲夜はまたもや時を止めて大図書館へと移動し、普段利用している大机の前で、左手で頭を支えるポーズで座っているパチュリー・ノーレッジの隣で立ち止まった。それによって、透過ディスプレイの仕切りが十字からT字に変化していた。

 十六夜咲夜は姿勢を正し、一度咳払いをしてから時を動かした。

 

『パチュリー様』

『咲夜?』

『随分と辛そうですが、ご気分はいかがですか?』

『少し眩暈がしただけよ。それよりも、私はマリサの家に居た筈だけど、いつの間にここへ戻って来たのかしら』

『……私の記憶の限りでは、パチュリー様は一日ここに居ましたよ』

『そう……なの、ね』落胆したパチュリー・ノーレッジは、『今のは夢だったのかしら』と、十六夜咲夜が辛うじて聞き取れるくらいの小声で呟いた。

『パチュリー様、実は私もつい先程まで、マリサの家で二人の魔理沙と話していた、身に覚えのない記憶がございます。そこにはパチュリー様以外にも、霊夢やアリス、八雲紫と古明地こいしも居ました』

『それって……! じゃあ、これは貴女がいつか話していた魔理沙の……』

『あの場に居た私達の記憶が復活したのであれば、きっと霊夢やアリスも同じ経験をしているのではないでしょうか』

『なんてことなの……!』

 

 静かに驚くパチュリー・ノーレッジ。他方でアリス・マーガトロイドと博麗霊夢が映る画面にも、変化が生じていた。

 

『なに、この記憶……まさか、これが、100年前にマリサが話していた、未来の、記憶……』

『……魔理沙!』

 

 アリス・マーガトロイドは、俯く頭を両手で抑え、震える声で呟き、博麗霊夢は神妙な面持ちですっくと立ち上がり、靴も履かずに窓を開けて飛び出していった。

 場面は再び紅魔館の大図書館に戻る。

 

『行きましょうパチュリー様。真実を確かめるために』

『そうね』

 

 頷いたパチュリー・ノーレッジは立ち上がり、『小悪魔、少し出かけて来るから留守番お願いねー!』と明後日の方角に叫び、十六夜咲夜と一緒に出入り口へ向かって行く。『かしこまりました~』と、彼女らの背中から返事がした。

 魔法の森の空を飛ぶ博麗霊夢、紅美鈴と一言二言会話を交わし、霧の湖を飛ぶパチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜。他方で、作業机に転がる作りかけの人形を見下ろしたまま、思案していたアリス・マーガトロイドは顔を上げ、決意に満ちた目で口を開く。

  

『……私も向き合わないといけないわね。彼女に』

 

 席を立ったアリス・マーガトロイドは部屋から出て階段を降り、玄関から外に飛び立っていく。

 満天の星の幻想郷を飛びつづける四人の少女、彼女らは皆、示し合わせたように霧雨邸へと向かっていた――。

 

 

 

 それから少し遡り、同日午後6時20分。一画面に戻った透過ディスプレイには、自宅のソファーに浅く腰掛け、猫背の体を膝に付いた両腕で支える霧雨マリサが映っていた。

 彼女の目の前の長テーブルには、現在時刻を伝える置時計と、壁から剥がされた215X年のカレンダーが並べられている。今月のページが開かれ、22日に赤ペンで2重丸が付けられていた。

 

『……いよいよ明日か。200X年9月5日から215X年9月22日――長かったな』

 

 神妙な表情でぽつりと漏らす霧雨マリサ。静寂に包まれる部屋の中、彼女はこの150年間を振り返っていた。

 

『…………』

 

 彼女の頭の中はおもちゃ箱がひっくり返ったような賑わいを見せていたが、客観的に見れば虚空を見つめながら無言でソファーに座っているだけ。時の概念の象徴たる女神咲夜といえども、霧雨マリサの思考は読めず、変わり映えのしない映像を思慮深く再生し続けていた。

 変化が訪れたのは、時計の長針が十に近づく頃だった。

 

『やっほー! マリサいるんでしょ~?』

『!』

 

 玄関の扉が唐突に開け放たれ、博麗霊夢が先陣を切るように上がりこむ。霧雨マリサは意識を戻し、声のした方角に顔を向けた。 

 

『ちょっと霊夢、勝手に入っていいの?』

『気にしなくていいのよアリス。いつもやられてるお返しよ。ねえ見て。マリサの間抜けな顔』

『クス、相変わらず仲が良いのね』

『咲夜~、ここは私じゃなくてマリサに笑うとこでしょー?』

『こんにちは、いえ、今の時間だとこんばんはかしら?』

 

 博麗霊夢の後から話し声と共に現れたのは、アリス・マーガトロイド、十六夜咲夜、パチュリー・ノーレッジの三名だった。

 

『お、お前ら、こんな時間に揃いも揃ってどうした?』

 

 困惑している霧雨マリサ。四人の少女はアイコンタクトを交わし、博麗霊夢が一歩前に出て口を開く。

 

『実はね、私達は今日の記憶、別の歴史の魔理沙が過去改変する前の記憶を取り戻したのよ』

『記憶を取り戻したって!? 詳しく話を聞かせてくれ』

 

 博麗霊夢は霧雨マリサの隣に座り、記憶が復活した時の事を仔細に話していき、次いで正面に座るアリス・マーガトロイド、パチュリー・ノーレッジ、十六夜咲夜もその時の状況を語っていった。

 

『――と、いうわけなのよ』

『……そうか。お前らも思い出したんだな。てっきり私だけだと思ってたけど、もう1人の〝私″はこれを予想していたのか……』

『ところで魔理沙、いえ、別の歴史の貴女は何処にいるの?』

『そういえば見当たらないわね』

『あぁそうか。咲夜とパチュリーには言ってなかったっけ。あいつが帰って来るのは明日の正午だ』

『明日?』

『だから貴女一人しかいないのね』

『ああ。それでな? あいつに会ったら――』 

 

 互いに話し合い、時間旅行者霧雨魔理沙が帰って来る時間に合わせて再度ここに集まることを取り決め、解散となった。

 お嬢様が心配だから戻るわ、と言う十六夜咲夜と一緒に帰っていくパチュリー・ノーレッジ。また明日ね、と言って別れるアリス・マーガトロイド。二人っきりになったリビングで、博麗霊夢が口を開いた。

 

『マリサはさ、100年前に記憶が蘇ったあの日のこと、まだ覚えてる?』

『当然だ。今の私があるのも全てアイツのおかげなんだ。あの時の決意は今も変わらないぜ』

 

 霧雨マリサは落ち着いた声で、博麗霊夢の目を見ながらはっきりと頷いた。

 

『こうしてアイツと同じ150年の時を歩んで分かった。雨の日も雪の日も、私が遊んでいた時も苦しかった時も、ひたすら時間移動の完成を目指して研究し続けた執念。正直な話、もし私がアイツだったら、同じように霊夢を助けることができたかどうか……』

『マリサ……』

『だからさ、アイツが帰ってきたら、私に構わずアイツのことを受け入れてやってくれ。頼む』

『――ええ、もちろんよ!』

 

 しおらしい態度で頭を下げる霧雨マリサから斟酌(しんしゃく)した博麗霊夢は、優しくも儚い笑顔を浮かべていた。

 

『でも貴女も同じマリサなんだから、それを忘れないでね?』 

『……ああ』

 

 心配している博麗霊夢に対し、霧雨マリサは重々しい声色で顎を下げた。

 

『また明日ね、マリサ』

 

 軽く手を振って、博麗霊夢は自宅に帰って行った。

 

『どうやら話が終わったみたいね』

 

 余韻に浸る間もなく、先程までアリス・マーガトロイドが身を預けていた座席に八雲紫が出現した。

 

『……紫、来てたのか』

『今までの話は全て聞かせていただきました。明日は影から見守らせていただくわ』

『なんでだ? 普通に出迎えてやればいいだろ』

『流石に貴女達の関係に割って入る程、空気が読めない女ではありませんわ。それはきっと彼女も同じことでしょう。ふふ』

『彼女?』

 

 霧雨マリサが首を傾げたその時、目の前のテーブルに一枚のメモが出現する。そこには可愛い文字でこのように綴られていた。

 

『『明日は頑張って! 皆の無意識の中から見てるからね~!』か。やれやれ、変に気を回さなくてもいいのに』

 

 霧雨マリサは呆れながら、メモ用紙をテーブルに置いた。

 

『つーかよくこいしに気づいたな? 私は全然分からなかったのに』

『彼女はあくまで無意識的な存在。魔法や能力で姿を消している訳じゃない。自らの無意識とは違った無意識的な違和感があれば知覚できるのよ』

『なるほど、分からん』

 

 霧雨マリサは肩を竦めていた。

 

『ところでマリサ。貴女は知ってる? 玄武の沢にこんなものが出現したらしいの』

 

 霧雨マリサの膝元にスキマが現れ、文々。新聞の一面記事が落とされる。それには〝昨日″出現したばかりの宇宙飛行機が掲載されていた。

 素早く目を通した霧雨マリサは、記事をテーブルの上に広げた。

 

『これは今日の朝刊だな。へぇ、もうあの乗り物が記事になってんのか』

『その様子だと既に知ってたみたいね。何故突然あんなものが現れたのか、気になってこっそり調べて来たんだけどね、あの宇宙飛行機には私の能力の一部が使われていたのよ』

『お前の能力って、境界を操る程度の能力だろ? 外の世界の乗り物っぽいのにそんなことが有り得るのか』

『ここ最近外の世界と繋がった形跡はなかったし、間違いなく貴女ではない魔理沙の仕業でしょうね。あの河童は頑なに口を割ろうとしないし、貴女ではない魔理沙が、貴女の言う古い歴史で何をしたのか、私は知りたいの』

『まあそれは気になるな。にとりの奴、未来の幻想郷が滅亡するとか言ってたし』

『幻想郷が? ふふ、貴女ではない魔理沙にまた一つ訊きたいことが増えたわ』

 

 謎めいた笑みを浮かべる八雲紫は続けてこう言った。

 

『そういう訳だから、貴女ではない魔理沙が帰ってきた時、私がこの事を問いただす日まで、別の時間に行かないように協力してもらえるかしら?』

『……やれやれ、随分と人気者だなもう1人の〝私″は。分かったよ』

 

 満足そうに頷いた八雲紫は、そのままスキマの中に消えていった。

 再び誰も居なくなったリビングで、霧雨マリサは自分の体を背もたれに委ね、天を仰ぐ。時刻は既に夜の8時を回っていた。

 

『明日が楽しみだな……ふふっ』

 

 霧雨マリサは口を歪ませながら、次の日に思いを馳せていた。

 

 

 

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「ふむ、なるほどね。にとりの記憶に霊夢達の記憶。実に興味深いわ」

 

 観測時間が時間旅行者霧雨魔理沙の跳躍先に追いつき、博麗霊夢と霧雨マリサに関する150年分の観測が完結した。

 

「マリサが人間のままだった歴史と比べると、霊夢とマリサの間に目立った確執や怨恨もなし。魔理沙が上手く立ち回ったことで、彼女達の絆がより強固になったようね」さらに「幻想郷の歴史も確固たるもの、外の世界も相も変わらず回っている。大局的に見ても魔理沙が理想とする歴史ね」と、時間旅行者霧雨魔理沙が確立した歴史を総括した。

 

 そして女神咲夜は切り替わった映像、西暦215X年9月22日正午、霧雨邸の前で並ぶ五人の少女が、徐々に出現しつつある時の魔方陣を見下ろすシーンに注目する。

 

「はてさて、元の時間に戻って来た魔理沙は、〝霧雨魔理沙(マリサ)″が居る世界で、自分とどのように向き合うのかしら?」

 

 大いなる期待を感じながら、女神咲夜は時間旅行者霧雨魔理沙の行く末を見届けようとしていた。




今回の話で二か月近く続いた『霊夢とマリサの歴史』と題した話は完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
次回、第4章エピローグになります。

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