――side 魔理沙――
――――西暦215X年9月22日正午――――
(ん……)
私を包みこむような生温い風と草木の匂い。僅かな高揚感を得ながら目を開けると、天高く昇る太陽に澄み切った青空に、亀のような遅さで飛ぶ雲。ごちゃ混ぜになっていた季節は夏から秋へと移り変わりつつあり、確かな時間が流れていた。
「魔理沙!」
私を呼ぶ高い声に、視線を落として振り返る。
纏め上げた黒髪を赤色の蝶リボンで留め、桜色の生地に、真白の百日草や赤色のゼラニウムなどの、鮮やかな花々が身丈全体に織り込まれた着物を、黄色の菊の花がデザインされた紅色の帯で巻き、白色の足袋に、緋色の鼻緒がアクセントとなっている黒塗りの下駄を履いた少女が、私の手の届く距離で微笑んでいた。
その少女の名は博麗霊夢、私の唯一無二の親友だ。
「おかえりなさい、魔理沙」
「――ただいま、霊夢」
屈託のない笑みを浮かべ、優しい声で腕を伸ばす彼女に惹かれるように、私は霊夢と固く抱き合う。言葉数が少なくとも、彼女の気持ちを肌で感じとっていた。
「よう、150年ぶりだな」
霊夢との再会を喜んでいた時、彼女の後ろからよく聞き覚えのある声がした。霊夢の肩に顎を乗せるようにしてそっちを見れば、無邪気な笑顔を貼り付けた私ではない〝私″、霧雨マリサの姿があった。
「おかえり魔理沙~!」
「お疲れ様」
「待っていたわよ」
さらによくよく見てみれば、上海人形と蓬莱人形を肩に乗せたアリスと、日傘を差した咲夜に相伴するパチュリーまでもが、自宅の前で私を待っていた事に気づく。
「マリサ! それにみんなも来てくれたのか!」
「貴女が来ることを昨日思い出して、今日ここで集まろうって約束したのよ」
「!」
出発前、昨日の出来事について記憶の継承が起きるかもしれない、と思い約束の日付を一日ずらしたが、どうやら私の目論見は当たったらしい。アリス、咲夜、パチュリーは、私に特に驚いた様子もなく、清々しい顔で私を見つめていた。
「お前とは色々と積もる話がある。中でゆっくり話そうぜ」
「行きましょう、魔理沙」
「ああ」
私から離れた霊夢に頷き、マリサの先導の元、私達は自宅へと移動した。
150年経っても全く間取りが変わらない私の家――マリサの家と言った方が正しいか――は、マリサ現存の影響か、以前までの歴史のような、西洋人形とパッチワークに囲まれたファンシーな内装ではなく、シックなインテリアが際立つ落ち着いた部屋に戻っており、足の踏み場もない程に散らかっていた150年前に比べると、生活感を思わせる程度には片付けられていた。
さて、リビングの広い所に置かれた長テーブルと二脚のソファーへ移動した私達は、左から順に私、霊夢、アリス。長テーブルを挟んだ対面のソファーにはマリサ、パチュリー、咲夜の順に座った。
今の状況をもう少し詳しく説明すると、私達の背後にはそれなりに空いた空間があり、奥には二階へと続く階段、右側にはキッチン、左側の近い所には木目の壁と窓、正面のマリサ達が座るソファーの二歩奥の壁際には、謎のオブジェが並べられた存在感溢れる木枠の棚が設置されていた。
そして長テーブルの上には、咲夜とアリスが用意した紅茶セットが人数分置かれており、私がそれをじっくり味わいながら一息つく一方で、紅茶を一気に飲み干したマリサは、ティーカップをソーサーに置いて切り出した。
「――さて、何から話したもんかな。なんせ150年だからな。思い出を語るには、あまりにも長すぎる」
「色々とあったもんねぇ」
「そうだよなぁ。150年前といえば異変で夢を通じて月に行った事もあったし、霊夢が引退してすぐの頃、新しい博麗の巫女と一緒に『完全憑依現象』や、四季が一度に訪れた異変も解決したっけ」
「あったあった! 後任の子の初仕事だったし、心配でこっそり見に行っちゃったのよね~」
「懐かしいなぁ。今の時代と比べると、2000年代は異変がひっきりなしに起こってたな」
「紫も異常な頻度だったって言ってたわね」
「ここ数十年はめっきり平和になっちゃって、お嬢様も退屈だと嘆いていたわ」
「聞いた話だと、あまりに平和過ぎて、一度も異変が起きずに引退した博麗の巫女も居たらしいじゃない?」
「私は騒がしいのは好みじゃないし、今の幻想郷の方が好きよ」
「んじゃさー、いっそのこと、私達がなんか異変を起こしてみるか?」
「いいわねそれ! いつも解決する側だし、面白そうじゃない!」
「やめなさいって。マリサはともかく、霊夢が異変の首謀者になったら、今の博麗の巫女が解決できなくなるでしょ?」
「……ふふっ、冗談よ。私は〝博麗″なのよ? そんなことしないわ」
「今、一瞬間があったけど、割と本気で考えてなかった……?」
彼女達は思い出話に花を咲かせていたが、あいにく自分の知らない出来事ばかりなので何とも反応しようがない。会話が切れる頃合いを見計らって口を開く。
「思い出話もいずれ聞きたい所ではあるが、まずは現在の歴史が、改変前に比べてどのように変化したのか知りたいんだ。幾つか質問させてくれ」
「ははっ、それもそうだな。いいぜ、何でも聞いてくれ」
上機嫌で答えるマリサに、私以外の全員が頷いた。
「じゃあまず一つ目の質問だが、お前は真の魔法使いになったんだよな?」
「もちろん。今ここに私が居ることが、それを証明してるぜ」
マリサはおもむろに立ち上がり、自分自身を指さしてから再び席に着いた。
「200X年の9月5日にお前と別れた後、私は霊夢に9月4日の宴会でのことを謝りに行ってさ、その時に150年後の出来事――今の時間から見たら〝古い歴史の昨日″か、それを話してさ、人間を辞めて、真の魔法使いになることを霊夢に打ち明けたんだ」
「あの時はマリサにどう謝ればいいのか分からなかったから、あっちから来てくれてホッとしてる。……貴女には迷惑をかけちゃったみたいね。ありがとう」
「気にするな霊夢。私もマリサへの思慮が足りていなかったからさ」
まさかあの時はこんな事になるとは思っていなかった。過去や未来に行けても先の歴史を読むのは難しいと、つくづく実感させられる。
「それでな? その日の午後に霊夢と別れて紅魔館に行ってさ、捨虫と捨食の魔導書を借りて、二週間で真の魔法使いになったんだぜ」
「結構あっさり魔法使いになったんだな?」
「私ももっと難しいのかと思ってたんだけど、意外と簡単だったもんで拍子抜けだったぜ」
「今でもマリサはたまに家に来るけど、結局何十年経ってもまともに借りに来ないのよねぇ。ま、死ぬまで借りるとか言ってた頃よりかはマシだけど」
得意げに話すマリサとは対照的に、パチュリーは憮然とした様子で話していた。
「二つ目の質問だ。お前らはさっき『記憶を思い出した』って言ってたけど、もっと詳しく聞かせてくれないか」
少し身を乗り出し、端っこに座るアリスや咲夜を見ながら問いかける。まず口を開いたのは咲夜だった。
「昨日の午後6時30分頃、お嬢様方の晩御飯を作っていた時に、いきなり頭の中に体験したことのない出来事が流れ込んできたのよ」
「タイムトラベラーの貴女とは今日初対面の筈なのに、昨日150年前から連れて来た人間のマリサを貴女と一緒に説得したという記憶。まるで本の中に入り込んだような、不思議な感覚だったわ」
「私はその時自宅で人形の制作に取り掛かってたから、手を滑らせて危うく作りかけの人形を駄目にするところだったわ」
「瞑想中に突然記憶が甦った時は驚いたけどね~、すぐに自分の記憶と照らし合わせて、ここが新しい歴史なんだって理解したよ」
「過去が変われば今が変わる。昨日貴女が話していた言葉を身をもって体験したわ」
「不思議なものねぇ」
「ついでに言ってしまえば、私は華扇の元で修行を積んでちゃんと仙人になったし、咲夜も見ての通りレミリアの眷属になってる。ちょっと日時や順序は変わったけど、その点は前の歴史と同じ流れよ」
「そうか……!」
彼女らがこの時代に居る時点で薄々と気づいていた事だが、こうして太鼓判を押されたことで安心感が強まる。マリサの歴史を変えたことで、また別の誰かが無念の死を遂げる――みたいな、悲劇の繰り返しはやりきれない。
「記憶と言えば、去り際に言ったお前の予想は当たったぜ。100年前の1月30日、私は人間だった頃の記憶、お前の言う〝古い歴史の私″の記憶を思い出したんだ」
「! その日って確か、マリサの命日じゃないか」
マリサはこくりと頷いて「あの時はかなり驚いたぜ。まるで身に覚えのない出来事が走馬灯のように次々と駆け巡ってさ、あまりの情報量の多さに意識が飛んじまったぜ」
「その時私がここで倒れているのを偶然見つけたの。あの時は心臓が止まりそうになったわ」
「はは、そういえばそんなこともあったけな」
「それからアリスと一緒に私の家に突撃しに来たのよね。今でも覚えているわ」
マリサとアリスの話に霊夢は頷いていた。マリサの話はまだまだ続く。
「〝古い歴史の私″はさ、150年前の9月4日の宴会で霊夢とすれ違って以来、上辺だけの付き合いのまま、霊夢にライバル心を燃やしてきた。人としても、そして魔法使いとしても中途半端なまま、只々時間だけが過ぎ去って行って、老い先短くなってからやっと自分の間違いに気づいて、失った時間を取り戻す為にタイムトラベルの研究を始めたんだ」
「…………」
「でさ、〝古い歴史の私″が覚えている最期の記憶が、寒さが厳しい205X年1月30日の朝、突然襲ってきた激しい胸の痛みに悶え、無念の内に床に倒れる記憶だったんだ。死後魂だけの存在となり、転生間際になった時、お前に僅かな希望を見出していたみたいだが……全く、どれもこれも、見るに堪えない記憶だったよ」
「マリサ……」
「だからな〝私″。お前には非常に感謝している。古い歴史の〝私″の運命を変えて、無念と渇望を晴らしてくれたことに。そして、霊夢や皆と過ごす、何気なくも大切な時間を再び作ってくれたこともな」
「私達も同じ気持ちよ。マリサの歴史を変えてくれてありがとう。貴女には感謝してもしきれないわ」
霊夢の言葉に、アリス、咲夜、パチュリーもはっきりと頷いていた。
「そうか……! 本当に良かったよ……!」
彼女達の晴れやかな表情を見て、私は全てが終わったことを察し、自然と顔が綻ぶのを感じていた。
今回の歴史改変は、くしくも二人の〝私″を助け出すことに繋がった。もう絶望と後悔に塗れた遺書もなく、150年経っても霊夢とマリサが存命でいる。これ以上にない、最高の結末と言えよう。
「これで私の役目も終わりだな……」
それなのに今の私の胸中には、喜び以外の別の感情が去来していた。
思い返せば、私はこの150年間ひたすらタイムトラベル研究に身を捧げ、定期的な交流があったのはアリスとパチュリーくらいだった。だけどこのマリサは違う。自由奔放、あるいは天真爛漫と言うべきか、先程の思い出話から推測するに、この150年の間に起きた様々な異変に首を突っ込み、場を引っ掻き回しながらも、大勢の人妖達と出会いと別れを繰り返してきた筈だ。
同じ霧雨魔理沙でも、たった一つ運命の歯車が狂ってしまうだけでこうも変わるものなのか。彼女が光とするならば、私は影のような存在だろう。
『もし貴女が望むのなら、西暦300X年の妹紅みたく、新しい歴史の霧雨マリサと同一化できるわ』
時の回廊で女神咲夜の提案を受けた時、迷いに迷いまくった挙句、私は私でいることを決めた。しかし、この歴史の霧雨マリサが誰もが思う〝霧雨魔理沙″らしく振舞っている今、もはや私の席はないのかもしれない。この選択は正しくなかったのかもしれない――そんな言い知れぬ不安がふつふつと湧き上がる。
「おいおい、なに言ってんだよ〝魔理沙″」
「え?」
顔を上げると、すぐ目の前に眉を上げた自分の顔が映る。気づけば私は注目の的になっていた。
「今が終わりじゃない、むしろ〝始まり″なんだ。これから、もっと沢山の思い出を私達で作って行こうぜ!」
「まだまだ人生は長いんだから、ね?」
「そ、それじゃあ、私はこの時間に居てもいいのか?」
「馬鹿。なに当たり前のことを言ってんだよ〝私″。この私も、お前も、同じ〝霧雨魔理沙″なんだ。遠慮する必要なんてないぜ」
「そうよ! 折角貴女と会えたのに、黙って勝手に居なくなったら許さないわよ!」
「ええ、貴女とはまだまだ話したいことは沢山あるわ。これからは同じ時を操る者として、仲良くやりましょう?」
「今度一緒にお茶しましょう。私の知るマリサではない貴女には、興味が尽きないわ」
「ふふ、これからまた騒がしくなりそうね」
「……ありがとう〝私″、霊夢、みんな……!」
自然と涙が溢れ出す私を、霊夢とマリサは何も言わずに抱きしめていた。
それから私達はお互いのことを沢山語り合い、気づけば外はすっかり暗くなっていた。
現在時刻は午後8時。星をひっくり返したような空の下、私は霊夢と一緒に博麗神社へと続く石段の途中、あと十段登れば境内へと辿り着く高さに立っていた。
辺りが星明りでぼんやりと照らされる中、山頂では煌々とした灯りがともり、少女達の喧騒が聞こえてくる。
「魔理沙?」
私の原点は150年前の7月20日、昼下がりの日に博麗神社を訪れたことだった。思えば私は――
「な~に立ち止まってんだよ」
階段を降りて来たマリサの声で、思考が中断する。
「お前の歓迎も兼ねてこの宴会をセッティングしたんだ。せっかく幻想郷中を回って参加者を集めてきたのに、主役が来なかったらいつまで経っても始まらないだろ?」
「さ、行きましょう魔理沙」
「――ああ!」
これから先、楽しいことも、辛いことも含めて多くのことが待っているだろう。だけど私は、霊夢やマリサ達とこの時間を生きていくと決めたんだ。
未来への大きな期待と決意を抱きながら、私は階段を登って行った――
今回の話がトゥルーエンドになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回、後日談を投稿します。