「!!!? いいい、今、やくもゆかりって言ったか!?」
「自分でいっしょうけんめい考えた名前なんだけど、変?」
「い、いや、素敵な名前だと思うぜ? うん」
(ええ~!? ヤバイ、これはとんでもないことになったぞ……!)
ついさっきまでの楽観的な考えは遥か彼方へと飛んで行き、私は動揺を隠せなかった。知らず知らずのうちに、重大な歴史介入を起こしてしまったことに。
(つーか性格が違いすぎる――! ほ、本当に〝あの″八雲紫なのか!?)
小鹿のように弱弱しく震えるその姿は、妖怪の賢者として崇められ、大妖怪として畏怖の念を抱かせていた面影はまるでなく、ギャップの激しさに私はおかしくなりそうだった。
(参ったな……まさか紫の子供時代に遭遇してしまうとは)
一瞬同姓同名の別人も疑ったが、すぐに却下した。髪と瞳の色が現代の紫と同じだし、阿音の『噂では2000年近く生きてる』発言から逆算すればこの時代に居てもおかしくない。
しかしそれにしたって、偶々時間遡航してきた私と偶々ここで出会うなんて、最早運命の悪戯としか思えない確率だ。
「どうしたの? おねえちゃん?」
「ああ、ええと、その――そう! 知り合いの名前に似てたからびっくりしただけなんだ。決して他意はないぜ」
「ふーん、そうなんだ」
我ながらかなり怪しい言い訳だったが、どうやら誤魔化せたようだ。
「ねえ、おねえちゃんの名前は?」
「え!? あ、えーと――」
(ま、まずい。ここで名乗る訳にはいかないし……)
これまで、紫の口から『子供時代に魔理沙と会った』なんて話は聞いたことないし、そんな素振りすら見せていなかった。なので紫は、私が霧雨魔理沙だと知らない可能性が高い。
ここは黙っているのが賢明な気がする。
「じ、実はな、深~い事情があって名乗ることができないんだ。ごめんな」
「……もしかして、どこかの豪族のお姫様なの?」
「お、お姫様?」
「だって南の村でおねえちゃんを見かけたことないし、凄く綺麗な格好してる」
「い、いやいや、私はただの旅人だよ」
「旅人って?」
「ここじゃないすっごく遠い所から来たんだ」
「わぁ、かっこいい! ねね、よその国の話をきかせて!」
目を輝かせている彼女に、「悪いけど私は探し物の最中でな、悠長にしてる時間はないんだ。そろそろ行かないと」と素っ気なく言って腰を上げる。
冷たいと思われるかもしれないが、ただの村人ならともかくこの子は八雲紫だ。あまり関わりすぎると、未来に変な影響が及びそうな気がする。ここで別れた方が得策だろう。
「探し物ってなに? わたしも手伝う!」
だけど、この時代の紫はとても好奇心旺盛らしく、スカートの裾を掴んで離さない。
(う~ん、振り払うことも出来るけど、それはそれで罪悪感があるしなぁ。――まあ、ちょっとくらいなら良いか)
私は再びしゃがみ込み、「実はな、セイレンカって花を探してるんだ。知らないか? 特徴は――」と、依姫から聞いた特徴をそっくりそのまま伝える。
どうせセイレンカの手掛かりは何もない訳だし、半分ダメ元で訊ねてみたのだが、予想とは裏腹に「あ! その花、どこに咲いてるか知ってる!」と、紫はニコニコしながら答えた。
「本当か!? 教えてくれ!」
「いいよ! おねえちゃんには助けてもらった恩があるし。ついてきて!」
そう言って森の奥へ走り出した紫の後を、私は追いかけて行った。
「おねえちゃーん! こっちこっちー!」
「ああー!」
紫は私から見て高い所、なだらかな斜面の途中から手を振っており、一方私は拾った木の棒で草木を掻き分け、道なき道を登っていた。
水を多く含みぬかるんだ土や、足元に絡みつく蔓に、腰の高さまで伸びた雑草達が行く手を阻む。大人の私でも悪戦苦闘しているのに、紫は水を得た魚のようにスイスイと進んでいた。あんな小さな体のどこにそんな体力があるのか甚だ疑問だ。
「はぁっ、はぁっ、はぁ、やっと追いついた」
それでもなんとか進み続け、息を切らしながらようやく紫の元へ到着した。
「も~、おねえちゃんたら遅いよ!」
「悪い悪い」
呼吸を整えつつ、周囲を確認する。
相も変わらず森の中だが、先程紫を助けた場所に比べて標高が少し高くなり、ここからでは見えないが、赤い目印を付けた杉の木から結構遠くまで来ていて、北の山の麓まで近づいていた。
「で、セイレンカはどこにあるんだ?」
「あそこだよ!」
少女が指差す先には、北の山の一部となっている岩の壁があり、そこにはぽっかりと大きな穴があいた洞窟となっていた。
入り口は人が暮らせそうなくらいに広く、周りは杉の木や背の高い草に囲まれて下からは隠れるようになっており、そのせいか人が出入りした痕跡はなく、自然な状態が保たれていた。
さらに洞窟付近の岩の壁には小さな穴があき、そこからは濁りのない透明な水が継続的に流れ出して川となり、低い所に流れていた。
「こんなところに洞窟があったとはな。ひょっとしてこの中に咲いているのか?」
「うん、そうだよ。この洞窟は奥が深いから、迷子にならないように、ちゃーんとわたしの後をついてきてね?」
「はいはい、分かったぜ」
得意げに胸を張る紫の後に続いて、洞窟の入り口まで歩いて行く。
リュックサックから方位磁石、手帳、鉛筆を取り出し、腰に取りつけた八卦炉に魔力を込めて、懐中電灯のように灯りをともした。
「すごーい! それなに?」
「こいつは八卦炉って言ってな、私が一番大切にしているマジックアイテムなんだ」
「マジックアイテム?」
「魔力を動力源にした道具のことさ。本来は攻撃に使うもんなんだが、ちょっと応用すればこういう芸当もできるのさ」
「そうなんだ! ねね、触ってもいい?」
「ダメダメ。危ないから」
「むぅ、ケチ」
(こうしてみると本当に子どもだなあ)
なんにでも興味関心を示す今の紫は、もはや私の知る八雲紫とは別人だ。切り離して考えた方がいいのかもしれない。
「ほらほら、拗ねてないで案内よろしく頼むぜ、紫ちゃん」
「……うん!」
彼女は満面の笑みを浮かべて歩き出した。
北の山の洞窟に入っておよそ十分経過した。
外の光が届かず、八卦炉の光だけが頼りになる薄暗い洞窟の中は、ジメジメとした冷たい空気に包まれ、びっしりと生える金緑色のヒカリゴケや、奥から時々聞こえてくる蝙蝠の鳴き声が不気味さを際立たせている。
「♪~」
(元気だなあ)
しかしそんな状況でも、私の一歩前を行く紫は鼻歌を歌いながら前を進んでいて、彼女の前向きさに私は感心していた。
高低差の激しい天井に、登ったり下ったりする道、地面の状態は濡れて滑りやすく、所々水たまりとなっている小さな穴や、落ちたら骨を折りそうな深い穴のある凸凹道を避けつつ、転ばないように慎重に歩いていく。途中何度か分岐点があったが、紫は迷うことなく道を選んで行き、どんどんと奥へ進んでいった。
(ふむ……)
入り口からここまで、方位磁石も利用しつつ、手帳に簡易的な地図を作っているのだが、ここまでのルートを見るに、立体差が大きく、相当複雑に入り組んだ洞窟のようだ。
「本当にこっちで合ってるのか?」
奥に進むにつれて、だんだんと道幅が細くなっていき、不安になった私が問いかけるも、紫は「だいじょーぶだいじょーぶ」と、足を止める事なく呑気に答える。
入り口近くは数人並んで通れる程広かった道が、今や人一人通るのがやっとなまでに狭くなってしまい、遂には岩の壁に突き当たってしまった。
「なんだよ、やっぱり行き止まりじゃないか」
「ううん、ここにちゃんと道があるよ。見える?」
紫はそう言ってしゃがみ込み、目の前の岩壁を指さした。その部分を目を凝らしてよく見てみると、地面に近い高さに抜け穴があいていて、果てには光が見えた。
だがその穴は小さく、四つん這いにならなければ通れそうにない。
「もしかしてこの穴の中を通るのか?」
「そうだよ?」
(マジか)
「心配しなくても大丈夫。おねえちゃん細いから通れるよ。この穴を抜けた先に、セイレンカが咲いてるからね~」
紫はしゃがんだ体制のまま穴の中に入って行った。
私も四つん這いになり、彼女の後に続こうとしたが、背中のリュックサックが引っかかって通れない。仕方なく下ろし、穴の中に入る事を確認した後、それを奥へと押し出しながら進んでいくことにした。
慣れない体勢に加え、そこそこの重さがあるリュックサックの運搬に疲労が重なり、堪らず「随分と狭い道を通るんだな。他に道はないのか?」と愚痴る。
「あることにはあるんだけど、この道がね、野生の動物や妖怪に遭わずに進める一番安全な道なんだ」
「そう、なのか」
確かにこの抜け穴は、私や紫のような体格じゃなければ通れなさそうだ。だけどそれにしたって、この体勢は膝と掌が痛くてしょうがない。……なんかさっきから愚痴ばっかこぼしてるな。
「もうすぐ出口だよ~」
その言葉通り紫が穴から抜け出し、出口の光へ私も続く。
「着いたよ!」
「おお~!」
穴から這いだした私の視線の先には、こじんまりとした小さなドーム状の空間があり、奥には小川が流れていて、中央には花弁が結晶となり、雪花模様の形をしたセイレンカが咲き誇っていた。
その数は優に百輪を超えており、天井の罅から漏れる外の光が花弁に当たって乱反射し、万華鏡のように輝いていた。
「これはすごいな!」
「でしょでしょ? ここはね、わたしだけが知ってる秘密の場所なんだ♪」
これまで通って来た、薄暗くジメジメとした洞窟には似つかわしくない程の幻想的な光景であり、ここに至るまでの苦労もあって、達成感もまたひとしおだった。
「早速採らせてもらうぜ」
リュックサックから採集道具を取り出した私は、一番手前に咲いていた一輪のセイレンカを傷つけないよう慎重に掘り出し、胴乱の中に入れた。
「これで良し」
これでミッションコンプリート。後は300X年の依姫に渡せば万事解決だ。
「ありがとな、紫ちゃん」
「エヘヘ」
彼女の頭を撫でると、くすぐったそうにしながら微笑んでいた。
それから私達は少しの休憩を経た後、30分かけて来た道を戻り、洞窟の入り口まで戻ってきた。
(雨か)
いつ降りだしてもおかしくない不安定な天気だったが、とうとう降ってきたようで、大きな雨粒がここら一帯に降り注いでいた。
「おねえちゃんはこれからどうするの?」
「そうだな。もう目的は果たしたし、国に帰ろうと思ってるんだ」
「わたしもおねえちゃんと一緒にいきたい!」
「……」
なんとなく予想できた言葉なので驚きはない。
「ねえ、いいでしょ? 絶対迷惑はかけないから……」
「――駄目だ」
「どうして!? おねえちゃんなら他の人とは違うと思ったのに! やっぱり妖怪が嫌いなの?」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
生きる時間が違う彼女を現代に連れて帰ることはできない。そう説明できればどれだけ楽になることか。
「じゃあ――!」
「ごめんな……」
縋りついてくる紫を振り払い、私は例の目印の付いた杉の木に向かって飛び立っていった。